2013年11月27日

不安とは実態のないもの~起こっていないことで悩まない~

不安とは実態のないもの~起こっていないことで悩まない~

おはようございます。曇り空の熊本ですが、気分良く一日過ごしましょう。

気分とは何か?
また不安とは何か?

人間は、悩める動物と言われますが、時代からか「うつ病」も増えているそうだが、うつ病は古い時代からあったそうです。

禅宗の祖・達磨大師が、弟子から聞かれた。
「私の心はいつも不安でいっぱいなんです。どうかこの不安を取り除いてください」
と訴えた、達磨大師が答えました。
「よし、ならば私がその不安とやらを取り除いてあげよう。だからまず、その不安とはらを私の目の前に出してみてくれないか。『これが今抱える不安です』と目の前に並べてくれるなら、必ず私は取り除いてあげる。さあ、出してごらん」
弟子は、ハッとした。
実は、「不安」は実体のないもの。実体のないものに、心が執着している。達磨大師は、「空虚なものにとらわれ悩むことはやめなさい」と教えたのだと思います。

要は、起こっていないことで悩まない。幕末維新の偉人・勝海舟は、「常に現実・現状をベースに考えろ」とを語っている。今の自分しかいないのです。実力も経験も、自分以上にはない。不安よりも、今の自分をベースに夢を描くことが大事と思います。自分に無いものを求めるから、悩むのではないか。

電通4代目社長の吉田秀雄氏は、「計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる」と『電通鬼十則』(電通社訓)で訓示しています。足下を常に確認しつつ、目標を見失わず、目の前の仕事に向き合う。ただ毎日を工夫しながら繰り返して行くことが成長へ導く、と先人が何度も語ってきた。成長は、日常にある。

目線を前へ、人間は一歩一歩、歩み止めず進むしかないと思います。改めて、今日一日気分良く過ごしたいものです。

空が明るくなってきました。午前中は外回り、昼食は地域づくりの先輩と意見を交わす予定です。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:26Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月24日

今日は、少々疲れました。『安岡正篤一日一言』今日の言葉「運を高める」。

今日は、少々疲れました。『安岡正篤一日一言』今日の言葉「運を高める」。

夕方の温泉で、汗だくシャツを脱ぎ、冷えた身体を温めると、力がみなぎる気分になりました。30分ほど温まり、乾いたシャツに着替えて、残り2キロをゆっくり歩き帰宅しました。もちろん、完歩のお酒は、最高でしたが、少しすると睡魔が来て小一時間か仮眠しました。目覚めて足の痛みはまだありますが、気分はいいです。

日々開く『安岡正篤一日一言』の本日の訓示は、「運を高める」でした。要約すると、(以下、抜粋)


運を高める。

人間は深い精神生活を持たなければ、本当の意味の形相・色相は養われない。結局、運というものは相に現れ、相がよくなければ運もよくなる。しかし、運をよくしようと思えば、結局、心を養わなければならない。心を養うということは学問をすることで、したがって、本当の学問をすれば人相もよくなり、運もよくなる。運も相も結局は学問にほかならないにである。学問・修養すれば自ずからよくなる。そこで昔から本当の学識賢者は、相や運の大事なことを知っておるけれども、敢えてそれを説かなかった。(略)


学問・修養とは何か。

一昨日、地域の先輩から、「発想は良いが、実働が無いものは、一文の価値もない」とあった。知略は豊富でも実働(実践+継続)が伴わない活動は、人は
の評価は厳しくなる。

また、昨日の訓示は「晩年」の生き方について書かれている。
(中国古典の)『菜根譚』に「人を看(み)には只、後半截(こうはんせつ)を看よ」という古語を引いているが、誠に人の晩年は一生の総決算期で、その人の真価の定まる時である。(略)
*後半截:後半生に同じ


人の本当の評価は、亡くなった後に始まる。熊本の偉人と私は思っているのだが、前熊本日日新聞名誉会長の故永野光哉氏が、「人の評価は、棺桶の蓋が閉まってから始まる」と語られたことを思い出す。死後語られるのは、晩年の評価だと思います。

今日の50kmウォーキングから話が横道にそれましたが、要は自分を高めるには、知識や経験を積み重ねることが大事ではないか、経験から心が作られるのではないか、今日は歩きながら色々考えました。本来の目的、宇土半島の自然の景観は、素晴らしいと本日また確認でき、昼の書き込みではないですが、県下最高のウォーキング、ランニングコースと、さらに思いを膨らませました。

明日から、数日は朝ウォーキングはお休みです。身体を使った後は、心を養う時間を持ちたいと思います。そろそろ、明日に備えて休みます。みなさんにとって、今日がより良き一日であったこと願います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:58Comments(0)安岡正篤語録私の意見

2013年11月24日

今日の天気は晴れ、宇土半島1周50kmウォークに挑戦します。

今日の天気は晴れ、宇土半島1周50kmウォークに挑戦します。

おはようございます。そとは明るくなりました。今年1月に宇土半島東部の半島部を1周する50kmを一日で回るウォークをやりましたが、本日2度目の挑戦です。前回は、初めてで時間等々も不明でしたが、10時間弱で踏破しました。今回は、2度目なので、時間を調整しながら歩きます。

私の自宅から県道58号線を通り宇土半島の北から南へ峠越えて、宇城市不知火町の松合地区を通り、国道266号線を海岸沿いに西へ向かい、三角町へ向かいます。我が家からJR三角線の三角駅まで約25kmあります。

前回の50kmウォークの時は、三角駅は5時間かからず、三角西港で昼食をとりました。これまで南回り、北回りで、三角駅まで25kmウォークを2度していますが、いずれも約5時間弱でした。今日は、朝7時30分出発で、半島1周し宇土市網津町に在る「あじさい温泉」に17時着を目標に歩きます。温泉で汗を流し、自宅まで2kmをゆっくり歩き帰宅予定です。

本日の予定は、三角駅が12時15分くらい、三角西港が12時半くらいに着き昼食休憩します。帰路の宇土半島北部は、三角戦があるので、もし一緒に歩かれる方はおられれば、駅の到着時間は予測できますので、待っていただけると歩けます。三角駅→住吉駅は21km、赤瀬駅→住吉駅は11km、網田駅→住吉駅は9kmくらいです。挑戦してみませんか。

もし同行したいという方は、私の携帯09036667682まで、ご連絡ください。
これから、準備して出発します。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:06Comments(0)宇土の出来事

2013年11月23日

ブログも良くない。有能な者は行動するが、無能な者は講釈する。

ブログも良くない。有能な者は行動するが、無能な者は講釈する。

おはようございます。朝ウォーキングは、道路に止まった車に霜が降りているのを見ながら歩きました。だいぶ気候は、冬に近づいていることを感じます。

今朝の読書は、『いい言葉はいい男をつくる』という本で、著名者の名言等々を集めたもので、今朝は冒頭言葉に目が止まりまりました。そのページの終わり方を抜粋すると、

「ブログも良くない。
自分で行動したことを紹介するのはいいが、社会批判など、延々と書き続けている連中は、何も生まない。読者もほとんどおらず、完全にマスターベーションになっている。ブログをやっている人で、社会に貢献したいと思うなら、行動したことを書くべきである」

ごもっともと思います。昨日、地域活動の先輩に呼ばれ、小一時間色々な話を聞いた。「とやかく言う前に、行動しろ。そこからしか始まらない」と。要は、自分のテリトリー・職場だけの知識・知恵では限りがある。人との関わり合いをいかに広げるか、それには行動しかない、と訥々と語れる方は、自ら30年以上行動し続けて来られた方で、「発想は良くても、行動しなければ一文の価値もない」と厳しい。

政治活動の看板で「行動する」の文字をよく見ますが、そんな標語を書くより、「まず世の中を歩き回ることが大事」と私の20年の社会活動の先生がよく語っておられた。また「人との縁は、足でか稼げ」とも語って、先生は自ら熊本だけでなく、関東・関西へ出向き、個人的な人のつながり(ネットワーク)を、80才を越えた今でも広げられている。

昨日の地域活動の先輩から「主要な人物をつなぐには、それを仲介する人材も重要」とあり、近年の経験から、納得する出来事を思い出した。私はいろいろな方の思いがつながって、その縁の中で動いていると実感できる言葉でした。

今朝の本には、次の言葉もありました。

「インターネットの普及で、世界的に無能な人間が増えてしまった。ネットの掲示板で語っただけで、満足し、何も行動に移さない。掲示板書くことによって、自分は行動していると勘違いしている」

ご指摘通りと思います。さて、私の行動はなにか?考えると、自分がやってきた中で今も続いているのが、異業種交流会です。友人と2人から始めたネットワークづくり、自分の足で歩き回りつながって出会ったみなさんは、1500名近くになりました。全部とつながっているわけではありませんが、今回の異業種交流会には、九州各県から数名づつですが、熊本へ足を運んでいただきます。ありがたいことです。

今回の講師の重光さんとは、10年ほど前に出会い、色々な集まりで一言二言話するだけの縁でしたが、今回、講師をお願いすることにつながりました。私は、友人知人から誘われた時は、できる限り参加すること、それが私の「行動する」なのかもしれないと、今日の一文を読み振り返りました。

今夜は、熊本県サッカー協会の表彰祝賀会に参加しますが、これも3年前から誘いがあり、毎年参加しています。日中は、久しぶりに予定が無いので、家の周りの草刈りをしないと、正月が越せないと思い、一日畑仕事します。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:43Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月21日

名士は迷士?、「無名有力」が本筋なり!

名士は迷士?、「無名有力」が本筋なり!

夕方の会議まで、少しばかり時間があるので、時間調整に「マック」に寄って居ます。コーヒーと読書タイムです。

店の一番隅に居て、店内で交わされる高校生の会話が、耳に入ってくる。高校生たちは、高校生なりの悩みが有るのか、会話が途切れず続いている。私にもあんな時代があったのかと、遠い昔を思い起こすが、サッカーに明け暮れた記憶しかなく、もっと違う高校生活もあったのもしれないと考えています。

さて今日は、昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲の本を2冊持参していて、休憩時間に開いています。昼食時の『安岡正篤一日一言』と別の本に、次の見出しを見つけ、読み入った。

「名士は迷士」

何となく、こんなことを書いてあるかと推測して読みはじめたが、少しばかり的が外れた。
「名士は名士になるまでが名士であって、名士になるに従って迷士になる」

要約すると、地位が定まれば成長が止まる。自分は、偉くなったと錯覚して、意外と進歩が止まって、根が浮き上がり、倒れてしまう。実業家、政治家、芸術家と言われる名士を見ていると、迷士的の言動を見聞きし、ハッと思うことが多々ある。

安岡正篤先哲は、名声より、地位より、自力を付けることが先で、「人間は、できるだけ無名であらねばならない」と、無名有力になることが、人間成功の秘訣と訓示されている。

ぼちぼち、時間も過ぎたので、会議場所に移動です。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:59Comments(0)安岡正篤語録

2013年11月21日

人の後半生は、いくつからか? 「むすび(産霊)」日本精神の心の素。

人の後半生は、いくつからか? 「むすび(産霊)」日本精神の心の素。

病院へ向かう途中に昼食を取り、休憩時間に日々持ち歩く『安岡正篤一日一言』の本を開き、本日の教示を読んだ。朝のブログではないですが、キャロライン・ケネディ駐日大使は、自分の後半生に日本での仕事を選んだ。外交の世界でどんな事を目指しているかは不明ですが、日米の友好事情に関わる大切な仕事ですし、刺激的な仕事と察します。

人の後半生は、いくつからか?

私が来週金曜日に開催する異業種交流会「四季の会」の素は、37才の時に友人の一言から始まった。以来、その友人は別の世界で活躍をしていますが、その彼も40歳前に大きな転機が来て、決断しました。

私が、異業種交流会を続ける中で、よく相談を受けるのが、男女、結婚するしない、子どもがいるいない問わず、40歳を前にした方々が多かった。流石に、私も50代半ばになり、最近はその世代の方々から相談は少なくなったが、振り返ると人は40歳を前に後半生をどうするか考えるように思います。

今日の安岡正篤先哲教示は、正にそ解答を示している言葉と思い、私のブログをお読みいただいているみなさんへご紹介します。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)


むすび(産霊)

いかに死すべきかということを唯、死を願う消極的な心ではない。いうまでもなく、ある偉大な感激の対象を求めて、それに向かって没我的になって行く。己れを忘れ、あるいは己れを投げうつべきある偉大なる感激の対象を得る生活であります。我々が喜んで、勇んで、己れを空しうし、己れを忘れて没入して行くような、そういう感激の対象を得ることを、大和言葉では「むすび」(産霊)という。日本精神を最も活き活きとつかむため、日本精神の真骨頭を把握するためには、この「むすび」ということを知ることが、根本の問題であります。
(以上、『安岡正篤一日一言』11月21日の教示転載)

私は50代半ばになりました。後半生の限界が見えてくる中、自分を没頭できる生活をどう実践して行くか、「むすび」という日本人の根本を探すことを、常に頭に置き、日々を暮らすことが大事と、安岡正篤先哲の言葉を受け止めました。みなさんにとって「むすび」はどんなことか、そんな語りができるような場に異業種交流会「四季の会」が役目果たせるようになりたいものです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:01Comments(0)安岡正篤語録

2013年11月19日

【教養は現場力】人格的定年?、麻痺沈滞。生活に変化をつける。

【教養は現場力】人格的定年?、麻痺沈滞。生活に変化をつける。

昼食休みに読んだ本に、ハッとさせられた。

本に、職業に就いて、生活が安定し、何か一つエキスパートになって早く楽がしたいと思うのが常です。しかし、非常に早く人間が限定されてしまうと指摘しています。限定されると、それだけ麻痺沈滞してきて、つまらない人間、早く人格的定年を迎えてしまうそうです。

またその本に、あまり楽なコースを真っ直ぐに通っていると、人間の精神が麻痺し惰性的になり、眠い人間になって、駄目になってしまう。よく会議で、うとうとしている人は、だいたい決まっていて、重要な説明だが、あまりにも詳しく説明されると、人間は情報を受け付けず睡魔が襲う。ルーチンワークの会議ほど変化のないことはない。生活に変化ををつけることが必要と思います。

人間としての教養を考え、自分の生活に変化をつけないと駄目になってしまう。⇒「楽なコースを選ばず」

日々の暮らしに変化(重荷の仕事)が入ると、気持ちがキッと締まる気がします。知識だけでは、教養は成長しない。教養には、人と人との人間関係において、存在感を示す現場力が必要な気がします。場面、場面で、関わる人々が、より良い方向へ向かって進むような、言動に努めることが人格者の要素の一つではないかと考えています。

参考資料:安岡正篤著『こころに書き写す言葉』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:33Comments(0)安岡正篤語録

2013年11月19日

【憲法9条】平和願う子供たち、【いじめ問題】協力し合う中学生。

【憲法9条】平和願う子供たち、【いじめ問題】協力し合う中学生。

さて、今朝の熊日新聞の投稿欄、小学生と中学生の文章に目が止まった。

小学生の10才の意見「けん法9条 変えるの反対」の見出しで、思い綴っている。山下清画伯の展示会で、花火の絵を見ているとき、山下清画伯の説明に心惹かれたとあった。山下画伯の「みんなが花火ばかりつくっていたら、戦争なんてなかったのに」の言葉が好きなったとあった。

この生徒は、「戦争はつみのない人々を殺し合うもの、だからぜったいにやってはいけないんじゃないか」と絵を見た後考えるようになったそうだ。世界には、戦争、紛争が絶え間無く続いている。愚かな人間の欲望が、その原因だろうが、変わらぬ状況は、小学生の目にどう写っているだろうか。

この文の末尾は、「私はけん法9条を変えることに反対です。これからもずっといまの平和なくらしがいいからです。みなさんはどう思いますか」で締められています。これは、大人たちへの問いだと思います。

絶えない紛争、国家間の緊張、特に日韓、日中の島の領有権等々で、子どもながらに不安を抱いているのだと思います。国の指導者は、未来を担う子供たちの不安を取り除く努力をして欲しいと願います。


もう一つ記事は、クラスの壁新聞作りの苦労話です。各クラスで新聞をつくりコンテストがあるのだろう。担当になり、どう協力者を集め完成させるか?、悩むばかりで時間が過ぎる。すると一人の男子生徒が絵を描く手伝いを申し出てくれた。素晴らしい出来に、思い切ってクラスの仲間に協力者を呼びかけた。すると、協力が増え、期限ギリギリだったが、どうにか間に合わせることができたとあった。

本人の頑張りはもちろんだが、ひたむきに完成させたい思いが周りへ伝わり、新聞制作班以外も協力してくれたとあった。こんなクラスには”いじめ”ということは起きにくいにではないか。一昨日ニュースで、カナダのネットいじめから自殺に追い込まれた女子高生のことが報道された。陰湿で匿名性の怖さを感じる事件(犯罪)と思います。

最近は、物事を協力して成し遂げる体験が少なくなっていると感じます。社会活動は、様々な人たちの協働で成り立っています。

私の先輩がある大学の講義で、社会について質問した時、ある学生が「私は、社会に世話になっていない」答えたそうだ。お門違いもはなはだしいが、公的な仕組みで、地域の協力で、若い世代は支えられていることを体験することが少なくなっているのかもしれない、と考えた出来事でした。

中学生の壁新聞づくりだが、人と人が協力して何か成し遂げる体験は、後の人生に多いに役に立つと考えます。知識蓄積の学習は確かに重要ですが、社会で生きるため準備に、様々な共同作業、職業体験等は、今後益々重要になると思います。

二つの新聞の投稿を読み、子供達も色々な経験をして、大人になるための準備をしていると教えられました。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:31Comments(0)意見・異見

2013年11月18日

【安岡正篤語録より】日用心法、勝縁をむすぶ。日々の生活の充実を。

【安岡正篤語録より】日用心法、勝縁をむすぶ。日々の生活の充実を。

おはようございます。早く目覚めました。外は曇り空で、朝方雨模様なので、朝ウォーキングはお休みです。

さて、今週・来週は、仕事も活動も、ちょっと踏ん張りどころで、心身ともに充実していなければいけないところです。昨夜から、年に1度は必ず開く本「安岡正篤一日一言」に、次の訓示がありました。

「日用心法」
第一、毎日の飲食は適正にやっているか。
第二、毎晩よく眠れるか。
第三、自分の心身に影響を与えているような悪習慣はないか。
第四、適当な運動をしているか。
第五、日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。
第六、精神的動揺があっても、仕事は平常どおり続け得るか。
第七、毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。
第八、自分は仕事にどれだけ有能か、自分は仕事に適するか。
第九、現在の仕事は自分の生涯の仕事とすることに足りるか。
第十、仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ、自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足は何によって得るか。
第十一、自分が絶えず追求する明確な問題を持っているか。
第十二、自分は人に対して親切か、誠実か。
第十三、自分は人格の向上に資するような教養に努めているか。
第十四、特に何か知識技術を修めているか。
第十五、自分は何か信仰、信念、哲学を持っているか。
(以上、「安岡正篤一日一言」より)

どの言葉も、自分の日常生活を振り返ると、反省する部分が多い。「日用心法」は、現代人にも十分通用する日常生活の指針ともいえる訓示と思います。

「安岡正篤一日一言」は、365日、一日一教訓が書いてあるのですが、「日用心法」の翌日の訓示が「勝縁を結ぶ」です。勝縁とは何か?

(以下、「安岡正篤一日一言」より)

平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物・何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。これを勝縁といい、善縁といいます。
とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸(あくび)をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。うつけ者です。
(以上、転載)

会合で、特に昼食後眠いのはわかるが、ウトウトする人をよく見かける。私も深夜遅かった翌日、眠気が来ることがあるが、二度と聞けない話の時などは、気を引き締め直して聞くようにしています。

これは、日用心法の第七、「毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか?」からも、今日、今の瞬間は二度と戻らない自覚を持つことが必要。ウダウダと、ぼんやりしていては、善い人の善い話を聞き逃すことも多くなる。気配り、注意力は、四方八方に関心のアンテナを立て、自分を向上させる気持ちを日常生活の中でも、気をつけることが大事と思います。

来週末は、異業種交流会「秋の会(望年会)」です。今年の反省点を忘れることなく、望む来年以降に活かせる生き方に努める思いを含め”望年会”と秋の会のサブタイトルをつけています。「安岡正篤一日一言」は、そんな思いにさせる私の大切な一冊です。

まだ外は暗いですが、今日明日は、小雨模様で気温の上がらないようなので、体調をくずさないように気をつけ、与えられた仕事を終えれるようしたいです。みなさんにとっても、充実した一週間になることを願います。

参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤一日一言」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 05:59Comments(0)安岡正篤語録

2013年11月13日

世に中には「三種の友」がいる。(セバスチャン・シャンフォール)

世に中には「三種の友」がいる。(セバスチャン・シャンフォール)

ひんやりした朝の空気の中を、歩くと心身共にリフレッシュした気になります。歩き始めは、寒い!と感じますが、10分も経てば、リズムが出てきて毎日のウォーキングペースになります。今朝は、約7kmを1時間10分、ほぼ目標通りに歩くことができました。

ここ半月、四国行き、韓国訪問、議員研修と、運動不足と仲間との会食で、栄養が日常より多かったので、夕方も歩こうかと考えています。今月下旬には、25km以上を歩くウォークを計画しているので、準備が必要と思っています。

さて、四国行きは一人でしたが、日本女性会議では、社会活動の仲間と語りました。全国龍馬ファンの集いでは、地域づくり仲間と再会しました。

韓国訪問では、男女共同参画社会づくり仲間や、サッカー指導で会う方、県議会議員の知人たちと一緒で、いろいろ語れました。忠清南道が、とても身近に感じることができます。

宇土市議会の総務市民員会の議員研修は、議員6名、市幹部3名、議会事務局1名の10人の団体、丸3日一緒に、研修や視察をするのですが、いろいろ語れ、良き交流の時間とおもいます。

友とは、いろいろな縁でつながっていきます。人生は、人との出会いのれんぞく、ただずっとつながっていくかは、その後の交流次第で、それぞれの志向を確認しつつ、語りながら縁がつながるとおもいます。

論語の冒頭に、「朋遠方より来たるあり、楽しからずや」とありますが、普段はそうそう会う時間がなくても、心が通っていれば数年会わなくても、直ぐうちとけることができます。友とは、不思議なものです。

里中李生著「いい言葉は、いい男をつくる」の一節に冒頭の言葉があった。

「世の中には三種の友がいる。君を慕うとも、君を忘れる友、君を憎む友である」

これはフランスの文学者セバスチャン・シャンフォールの言葉です。昨日ブログではないですが、口は災い素(もと)、と言います。大事な話をできる人は、そう数いません。それは信頼できる友であり、愛する妻や恋人です。

家族は、この世で会った最も信頼できる友と考えると、やはり大切に思うし、心許せる人です。セバスチャン・シャンフォールの一文の末尾に、次の言葉がありました。

「忘れる友も憎む友も不要なように、友達は、厳選していかねばならない」

先人の知恵の一つと思います。逆に自分自身も、周りから評価さて続けていることを忘れてはいけないと自覚します。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月12日

「多逢聖因(たほうしょういん)」、一言・人を誤る。

「多逢聖因(たほうしょういん)」、一言・人を誤る。

人間はできるだけ、いい機会、いい場所、いい人、いい書物、に会うこと努めなければいけない。これを「多逢聖因(たほうしょういん)」といいます。みんなが、そうする努力を続ければ、周りに誠実で志のある方々が集まって来る。そのためには、まず自分を高めることに努めなければいけない。

なんでもない行動に、案外人間の内容やその背景を知ることができると思う。昔から「一言・事を破る、一言・人を誤る」と。ついうっかり言った言葉、ちょっとやった行為がその人間を決定してしまう。自分自身、ハッとすることがある。まだまだ、人間ができていないな、と思います。

今日も打ち合わせで、動き回る日ですが、できるだけ「多逢聖因」を念頭に置き、自分自身を省みながら、対峙する人と誠実に向きあいたいと思います。

一言で、物事が壊れる。口は災いの元ですが、口は仲間を集める声にもなります。

一言、一言を真剣にはきだす。思いを伝えることが大事と思います。  


2013年11月11日

意志の強さ。自分を伸ばす後悔、滅ぼす後悔。

意志の強さ。自分を伸ばす後悔、滅ぼす後悔。

志とは何か、

学問をするには、まず志(目標)を立てることが必要である。しかし、志を立てるにあたっては、外から強制によるものではあってはならない。あくまでも、自分自身の心の中に芽生えた決意が出発点である。やむにやられぬところから生まれる意志に強さが、目標を達成させる。

欲望が人を伸ばすことは確かだが、私利私欲ばかり追いかけると、周りの支援者は離れて行くものです。その時問われるにが「志」が大事ですし、社会の役立っているかも問われます。

ある本に、善と悪との分かれ目に位置する文字が「悔」という文字とありました。立派な君子は悔いることによって善に向かうけれども、つまらぬ小人は悔いて自暴自棄になって悪を後追いしてしまう。

反省点をよく見極め、悪循環を断ち、志を思い起こし、悔いから善に向かうように努めなければならない。特に忙しい時こそ、自分の足下を検証し、自分の立ち位置は確かか確認することが必要と思う。

昔から、「忙しい」と口癖のように語る人がいます。その実態を観察すると、本当に必要な仕事をしているのか?疑問を持つこともある。

意味ある仕事で忙しい人は、十人中の一人か二人で、残りの八人、九人は役に立たない事をやっているだけです。それでいて、本人たちは大事な仕事をやっているつもりで忙しがっているにである。志のある者は、周りの忙しさに振り回されず、本当に必要な、社会に必要な仕事に集中すべきと思います。

忘れていけないのが、やむにやられぬところから生まれる意志を忘れず、目立たず、こつこつと地道に仕事をすることが、目標への近道と先人も訓示している。騒がず、慌てず、苦労を楽しむような仕事が、人を伸ばすものかもしれない。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(0)斉藤一斎「言志四録」

2013年11月08日

途中にして怠れば、前功を失い、未熟に復(もど)る。~安積艮斎(あさかこんさい)~

途中にして怠れば、前功を失い、未熟に復(もど)る。~安積艮斎(あさかこんさい)~

3日間の視察研修も熊本へフライトだけになりました。昨日は、雨に降られましたが、今日は移動が多かったのですが、好天に恵まれ無事に終了できそうです。旅は、自宅まで気を抜いてはいけないと言います。居眠り運転は、自学近くに来てよく起こると言いますので、気をつけたいと思います。

さて、仕事やプロジェクトも、いろいろ押し迫らないと、問題が見えて来ないことがしばしばで、その時の対応力が最後の仕上げに大きく響く。「事は9割を半ばとする」の訓示があるように、最後の詰めが大事になります。

長くかかる事業ほど、気を緩めてはならない。「彼は発想は良いが続かない!」と周りから聞こえるのは、継続する執念も必要。ハーバード・ビジネススクールの講義では、リーダーの条件として、ー「プランナー(立案者)たると同時にアクター(実践者)たれ」と強調するそうです。そして、継続を死守することを訴えていると聞きます。

電通の社訓『鬼十則』の第5条は、「取り組んだら放すな 殺されても放すな 目的完遂までは」とある。『鬼十則』の作成者、電通の4代目社長の吉田秀雄氏の意気込みがうかがえる。

話が飛びましたが、どんな小さな仕事も、隣人との約束も、最後の詰めを忘れてはいけないと思います。ここ3日できなかった地域から依頼されている仕事を、出張先でできる方法で連絡を取り、今日の夕方確認をするように発注先から言われていたので、連絡を取ると、まだ手を付けてない様子。「後1時間で飛行機に乗るので、どうにかメールしてください」と強く要求すると、「どうにかします」と返事があった。

後40分ほど、・・・デザインが上がって送ってくれることを願うばかりです。私自身の仕事の詰めも成就するか、貴重な時間なりました。諦めず、要求することも大事だなと学びました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:22Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月06日

「得る」よりも「手放す」ことが先、その後に入るのは「豊かさ」

「得る」よりも「手放す」ことが先、その後に入るのは「豊かさ」

今朝のラジオで、アメリカ社会のスマホ依存問題。昨夜、夕方から予防注射をしてくれるクリニックの映像がテレビで流れた。皆がスマホに見入って、指を動かしている。日本の状況も似たようなものだと思います。

最近、アメリカでは、スマホ、タブレットをホテルの事務所に預け、ネット環境から離れた休暇を過ごすことが広がっているそうだ。人との縁は、しょっちゅう密に交流すると、かえって続かないと先人も語っている「君子淡交」が、長く続くコツだそうです。
昨日の禅の解説本「禅 シンプル生活のすすめ」に、冒頭の言葉があった。本によると、

「私たちは、物事がうまくいかないとき、何かが足りない、と思ってしまいがちです。でも、今の状況を変えたいなら、何かを“得る“よりもまず“手放す“ことが先、禅生活の基本」

執着を捨てる。思い込みを捨てる。持ち物をへらす。シンプルに生きるとは、心や荷物を捨てること、とあった。

しかし、人間便利さを捨てることは、なかなか難しい。人との別れがつらいように、ときに痛みを伴う。全生活は、まず手放すことから始めてくださいとある。

手放した瞬間に入って来るものがある、それは「豊かさ」と解説している。

スマホ依存、人とは常に繋がっていることばかりが良いとは思わない。子供の時、親の干渉は嫌だったように、そもそも人間は自由が好きと思う。寂しさは、自己の確立の相反する行為とも言われます。まず自己を磨くこと、自分を高めること、人はそういう人には近づきたくなる。

魅力とは、惹きつける香りがするそうだ。自分の目指す人物に近づくため、欲張らず、不要な欲、貴重と思っている荷物を手放し、身軽になり、自己を磨くことが大事なのかもしれません。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:22Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月05日

脱いだ靴を整える。自分の足元がみえているか?

脱いだ靴を整える。自分の足元がみえているか?

今朝は、ウォーキングで冷えた空気で身が引き締まる思いをした。ラジオでも年賀状、来年の話も聞ける時期にいなった。月日の過ぎる速さに、振り回されてしまいます。ウォーキングから帰り、年に一度は持ち歩く禅の解説本に、冒頭の言葉があった。

心の乱れは足元に表れる。

本に、禅には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。その意味は、自分の足元をよく見なさいということ、自分の足元が見えていない人は、自分自身が見えていない。ひいては、人生の行く先も見えていない、とあった。

まだ小学校に通っていた時、「脱いだら揃えて」文字が下駄箱に書いてあった。家に帰ったら脱いだら靴を揃える。三秒もあれば十分できる習慣です。しかし、こうした習慣を身につけるとで、不思議と生活全てがきりっとしたものになる。生き方が美しくなる。

このページの最後に、「靴を揃えるのは、次に踏み出す一歩のためでもあるのです」とあった。

脱いだ靴を揃える。すると生き方が美しくなる。

朝から読んで、心洗われる気分になった。

ヒンヤリした空気の中のウォーキング、朝読書で心も気分一新して、連休明けの一日を元気に過ごしたいと思います。

︎参考資料:枡野俊明著『禅 シンプル生活のすすめ』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:44Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2013年11月03日

(秋の三連休)山ごもりできない人は、「市中の山ごもり」のすすめ。

(秋の三連休)山ごもりできない人は、「市中の山ごもり」のすすめ。

おはようございます。今朝は、小雨の天気で朝ウォーキングはお休みです。

今朝は、ひとりゆっくりと新聞を読み、読書にふけっています。日々の慌ただしさから逃れ、山の別荘や、孤島の海の家等で一人過ごすことは、理想と古来から日本人はこのんで来た。

山の中に一人こも(籠)る「山中の山居」。鴨長明は『方丈記』で、「山中の山居」と言ったようです。禅僧もそこが理想の修行場所だと考えた。しかし、一般人は、なかなかむずかしい。山ごもりどころか、家に居場所もないのが現実です。

そこで千利休は、「市中の山居(山ごもり)」を提案した。それが、茶室だったのではないか。だから、茶室は母屋から少し離れている。安岡正篤先哲は、早起きして一人の時間を持つことを唱えておられた。これもまた「市中の山居」の環境をつくる工夫と思います。

私は、早朝目覚めると一人寝所で新聞に目を通す。今朝は、雨なので枕元にいつも置く本に目を通したり、タブレットで時事の情報を検索する。時代は変われど、一人の時間を持つ意味はあると思います。

今日は、午前は熊本キッズサッカー協議会主催の大会にスタッフで参加し、午後は来月に韓国の忠清南道から来熊される女性団体受け入れ時の歓迎交流会の準備会議です。

秋の三連休、昨日の宇土半島は、天草観光から帰る車で、夕方は車が連なっていました。連休中日、皆さんが良い休暇を過ごされることを願います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:57Comments(0)私の意見

2013年11月02日

宇土市文化協会50周年記念の式典に参加しています。



宇土市文化協会50周年記念の式典に参加しています。

1963年に誕生した宇土市の文化協会の活動を振り返るに、宇土市は江戸期より細川支藩の城下町として栄え、産業や商業が盛んで、文化活動も盛んで、様々な文化芸術の人材を排出してきた。

本日は、宇土市長、宇土市議会議長をはじめ、宇土市の多くの役職が参列され、厳粛な中に温かな雰囲気の式典が、行われています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:26Comments(0)宇土の出来事