2008年09月01日

(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。

(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。~小林秀雄語録~

 今日は、久々にちょっと文学についてではないですが、若いころから読んで諦めていた批評家の小林秀雄の文章を読みながら、人が生きて行くとは何かを考えました。

 私が、何かと人生相談をする永淵道彦先生が、若いころ、著名な作家の起点となる作品について書いた論文の、最初に登場したのが小林秀雄でした。昭和59年の出版で、永淵先生が国文学の世界で、羽ばたこうとする意気込みが伝わるものです。

 実は、今年初めにいただきそのままにしていたのですが、本棚を見ていて副題に「小林、江藤、冨永、大江ノート」とあり、開いて読み始めて読み入り、小林秀雄が小説家を断念する直前の小説の解説で、自分の心との対話と言われる小説の世界は興味を引きました。他の作家は、江藤淳、冨永太郎、大江健三郎です。

 以前から持っていた小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を横に置いて読み合わせて見て、成る程と思いました。人は何か始めるときには、起点(踏ん切り)があると思いました。


 「人生の鍛錬」の別の部分ですが、1940~1945年頃(38~43歳)に書かれた文章から、次の言葉に目が留まりました。

(本 文)
 成る程、己の世界は狭いものだ、貧しく弱く不完全なものでるが、その不完全なものからひと筋に工夫を凝らすというのが、ものを本当に考える道なのである、生活に即して物を考える唯一の道なのであります。(「文学と自分」13-151)

 上記の一節は、日々の生活の中からしか、発想、工夫は生まれないと語っていると思います。

 私にとっては、小林秀雄の文章は難解で、若いころ何度か挑戦し読むのですが、難しくいつも途中で断念していました。最近興味を持つようになったのは、白州正子の夫、白州次郎の伝記等々を読み、あの白州夫妻と小林秀雄たちとの交流から、関心が湧き、小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を見つけ、時々目を通しています。

 私も50才になり、自分なりの歴史を積み重ねて来ると、難解な文章も、少しは理解の程度は深くないですが、続けて読めるようになりました。もし小林秀雄語録集「人生の鍛錬」、興味をもたれたら読んで見てください。

 次の文は短いですが、人の行動と心情を良く表しているのでご紹介します。

(本 文)
 自己宣伝の一番栄えるのは、人が己を失った時に限る。(「現代文学の不安」4-14)

自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ。(「現代文学の不安」4-17)

 小林秀雄が29~31歳に書いたものですが、人をみる眼力に驚かされます。日々、ボーっとせず、自分と対話する時間を持ちたいと思った、人生の鍛錬につながる一文と思います。

*参考資料:小林秀雄語録集「人生の鍛錬」

<コミュ>
・小林秀雄 (批評家)
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Posted by ノグチ(noguchi) at 18:05│Comments(0)批評家・小林秀雄
 
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