2007年09月26日
周囲を自ら受け入れることから始める (吉田松陰の教育方針)
周囲を自ら受け入れることから始める (吉田松陰の教育方針)
・若くして学べば、壮して成すあり(佐藤一斎語録より}
江戸期末期の儒学者・佐藤一斎が言っている名言があります。
「志とは、大層なことを必ずしも指している訳ではない。極く当然のことであるが、なかなか実践にしくいだけのことである。自信とは、学ぶことである。
若くして学べば、壮して成すあり
壮して学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず
自信を持って人生を生きなくて何が人生か、と言う事である。そのためには、自分を磨くしか方法がない。勉強すれば、自ずと志が生まれ、信念となり、自身を持って実践ができるようになる。」
・自信復活の方策(吉田松陰の教育方針)
第一に、周囲を自ら受け入れることから始める
第二に、人間は平等ではないということを受け入れる
松下村塾は、一人ひとりの個性に合わせて、教育プルグラム(人生の目標)を組まれた。人は、皆違うこと。成長の時期(年齢)も、皆違うこと。それぞれの特性を見抜き、それを伸ばすことで自信を一層持たせていった。
・レイモンド・チャンドラーの名言
「タフでなければ、生きて行けない
優しくなければ、生きている資格がない」
・陽明学の祖・王陽明の35歳の時、辺境の地・竜場で大吾した時の言葉「四耐四不の辞」
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、
激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず以って大事をなすべし」
(意味)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない。」
自信は、心の問題である。生まれた時から身についているものでもない。自らが後天的に身に付けるものである。日々、細々としたことを直視して鍛えていくものだ。王陽明の言う事上磨練の決意をした者にのみ、自信は宿る。
「自信を培うのに簡単な方法はない」と、いにしえ(古)の人たちも、変わらぬ地道な方法で、自分を育てるしかないようです。自分の評価を周りの性にしたり、問題を周囲に押し付け、自分の努力を怠るようでは、自信と言う「心」が育たない。
謙虚に自分を見つめ、日々、細々と学問を積み重ねることが重要なようです。
*参考資料:植田正也著「電通 鬼十則」
・若くして学べば、壮して成すあり(佐藤一斎語録より}
江戸期末期の儒学者・佐藤一斎が言っている名言があります。
「志とは、大層なことを必ずしも指している訳ではない。極く当然のことであるが、なかなか実践にしくいだけのことである。自信とは、学ぶことである。
若くして学べば、壮して成すあり
壮して学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず
自信を持って人生を生きなくて何が人生か、と言う事である。そのためには、自分を磨くしか方法がない。勉強すれば、自ずと志が生まれ、信念となり、自身を持って実践ができるようになる。」
・自信復活の方策(吉田松陰の教育方針)
第一に、周囲を自ら受け入れることから始める
第二に、人間は平等ではないということを受け入れる
松下村塾は、一人ひとりの個性に合わせて、教育プルグラム(人生の目標)を組まれた。人は、皆違うこと。成長の時期(年齢)も、皆違うこと。それぞれの特性を見抜き、それを伸ばすことで自信を一層持たせていった。
・レイモンド・チャンドラーの名言
「タフでなければ、生きて行けない
優しくなければ、生きている資格がない」
・陽明学の祖・王陽明の35歳の時、辺境の地・竜場で大吾した時の言葉「四耐四不の辞」
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、
激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず以って大事をなすべし」
(意味)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない。」
自信は、心の問題である。生まれた時から身についているものでもない。自らが後天的に身に付けるものである。日々、細々としたことを直視して鍛えていくものだ。王陽明の言う事上磨練の決意をした者にのみ、自信は宿る。
「自信を培うのに簡単な方法はない」と、いにしえ(古)の人たちも、変わらぬ地道な方法で、自分を育てるしかないようです。自分の評価を周りの性にしたり、問題を周囲に押し付け、自分の努力を怠るようでは、自信と言う「心」が育たない。
謙虚に自分を見つめ、日々、細々と学問を積み重ねることが重要なようです。
*参考資料:植田正也著「電通 鬼十則」
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2007年09月25日
決意をした者にのみ、自信は宿る
決意をした者にのみ、自信は宿る
陽明学の祖・王陽明の35歳の時、辺境の地・竜場で大吾した時の言葉「四耐四不の辞」
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、
激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず以って大事をなすべし」
(意味)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない。」
自信は、心の問題である。生まれた時から身についているものでもない。自らが後天的に身に付けるものである。日々、細々としたことを直視して鍛えていくものだ。王陽明の言う事上磨練の決意をした者にのみ、自信は宿る。
「自信を培うのに簡単な方法はない」と、いにしえ(古)の人たちも、変わらぬ地道な方法で、自分を育てるしかないようです。自分の評価を周りの性にしたり、問題を周囲に押し付け、自分の努力を怠るようでは、自信と言う「心」が育たない。
謙虚に自分を見つめ、日々、細々と学問を積み重ねることが重要なようです。
陽明学の祖・王陽明の35歳の時、辺境の地・竜場で大吾した時の言葉「四耐四不の辞」
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、
激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず以って大事をなすべし」
(意味)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない。」
自信は、心の問題である。生まれた時から身についているものでもない。自らが後天的に身に付けるものである。日々、細々としたことを直視して鍛えていくものだ。王陽明の言う事上磨練の決意をした者にのみ、自信は宿る。
「自信を培うのに簡単な方法はない」と、いにしえ(古)の人たちも、変わらぬ地道な方法で、自分を育てるしかないようです。自分の評価を周りの性にしたり、問題を周囲に押し付け、自分の努力を怠るようでは、自信と言う「心」が育たない。
謙虚に自分を見つめ、日々、細々と学問を積み重ねることが重要なようです。
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08:48
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2007年09月25日
自信復活の方策
・自信復活の方策(吉田松陰の教育方針)
第一に、周囲を自ら受け入れることから始める
第二に、人間は平等ではないということを受け入れる
松下村塾は、一人ひとりの個性に合わせて、教育プルグラム(人生の目標)を組まれた。人は、皆違うこと。成長の時期(年齢)も、皆違うこと。それぞれの特性を見抜き、それを伸ばすことで自信を一層持たせていった。
・レイモンド・チャンドラーの名言
「タフでなければ、生きて行けない
優しくなければ、生きている資格がない」
第一に、周囲を自ら受け入れることから始める
第二に、人間は平等ではないということを受け入れる
松下村塾は、一人ひとりの個性に合わせて、教育プルグラム(人生の目標)を組まれた。人は、皆違うこと。成長の時期(年齢)も、皆違うこと。それぞれの特性を見抜き、それを伸ばすことで自信を一層持たせていった。
・レイモンド・チャンドラーの名言
「タフでなければ、生きて行けない
優しくなければ、生きている資格がない」
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08:47
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2007年09月25日
若くして学べば、壮して成すあり
若くして学べば、壮して成すあり
江戸期末期の儒学者・佐藤一斎が言っている名言があります。
「志とは、大層なことを必ずしも指している訳ではない。極く当然のことであるが、なかなか実践にしくいだけのことである。自信とは、学ぶことである。
若くして学べば、壮して成すあり
壮して学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず
自信を持って人生を生きなくて何が人生か、と言う事である。そのためには、自分を磨くしか方法がない。勉強すれば、自ずと志が生まれ、信念となり、自身を持って実践ができるようになる。」
江戸期末期の儒学者・佐藤一斎が言っている名言があります。
「志とは、大層なことを必ずしも指している訳ではない。極く当然のことであるが、なかなか実践にしくいだけのことである。自信とは、学ぶことである。
若くして学べば、壮して成すあり
壮して学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず
自信を持って人生を生きなくて何が人生か、と言う事である。そのためには、自分を磨くしか方法がない。勉強すれば、自ずと志が生まれ、信念となり、自身を持って実践ができるようになる。」
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2007年09月23日
若さとは、揺り戻す力(ロバート・ケネディ)
若さとは、揺り戻す力
故ロバート・ケネディは、若さとは「揺り戻す力」と表現しました。苦境に陥った時、心を奮い起こし、再度挑戦する心をより戻すことを表現した言葉です。
中国古典に「菜根譚」なる著書があります。私が中国古典の解説書をとして、守屋洋氏の著書を読むのですが、その「新釈菜根譚」の解説と第一話を紹介します。
(本文、解説より)
生きにくい時代である。
経済の低迷、失職者の増加、治安の悪化などなど、毎日のように心を暗くするニュースが流れくる。いったいこの社会はどうなっていくのか、だれしも不安を禁じえない。
こういう時代に生まれ合わせて、どう生きて行けばよいのか。
では、どうすれば自分を磨くことができるのか。また、どこからいきていくための知恵を学べば良いのか。これらの問い煮の分かりやすく答えてくれるのが「菜根譚」という古典である。(中略)
01.徳は孤ならず、必ず隣有り(論語)
「子曰わく、徳は孤ならず、必ず隣有り」
孔子先生が語られた、「報いを求めず、陰徳を積むんでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいる」
02.固執せず、ただ道理に従っていくのみ (論語)
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
03.有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く(論語)
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
04.三国志の英雄、諸葛孔明の名言
日本の政治機構のふがいなさを思い、今日は論語の言葉ではないですが、昨秋に書いた日記を載せます。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力、死して後已まん」
昨日、熊本県の中央部地域の教育事務所と同地域のPTA連合会の意見交換会があった。久々に、教育者の熱き思いを聞く機会を得たと思える教育事務所長の講和だった。これに近い感銘を受けた話は、現熊本県教育長が次長時代に、県PTA研修会での講演を思い出す。
所長は、自らの教育実践で経験して来た言葉は、人を惹きつけるものがありました。人を育てることは、一対一の真剣勝負であることを再認識させる事例ばかり出て来ました。
二年前まで校長時代の話が中心でした。札付きの不登校の意識を変えるために、毎日努力を惜しまない、生徒が来なければ出向く、地域に頭を下げ協力要請し、校長自ら地域との連携を創り上げる努力は、私自身も見習うとろがたくさんあると感じました。
教師がサラリーマン化したとマスコミは評していますが、まだまだ教育に情熱を注ぐ先生たちがいることを感じた良き意見交換でした。
昨日の話と今朝の読書が重なり、下記の言葉を思い出した。三国志に出て来る諸葛孔明の言葉の一節。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力」
劉備亡き後、二代目劉禅に奉った『後出師表(ノチノスイシノヒョウ)』の結びの言葉である。意味は、「身を粉にして働きます」という諸葛孔明の決意表明。
事実、小国、蜀の全権を委任され、宰相としてきり盛りしながら国力を整え、宿敵の魏に立ち向かった。それはひとえに無き劉備の信頼にこたえんがためだった。孔明は、その精勤ぶりで国民や部下の厚い信頼を受けたばかりでなく、古今の名宰相として、広い支持を集めてきた。
リーダーが先頭に立って働けば、部下もその気になって頑張らざるをえない。そういう意味で、率先垂範もまたリーダーの重要な条件のひとつである。(守屋洋著、三国志名言より)
20世紀の名宰相、中国の周恩来氏の死去のとき中国の人々が送ったことばが、この「鞠躬尽力」だったそうだ。私欲を捨て、国家の隆盛を願い「身を粉にして働いた」姿勢は、いまだに世界から敬慕されています。
現代の色々な分野のリーダー、この中国古典の言葉を実践して欲しいものです。私自身も「鞠躬尽力」を実践に努力して生きたいと思います。
05.君子は、器ならず (論語)
「子曰わく、君子は器ならず」
(解説)
孔子先生が語られた「できた人物は、特定のはたらきを持った器のようでない」
(社会への願い)
人の評価は、歴史が検証すると思います。国のトップになったら、私を忘れ、公に何が役に立つかを常に考え続けて欲しいと思います。
*再度読まれる方は、ご笑覧ください。よろしくお願いします。
故ロバート・ケネディは、若さとは「揺り戻す力」と表現しました。苦境に陥った時、心を奮い起こし、再度挑戦する心をより戻すことを表現した言葉です。
中国古典に「菜根譚」なる著書があります。私が中国古典の解説書をとして、守屋洋氏の著書を読むのですが、その「新釈菜根譚」の解説と第一話を紹介します。
(本文、解説より)
生きにくい時代である。
経済の低迷、失職者の増加、治安の悪化などなど、毎日のように心を暗くするニュースが流れくる。いったいこの社会はどうなっていくのか、だれしも不安を禁じえない。
こういう時代に生まれ合わせて、どう生きて行けばよいのか。
では、どうすれば自分を磨くことができるのか。また、どこからいきていくための知恵を学べば良いのか。これらの問い煮の分かりやすく答えてくれるのが「菜根譚」という古典である。(中略)
01.徳は孤ならず、必ず隣有り(論語)
「子曰わく、徳は孤ならず、必ず隣有り」
孔子先生が語られた、「報いを求めず、陰徳を積むんでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいる」
02.固執せず、ただ道理に従っていくのみ (論語)
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
03.有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く(論語)
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
04.三国志の英雄、諸葛孔明の名言
日本の政治機構のふがいなさを思い、今日は論語の言葉ではないですが、昨秋に書いた日記を載せます。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力、死して後已まん」
昨日、熊本県の中央部地域の教育事務所と同地域のPTA連合会の意見交換会があった。久々に、教育者の熱き思いを聞く機会を得たと思える教育事務所長の講和だった。これに近い感銘を受けた話は、現熊本県教育長が次長時代に、県PTA研修会での講演を思い出す。
所長は、自らの教育実践で経験して来た言葉は、人を惹きつけるものがありました。人を育てることは、一対一の真剣勝負であることを再認識させる事例ばかり出て来ました。
二年前まで校長時代の話が中心でした。札付きの不登校の意識を変えるために、毎日努力を惜しまない、生徒が来なければ出向く、地域に頭を下げ協力要請し、校長自ら地域との連携を創り上げる努力は、私自身も見習うとろがたくさんあると感じました。
教師がサラリーマン化したとマスコミは評していますが、まだまだ教育に情熱を注ぐ先生たちがいることを感じた良き意見交換でした。
昨日の話と今朝の読書が重なり、下記の言葉を思い出した。三国志に出て来る諸葛孔明の言葉の一節。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力」
劉備亡き後、二代目劉禅に奉った『後出師表(ノチノスイシノヒョウ)』の結びの言葉である。意味は、「身を粉にして働きます」という諸葛孔明の決意表明。
事実、小国、蜀の全権を委任され、宰相としてきり盛りしながら国力を整え、宿敵の魏に立ち向かった。それはひとえに無き劉備の信頼にこたえんがためだった。孔明は、その精勤ぶりで国民や部下の厚い信頼を受けたばかりでなく、古今の名宰相として、広い支持を集めてきた。
リーダーが先頭に立って働けば、部下もその気になって頑張らざるをえない。そういう意味で、率先垂範もまたリーダーの重要な条件のひとつである。(守屋洋著、三国志名言より)
20世紀の名宰相、中国の周恩来氏の死去のとき中国の人々が送ったことばが、この「鞠躬尽力」だったそうだ。私欲を捨て、国家の隆盛を願い「身を粉にして働いた」姿勢は、いまだに世界から敬慕されています。
現代の色々な分野のリーダー、この中国古典の言葉を実践して欲しいものです。私自身も「鞠躬尽力」を実践に努力して生きたいと思います。
05.君子は、器ならず (論語)
「子曰わく、君子は器ならず」
(解説)
孔子先生が語られた「できた人物は、特定のはたらきを持った器のようでない」
(社会への願い)
人の評価は、歴史が検証すると思います。国のトップになったら、私を忘れ、公に何が役に立つかを常に考え続けて欲しいと思います。
*再度読まれる方は、ご笑覧ください。よろしくお願いします。
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22:32
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2007年09月23日
不遇なときは下を見る
不遇なときは下を見る
思いどおりにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えよ。そうすれば、自然に不満が消えるだろう。
怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。そうすれば、またやる気が湧いてくるだろう。
(解説)
とにかく人の境遇をうらやみたくなるのが人情の自然である。だが、それでは、どこで行っても切りが無い。同じように他人と比較するなら、ここで洪自誠の言っているほうが、はるかに前向きではないか
思いどおりにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えよ。そうすれば、自然に不満が消えるだろう。
怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。そうすれば、またやる気が湧いてくるだろう。
(解説)
とにかく人の境遇をうらやみたくなるのが人情の自然である。だが、それでは、どこで行っても切りが無い。同じように他人と比較するなら、ここで洪自誠の言っているほうが、はるかに前向きではないか
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2007年09月23日
道徳と学問が人間の基礎
道徳と学問が人間の基礎
道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行うべき道である、すべての人に解放されていなければならない。
学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことができない。たゆまずに研鑽しよう。
(解説)
倫理道徳を踏みはずしたのでは、周りの非難を浴びる。また、学ぶことを怠ったのでは、自分を向上させることはできない。これではまともな社会人とは見なされないのである。
孔子も、「学ビテ時ニコレヲ習ウ、マタ説(ヨロコ)バシカラズヤ」(『論語』)と、学ぶことの楽しみを語っている。
(感想)
最近、学びながら、「倫理道徳」は、古典から学ぶことが大事ですが、日々体現している先輩の行動「先導者」から、見習うことの多さを感じます。また、その方の一つひとつの言葉にも、大きな意味があり、経験からの示唆が含まれ、感銘を受けることがあります。
道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行うべき道である、すべての人に解放されていなければならない。
学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことができない。たゆまずに研鑽しよう。
(解説)
倫理道徳を踏みはずしたのでは、周りの非難を浴びる。また、学ぶことを怠ったのでは、自分を向上させることはできない。これではまともな社会人とは見なされないのである。
孔子も、「学ビテ時ニコレヲ習ウ、マタ説(ヨロコ)バシカラズヤ」(『論語』)と、学ぶことの楽しみを語っている。
(感想)
最近、学びながら、「倫理道徳」は、古典から学ぶことが大事ですが、日々体現している先輩の行動「先導者」から、見習うことの多さを感じます。また、その方の一つひとつの言葉にも、大きな意味があり、経験からの示唆が含まれ、感銘を受けることがあります。
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2007年09月16日
君子は義に敏感、小人は利に敏感
君子は義に敏感、小人は利に敏感
「子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
孔子先生が語られた「君子は、義に敏感であるが、小人は、利に敏感である」
(感想)
現代社会でも良く見る風景です。人間は、生業はそう変わらずに来ていますが、どこで分かれ目になるか、それぞれの出会い環境に大きく影響を受けるように感じています。
「子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
孔子先生が語られた「君子は、義に敏感であるが、小人は、利に敏感である」
(感想)
現代社会でも良く見る風景です。人間は、生業はそう変わらずに来ていますが、どこで分かれ目になるか、それぞれの出会い環境に大きく影響を受けるように感じています。
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23:42
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2007年09月15日
評価を悩むより、認められるように務める
評価を悩むより、認められるように務める
「子曰わく、位なきを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。」
孔子先生が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるが良い。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認められるかを考えることだ。」
(感想)
前半の言葉は有名ですが、後半の言葉が有ってこそ前半の言葉が生きるように思います。原文を読む意味の大切さを感じた一文です。
わが身を省みる大切さを学びました。
「子曰わく、位なきを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。」
孔子先生が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるが良い。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認められるかを考えることだ。」
(感想)
前半の言葉は有名ですが、後半の言葉が有ってこそ前半の言葉が生きるように思います。原文を読む意味の大切さを感じた一文です。
わが身を省みる大切さを学びました。
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2007年09月15日
自分だけの利益追求は、怨みを受ける
自分だけの利益追求は、怨みを受ける
「子曰わく、利に放(よ)りて行えば、怨み多し。」
孔子先生が語られた、「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互いに怨みあうようになることが多い」
(感想)
なりふりかまわずの、利益追求は日本のバブル期の心情を考えるに、世界から非難を浴びた事を反省すべきと思う。共に繁栄を進める発想が重要かもしれません。
「子曰わく、利に放(よ)りて行えば、怨み多し。」
孔子先生が語られた、「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互いに怨みあうようになることが多い」
(感想)
なりふりかまわずの、利益追求は日本のバブル期の心情を考えるに、世界から非難を浴びた事を反省すべきと思う。共に繁栄を進める発想が重要かもしれません。
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08:06
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2007年09月14日
形にこだわらない
形にこだわらない(菜根譚)
財産や地位を浮雲のようにみなす心構えがあれば、それで十分だ。必ずしも深山幽谷に居を構える必要はないのである。
酒を愛で詩を解する風流心があれば、それでうよい。肝心の仕事を投げ出してまで風流にのめり込む必要なないのである。
(解説)
普通の人にとっては、まず生活があり仕事がある。これを軽視することは許されない。ただし、俗の世界にどっぷりつかっていると、俗事に振り回されて、心の安らぎは得られない。そこである程度距離をおきたいのだが、離れすぎると、今度は生活や仕事に差し障りが出てくる。不足不離といきたい。
趣味は、ほどほど、習い事も人並み程度が良いと、江戸の商家の確認にもあります。まずは、日々も暮らしを、贅沢する必要はないですが、貧しいながらも楽しく生きれる糧を持ち、残りに少しを社会へ還元できることができればと良いなと思っています。
「不足不離」は、これから色々と使える言葉と思います。
財産や地位を浮雲のようにみなす心構えがあれば、それで十分だ。必ずしも深山幽谷に居を構える必要はないのである。
酒を愛で詩を解する風流心があれば、それでうよい。肝心の仕事を投げ出してまで風流にのめり込む必要なないのである。
(解説)
普通の人にとっては、まず生活があり仕事がある。これを軽視することは許されない。ただし、俗の世界にどっぷりつかっていると、俗事に振り回されて、心の安らぎは得られない。そこである程度距離をおきたいのだが、離れすぎると、今度は生活や仕事に差し障りが出てくる。不足不離といきたい。
趣味は、ほどほど、習い事も人並み程度が良いと、江戸の商家の確認にもあります。まずは、日々も暮らしを、贅沢する必要はないですが、貧しいながらも楽しく生きれる糧を持ち、残りに少しを社会へ還元できることができればと良いなと思っています。
「不足不離」は、これから色々と使える言葉と思います。
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2007年09月13日
雑念を去る
雑念を去る
心から雑念を追い払えば、本来の自分の姿が見えてくる。雑念をいっぱいつめこんだままで、自分の姿を見ようとしても不可能だ。それはちょうど、波をかきわけ水に映った月をとろうとするようなものである。意識をすっきりさせれば、心も澄む。意識が濁ったままにしておいて、心だけ澄んだ状況にしようとしても、不可能だ。それは、ちょうど鏡の曇りをそのままにして、物を映し出そうとするようなものである。
(解説)
『老子』に「虚ヲ致スコト極マレバ、靜ヲ守ルコト篤シ」とある。「虚」とは、心のなかから、雑念、我執など、いっさいの自意識を取り除いた状態をいう。
とかく、日常の生活は、自分の思いもよらぬ出来事に巻き込まれたり、出くわしたりして、自分の心と違ったことに振り回されるが常ですが、そんな時でも自分のことばかりを考えると、その状況がつかめない事が多々あります。
そんな時は、心を落ち着け状況を掴み静かな口調で言葉を選び話すと、関わる人たちも落ち着き考えることができるように思います。一人の冷静さは、集団の落ち着きおも取り戻す力を持っています。事が起こったときこそ、泰然(たいぜん)とした態度で、謙虚に人と接することをお薦めします。
菜根譚 第九話
心から雑念を追い払えば、本来の自分の姿が見えてくる。雑念をいっぱいつめこんだままで、自分の姿を見ようとしても不可能だ。それはちょうど、波をかきわけ水に映った月をとろうとするようなものである。意識をすっきりさせれば、心も澄む。意識が濁ったままにしておいて、心だけ澄んだ状況にしようとしても、不可能だ。それは、ちょうど鏡の曇りをそのままにして、物を映し出そうとするようなものである。
(解説)
『老子』に「虚ヲ致スコト極マレバ、靜ヲ守ルコト篤シ」とある。「虚」とは、心のなかから、雑念、我執など、いっさいの自意識を取り除いた状態をいう。
とかく、日常の生活は、自分の思いもよらぬ出来事に巻き込まれたり、出くわしたりして、自分の心と違ったことに振り回されるが常ですが、そんな時でも自分のことばかりを考えると、その状況がつかめない事が多々あります。
そんな時は、心を落ち着け状況を掴み静かな口調で言葉を選び話すと、関わる人たちも落ち着き考えることができるように思います。一人の冷静さは、集団の落ち着きおも取り戻す力を持っています。事が起こったときこそ、泰然(たいぜん)とした態度で、謙虚に人と接することをお薦めします。
菜根譚 第九話
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2007年09月13日
つねに冷静であれ
つねに冷静であれ
冷静な目で人間で観察し、冷静な耳で言葉を判断する。冷静な感情で事に触れ、冷静な心理で道理を考える。
(解説)
「つねに冷静であれ」というのである。冷静さ妨げるのは感情であるが、これが先行すると、結果は決まってよくない。あの『孫子』の兵法も、「主は怒りを以って師を興すべからず。将は憤りを以って戦いを致すぼからず」と戒めている。これはなにも武器をとった戦いだけでなく、日常の生活や仕事にさいしてもあてはまるであろう。
冷静であるためには、感情をいかにコントロールするかにかかっているのだが、抑えすぎると、こんどは冷えたとかつっつきにくいといった印象を与えることになる。それを避けるためには同時に、心の温かさが必要になることは言うまでもない。
*菜根譚 第八話
冷静な目で人間で観察し、冷静な耳で言葉を判断する。冷静な感情で事に触れ、冷静な心理で道理を考える。
(解説)
「つねに冷静であれ」というのである。冷静さ妨げるのは感情であるが、これが先行すると、結果は決まってよくない。あの『孫子』の兵法も、「主は怒りを以って師を興すべからず。将は憤りを以って戦いを致すぼからず」と戒めている。これはなにも武器をとった戦いだけでなく、日常の生活や仕事にさいしてもあてはまるであろう。
冷静であるためには、感情をいかにコントロールするかにかかっているのだが、抑えすぎると、こんどは冷えたとかつっつきにくいといった印象を与えることになる。それを避けるためには同時に、心の温かさが必要になることは言うまでもない。
*菜根譚 第八話
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2007年09月13日
固執せず、ただ道理に従っていくのみ
固執せず、ただ道理に従っていくのみ
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
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2007年09月13日
志ある人は、粗衣粗食を恥じるようでは、足らざるなり
志ある人は、粗衣粗食を恥じるようでは、足らざるなり
「子曰わく、士道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ共に議(はか)るに足らざるなり。」
(解説)
孔子先生が語られた、「いやしくも道に志す人で粗衣粗食を恥じるようでは、まだ共に語るにたらない。」
(感想)
人は、見た目で判断してしまうことが多々有りますが、人間長く付き合わないと、何を考えているか解からないと思います。姿形よりも、志の高さよりも人を魅力的に見せ、香気な香りを放つと感じます。人をひきつける「磁力・魅力」がそこに在るように思います。
「子曰わく、士道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ共に議(はか)るに足らざるなり。」
(解説)
孔子先生が語られた、「いやしくも道に志す人で粗衣粗食を恥じるようでは、まだ共に語るにたらない。」
(感想)
人は、見た目で判断してしまうことが多々有りますが、人間長く付き合わないと、何を考えているか解からないと思います。姿形よりも、志の高さよりも人を魅力的に見せ、香気な香りを放つと感じます。人をひきつける「磁力・魅力」がそこに在るように思います。
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08:06
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2007年09月12日
人の思惑を気にしない
人の思惑を気にしない(守屋洋著「新釈 菜根譚」より)
世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守って突き進む者には、人の思惑などきにならない。
(解説)
「隠逸」とは、世俗と別の世界に住んでいる人々を指している。だから、世俗の重視する栄誉や恥辱にとらわれないのである。同じように、道義という価値基準をしっかり持っているからである。自分の世界を持ち、自分の価値観を守っている者は、周りがどうあろうと、心を動かされないことだろう。
逆に言えば、周りの思惑に振り回されたくないと願うなら、自分の世界、自分の価値観を持てということになるかもしれない。
(感想)
私は、色々ことが起った時は、静かに自分の心に問いかけます。答えを模索する中で、一番心が揺れないことを口にすると、意外と良い方向に流れを載せることがあります。
思惑等々で振りまわされるより、自分の心に問い、また自分の心をコントロールする「克己心」を磨くことが大事と思いようになりました。みなさまの決断の基準等々で、お考え等がございましたら、ご教授頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。
世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守って突き進む者には、人の思惑などきにならない。
(解説)
「隠逸」とは、世俗と別の世界に住んでいる人々を指している。だから、世俗の重視する栄誉や恥辱にとらわれないのである。同じように、道義という価値基準をしっかり持っているからである。自分の世界を持ち、自分の価値観を守っている者は、周りがどうあろうと、心を動かされないことだろう。
逆に言えば、周りの思惑に振り回されたくないと願うなら、自分の世界、自分の価値観を持てということになるかもしれない。
(感想)
私は、色々ことが起った時は、静かに自分の心に問いかけます。答えを模索する中で、一番心が揺れないことを口にすると、意外と良い方向に流れを載せることがあります。
思惑等々で振りまわされるより、自分の心に問い、また自分の心をコントロールする「克己心」を磨くことが大事と思いようになりました。みなさまの決断の基準等々で、お考え等がございましたら、ご教授頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。
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18:45
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2007年09月12日
欲望をコントロールする
欲望をコントロールする
心が澄みきっていれば、どんな暗がりにいても、良心をくらまされることはない。
心が曇っていれば、どんな明るみにいても、悪魔にとりこになる。
(解説)
心が曇らされるのは、もろもろの欲望のせいである。ただし、欲望がすべて悪いわけではない。なかには、人を活かし自分を活かす欲望だったあるのである。困るのは周囲の人々に迷惑を及ぼす欲望であって、これはいずれブーメランのように自分に跳ね返ってくる。
いずれにしても人間から欲望をなくすことはできないし、またその必要もない。問題はどうやってコントロールするかである。自分の意志で押さえ込むことができれば、それでよしとしたい。修養や修行は、そのための方法なのである。
心が澄みきっていれば、どんな暗がりにいても、良心をくらまされることはない。
心が曇っていれば、どんな明るみにいても、悪魔にとりこになる。
(解説)
心が曇らされるのは、もろもろの欲望のせいである。ただし、欲望がすべて悪いわけではない。なかには、人を活かし自分を活かす欲望だったあるのである。困るのは周囲の人々に迷惑を及ぼす欲望であって、これはいずれブーメランのように自分に跳ね返ってくる。
いずれにしても人間から欲望をなくすことはできないし、またその必要もない。問題はどうやってコントロールするかである。自分の意志で押さえ込むことができれば、それでよしとしたい。修養や修行は、そのための方法なのである。
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13:04
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2007年09月12日
すべては心のありよう
すべては心のありよう
自然の暑さからのがれることはできなくても、暑さを苦にするこころを消し去れば、いつも涼み台の上にいるようなもの。
現実の貧しさをから抜け出ることは出来なくても、貧乏に悩む心を払いのければ、いつも安楽な家に住んでいるようなものだ。
(解説)
「心頭ヲ滅却スレバ、火自(オノズカ)ラ涼シ」(『碧巌録』)ということであろうか。貧乏も楽しめる境地になれば最高なのだが、なかなかそこまではなれそうもない。せめて経済的には恵まれなくても、明るく前向きに生きていきたい。
「住めば都」と良く聞きますが、現実なかなか環境に馴染む、あるいは境遇を受け入れるのは難しいものです。ただ、家族団らん、和気藹々と過ごせれば、まずは幸福と思える一時が感じられればそれで良いと思うこともある。
日常の厳しい現実を向き合い、心にいかに「ゆとり」もてるかは、日々の精進に頼るしかないようです。
自然の暑さからのがれることはできなくても、暑さを苦にするこころを消し去れば、いつも涼み台の上にいるようなもの。
現実の貧しさをから抜け出ることは出来なくても、貧乏に悩む心を払いのければ、いつも安楽な家に住んでいるようなものだ。
(解説)
「心頭ヲ滅却スレバ、火自(オノズカ)ラ涼シ」(『碧巌録』)ということであろうか。貧乏も楽しめる境地になれば最高なのだが、なかなかそこまではなれそうもない。せめて経済的には恵まれなくても、明るく前向きに生きていきたい。
「住めば都」と良く聞きますが、現実なかなか環境に馴染む、あるいは境遇を受け入れるのは難しいものです。ただ、家族団らん、和気藹々と過ごせれば、まずは幸福と思える一時が感じられればそれで良いと思うこともある。
日常の厳しい現実を向き合い、心にいかに「ゆとり」もてるかは、日々の精進に頼るしかないようです。
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12:14
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2007年09月12日
人の過ちは、仲間や心がけから出る
人の過ちは、仲間や心がけから出る
「子曰わく、人の過ちや、各々其の党に於いてす。過ちを観(み)てここに仁を知る」
(解説)
孔子先生が語られた、「人の過ちは、それぞれの仲間や心がけから出るものである。従って過ちの内容を見て、その人の仁、不仁がわかるものだ」
(感想)
孔子の最も重要な教えの一つ「仁」の心は、仲間や日常の心がけ(行い)を見れば、自ずと解かるという言葉に、ドキッとするものが有りますが、幕末の偉人、横井小楠の訓示に、「君子の道は身を修むるに有り」とあるように、大志を抱き行動起すことも大事ですが、その信用(支持)はそれまでの日常の言動によることが多々あるものです。
仁の心を育てることが先ず大事と、孔子は説いているだと思います。仁とは、哀れむとか、思いやりの心とかの意味と言われます。家族にしろ、仲間にしろ、「彼らって、良いよね」と言われるようになりたいものです。
「子曰わく、人の過ちや、各々其の党に於いてす。過ちを観(み)てここに仁を知る」
(解説)
孔子先生が語られた、「人の過ちは、それぞれの仲間や心がけから出るものである。従って過ちの内容を見て、その人の仁、不仁がわかるものだ」
(感想)
孔子の最も重要な教えの一つ「仁」の心は、仲間や日常の心がけ(行い)を見れば、自ずと解かるという言葉に、ドキッとするものが有りますが、幕末の偉人、横井小楠の訓示に、「君子の道は身を修むるに有り」とあるように、大志を抱き行動起すことも大事ですが、その信用(支持)はそれまでの日常の言動によることが多々あるものです。
仁の心を育てることが先ず大事と、孔子は説いているだと思います。仁とは、哀れむとか、思いやりの心とかの意味と言われます。家族にしろ、仲間にしろ、「彼らって、良いよね」と言われるようになりたいものです。
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12:13
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2007年09月12日
有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く
有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
Posted by ノグチ(noguchi) at
00:37
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