2024年05月18日

<知性の徳、意志の徳>正しさとは、他者に対する負い目(恩恵?)を自覚すること。〜トマス・アクアナス〜

<知性の徳、意志の徳>正しさとは、他者に対する負い目(恩恵?)を自覚すること。〜トマス・アクアナス〜

曽野綾子著『中年以後』に末尾に、13世紀イタリアの神学者、哲学者のトマス・アクアナスが唱えた2つの徳について書いていました。

(以下、本より)

 知性の徳には、理解、知識、知恵、思慮分別の四つが区別された。
 一方、意志の徳(道徳的徳)には三つの特徴があった。正しさ、中庸、勇気であった。
 どの一つを取っても、それは中年以後に独壇場と言ってもいいほどの特徴を見せてやって来る。人はまともな生活を続ければ、それなりに自然に、理解も、知識も、知恵も、思慮分別も、年齢と共に増すのである。まともな生活をしなければ、老化が早く来るから、この年月の自然な恵み与えられないことになる。
(以上、『中年以後』より)

曽野綾子さんの言われる"まともな生活"がどのようなものかについて、補足が書かれていますが、意志の徳(道徳的徳)の3つの解説を整理すると、

・正しさとは、

他者に対する負い目を自覚することだという。私たちはさまざまなものを育てられた。親、家族、恩人、先生、郷土、社会、祖国などでしたある。そこから受けた負い目(恩恵?)を支払うのが正しさであるとトマス・アクアナスは規定する。

・中庸とは、

激情を制して、理性に従属させれことである。

・勇気とは

恐怖を制して、理性に従属させることである。

曽野綾子は、自らの体験から次のことを紹介しています。

(以下、転載)

 若いうちに負い目などというものを、少なくとも、私は意識しなかった。私の大学の学費を出してくれたのは伯父であった。その伯父が亡くなってから、何十年も経ってから、やっと私は、それが只事ではない伯父の厚意だと理解するようになった。そしてせめて伯父の息子にそれを返したいと思うようになった。しかしこんなことは、若い時には思いつきもしないことであった。
(以上、本より)

また、曽野綾子さんは、

>徳こそは人間を完全に生かす力になる。

すなわち、「思慮分別は理性ものものを、正しさは意志を、中庸は魂の欲情的部分を、勇気は魂の怒りの感情を、完成させる」のだと。

さらに、

 思えば人間の生涯は、そんな生半可な考えで完成するものではないだろう。時間もかけ、心も労力もかけて、少しずつ完成する。当然のことだが、完成は中年以後にやっと来る。
 早く完成すれば、死ぬまで手持ち無沙汰になってしまう。そんな運命の配慮を、私は中年以後まで全く気がつかなかたのである。
(以上、本より抜粋)

さて、思慮分別の分かる中年とは何歳からでしょうか?

40代、それもと50代、いやいや60代。

今の時代、人生90年とも、100年とも言われますが、そんな長寿の人は少ない。せいぜい80歳前後が健康寿命だと思います。

戦前は、人生50年と言われていた。

すると現代人は、戦前の人たちから見れば、同年代としては、成長が未熟に見えるのかもしれません。

果たして、私に「知性の徳」と「意志の徳(道徳的徳)」は、中年を過ぎようとする今、備わっているのか考えなければ、と朝から思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)偉人故事、名言、訓示、スピーチ