2008年09月27日

信用とは:人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること

信用とは:人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること(本田宗一郎)

今日は、昭和・日本のエジソンこと「本田宗一郎」の遺訓から転載 

・信用とは
 人間の生活は単独では成り立たない。さまざまな人間関係を土台として、無数の人の恩恵によって築きあげられている。個人の生活をより幸福に、より充実したものにするためには、当然この人間生活の構造を無視できない。人間関係は信義をバックボーンとして、円満に保っていかねばならないし、他人から受けている恩恵には十分応えなければならない。つまり、信用を確立することである。
 私は信用をこう考えている。ひとつは人間愛だと思う。人を愛し、人に愛されることだ。ひとつは約束を守ること。もうひとつは人に儲けさせること。つまり自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること、これに尽きると思う。
       (本田宗一郎「やりたいことをやれ」PHP研究所)
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 01:21Comments(0)偉人

2008年09月25日

(小さな巨人)緒方貞子氏のパワーは「怒り」、導きは市川房枝氏

(小さな巨人)緒方貞子氏のパワーは「怒り」、世に出したのは市川房枝氏

 今朝から、現JICA理事長の緒方貞子氏の難民高等弁務官をテーマに、生い立ちから現在に至るまでの、インタビューを中心に紹介した著書「緒方貞子-難民支援の現場から」(東野真著)を読み始めて、初っ端から「怒り」の文字に、緒方氏に益々興味を覚えました。冒頭の一部を転載します。

(本文)
「緒方さんの行動のもとになっているエネルギーは何でしょうか?」
「何だかしりませんけどね・・・・」
 数秒の沈黙のあと、緒方さんは続けた。
「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受けいれませんと。それはいろいろな形がひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」
「そんなに難しい話じゃないんです。何かに照らすんじゃなくて、実態がということです。この10年で私、癇癪もちになったのかもしれないけど」
 そう言うと、厳しかった緒方さんの表情が不意に緩み、笑顔になった。(中略) 

・エネルギーの源は、「怒り」
 エネルギーの源は、「怒り」とは驚きですが、同じ質問を劇作家の倉本聡氏に投げかけた事があります。
「(倉本)先生のパワーの基は何ですか?・・・」
 少し考えられてから、出た言葉が、「怒りかもしれえない」と答えられました。
この言葉は、倉本氏を慕って、俳優を目指す私塾「富良野塾」の後援後の座談会で、倉本夫妻が参加された時に、私が質問した事に対して返答でした。

 自分をしっかり持って、世に出て来る人たちは、世の矛盾に高い関心を持っている人が、しっかり政権を検証しいているように感じます。

・世界の不安定で、大きな組織に
 難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、現在、予算10億ドル、世界114ヶ国、268ヶ所に事務所、約5,500人が働いています。
 元々は、戦前の国際連盟時代、ロシア革命、第一次世界大戦の時に流浪した難民の救済が始まりです。第2次世界戦のドイツ難民解決のためだったのが、戦後、56年ハンガリー動乱、60年代アフリカ紛争、カンボジア、アフガン、・・・、冷戦終了後の民族紛争、・・・、途切れることなく続いています。
 国際連盟に戦地された民高等弁務官事務所は、本来3年の期限付きの組織だったそうです。いかに紛争、戦争が各地で勃発しているが理解できます。


 さて、緒方貞子氏の国連での活躍には、緒方家の外交官、政治家の家系もあり、貞子氏自身の国際政治学の研究も関係してはいますが、きっかけは、女性の地位向上に一生を注いだ市川房枝氏の推挙と、強い誘いがあったと知りました。それから国連総会に毎回参加するようになり、それが縁となり国際舞台での活躍につながりました。

 緒方氏が就任する以前の難民高等弁務官事務所は、苦境にありました。

(本文)
 実は、緒方さんが就任する前のUNHCRは組織としてかなりひどい状態にあった。二代目の高等弁務官ジャン=ピエール・オッケは、スキャンダルにまみれて辞任。後任のトールバル・ストルテンベルグも、一年もたたないうちにノルウェーの外相に転任して組織を去った。職員の士気は落ち、財政状況も破綻の危機に瀕していた。緒方さんが選ばれたのは、日本からの資金援助の期待したからだろう、という陰口がかれるほどの状態だったのである。

・初舞台、クルド難民問題
 第一次イラク戦争時に、発生したクルド難民が、緒方氏の最初の仕事だった。難民は、国境を越えた人びとを想定して対応するのが、それまでのUNHCRの任務だった。
 ところが、トルコがクルド難民の越境を拒み、戦禍のイラクに難民40万人を押し戻した。UNHCRの常識では、諦めるしかない状況を、国連・国連軍の理解に奔走し、「難民の側に居るのが、UNHCRの役目」と、国境内の難民保護の決断を出し、イラクにも了解を取り、多国籍軍をイラク内に駐留させる決断し、現地へヘリで視察し、現地に自分が入り、陣頭指揮を取った。就任してニケ月の出来事でした。
 その時の重要な一日の緒方氏の行動から、ニックネーム「小さな巨人」の呼び名ができた。緒方氏に人間性が良くでているので、長いですが紹介したいと思います。

(本文)
 前例を打ち破る形でクルド難民の救援に道を開いた緒方さんは、組織の中でリーダーシップを確立すると同時に、一躍世界の注目を集めることとなった。未曾有の事態に果敢に対処する緒方さんの行動力をジェッセン=ピーターセン官房長は驚嘆の思いで見つめていた。
「彼女が、へとへとになって現場から戻ったときのエピソードを今でも覚えています。
 ヘリコプターで、高地にあるイランとトルコの国境地帯を訪れ、一日中歩き回り、次々と到着する難民に話しかけていたのです。本当に疲れきっていました。しかし午後九時のテヘランへ戻り、記者会見を開く必要がありました。多くの記者が集まっていたのです。その会見は見事なものでした。政治的にデリケートな問題についても決然として答えていきました。就任してまだ日が浅く、12時間以上も歩き回ったあとですよ。次の日、地元紙は彼女を『小さな巨人』と称した見出しを付けました。『小さな巨人』というあだ名は、その後すっかり定着しましたよ」(中略)

 以後の活動は、後日また日記に書きます。

*参考資料:東野真著「緒方貞子-難民支援の現場から」
 
*緒方貞子 プロフィール
 政治学者、博士論文は『満州事変と政策の形成過程』(日米で出版された)
 父は、フィンランド公使 中村豊一 
 母方の祖父は、元外務大臣 芳沢謙吉  
  〃 曽祖父は、首相 犬養毅(5・15事件で暗殺される)

<コミュ>
・緒方貞子
http://mixi.jp/view_community.pl?id=922572  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:43Comments(0)偉人

2008年09月24日

勝った(好調の)時には、精神上に保険をつけよ

勝った(好調の)時には、精神上に保険をつけよ

 昔の武士の言葉に、

「勝つ事ばかり知りて負ける事を知らざれば、害その見にいたる」

とあります。連戦連勝は、いかなる国の歴史、いかなる勇将の伝記においても、永続した戦役にはあり得ない。孫子も、

「兵に常勢なきことは、水に常の形なきが如し」

と繰り返し教えています。

 新渡戸稲造氏の「自警録」の中にも、商売の勝運ばかりを目指していて、困難(失敗)を忘れる経営では行けないと教示しています。

(本文) 
 分かりやすく例を取りてみれば、商戦に従事する者はもくろみ通り成功し、いわゆるトントン拍子に身代をふやし、または営業を拡張することもあるも、これは決していつまでもつづくものではない。よいほどに儲けてやめぬ以上は必ず営業上の困難を来たす時節の来ることは、何人も知るところである。艱難なしに成功した例はない。艱難とはあるいみ失敗である。(中略)
 勝てるあいだに負けた時の準備をすることは商事会社が準備金を積み立てるか、あるいは個人が火災なり、生命なりを保険するようなもので、勝ちつつある時に、「待てよ」と一歩を控えることは、わが輩はこれを精神上の保険と名付けたい。(中略)

 人生においても連戦連勝を望むことは難しい、ゆえにはなはだ縁起の悪いことながら、人間は予(あらかじ)め負けた時の考えを用意して置かねばならない。この考えあるものはなお慎みて油断なく、負けた時にもみすぼらしい風に陥らぬように、心掛けたいものです。
 日々に様々な仕事の中で、決して忘れていけない考えと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:15Comments(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年09月22日

親への意見が通らなかった後も、以前同様に敬うことが大事

親への意見が通らなかった後も、以前同様に敬うことが大事(論語)

 親子の関係は、年を取るごとに親への思いやりもありますが、親の方も子からの意見を聞いてやるゆとりも必要と思います。

 現実、親は昔のように元気に動けないくなる身体と、残り少ない時間から、つい周りに当たったり、小言が多くなる人を見ます。
 反対に、子供は社会的な地位や、経済力を付け親に意見を強く言う人も見ます。どちらが正しいかは、その親子が過ごして来た歴史をひも解かないとわかりませんが、有史以来この問題は、在ったのだと思います。

 エジプトの碑文に、「今の若い者は・・・」の文字が在ったと、何かの本で読みましたが、親の役目、子の役目、年齢を重ねる中で、自分自身でその役割を考え続けることが必要だなと思います。

 論語には、「吾、十有五にして学を志し。三十にして立ち、四十にして迷わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして矩(のり)をこえず」ともあります。

 今の時代、六十歳はまだまだ現役社会ですが、一般的には孫が居てもおかしくなく、子は三十代で、まだまだ研鑽を積む世代です。
 親の小言や、子の意見が増えるのは、親が七十代、子が四十代になったころなのかなと思います。時には親子喧嘩そして、父から「今後、(実)家に来なくていい!」の言葉が出て来そうな風景を想像できます。

 それについても先人たちは、ちゃんと折り合いを付ける方法(知恵)の言葉を教示しています。そして、親もまたそのやり方を感謝すること知るべきと、訓示しているようにも感じます。

 人間は、ケガ、病気をした時に、その現実を受け容れたくない気になりました。しかし、その現実があるわけですが、病気を受け入れ、その後の生活を創るまでは、けっこう時間が必要なものです。

 これは、高齢になり自分の身体の不自由さを受け入れることも、同じような状況があるように思います。まして、高齢者になれば病気のオンパレードに成る人もいます。六十代まで、ばりばりやって来た付けのように、病気が続く現実を受け入れることは、とても勇気が要りますし、時間もかかります。ついつい、周りに当たったり、愚痴をこぼしたり、弱気になっているのに、昔を忘れられずに強がりになったりします。

 周りの子供たちは、たまったものではありませんが、先人たちも苦労したのだろうと思える言葉が、論語の一節にあります。そして、どう対処したかの教えを読み、自分が変わることが大事だと知らされます。

(仮名論語より)
 子曰わく、父母に事(つか)えては、幾(ようや)くに諌めむ。志の従われざるを見ては、又敬して違(たが)わず、労して怨みず。

(現代語訳)
 孔子先生が言われた「父母にもし間違いがあれば、それとなしにおだやかに諌める。不幸にして聞き入れて貰えない場合には、前のように敬ってさからうことなく、父母のために骨折っても怨みには思わない」

 なかなか出来ない教示と思いますが、老い先短い両親を思う心を持てば、現状に寄りそうことこそ父母の境遇(心境)を理解できるし、その態度から親も子供たちの意見に耳を傾ける気分を起こさせるとの教えを、現代へ語っているように思います。

>それとなしにおだやかに諌める 
>父母のために骨折っても怨みには思わない

 それぞれの家庭、それぞれの親子関係、更には年を離れた兄弟間でも、大事な心遣いではないかと思います。
 我家は、親は既に八十代、私は五十代になり、意見を闘わせる時期は過ぎましたが、忘れてはいけない、歴史をこえた親子間の生活の知恵かもしれません。

* 参考資料:「仮名論語」伊與田覚著

<コミュ>
・論語の言葉
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:20Comments(0)孔子の教え

2008年09月19日

敬する者は火の如し (言志四録)

 敬する者は火の如し (言志四録)

 (本 文)
 敬を持する者は火の如し。人をして畏れ之れを親しむべからしむ。
 敬せざる者は水の如し。人をして狎(な)れて之れに溺るべからしむ。

 (解 釈)
 常に慎み敬う態度でいる人は、火のようなものである。人は畏れるけれども、親しむべき人として敬う。
 慎み敬うことをしない人は水のようなものである。馴れ親しみやすいけれど、人から馬鹿にされてしまう。

 (感 想)
 師の一人が、謙虚、倹約、勤勉、それに最近は、親切のモットーにして生きたいと語っていました。73歳の行動する高齢者ですが、毎日2,000回の腕立て伏せを22年間続けて居られます。
 20才以上も違う私にも、常に丁寧にお話をして頂きます。学問の深さをもちろん、世の矛盾には臆せず、誰であろうと意見を述べる姿勢を見るに、こちらが身が引き締まる思いを持ちます。

>敬を持する者は火の如し

志をいくつになっても、持ち続ける事の大切さを学んでいます。

「謙虚、倹約、勤勉、親切」を、実践してみたいと思います。


  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:37Comments(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年09月18日

君子は交わりを絶ちても悪声を出さず(史記)

君子は交わりを絶ちても悪声を出さず(史記)

 今朝は、中国の粉ミルク事件が報じられていた。日本でも戦後、粉ミルク事件で大きな被害を出したが、社会が成長するときは、似たような事件、事故があるという気がします。
 
 さて、中国古典の故事に色々と心を育てる言葉をもらっていますが、そのひとつが今日目に留まりました。友達付き合いは、なかなか骨の折れるような気分を味わう事があります。しかし、不愉快な言葉をかけられるのは、意外に以前、自分が語った言葉が原因があったりするのです。中国の『史記』の中にある一節ですが、守屋洋氏の「中国古典一日一話」にありました。

「君子は交わりを絶ちても悪声を出さず」

(本 文)
 仮に交友関係を絶つことがあっても、「あいつはひどい奴だ」といったたぐいの非難めいたことはいっさい口にしない、これが君子の交わりなのだという。(中略)
 なんらかの事情で(たとえば配信行為)で交際を絶つことになっても、相手の悪口はけっして口にしない。これには、二つの理由が考えられる。

1.そんな相手を友人に持ったということは、自分に人間を見る眼がなかったからであり、それをみずから吹聴することになる。 

2.悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃され、一つもプラスにならない。
(以上、「中国古典一日一話」引用)

 先人の信用を壊さない知恵、誹謗を予防する知恵、更には、人物評を常に心に持ち交友をする大切さを教えられます。

 遠方の先輩から、たまに電話をもらう事がありますが、まるで近くで見ているかのように、私の心のあり様に触れる言葉が出てきます。離れていても、その人を思うことがあれば、時々知らせや、手紙で心情が判るのかもしれません。

 友とは良いものだとつくづく思いますが、離れた後はいっさい悪口を口にしないことも忘れないように、日々に言動に気をつけることも、自分の信用を保つ方法かもしれません。

*守屋洋著「中国古典一日一話」より 


<以前の日記>
・(放送開始)「ばってんラジオ」私(野口)の声が流れます。
 ばってんラジオ・主催者のmixiブログサイト
  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=936074909&owner_id=51991
  [ばってんラジオ-HP]  http://www.batten-radio.com/
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:40Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2008年09月17日

・善行は人目につかぬように行え

・善行は人目につかぬように行え

(現代語訳)
 悪事は人目につくほうがよいし、善行は人目につかないほうがよい。
なぜなら、人目につく悪事は害が少ないが、人目につかない悪事は害が大きいからである。また、人目につく善行は値打ちが小さく、人目につかない善行は値打ちが大きいからである。

(解  釈)
 裁かれるのは小物ばかり、「悪い奴ほどよく眠る」などと言われる。してみると、表沙汰になるのは、まだ害が少ないのかもしれない。
 ただし、善行は逆であって、自分だけが知っていればそれでよいのだという。人様が知ろうが知るまいが、そんなことは関係ないのだという。
 できれば目立たぬ貢献を心かげたい。

(感  想)
 三笠フード事件は、長い間闇中の悪事が続けられた。内部告発から発覚したとも言われる、とんでも無い悪事です。いつかは、必ず暴かれるものであるに、くり返される欲に駆られる族が後を絶たないものです。
 人間、どこかに隙があるから、ふと仲間になることをあります。常に、自分の良心と向きあい、陰徳を積む努力を自然にできるようになればと思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より

<コミュ>
・菜根譚(さいこんたん)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:35Comments(0)菜根譚

2008年09月16日

(理想と活力)理想があれば手なり足なりに現れる

(理想と活力)理想があれば手なり足なりに現れる~新渡戸稲造~

 今朝は、友人の自宅新築のために、気持ちをひとつにする「地鎮祭」がありました。転機も良く、良いお祭りができました。
 「野口もこんなことをするのか・・・?」と言われる方もいると思いますが、私は実は、「地鎮祭」に大きな意味(機会)があると思っています。

 施主、設計、工事+親族まで集う儀式、私はこの儀式で、集まり家の完成を願い、気持ちをひとつにして、事(建築)に当たる協働意識の始まりの日、そして新たな土地(地域)に入るご挨拶もあると思います。

 私は、我家の土地に、親子で自宅を建設したのですが、「今後もこの地域でお世話になります」気持ちを込めて、やはり家族だけで「地鎮祭」をしました。自分の気持ちを引き締める意味があると思っています。

 アメリカで、大きな倒産がありました。たぶん、理想を持ち、自信を持ち、進めたきたサブプライムローンの事業、現実社会合わなかった現実の審判が、社会から下されました。
 人は、様々な夢を持っています。その夢を、「志」とか「理想」とか、言うこともありますが、理想の無い人間は、気迫を感じれないように思います。理想に大きい、小さいという人がいますが、本人とれば大小よりも、ある事の意味が大事と考えます。

 明治・大正期の賢人の一人、新渡戸稲造氏の教示を集めた「自警録」の一節に、理想をテーマにした者がありました。
 
(本  文)
 人はなんで活きているかというに、理想で活きている。ただ呼吸するだけならパンだけでもよい。この世に生きている甲斐には、なにか理想がなくてはならない。・・・われわれのすべての働きは理想を実現せんがためで、理想なしにぶらぶら流れのまにまに活きているいことは存在というだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。ことばを換えていえば、人間の生活なるものは理想を実地に翻訳することなりはせぬか。(中略)


 人それぞれ、理想(目標)は違うと思いますが、地位か、金持ちか、行き方か、・・・、この年になると、人それそれの理想が違うと言うことを感じます。人生は、比較できないのだなと思いますが、前述の人をひきつける気迫、魅力を、あまり感じない人もいます。
 新渡戸氏は、教育者を例えて「理想の実現は何処」で、次のように表現しています。

(本  文)
 むかしの立派なる教育者貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等はみな塾を開いたことがあるが、今日のごとく何百人の生徒をあつめて演説講義したものではない。藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。人そのものが教育である。
 人が真に教育者なら笑っても教育になる。寝ているのも教育になる。一挙手、一投足、すべて教育とならぬものはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、全身その理想に充ち満ち、することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。地位を選んで大臣、局長、課長にならねばならぬということはない。文教の職にあたった政治家は、たくさんあるけれども、なんらの功績を残さぬ者が多い。(中略)

 理想があれば手なり足なりに現れる。・・・ゆえに理想があるなら、つねにここが理想の実行するところだと考えをもてば、理想の実現せられぬところはない。(中略)


 姿そのもの、生き方そのものが、教育であり。ある域に達した人は、日々の生活そのものが教育者であれば教育に、政治家であれば政治その者になっていると説いています。
 論語に、30才で立ち、40才で迷わず、50才で天命を知り、60才で聞き耳を持ち、70才で矩(法)を越えず(違わず)とあります。中江藤樹、熊沢蕃山なる偉人は、日々の生活そのものが、周りへ教示だったのだと思います。

>理想があれば手なり足なりに現れる

 まだまだ、先人の境地に至ったいません。「欲と善行」をどうバランス良く活きるかのヒントは、、活きた学問にしか気付きません。
 一日三省を心がけ、偉人たちを目標にして、古典を読み、少しでも近づけるように、日々実践をして生きたいと思います。
 
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録」

<関連コミュ>
・自警録(新渡戸稲造著) 
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=3371532


<以前の日記>
・(世界同時不況か?)世界から憧れられるような日本になる
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=934889310&owner_id=2182841

・知徳兼備の人を目標に、つまらない人は内省の参考に(孔子)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=933970355&owner_id=2182841&org_id=934889310  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:23Comments(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年09月15日

知徳兼備の人を目標に、つまらない人は内省の参考に(孔子)

知徳兼備の人を目標に、つまらない人は内省の参考に(孔子)

(本 文)
子曰わく、「賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり」

(現代語訳)
 孔子先生が語られた、「知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する」

(感 想)
 3人居れば、師ありと言います。周りの人の言動を検証し、自分の参考にする事、反省する材料にする事、日々に暮らしの中でも学ぶことがたくさんあると思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:52Comments(0)孔子の教え

2008年09月14日

度が過ぎればマイナスとなる(菜根譚)

度が過ぎればマイナスとなる(菜根譚)

(現代語訳)
 倹約は美徳だが、度が過ぎれば、ケチとなり卑(いや)しさとなって、かえって正しい道に反するようになる。
 謙譲は立派な態度だが、これも度が過ぎれば、バカていねいとなり卑屈となっって、なにか魂胆をかくしていることが多い。
 
(解  釈)
 どんな立派な徳でも、過ぎるとマイナスが出てくる。
 倹約とは、ふだんは切り詰めているが、使うべきときには使うのである。それに対し、ケチは、使うべきときでも出し惜しみをすること。この違いが大きいのである。
 謙譲も過ぎると卑屈になる、日本人の好みの土下座などもこれに近いかもしれない。

(感  想)
 出す時には出せるお金、会合、宴会等にも、行かねばならない時は出て行くことも大事と思います。日々の暮らしは、贅沢をしてはいけないと思いますが、ケチ、ケチばかりでは、自分の心も卑屈になると思います。
 お金も、行動も、ときどきの場に合わせるバランス感覚が大事なように思います。行くか行かないか、出すか出さないか、先人たちも悩みながら生きていたいのだなと、教えられます。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:39Comments(0)菜根譚

2008年09月11日

(教養とは)生活秩序に関する精錬された智慧

(教養とは?)生活秩序に関する精錬された智慧

 総裁選を見ていた長老から、「教養ないね」とテレビ演説を見ながら、意見が出ていると聞きます。
 昭和の批評家・小林秀雄氏の言葉を糸口にして、教養とは何か、どう育てるか、考える機会になればと思います。小林秀雄語録集「人生の鍛錬」より、

(本 文)
 一体、一般教養などという空爆たるものを目指して、どうして教養というものが得られましょうか。教養とは、生活秩序に関する精錬された生きた智慧を言うのでしょう。これは、生活体験に基いて得られるもので、書物もこの場合多少は参考になる、という次第のものだと思う。教養とは、身について、その人の口のきき方だとか挙動だとかに、自ずから現れる言い難い性質が、その特徴であって、教養のあるところを見せようという様な筋のものではあるまい。(「読書週間」21‐23)

鋭い洞察に、ドキッとします。また、次の一説もあります。

(本 文)
 私は、本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。ノーベル賞をとる事が、何が人間としての価値と関係がありましょうか。私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人と思われます。(「読書週間」21‐27)(中略)

 本屋の主人(小林秀雄)の目を通した識者への注文は、高く崇高なものでありますが、日常の行動もつぶさに検証している姿勢が、素晴らしいと思います。
 

 佐藤一斎の「言志四録」にも自分を高める修養の方法が説かれています。

「学は自得するを貴ぶ。人徒(いたず)らに目を持って字有るの読む。故に字に局して、通透(つうとう)するを得ず。
 当(まさ)に心を以て字無きの書を読むべし。乃(すなわ)ち洞(とう)して自得する有らん」(「言志後録」138)
(注)洞:深い悟り

(解 釈) 
 学問は本心において体得することが大事である。ところが、世の中の人はいたらずに目で文字の書かれた書物を読むだけである。そのために、文字に囚われて、その背後にある物事の道理を見通すことができない。
 心眼を開き、文字の書かれていない書、すなわち実社会の諸々の事象を読み解いて、自らの修養とするべきである。そうすれば、悟り得て自らの本心に体得することができるだろう。

(感 想)
 偉人たちの言葉には、共通する部分が多々あります。書物を読むことは参考になるが、要は実生活の中で、どう実践し、反省し、更に高い品格を求めて、自分を高めることに務めるかにあると思います。
 教養とは、生活に活かしてこそつかめる、人格形成の道程なのかもしれません。

*参考資料:
1.「人生の鍛錬」小林秀雄語録集、新潮社
2.「佐藤一斎 一日一言」~『言志四録』を読む~、渡邊五郎三郎編  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:31Comments(0)批評家・小林秀雄

2008年09月09日

(ケネディの伝言)次期内閣に望む 閣僚の品格と実行力

(ケネディの伝言)次期内閣に望む 閣僚の品格と実行力

 「国会が、総裁選挙!、総選挙だ!」と騒ぎ、テレビは劇場化している。
 日本財政、国地方の借金が千兆円とも言われ、目を移せば活発になる国際化の中で、これからの日本の舵取り役の責任は大きい。

 一九九三年に落合信彦氏が出版した「ケネディからの伝言」には、アメリカ国民だけでなく、世界に訴えたケネディの言葉があります。
 その理念は、「勇気、判断力、尊厳、献身の四つの要素を、職務で責任を果たしたか歴史上問われる。」と説き、その勇気の意味は、敵に対するだけでなく、必要とあらば仲間に立ち向かう勇気であり、公のプレッシャーだけでなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気とあります。

 自民党政権は、2度も短期で任期を全うせず、総裁選となりました。その原因は、閣僚の疑惑やスキャンダルが続出し、議員としての理念の無さ、人格の脆弱さと思う。
 次期政権は、実行力と品格を持つ人物がリーダーシップを取り、国民が納得する内閣を組み、国内だけでなく、世界へ向け日本の思いを伝えれる人物たちが登場して欲しい。

 3年半のケネディ政権は、内閣から一人も汚職やスキャンダルがなく、「才能と人格」の人事と言われた。
 落合氏は、「情けない事だが四つの要素を日本の政治家に当てはめたら、全て落第ということになる。リーダーに必要な資質は、なにものにも縛られない個人の自由な発言と行動、何事にも責任を持つ意志こそ民主主義に魂なのだ。」と語っている。

 民主主義の向上に向け、真剣な議論と国民も関心を持ち続けることが大事と思う。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:50Comments(0)リーダーの名言

2008年09月08日

目立ちすぎぬよう心がけよ (菜根譚)

目立ちすぎぬよう心がけよ (菜根譚)

(現代語訳)
 地位はあまり上に上がらないほうがよい。登りつめると、陥穽(かんせい)が待ち受けている。
 才能はひどほどに発揮した方がよい。出つくすと、あとが続かなくなる。
 立派な行いもほどほどにしたほうがよい。やりすぎると、かえって非難中傷にさらされる。

(解  説)
 とにかく目立ちすぎると、風当たりばかり強くなって、思わぬ消耗をしいられることになる。だとすれば、いざというときに備えて、ふだんはあまり出過ぎないほうがよいかもしれない。
 ただし、こもれもまたバランスの問題であって、あまりにも存在感が希薄になっても困るのである。

(感  想)
 行動の難しさと、周りに印象と期待、なかなか難しいものです。

 昨日、大阪府の橋下知事が、府の教育委員会を罵倒する発言をニュースで読みました。地位ある人が、大阪府行政の両輪とも言える教育委員会を誹謗する言葉は、どうかを考えます。
 立派な行いのつもりでも、度が過ぎると誹謗中傷の対象となる。よき例では、自分の戒めにしたいと思います。
 解説の末尾の「あまりにも存在感が希薄になっても困るのである」を良き教示と思います。存在感を目立たず、地域の中で浸透させる努力はする必要があります。多様な催しや情報ツールを使い、信頼される一人に成れるように努力はいとわないことと思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」

■<橋下知事>ラジオで「くそ教育委員会」学力テスト公表巡り
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600563&media_id=2
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:18Comments(0)菜根譚

2008年09月06日

(何を学ぶか)30代:実行力の時代、40代:判断力の時代

(何を学ぶか)30代:実行力の時代、40代:判断力の時代

「40代にやっておくべきこと」(鈴木健二著)より~その2~

 3日前に書いた、上記の本から感じたことを再度書きます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=922378094&owner_id=2182841

・30代、40代、50代

 人間は年を取るにつれて、記憶力がどんどん失われて行きます。40代前半ではあまり自覚がないのです、後半になると、一つのことがなかなか思い出せないようことが時々起ります。

 しかし、人間としての社会的能力が駄目になるわけではありません。40代になると、サラリーマンなら何人かの部下があり、今までは自分でしなければならないことを、部下が分業していてやってくれます。

 その代わり、課長ならば部下の名前を全員知っておくことはもちろんですが、社長は会社全員の名前を知らなくても、人事部がやってくれます。つまり、不必要なものまで頭に入れなくてもいいようになります。自営業ならば、若い仕事仲間に協力をしてもらったりして、判断や決断の部分が重要な仕事になります。

 40代になると、このエキス(判断の材料)の部分だけを覚えておくことは多くなり、問題はこれをどう扱うかなのです。鈴木健二氏の言葉に、「40代の男を称して゛分別盛り゛という」とあります。分別というのは、ものわかりがいいだけではなくて、物事を広く見渡して、あれこれを判断する力に秀でていることを指しています。中年の男が案外若い女性にもてるのは、彼女達が持ち合わせていない判断力を、男が示してくれるからで、そこに年齢や風貌や経験が重なりあって、信頼にまで高められるのです。

 考えると、40代は判断力の時代と思います。そして30代は実行力の世代、50代以後は総合力の時期と思います。

 「判断力+行動力」に着いて鈴木氏の書かれた一節を紹介します。

(本文より)
 本能寺の変を聞いた秀吉は、直ちに毛利と和睦をして山陽道を引き返し、山崎の合戦で秀光を倒して、天下人への名乗りを上げている。あの時には、徳川家康にも柴田勝家にも滝川一益にも同じチャンスはあったのである。彼らは京都へ向かうことはしたのだが、途中で秀吉の大勝を聞き、あきらめて領国へ帰ってしまったのである。

 秀吉にしても、はじめから勝算があったわけではない。豪雨の中を泥まみれになり、身体は綿の如く疲れ果て、秀吉自身も居眠りして何度も落馬しながらの強行軍であったのだ。 しかし、水攻めをしていた備中高松から合戦をした山崎までの間に、様々な手を打ちながら進み、それが奔流の如き勢いとなったのである。ナポレオンのロシアまでの快進撃もこれと同じことである。

 短い時間のうちに考えをまとめ、それを直ちに実行する。これが判断力である。知っているだけで何も行わなかったら、それは何も知らなかったと同じである。(中略)


 吉田松陰の訓示に「知識は理解し、行動に起こしてこそ知識」があります。正に実行したのは秀吉、タイミングはずしたのは他の武将と思います。
 また、江戸後期の儒学者、斉藤一斎の教示「知識、見識、胆識」の中で、胆を据えて行動に移してこそ知識は生きると教えました。

 40代の訓練・試練は、出来事に対しどう判断し、行動するかを限りなく続けることが、人を育てるのだと思います。
 もし50代以降の方が読まれた、ぜひこの件にアドバイスを頂けるとありがたいです。


「南部九州市長サミット」プレイベント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 「オール全自動ビニールハウスの見学会」
 日 時 2008年9月21日(日)10:00~14:00
 場 所 熊本県宇城市三角町 高木ファーム
 参加費 500円(昼食会 1,500円程度)
 集合場所 JR三角駅前の元フェリーターミナル駐車場
(現地見学は1時間半程度。昼食交流会も開催します)
 事務局 〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6 リブズ菊池1F
    環境共生施設研究所内 担当 野口修一(NPO法人フューチャー500理事)
    Eメール:aande@lime.ocn.ne.jp 
 *昼食会の参加は、事務局までメールで事前申し込みが必要です。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:26Comments(0)意見・異見

2008年09月05日

「君は船なり、庶人は水なり」~夢は、住んでいる人たちのもの

「君は船なり、庶人は水なり」~地域の夢は、住んでいる人たちのもの

 今熊本は、川辺川問題に知事がどう判断を下すか大きな注目を集めている。9月2日最大に受益地である人吉市長が、「白紙撤回」を表明した。9月議会での所信表明の内容を読み、一年近く悩み、意見を聞き、考え続けた素晴らしい内容と判断に、感銘を受けました。翌日の地元氏の新生面(論説員のコラム)に、次に言葉がありました。

「・・市長の発言には、球磨川を守りたいという心情があふれていた。地域をどう活かすか。その政治的判断は、それぞれのポジションで出来る事だ。
 地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものである。地方分権の徹底は、政治の再生にもつながっていく。蒲島郁夫知事は、「夢」を語って知事になった。夢が夢たる所以は、そこに未来への道が広がっているからだろう。」(熊本日日新聞「新生面」)

>地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものである。

心奮える言葉と思います。

 地方分権が叫ばれて、10年が立ちます。国は利権を話さず、開かれた地方自治の実現は、遠きにありと思います。
 また県内の地方分権を検証すると、国よりも開かれていない県政があることを感じます。限りなく住民に近いところで自治を考えることが、住民主権、地方分権の実現に近づくと思います。民意の反映しないまちづくりほど、住民参加の達成感はありません。

 中国故事の「荀子」の一節に次に言葉があります。

「君は船なり、庶人は水なり」(荀子)

意味は、「君子は船、人民は水」にあたると言うのものです。
また、為政者の心がけ三項目も挙げています。

一、公平な政治、人民のための政治を心がける。
一、社会の規範を尊重し、すぐれた人物に敬意をはらう。
一、賢者を登用し、有能な人物に仕事をまかせる。

だから君子がみずからの地位を安泰にするためには、何よりもまず人民の信頼を得るようにつとめなければならない。
要は、舟が水しだいで安定もし、転覆もするように、君主の座も人民の出方しだいで安定も転覆もする、という教えと思います。、

 安倍政権しかり、福田政権しかり、民の信任こそが一番大事と、先人も説いています。

 地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものであり、地方分権の徹底につながると信じています。

「君は船なり、庶人は水なり」

は、リーダーの言動の重さを感じる言葉と思います。

*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一話」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 02:04Comments(0)偉人

2008年09月02日

自分で自分の行動をチェックする(菜根譚)

自分で自分の行動をチェックする(菜根譚)

 昨日、日本の福田首相が突然辞任されました。

 どんな思いか、どんな苦労かは、当事者しか分かりませんが、大変な決断であるし、国民の期待を裏切る行為であることは間違いありません。
 食料高騰、原油高騰、年金問題未解決、景気対策等々、難問山積になのに平然と、政治空白を作り、今日はしゃーしゃーと官邸へ登庁する態度には、国家を導くリーダーの姿には写りません。

 菜根譚に、次の行動指針がありました。

(現代語訳)
 怒りが爆発し欲情が沸騰するとき、はっきりとそれに気づいている自分がいる。また、気づきながらそのまま突っ走ろうとする自分がいる。
 気づいている自分とは誰か。そのまま突っ走ろうとする自分とは誰か。ここで翻然(ほんぜん)として思いなおすことができれば、邪念はたちまち一変して心の主宰者となるであろう。

(解  説)
 気づいて抑えるか、そのまま突っ走るか、心の葛藤が生ずる。これはだれしも経験するところである。そんなとき、怒りにしても欲情にしても、感情が理性に勝つと。決って結果は良くない。

(感  想)
 自分と冷静に語る時間とゆとり、そして率直に意見を述べてくれる友人が大事と思います。物事は長いスタンスで考え、熟慮し、行動を起した方が難問山積に時には、周りの人々の賛同を得るように思います。

 昨日の福田首相の自認前に、密室で数名の対談後の「自認劇」、これでは大平総理の後の首相決定や、国民の思いをないがしろにした自民党幹部の行為としか思えません。許せない思いを持ちます。
 自民党総裁選挙は、ぜひ公明で正々堂々と公開で議論して欲しいし、もっと大事な総選挙を早く実施し、国民に信任を得たリーダーが日本を導いて欲しいと願います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 20:39Comments(0)菜根譚

2008年09月01日

(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。

(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。~小林秀雄語録~

 今日は、久々にちょっと文学についてではないですが、若いころから読んで諦めていた批評家の小林秀雄の文章を読みながら、人が生きて行くとは何かを考えました。

 私が、何かと人生相談をする永淵道彦先生が、若いころ、著名な作家の起点となる作品について書いた論文の、最初に登場したのが小林秀雄でした。昭和59年の出版で、永淵先生が国文学の世界で、羽ばたこうとする意気込みが伝わるものです。

 実は、今年初めにいただきそのままにしていたのですが、本棚を見ていて副題に「小林、江藤、冨永、大江ノート」とあり、開いて読み始めて読み入り、小林秀雄が小説家を断念する直前の小説の解説で、自分の心との対話と言われる小説の世界は興味を引きました。他の作家は、江藤淳、冨永太郎、大江健三郎です。

 以前から持っていた小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を横に置いて読み合わせて見て、成る程と思いました。人は何か始めるときには、起点(踏ん切り)があると思いました。


 「人生の鍛錬」の別の部分ですが、1940~1945年頃(38~43歳)に書かれた文章から、次の言葉に目が留まりました。

(本 文)
 成る程、己の世界は狭いものだ、貧しく弱く不完全なものでるが、その不完全なものからひと筋に工夫を凝らすというのが、ものを本当に考える道なのである、生活に即して物を考える唯一の道なのであります。(「文学と自分」13-151)

 上記の一節は、日々の生活の中からしか、発想、工夫は生まれないと語っていると思います。

 私にとっては、小林秀雄の文章は難解で、若いころ何度か挑戦し読むのですが、難しくいつも途中で断念していました。最近興味を持つようになったのは、白州正子の夫、白州次郎の伝記等々を読み、あの白州夫妻と小林秀雄たちとの交流から、関心が湧き、小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を見つけ、時々目を通しています。

 私も50才になり、自分なりの歴史を積み重ねて来ると、難解な文章も、少しは理解の程度は深くないですが、続けて読めるようになりました。もし小林秀雄語録集「人生の鍛錬」、興味をもたれたら読んで見てください。

 次の文は短いですが、人の行動と心情を良く表しているのでご紹介します。

(本 文)
 自己宣伝の一番栄えるのは、人が己を失った時に限る。(「現代文学の不安」4-14)

自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ。(「現代文学の不安」4-17)

 小林秀雄が29~31歳に書いたものですが、人をみる眼力に驚かされます。日々、ボーっとせず、自分と対話する時間を持ちたいと思った、人生の鍛錬につながる一文と思います。

*参考資料:小林秀雄語録集「人生の鍛錬」

<コミュ>
・小林秀雄 (批評家)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2465984  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:05Comments(0)批評家・小林秀雄