2014年01月09日
たまには日本文化「俳句」について書いてみました。
たまには日本文化「俳句」について書いてみました。
NHK-BSで、江戸の俳人「松尾芭蕉」の特集があった。芭蕉は、元禄の華やかな“バブル景気”の中で、生活を捨て俳句を読みながら旅をした。俳句は、新たな文学のスタイルと思っていたのですが、イメージとは違い、芭蕉には常に仲間がいたこと、その影響で一般市民も俳句(俳諧)が普及し、第二、第三の松尾芭蕉が出たこと、これには流行とも思える現象になっていたことを知りました。
最近の私の日課から、句をいくつか読みました。
「寒さ耐え 朝の散歩も 日課かな」
「難会議 終えて帰り 飲む一杯」
「講義終え 学生の視線 想像す」
「サッカーは 我が活動の 中心に」
「東京の リーダー誰か 思案中」
しょうもない私の句ですが、以前、熊本の作家の集まりに参加した時、先輩から半強制的に読まされた句を思い出した。テーマは、横井小楠生誕200年の記念事業の一環での集まりで詠みました。
この句を読む前に、横井小楠が甥をアメリカへ留学させ、初めて書いた手紙について、小楠の研究者がレクチャーした後に詠んだ句です。横井小楠は、甥の佐平太へ「アメリカで多く食べられている野菜の種を送れ」と近況に加え書いたことを知りました。私は、甥の佐平太が手紙の返事を書いた思いを想像して詠みました。次が、私の句です。
「彼の地から 思い伝える 文と種」
【意味】
彼の地:アメリカ
思い伝える:小楠の手紙への返答
文と種:アメリカ生活の近況とアメリカで多く食べられている野菜の種
などなど考えました。私は、俳句の知識はありませんが、その時思ったことを句にしました。当時の留学は、命がけの行動でした。何名も帰らぬまま、亡くなった人も多いと知りました。だからこそ、留学先へ送る手紙への思いは、深い気持ちがあったと思います。明治維新時、横井小楠は維新政府に中で、思想的指導をしていました。なのに、農業の生産拡大の思いから、「野菜の種」に関心を持っていたことに驚きます。
いま、日本の政治家に必要なのは、経済育成の視点ではないか。特に、地方の政治家に必要な気がします。横井小楠の「種送れ」の思いを忘れず、地方政治の産業育成が問われる1年になるように思います。
NHK-BSで、江戸の俳人「松尾芭蕉」の特集があった。芭蕉は、元禄の華やかな“バブル景気”の中で、生活を捨て俳句を読みながら旅をした。俳句は、新たな文学のスタイルと思っていたのですが、イメージとは違い、芭蕉には常に仲間がいたこと、その影響で一般市民も俳句(俳諧)が普及し、第二、第三の松尾芭蕉が出たこと、これには流行とも思える現象になっていたことを知りました。
最近の私の日課から、句をいくつか読みました。
「寒さ耐え 朝の散歩も 日課かな」
「難会議 終えて帰り 飲む一杯」
「講義終え 学生の視線 想像す」
「サッカーは 我が活動の 中心に」
「東京の リーダー誰か 思案中」
しょうもない私の句ですが、以前、熊本の作家の集まりに参加した時、先輩から半強制的に読まされた句を思い出した。テーマは、横井小楠生誕200年の記念事業の一環での集まりで詠みました。
この句を読む前に、横井小楠が甥をアメリカへ留学させ、初めて書いた手紙について、小楠の研究者がレクチャーした後に詠んだ句です。横井小楠は、甥の佐平太へ「アメリカで多く食べられている野菜の種を送れ」と近況に加え書いたことを知りました。私は、甥の佐平太が手紙の返事を書いた思いを想像して詠みました。次が、私の句です。
「彼の地から 思い伝える 文と種」
【意味】
彼の地:アメリカ
思い伝える:小楠の手紙への返答
文と種:アメリカ生活の近況とアメリカで多く食べられている野菜の種
などなど考えました。私は、俳句の知識はありませんが、その時思ったことを句にしました。当時の留学は、命がけの行動でした。何名も帰らぬまま、亡くなった人も多いと知りました。だからこそ、留学先へ送る手紙への思いは、深い気持ちがあったと思います。明治維新時、横井小楠は維新政府に中で、思想的指導をしていました。なのに、農業の生産拡大の思いから、「野菜の種」に関心を持っていたことに驚きます。
いま、日本の政治家に必要なのは、経済育成の視点ではないか。特に、地方の政治家に必要な気がします。横井小楠の「種送れ」の思いを忘れず、地方政治の産業育成が問われる1年になるように思います。
人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
Posted by ノグチ(noguchi) at 22:02│Comments(0)
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