2007年09月12日

人の思惑を気にしない

人の思惑を気にしない(守屋洋著「新釈 菜根譚」より)


 世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守って突き進む者には、人の思惑などきにならない。

(解説)
 「隠逸」とは、世俗と別の世界に住んでいる人々を指している。だから、世俗の重視する栄誉や恥辱にとらわれないのである。同じように、道義という価値基準をしっかり持っているからである。自分の世界を持ち、自分の価値観を守っている者は、周りがどうあろうと、心を動かされないことだろう。
 逆に言えば、周りの思惑に振り回されたくないと願うなら、自分の世界、自分の価値観を持てということになるかもしれない。

(感想)
 私は、色々ことが起った時は、静かに自分の心に問いかけます。答えを模索する中で、一番心が揺れないことを口にすると、意外と良い方向に流れを載せることがあります。
 思惑等々で振りまわされるより、自分の心に問い、また自分の心をコントロールする「克己心」を磨くことが大事と思いようになりました。みなさまの決断の基準等々で、お考え等がございましたら、ご教授頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。
  


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2007年09月12日

欲望をコントロールする

欲望をコントロールする

 心が澄みきっていれば、どんな暗がりにいても、良心をくらまされることはない。
 心が曇っていれば、どんな明るみにいても、悪魔にとりこになる。

(解説)
 心が曇らされるのは、もろもろの欲望のせいである。ただし、欲望がすべて悪いわけではない。なかには、人を活かし自分を活かす欲望だったあるのである。困るのは周囲の人々に迷惑を及ぼす欲望であって、これはいずれブーメランのように自分に跳ね返ってくる。
 いずれにしても人間から欲望をなくすことはできないし、またその必要もない。問題はどうやってコントロールするかである。自分の意志で押さえ込むことができれば、それでよしとしたい。修養や修行は、そのための方法なのである。  


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2007年09月12日

すべては心のありよう

すべては心のありよう

 自然の暑さからのがれることはできなくても、暑さを苦にするこころを消し去れば、いつも涼み台の上にいるようなもの。
 現実の貧しさをから抜け出ることは出来なくても、貧乏に悩む心を払いのければ、いつも安楽な家に住んでいるようなものだ。

(解説)
「心頭ヲ滅却スレバ、火自(オノズカ)ラ涼シ」(『碧巌録』)ということであろうか。貧乏も楽しめる境地になれば最高なのだが、なかなかそこまではなれそうもない。せめて経済的には恵まれなくても、明るく前向きに生きていきたい。


 「住めば都」と良く聞きますが、現実なかなか環境に馴染む、あるいは境遇を受け入れるのは難しいものです。ただ、家族団らん、和気藹々と過ごせれば、まずは幸福と思える一時が感じられればそれで良いと思うこともある。
 日常の厳しい現実を向き合い、心にいかに「ゆとり」もてるかは、日々の精進に頼るしかないようです。
  


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2007年09月12日

人の過ちは、仲間や心がけから出る

人の過ちは、仲間や心がけから出る


「子曰わく、人の過ちや、各々其の党に於いてす。過ちを観(み)てここに仁を知る」

(解説)
 孔子先生が語られた、「人の過ちは、それぞれの仲間や心がけから出るものである。従って過ちの内容を見て、その人の仁、不仁がわかるものだ」

(感想)
 孔子の最も重要な教えの一つ「仁」の心は、仲間や日常の心がけ(行い)を見れば、自ずと解かるという言葉に、ドキッとするものが有りますが、幕末の偉人、横井小楠の訓示に、「君子の道は身を修むるに有り」とあるように、大志を抱き行動起すことも大事ですが、その信用(支持)はそれまでの日常の言動によることが多々あるものです。
 仁の心を育てることが先ず大事と、孔子は説いているだと思います。仁とは、哀れむとか、思いやりの心とかの意味と言われます。家族にしろ、仲間にしろ、「彼らって、良いよね」と言われるようになりたいものです。
  


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2007年09月12日

有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く

有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く


「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」

「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」


(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」

孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」


(感想)
 今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。

 大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
 人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
  


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