2014年01月31日

【都会化する宇土】都会の祭は、人間関係をつなぐために必要な方法

【都会化する宇土】都会の祭は、人間関係をつなぐために必要な方法

昨日、地元の町部の古い住宅地区を、地域活動で回った。その地域の先輩と語る中で、地域への協力が全くない家族が何軒かあることが分かった。私の住む地域(田舎)では、そういう非協力的なことはあまりないが、現実にあるのかと知った。「隣の人は、何をする人か分からない」が都会生活と思うが、こんな地方都市でもあるのですね。

曽野綾子著『仮の宿』に次の一文があります。

「他人が自分の思い通りになることを誰もがすでに絶望している場所が町、或いは都会というものです。そして絶望したかたからと言って、社会はそれほど悪くもなりません。私はその絶望こそ人間的だという気がします。人間一人一人の生活の背後には、他人のうかがい知れない事情があると思うこと、その孤立感こそ、人間を鍛える面もあるのです」(『仮の宿』より)

都会(街)は自由な大海、広大な砂漠。一人で気儘(きまま)に旅することも可能なら、こっそりとどこかへ逃げ出したり隠れたりすることもできる。勇者にも卑怯者にも都合がいい、とも言えます。

また、少人数で暮らす田舎も、車社会になり、職場も遠くなり、地域と関わりが減り、密な関係がだんだん薄れているように感じます。情報伝達が多様化し、他人と顔を合わせなくても良くなっている現代は、ますます他人を理解することが難しくなっていて、引きこもり、孤立化も広がって、田舎も多様化しています。

これからの地域づくりは、薄れ続ける地域社会の関係を、常に心ある人たちが関係改善を続けるしか維持できないのかもしれません。

先週、議員研修で宇土市を訪問していただいた岸和田市には「だんじり祭」がありますが、あの熱い市民の祭を見て、都会の祭は人間関係をつなぐために必要な方法の一つではないか、と思えてきます。

今日は、午後に建築の打ち合わせがあり、地域活動から頭を切り替えて、一日過ごしたいと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:55Comments(0)私の意見宇土の出来事

2014年01月30日

【新学問のすゝめ】立国のあらん限り、遠く思えば人類のあらん限り。~福沢諭吉~

【新学問のすゝめ】立国のあらん限り、遠く思えば人類のあらん限り。~福沢諭吉~

来月13日、福沢諭吉曽孫で、岩崎弥太郎の曽孫が、熊本へ来られます。と言っても、御歳88才の環境活動家です。この方は、自分の系譜を一度も誇ったことがなく、自慢するのは「毎日腕立て伏せ2000回を24年以上続けている」と。私は、怪物と思っているが、本人はいたって普通の顔をされています。

実は、その曽孫の木内孝氏は、曾祖父の福沢諭吉先生の『学問のすゝめ』に異論を唱え、『新学問のすゝめ』を出版した。「この人すごい」とその時思った。出会って、既に5年が過ぎていました。

そこで、元の『学問のすゝめ』とは、何を世に訴えたか?

関厚生著『一日一名言』の本に、その解説があった。以下、本文中の一ページ、福沢諭吉の命日「2月3日の言葉」に次の言葉があった。

(以下、本より転載)

『学問のすゝめ』には「一心独立して一国独立をなす』と記されている。

・・、興味深いことに、福沢にとって「独立」と「私立」とは同義であった。『学問のすゝめ』にはこんな一文もある。「文明の事を行う者は私立(独立)の人民にして、その文明を護する者は政府なり」。
(以上、『一日一名言』より)

学問は何のためにやるか?

福沢諭吉は、「自主独立(私立)の実践が、日本社会を隆盛へ導く」と提唱した。ところが、時代が明治、大正、昭和、平成となり、福沢諭吉の曽孫が異論を唱えた。『新学問のすゝめ』・・・、先祖へ異論を唱えるとんでもない子孫が、実は権力者へも平然と意見を述べる自由人の木内孝氏でした。

木内孝氏は、ただのクレーマーではありません。日本を代表する民間の経済人で、イギリス下院や世界の経済政策を議論する「プラハ会議」の日本代表も務める方です。父は、戦後3人の総理大臣の経済顧問を務めた故木内信胤氏です。

2月13日19時~、木内孝氏を囲む「車座談義会」を開催します。会場は、熊本市の国際交流会館会議室、参加費は「講話+討論会+交流会」で5000円。参加人数は、30名限定です。(会議室の限界より)

たくさんの参加をお待ちしています。現在、参加申し込み者は、16名になっています。早めに、私(野口)まで申し込みください。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:28Comments(0)リーダーの名言

2014年01月29日

【トップは太陽の存在】相手の挑発に乗らず、徹底して謙虚に動く活動が大事

【トップは太陽の存在】相手の挑発に乗らず、徹底して謙虚に動く活動が大事

またNHKのトップの失言で、社会へ謝罪の失態?
自論と持論、なかなか難しいですね。

>NHKの籾井勝人会長は28日、従軍慰安婦などに関する自らの発言に関して「視聴者の皆さんに誤解を招いてしまったことは大変申し訳ない」などと謝罪する文書を、社内ネットワークを通じNHKの全職員に送付した。
(以上、Yahooニュースより)

中国古典の『孟子』の教えの中に、トップの存在(日常的な活動)についてある。現代語に読み替えると、「トップは太陽ような存在で、国民は知らず知らずに恩恵を受ける。しかし、いざ国が困難に陥った時は、国民は率先して命を惜しまず苦役を行う」という表現の解説書があった。

また、中国古典の『大学』に「三綱領」の訓示があります。
一、明徳を明らかにする。
一、民を新たにする。
一、至善に止まる。

(解説)
大学に入って何を学ぶか。
第一は、自分が生まれつき持っているすばらしい徳を発現すること。
第二は、自分の一個の修養だけにとどまらず、それを人にも及ぼして、それぞれの徳を発現するように導くこと。
第三は、上記二つのことが到達した最高の状態を、常に維持するように務めること。
(三つが)最高の状態を自覚することができれば、自ずから志が定まる。志が定まれば、心が静まって、何事にも動揺しなくなる。・・・・
(以上、守屋洋訳著『修己知人の学「大学」を読む』から抜粋)

リーダー(トップ)は、「三綱領」の実践をしているか?

地域間の競争(論争)、地域内の競争では、相手の揚げ足を取ることがよく行われるが、意外に市民は冷静にその論争を見ている。地域の舵取りを誰に任せるか、闘いには、誹謗中傷、泣き落とし、いろいろ手法はあるようだが、市民全員をこの方法で回るには、多分一生分の時間を要する。

特に短期決戦の選挙のような活動では、一瞬の宣伝効果はあるかもしれないが、実績を持つ当事者が、騒がず、地道に実績をコツコツと説明して回れば、中傷(負の宣伝)は、正論側が必ず最後は大逆転を生む。これは、歴史が証明している。ただし、これでもか、これでもか、と有志が集まり地道な広報活動を続けなればいけない。

論争(競争)は、まず先手必勝、次は「三綱領」の第二、自分の実践が周りにも伝染するような徳(志)を伝えることを続けることが、最大の防御であり攻撃になります。とにかく、相手の挑発に乗らず、“徹底して謙虚に動く”活動が大事と思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 20:00Comments(0)孔子の教え

2014年01月28日

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

ここ数日、非日常の活動を見る中で、多くのことを学びますが、これは一種の私の試練と思っています。日々変わる予定、関わる方との示唆のある会話に、たくさんの気づきがあります。試練についての好きな言葉があります。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「何がどうあろうとも、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるといことは真実なのである」(『心に迫るパウロの言葉』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人は試練が強める。特に周りの理不尽な圧力は、誠心誠意な生き方をしている人を鍛える。私利私欲は、目標を惑わす。中国古典の『老子』は、無欲な生き方の見本なようなイメージですが、実はすべてを分かっていて、所有しない生き方を望んだのかもしれません。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

何より良かったのは、私たちが失うのを恐れねばならない何ものも持っていなかったということです。人間は所有しない時に、魂の健康さを取り戻します。(『時の止まった赤ん坊』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人間、あまり持たない方が健全なのかもしれない。地位、名誉、資産、等々・・・、この世の生業の末は、晩年どう生きるか。損得、有り無し、上下、いろいろ対比はあるが、生業でもっとも重要なのは、損得の分析と思います。曽野綾子さんの哲学的発想から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「この世」は、得をする可能性もあり、損を知る可能性もあるところなのである。それらの相反する可能性を承認しなければ、現実問題として生きて行けないのだから、損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない」(『ほんとうの話』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


悔しく、理不尽な行為を受けることが多々あるが、年功序列の世界がまだまだ残る現実(慣習)が、田舎にはまだまだ残る。

>損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない。

理不尽な行為を受けた時、怒るのではなく、地道な実績を残すことができるか? 期日あり、短気な活動で、真実をいかに早く着実に伝えるかは、それまでの地道な日々実践が続けられて来たかで、評価が変わるように思う。

地域活動の先輩から、「活動は、『宣伝』ではなく『伝染』するような姿勢が必要」と幾度も訓示されています。人の心に、こちらの考えが、伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要と思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:23Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年01月27日

朝刊の川柳から、「田舎にはアベノミクスは届かない」、他。

朝刊の川柳から、「田舎にはアベノミクスは届かない」、他。

今朝は晴天でしたが、先週ほどの冷え込みではなく、気分良く歩けました。毎朝、市場に出かける近所の店の親父さんに、「おはようございます」と挨拶を交わしました。寒い中、市場の競りに出かける日課に頭が下がります。

朝刊の文芸欄、今日の川柳から、

「托鉢の僧の背中に手を合わす」

「赤ちゃんの拳の中に夢がある」

「田舎にはアベノミクスは届かない」

「答えないど無いから暮らし面白い」

なかなか、世を見ての言葉には、納得の一句です。昨日の午後は、友人のお袋さんの葬儀でした。心から手を合わせる参列者に、亡くなった方の人柄が出るのだと思います。

未来が無限の赤ちゃんの手、何を掴むのでしょうか。

今朝のラジオで、春闘が始まると報じていたが、田舎には春闘なる交渉はありません。やはり、アベノミクスは都会の話です。

日々の暮らし、あまり変化は無いようですが、実は毎日違うのです。朝の散歩も、毎日同じコースを歩くけど、実は季節は変わり、出会い人も微妙に違う。そんな変化に気づけるようになりたいものです。

昨日は、大阪女子マラソン、熊本では都市対抗女子駅伝、などなど、各地で健康マラソンや駅伝大会が開かれている。今日の川柳に、次の一句があった。

「アナウンサー走る仕事が増えている」

来月は、熊本市の「お城マラソン」がありますが、アナウンサーも走りながらのレポートがある、テレビもネット配信が始まり、一般の人も走りながら情報発信する時代になった。アナウンサーもおちおちスタジオから、放送するのは時代遅れなのかもしれません。

今日は、とりとめのない話題ですが、日々の暮らしの小さな季節の変化に気づくような、心のゆとりを持ちたいと思います。これから、汗を流して1週間のスタートです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:06Comments(0)私の意見

2014年01月26日

【四耐の教示】強そうに見えても、暴力的な(騒ぐ)人はみな弱い? ・・・

【四耐の教示】強そうに見えても、暴力的な(騒ぐ)人はみな弱い? ・・・

テレビドラマ「北の国から」で、父は吹雪に見舞われ動けなくなった身体で、知恵の限りを使い生き延びようとする姿が、記憶に残っています。

私は、東日本大震災のボランティア活動で、現地を訪問した時、福島県相馬市から国道6号線を北上し、岩手県陸前高田市まで訪問し、いろいろ語る中で瀕死の状況を諦めず生きようと、身体はもちろんだが知恵を使い生き延びた話をたくさん聞きました。強い人とは、エネルギッシュ人物だけでないと知らされました。人間は、見た目ではない。

作家の曽野綾子さんの語録を集めた本『失敗という人生はない』に、次のような一節があります。

(以下、転載)

強そうに見えても、暴力的な人はみな弱い。そして、弱い性格というのは、多分一生治らない。(ほんとうの話)


いろいろな集まり・会合に参加すると、とかく目立つ人がいます。あるいは、催しものの準備で常に企画の中心にいて指示(存在感)するように振る舞っているが、いざ問題が起きて、揉め事が起きると姿が見えない?、・・・、点数取りの姿は、事が起きた時が人間性が分かります。

また事業の成果は、そう簡単に出るものではありません。特に人材育成が、まちづくりの根本にあると思っています。加えて、活動の持続力には、批判に耐え、多忙に耐え、問題が起きれば立場を外され、冷たい視線にさらされても諦めない強さが必要です。前の曽野綾子さんの『失敗という人生はない』に別の言葉がありました。

(以下、転載)

人間は、それぞれに自分をあらわす方法を持っている筈(はず)である。地道に、長く一生をかけて・・・。正しいと思うことは決して人に譲らず、密かに戦って死ねる人は、本当に強いのである。自分と反対の立場をとる人を許せないのは弱者である。(あとは野となれ)


よく見ますが、自分のやり方と違う方法を別人が提案すると疑問を唱える人がいる。この状況を、周りは一度目は受け入れるが、2度、3度、4度となると、白けた空気になる。すると人心は、サッと離れる。騒動をする人ほど、実は困難に弱いのでは? と学びました。 中国古典の「四耐」の教示があります。

「 冷に耐え、苦に耐え、煩(ハン)に耐え、閑に耐う」
*(解説)煩:多忙、苦労。
 
強さとは、見栄ではなく地道な実行しかないと思います。

*参考資料:曽野綾子編著『失敗という人生はない〜真実についての528の断章』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:23Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年01月24日

【日々の活動】一途に自分の真心を尽くす。悠々と生きる・・・

【日々の活動】一途に自分の真心を尽くす。悠々と生きる・・・

ここ2日、地域の先輩方と地元回りをやっている。3週間前から準備をして、地域の主だった方々と相談し、やっとの思いで予定が決まった。1軒、1軒回ると地域の思いが伝わって来る。心の底から「ありがたい!」の気持ちになり、やって来たことが間違っていないと確認でき力が湧きます。

今日の体験から思い出した禅の言葉「一燈照隅 万燈照国」の教えがあります。まちづくりは、地域の先輩方の献身的な活動に支えられている、と今日の体験からも充分すぎるほど理解できます。明日は雨の予定ですが、日程は早いが良い、と地域を回っていただきます。

「一燈照隅 万燈照国」のわかりやすい現代人への解説があります。
(以下、転載すると)


「一途に自分の真心を尽くす」

人が振り向こうが、振り向くまいがそれは問題ではない。ただ一途に自分の真心を尽くす。そうすると、そんな一隅を照らす行為に励まされた人が、私も一隅を照らすような行為をしようと決意されて、いつしか輪は広がって行くものだ。
(以上、安岡正篤著『こころに書き写す言葉』より)


要は、人の評価などかまわない、自分の心からやりたい活動をやり続ける。それしか、私の生きた証は子供達にも、私の活動の理解者にも伝わらない。私は少なくともないと思うが、もし計算高い活動を一度でもやったならば、人の心は離れると思います。

これを実現するには、自分に縁ある方々への配慮をできるゆとりが大事と思います。私にような実力も無く、実績のない人間が、地域の先輩方と縁ができたのは、諸先輩の呼びかけにあると思います。「ゆとりを持て、特にこちらから約束した出会いの場の後に、別の約束をしてはいけない」と、来月熊本へ来られる講師から、訓示されています。これこそ、約束の「余裕」と思います。

勝海舟の座右の銘「六中観」の一説に、“忙中閑あり”があります。どんなに忙しくても「暇(閑)」を作れる余裕を持つことが、事を失敗しない、成功させるコツと教えています。同じく『こころに書き写す言葉』の一節(教示)があります。

(以下、転載)

余裕〜悠々と生きる〜

本当のことをする人ほど、物に拘ってはならなぬ。どこかに閑日月(かんにちげつ)、いわゆる余裕というものがなければならない。
一、早起き、静座、梅干茶を服す。
一、家人に対し、温言和容を失わず。
一、養心の書を読み、養生の道に学ぶ。
一、老荘の良友に交わり、内外の時勢に通ず。
一、凡ての宿滞(体の中に物がたまった状態、心のわだかまり)を除き、陰徳を養う。
なんでもないようでむつかしく、むつかしいようでなんでもない。
(以上、『心に書き写す言葉』より)

上記の5つの訓示に照らして、自分を検証すると、

一、早起きはいいが、静座(ブログ書き込み)、梅茶は無し。
一、家人は妻のみ、仕事も違うので会話も少ない。反省!
一、愛読書を繰り返し読む、先輩の言動に関心をもつ。
一、来月13日、人生の先導者を熊本へ招き講演会開催。
一、騒がず、誇示せず、できることを続ける。地味な人生が似合っているようです。

まだまだ、安岡正篤先哲の訓示(道)には、まだまだほど遠いですが、自分のできることを無理せずに、自分のやり方で続けてたいと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:34Comments(0)リーダーの名言安岡正篤語録

2014年01月18日

【近代産業遺産】地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。

【近代産業遺産】地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。

おはようございます。今朝も冷え込んでいます。北海道の陸別町では、−20℃以下の冷え込みが続いているとか、人は強いなと思います。過酷な環境でも、人は支え合い事を成し遂げて来ました。

今朝の熊本日日新聞の1面のコラム「新生面」に、30年前の三井三池炭鉱有明鉱(福岡県みやま市)の坑内火災事故が発生し、逃げ遅れた従業員を一酸化炭素が襲い、83人の犠牲者を出した。戦後の炭鉱事故で4番目の惨事となったと書かれていた。今日の記事を書いた記者が、事故の2年後、その事故現場に入ったそうだ。地下深く有明海の海の下深い採掘現場は、サウナのような蒸し暑さだった、とある。

石炭は、日本の戦後復興のエネルギーを支えた。日本の近代産業遺産に、九州の三井三池炭鉱万田鉱が入っている。過酷な採掘現場では、何度も事故が発生し、多くの犠牲者を出した。一昨年、大牟田の炭鉱記念館を訪ねた時、採掘現場が再現されていたが、その光景は、命がけの仕事だと思いました。

時々、地元地域を回ると、会えば話し込む古老の男性と再開する。以前大牟田の炭鉱で働いた経験を持つ方で、話を聞くと「家族を養うため炭鉱で働いた。あそこは地獄ようなところだった。ただ必死だった」と。コラムの末尾に、映像ジャーナリストの熊谷博子さんの言葉が紹介されていた。

(以下、転載)

映像ジャーナリストの熊谷博子さんが、「炭鉱は文化を生み出した」と。そこには喜びと悲しみと、濃密な人のつながりがあった。それに比べて「原発は文化を生み出さなかった」。まさに至言。
(以上、1月18日の熊日朝刊より)

つい30年前、日本にも炭鉱があった。若い世代は、石炭生産で、世界のトップにあった日本の時代を知らない。昨日、7月に開催する九州龍馬社中の集まりで、坂本龍馬、横井小楠、吉田松陰、宮部鼎蔵、等々の顕彰をする催しの打ち合わせをした。

私の経験ですが、熊本県上益城郡山都町馬見原地区で、明治の西南戦争についての歴史検証で、熊本での戦いに敗れた西郷隆盛が、敗走する状況を見た祖母から聞いた92才のお寺の老坊守(婦人)の話を聞きました。直接見た人から聞いた話は、とても臨場感があった。明治はそんなに遠くない、と思いました。

学校で学ぶ歴史は、大都会や歴史の主だった出来事ばかりです。学校教育に、地域の歴史を学ぶ時間を持つと、地域に関心を持ち、古老の話を聞くと郷土への想いが育つと思います。今日の炭鉱事故の歴史もそうですが、地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:54Comments(0)私の意見

2014年01月17日

幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている。〜曽野綾子〜

幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている。〜曽野綾子〜

人は、学んで習得すのではなく感化されることの方が影響は大きい。ここ数日、私を市議へ促した先輩と毎日会う用事があり、日々先輩の言動にリーダーのあるべき姿を学んでいます。その先輩は、長く政治の世界に関わって来た方で、地域の人脈凄さと、一人ひとりへ注がれる心づかいには、脱帽の域をはるかに超えるものがあります。人を感化するとは、こういうことではないか、と感じています。

私は、作家の曽野綾子さんの小説は読まないのですが、特徴ある文節を集めた本はよく目を通します。その一冊『失敗という人生はない 〜真実についての528の断章』の一文です。

(以下、転載)

主体性は、生ぬるい環境では完成しない。他人と激しくぶつかり、日本風に言うと切磋琢磨され、時にはその主体性のため生命の危険さえも選ぶかどうかの岐路に立たされて、社会はこんなにも不法なものであったかという現実に暗たんとし、自分の意見や物の考えなどというものがほんの身近なものさえ理解されない場合も多いという過酷さと孤独に耐えて、初めてできものなのである。
(以上、『失敗と人生はない』より)

中国古典の『孟子』一節を、曽野綾子さんもご存知だったかは不明ですが、下記の訓示があります。

「孟子曰く、人の徳慧術知(とくけいじゅっち)ある者は、恒(つね)に疢疾(ちんしつ)に存す。獨(ひと)り、孤臣蘖子(こしんげっし)のみ其の心を操(と)るや危(おそれつつし)み、其の患(うれえ)を慮るや深し。故に達(あら)わる」

(現代風に訳すと・・・)

孟子がいわれた。「およそ徳行・技術・才智に秀れた人は、おおむね非常な災患の中にあって〔発奮して努力するので〕、その才能が磨かれたからである。さればこそ、主君から遠ざけられた家臣や親に愛されない妾腹(しょうふく)の子などは、〔つねに不遇の境遇にあるので〕心を引きしめて畏れ慎しみ、災患を深く心配して努力するので、自然に智徳がすすみ、後には必ずその名が世に顕れるのである」
(以上、『孟子』の解説書より)

人知れずに苦しい体験をし、悔しさを感じ、どん底にある境遇をどうにかしたい。その発奮こそ、人間を成長させると思います。政治は、地域のの要望に優先順位をつける仕事に言われます。人々の支持がなければ、その良識が発揮できない。2代目、3代目のリーダーには、創業者の苦労はなかなか理解できない。何の仕事も人に支えられてできることをつい忘れてしまう。

いかに支えていただける人間になるか、自分の実力を常に謙虚に分析し、縁ある方々に指導いただき、すこしづつ人間力を高めることを続けることが大事と思います。曽野綾子さんの『真実についての528の断章』の一文に、

「幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている」

とあった。「幸福=周りの支持と応援」ではないか、人動かす前に自分が動く(能力)からしか、物事は始まらないようです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:16Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2014年01月15日

本当の生活、本当の仕事、本当の正しさの実践。利口・小才は逆効果。

本当の生活、本当の仕事、本当の正しさの実践。利口・小才は逆効果。

おはようございます。今朝は、全国的に冷え込んでいます。登校する小学生は、寒いだろうなと思いますが、以外に子供たちは歩く登校は当たり前と、黙々と列を連ねて歩きます。大人の方が、以外に人間性が出るものです。

・人間性は日々の言動に現れる
ここ数日、先輩方の地域づくりの会議に参加することがあるのですが、それぞれに多様な経験から出る言葉には、人間観察力の鋭さを学ばせてもらいます。また昨日は、久しぶりに地域を回ってみて、それぞれの地域に存在感のある方が居るなと実感します。

人間性は、日々のちょっとした挨拶やしぐさ、立ち居振る舞いにも出るものです。その人の日々の言動から、「何に関心があり、何を目的にしているのか」、案外人間の内容やその背景を知ることがでるものです。

私の少ない経験からですが、20年の社会活動を振り返ると、大層偉そうで大げさなことを言う人は当てにならない。こんな人ほど、家中や友達との付合いになると、とんでもない愚鈍なことを平気でやっていたりする。いざ何か事を共にしようとする時は、人間性を踏まえて協働することも大事と思います。

・「多読+日々の文」の継続
私の日々のネット上での書き込みは、2002年6月のメールマガジン発信からですが、来月熊本へ来られる木内孝氏に、「講演聴講後に、印象に残るコメントを語れるようになるには、何をしたら良いでしょうか」と尋ねると、「毎日本を読み、書きなさい。私の父は、当時日本一文章を書いた人だが、短いコメントの方が印象に残っている」と教えられました。以来「多読+日々の文」を続けてきました。

初めの方の会議で存在感のある方は、あまり語られない。年に数度、様々な活動でお会いしますが、時折語られるコメントが印象に残る。多様な経験と読書の積み重ねから出る言葉だから、心に残るのだと思います。

・利口・小才の言動は逆効果
本当の生活を築き上げよう、本当の仕事をしようと思ったら、決してあまり利口になったり小才を効かせずに、ゆったりとした気持ちで、少し人から馬鹿と思われてもかまわない、あまり騒がず、静かにこつこつと努力を続けるしかないと思う。要は、目先の目的のために、利口・小才の言動は逆効果になることも多い。

今日は、昨夜の会議に関わる地域活動と、今後の新たな活動の準備、指示されたことをこつこつと進めて行くしか、自分の成長はないと思います。今日も寒いですが、与えられたいくつかの仕事を着実にやり遂げたいと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)私の意見

2014年01月14日

【今日の訓示】「進歩の源泉」「人間の五悪」、他。

【今日の訓示】「進歩の源泉」「人間の五悪」、他。

昨日の寒さとは違って、少しやわたいだ気がします。しかし、北国が寒波が厳しいようで、特に北海道は-20℃以下のところあると、ラジオが知らせていました。冬本番は、これからですね。

さて、風呂が溜まる間のいつも読書は、年初から読む安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤一日一言』ですが、3月2日の訓示は、人間の感受性について書かれています。

(以下、転載)

進歩の源泉

人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、すべてがインスピレーションとか感動から始まる。ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

今朝の散歩ですが、日々歩く同じ道でもいろいろ気づくことがあります。寒暖の差もそうですが、空の状況、今朝は星は輝きの強いものしか見えませんが、逆に街灯の状態に目が行きます。これは長持ちしない、これは電球を替えたばかりとか、天候により待ちの風景も変わってくる。不思議な気がします。

今日は、安岡正篤語録の日本の女性気質についての訓示があった。これは江戸期の武家社会の訓示ではあるが、これを読まれると、女性から厳しい批判を受けそうですが、社会の状況を見て、この訓示を逆に利用して男性社会をコントロールして欲しいと願います。

(以下、抜粋)

女人五悪

女人に五悪というものがある。

第一、「平素人と争競せず」。武家社会で婦人に社交を戒めたことは深い意味がある。とかく無教養な婦人ほど社交に出ると他人と比較競争したがるからだ。人との争い競わぬというのは男女を問わず大切な徳である。

第二、「苦難中怨言(えんげん)無し」。苦しみ悩みの中にあって怨み言を言わない。

第三、「飲食を節す」。これは美徳だ。

第四、「事を聞いて驚喜せず」。激情を露わにせずに、しっとり落ち着いているのがよい。

第五、「よく尊敬す」。何事によらず尊敬することを知るというのは貴い徳だ。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

これは、女人の訓示ではあるが、男性も忘れてならない生き方を表しています。
何かにつけいざこざの多い人。
自分の境遇を、周りのせいにする人。
暴飲暴食がひどく、よく体調を壊す人。
様々な出来事に、一喜一憂する人。
相手のことを思いやれない人。
・・・・

今日は、手抜きの書き込みですが、私には大きな訓示になりした。やはり、安岡正篤語録は、一年に一度は手にしなければならない、私の必読書です。「進歩の源泉」を忘れず、女人を人間に読み替え「人間の五悪」を今日の言葉として生活したいと思います。

今朝は、早朝から地域回り、早々に朝の支度を終えて、出かけたいと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)安岡正篤語録

2014年01月13日

【節義】為さざるあるなり、而(しこう)して後、以て為すあるべし(『孟子』より)

【節義】為さざるあるなり、而(しこう)して後、以て為すあるべし(『孟子』より)

今日、先輩から「義が先、利は後」と酸っぱく訓示された。日々、のんべんだらりと生活しているわけではないが、日常の仕事に加え、緊急の事が起こると、ついつい楽をする(理で考える)ことになりがちです。それを、先輩がしっかり見ておられて、冒頭の訓示だと思います。楽をしているわけではないが、用事が詰まって来ると、目先の仕事の処理に目を奪われてしまう。ハッとした、今日の出来事(訓示)でした。

実は、今朝読んだ安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤一日一言』に、冒頭の「節義」の解説があった。それを私は、偶然に思うのですが、その先輩は「人生に偶然はない、全て必然」と言われます。解説の意味を要約すると、

(以下、転載)

世に中がどうなっておろうが自分はこういうことはしないんだというのが、「為さざるあるなり」である。これは理性と意思の力によって始めてできる。つまり、だらしない人間の欲望にまかせる生活に一つの締めくくりを与える、節をつけることである。これで初めて人間に「道」というものが立つ、これを義という。これを結んで「節義」と言います。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)

今日だけではないが、私に、ここという時に訓示していただく先輩が、地域に数名おられます。これは、ありがたいことと恐縮しているのですが、でも主義主張の時は、いまだに意見を言います。ここが、まだ節義の意味が分かっていないのかもしれません。

西郷隆盛の信条の一つ「節義廉恥」がありますが、日本の武士道の基本ですが、行政を経験した方々が、節義廉恥の意味を忘れているのではないか、と考える風景を最近見ます。節義廉恥は、「義が先、利は後」の生き方そのものです。安岡正篤先哲の訓示に、もう一つ「人間の第一義」の解説に、

「名高い言葉に、how to do good.(如何に善を為すか)ということよりも、how to be good.(如何に善であるべきか)ということの方が大事である」

とありました。ま~た、野口は哲学的なことを言うと敬遠されずに、これは、その人の行為や成果を評価することも大事ですが、時が過ぎればその人の存在そのもの(人生・人格)が問われると思います。「人間は、棺桶の蓋が閉まった時から評価が始まる」と言われます。自分の人生・人格は、「義が先、利は後」か、時折考えてみることも良いかもしれませんね。先輩の訓示で考える、自分の最近の言動の反省でした。

明日は、また朝ウォーキングですので、そろそろ休みます。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:22Comments(0)孟子の教え

2014年01月13日

【節義】為さざるあるなり、而(しこう)して後、以て為すあるべし(『孟子』より)

【節義】為さざるあるなり、而(しこう)して後、以て為すあるべし(『孟子』より)

今日、先輩から「義が先、利は後」と酸っぱく訓示された。日々、のんべんだらりと生活しているわけではないが、日常の仕事に加え、緊急の事が起こると、ついつい楽をする(理で考える)ことになりがちです。それを、先輩がしっかり見ておられて、冒頭の訓示だと思います。楽をしているわけではないが、用事が詰まって来ると、目先の仕事の処理に目を奪われてしまう。ハッとした、今日の出来事(訓示)でした。

実は、今朝読んだ安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤一日一言』に、冒頭の「節義」の解説があった。それを私は、偶然に思うのですが、その先輩は「人生に偶然はない、全て必然」と言われます。解説の意味を要約すると、

(以下、転載)

世に中がどうなっておろうが自分はこういうことはしないんだというのが、「為さざるあるなり」である。これは理性と意思の力によって始めてできる。つまり、だらしない人間の欲望にまかせる生活に一つの締めくくりを与える、節をつけることである。これで初めて人間に「道」というものが立つ、これを義という。これを結んで「節義」と言います。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)

今日だけではないが、私に、ここという時に訓示していただく先輩が、地域に数名おられます。これは、ありがたいことと恐縮しているのですが、でも主義主張の時は、いまだに意見を言います。ここが、まだ節義の意味が分かっていないのかもしれません。

西郷隆盛の信条の一つ「節義廉恥」がありますが、日本の武士道の基本ですが、行政を経験した方々が、節義廉恥の意味を忘れているのではないか、と考える風景を最近見ます。節義廉恥は、「義が先、利は後」の生き方そのものです。安岡正篤先哲の訓示に、もう一つ「人間の第一義」の解説に、

「名高い言葉に、how to do goods.(如何に善を為すか)ということよりも、how to be goods.(如何に善であるべきか)ということの方が大事である」

とありました。ま~た、野口は哲学的なことを言うと敬遠されずに、これは、その人の行為や成果を評価することも大事ですが、時が過ぎればその人の存在そのもの(人生・人格)が問われると思います。「人間は、棺桶の蓋が閉まった時から評価が始まる」と言われます。自分の人生・人格は、「義が先、利は後」か、時折考えてみることも良いかもしれませんね。先輩の訓示で考える、自分の最近の言動の反省でした。

明日は、また朝ウォーキングですので、そろそろ休みます。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:18Comments(0)孟子の教え

2014年01月12日

人の状況は、後ろ姿に出る?、周りへ元気を伝えれるようなメッセージ。

人の状況は、後ろ姿に出る?、周りへ元気を伝えれるようなメッセージ。

こんばんは、今夜は、Facebookのお仲間へ新年のご挨拶を出していますが、人数が多いのでやっと半分に達したところです。後、数日はかかりそうです。

さて、新年に必ず開く経書一つが、昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤一日一言』ですが、2月16日の訓示が心に残った。ご紹介します。

(以下、転載)

後ろ姿

後ろ姿がしょんぼりしているのは、不徳であることを示しているのだ。怒り肩がいいのかと言うと、これもよろしくない。後光が差すというか、徳のある人の後ろ姿が凛々しく、元気にあふれているにである。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

人の状況は、後ろ姿に出る?

私は、熊本の市街地を車でウロウロすることが多いのですが、知人が市街地を移動している姿を見て、ハッと気づくことがある。逆に言えば、自分も市街を歩いて移動している姿を誰かが見ていると自覚します。常に、自分は見られている意識をしっかり持つことが大事と思います。「その時の状況は、後ろ姿で分かる」を念頭に置き、今年1年、歩き通り過ぎた後ろ姿に、元気のある後光が差すような生き方を示せるようにしたいです。

明日は、早朝から小学6年生のサッカー大会の開会式、子供たちが元気にプレーでこるようなメッセージを送りたいと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:51Comments(0)安岡正篤語録

2014年01月10日

正しい道を進んでいこうとすれば、絶対に争いを避けることはできない。

正しい道を進んでいこうとすれば、絶対に争いを避けることはできない。

おはようございます。今朝は、全国的に冷えていますし、世界的に寒波が広がっているようです。アメリカでは、厳しい寒波で多くの死者も出ていると聞きます。寒い今年の冬、産業界に悪影響にならなければ、と心配をします。

昨夜の横井小楠テーマの句会で詠んだ「彼の地から 思い伝える 文と種」ですが、横井小楠は甥の佐平太の手紙を受けた翌年、凶刃により暗殺をされます。その4年後西郷隆盛は政策論争で敗れ、政府主流派と袂を分かち下野しました。さらに、その4年後、日本最後の国内戦争「西南戦争」が、西郷隆盛を総大将に起こされた。

明治政府の士農工商制度の廃止から、武士の失業対策の遅れもあり、戦争は避けられない機運があり、新政府は情報戦の準備を着実に進め、鹿児島の情報は逐次、東京へ「電信」を使い、伝達されていた。争いに勝つには、時期が大事と言われるが、西南戦争の時期が早かったか、遅かったは、歴史に“もし”はありませんが、もし西郷隆盛が勝利し政府に復帰したら、大きく違った政治がなされたように思います。

また、明治政府から下野した偉人の一人が、渋沢栄一ですが、「論語とそろばん」を掲げて経済活性化を進めた。あまりにも殖産興業を進めたせいで、足尾鉱毒事件の反対運動では、企業側の主張を支持している。ここは、受け入れがたいところだがあるが、当時の状況がどうだったか、私も「田中正造研究会」で勉強しているところです。

西南戦争や足尾鉱毒事件もそうだが、“正しい”と思うことがあれば、主義主張の中で、意見の相違が出てくる。信念を持てば、争いが起こる。

渋沢栄一は、次にように語ったそうです。(本郷陽二著『渋沢栄一 巨人の名語録』から、以下抜粋)

世の中には、争わない人ほど優れた人格の持ち主と考える風潮がある。しかし、渋沢はこれに反論する。「あくまでも正しい道を進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできないものだ。なんとしてでも争いを避けようとすれば、善が悪に負けてことになり、正義が行われなくなってしまう」・・・・

人間、「これだけは譲れない」、というところがあって欲しい。昨日の大学の講義で紹介した法学者で犯罪学者のニイス・クリスティ氏は、第二次世界大戦でナチスドイツが、ノルウェーでの行った捕虜殺害に、温厚なノルウェー人が加担していたことにショックを受け、学生だったクリスティ氏は、捕虜殺害に関わった元看守にヒヤリングをして行った。

クリスティ氏は、その調査から、論文をまとめノルウェー政府へ犯罪者の厳罰化を変える提案を出し、大変な論争を展開し、犯罪を生みにくい社会制度や刑務所改革に取り組んできた。歴史の検証と、世界の刑務所の状態、犯罪者の背景を調査した。その結果、ノルウェーは、幸福な国ランキングで、常にトップクラスにある。一人の法学者の信念が、国を変え、社会を安心安全な国へ変えている。

日本やアメリカは、刑の厳罰化が進んでいる。ノルウェーとに違いを知ってもらうため、本日は書きました。ご意見をいただければありがたいです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:39Comments(0)偉人

2014年01月09日

たまには日本文化「俳句」について書いてみました。

たまには日本文化「俳句」について書いてみました。

NHK-BSで、江戸の俳人「松尾芭蕉」の特集があった。芭蕉は、元禄の華やかな“バブル景気”の中で、生活を捨て俳句を読みながら旅をした。俳句は、新たな文学のスタイルと思っていたのですが、イメージとは違い、芭蕉には常に仲間がいたこと、その影響で一般市民も俳句(俳諧)が普及し、第二、第三の松尾芭蕉が出たこと、これには流行とも思える現象になっていたことを知りました。

最近の私の日課から、句をいくつか読みました。

「寒さ耐え 朝の散歩も 日課かな」

「難会議 終えて帰り 飲む一杯」

「講義終え 学生の視線 想像す」

「サッカーは 我が活動の 中心に」

「東京の リーダー誰か 思案中」

しょうもない私の句ですが、以前、熊本の作家の集まりに参加した時、先輩から半強制的に読まされた句を思い出した。テーマは、横井小楠生誕200年の記念事業の一環での集まりで詠みました。

この句を読む前に、横井小楠が甥をアメリカへ留学させ、初めて書いた手紙について、小楠の研究者がレクチャーした後に詠んだ句です。横井小楠は、甥の佐平太へ「アメリカで多く食べられている野菜の種を送れ」と近況に加え書いたことを知りました。私は、甥の佐平太が手紙の返事を書いた思いを想像して詠みました。次が、私の句です。

「彼の地から 思い伝える 文と種」

【意味】
彼の地:アメリカ
思い伝える:小楠の手紙への返答
文と種:アメリカ生活の近況とアメリカで多く食べられている野菜の種

などなど考えました。私は、俳句の知識はありませんが、その時思ったことを句にしました。当時の留学は、命がけの行動でした。何名も帰らぬまま、亡くなった人も多いと知りました。だからこそ、留学先へ送る手紙への思いは、深い気持ちがあったと思います。明治維新時、横井小楠は維新政府に中で、思想的指導をしていました。なのに、農業の生産拡大の思いから、「野菜の種」に関心を持っていたことに驚きます。

いま、日本の政治家に必要なのは、経済育成の視点ではないか。特に、地方の政治家に必要な気がします。横井小楠の「種送れ」の思いを忘れず、地方政治の産業育成が問われる1年になるように思います。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:02Comments(0)私の意見

2014年01月08日

渋沢栄一家の「家訓抄7ヶ条」、会議や新年会、他。

渋沢栄一家の「家訓抄7ヶ条」、会議や新年会、他。

私も年始に当たり、今年の方針を決めて、着実に進めなければなりません。今秋には、市議の改選もあり、中身の詰まった1年になりそうです。

さて、年始に読む本が数冊あるのですが、今年は明治の偉人の一人「渋沢栄一」の名言にまつわるエピソードを集めた本を開きました。その1ページに、渋沢家の家訓30条の抜粋「家訓抄7ヶ条」が書かれていました。


「家訓抄7ヶ条」

一、誠実で正直に徹し、人情に厚く慎み深く人に接すること。

二、付き合ってためになる友人は近づけ、付き合ってためにならない友人は遠ざける。そして、自分に対しへつらいおもねる者を友人としないこと。

三、人と接する時には必ず敬意を払わなければならない。たとえ宴会の時や遊んでいる時でも、敬意をあらわして礼をすることをわすれてはならない。

四、何かを試したり、事に挑戦する時には、必ず精一杯気持ちでやること。ささいなことといえども、なおざりにしてはならない。

五、金持ちになったり高い地位を得ても思い上がってはならない。貧しくなったり、地位を失っても悩んではならない。ひたすら知識をつけ、道徳にかなったよい行いを修め、仕事に励み、本当の幸福を得よ。

六、口は災いの元である。そのため、勝手気ままにちょっとした発言をしないこと。

七、こまめに働くことと倹約、事業を新しく始める際に良い心がけであり、成立した事業を守るための基本でもある。常にこれを守り、身分不相応に思い上がったり、おろそかにしないこと。
(以上、『渋沢栄一 巨人の名語録』より抜粋)


今年の我が心の指針として使わせてもらうことにしました。日々の行動は、私が主宰する「不知火龍馬会」の規則(素心規)を常に心に留め行動していますが、本年は更に厳しい関心を受ける年なので、渋沢家の「家訓抄7ヶ条」も加えて、一年を過ごしたいと思います。

今日の午後は、地域のサッカー育成の先輩のご家族の葬儀、夕方は市議仲間と会議、夜は地元中学校卒の同級生の新年会と続きます。まだ正月行事が続きますが、日常も加わり、詰まった日程になりそうです。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:24Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年01月08日

田舎ほど「車依存社会」から、「公共交通利用社会」へ促す。

田舎ほど「車依存社会」から、「公共交通利用社会」へ促す。

おはようございます。久々の雨模様で、朝ウォーキングはお休みでした。年末からの議会の宿題「議会報告」の一般質問の原稿を、先ほどまでまとめたところです。

さて、早朝からうれしい知らせがありました。どれも前向きのいい話ですが、両方とも市民運動に関わる内容で、被災地支援活動と市民の健康維持の活動です。被災地支援は、今年3月で丸3年になります。なかなか、津波被害地の再生は、思うようには進まないですが、経済的な復興は着実に進み始めていると思います。

もう一つが、市民の健康維持の活動は、運動を中心に中高年のウォーキングを広める提案で、おおいに賛同する提案です。ウォーキング、フットパス、オルレ、呼び名は色々あれど、“歩く”の推進は、健康維持におおいに効果があると思っています。

私の父は、若いころは大工で力仕事をこなし、晩年は農業というか、農地維持にがんばっていました。おかげで足腰の骨は、これが高齢者かというくらい強かったのですが、後期高齢者になってからは、移動が全て車でした。車の免許を返上してから約5年は、何処に行くにも送迎が必要でした。おかげで、昨年末にレントゲンを撮り、8年でこんなにも骨は脆くなるのか驚きました。

地域に一歳上の男性がいるのでが、車には乗られません。常に歩いて移動されるので、89歳ですがまだ草刈り機を振り回す足腰を維持されています。いかに歩くことが大事か痛感します。

父は、昭和の後半に40代で車を使うようになりました。日々の農作業は、トラクターではなく耕運機で、田畑の作業は歩くことがほとんどでした。現代の農業は、機械化が進み、あまり歩かなくなっているとおもいます。都市よりも田舎が車に依存しています。今後、益々歩けない高齢者は、地方に増えるのではと危惧します。

中国古典『孟子』の訓示に、「欲観千歳、則審今日」なるものがあります。直訳をすれば、「千歳を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ」。作家守屋洋著『中国古典一日一話』を参考に現代風に説明すると、

(以下、抜粋)

未来予測をする場合、未来だけを見ても仕方がない。今日のことを明確に知ることが大切なのだという。未来につながる芽や兆しは、現在のなかにある。いま、兆しつつある兆候を発見して、その上に立って将来を展望せよというのだ。理屈ではわかっていても、いざ実行となると、意外にこれが難しい。
(以上、『中国古典一日一話』より)

要は、身近な現象から、地域の未来を予測する。我が家の父の“老いの過程”を検証して、地方社会、特に車依存地区の未来を考えると、「ドアtoドア」の自家用車利用よりも、バス等の公共交通を充実させ、とにかく歩く習慣を身に付けることが、健康維持に貢献し、医療費抑制につながると考えます。

子どもが東京で仕事をしていますが正月帰郷したおり、「都市圏の高齢者は、田舎の高齢者よりはるかに歩き、活発に見える」と語っていました。『孟子』の訓示、

>「千歳を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ」

から、将来を見越して、田舎ほど「車依存社会」から「公共交通利用社会」へ促し、歩く習慣を進めることが必要と思います。自家用車乗らなくなったら、次はタクシーの「ドアtoドア」の習慣を変え、少々辛くてもバス停まで歩く習慣を広げることが、田舎の高齢者を元気にするように思います。ご意見をいただければ幸いです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:44Comments(0)地域活動、まちづくり

2014年01月06日

【言葉の力】「奇跡は起こる」と望めば、「幸福は今のこの時間」と思えれば、・・・

【言葉の力】「奇跡は起こる」と望めば、「幸福は今のこの時間」と思えれば、・・・

今日は、まったく予定外の行動になりました。朝食を終えて、まだ残る新年メール発信をしていると、地域づくりの先輩から電話があった。連絡のままに、出向き一緒に行動した。一旦、打ち合わせで明日の予定になったが、雑談中に再度電話があり、本日午後に予定が変わった。その予定に合わせて、本日そもそも決まっていた打ち合わせを変更した。なかなか予定通りにならない日もある。それは、対応するしかない。


さて、なぜ奇跡は起こるのか?

人生には、奇跡というウルトラCがある。

作家の菊池寛の著書『出世』に次の言葉があります。

「人生のどんな溝にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ」~菊池寛~

どんなに落ち込んでいても、その奇跡が起こる可能性は、ゼロではない。

なぜ、奇跡はおこるのか?

それは、「望み」を捨てないからである。


さて、もう一つの人生の目的が「幸福」だが、幸福とは何か?

フランスのノーベル賞作家のアンドレ・ジイド著『新しき糧』の一節にあるそうです。

「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた」

幸福は、自分勝手に「幸福だ」と思えばよい。上記の人も「自分は幸福だ」と思うことに成功したのだろう。朝、愛犬と散歩しながら「ああ、幸福だな」と思えば、よい一日が始められるように思います。


「奇跡は起こる」と望めば、「幸福は今のこの時間」と思えれば、前向きに生きれるのではないか。菊池寛にしろ、アンドレ・ジイドにしろ、作家とは様々な人生の状況を言葉で表現するのが、いつも素晴らしいと思います。

*参考資料:田中李生著『いい言葉は、いい男をつくる』
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:23Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2014年01月03日

正月三ヶ日に考える「六中観」、箱根駅伝で知る「生きた力」、他。

正月三ヶ日に考える「六中観」、箱根駅伝で知る「生きた力」、他。

新年あけましておめでとうございます。

今日の午後の九州の高校サッカー強豪「東福岡vs日章学園」の試合は、結局0-0で、PK戦までもつれた。テレビは、PK戦の途中で終わった。テレビとは薄情か?

まっ、それは良しとして、箱根駅伝の2日目を7区から見ました。と、言いながらfacebookのお仲間に年賀メールを送りつつのテレビ観戦でした。まだまだ、発信がかかりそうです。

1月1日、2日のサッカー行事は、楽しみだが身動きが取れない。15才から参加している新春サッカー大会なので、「父は、1月2日は当てにならない」の家族の暗黙の理解はあったが、サッカー協会会長の仕事は予定外だったので、ますます正月は、サッカー漬けになっしまった。

よって、1月3日は何処にも行かず、午前は箱根駅伝、午後は年賀状の返事書きとサッカー観戦に当てている。ゆっくりする時間でもあります。夕方近くから、ビールが入り、早めの晩酌タイムとなる。これが、一昨年からの三ヶ日のパターンです。

さて、正月読んだ本に勝海舟の座右の銘の一つ「六中観」の解説があった。

「六中観」

忙中閑有り : 忙しさの中でも心の余裕を見つける
苦中楽有り : 苦しいときでも楽しみを見つける
死中活有り : 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある
壷中天有り : どんな境遇にあっても、自分だけの世界を作る
意中人有り : 心から尊敬する人を持つ
腹中書有り : 身心を養って経綸に役立つ学問をする


実は、この六つの実践が、凡人にはなかなか実行できない。新年に当たり、改めて自己の言動を振り返ることも必要と確認した。勝海舟は、江戸を犠牲なく明け渡し、明治維新時の国内戦争を回避した「六中観」、改めて知る先人の智慧と思います。


「箱根駅伝」、毎年見る青年たちの繰り広げるドラマが、今年で90回と放送で知った。今回も、途中棄権のあり、転倒あり、各大学それぞれにドラマがある。青春の1ページが、日本中を感動させる。箱根駅伝、ホント誰が最初に発案したのか? 先人たちの凄さと勇気に敬服してしまいます。

「駅伝は、練習の結果しか出ない」と誰に聞いたことがあります。日本人女性で初のマラソン金メダルをつかんだ高橋尚子さんは、凄まじい練習をしていたことが後日わかり、練習の成果が試合には出ただけ!正にスポーツは人間力と思いました。

人間力、それはスポーツだけではありません。様々な活動の中で、周りの人を惹きつける人が居ます。魅力(人間力)は、どこから生まれて来るのか?

北京オリンピックの陸上競技で、男子400mリレーで日本が銅メダルを取った。その瞬間、日本中が一つになったと感じました。魅力とは何か? 借り物ではない人間力に、人は感動するのだと思います。

昨日のJリーグ入団の壮行会で語ったのが、「一般人が追随できない技術を軽く見せつけることも必要」と挨拶で話しました。それだけ、練習に励めということです。身体から滲み出る真の力(生きた力)を養うことが必要と思います。

箱根で走った選手の言葉を聞くと、勝ったチームは「苦しかったが、次の選手が楽になるように懸命に走った。しかし楽しかった」と何名が語った。「練習で苦しみ、試合で楽しむ」これこそ、真の実力と思います。

昭和の東洋哲学者・安岡正篤氏の著書『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』に、生きた力について書かれていたので、紹介します。

(以下、本より転載)

生きた力ーー自分の魂、人格を通じて発してくるものこそ

理想とか信念とか、信仰とかいうようなものは、他から与えられたもにでは駄目で、個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。どんな立派な理論・理想・理念であっても、他人のものでは良くない。それが自分の中を通じてこなければ、決して、「生きた力」にならない。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)


「生きた力」とは、本人から滲み出る力のこと。その力(魅力)は、日々の努力に裏打ちされた、じわりと鈍く光る人間力ように思います。それが、ある瞬間“キラッ”と光る。その輝きは一瞬だが、強烈に記憶に残る。ただ借り物は、輝きが大きいかもしれないが、それまでの地道な積み上げが無いので、記憶から消えるのが早い。

私の駅伝競技印象に残るのは、約30年くらい前?でしょうか、全国高校駅伝の兵庫県同士の闘い「西脇工業vs報徳学園」です。2校は、兵庫県大会は西脇工業が優勝、記念大会だったので中国地方大会で報徳学園が勝ち全国の切符を取り、兵庫県から2校が全国高校駅伝に出場した。全国大会の優勝争いは、3度目も西脇工業と報徳学園で、決着は最終の競技場内でのラスト100mのトラック勝負になり、制したのは報徳学園だった。この勝負以来、駅伝ファンになった。これこそ「生きた力」ではないかと思います。

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。明日から、平常になります。これからも、駄文をご笑覧頂ければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:05Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ