2009年02月28日
自分の枠で他人を囲むな~往く者は追わず、来る者は拒まず~
自分の枠で他人を囲むな~往く者は追わず、来る者は拒まず~
孟子がある国を遊説している時、弟子の一人が盗みの嫌疑をかけられた。弟子に不始末に、役人が皮肉を言うと、孟子は、
「弟子たちは、盗みをするために、私について来たとでもいうのですか。私は弟子をとるとき、往く者は追わず、来る者は拒まずで、学ぼうという意志さえあれば、誰であろうと弟子にしている」
これは良く使う「往く者は追わず、来る者は拒まず」は、もともとは孟子の言葉から由来している。こだわりのない人間関係を表した言葉としてよく知られている。
部下を持つビジネスマンにこの包容力を当てはてみると、どんな部下を相手としても、些細な欠点に目くじらを立てず、能力に応じて使い分けるだけの度量が必要と思う。
(以上、「中国古典一日一話」より抜粋)
日常使いながら、言葉の始まりを知ると、さらに深く考えて使うことができるように思います。しかし、社会の変化で、「往く者は追わず、来る者は拒まず」が、派遣社員のことに例えると、とても辛い言葉になると感じます。
労働を尊い行為、奉仕に精神と、言っていた昔と比べると、労働市場という規制緩和を行った、小泉改革の痛手は、大きく日本社会に不安をもたらしているいるように思います。労働者を、利用するしないが、好不況で、「往く者は追わず、来る者は拒まず」の解雇自由の社会システムが良いか、悪いか、再度考える時期にあると思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」
孟子がある国を遊説している時、弟子の一人が盗みの嫌疑をかけられた。弟子に不始末に、役人が皮肉を言うと、孟子は、
「弟子たちは、盗みをするために、私について来たとでもいうのですか。私は弟子をとるとき、往く者は追わず、来る者は拒まずで、学ぼうという意志さえあれば、誰であろうと弟子にしている」
これは良く使う「往く者は追わず、来る者は拒まず」は、もともとは孟子の言葉から由来している。こだわりのない人間関係を表した言葉としてよく知られている。
部下を持つビジネスマンにこの包容力を当てはてみると、どんな部下を相手としても、些細な欠点に目くじらを立てず、能力に応じて使い分けるだけの度量が必要と思う。
(以上、「中国古典一日一話」より抜粋)
日常使いながら、言葉の始まりを知ると、さらに深く考えて使うことができるように思います。しかし、社会の変化で、「往く者は追わず、来る者は拒まず」が、派遣社員のことに例えると、とても辛い言葉になると感じます。
労働を尊い行為、奉仕に精神と、言っていた昔と比べると、労働市場という規制緩和を行った、小泉改革の痛手は、大きく日本社会に不安をもたらしているいるように思います。労働者を、利用するしないが、好不況で、「往く者は追わず、来る者は拒まず」の解雇自由の社会システムが良いか、悪いか、再度考える時期にあると思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」
2009年02月26日
(他人をあてにするな)人を恃むは自ら恃むにしかず
・他人をあてにするな
「人を恃(たの)むは自ら恃むにしかず」~韓非子~
これは、中国古典の一つ「韓非子」の一節にあるのもです。政治的リーダーに心して聞いて欲しい故事の一つです。
(解説から)
魯の宰相・公儀休(こうぎきゅう)は、魚大好きで、それを知った国中の人が、魚を届けてくる。しかし、せっかくの贈り物を受け取らない。弟が訳を聞くと、
「好きだから断わる。魚を受け取れば、お世辞も言わないといけない。そうなれな、やがて相手のために法を曲げることにもなろう。そうなるたちまち免職になる。
免職になれば、だれも魚を届けては来ない。魚も買えなくなる。
いまこうして断わっていれば、免職される事もなく、いつまでも好きな魚を買って食えるではないか」と答えた。(中略)
人を恃むということは、そうしても当たり外れがありがちなものだ。自分を頼りにすれば、かりに失敗したときでも諦めがつく。(中略)
(以上、「中国古典一日一話」~韓非子~)
高い地位に就けば、すり寄って来る族が居る。自分が、どんな生き方をして来たか、しているかで、その対応が大きく変るように思います。
今だに起る、首長、政治家、官僚の不祥事、人間の生業の変らない性を感じますが、今日の故事にあるように、しっかりと自分を見つめ、律する理念が大事と感じます。
日々の色々な出来事を、自分以外の要因を探し、愚痴をこぼしている人を見かけます。振り返る(反省する)と、以外に自分自身の言動に原因があることが多々あります。天災などの不慮の事故は、避けることはできませんが、「反省と挑戦」の気持ちを忘れないで、自分を頼りにして、暮らしたいものです。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」~韓非子~
「人を恃(たの)むは自ら恃むにしかず」~韓非子~
これは、中国古典の一つ「韓非子」の一節にあるのもです。政治的リーダーに心して聞いて欲しい故事の一つです。
(解説から)
魯の宰相・公儀休(こうぎきゅう)は、魚大好きで、それを知った国中の人が、魚を届けてくる。しかし、せっかくの贈り物を受け取らない。弟が訳を聞くと、
「好きだから断わる。魚を受け取れば、お世辞も言わないといけない。そうなれな、やがて相手のために法を曲げることにもなろう。そうなるたちまち免職になる。
免職になれば、だれも魚を届けては来ない。魚も買えなくなる。
いまこうして断わっていれば、免職される事もなく、いつまでも好きな魚を買って食えるではないか」と答えた。(中略)
人を恃むということは、そうしても当たり外れがありがちなものだ。自分を頼りにすれば、かりに失敗したときでも諦めがつく。(中略)
(以上、「中国古典一日一話」~韓非子~)
高い地位に就けば、すり寄って来る族が居る。自分が、どんな生き方をして来たか、しているかで、その対応が大きく変るように思います。
今だに起る、首長、政治家、官僚の不祥事、人間の生業の変らない性を感じますが、今日の故事にあるように、しっかりと自分を見つめ、律する理念が大事と感じます。
日々の色々な出来事を、自分以外の要因を探し、愚痴をこぼしている人を見かけます。振り返る(反省する)と、以外に自分自身の言動に原因があることが多々あります。天災などの不慮の事故は、避けることはできませんが、「反省と挑戦」の気持ちを忘れないで、自分を頼りにして、暮らしたいものです。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」~韓非子~
2009年02月25日
(君子は蕩蕩たり)毎月第一土曜日「宇土親子論語教室」
(君子は蕩蕩たり)毎月第一土曜日「宇土親子論語教室」
<論語>
・述而(じょじ)第七 の末節
(本文)
君子は坦(たい)らかにして蕩蕩(とうとう)たり。
小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。
(意訳)
君子は、いつも平安でのびのびしている。
小人は、いつでもくよくよして落ち着きがない。
(本文)
子、温(おん)にして勵(はげ)し。
戚(い)にして猛(たけ)からず。
恭(きょう)にして安(やす)し。
(意訳)
孔子先生は、おだやかでいてきびしく、おごそかであってもたけだけしくなく、うやうやしくて、しかもやすらかなお方であった。
(感想)
一人の人間は、上記のことを備えている人には、なかなか出会えない。
孔子は、とても苦労人だったと、色々な分権でしりました。人は、艱難辛苦を潜る抜け、鍛えられてこそ、おだやかな心に行き着くのかもしれません。
<ご案内>
毎月第1土曜日の朝10時から、(熊本県)宇土市民会館第3会議室で、親子で素読をして学ぶ「宇土親子論語教室」が開催されています。興味ある方は、ぜひ覗いてみてください。
子どもたちの元気な声に、刺激され大人たちは孔子の教えを学び、背筋がピンとなる思いを持ちます。参加される方は、事務局の山口さんまでご連絡ください。
宇土親子論語教室 事務局 山口さん 0964-16-1515
<論語>
・述而(じょじ)第七 の末節
(本文)
君子は坦(たい)らかにして蕩蕩(とうとう)たり。
小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。
(意訳)
君子は、いつも平安でのびのびしている。
小人は、いつでもくよくよして落ち着きがない。
(本文)
子、温(おん)にして勵(はげ)し。
戚(い)にして猛(たけ)からず。
恭(きょう)にして安(やす)し。
(意訳)
孔子先生は、おだやかでいてきびしく、おごそかであってもたけだけしくなく、うやうやしくて、しかもやすらかなお方であった。
(感想)
一人の人間は、上記のことを備えている人には、なかなか出会えない。
孔子は、とても苦労人だったと、色々な分権でしりました。人は、艱難辛苦を潜る抜け、鍛えられてこそ、おだやかな心に行き着くのかもしれません。
<ご案内>
毎月第1土曜日の朝10時から、(熊本県)宇土市民会館第3会議室で、親子で素読をして学ぶ「宇土親子論語教室」が開催されています。興味ある方は、ぜひ覗いてみてください。
子どもたちの元気な声に、刺激され大人たちは孔子の教えを学び、背筋がピンとなる思いを持ちます。参加される方は、事務局の山口さんまでご連絡ください。
宇土親子論語教室 事務局 山口さん 0964-16-1515
2009年02月23日
無欲になって勝つ~10倍の兵力に勝った曹操の志~
無欲になって勝つ~10倍の兵力に勝った曹操の志~
三国志の英雄の一人「曹操」が、天下を治めるきっかけとなった戦い「官渡の戦い」は、袁紹軍十余万、曹操軍一万足らず、戦前状況からすればとんでもないハンディでしたが、結果は大勝利でした。
三国について書かれた解説本に、この戦前状況の中で、部下に士気を高め続けたリーダーの決断を確信させてものに、「無欲」という気運(踏ん切り)があったと書かれていました。曹操は、
「どうくらべても、こちらに勝ち目はない。しかたない、国のために死のう、正義のために身命をなげうとう。そうすれば後世に名が残るだろう」
と、こんな心境であったのではないでしょうか。
しかし曹操の勝利は幸運だったからだと、本人が述べていますが、「勝ち目ない」と悟り、プレッシャーから抜け、状況をつぶさに分析し、的確に対処できた事が良かったのではないかと思います。
曹操の言葉かはわかりませんが、
「死に投じ国のためにせん、義をもって身を滅ばすは、のちに垂るるに足る」
と、あります。捨て身の心境こそ、道を拓くきっかけにつながったのだと思います。
我欲から公欲に、視点が変ったことが、言動もそのような主旨を語ることで、敵陣の兵士にも思いが伝わり、恭順する仲間が増えて行って、勝利の要因になったのだと思います。 無欲こそ勝利の意味を考えた言葉と思います。
*参考資料:丹羽隼兵編著「三国志」より
三国志の英雄の一人「曹操」が、天下を治めるきっかけとなった戦い「官渡の戦い」は、袁紹軍十余万、曹操軍一万足らず、戦前状況からすればとんでもないハンディでしたが、結果は大勝利でした。
三国について書かれた解説本に、この戦前状況の中で、部下に士気を高め続けたリーダーの決断を確信させてものに、「無欲」という気運(踏ん切り)があったと書かれていました。曹操は、
「どうくらべても、こちらに勝ち目はない。しかたない、国のために死のう、正義のために身命をなげうとう。そうすれば後世に名が残るだろう」
と、こんな心境であったのではないでしょうか。
しかし曹操の勝利は幸運だったからだと、本人が述べていますが、「勝ち目ない」と悟り、プレッシャーから抜け、状況をつぶさに分析し、的確に対処できた事が良かったのではないかと思います。
曹操の言葉かはわかりませんが、
「死に投じ国のためにせん、義をもって身を滅ばすは、のちに垂るるに足る」
と、あります。捨て身の心境こそ、道を拓くきっかけにつながったのだと思います。
我欲から公欲に、視点が変ったことが、言動もそのような主旨を語ることで、敵陣の兵士にも思いが伝わり、恭順する仲間が増えて行って、勝利の要因になったのだと思います。 無欲こそ勝利の意味を考えた言葉と思います。
*参考資料:丹羽隼兵編著「三国志」より
2009年02月21日
恩を売るな、名誉を求めるな ~「言志四録」~
恩を売るな、名誉を求めるな ~「言志四録」~
(現代語訳)
人に恩を売ってはいけない。下心を持って恩を売れば、かえって人の怨みを招くことになる。名誉を求めてはいけない。内容の伴わない名誉を求めても、すぐに人から叩かれるのがオチである。
(感 想)
江戸中期の儒家で教育者の斉藤一斎の教示ですが、現代の生活の中で周りを検証してみると、いかにこの類(たぐい)の族(やから)が目につくのですが、逆に私のように仕事とは分野の違う社会活動に関わっている人間を、利を最上に掲げて動く人々からすれば、同じように「利」をむさぼる族にみえるかもしれません。
私自身、自分を高めるために、師を探し続ける日々の中で、「出会い」こそ最高の族呂と会う機会と思います。ただし、『荀子』の(私なりの)理念なのですが、自分の目指す目標と、社会の求めるニーズ(思い)を限りなく近づける、もちろん個人の欲望を社会の思い(まちづくり)に近似させる行為が、社会活動(ボランティア)ではないかと思います。
ボランティアは、人のために働き、その行動を省み、関わる人から「ありがとう」の言葉ですべての苦労は消える思いこそ、大事と思います。
>恩を売るな、名誉を求めるな
社会活動(ボランティア)は、自分を育てる一生の教育現場かもしれません。
*参考資料:斉藤一斎語録「言志四録」
(現代語訳)
人に恩を売ってはいけない。下心を持って恩を売れば、かえって人の怨みを招くことになる。名誉を求めてはいけない。内容の伴わない名誉を求めても、すぐに人から叩かれるのがオチである。
(感 想)
江戸中期の儒家で教育者の斉藤一斎の教示ですが、現代の生活の中で周りを検証してみると、いかにこの類(たぐい)の族(やから)が目につくのですが、逆に私のように仕事とは分野の違う社会活動に関わっている人間を、利を最上に掲げて動く人々からすれば、同じように「利」をむさぼる族にみえるかもしれません。
私自身、自分を高めるために、師を探し続ける日々の中で、「出会い」こそ最高の族呂と会う機会と思います。ただし、『荀子』の(私なりの)理念なのですが、自分の目指す目標と、社会の求めるニーズ(思い)を限りなく近づける、もちろん個人の欲望を社会の思い(まちづくり)に近似させる行為が、社会活動(ボランティア)ではないかと思います。
ボランティアは、人のために働き、その行動を省み、関わる人から「ありがとう」の言葉ですべての苦労は消える思いこそ、大事と思います。
>恩を売るな、名誉を求めるな
社会活動(ボランティア)は、自分を育てる一生の教育現場かもしれません。
*参考資料:斉藤一斎語録「言志四録」
2009年02月20日
(中川氏の飲酒癖)自分の欠点をやたらに吹聴するな「五輪の書」
(中川氏の飲酒癖)自分の欠点をやたらに吹聴するな「五輪の書」
自分の欠点を自分からしゃべる人を見ることがある。正直な人であるが、受けてしだいでは、仕事に使えないとか、議論できないと受ける人が居るかも知れない。
長く仕事関係、交友関係があるから理解してもらえると思ったら、とんでもない墓穴を踏まされる事もありえます。考えるに、自分でも自分をよく理解していないのに気付くことが大事と思います。
童門冬ニ氏の著書「宮本武蔵の人生訓」に次の言葉があった。
(本文より)
宮本武蔵は、常に闇の中に引きずり降ろされる敵と戦い続けた人生だった。武蔵だったら、
「極力、欠点は、自分から言わない方がいい。まして、それを一種の美徳を考えて、他人に誉めてもらおうというような気持ちで、自分の欠点を告げ歩くとしたら、それは馬鹿だ。逆手にとられて、だんだんその人間は窮地に陥っていく。そんなことは自分からすべきでない。
他人というのは、人の欠点を見れば、すぐつけ入ろうとする本能的意地悪さをもっている。そのことを充分知っていなければならない」
しかし、武蔵はこうも言っている。
「他人が、貴方を向上させようよして、その欠点を指摘し、貴方も、それを事実だと思うならば、それは正直に認めるべきでだ。そして、そういう欠点が確かにあります。だから、私自身が今その欠点を直そうとして、一生懸命努力をしているところです、と答えるほうがいい」(中略)
(以上、「宮本武蔵の人生訓」より)
もし欠点を「その通り」と承認すれば、噂はどんどん一人歩きして行く。信用問題になることあります。
要は、欠点を自覚して、それを肯定した上で、積極的に前にでる意志を周りへ伝えると、その存在が大きく変って映るものです。攻撃していた相手も、攻撃を継続できなくなる。
今週の国会での中川大臣の辞任劇は、アルコール依存症という「欠点」を、名声の驕りの中で慣れてしまい、マスコミも含め周りが注意せず(できず)、裸の大様になった麻痺状況にあったのだろうと思います。
■<中川財務相>何度も酒に飲まれ失態(毎日新聞 - 02月17日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=753338&media_id=2
>「酔って閣議に出席した」「飲み過ぎで会議に遅刻した」。17日に財務・金融担当相を辞任した中川昭一氏(55)は、過去に飲酒が原因とみられる失態を度々演じてきた。
(中略)
中川氏の「国際会議中の昼食でワインを平然と飲む」という行為は、武蔵の指摘した欠点を自らさらけ出すことになりました。今回の辞任劇を見て、周りからちやほやされる時ほど、謙虚に自分の行為を省みる自覚を忘れてはいけないと思います。
武蔵は、「常に闇の中から、引きずり降ろしてやろうと狙っている者さえいる」と訓示しています。重要なポストの座れば座るほど、自分を律し、言動に気をつけることが大事と思います。
失言も、体調も、すべて口が問題です。失言をしないよう充分準備して語り、体調を壊さないように先見力を働かせ飲食することが、これからのリーダーに必要な資質と思います。
「五輪の書」
心を直にして我が身のひいきをせざるように心をもつ事肝要也
剣を極めた武蔵は、人生の達人だったのかもしれません。
*参考資料:童門冬ニ著「宮本武蔵の人生訓」
自分の欠点を自分からしゃべる人を見ることがある。正直な人であるが、受けてしだいでは、仕事に使えないとか、議論できないと受ける人が居るかも知れない。
長く仕事関係、交友関係があるから理解してもらえると思ったら、とんでもない墓穴を踏まされる事もありえます。考えるに、自分でも自分をよく理解していないのに気付くことが大事と思います。
童門冬ニ氏の著書「宮本武蔵の人生訓」に次の言葉があった。
(本文より)
宮本武蔵は、常に闇の中に引きずり降ろされる敵と戦い続けた人生だった。武蔵だったら、
「極力、欠点は、自分から言わない方がいい。まして、それを一種の美徳を考えて、他人に誉めてもらおうというような気持ちで、自分の欠点を告げ歩くとしたら、それは馬鹿だ。逆手にとられて、だんだんその人間は窮地に陥っていく。そんなことは自分からすべきでない。
他人というのは、人の欠点を見れば、すぐつけ入ろうとする本能的意地悪さをもっている。そのことを充分知っていなければならない」
しかし、武蔵はこうも言っている。
「他人が、貴方を向上させようよして、その欠点を指摘し、貴方も、それを事実だと思うならば、それは正直に認めるべきでだ。そして、そういう欠点が確かにあります。だから、私自身が今その欠点を直そうとして、一生懸命努力をしているところです、と答えるほうがいい」(中略)
(以上、「宮本武蔵の人生訓」より)
もし欠点を「その通り」と承認すれば、噂はどんどん一人歩きして行く。信用問題になることあります。
要は、欠点を自覚して、それを肯定した上で、積極的に前にでる意志を周りへ伝えると、その存在が大きく変って映るものです。攻撃していた相手も、攻撃を継続できなくなる。
今週の国会での中川大臣の辞任劇は、アルコール依存症という「欠点」を、名声の驕りの中で慣れてしまい、マスコミも含め周りが注意せず(できず)、裸の大様になった麻痺状況にあったのだろうと思います。
■<中川財務相>何度も酒に飲まれ失態(毎日新聞 - 02月17日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=753338&media_id=2
>「酔って閣議に出席した」「飲み過ぎで会議に遅刻した」。17日に財務・金融担当相を辞任した中川昭一氏(55)は、過去に飲酒が原因とみられる失態を度々演じてきた。
(中略)
中川氏の「国際会議中の昼食でワインを平然と飲む」という行為は、武蔵の指摘した欠点を自らさらけ出すことになりました。今回の辞任劇を見て、周りからちやほやされる時ほど、謙虚に自分の行為を省みる自覚を忘れてはいけないと思います。
武蔵は、「常に闇の中から、引きずり降ろしてやろうと狙っている者さえいる」と訓示しています。重要なポストの座れば座るほど、自分を律し、言動に気をつけることが大事と思います。
失言も、体調も、すべて口が問題です。失言をしないよう充分準備して語り、体調を壊さないように先見力を働かせ飲食することが、これからのリーダーに必要な資質と思います。
「五輪の書」
心を直にして我が身のひいきをせざるように心をもつ事肝要也
剣を極めた武蔵は、人生の達人だったのかもしれません。
*参考資料:童門冬ニ著「宮本武蔵の人生訓」
2009年02月19日
自分をあやつる糸を握れ ~菜根譚~
自分をあやつる糸を握れ ~菜根譚~
(現代語訳)
人間は、しょせんあやつり人形にすぎない、
ただし、あやつる糸をしっかりと自分の手で握りしめておけば、一本の乱れもなく、引くも伸ばすも、行くもとどまるも、自由自在、すべて自分の意志で行なうことができる。
いっさい他人の指図を受けなければ、身は俗世にあっても、心は俗世を超越できるはずだ。
(解 説)
人生の節目にさいして、神と言ってもよいし、中国流に天と言ってもよいが、ある大いなるものの意志が動いているのではないかと感じることがある。
人間にできることは、神や天にゆだねる領域をなるべく少なくするということかもしれない。まして他人まかせにすることなど論外である。
(感 想)
昨日の「道元」の教示しかり、今日の菜根譚の教えしかり、自分を知ること、環境をしること、対応すること、しかし「ここでこんな場面が・・」、「ここでこんな偶然が・・」と、思うことがありますが、現実は、その場、その時にどう対応するかにあります。
常に自分の心身の状況を把握する努力と、目標とする志を忘れずにいることが、変化に対応する術なのかもしません。
*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」
(携帯論語)心を育てることば ~携帯から検索できます~
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<今日の名言>
反省できる人、出来ない人、天地の差あり :自分を反省する人にとっては、体験することのすべてが自分を向上させる栄養剤となる。人に責任を転嫁する人にとっては、思ったり考えたりすることがそっくり自分を傷つける凶器となる。 :前者は善に向かう道を開き、後者は悪に走るきっかけをふやす。正に天地の違い。 :謙虚、倹約、勤勉、+反省、忘れないことですね。 *出典:「菜根譚」~守屋洋編著~
(現代語訳)
人間は、しょせんあやつり人形にすぎない、
ただし、あやつる糸をしっかりと自分の手で握りしめておけば、一本の乱れもなく、引くも伸ばすも、行くもとどまるも、自由自在、すべて自分の意志で行なうことができる。
いっさい他人の指図を受けなければ、身は俗世にあっても、心は俗世を超越できるはずだ。
(解 説)
人生の節目にさいして、神と言ってもよいし、中国流に天と言ってもよいが、ある大いなるものの意志が動いているのではないかと感じることがある。
人間にできることは、神や天にゆだねる領域をなるべく少なくするということかもしれない。まして他人まかせにすることなど論外である。
(感 想)
昨日の「道元」の教示しかり、今日の菜根譚の教えしかり、自分を知ること、環境をしること、対応すること、しかし「ここでこんな場面が・・」、「ここでこんな偶然が・・」と、思うことがありますが、現実は、その場、その時にどう対応するかにあります。
常に自分の心身の状況を把握する努力と、目標とする志を忘れずにいることが、変化に対応する術なのかもしません。
*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」
(携帯論語)心を育てることば ~携帯から検索できます~
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<今日の名言>
反省できる人、出来ない人、天地の差あり :自分を反省する人にとっては、体験することのすべてが自分を向上させる栄養剤となる。人に責任を転嫁する人にとっては、思ったり考えたりすることがそっくり自分を傷つける凶器となる。 :前者は善に向かう道を開き、後者は悪に走るきっかけをふやす。正に天地の違い。 :謙虚、倹約、勤勉、+反省、忘れないことですね。 *出典:「菜根譚」~守屋洋編著~
2009年02月18日
人は練磨により仁となる ~道元~
人は練磨により仁となる ~道元~
玉は琢磨によりて器となる、人は練磨によりれ仁となる、何(いずく)の玉かはじめより光有る、誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし、自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。
(意訳)
玉は磨くことではじめて価値がでる。人も自ら磨き鍛錬して初めて真の人となる。世の中に初めから光っている玉があるだろうか、初めからすぐれた働きをする人がいようか。ともすれば、必ず磨き、鍛錬すべきである。決して能力や素質がないと自らを卑下して道を学ぶ努力を怠ってはいけない。
(解説)
もちろん、それは運命的な出会いやよる場合も多いが、自らそういった人を求め続けていればそういった伯楽と巡り会えるチャンスも増える。また、いまだに自分を完全に磨いてくれる伯楽が見つからなかったとしても、自分を認め励ましてくれる友人もりっぱな伯楽であり、そんな伯楽の友を持つことは人生を味わい深いものにしてくれる。(中略)
今日、紹介した道元の言葉に、感想は必要ないと思います。読んで頂いたみなさんで、考えていただければ幸いです。
「自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ」
日々に努力こそ、自分の伯楽をさがす道かもしれません。
玉は琢磨によりて器となる、人は練磨によりれ仁となる、何(いずく)の玉かはじめより光有る、誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし、自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。
(意訳)
玉は磨くことではじめて価値がでる。人も自ら磨き鍛錬して初めて真の人となる。世の中に初めから光っている玉があるだろうか、初めからすぐれた働きをする人がいようか。ともすれば、必ず磨き、鍛錬すべきである。決して能力や素質がないと自らを卑下して道を学ぶ努力を怠ってはいけない。
(解説)
もちろん、それは運命的な出会いやよる場合も多いが、自らそういった人を求め続けていればそういった伯楽と巡り会えるチャンスも増える。また、いまだに自分を完全に磨いてくれる伯楽が見つからなかったとしても、自分を認め励ましてくれる友人もりっぱな伯楽であり、そんな伯楽の友を持つことは人生を味わい深いものにしてくれる。(中略)
今日、紹介した道元の言葉に、感想は必要ないと思います。読んで頂いたみなさんで、考えていただければ幸いです。
「自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ」
日々に努力こそ、自分の伯楽をさがす道かもしれません。
2009年02月16日
( 孟子 ) 「四端の説」辞譲の心は礼の端なり
「四端の説」辞譲(じじょう)の心は礼の端(たん)なり
譲り合いの心は、礼の始まりと孟子の解説にあった。『孟子』の有名な「四端の説」の一つである。『孟子』のよれば、人間はだれでも、次の四つの心を持っている。
一、惻隠(そくいん)の心:かわいそうだと思う心
一、羞悪(しゅうお)の心:悪を恥じ憎む心
一、辞譲の心:譲り合いの心
一、是非の心:善悪を判断する心
そしてこれらの心は、それぞれに、仁、義、礼、智の芽生えなのだとあります。
一、惻隠の心は仁の端なり
一、羞悪の心は義の端なり
一、辞譲の心は礼の端なり
一、是非の心は智の端なり
この「四端」を大きく育てていけば、だれでも立派な人物になれるとありました。
惻隠、羞悪、辞譲、是非 = 仁、義、礼、智
文字だけを追うと分かり難いですが、
・かわいそうだと思う心
・悪を恥じ憎む心
・譲り合いの心
・善悪を判断する心
四つのことは、日々の生活にしょっちゅう出会うことと思います。今いる場をより良くするように、考え行動することでも、自分をバランスよい人間に育てるのかもしれません。
*参考資料:守屋洋著「中国古典一日一話」
譲り合いの心は、礼の始まりと孟子の解説にあった。『孟子』の有名な「四端の説」の一つである。『孟子』のよれば、人間はだれでも、次の四つの心を持っている。
一、惻隠(そくいん)の心:かわいそうだと思う心
一、羞悪(しゅうお)の心:悪を恥じ憎む心
一、辞譲の心:譲り合いの心
一、是非の心:善悪を判断する心
そしてこれらの心は、それぞれに、仁、義、礼、智の芽生えなのだとあります。
一、惻隠の心は仁の端なり
一、羞悪の心は義の端なり
一、辞譲の心は礼の端なり
一、是非の心は智の端なり
この「四端」を大きく育てていけば、だれでも立派な人物になれるとありました。
惻隠、羞悪、辞譲、是非 = 仁、義、礼、智
文字だけを追うと分かり難いですが、
・かわいそうだと思う心
・悪を恥じ憎む心
・譲り合いの心
・善悪を判断する心
四つのことは、日々の生活にしょっちゅう出会うことと思います。今いる場をより良くするように、考え行動することでも、自分をバランスよい人間に育てるのかもしれません。
*参考資料:守屋洋著「中国古典一日一話」
2009年02月14日
(孔子の人間像)「意、必、固、我」の欠点無し
(孔子の人間像)「意、必、固、我」の欠点無し
一、意:主観だけで憶測すること
ニ、必:自分の考えを無理に押し通すこと
三、固:一つの判断に固執すること
四、我:自分の都合しか考えぬこと
孔子は、上記の四つの欠点がなかったそうです。人間、「意、必、固、我」どれ一つとっても、そろから免れることは容易でないし、陥りやすいのが人間と思います。
一昨日の小泉元首相の発言は、自分では政界を引退する発言をしながらも、今渦中に居る首相を名指しで、批判する行為は「固、我」に陥った感を受けます。苦境を経験した元首相であれば、違った言葉で水先案内を示すことの方が、はるかに長老としての威厳・尊敬を持たれるのではなかと思います。
小泉氏の発言には、「何か、欲から出ている」ようにも見受けられ、高支持を保った首相の驕りにも見えてきます。小泉氏、麻生氏の論争は、注目して見て行きたいと思います。
孔子のこのような四つの欠点のない、バランスのとれた人間像を形成しえた理由は何か。それは他でもない、人生の逆境にめげず、たえず自分を鍛えることを怠らなかったからだといわれます。
私たちも孔子の域には近づけませんが、努力を惜しんではいけないと思います。
・(小泉ショック)小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる
http://noguchi.otemo-yan.net/e157484.html
一、意:主観だけで憶測すること
ニ、必:自分の考えを無理に押し通すこと
三、固:一つの判断に固執すること
四、我:自分の都合しか考えぬこと
孔子は、上記の四つの欠点がなかったそうです。人間、「意、必、固、我」どれ一つとっても、そろから免れることは容易でないし、陥りやすいのが人間と思います。
一昨日の小泉元首相の発言は、自分では政界を引退する発言をしながらも、今渦中に居る首相を名指しで、批判する行為は「固、我」に陥った感を受けます。苦境を経験した元首相であれば、違った言葉で水先案内を示すことの方が、はるかに長老としての威厳・尊敬を持たれるのではなかと思います。
小泉氏の発言には、「何か、欲から出ている」ようにも見受けられ、高支持を保った首相の驕りにも見えてきます。小泉氏、麻生氏の論争は、注目して見て行きたいと思います。
孔子のこのような四つの欠点のない、バランスのとれた人間像を形成しえた理由は何か。それは他でもない、人生の逆境にめげず、たえず自分を鍛えることを怠らなかったからだといわれます。
私たちも孔子の域には近づけませんが、努力を惜しんではいけないと思います。
・(小泉ショック)小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる
http://noguchi.otemo-yan.net/e157484.html
2009年02月12日
(武蔵の信条)われ、事において後悔せず~『独行道』~
(武蔵の信条)われ、事において後悔せず~『独行道』~
宮本武蔵は、病床においてまとめた「独行道」を残してこの世を去った。宮本武蔵を師と仰ぐ人々にとっては、貴重な「修身ノ書」となって残っている。
「独行道」
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
(注)依枯:頼る、えこひいき/むさぼる
(解説)
世に処する心得の要は、人に好かれることである。人に嫌われたくなかったら、嫉妬をできるだけ押さえこむしかないのである。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵、人生の智恵」
宮本武蔵は、病床においてまとめた「独行道」を残してこの世を去った。宮本武蔵を師と仰ぐ人々にとっては、貴重な「修身ノ書」となって残っている。
「独行道」
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
(注)依枯:頼る、えこひいき/むさぼる
(解説)
世に処する心得の要は、人に好かれることである。人に嫌われたくなかったら、嫉妬をできるだけ押さえこむしかないのである。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵、人生の智恵」
2009年02月11日
「礼」と「和」のバランスが人間関係の出発点
「礼」と「和」のバランスが人間関係の出発点
守屋洋著「将たる器の研究」に、次の一節がありました。
(本文転載)
「応対」とは、人と相対して話のやりとりをすること。「辞令」とは、言葉遣いと言った意味。(中略)
「応対辞令」というのは、社会人としての経験を重ねることによって、おのずからある程度のことは見についていく。しかし近ごろの風潮を見ていると、必ずしもそうとばかりは言っておれないような気がする。(中略)
論語から学ぶと、「礼」の基本は次の三つのことだという。
一、姿勢や態度を正しくする
ニ、変な顔つきをしない
三、言葉遣いをきちんとする
つまりモラルだけでなく、美意識の問題でもあるようです。
また、「礼」を行うには、「和」の心がないといけないと、孔子は教示しています。
「和」と「礼」の両方を大事にすることが、「応対辞令」の出発点のようです。
言葉使いが優しく、丁寧だと、受ける側も心休まる気分を持ち、その人が初対面だったら好印象を残すことになります。出会いは、「一期一会」の真剣勝負と、龍馬、武蔵が語っているように、謙虚に相手をことを思いつつも、自分の考えをしっかり伝えることも、また重要なことと思います。
3つの礼の基本を忘れずに、明日も一日過ごしてみたいと思います。
*参考資料:守屋洋著「将たる器の研究」
守屋洋著「将たる器の研究」に、次の一節がありました。
(本文転載)
「応対」とは、人と相対して話のやりとりをすること。「辞令」とは、言葉遣いと言った意味。(中略)
「応対辞令」というのは、社会人としての経験を重ねることによって、おのずからある程度のことは見についていく。しかし近ごろの風潮を見ていると、必ずしもそうとばかりは言っておれないような気がする。(中略)
論語から学ぶと、「礼」の基本は次の三つのことだという。
一、姿勢や態度を正しくする
ニ、変な顔つきをしない
三、言葉遣いをきちんとする
つまりモラルだけでなく、美意識の問題でもあるようです。
また、「礼」を行うには、「和」の心がないといけないと、孔子は教示しています。
「和」と「礼」の両方を大事にすることが、「応対辞令」の出発点のようです。
言葉使いが優しく、丁寧だと、受ける側も心休まる気分を持ち、その人が初対面だったら好印象を残すことになります。出会いは、「一期一会」の真剣勝負と、龍馬、武蔵が語っているように、謙虚に相手をことを思いつつも、自分の考えをしっかり伝えることも、また重要なことと思います。
3つの礼の基本を忘れずに、明日も一日過ごしてみたいと思います。
*参考資料:守屋洋著「将たる器の研究」
2009年02月10日
早熟は晩成に及ばない(菜根譚)
早熟は晩成に及ばない(菜根譚)
(現代語訳)
桃やすももはあでやかな花をつける。だが、松や柏の常緑のみごとさには及ばない。梨やあんずは甘い実をつける。だが、だいだいやみかんのさわやかな香りには及ばない。
これで明らかなように、きらびやかで短命なものは地味で長持ちするものには及ばず、早熟は晩成に及ばないのである。
(解 説)
晩成がよいといっても、「四十、五十ニシテ聞コユルナキハ、コレマタ畏ルルニ足ラザルノミ」(『論語』)という人もいるから、そうもんびり構えてばかりもいられない。ちなみに柏とは、日本の柏とは違って、中国で見かける常緑樹である。
(感想)
人生急ぐ必要はないが、タイミングが遅れると、無名のままになってしまう。何処で、自分をアピールすかは、常にアンテナを張って、時機を計っておかないといけないとの教えと思います。
自分の思いと、時代の要望は、なかなかタイミングがあいません。千載一遇のチャンスをどう掴むかは、本人に努力によるしかないのかもしれません。
<関連ブログ>
・菜根譚
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
(現代語訳)
桃やすももはあでやかな花をつける。だが、松や柏の常緑のみごとさには及ばない。梨やあんずは甘い実をつける。だが、だいだいやみかんのさわやかな香りには及ばない。
これで明らかなように、きらびやかで短命なものは地味で長持ちするものには及ばず、早熟は晩成に及ばないのである。
(解 説)
晩成がよいといっても、「四十、五十ニシテ聞コユルナキハ、コレマタ畏ルルニ足ラザルノミ」(『論語』)という人もいるから、そうもんびり構えてばかりもいられない。ちなみに柏とは、日本の柏とは違って、中国で見かける常緑樹である。
(感想)
人生急ぐ必要はないが、タイミングが遅れると、無名のままになってしまう。何処で、自分をアピールすかは、常にアンテナを張って、時機を計っておかないといけないとの教えと思います。
自分の思いと、時代の要望は、なかなかタイミングがあいません。千載一遇のチャンスをどう掴むかは、本人に努力によるしかないのかもしれません。
<関連ブログ>
・菜根譚
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
2009年02月08日
(一期一会)出会いは一度きりの真剣勝負
(一期一会)出会いは一度きりの真剣勝負
昨日、地元の講演会に、「世界が100人の村だったら」の著者、池田香代子さんが講師来られ、環境と未来のついての講演があった。世界の貧困の解消に教育が大事、特に女子に基本的な教育を充実させる事で、大きく途上国の経済も医療環境も変ると強調された。 詳しくは、後日日記に書こうと思います。講演後、著書の販売とサイン会が開かれた。これはチャンスと思い、講演会が終わると直ぐロビー出て、池田さんの来るのを待った。ドンピシャで第一番目にサインと頂き、一言、二言交わすこともでき、名刺を渡す事もできた。今後、本の感想などを書いて、池田さん宛てに送ってみようと思います。
さて、出会いは一瞬の判断によると思います。また、緊張することでもありあす。宮本武蔵の五輪の書を解説した童門冬二氏の著書「宮本武蔵の人生訓」に、出会いのことがあった。
「出会いは一度きりの真剣勝負」
武蔵は、常に、人との出会いを大切にした。どんな人間にも、必ず学ぶところがある、と考えた。(中略)
坂本龍馬の語録にも初対面の大事さを説いています。
「初対面は、必ず相手を打ち殺してやるという意気込みで臨め」
といっている。また、
「初対面の時、とてもこの人物にはかなわないと思ったら、その人物が、夜、女と寝ている姿を想像しろ」
と凄まじいことを言っている。龍馬もまた、心の柔らかい感じやすい人間だったろうから、自分の弱さを克服するために、こいう無茶を言うのだ。(中略)
(以上、「宮本武蔵の人生訓」より抜粋)
偉人たちの出会いに対する意識のすごさを感じます。それだけ、出会いを昔の人も大事にしていたと言うことと思います。特に情報機器がなかった時代、アナログ情報を駆使し、「この人物」と言われる人と出会うことは、並大抵のことではなかったと思います。
現代は、情報社会と言われますが、今回の池田香代子さんの講演は、年初めに「100人の村」完結編を読み、いつか講演を聞きたいなと思っていたら、地元の自治体の人権フォーラムの基調講演に講師として読んでいたと言う偶然。誰かと会いたい、講演を聞きたいと思っているいると、以外に情報が入って来るのだと思います。
日頃から、色々なことに興味を持ち、アンテナを張っていることが、人と出会う大切な要素(条件)なのかもしれません。
*参考資料:童門冬二書「宮本武蔵の人生訓」
<関連コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3200969
昨日、地元の講演会に、「世界が100人の村だったら」の著者、池田香代子さんが講師来られ、環境と未来のついての講演があった。世界の貧困の解消に教育が大事、特に女子に基本的な教育を充実させる事で、大きく途上国の経済も医療環境も変ると強調された。 詳しくは、後日日記に書こうと思います。講演後、著書の販売とサイン会が開かれた。これはチャンスと思い、講演会が終わると直ぐロビー出て、池田さんの来るのを待った。ドンピシャで第一番目にサインと頂き、一言、二言交わすこともでき、名刺を渡す事もできた。今後、本の感想などを書いて、池田さん宛てに送ってみようと思います。
さて、出会いは一瞬の判断によると思います。また、緊張することでもありあす。宮本武蔵の五輪の書を解説した童門冬二氏の著書「宮本武蔵の人生訓」に、出会いのことがあった。
「出会いは一度きりの真剣勝負」
武蔵は、常に、人との出会いを大切にした。どんな人間にも、必ず学ぶところがある、と考えた。(中略)
坂本龍馬の語録にも初対面の大事さを説いています。
「初対面は、必ず相手を打ち殺してやるという意気込みで臨め」
といっている。また、
「初対面の時、とてもこの人物にはかなわないと思ったら、その人物が、夜、女と寝ている姿を想像しろ」
と凄まじいことを言っている。龍馬もまた、心の柔らかい感じやすい人間だったろうから、自分の弱さを克服するために、こいう無茶を言うのだ。(中略)
(以上、「宮本武蔵の人生訓」より抜粋)
偉人たちの出会いに対する意識のすごさを感じます。それだけ、出会いを昔の人も大事にしていたと言うことと思います。特に情報機器がなかった時代、アナログ情報を駆使し、「この人物」と言われる人と出会うことは、並大抵のことではなかったと思います。
現代は、情報社会と言われますが、今回の池田香代子さんの講演は、年初めに「100人の村」完結編を読み、いつか講演を聞きたいなと思っていたら、地元の自治体の人権フォーラムの基調講演に講師として読んでいたと言う偶然。誰かと会いたい、講演を聞きたいと思っているいると、以外に情報が入って来るのだと思います。
日頃から、色々なことに興味を持ち、アンテナを張っていることが、人と出会う大切な要素(条件)なのかもしれません。
*参考資料:童門冬二書「宮本武蔵の人生訓」
<関連コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3200969
2009年02月07日
ワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題
ワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題
~なんか日本社会が方向を間違って行っているように感じます。~
「子育て支援策を考える上で、夫の就労時間やワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題といえる」(ベネッセ社)
<以下、ミクシィ・ニュース 転載>
育児しない夫に愛薄れ=ストレス、妻に偏重-長時間労働が障害に・ベネッセ調査
(時事通信社 - 02月07日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=743692&media_id=4
子育てのストレスは妻に偏り、手を貸さない夫に愛も薄れる-。ベネッセコーポレーション(岡山市)の調査で、仕事が忙しく育児に参加できない夫に対し、妻がいらいらを募らせている実態が浮かび上がった。
2006-08年、夫婦401組を対象に妊娠期と子供が1歳になる前、生活や意識の変化などについて書面、面接で調査した。
この結果、夜泣きや自分の時間が確保できないなど、子育て生活で感じるストレス12項目すべてで妻が夫を上回った。
「配偶者といると本当に愛していると実感する」と回答した妻は、妊娠期は71.3%だったが、0歳児期には41.6%と29.7ポイントも急落。夫の減少幅(11.8ポイント)を大きく上回った。
愛情が低下しなかった妻の80.5%は「夫が家族と一緒に過ごす時間を努力してつくっている」と感じていた。
一方、夫の側は46.6%が「仕事が忙しすぎて、子供と過ごす時間が少ない」と回答。就労時間が1日11時間未満の夫の39.4%が「子育てに自信が持てるようになった」としたのに対し、11時間以上では27.8%にとどまり、就労時間が育児に与える影響の大きさがうかがえた。
子育てに自信がない夫の56.3%は「仕事と家庭のバランスに不満足」とも回答した。
同社は「子育て支援策を考える上で、夫の就労時間やワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題といえる」としている。
(以上、ミクシィ・時事通信社 - 02月07日)
子育ても、家庭教育も、夫婦協働で行える社会環境を作ることが必要に思います。日本の労働環境、派遣を代表とする「労働市場」と言う考え方の見直しが急務と思います。
なんか日本社会が方向を間違って行っているように感じます。
~なんか日本社会が方向を間違って行っているように感じます。~
「子育て支援策を考える上で、夫の就労時間やワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題といえる」(ベネッセ社)
<以下、ミクシィ・ニュース 転載>
育児しない夫に愛薄れ=ストレス、妻に偏重-長時間労働が障害に・ベネッセ調査
(時事通信社 - 02月07日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=743692&media_id=4
子育てのストレスは妻に偏り、手を貸さない夫に愛も薄れる-。ベネッセコーポレーション(岡山市)の調査で、仕事が忙しく育児に参加できない夫に対し、妻がいらいらを募らせている実態が浮かび上がった。
2006-08年、夫婦401組を対象に妊娠期と子供が1歳になる前、生活や意識の変化などについて書面、面接で調査した。
この結果、夜泣きや自分の時間が確保できないなど、子育て生活で感じるストレス12項目すべてで妻が夫を上回った。
「配偶者といると本当に愛していると実感する」と回答した妻は、妊娠期は71.3%だったが、0歳児期には41.6%と29.7ポイントも急落。夫の減少幅(11.8ポイント)を大きく上回った。
愛情が低下しなかった妻の80.5%は「夫が家族と一緒に過ごす時間を努力してつくっている」と感じていた。
一方、夫の側は46.6%が「仕事が忙しすぎて、子供と過ごす時間が少ない」と回答。就労時間が1日11時間未満の夫の39.4%が「子育てに自信が持てるようになった」としたのに対し、11時間以上では27.8%にとどまり、就労時間が育児に与える影響の大きさがうかがえた。
子育てに自信がない夫の56.3%は「仕事と家庭のバランスに不満足」とも回答した。
同社は「子育て支援策を考える上で、夫の就労時間やワークライフバランス(仕事と生活の調和)が重要な課題といえる」としている。
(以上、ミクシィ・時事通信社 - 02月07日)
子育ても、家庭教育も、夫婦協働で行える社会環境を作ることが必要に思います。日本の労働環境、派遣を代表とする「労働市場」と言う考え方の見直しが急務と思います。
なんか日本社会が方向を間違って行っているように感じます。
2009年02月06日
「米百票の精神」(小林虎三郎)
「米百票の精神」(小林虎三郎)
明治維新時に、北陸戦争で焦土と化した長岡を窮地を好くべく、支藩から百票の米が送られました。時のリーダー、小林虎三郎は、「目先の事に捉われない、国家百年の大計。ひもじい今だからこそ、学校を建て、子供たちを教育するのだ」と説いたを言われます。
今こそ全国で、米百俵の精神を学んで欲しいと願います。自治体のリーダーの人たちに言いたいですね、「ハコモノよりも、教育に力を注ぐ事が、将来の地域の発展を支える」と。
明治維新時に、北陸戦争で焦土と化した長岡を窮地を好くべく、支藩から百票の米が送られました。時のリーダー、小林虎三郎は、「目先の事に捉われない、国家百年の大計。ひもじい今だからこそ、学校を建て、子供たちを教育するのだ」と説いたを言われます。
今こそ全国で、米百俵の精神を学んで欲しいと願います。自治体のリーダーの人たちに言いたいですね、「ハコモノよりも、教育に力を注ぐ事が、将来の地域の発展を支える」と。
2009年02月03日
清濁併せ容(い)れる気持ちが必要 ~水五訓~(王陽明)
清濁併せ容(い)れる気持ちが必要 ~水五訓~(王陽明)
・(平成)横井小楠塾
関東地域の熊本県出身者の集まり、東京県人会の前会長の内田健三先生が、7年前から約3年間郷土にメッセージを残そうと起こされた「(平成)横井小楠塾」は、内田健三先生と熊本リーダーたちが、討論する形ですすめる講演会でした。
前県知事の潮谷義子氏、現熊本市長の幸山政史氏、廃業になった百貨店「岩田屋」を県民百貨店に生まれ変わらせた丸本文紀氏など、当時の政界財界の変化とも重なり、色々な示唆・方向を生み出したように思います。
・人間を好きなりなさい
その最初の討論会後の出来事を思い出します。まだ20代の若者が、政治家を目指し活動を始めていました。学生時代から、公開討論会や政策の勉強会をやっている仲間の一人ですが、討論会が解散した後、つかつかと内田先生のテーブルへ詰め寄り「先生、政治家のなるにはどうしたら良いでしょうか」と、不安げとも真剣とも思える言葉でたずねました。内田先生は、ちょっと間をおいて「人間を好きなりなさい」と、お答えになりました。その時に言葉の意味を考える中で、故事の言葉にも似たようなものがあることに気付きました。
「清濁併せのむ許容力」とか、「受け入れることから始まる」とか、・・
潔癖だけでは、事がなかなか進まなないことがある意味だっただろうか思い起こします。
最近は、内田先生ともなかなかお会い出来なくなりましたが、その時の質問の「政治家・・」→「リーダー・・」と読み替えると、企業家、社会活動家、ボランチィアのリーダーであれ、組織を動かすことには変りません。
・山田方谷→中江藤樹→王陽明「知行合一」
6年前に、幕末の陽明学者・山田方谷を知るのですが、山田方谷から陽明学を知り、更に遡り、熊沢蕃山、中江藤樹、そして陽明学の祖・王陽明に行き着きました。知識と行動は一致する「知行合一」、良心を極める「致良知」などの言葉に出会いました。その王陽明の教示の一つに、「水五訓」があります。短い文章ですが、人の生業を水にたとえてうまく表わしています。
「水五訓」~伝習録~ 王陽:16世紀の儒学者・政治家
一、常に己の進路を求めて止まざるは水也
一、自ら活動して他を動かすは水也
一、障碍(しょうげ)に遭い激してその勢力を百倍するは水也
一、自ら潔うして他の汚濁を洗い、然も清濁併せ容るるは水也
一、洋々として大海を充し、発しては雨となり雲と変じ、凍っては玲瓏(れいろう)たる氷雪と化す、而もその性を失わざるは水也
(解 説)・・、だいだい人間として多少癖のある人物の方がいい仕事をするものだ。それを癖のない者だけを使うといった姿勢では、主人は勤まらない。この四訓目に「清濁併せ容るるは水也」とあるが、人間だれしも、マイナスのところもあれば、悪のところもあり、濁の面もある。それを大きく包み込む器量が欲しいものである。(中略)
(感 想)
多用な人間が居てこそ社会であり、活力が生まれると思います。同じレベル、同じ性格、同じ目標の人間ばかりであれば、変化が乏しい、活力の無い社会になるように思います。人生もまた、有為転変が日々起こっています。怯まず、新しい変化を求めて、動くことこそ社会再生の活力なのかもしれません。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵、人生の知恵」
・(平成)横井小楠塾
関東地域の熊本県出身者の集まり、東京県人会の前会長の内田健三先生が、7年前から約3年間郷土にメッセージを残そうと起こされた「(平成)横井小楠塾」は、内田健三先生と熊本リーダーたちが、討論する形ですすめる講演会でした。
前県知事の潮谷義子氏、現熊本市長の幸山政史氏、廃業になった百貨店「岩田屋」を県民百貨店に生まれ変わらせた丸本文紀氏など、当時の政界財界の変化とも重なり、色々な示唆・方向を生み出したように思います。
・人間を好きなりなさい
その最初の討論会後の出来事を思い出します。まだ20代の若者が、政治家を目指し活動を始めていました。学生時代から、公開討論会や政策の勉強会をやっている仲間の一人ですが、討論会が解散した後、つかつかと内田先生のテーブルへ詰め寄り「先生、政治家のなるにはどうしたら良いでしょうか」と、不安げとも真剣とも思える言葉でたずねました。内田先生は、ちょっと間をおいて「人間を好きなりなさい」と、お答えになりました。その時に言葉の意味を考える中で、故事の言葉にも似たようなものがあることに気付きました。
「清濁併せのむ許容力」とか、「受け入れることから始まる」とか、・・
潔癖だけでは、事がなかなか進まなないことがある意味だっただろうか思い起こします。
最近は、内田先生ともなかなかお会い出来なくなりましたが、その時の質問の「政治家・・」→「リーダー・・」と読み替えると、企業家、社会活動家、ボランチィアのリーダーであれ、組織を動かすことには変りません。
・山田方谷→中江藤樹→王陽明「知行合一」
6年前に、幕末の陽明学者・山田方谷を知るのですが、山田方谷から陽明学を知り、更に遡り、熊沢蕃山、中江藤樹、そして陽明学の祖・王陽明に行き着きました。知識と行動は一致する「知行合一」、良心を極める「致良知」などの言葉に出会いました。その王陽明の教示の一つに、「水五訓」があります。短い文章ですが、人の生業を水にたとえてうまく表わしています。
「水五訓」~伝習録~ 王陽:16世紀の儒学者・政治家
一、常に己の進路を求めて止まざるは水也
一、自ら活動して他を動かすは水也
一、障碍(しょうげ)に遭い激してその勢力を百倍するは水也
一、自ら潔うして他の汚濁を洗い、然も清濁併せ容るるは水也
一、洋々として大海を充し、発しては雨となり雲と変じ、凍っては玲瓏(れいろう)たる氷雪と化す、而もその性を失わざるは水也
(解 説)・・、だいだい人間として多少癖のある人物の方がいい仕事をするものだ。それを癖のない者だけを使うといった姿勢では、主人は勤まらない。この四訓目に「清濁併せ容るるは水也」とあるが、人間だれしも、マイナスのところもあれば、悪のところもあり、濁の面もある。それを大きく包み込む器量が欲しいものである。(中略)
(感 想)
多用な人間が居てこそ社会であり、活力が生まれると思います。同じレベル、同じ性格、同じ目標の人間ばかりであれば、変化が乏しい、活力の無い社会になるように思います。人生もまた、有為転変が日々起こっています。怯まず、新しい変化を求めて、動くことこそ社会再生の活力なのかもしれません。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵、人生の知恵」
2009年02月02日
信用なき人は人間ではない ~大倉喜八郎遺訓~
信用なき人は人間ではない ~大倉喜八郎遺訓~
<大倉喜八郎の九条>
一、時は金なり
二、油断するな
三、無駄をするな
四、天物を荒らし滅ぼすな
五、信用を重ずべし、信用なき人は首なき人と同様なりと知るべし
六、何事も魂を籠めて誠心誠意を持って働け
七、遊ぶも働くも月日は流る、奮闘に興味を持つべし
八、楽隠居の考えを止め、勇気を鼓し、家のため、国の為め努力するこそ人間の本分なり
九、他人が十時間働くなら、自分は十二時間働け、精神一倒何事不成の心持を以ってすれば、成功必ず疑いなし
日本では信用が何よりものポイントになってくる。「信用を買う」というように、信用には価格が隠れているのである。それゆえ、少々高くても信用がおけるものに対価を支払う。
もちろん、大倉喜八郎の言っているのは、商売だけのことではない。信用という目に見えない価値を高めていくような人間になれ、そのために誠心誠意働け、奮闘に興味を持て、と諭しているのである。(中略)
(感想)
>楽隠居の考えを止め、勇気を鼓し、家のため、国の為め努力するこそ人間の本分なり
昨今の楽して稼ぐことばかりの風潮が広がっているようです。たぶん、大倉喜八郎氏の時代も、そんな風潮があったことだと思います。
>他人が十時間働くなら、自分は十二時間働け
>何事も魂を籠めて誠心誠意を持って働け
厳しいですね。でも、そこに人間の信用の本質があるのかもしれません。
>精神一倒何事不成の心持を以ってすれば、成功必ず疑いなし
自分の持つ能力を全てを注ぎ込んで、仕事をしなさいとの訓辞と思います。
何時の時代も、人の本質は変らないように思います。
先人の訓示を読み、自分の言動の反省点に気づく。
『菜根譚』に、~苦労のうちに楽しみを~ があった。
「活発な活動の中でなお心の静けさを保ってこそ、道を体得した者と言えよう。楽しい場所で心を楽しませるというのではまだまだ。苦労の中に楽しみを見出してこそ、心の不思議な働きを生かした者といえよう」
その一日にいい緊張感があったときに、充足という大切なものがやってくる。その緊張感の中で、時にはやすらぎ、充足感を味わう、それが人生の味わいではないだろうか。
>苦中に楽しみ得る
人生の醍醐味に至るには、まだまだ精進が必要な気がします。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵 人生の知恵」
<関連ブログ>
・(携帯論語)心を育てることば
組織の強さはトップの器量で決る
大きなこと、元気な話をする人は、案外小心者が多い
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<大倉喜八郎の九条>
一、時は金なり
二、油断するな
三、無駄をするな
四、天物を荒らし滅ぼすな
五、信用を重ずべし、信用なき人は首なき人と同様なりと知るべし
六、何事も魂を籠めて誠心誠意を持って働け
七、遊ぶも働くも月日は流る、奮闘に興味を持つべし
八、楽隠居の考えを止め、勇気を鼓し、家のため、国の為め努力するこそ人間の本分なり
九、他人が十時間働くなら、自分は十二時間働け、精神一倒何事不成の心持を以ってすれば、成功必ず疑いなし
日本では信用が何よりものポイントになってくる。「信用を買う」というように、信用には価格が隠れているのである。それゆえ、少々高くても信用がおけるものに対価を支払う。
もちろん、大倉喜八郎の言っているのは、商売だけのことではない。信用という目に見えない価値を高めていくような人間になれ、そのために誠心誠意働け、奮闘に興味を持て、と諭しているのである。(中略)
(感想)
>楽隠居の考えを止め、勇気を鼓し、家のため、国の為め努力するこそ人間の本分なり
昨今の楽して稼ぐことばかりの風潮が広がっているようです。たぶん、大倉喜八郎氏の時代も、そんな風潮があったことだと思います。
>他人が十時間働くなら、自分は十二時間働け
>何事も魂を籠めて誠心誠意を持って働け
厳しいですね。でも、そこに人間の信用の本質があるのかもしれません。
>精神一倒何事不成の心持を以ってすれば、成功必ず疑いなし
自分の持つ能力を全てを注ぎ込んで、仕事をしなさいとの訓辞と思います。
何時の時代も、人の本質は変らないように思います。
先人の訓示を読み、自分の言動の反省点に気づく。
『菜根譚』に、~苦労のうちに楽しみを~ があった。
「活発な活動の中でなお心の静けさを保ってこそ、道を体得した者と言えよう。楽しい場所で心を楽しませるというのではまだまだ。苦労の中に楽しみを見出してこそ、心の不思議な働きを生かした者といえよう」
その一日にいい緊張感があったときに、充足という大切なものがやってくる。その緊張感の中で、時にはやすらぎ、充足感を味わう、それが人生の味わいではないだろうか。
>苦中に楽しみ得る
人生の醍醐味に至るには、まだまだ精進が必要な気がします。
*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵 人生の知恵」
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組織の強さはトップの器量で決る
大きなこと、元気な話をする人は、案外小心者が多い
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2009年02月02日
(夢と元気の基)君子と小人の分かれ道
(夢と元気の基)君子と小人の分かれ道
斉藤一斎の「言志四録」から、君子と小人の違いを学びました。
(現代語訳)
立派な君子は自分の行為に満足しないが、つまらない小人は自らを偽って自分の行為に満足する。君子は自ら励み勉めて向上しようとするが、小人は本心をないがしろにして自暴自棄になる。向上するか堕落するかは、ただ「自」の一字に落ち着くのである。
(感 想)
自分の周りで起る色々な出来事を、他からの影響と思い、責任を転嫁するのが一般庶民と思います。しかし、周りに起る出来事には、すべて自分が関係している事が多い。そう考えると、その現象の基になっているのは、やはり自分自身の行為の結果ではないでしょうか。
周りの状況を改善、変化させるには、自分の行動を変えることが必要との教えと思います。オバマ氏の言葉でないですが、「Yes We Can」(私たちは出来る)の言葉には、「私(たち)は変る」の意味が込められていると思います。
>君子は自分の行為に満足しない。
>君子は自ら励み勉めて向上しようとする
日々に出来事に言い訳をして日々暮らすより、日々できる限りの工夫をして、前向きに生きる人生の方が、夢と元気を持つことになるような気がします。
*参考資料:渡邊五郎三郎編著「斉藤一斎『言志四録』一日一言」
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斉藤一斎の「言志四録」から、君子と小人の違いを学びました。
(現代語訳)
立派な君子は自分の行為に満足しないが、つまらない小人は自らを偽って自分の行為に満足する。君子は自ら励み勉めて向上しようとするが、小人は本心をないがしろにして自暴自棄になる。向上するか堕落するかは、ただ「自」の一字に落ち着くのである。
(感 想)
自分の周りで起る色々な出来事を、他からの影響と思い、責任を転嫁するのが一般庶民と思います。しかし、周りに起る出来事には、すべて自分が関係している事が多い。そう考えると、その現象の基になっているのは、やはり自分自身の行為の結果ではないでしょうか。
周りの状況を改善、変化させるには、自分の行動を変えることが必要との教えと思います。オバマ氏の言葉でないですが、「Yes We Can」(私たちは出来る)の言葉には、「私(たち)は変る」の意味が込められていると思います。
>君子は自分の行為に満足しない。
>君子は自ら励み勉めて向上しようとする
日々に出来事に言い訳をして日々暮らすより、日々できる限りの工夫をして、前向きに生きる人生の方が、夢と元気を持つことになるような気がします。
*参考資料:渡邊五郎三郎編著「斉藤一斎『言志四録』一日一言」
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