2019年10月27日

人生とはできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない。〜スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士〜

人生とはできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない。〜スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士(イギリスの理論物理学者)〜

おはようございます。今朝は、朝ウォーク10kmから始まり、旅番組を見ながら資料整理やってます。横に置く、本を開くと冒頭とことばがありました。

ホーキング博士は、難病と闘いながら、宇宙物理学の分野で功績を挙げてきました。博士が語ると、この言葉はさらに重みを持つように感じます。

常に前向きに生きていきたいものです。

*参考資料:『必ず出会える!人生を変える言葉2000』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:48Comments(0)偉人

2019年10月25日

<夜郎自大>小人物ほどつまらぬ実力を誇示したがる。〜「自」と「大」を重ねると臭(くさい)の文字になる。〜

<夜郎自大>大人物は決して尊大ぶらない。逆に、小人物ほどつまらぬ実力を誇示したがる。〜「自」と「大」を重ねると臭(くさい)の文字になる。〜

朝から意味不明な諺の話しですが、説明を詳しくしている本から、

(以下、『中国人の発想80の知恵』から)

「自大」というのは、自分で自分をえらい人間だと思って尊大ぶること、そうなると「臭」つまり臭気プンプンとして鼻もちならないというのが、この諺の意味である。中国人ならずとも、そんな人のお相手はごめんこうむりたいものだ。(中略)

そうですね、こんな輩とはお付き合いはしたくない。また、次のエピソードも紹介されています。後漢の光武帝と地方国家の蜀(しょく)の公孫述(こうそんじゅ)の人物比較の話です。

(以下、本より抜粋)

ある地方豪族の将軍は、蜀の王である公孫述の昔馴染が、どんな人物になったか確認しに行った。ところが、護衛兵が厳然と威儀を正し、実によそよそしい迎え方だった。随行の部下に「外面ばかり飾りたてて、ごたいそうなものだな」と感想を述べた。

その後に、豪族の王の親書を携え、後漢の光武帝を訪ねた。控えの間で待つほどもなく、光武帝は自ら回廊をつたって迎えに出てきた。ニコニコ笑いながら声をかけてくるではないか。
「やあ、貴公の噂はかねてから聞いておるぞ」
それを聞き深々と頭を垂れた。
「陛下は、刺客とも知れぬ初対面のこのわたくしに、かくも気軽にお会いくださいました。なぜでしょうか」
「いや、いや、貴公は刺客などではあるまい」
そういって、光武帝はカラカラ笑ったという。(中略)

公孫述と光武帝の対応の違い、小物ほど尊大な態度を取るのは、昔も今も同じようです。この将軍は、すぐさまわが子を後漢の都やり光武帝に支えさせた。蜀の公孫述は、ほどなく光武帝に滅ぼされた。

冒頭の「夜郎自大」の諺は、『史記』にある話。漢王朝が中国全土を治めたころ、人もすまないような山奥の地域の豪族「夜郎」に、漢の使者が訪ねた。夜郎の王は使者に向かって、
「漢、我が大なるはいずれぞ」
と訪ねたという。(中略)

これを聞いた使者は、何も答えなかたようで、要は、呆れて言葉が出なかったのでは。

自と大を重ねると「臭(くさい)」となる。日本では、うさんくさい、の言葉も。狭い世界で誇示ばかりやっていると、うさんくさい、と煙たがれることを知らなければならない。

トップは常に動ける人、また社会変化を感じることのできる人を選びたいものです。

*参考資料:守谷洋著『中国人の発想80の知恵』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:49Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2019年10月07日

蝸牛角上の争いは避けよ!〜狭い世界で争いをするのは愚か〜(荘子)

蝸牛角上の争いは避けよ!〜狭い世界で争いをするのは愚か〜(荘子)

中国古典の『荘子』に王を諭すエピソードがあります。
「蝸牛角上の争い」
蝸牛(かたつむり)の角、つまり左右に伸びた目のことですが、その先端をある国の領地に例え、右の目の王と左の目の王とが戦いをしている。ある時、15日間戦い、双方の死者が数万人出た・・・

この話聞いた王は、怒り「冗談もほどほどにせい」と、すると意見を言っていた賢者は、
「無限の宇宙から見れば、王が隣国と争うのは、蝸牛の角上での戦いみたいなもの、もっと広い視野を持って、相手を見たらいかがでしょうか」と諭した。

唐代の詩人白楽天も、こう語っています。

蝸牛角上、何事カ争ウ
石火光中、此身ヲ寄ス
・・・

人生は短い、その人生を何のために生きるのか、目標をしっかりと設定し、他は些事と割り切るくらいの心の余裕を持ちたいものです。

要は、人生は短い、楽しく笑って生きなければ、と思います。

http://www.kangin.or.jp/assets/img/learning/text/kanshi_A08_3.gif
  


2019年10月06日

備えあれば憂いなし。いざという時のために、平素から準備をおこたるな。

備えあれば憂いなし。いざという時のために、平素から準備をおこたるな。

「養兵千日、用兵一時」(俚諺)

日本人はせっかち、「走りながら考える」を信条としている人もいるかと思います。それは果たして正しいのか?

本『中国人発想 80の知恵』に以下の解説から、

(以下、転載)

失敗してから後悔するのが愚者の常。あらかじめ道順をたしかめておけばよいものを、迷ってから初めて道を聞こうとしますし、川を渡るにしても、あらかじめ浅瀬のところをたしかめておけばよいものを、溺れてから始めて聞こうとします。それはちょうど、敵に攻めこまれて慌てて武器をつくり、のどがかわいてあわてて井戸を掘るようなもの、どんなに急いでみたところで、間に合うものではありません。
(以上、本より)

「急いては事を仕損じる」の諺があるのですが、日本人はせっかちな人が多い。確かに先んじることは一理はあるが、やはり少しの時間でも良いので「走る前に考える」習慣を身につけると、失敗が減ることは確実です。

準備し過ぎて「石橋を叩いて渡る」の用心深さばかりでもいけない。人間の道は、時流を読み、平素から準備をして、“ここ”という時に走り出す。

そのタイミングを見定めるためにも、平素からの準備が大事なのかもしれません。

備えあれば憂いなし。

急いては事を仕損じる。

人生の大きな岐路に立った時に悩むことなのだと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:16Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2019年10月04日

<「中庸」「中游」とは?>人は頭(トップ)になるな、木は軸になるな。〜俚諺〜

<「中庸」「中游」とは?>人は頭(トップ)になるな、木は軸になるな。〜俚諺〜

訓示の意味。経済学と倫理。

どんな丈夫な木でも軸に使われたらすりへってしまう。それと同じように、人間もトップになったら責任ばかり重くなる、という意味。

(以下、本より転載)

(中国古典思想の)「中游」志向は、あきらかに老荘思想の流れをくむものであろう。・・・
老子はまた「人に先に立たぬからこそ人の指導をすることができる。退くことも考えずに人に先に立つことのみ考えるなら。結果は破滅あるのみ」とも語っている。(中略)

要は「トップにも立たず、ビリにも落ちない。中段あたりで悠々と・・・
(以上、本より)

中庸は、時代や政治体制で、“真ん中”の位置が微妙にずれる。その軌道修正をするのが、世間の良識があると思います。

中国古典の「中庸」こそが、ひがみ、やっかみ、いじめ、 等々を、うまくすり抜ける中国4千年の知恵かもしれないですね。

人は頭(トップ)になると、人生をすり減らす。中心軸とは木もそんなものかもしれないですね。

*参考資料:守屋洋著『中国人の発想、80の知恵  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:57Comments(0)故事、名言、スピーチ、等