2007年12月29日

「論語ブーム」で話弾む=日中首脳の夕食会

「論語ブーム」で話弾む=日中首脳の夕食会

 中国も格差社会が如実に出てきたようですね。多民族国家の中国を治めるには、思想形成が必要に感じます。
 孔子廟が、復活しつつあるとも聞きます。混乱を治めるような、動きに「論語」が一役を担う時代が、再来するのかも知れまえん。



(転載)
■「論語ブーム」で話弾む=日中首脳の夕食会 (時事通信社 - 12月29日)
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&id=373521

 【北京29日時事】中国訪問中の福田康夫首相は28日、胡錦濤国家主席が催した夕食会で、胡主席と「論語ブーム」について語り合った。胡政権が伝統文化を重視する中、両首脳の会話は「大いに盛り上がった」(同行筋)という。

 夕食会で福田首相は、「日本では論語ブームが起きており、改めて孔子の教えが学ばれている」と切り出した。これに胡主席は「中国でもブームで、解説本もいろいろ出ている」と応じ、「中国には最近、伝統的な文化に戻る雰囲気がある」と語り始めた。

 胡主席はさらに、伝統文化が文化大革命期に否定されたことを紹介。その後、改革・開放で経済発展し物質的に豊かになる中で、「精神文明の建設も強化すべきだという意識が人々の間で広まっている」とブームの背景を分析した。 
[時事通信社]
  


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2007年12月29日

「熱意は磁石」~人の魅力とは何か?~

「熱意は磁石」~人の魅力とは何か?~

 今日は、片道1時間半かけて、町並み修景事業をやっている街へ、仕事納めの現場チェックに行きました。

 熊本は、曇り空で気温が少し下降気味で、大晦日に寒気が来るとかで、冬空の気配の中、ドライブとお歳暮を購入に、阿蘇の南側に位置する熊本県山都町(旧蘇陽町)馬見原地区まで出かけました。

 この地域は、一度書いた「西南戦争」で、西郷隆盛が率いる薩軍が敗走したルートですが、険しい山道を通り、人吉へ抜け、薩摩へ帰ったと言われています。来年の大河ドラマは、「篤姫」ですが、幕末の最後の動乱の終焉が、熊本の地域で展開された国内最後の戦争のことを思うと、130年前に出来事ですが身近に感じられます。

 さて、ドライブの道すがら、信号待ちで開いた本は、「松下幸之助 一日一話(愛蔵版)」です。少し手を入れて復刻されものですが、昨日たまたま寄ったコンビニに2冊あり、ラッキーと思い購入しました。初版は、今年8月でした。

 今、愛読している安岡正篤氏の「一日一言」を買ったときも、フラッと寄った本屋に2冊在ったのもでした。これも何かの縁と思います。

 松下氏の「一日一話」の一節に、「熱意は磁石」と言う題がありました。中身は、想像つかれると思いますが、要は才能や知識豊富なだけでは、魅力に乏しいこと書かれています。本分を引用しますと

(本分)
 いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は、画ける餅に等しいのです。反対に、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、次々とものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢というものが自然に生まれてきます。(中略)
 あたかも磁石が周囲の鉄分を引きつけるように、熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです。


 東京の成蹊大学の名前の元になった中国の故事が在ります。漢の時代に李広(りこう)と言う将軍が居ました。「飛将軍」と恐れられた軍人でしたが、私欲のない人で、恩賞はことごとく部下に分け、食糧や水が部下に行きわたるまで、先に口にすることはなかったそうです。
 そのため李の部下は、彼のために死を厭わぬ決意で戦いに臨んだとそうです。

 西郷隆盛も同様に私欲のなかった人で、官位に在る間、供与は自分の質素な生活できるだけ残し、すべて若い人へ分け与えたと知りました。

 このような二人の魅力を表現した故事が次の一文です。

「桃李(とうり)、言(ものい)わずして下、自(おのず)から蹊(みち)を成す。」

 李は、李広のことで、「桃や李の樹は何もいわないが、美しい花を咲かせ、果実を実らせる。だから自然に人々は集まってきて道ができる。」つまり、徳のある人物の下には、黙っていても人が慕って寄って来ると説いています。

 いつも周りに笑い声や人が、何集まっている人をたま見かけますが、地位や名誉でなく、魅力に集まる人は、検証するに温厚で謙虚、ただここぞと言うときは、リーダーシップを発揮する能力もあるように思います。みなさんの周りにもそんな隠れた人物が居ると思います。

 今日は、仕事の途中で読んだ本から、西郷隆盛や李広のことを思い出しました。思いつくままに、だらだらと書いてしまいました。最後まで、お読み頂き感謝致します。


(PS)我が家のお歳暮の隠れた一品
 地酒の一番絞り(無調整)の新酒です。アルコール度数が20度を越えるのですが、口当たりが甘く、少々飲みすぎる心配がありますが、年越しの親父との一杯に、愛飲しています。
 皆さんの近くの造り酒屋は、もう直ぐ新酒の時期ですが、甘い香りに誘われて蔵元での試飲は、何といえない新年の気分にしてくれます。(*今日は、飲酒運転になるので、蔵元で試飲が出来ず残念でした。)   


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2007年12月26日

徳は孤ならず、必ず隣有り

徳は孤ならず、必ず隣有り


子曰わく、徳は孤ならず、必ず隣(となり)有り。


(意味)
孔子先生が語られた、「報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだ。」

(感想)
 なぜか、いつも周りに人が集まる人物がいます。地域の先輩のも何名か居られますが、いつも謙虚でいながら、熱き夢を時々語り、ワクワクさせてもらえます。
 そんな人たちに出会っていると、こちらも何か元気と夢を持てるような気になります。
  


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2007年12月26日

行き過ぎないように心掛け

行き過ぎないように心掛け

子曰わく、約を以って之を失う者は鮮(すくな)し。

(意味)
孔子先生が語られた、「つつましくして、行き過ぎないように心掛けて、失敗する者は少ない。」   


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2007年12月26日

「知行合一」~口は重くても、行はきびきびしよう

「知行合一」~口は重くても、行はきびきびしよう



子曰わく、君子は言(ことば)に訥(とつ)にして、行いに敏ならんと欲す。


(意味)
孔子先生が語られた、「君子は、たとえ口は重くても、行はきびきびしようとおもうものだよ。」


(感想)
「知行合一」(王陽明)
「知識は理解し、行動に起こしてこそ知識」(吉田松陰)

 多くの先人が、行動と発言の一致を常に念頭に置いていたことがわかります。

「君子の道は、身を修むるにあり」(横井小楠)

 どんなに立派なことを唱えても、日常の行動に現れなければ信用は培えないと思います。忘れてはいけない生き方の教示と思います。
  


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2007年12月24日

父母の年は、忘れてはならない(論語)

父母の年は、忘れてはならない(論語)

(本文)
子曰わく、父母の年は、知らざる可(べ)からざるなり。一は即ち以て喜び、一は即ち以て懼(おそ)る

(意味)
孔子先生が語られた、「父母の年は、忘れてはならない。一方では達者で長生きしていることを喜び、老い先の短いことを心配する。」

(感想)
最近自分を年を考えることが、何か事があると考えます。そう考える時に、親たちにことを思うことがあります。当年80才を越える父、もう直ぐ80才の母とは同居ですが、元気、元気と重いながらも、動きが鈍くなり、たまには病院通いをするようになり、年を取ったなと感じることがあります。

これまでいくつかの不幸に出会いましたが、私の祖母は100才と2ヶ月の長命でした。祖父は79才で亡くなったのですが、父も母をその域をゆうに越えました。健康のありがたさは、子供たちの生活環境にも大きく関わっています。

私が帰りが遅いときは、このご時勢ですから心配して、娘の自転車通学を車で迎えに行っているようです。ありがたいことと思います。校則どうこうよりも、不審者対策と帰りの坂道が大変と言うことで、迎えに行くようです。この時とだいぶ時勢が変ってきたと話すことがあります。

親に年もですが、誕生日を忘れるのが常の私は、妻の記憶力に頼りつつ、娘たちの祖父母を思う心に助けられながら、父母の年齢をどうにか忘れずに、話ができることがうれしく思います。

先人の訓示の大切な「思い」忘れずに、これからも父・母の、家を守る手伝いしながら、一緒に生活をして行きたいと思います。300年以上着続く農家の家系「縁」を忘れず、また地域から支援を頂きながら、楽しく過ごせたら良いなと思います。



・論語の言葉
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660

・菜根譚
 ~江戸期の生活週間の訓示~
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
  


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2007年12月24日

父が亡くなって三年、やり方を変えないのは孝行な子

父が亡くなって三年、やり方を変えないのは孝行な子


子曰わく、三年父の道を改(あらた)むる無きは、孝と謂う可し。


孔子先生が語られた、「父が亡くなられて三年(喪中)間、父のやり方を変えないようにすれば、孝行な子といえるだろう」


私は、まだ父を亡くした経験がないですが、これは慌てずにじっくりその後のことを考えることを言っていることと、亡父の理念や生き方は、亡くなって色々な方と語ることで理解することがあるのではと、周りの家々を見て感じる事があります。

父の後世への思いは、ありがたいものと思います。

  


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2007年12月24日

心中の賊を破るは難(かた)し。<王陽明>

心中の賊を破るは難(かた)し。<王陽明>

 <全文>
 山中の賊を破るは易し。心中の賊を破るは難し。
 區々が鼠竊を剪除せしは何ぞ異と為すに足らんや。
 若し諸賢心腹の寇を掃蕩して以て廓清平定の功を収むれば、此れ誠に大丈夫不世の偉績なり。

 王陽明の天下周知の名文句であります。


~以後、深澤賢治著「陽明学のすすめ~経営講話 抜本塞源論」より引用~

 心中の賊とは、自分自身の心の中にあるしこりみたいものです。
 言い方を変えると、私利私欲といってもよいでしょう。他人の自慢したい心とか、何かを見せびらかしたい気持ちとか、奢(おご)り昂ぶりの気持ちとか、そういうものを全部「心中の賊」と言います。
 しかし、そういうものがなくなったら、人間ではなくなるぞという気も致します。(中略)


 日々色々な方と語りながら、自分自身は「自慢」をしていないだろうかと、考えることが有ります。
 様々な経験や人物を人に伝える事は、ネットワーク作りにとても大事と思いますが、その時の語り口、表現に「奢り、昂ぶり」が入っていないか、注意しながらも吾を忘れる場面が多々あります。
 その時に自分を見る、「もう一つの目」を持つゆとりが必要だなと感じます。

 また、荀子を読んで気付いたことに、「自分の欲」と、「周りの望む方向」を限りなく近づける発想が必要と思ったことがあります。なかなか難しいことです。

 孔子の言葉に、(言動が)「七十にして、矩(のり)を越えず」の教示からも、先人の生き方の凄さを感じます。

 王陽明は、孟子を信奉していたと学んだですが、実学を重視する陽明学の世界に、とても惹かれる今日この頃です。

 座学+実学のバランスを大事に、来年も人と会い、語り、学んで行きたいと思います。

 今日は、王陽明の名言「山中の賊」について感想を書いてみました。


・深澤賢治の世界
 陽明学「山中の賊」の解説
 http://www.saturn.sannet.ne.jp/fukazawa-k/youmei-160410.htm  


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2007年12月22日

旅に出たときは、父母に心配をかけないように

旅に出たときは、父母に心配をかけないように


「子曰わく、父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこ必ず方あり。」

(解説)
 孔子先生が語られた、「父母が生きている中は、あまり遠くへ旅をしない方がよい。やむを得ず旅に出たときは、父母に心配をかけないように心がけることだ」  


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2007年12月22日

父母へに箴言、骨折って怨み思わず

父母へに箴言、骨折って怨み思わず

「子曰わく、父母に事(つか)えては、幾(ようや)くに諌む。志の従われざるを見ては、又敬して違(たが)わず、労して怨みず。」

(解説)
 孔子先生が語られた、「父母にもし間違いがあれば、それとなしにおだやかに諌める、不幸にして聞き入れて貰えない場合には、前のように敬ってさからうことなく、父母のために骨折っても怨みには思わない。」


(感想)
 お正月の帰省時期で、久々に実家に帰れば色々な親族、兄弟が集うことと思います。しかし、日頃故郷を守る父母の思いをどう受け止めているかで、失言、箴言が、ぽろっと出るものです。

 時代は、情報化社会の中で、電話も料金も下がり、高齢者が携帯電話のメールを使う時代になりましたが、心通う言葉をメールあるいは、電話で日常に使っているかで、盆暮れの再会での言葉使いに、信頼感が出るかどうかと思います。

 人間は、日常の思いの積み重ねが、連帯感を生むと思います。父母への箴言が素直に通る親子関係を、日常から培って行きたいと願うばかりですが、なかなか日々の仕事に追われ、至らない自分を振り返り反省しきりの年末です。

 来年こそはの思いを忘れずに、来春を迎えたいと思います。日々研鑽、日々反省の今日のこのごろです。  


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2007年12月19日

「師」となる友を持て ~人間形成に、友人の影響は大きい~

「師」となる友を持て ~人間形成に、友人の影響は大きい~

 論語の一説に、友人の考え方の訓示が有ります。

「己に如かざる者を友とするなかれ」(無友不如己者)

人間形成の上で、友人の影響は非常に大きい。できれば自分より優れた人たちとつき合ったほうが、自分の成長させるうえで役立つ。
 
上記の孔子の教えは、「自分よりも劣った者を友人にするな」と説いています。さらに孔子は、

「益者三友、損者三友」

とも言っています。友人には、つき合ってためになる友は三人、ためにならない友は三人があるのだとそうです。

ためになる友人は、

① 剛直な人
② 誠実な人
③ 教養のある人

ためにならない人は、

① 易きにつく人
② 人当たりばかり良い人
③ 口先だけうまい人

 守屋洋氏著「中国古典 一日一話」に、次に一説がありました。
(本文より)
 南北朝時代の顔之推(がんしすい)という人物も、『顔氏家訓』のなかで、こう語っている。

「香りの高い花を生けた部屋に住み慣れた人は、いつの間にかその芳香が身に付いているものだ。これと同じで、優れた人物を友に持てば、長い間には自分もじゃた香気を放つ人物となる。だから、友人との交際に関してはくれぐれも慎重でありたい。」

若い方に知って欲しい、先人の知恵を思います。

孔子に教えで、良く出て来る「三人行けば、必ずわが師あり」は、自分より優れた人も、劣った人も全て学ぶことが有ると言う教えと思います。
 
常に、自分自信、謙虚な気持ちを持ち、周りに出来事を冷静に検証し、良否とも学ぶ対象にした人が孔子ですが、現代の市民にも常に持ち続けたい、心がまえと思います。

その学問を積み重ね、常に上昇志向であれば、「徳は孤ならず、必ず隣あり」と周りが認め、人が周りに集まるようになると孔子も説いています。

そのリーダーの条件「気構え(志)」を表現した孔子の言葉が、

「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」

です。その根本の気持ちは「恕」、ゆるす、境遇を受け入れる、他人の心を持って自分の心とすると表現した解説もあります。
これを学ぶ、大きな起因に、友人の存在があると思います。たくさんの友人より、親身になって考えてくれる小数の友人と出会える事は幸せと思います。

みなさんのご意見等頂ければ幸いです。



<追記>

「師を持つ」(安岡正篤語録)

 若いあいだに、自分の心に理想の情熱を喚起するような人物を持たない、理想像を持たない、私淑(ししゅく)する人物を持たないのと持つのでは大きな違いです。

 なるべく若い時期にこの理想精神の洗礼を受け、心の情熱を燃やしたことは、たとえ途中いなかる悲運に際会しても、いかなる困難に出あっても、かならず偉大な救いとなる。

*引用資料:安岡正篤著「一日一言」
  


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2007年12月18日

日用心法~向上志向の日常生活態度とは?~

日用心法~向上志向の日常生活態度とは?~

 一、毎日の飲食を適正にやっているか。

 二、毎晩良く寝れるか。

 三、自分の身心に影響を与えるような悪習慣はないか。

 四、適当な運動をしているか。

 五、日常生活上の出来事に一喜一憂しやくないか。

 六、精神動揺があっても、仕事は平常通り続けえるか。

 七、毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。

 八、自分は仕事にどれだけ有能か、自分は仕事に適するか。

 九、現在の仕事は、自分の生涯の仕事とするに足りたるか。

 十、仮に自分の仕事が自分に合わぬ、自分の生活が退屈あるとすれば、自分の満足
   は何によって得るか。

 十一、自分が絶えず追求する明確の問題をもっているか。

 十二、自分は人に対して親切、誠実か。

十三、自分は人格向上に資するような教養に努めているか。

 十四、特に何か知識技術を修めているか。

 十五、自分は何か信仰・信念・哲学を持っているか。

 (安岡正篤著「一日一言」より)

日々、上記の訓示を検証するゆとりが、現代社会の生活にあればと願います。
欲張らず、出きることから始める事が大事と思います。

  


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2007年12月18日

私達の生活の大部分は人真似で成立っている

私達の生活の大部分は人真似で成立っている


真似は尋常な行為である。子供は、理解する前に、まず真似をしなければ、大人になれないし、私達の生活の大部分は人真似で成立っている。

真似をするには、他人の存在が必要であるのみならず、他人への信頼が必要である。両者は、私達の尋常な生活感情のなかでは、一つのものだ。

私達が人真似を殆ど意識しないのも、この感情が、私達に如何に根強く、又解かり切ったものであるかを語っている。
(小林秀雄著「金閣焼亡」18‐136)


(感想)
 「子を見れば親が解かる。」
 「あの親にして、この子供。」

など、親子関係を現す言葉は、数え切れないくらいにある。要は、慣習も、生活も次世代が真似ることから全て始まると言えます。

 教育は、率先垂範と言いますが、子は自分の親を見てしっかり、真似をしているのだと思います。それを逆手にとって、真似される親になれるように親自身も自分を高めることが必要と思います。
  


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2007年12月18日

自分はどうかと内省する

自分はどうかと内省する


「子曰わく、賢を見てはひとしからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。」


孔子先生が語れた、「知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、つまらない人を見たら、
自分はどうかと内省する。」


(感想)
 自分の周りには、色々な人がいて、全て学ぶ対象と言えます。
 反対に、自分自身も他から見られているとことを忘れないようにと思っています。
 日々勉強、日々反省、そしてそれを生かすことが大事と思います。
  


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2007年12月17日

(大宰府)「永淵塾」人生訓の個別講座

(大宰府)「永淵塾」人生訓の個別講座

今日は、福岡県大宰府に在る、筑紫女学院大学の永淵教授を訪ねた。年に1度は、訪れる師の一人ですが、今日は先生の所有するマンションの改装の相談が主でしたが、いつもの如く約1時間くらい、易学の講話と現代社会についての感想、更に今後の課題と必要なこと等々の話しで盛り上がりました。

永淵先生は、二松学舎大で国文学を専攻されたのですが、私は文学でなく、易学、陽明学、論語等々の現代の事象に合わせて、講義をしてもらっています。これまで、私の活動の大きなヒントは、永淵講話にあります。

先生の講義に中で、「バランス感覚」が重要と気付かされます。
 縮んだら、伸びる。
押したら、引く。
 登ったら、降りる(落ちる)。
文明も、上昇の後は、下降になると良く話されます。

話の中心は、実践から学ぶ学問の必要性を強く話されていました。座学だけでは、自信有る行動につながらない。現場、現物、本人による、現場で経験し考える学問が今後重要と感じます。このことは古くから言われているのに、なかなか実践が伴わないのが現実です。

私は、大学で学んでいないので、33歳から実践で、大人の社会勉強をして来ました。勉強の対象は、目の前の「人の言動」で、先輩方の経験から発せられる言葉は、とても印象深く心に残ります。

かつて、熊本の思想家横井小楠は、「官僚の説明は、一人聞けばそれで充分だが、一般庶民に話しは、何人聞いても面白い」と語ったと言います。その生活実践学からの庶民の言葉には、経験から出る知恵があったのだと思います。

永淵先生の講話は、いつも取り留めなく話題があっちこっちに飛ぶのですが、帰りの車の中で振り返ると、「これからは、何が必要」の訓示が沢山詰まっている事に気付かされます。これこそ「座学」でない、一対一の議論の中で、「知恵」が集約されて行くことがわかります。

今回の中身は、「後継者をいかにして育てるか、№2の力量がとても大事、実学の必要性、等」が中心でしたが、これを求める人々の多くが、「知識集約型」の勉強だけしていては自信が生まれないと思っていると、永淵先生も話されいました。

吉田松陰の松下村塾のやり方は、一人ひとりの塾生に合わせて時勢の課題を出し、自分で考え実践させ、師や塾頭たちと一対一の意見交換しながら積み上げる学問でした。要は、知識集約の記憶型学習も必要ですが、それを活かし更に発展させる実践がもっと重要と多くの偉人が唱えています。正に、現代社会に実学の思想が求められていると思います。

一年ぶりの個別「永淵塾」は、先生の教養の広さと、時勢を見る見識の深さを感じるものでした。  


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2007年12月14日

理想を実現する人に、スローガンは要らない

理想を実現する人に、スローガンは要らない


理想というものは一番スローガンに堕し易い性質のものです。

自分で判断して、自分の理想に燃えることの出来ない人はスローガンとしての
理想は要らない。

若しも理想がスローガンに過ぎないならば、理想なんか全然持たない方がいい。

                    (小林秀雄著「歴史の魂」14‐156)

(感想)

 スローガンを掲げ、シュプレヒコールをあげる集団を見ると、寄せ集めの集団が
多いことに気付く、真の理想を掲げた人は、声など上げずに日常から活動を続け
ている事が多いと最近気付くことがあった。

 いつの時代も、地道な行動こそが信用を得て行くのだと気付かされれます。


  


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2007年12月13日

大仕事実現に、臨機応変の微調整能力

大仕事実現に、臨機応変の微調整能力

 色々な事業、仕事を完成させる途中には、色々な出来事、予期せぬ危機が来るものですが、高い目標を持って実現するには、常に微調整が必要とトップリーダーたちが語るのを聞きます。

 米大リーグで活躍する、中継ぎ投手の見本のような、長谷川選手がいます。既に10年目、当初の予想を越える活躍には、頭が下がる思いがします。しかし、当人の意見を聞くと、
「渡米前から自身があったのは『アジャストメントの力』を信じてきたからだ」
と言う考え方でした。

 「アジャストメントの力」とは、長谷川選手の言葉を借りて整理すると、

 ① 自分の欠点がわかる
 ② 欠点を克服するための対策、処方箋を自分で書ける
 ③ 自分で書いた処方箋を自分の力で実行できる

長谷川選手は、高校、大学、プロ野球で既にこれを経験し、更に大リーグでも実践し成長を続けています。

 長谷川選手の考え方は、経営手法のベンチマーク(私の解釈:到達点)と良く似ています。
 既にすぐれたシステム、ノウハウを持つ企業を研究し、自分の欠点を見つける。その改善策を分析し、対策を立て、克服、成長して行く。トヨタの成長に、このベンチマークの視点があると言われています。

 プロの世界では、能力あるのは当然ですが、でも有能な選手が全て成功しているわけでなく、アジャストメントの力がないと、発揮できぬまま限界を迎えてしまう。発展とは、変わり続けるが必要と言われます。


 私自身を振り返ると、色々な人との出会いで、今があると思います。
 社会活動を中心の経済学者との出会い、新エネルギーの先駆的研究者、地元大学の建築分野研究のリーダーたち、環境活動家との出会い、インターネット利用の視点、重要ポイントになった研修、セミナー等々、事務所開設して18年目ですが、少しづつ、少しづつ何かに気付き、勉強して来たように思います。


 全日本女子ソフトボール元監督 宇津木妙子氏の言葉

「練習を積んで強くなり、勝つ。すると、みなさんの期待は高まる。更に練習、勝つ。キリがないくらい、乗り越えるべき山は高くなる。」

 事業、スポーツも同じですが、期待に添える活動が出来てくると、更に期待がかかるものです。来年は、オリンピックですが、大会本番のプレッシャーに押しつぶされて、目標の成果を出せない人を多く見ます。これは、人間が心と身体が一体であること証明していると思います。
 心は、自分の持ちようとよく言われます。宇津木氏のことが書かれた一節の見出しに次の言葉がありました。

「期待を背負ってはならない。期待に背中を押してもらうものだ。」

ことばも受け取り方で、だいぶ違うなと感じます。プレッシャーを追い風に使える、心の育成に務めたいと思います。  


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2007年12月11日

若者の良心を育てる教育が必要

 有名大学の生徒が、合コンと称して人を集め女性に乱暴をしたり、吸引目的で大麻所持、学生生活の経験すべきこととはずれているのではと考えてしまいます。
 
 若者の良心を育てる教育が必要な気がします。


1.大統領の軍事支援を止めた、コスタリカの判決

 ~その判決は、一人の青年の行動から始まりました~

 この文章を読んで、今年の初めに地元紙に紹介された、コスタリカの法科大学の生徒の活動記事を思い出しました。
 コスタリカは、非武装中立を標榜して、平和国家を目指す国とし世界の中で際立っています。イラク戦争を前にして、アメリカ大統領の要望に応える(?)形で、イラク侵攻作戦に財政支援を標榜した。

 これに対して、首都にある法科大学の一人の生徒が、「おかしい」と疑問を持ち、仲間や先生に聞きまわって、遂に最高裁判所へイラク戦争支援は憲法違反と裁判に打って出た。

 当初は、学生にたわごとと捉えていたのですが、学生が指示し、国内の大学の法学者らも指示を表明し始めて、大きな支援の環が広がり、遂に裁判の結果は、大統領は憲法違反と言う判決を出した。

 大統領の決定の「イラク戦争支援」は、憲法違反で中止となった。日本の9条の理念を実行に移したように思います。

 一人の青年の勇気ある行動が、国の過ちを止めた大きな成果を見た。今の日本の学生に、「この志と勇気」があるだろうか?

「何のために学ぶのか」

「何のために学問が必要か」

 日本の親の意識は、金を稼ぐ「労働技術」ばかりを追い求める志向にあり、子供たちもその路線に沿って学んで(志向して)います。 コスタリカの青年のように、公の為になる「学問」を志してもらいたいものです。



2.学生憲章
 
 ふと、2年前に読んだ「人生の五計」なる本の中の学生憲章と言う規範を安岡先生がまとめられていました。読み方で、誤解を生じそうな部分のあるのですが、素直に読み取ると現代に十分生きた教えとして通用すると思います。ご一読いただきたく思います。

「学生憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 徳性は人間の本性であり、知能、技能は属性であり、慣習は徳性に準ずる。三者相まって人間を大成する。

第2章
 学生はその徳性と養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本文とする。

第3章
 人間は鍛錬陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代におこなわれている。

第4章
 学生は人間の青春であり、民族の精花である。その品位、態度、教養、行動はおのずからその民族・国家の前途を表示する。

第5章
学生は自己の学習及び朋友との切磋琢磨を本分とし、出来る限り雑事に拘わることを自戒せねばならなぬ。

第6章
 講説の師は得安いが、人生の師は逢いがたい。真の師はを得ては、水を注ぎ掃き清める労をも厭うべきではない。

第7章
 国家・民族の運命を決める重大時機の臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。

 すこし考えは異なる部分も在るのですが、文章を素直に読み取り、個人の資質向上の目的が良く表されています。

 ただ、国家・民族は、今は地球(世界)、地域、民族と読み替えることが必要と思います。文言の内容はともかく、コスタリカの青年のように、社会の目標をしっかり理解し、勇気を奮い起こし行動に出るような青年を日本から育って欲しいと思います。


(終わりに)
 コスタリカの判決の新聞記事の最後に、青年が言った言葉は、「日本の憲法の第9条を大切にして欲しい。コスタリカでも、この日本の憲法9条の理念の広める」と語っていました。

このこの言葉を発する学生が、日本どれだけいるでしょうか?


 知事選挙が来年4月にありますが、学生憲章の掲げられるような理念の公約をしっかりとなえ、実行するような人物が登場して欲しいと願っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:59Comments(0)

2007年12月11日

でき心戒めよ

でき心戒めよ

 ふとしたでき心が神の怒りを招き、うかつな失言が社会の平和をぶちこわし、たったいちどの過失が子孫の幸せまで台なしにしてしまうことがある。くれぐれも慎重に対処しなければならない。


(解説) ちょおとしたこと、ふとしたきっかけで大事を引き起こすことがある。いや、世の中の大事というものは、たいがい些細なことが原因で起る事が多いのではないか。それを防ぐためには、つねに気持ちを引き締めて慎重に対処する以外にない。
『近思録』にも、「胆ハ大ナランコトヲ欲シ、心ハ小ナランコトヲ欲ス」とある。大胆にして、かつ細心に、と言うのである。

 大きな事件、殺人が意がないな言葉にやりとりから起る事は良くあると言います。言葉使いこそが、対人関係のベースにあるような気がしています。
  


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2007年12月06日

チャンスの意味(西郷南州遺訓より)

チャンスの意味(西郷南州遺訓より)

「西郷南州遺訓」の一節に、(現代語訳した意味で)「チャンスの意味」なるものがありました。一部を転載します。

(本文より)
 世間の人がたまたま成功するきっかけを得ると「チャンスをつかんだ!」と、まるで天から認められたかのような、何か手柄を立てたかのような口ぶりで唱えます。

しかし、どうにも、単なるマグレ当たりの場合が多いようです。そんなものは、人の道にあっては自慢にもなりません。

 「チャンスをつかむ」の本当の意味はとは、おのれの努力の積み重ねが徐々に形となっていき、ついには機が熟して、成功のきっかけとなることを指すのです。

 物事のつながりや段取りを常によくよく考えて、情勢を見極め、未来に移り変わって行く様を類推する。そうして、「今このように頑張っておけば、いつかはこうした成果に結びつくだろう」という考えのもとで、すぐには結果は出ない努力でも、怠らずにこつこつと進めていくのです。

 その努力が、積もり積もってついには、大きな成果に結びつく。

 チャンスをつかむとは、そうしたことを言うのです。 (中略)


 維新の英雄の言葉には、凄みというよりは、大哲学者の言葉とも取れるものを感じます。この西郷南州遺訓は、征韓論で意見を違え、帰郷した鹿児島へ、維新で敵方だった庄内藩の若者が、西郷隆盛に学ぼうと、元藩主を伴い教授を受けた言葉を記録したものです。

 大事業とは、多くの苦難と努力の上に成り立つといいますが、敵おも惹きつける西郷隆盛の魅力こそ、維新を実現させて力と思います。

 西郷隆盛は、幕末の思想家や儒学者をはじめ、当時の多くの知識人たちと交わり、学問を深めたと言われています。「事業は、人なり」と言うように、地道な努力と交流の中で、信用を培い、人脈を広げ、学問を深めて、人間力を高めて行くことが大事と、西郷南州遺訓は、語っているのだと思います。

 「チャンスとは、努力の結晶」と、世間が意識転換することが、泡沫の世に、好機だけを狙って右往左往する若者を、少なくして行くことにつながるのではと思います。

 今日は、維新の英雄・西郷隆盛の人生訓から、「チャンスの意味」を考える言葉を紹介しました。何かご意見等、頂ければ幸いです。
  


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