2025年04月01日

自ら矜(ほこ)らず、故に長たり(老子二十二章)〜いばっている人は孤立する〜

自ら矜(ほこ)らず、故に長たり(老子二十二章)〜いばっている人は孤立する〜

4月1日は、日本においてはスタートの日、転勤場所、新任地、新入生、等々、始まりの一日だと思います。

本日、宇土市教育委員会の辞令交付式に参加して、今年から教師の職に就く6人の若者たちを見て、かつて私もそうだったころを思い出しました。あれから40年以上が過ぎ、その頃の気持ちを忘れていました。

寝るまでの時間に読んだ中国古典の『老子』の一節に、自らを律する心を忘れてはいけないと思いました。

人間、"いいきになっていると足をすくわれる"との訓示です。

(以下、『老子』の訓示より)

いい地位(居場所)を得たり、素晴らしい功績をあげても、誇ったらいばったりしてはいけない。いい業績をあげても、その誉れは、一日も早く忘れた方がよい。いいきになってばかりいると、人生は、そこでストップする。

「矜らず」に謙虚であることは、実は、前進への秘訣である。
(以上、『老子・荘子の言葉100選』より)

本日、録画していたNHKのプロジェクトXの特番で、旧サンヨー電気の社員たちの奮闘が紹介された。

戦後の高度成長期起こり日本経済発展を支えた企業が、松下電気に買収され、さらに、中国の企業に売却された。しかし、元社員たちはその現実に腐らず、新たな場所(子会社)で、開発に取り組んで成功する。

元サンヨー電気の社員の一人は、
「成功体験にこだわっていたから、変化についていけなかった。成功体験からの脱却こそ必要」
と語っていました。

日本の諺に「驕れるものは久しからず」なるものがあります。

それと現代は、スピードが必要。問題を先送りするのでなく、その場で決断し、対応する能力が必要と、元サンヨー電気社員が、中国企業の幹部と接する中で、感じたことを述べています。

>自ら矜らず、故に長たり

の訓示は、2500年以上前の教えですが、今にも通じるものがあると思います。加えて、中国企業から学ぶ、スピード(早い決断)こそ、今に必要な企業スピリットと思いました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:59Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ老子・荘子

2024年11月26日

<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜

<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜

雨予想から、朝ウォーキングはおやすみです。久しぶりに、老子・荘子の解説本を開くと、冒頭の意味が書かれていました。

お辞儀は、敬意を表する態度なのですが、戦いの時代は、"無抵抗"を表す態度だったのか!と確認しました。

握手は仲直りで、子どもたちに語ったように思いますが、実はその昔、戦いの時代では、"相手が武器を隠し持っているか?"を確認する行為だったと、本にありました。

中国もまた、国(領土)を奪い合った時代が長くあり、人身掌握の難しさを書いた書物も多い。

平和な時代から想像できないのですが、争いの時代には、

>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。

世界では、紛争や戦争が絶えず起こっている。人が人を殺し合い、人を信じれない社会が存在している。

平和がいかに大事か、子どもたちや孫たちに、しっかり伝えなければと思った朝です。

*参考資料:境野勝悟著『老子・荘子の言葉100選〜心がほっとするヒント』  


2024年10月29日

常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜

常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜

「違った考え方を批判しあうから凶を招く」

いろんな場面、場所で、会議や話し合いがある。

知識の多い方々ほど語りが長くなる。

課題の本質を理解している人の話は、的確な言葉で短い。

講演後に、会場から質問する人の言葉を聞いていると、

"この人は何を聞きたいの?"

思うことがある。司会から、「短くお願いします」と促すと、あまり意味のない質問が始まる。

かつて、九州7県の新聞社が主催したセミナー「九州発見塾」で、私が講演後によく質問をしていました。毎年参加していたことと、コーディネーターが変わらなかったので、私が、「1分で語ります」と言って毎回やっていると、参加者もリピーターが多かったので、"またやってる!"の文句は出ませんでした。いかに整理して語るか、とても大事だと学びました。

質問には、①疑問の確認と、逆に講話の内容を、②批判する意味が含まれると考えています。

最近、色んな場面で、挨拶やコメントを聞いていて、①と②を検証している私がいるなぁ、と思っています。

冒頭の言葉は、『「老子・荘子」の言葉100選〜心がほんっとするヒント』にありました。この文の末尾に、

(以下、転載)

「常(じょう)」とは、なにか、いつでも変わらない。だれでも変わらない。昔も、今も、同じように、不変の力で働いいる力を、「常」という。(中略)

いつでも同じ、だれでも同じ・・・そういった自然の根源的な生命力、つまり「常」の力を知らないで、ただ、ひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」「ああすればプラス」「こうすればマイナス」と、違っている考え方を批判しあって毎日を送っていると、「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)を招くことになる。人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。手や足や肩や胃の働きで生きている。
(以上、本より)

以前に読んだ本に、「雄弁家ほど行動しない」「言うは易し、行いは難し」、等々、有言実行の難しさを、先人たちも厳しく指摘している。

>人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。

言葉巧みで、疑問ばかり吐いていると、人から嫌われる状況(凶)に陥ることが多々起こると危惧します。

前向き意見ではなくて、逆説的な"異見"ばかりしている人の末路を指摘する老子の訓示だなぁ、と朝から学びました。

  


2024年09月25日

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)

私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。

半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。

(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)

ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)

この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。

「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜

斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)

『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)

>知るものは言わず、言うものは知らず

智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。

私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。

いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、

「本物は残るから、長く観ておきなさい」

と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。

人の時のアセス

人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。

>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし

「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。

勇者は語らず。

人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。

今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。  


2014年05月23日

怨に報いるに徳を以てす(老子)。直を以て怨に報い、徳を以て徳に報ゆ(論語)。

怨に報いるに徳を以てす(老子)。直を以て怨に報い、徳を以て徳に報ゆ(論語)。

おはようございます。昨日は、宇土の地域づくりに関わる先輩方と夜なべ談義が弾みました。30年を超える歴史のある地域づくり団体にご縁のある熊本県内の有志が集まられ、思い出話だけでなくこれからの地域づくりについての意見も出ていました。

さて昨日の語りの中で、私が毎日続けるいわゆる「ブログ(日記)」について意見をいただきました。「よくやるね、どれくらい時間をかけているね?」と。

私のブログは、ある出来事が始まりになっています。東京の環境活動家で、イースクエア株式会社の代表取締役会長の木内孝氏と出会い、木内氏の会議でのコメントに感銘を受けました。

例えば、講演会後に茶話会、懇親会の中で、意見を求められて語られる言葉が、とても印象に残りました。何度かそんなことがあり、木内氏に「短く印象に残る言葉が語れるようになるには何をしたら良いですか?」と尋ねると、「とにかく、どんな本でも良いから、毎日読むこと。それと、本の感想でも良いし、自分の気づきでもいいので、毎日書くことも大事」と教えられ、2002年6月から書き始めて、来月で12年になります。

さらに、12年ほど前に友人に誘われ参加した中国古典の輪読会「中澄会」に参加するようになり、論語や中庸から導入され、「孔子」の教えに触れることができました。一昨日、その中澄会から欠席の多い私へ資料が送ってきました。

表紙には、『怨に報いるに徳を以てす』(老子 63章)

『直(なおき)以て怨に報い、徳を以て徳に報ゆ』(仮名論語 219ページ)

が書かれていました。意味を読むと、仮名論語の言葉は、次の解説がありました。

(以下、抜粋)

「怨み」といいますものは、言はば、丁度人間の心臓に突き刺さった棘(とげ)のようなものです。それだけに痛みが非常に内面的で、外にあまり出なく、従って人にはさほどに感ぜられなくとも自分には非常にうずき痛むのです。この痛みのために人は煩悶し、時には一生を紙くずのようにしてしまう人があります。
(以上、仮名論語より)

加えて、自分に向かってのある他人への行いに対して、口には出さずとも内に深く不満や憎しみを感ずるということもあります。

もうひとつの言葉は、老子の教えですが、全文と意味は、

「無為を為し無事を事としーー、怨みに報ゆるに徳を以てす」

【解説】
恨みに対しても、衆人が恨みに報いるに、恨みを以てするが如きをなさず、徳を以て報いるようにするがよいのである。無為が最も良いのであるから、もし意を用いてなさんとすれば、かえって失敗し、意を用いて執り守ろうとすれば、むしろ失うことになる。
(以上、老子より)

恨みを恨みで返さず、徳で返す。
無為が一番と老子が説いている。

心に刺さった棘をどう和らげるか、心を育てる学問こそ大事だなと、先輩から届けられる先人の教えはありがたいものです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:34Comments(0)老子・荘子

2013年03月21日

春爛漫〈桜〉。しかし、いい気になっていると足をすくわれる。

春爛漫〈桜〉。しかし、いい気になっていると足をすくわれる。

私たちは絶えず、ピンチを迎える。そのとき、あっさりと、自分の天職を捨ててはならない。ピンチを切り抜けて、天職一つを守ることが、生きる意味を大きくする。

人と違うことをすると、目立ちます。そのことを、いい気になっていると、しっぺ返しが来る。いい地位を得たり、素晴らしい功績をあげても、誇ったりいばったりしないほうが良いように思います。

いい業績をあげても、その誉れは、一日も早く忘れたほうが良い。いい気になっていると、人生は、ストップする。誇らずに謙虚であることは、実は、前進への秘訣となる。

好きなことを一つ、コツコツと成しとげていけば、必ず幸福な人生を手に入れることが出来るし、多くの人の生き方のお手本になれる。才智と手腕任せて、あれこれと手を出しても、事は実らない。

「自ら矜(ほこ)らず、故に長ず。それただ争わず、故に天下よくこれと争うことなし」(『老子』22章)

>自ら矜(ほこ)らず、故に長ず。

春は移動の時期、職場や社会で、色々な役が回って来る。地位が上る人、下る人、周りから讃辞や慰めも来ると思います。しかし、その気分に浸っているのは1日だけで、周りの人たちはその後の振る舞いを見ています。翌日から、気分を一新し、初日の振る舞いを謙虚に反省し、向上心を忘れることなく、目の前の仕事を打ち込むことが大事です。

花見の宴も、はじめは謙虚に飲んでいるが、酒が進むとアルコールの勢いで、本性が出て心象を害することも、多々あります。宴会こそが、自分を鍛えるよい機会と自覚し、話を聞き楽しむと、周りも和やかにします。

>故に天下よくこれと争うことなし。

今夜は、議会最終日で、市役所職員の3月末で退職する方たちの慰労会があります。老子の言葉を忘れずに、楽しい慰労会になればと思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:43Comments(0)老子・荘子

2009年03月19日

(老子)過干渉は子どもをダメにする

(老子)過干渉は子どもをダメにする

 かつて、子どもの過保護と過干渉がよくないといわれていた。が、今日では、過保護は、いくらしても、子どもの健全な成長を妨げないことがわかった。
 子どもたちをダメにしてしまうのは、過干渉が、もっとも善くない。
 あれこれと、干渉され、毎日のように注意や施策を加えられて、子どもの個性や適正がぐちゃぐちゃにされて、自分の本質がなんだかさっぱりわからなくなってしまった子どもたちが、いかに多いことか。
(以上、「老子・荘子の言葉100選」より)

 過干渉を注意した言葉が、老子の教えにあります。

「小鮮を烹(煮)るがごとく」

 ~小さい魚を煮るようにする~

(意味)
 なべに小さい魚をそっと並べて煮る時に、いたずらに、向きを変えたり、ひっくり返したりしていると、小魚の形がぐちゃぐちゃになってしまう。あまり掻き回さない方が、小魚の形が美しいし、味もよい。(中略)

(解説)
 現代は、子どもの教育ばかりではなく、あまりにも、重箱の隅をつつくようなことが多く、人々は、つねに戦々恐々としている。老子の中心哲学は、「無為自然」(自然にまかせてほうって置く)である。

 
 昨日、高校の保護者会で、こんな話があった。
 
「子どもたちは、勉強しなければいけないのは、充分分かっている。煮え切らない態度の子どもに、頭ごなしに゛勉強しなさい゛と言われる、言われた方は「ムッ」とするものです。なるべく子どもの自主性を尊重して下さい」

 ついつい、言ってしまいそうな気分を持ちますが、考えてみると自分が学生だったころ、やはり進んで勉強が出来たかと思うと、二つ返事をできないような学生生活だったと思います。
 
「小鮮を煮るがごとく」

 なべの温度管理がしっかりしないといけませんが、中身の状況は、中身がふれあいながら、出来上が(成長す)るを待つことが肝要、という教えと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:03Comments(0)老子・荘子

2009年03月18日

(老子)違った考え方を批判し合うから凶を招く

(老子)違った考え方を批判し合うから凶を招く

今日は、午前2時間半、午後3時間、初めて会う方と意見を交わす機会を持ちました。日々流れる情報を元にして、考えていることは違うなと思います。しかし、みんなこの世に生きているのは違いありませんし、今よりもより良くの思いは同じと思います。。

今日、語る中で頭に浮んだ言葉が、「知足」でした。

「足るを知る」(知足)

私の師の一人が、常々語る言葉ですが、元々は中国古典の「老子」の言葉と言われています。今日の議論を振り返ると、同じような情報から発想することが一人ひとり違うと感じます。

また老子の教えに、次の言葉があります。

「常を知らざれば 妄(みだり)に作(な)して凶なり」(老子十六章)

 「常」とは、゛昔から変らないもの゛と言う意味ですが、何時の世も、人はひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」、「ああすればプラスだ」、「こうすればマイナスだ」と、違っている考えを批判しあって毎日を送っていると、「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)を招くことになるとありました。また別の言葉は、

「不善なる者も われまたこれを 善とせん」(老子四十九章)

の意味は、「いい」と「悪い」の見方は、時代とともに変るという教えと、私なりに理解しています。ただその価値観もまた、人それぞれ受け止め方が違うと思います。

価値観とは、一人ひとりが生きてきた人生(文化)によって形作られると思います。老子の言う、「善い(良い)、悪い」、「賛否」、「勝負」・・・、の見方も、時代が変れば変ることもありし、立場を変えると賛否が変ることもあるの教示と思います。

ちなみに、今日対談した内容は、

(午前) 地域興しと農業ビジネスの新技術、他。 
(午後) 新産業起こしと地域ネットワーク、他。

数年かかりそうな取り組みですが、今日を起点にして色々な方と語り、また違った分野がリンクできるような異業種交流が生まれると良いなと思っています。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:52Comments(1)老子・荘子

2009年03月18日

(視点を変る)わき役の喜びを味わう

(視点を変る)わき役の喜びを味わう

 世間で高い評価している、エリートコースなどどいうものを、重視さえしなければ、この世の中を、誰もがやすかに生きられる。
 生きる喜びは、けっして、エリートコースだけでなく、演劇に例えると、わき役、装置係り、証明係り、そして観客だって、喜びを味わうことができる。

 「老子・荘子の言葉100選」の挿話に、次の一節があった。

(本文より、抜粋)
 畳屋さんの息子は、勉強好きで、名門大学から、有名な大会社に就職し、近所では評判のエリート。
 彼は、その名誉にしがみつくような気持ちで与えられた責任を果たそうと、夜を徹して働き競争社会を突っ走った。が、残念なことに、三年目で精神をひどく痛めた。
「俺の仕事を継がないか」
と父親にいわれ、彼は思いがけず、畳屋さんの後継者となった。いま、彼はいう。
「毎日、お客さんの感謝と善意につつまれ、すばらしい生きがいが持てた」・・・と。(以上、「老子・荘子の言葉100選」)

 社会は、色々な人たちの協力で成り立っている。主役を光らせる(支えている)のは、わき役。わき役が上手く動くようにリードするは、主役。
 人と人は、作用反作用の関係にあると思います。この会社は俺が支えていると、言葉に出さずに自分で「心」に思えば、自分も人生の主役といえると思います。

 老子の教示は、次の言葉です。

「聖を絶ち、智を棄つれば、民利百倍す」(老子十九章)
 ~偉くなろうとしなければ必ず得る~

*参考資料:「老子・荘子の言葉100選」

追記:


トラバ:
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:47Comments(1)老子・荘子

2009年03月16日

(青春+経験)青年は教えられるより、刺激されることを欲する

(青春+経験)青年は教えられるより、刺激されることを欲する

 論語に「憤せずんば啓せず、(ひ)せずんば発せず」の教えがありますが、ゲーテの格言も、同様を感銘を受けます。考え続け、人との応対に中で試行錯誤し、行きつく心の領域は同じなのかもしれないと感じます
 以下、詩人のゲーテの教示(格言)の抜粋です、ご意見等頂けるとありがたいです。よろしくお願します。

<以下、本文より>(若者編)

才能は静けさの中で作られ、
性格は世の激流の中で作られる。
          (「タッソー」)

頭がすべてだと思っている人間の哀れさよ!
       (「ヘルダーへ」)

青年は教えられるより、刺激されることを欲する。
        (「詩と真実」)

今日と明日の間には
長い期間が横たわっている。
君がまだ元気のうちに
早く処理することを学べ。
  (「格言的」)

 若者の夢想領域には、大人はなかなか近づけないところはありますが、自分たちもその時期を過ごして来た、地域の同志でもあると思います。
だからこそ、いい子には旅をさせろと言います。
 もうこれ以上の説明は、意訳を惑わすばかりですから、ココラで止めたいと思います。悩んでいる若者には、全部の答えを教えるのでなく、本人が悩んでいる分野を刺激するような言葉かけをして欲しいと思います。

<以前の日記>
・(最高の褒美)君ができる限り~As long as ever you can~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1109753012&owner_id=2182841  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:40Comments(1)老子・荘子

2009年03月11日

一直線に走る人は失敗する ~美成るは、久しきに在り~(荘子)

一直線に走る人は失敗する ~美成るは、久しきに在り~(荘子)

 「老子・荘子の言葉100選」なる本を、車の信号停車で長く停まる時に読んでいる。今日の言葉は、私のブログ「コモンズくまもと」との関連あるのですが、良い事がうまくでき上がるには、長い時間がかかり、逆に悪いことの結果は、すぐに出るとあった。
 50年も生きてくると、その言葉の意味が少し分かる出来事に何度か出会ったり、聞いたりする。

 今日は、やれ有名大学だ、プロスポーツだ、芸能界だ、小さい時から高い目標を持たせてやっている。一直線に突っ走って、早く、効率的に達成したいと願っている。しかも、一つの失敗も許さない。

 「荘子」には、ほんとうに良い完成をみたいのならば、一直線ではうまくいかない。
左へ右へ曲がりくねって、遠回りをして、ゆっくりと、久しく時間をかけなくてはならない、とあった。

 直線行動の人は、行き詰まり壁にぶつかる。曲がりくねって進む人は、右へ、左へ自由に足を踏み出し、止まらない。後戻りさえ平気である。

「成功するには長い時間がっかる」の教えは、幾度となく聞いているのですが、ついつい急いで答えを求めてしまう。

荘子の「成るは、久しき」のゆとりをもって、自分の失敗を分析し、紆余曲折しながらも、高い目標を持ちつつ、多様な経験を積む事で、一歩一歩進めて成功を修めることができるだと思います。

「美成るは、久しきに在り」

*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 20:15Comments(1)老子・荘子