2014年02月27日

【奢り】衆知が集まらない。素直に聞き耳できる人こそ、大成するか要因まもしれない。

【奢り】衆知が集まらない。素直に聞き耳できる人こそ、大成するか要因まもしれない。

「素直な心がない場合には、人の言葉に耳を傾けようしなくなり、その結果、衆知が集まらないようになる」(松下幸之助)

上記の訓示から、人の言葉(助言)を、みなさんはどう受け止めますか。

今日の夕方、2時間近く地域の様々な動き(人の地域活動)ついて詳しく、先輩たちに聞きました。人間とは、晩年にどんな活動をするか? で、人生が見えて来ると思いました

私は、6年前にどうしても熊本県全体の「横井小楠生誕200年の記念事業」の事務局長を引く受けることになった。熊本の重要な文化教育に関わる先輩たちを巻き込む大事業で、いろいろな出会いもあったが、苦労もあった。とても日頃は、経験できない勉強をしました。

事業での最初のショックは、実質的なプロモーターの重鎮から、「野口さんはいくつになったね?」と聞かれ、「はい、50になりました」と答えると、「50になったら、もう命は惜しくなかろう。命掛けで小楠生誕200年事業をやるなら付き合おう」と言われて以来、私は地域活動を命がけでやってきました。要は、命がけ(何時、命を落としても悔いはないつもり)でやっています。

横井小楠生誕200年の記念事業は、約1年3ヶ月かかる事業でした。後半の5ヶ月は、仕事そっちのけで実行しました。これは、凄みの話ではなくて、事を成すには、先輩たち、仲間たちの声を素直に聞き、より良き方向へ仲間を先導できる企画ができるか? 要は命がけ(腹をくくって)で事業に打ち込めるかで、周りから助言をもらえると思います。その最も重要な要因は、聞き耳を持っているかです。

参考になる先人「松下幸之助先哲」の訓示があります。松下幸之助著『素直な心になるために』に一節から、

(以下、松下幸之助訓示)

他人に言葉に耳を傾けなければ、お互いの輪を損なう。せっかく人が教え、助言してくれるのに馬耳東風では、心は動かない。

加えて、つねづね耳を傾けない態度を取れば、だんだん人が助言をしなくなる。そういう態度では、教えてやるものか、・・・

他人の知恵や協力が全くなければ、仕事も生活もスムーズに行かなくなる。
(以上、松下幸之助著『素直な心になるために』より)

このベースにあるのが、「素直な心」です。昭和の大経営者の松下幸之助氏は、常に「正直」、「素直な心」を訴えています。当たり前ですが、地位が上がれば、これが分からなくなる輩が多い。人間の奢り(傲り)が一番の敗因、と松下幸之助先哲も訓示している。

常に謙虚に周りの意見に耳を傾ける姿勢ができるか、実は時代を変えるリーダーの最大の要素が、「周りの意見に耳を持っているか」だと思いました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:39Comments(0)私の意見

2014年02月27日

【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。

【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。

おはようございます。熊日のコラム【伝えたい 私の戦争】で、広島で被爆された森武徳さんの手記が今日まで掲載されている。(以下、抜粋)

学徒動員で働いていた軍事工場が原爆で閉鎖になり、爆心地から1kmのところに在る自宅へ帰る道には、累々と遺体があり、その中を縫うように自宅に着くと、家は跡形もなかった。原子爆弾で、吹っ飛んでいた、涙が止まらなかった。父は亡くなり、母とは翌日に再会した。原爆は、時間が経ってから原爆症で亡くなる人が増える。「自分も正月まで持たないかも・・・」と思った、数年間は死の恐怖がつきまとった。・・・・

とあった。末尾に、「改憲論が勢いづいているが、戦争放棄の原則はどこまで行っても変えちゃいけない。戦争にならなければ、原爆ような都市爆撃は避けられる」と訓示されています。

東アジアの緊張から、尖閣諸島へ上陸を予想した部隊ができるとか、防護空域の考え方の違いでスクランブル発信が重なるとか、小さな間違いが大問題になることある。森氏の「戦争放棄の原則」は、現憲法の9条を維持する強いメッセージと受け止めました。

政治は、人の心の問題とも言われます。地域の小さな小競り合いも、国家間の不協和音も、常に修復したいという思いを持っていれば、協調の可能性は充分にあると思います。敵対するだけでは、真の解決は見つからない。まして、暴力に訴えることは、人間として知性も品性の無くなります。

人の良識を信じる、と言えば弱腰と言われるかもしれませんが、常に意見の衝突はあって良いが、拳を上げる闘争は避けるべきだし、避けることの方がとても勇気と我慢が必要と思います。悲惨な歴史を活かせない行為は、けっしてやってはいけない。議論はあるが、平和を目指す意見の相違であって欲しい。森氏の3日日間の手記を読み、平和と戦争放棄の意味を深く考える機会になりました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:31Comments(0)意見・異見

2014年02月26日

【熊日記事から】怒りを発する心には、崇高な志があるのだと思います。

【熊日記事から】怒りを発する心には、崇高な志があるのだと思います。

熊日新聞の、『伝えたい「私の戦争」』に、昨日から熊本市の森武徳氏(83)が手記を書かれている。数年前、お目にかかった折り、幕末維新の話で盛り上がったが、専門は法曹界に関わる仕事をされていた方です。温和だが、文面や話の端々に、気骨な面も気づかされます。元は、どこから来るのだろうかと気掛かりだった。

手記の冒頭の話は、下筌・松原ダムの反対のリーダー室原知幸さんを法的に資料で支援した。森氏は「室原さんは、ダム自体に反対だったのではない。強引に事業を進めようとした国のやり方に反発した」とあった。森氏のこの反骨精神は、軍事下の広島師範学校時代の人権軽視に対する抵抗活動だったことを知り、流石に年季が入っていると理解しました。

室原さんも、森さんも、相手の人権を軽視した行動に怒ったのではないかと思います。時代は、どんどん変わるが、怒りに対して先人たちもその思い(怒り)ついて考えている。哲学者の三木清著『人生論ノート』には、

「怒りはどことなく貴族的なところがある、善い意味においても、悪い意味においても」

社会へ怒る、聞き耳も心地よい場合があるが、振り返ると怒るだけでは社会は変わらない。仲間を募り、運動を起こして、未来社会を明るくする努力が大事ではないか。怒りを、未来社会を作る動きへ導くことこそ、貴族的な怒りではないかと思います。

また、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者モンテーニュの『新選モンテーニュ随想録』には次の訓示がある。

「怒りは奇妙な用法を有する武器である。他のすべての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器はわれわれを用いる』

怒りは、人間そのものを道具(表現物)に使う。必ず、いつか周りはこの原因者を見つけ出す(噂になる)、それはなぜか? 実行した本人は、志が高いので自慢したくなるものです。戦国時代を泰平の時代へ導いた徳川家康の教示がある。PHP研究所『戦国武将名言録』より、

「怒を敵と思へ」(徳川家康)

国づくりも、まちづくりも、百人百様の人々の心の集約に努める作業と思います。今日の熊日地域版に、菊池の話題で九州大学大学院教授の藤原恵洋氏のまちづくり講演についてあった。

「まちづくりには住民の矜恃(きょうじ:誇り)、文脈(物語性)、紐帯(ちゅうたい:人のつながり)がカギになる」

意外にまちづくりに参加するきっかけは、事件や出来事への怒りだったりする。怒りを発する心には、崇高な志があるのだと思います。この志を敵対するのでなく、協調してより良き社会へ向けた紐帯となれば良いのですが、なかなか世の中は上手い工合に行かないものです。昨夜の小学6年生詩「ふるさと」のような優しい心を大人になっても持ち続けたいと、森氏の手記を読み考えた朝でした。

今日は、1日雨模様です。雨後は必ず晴れ間がきます。人生、有為転変ですが、常に前向きに生きたい思います。今日も元気に、乗り切ります。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:33Comments(0)偉人リーダーの名言

2014年02月17日

6つのマイナス思考の発言を言わない。日々が勉強そのもの。

6つのマイナス思考の発言を言わない。日々が勉強そのもの。

今日は、いろいろ打ち合わせ、研修と続き、web上に考えをかけませんでしたが、夕方に地域リーダーの先輩方と約1時間半近く、地域情勢、人材評価等で色々語ることがあり、自分が何をすべきか、気づきをいただきました。「経験に勝る教示は無い」と痛感しました。

私の気持ちを元気にする一冊の本が、植田正也氏の著書『電通 鬼十則』です。何度もネット上に紹介し、意見も書きましたが、今日は電通のことでなくて、この本に紹介してある、積水化成品工業の社長の若い人への訓示を紹介します。

1.「世に中が不況だから」とは言わない。
2.「政府が悪い」と言って責任回避しない。
3.「そのうち政府が何とか手を打ってくれる」など人さまを当てにしない。
4.「私たち業界の始末が悪くて」など自分の業界の悪口は言わない。
5.「業界が悪いから、わが社も悪いので」と言った弁護をしない。
6.「あの会社が行儀が悪いので、わが社も巻きぞえをくって」と泣きごとは言わない。

この本の初版が2006年9月19日で、その20年以上前の積水化成品工業の福本正雄社長の言葉として紹介されています。時期を単純に計算して1986年ごろ、これは日本が世界を牽引してバブルへ邁進していた時代です。

積水グループは、経済の有為転変があろうが、しぶとく生き残る残るどころか、成長を続けている。これには何が必要か。6つの訓示に現れていると思います。6つの言葉に共通するものは、現在の状況を自ら打開策を導き出せ、だと思います。逆に言えば、「保身」こそ最大の病。

老舗と言われる会社があります。よく調べてみると、様々な社会的危機を、新たな生きる道を見つけ出し危機を乗り切っています。

チャレンジスピリッツに必要のない言葉
・不況だからと言わない。
・責任回避しない。
・人さまを当てにしない。
・業界の悪口を言わない。
・弁解はしない。
・泣きごとは言わない。

仕事とは、有償無償関係なく、依頼されるものです。これに対して、どう対応するか。6つのマイナス思考の発言をせず、前向きな言動を続けられるか。そこからしか、新しい自分、新しい事業は生まれない。

加えて、人間社会ですから、やっかみ、誹謗・中傷、足の引っ張り、6つのマイナス思考発言以下の言動する人もいます。このマイナス思考発言以下の人間は、どんなに有能な人材が集まる組織でも発生します。最近起こった警察内のイジメが良き例です。だからこそ、一人ひとりが危機管理意識を持ち、社会(人間関係の)変化に対応して行ける強い(知識でなく)知恵を培わなければならないと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:48Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年02月15日

「貧すれば貪す」、厳しいからこそ成長するか。+「経綸」。

「貧すれば貪す」、厳しいからこそ成長するか。+「経綸」。

おはようございます。今朝は、大雪の予報の東日本地方、毎週末の雪は大変と思います。熊本も一昨日から、阿蘇では平地で30センチの大雪でした。

さて、今日はサッカーデイで、小学校6年は最後の大会、中学生は他地域から招待し、新チームの出来具合を見る大会が開催されます。寒いですが、熱い戦いが繰り広げられると思います。

さて、やっとソチ・オリンピックで、日本チームに金メダル第一号が生まれました。まだまだ可能性のある選手もいるので、期待が膨らみます。勝機は、様々な要因が重なり、導き出されます。自分の訓練の積み上げもありますが、相手の状況、会場の状態、それが、合致した時に最高の成果を生むのだと思います。


昨日の二日市での意見交換の中で、永淵道彦先生からいただいた『易経』の資料に、「経綸(けいりん)」なる言葉で、事を起こす時の二つの要素を説いてありました。


君子をもって経綸す。

「経綸」は、国家の秩序を整え、治めること。「経」は織物の機を織る縦糸で、横糸は緯。「綸」は、機を織っていく最初に糸をピンと張って整えること。
国づくりだけでなく、起業にしても、新生の時は混乱する。治め整えるためには、まずは縦糸となる大綱、おおよその枠組みを決めなくてはいけない。
それから、横糸を細目にわたって織って整えていく。これこそシステムづくりの原点である。
(以上、『水雷屯』より)


羽生選手は、東日本大震災では練習会場が被害を受け、とても厳しい状況の中で、練習を行っていました。あれから3年、努力を重ねて大輪の花を咲かせました。オリンピックに出るという強い意志が「縦糸」、コーチ陣や練習環境を細かく整えるのが「横糸」、そのシステムの中で懸命に努力を続けてきました。素晴らしいと思います。

昨日の意見交換の中で記憶に残る言葉が、「貧すれば貪す」でした。安穏の中に居ては、意欲は湧かない。羽生選手は、3年前は練習会場がないので、様々な大会に出ることで練習をしたと聞いたことがあります。正に「貧すれば貪す」。限りある条件の中でいかに成長するか、心がけ一つと思いました。

オリンピックに出場している選手は、みなさん様々な人生の障壁を乗り越えて出場していると思います。オリンピックで応援をしたくなるのは、そんな人生を自分と照らし合わせて思うのかもしれません。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:24Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年02月11日

我々ベスト(最上)を尽くしても、せいぜいうまく行ってベター(まし)な程度

我々ベスト(最上)を尽くしても、せいぜいうまく行ってベター(まし)な程度

毎日、ソチ・オリンピックの選手の活躍を報じている。やはり世界の頂点に至るには、並外れた体力はもちろんだが、加えて血の滲むような努力も伴わないと、メダルには届かないと思います。

人の満足、達成感なるものは何か?

人の欲望とは限りがない、と言われます。オリンピック選手は、「応援いただいた、お世話になった方々に報いるためにの精一杯頑張ります」とよく言う。支援した人たちは、見返りなど求めないと思うが、この言葉を聞かないと、「謙虚でないね」と陰口を言われたりする。人間とは、不思議な性質をもっている。

またまた曽野綾子さんの言葉ですが、著書『夫婦、この不思議な関係』の一節に、次の言葉があります。

(以下、転載)

人間はどのようになっても満足せず、どのようにしても相手に完全な満足を与えることはできない、という原則である。だから我々ベスト(最上)を尽くすと思うのは、自分から見てのことであって、他人には、せいぜいうまく行ってベター(まし)なことができるだけである。
(以上、『夫婦、この不思議な関係』より)

十人十色、百人百様、同じ人間はいない。親子、兄弟、周りから見れば似ているようですが、全く異なる人間である。夫婦は、同じ関心を一部持つ人間同士とは思うが、同じ時を過ごしているが、成長の中身が微妙に違うから、喧嘩もあるし、将来の道が異なる場合も多い。

人間関係・・・、
家族も地域も職場も、人間関係の積み重ね。

オリンピック選手も、色々なプロスポーツに選手たちも人間関係で支えられている。人を満足させるのは、なかなか難しい。ならば、自分が精一杯生きる姿を見せることしか、お世話になっている(人間関係ある)方々へのお返しはできないのかもしれない。

加えて必要なのが、感謝の言動を忘れないことと思います。人間の上には更に上行く人間がいる。オリンピックを見ていて、すごい人間がいる、とつくづく思います。人の成長は目標を持つこと、地域に目標がなければ全国を探し、全国にいなければ世界に探し、それでも居なければ歴史上から探す。

人間はいくらでも成長する。確かに、オリンピックのような身体年齢に限界のある分野はあるが、見方を変えると指導者という領域では、違った成長の場が広がります。選手を満足させるのは指導、これには答えのない。百人百様の個性ある選手の育成もまた、自分のできる最高を目指す戦いと思います。

ただ、何事も人から見た印象は、我々ベスト(最上)を尽くしても、せいぜいうまく行ってベター(まし)な程度くらいにしか映らない。気負わず、出来ることをこつこつと続けるしか方法はないようです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:41Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年02月07日

【ご案内】2/12 宇土市フットパス・網津コースの試歩調査にご参加ください。

【ご案内】2/12 宇土市フットパス・網津コースの試歩調査にご参加ください。

2年前、熊本県が提唱して、宇土市に3つのフットパスコースができました。西の網田地区は、以前からウォークラリー等の活動をやっていて、すんなりとフットパスの理解が早かったので、その担当者に来ていただき現状を報告しもらいました。美里町フットパス協会方には、九州や日本各地の状況も詳しく説明いただきました。

一番良かったのは、フットパスの歴史、日本で活発な活動の先進地の説明、住民の関わり方、“おもてなし”の考え方、コースで入っていい場所、いけない場所があるから、コース作り大事さに加え、地域の理解が重要と教えていただきました。

要はこれまでのイベントや行事は、準備片付けが大変だったけど、この「フットパス」は、関わる人がすべて楽しい!と理解でき、ますますやることの意味が分かり、田舎ほど効果があるし、住民が元気になると思いました。

そこで、歩いて楽しいコースを再検討するために、美里町フットパス協会の運営委員長を含め、今朝集まった方と実際にコースを歩き、地域の物語り、風景等を見て検証して回る試歩調査を実施します。日程は、下記の通りです。


日 時 2014年2月12日13:30〜16:00
集合場所 宇土市温泉館「あじさいの湯」
宇土市網津町平原(案内板に従って来てください)
参加費 無料(活動保険はありません)
問合せ先 フットパス試歩調査事務局(野口まで)
Tel 09036667682 Eメール noguchi-shuichi@i.softbank.jp

*試歩調査の参加には、必ず事前の申し込みが必要です。活動保険の確認をします。距離は、10km弱ですが充分の準備をして開催したいと思います。ご理解とご参加を願います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:41Comments(0)宇土の出来事

2014年02月06日

【善はやり過ぎると反発を生む?】存在感がある指導者は、あらゆる面で公平を目指す。

【善はやり過ぎると反発を生む?】存在感がある指導者は、あらゆる面で公平を目指す。

松下幸之助著『指導者の条件』の一節に、

「指導者はつねに公平ということを考えなくてはならない。利害とか得失、相手の地位、強弱ということにかかわりなく、何が正しいかというところから、公平に賞すべきものは賞し、罰すべきは罰するということをしなくてはならないと思う。
(以上、本より抜粋)

世の中、一つの出来事に対して様々な意見が出てくる。また、自分の見方も時代が変われば、価値観も変わり、意見も違ってくる。日々懸命にやっている仕事も、評価する指導者が変われば、見方も周りの目も変わるのが常です。

民間企業では、評価が時代に合わせて変わって行くのが常識だが、行政組織では通用しない。これでは、組織の発展は望めない。リーダーとは、日々低調のなる機運をどう高めていけるか、為すことよりも存在そのものが、周りをやる気させることが必要と思います。

日々開く、安岡正篤先哲の教示『安岡正篤一日一言』の2月27日の言葉に、人間の生き方があります。

「人間の第一義」

名高い言葉に、how to do good.(如何に善を為すか)ということよりも、how to be good.(如何に善であるか)ということの方が大事である、というのがありますが、人間の第一義は、何を為すかということではなくて、何であるかということである。
(以上、本より転載)


明治維新の英雄「西郷隆盛」の印象を、坂本龍馬は「大きく叩けば大きく響く、小さく叩けば小さく響く」語ったそうです。西郷隆盛は、自分の職能(役割り)に徹した人という歴史家もいます。西郷は、島津斉彬の御庭番から始まり、幕政改革の諜報活動、さらには江戸開城の官軍総司令官、新政府の副総理役、それぞれの職能に合わせて能力を発揮した。

若い志士たちは、西郷隆盛に3回会うと、その魅力に惹かれて離れなかった、と言われるくらい存在感があった。対抗する相手の悪口(誹謗中傷)を語るより、自分の存在そのもので周りを惹きつける存在になるように、自分を磨くことが先かもしれません。なかなか、このような人物とは、まだ出会うことがありません。私のような凡人には、そんな人物は年を取り振り返った時に気づくのかもしれない。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:09Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年02月04日

敵に学ぶ 〜 自分の競争相手からも学ぶ心構えが大事。

敵に学ぶ 〜 自分の競争相手からも学ぶ心構えが大事。

松下幸之助著『指導者の条件』から引用、

徳川家康は強敵武田信玄に常に苦戦し、苦杯を何度も飲まされた。最後の三方ヶ原の戦いでも敗れ、九死に一生を得ると言った姿に打ち破られた。だが、その後武田信玄が人物が陣中で急死した。それを知った徳川家康は、次のように語った。


敵に学ぶ

「まことに惜しい人を亡くしたものだ。信玄は古今の名将で、自分は若い時からその兵法を見習ってきた。いわば私の師ともいえる。その上、隣国に強敵があれば、政治でも軍事でも、それに負けないようにと心がけるから、自分の国もよくなる。そういう相手がいないと、つい安易に流れ、励むことを怠って弱体化してしまう。だから、敵であっても信玄のような名将の死は、まことに残念であり、少しも喜ぶべきでない」
(以上、『指導者の条件』より)

これを現代風に読み替えれば、「相手の経営のいいところを大いに取り入れてやろう。また、そういう相手と競争していくのは一面大変だが、同時に非常な励みにもなる。結局自分のところの発展にプラスになる」とも言えます。

ライバルこそ自分を向上させるパワーを生むように思います。「発憤なくば成らず」、やはり“なにくそ!”と思う決意こそが、成長させる原点かもしれません。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:37Comments(0)偉人

2014年02月02日

【私憤でなく公憤】人は怒りを持たなければいけない。

【私憤でなく公憤】人は怒りを持たなければいけない。

おはようございます。朝ウォーキングを終えてきました。流石に日曜日、散歩中に通勤の車に会いませんでした。静かな、雨上がりの朝です。

さて、昨夜の文化振興に取り組む市民グループの晩餐の最後で、元俳優の一人と語った時、4年前に宇土市で倉本聰氏の指導受けていた「富良野塾」による演劇が開催された。公演後の交流会で、倉本聰氏に質問をしました。

「先生のエネルギーは、どこから来るのですか」
と。すると少し間を置かれて、
「それは怒りだろう」
と短く答えらた。

これを伝えると、大いに納得しておられました。

松下幸之助氏著書『指導者の条件』に第二次大戦後の西ドイツ首相のアデナウアーが、アメリカのアイゼンハワー大統領に会って、人生について語ったことが紹介されている。

第一、人生というものは七十歳にしてはじめてわかるものである。だから七十歳にならないうちは、本当の人生について語る資格はない。

第二、いくら年をとって老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ。

ここまでは、よく聞く言葉ですが、加えてアデナウアーは、

第三、怒り持たなくてはいけない。

この怒りとは、私事に関する怒り(私憤)ではなく、社会の矛盾や出来事に対する怒り(公憤)を指している。西ドイツは、第二次世界大戦で徹底的に破壊された。そんな占領下でも、アデナウアーは、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立に方針を貫いた。アデナウアーの行動の元となったのは公憤の怒りであったように思う。


倉本聰氏は、今だに富良野に集う演劇青年を指導されています。3月1日夕方からの宇土市民会館での公演には、高齢のため同行されませんが、倉本氏の精神はしっかりと、演劇を目指す青年たちへ伝わっていると思います。『マローズ』は鳥インフルエンザ感染をテーマに取り上げたものです。熊本県内は、宇土市民会館のみの公演です。関心のある方は、ぜひ足をお運びください。

今朝は、昨夜の倉本聰氏の言葉を思い出し、松下幸之助氏の本から、リーダーのなんたるか、年をとっても仕事をすることを学んだ気がします。今日は、午前はキッズサッカーの指導に久々に参加して、午後は昨夜の文化振興グループ主催のサロンコンサートを鑑賞に行く予定です。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:30Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年02月01日

同様の志を持つ友人は、一生の宝物。〜夢との文化考える仲間〜

同様の志を持つ友人は、一生の宝物。〜夢との文化考える仲間〜

宇土市の文化芸術の振興に関わってきた有志と新たな仲間との交流の晩餐が開催され、参加してきました。ここ14年近く縁のある方々と、夕げをともにしたのですが、心豊かになる演出がありました。その演出とは、私利私欲のない社会への奉仕の想いと実践の歴史(協働作業)です。

数年前まで、私の関わる社会活動のさまざまな活動で、参加者の年齢は私がいつも一番下のことが多かったのですが、今日の集まりに40代後半、30代も居て、やっと少し時代が動いていると感じました。

今夜の晩餐は、年齢は関係なく志を持つ友は、日頃は合わなくても、一瞬の会話で昔に戻れる。これが友ではないか、それはさまざまな事業を一緒に実践した仲間が、友達になれるし、続くのではないかと思いました。

今朝の訓示の安岡正篤先哲の教示に「友」という一文があります。今日の仲間との晩餐を表しているようで、皆さんに紹介したくなりました。


(以下、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)

友 〜〜 一生の宝を得る。

世の中にもし友というものないならば、生きぬける人は非常に少ないであろう。世に容れられず、多くの人から無視されても、唯一でも自分を認めてくれる友があったならば、それほど嬉しいことはないであろう。むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。
(以上、本より転載)


地位とか、名誉とか、一時代に光る存在の瞬間には、周りに人が集まりますが、その時代を終えれば、周りの人はいなくなります。その時に周りに居てくれるのが、友達ではないでしょうか。

さて、友とはないか?

>むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。

仕事や役職で繋がっている関係は、みなあなたの机(地位)と付き合っている、と知らされる場面を見てきました。私の社会活動の先生は、職能の縁も大事されますが、社会活動(ボランティア活動)の仲間をとても大事されていました。要は心通じる人(友)を大事する、ということです。

今夜の集まりの年齢差は、40歳をこえています。それでも思いを語り、先輩の経験を学び、若者の夢に刺激される。友とは、自分を成長させる一生の宝なのだと思います。その宝は、一人ひとりの志と思います。同様の志を持つ友人は、一生の宝物。それが、友達と思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:24Comments(0)宇土の出来事

2014年02月01日

【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。

【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。

おはようございます。昨夜は、親友の交わりで、昼前の会話から夜の晩餐の話が急にまとまり、たのしい数時間でした。幼なじみとは良いものです。しかし、日頃はそれぞれに忙しく、3人が一緒に顔を合わせたのは数年ぶりでした。この年になり、色々な役割を務めていることを知り、互いに年を取ったなと思いました。

同じ地域で生まれたご縁で、交友が続いているのですが、同じ地域の者が必ず繋がって行くとは限りません。やはり気の合うこと、お相手を思う気持ちが、縁をつないで行くのだと思います。遠くても、とても心配をしてくださる方もいます。ありがたいことです。

いつも身近にある本『安岡正篤 こころに書き写す言葉』に、


「縁」ーー 先ず「隣人」から始める

人間活動は重要な問題に「縁」というものがある。すべては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかねばならない。
(以上、本より転載)


親子も縁、夫婦も縁、隣人も縁、友人も縁、さまざまな活動で出会う人たちも縁が繋がっている。「縁尋機妙(えんじんきみょう)」良き縁は良き縁につながる教えですが、人の縁は思いだけでなく、何か偶然性(後には必然的)に導かれているように思います。出会い、タイミング、機会、色々な言葉がありますが、「機」についても、安岡正篤先哲の言葉があります。


「機」ーー「勘所」を活かす

機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所(かんどころ)」というもので、そこをはずすと物事が活きてこないという一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍つながる。
(以上、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)


人との縁も、タイミング(機)が人の心をつなぐ演出になるような気がします。昨夜の友人たちとの晩餐は、心豊かにする演出がいくつもありました。隣の宴会にも友人・先輩が居て、これもまた良い「機」でした。機会の妙と思います。

今日は早朝から、来月の「サッカー講演会」の会場予約をしに行くと、地元小学校のハンドボールの試合あってました。午後は、男女共同参画、人権をテーマにフォーラムに参加します。

今日もどんな出会いがあるか、「縁」と「機」を楽  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:57Comments(0)安岡正篤語録意見・異見