2010年12月27日
寸陰を惜しむな~「ちょっとした時間」の値打ち~
寸陰を惜しむな~「ちょっとした時間」の値打ち~
昭和の儒学者安岡正篤氏の語録を集めた「心に書き写す言葉」の一節に次のことばがあります。
<以下、転載>
「寸陰を惜しむな」
~「ちょっとした時間」の値打ち~
どんなに忙しい人にも、寸陰というものがあり、ちょっとした時間は必ずある。そのちょっとした時間をつかむ熟練をすること、案外時間はあるもので、寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰、長い時間と同じか、あるいはそれ以上の値打ちが生じてくるものだ。
(以上、「心に書き写す言葉」より)
江戸期後期の儒学者佐藤一斎の「言志四録」に、三上の読書の教えがある。
一つ、馬上の読書。
二つ、就寝前(枕上)の読書。
三つ、便所(雪隠の上)の読書。
一、枕の上での読書は、長くは続かないが繰り返しに有効。
二、上の読書は、現在の信号休み中の走り読み、これも繰り返しに有効。(私も利用)
三、便所の読書は、我が家でのトイレに書棚を置き、自分の読む本と子どもに読ませたい本を置いている。
暮に、長い話になりました、ご容赦ください。今日は、研究所(設計事務所)主催の忘年会、2週間前から、その年出会った気になる人に声をかけて開催しています。今回の年末車座談議は、どんな結果になるか後日報告を致します。
年の瀬、今日を含めて5日になりました。多用・多忙とは思いますが、体調に気を付けて乗り切りましょう。
*参考資料:『安岡正篤「こころ」に書き写しことば』
昭和の儒学者安岡正篤氏の語録を集めた「心に書き写す言葉」の一節に次のことばがあります。
<以下、転載>
「寸陰を惜しむな」
~「ちょっとした時間」の値打ち~
どんなに忙しい人にも、寸陰というものがあり、ちょっとした時間は必ずある。そのちょっとした時間をつかむ熟練をすること、案外時間はあるもので、寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰、長い時間と同じか、あるいはそれ以上の値打ちが生じてくるものだ。
(以上、「心に書き写す言葉」より)
江戸期後期の儒学者佐藤一斎の「言志四録」に、三上の読書の教えがある。
一つ、馬上の読書。
二つ、就寝前(枕上)の読書。
三つ、便所(雪隠の上)の読書。
一、枕の上での読書は、長くは続かないが繰り返しに有効。
二、上の読書は、現在の信号休み中の走り読み、これも繰り返しに有効。(私も利用)
三、便所の読書は、我が家でのトイレに書棚を置き、自分の読む本と子どもに読ませたい本を置いている。
暮に、長い話になりました、ご容赦ください。今日は、研究所(設計事務所)主催の忘年会、2週間前から、その年出会った気になる人に声をかけて開催しています。今回の年末車座談議は、どんな結果になるか後日報告を致します。
年の瀬、今日を含めて5日になりました。多用・多忙とは思いますが、体調に気を付けて乗り切りましょう。
*参考資料:『安岡正篤「こころ」に書き写しことば』
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2010年12月26日
争いの賛否は志にある。勝敗は準備とタイミング。
争いの賛否は志にある。勝敗は準備とタイミング。
日々の仕事は、誰かと、どこかと、競争している状況に在ります。ビジネスでは、その状況から自分を有利に導く自分なりの行動理念が必要と思います。
相手と戦う時に必要な方法(兵法)は、古典に学ぶことが多くあります。孫子の兵法、諸葛孔明の兵法等、中国古典には色々な考え方がありますが、そのもっとの有名なのが、孫子の兵法です。知人が若者向けに書いた、孫子の兵法の解説書「<萌訳>孫子ちゃんの兵法」の一節をご紹介します。
軍争編:敵の強いところを避け、弱いところを攻めよう
1.有利な状況をつくっていこう
(1) 仲間を増やす
ビジネスなら、人脈を増やします。人脈が多ければ多いほど、商売をしやすくなります。
(2) 状況に応じて動く
ビジネスなら、マーケティングリサーチを確実に行い、マーケットの特性をつかむからこそ、商売を進めやすくなります。
(3) 詳しい人に協力してもらう
ビジネスなら、新しいマーケットに進出するときは、そのマーケットに詳しい人にアドバイザーになってもらいます。そうすれば不慣れでも、ベストポジションに立てます。
何か、当たり前のことですが、当事者になった時に、意外に忘れがちな基本と言えます。
2.風林火山の教えを使おう
(1) 敵が弱みを見せたときには、風のように動いて敵を圧倒します。
(2) 敵につけいるスキがないときには、林のようにひっそりと動きます。
(3) 敵地に攻め入るときには、燃えさかる火のように激しい勢いで攻めこみます。
(4) 動かないでよいときには、どっしりとした山のようにかまえてじっとしています。
(5) こちらの事情を隠すときには、暗雲が太陽を隠すように敵に見えなくさせます。
(6) 敵につけいるスキがあるときには、雷のように速く激しくそのスキを突き、敵がこちらの奇襲を避けられなくさせます。
リーダーの心がかまえを訓示した言葉と思います。武田信玄の「風林火山」、武将の心と思います。日本は、中国の影響を大きく受けた衛星文明と言われています。中国古典は、時代を生き抜く、指針になると思います。
*参考資料:福田晃市著「<萌訳>孫子ちゃんの兵法」
何時の世でも、誰とか、どこかで、必ず競争(争う)状況が出て来ます。ただ状況に流されて、苦杯を飲むより、積極的に準備して、兵法を学び、タイミングを計り、打って出る勇気が必要と思います。
争いは良いことは生まないと言いますが、志を高く持ち、周りをより良きものにするための行動(発動)であれば、理解をしてもらえると思います。結果の賛否は、自分の心に「誠(まこと)」が在ったかどうかにかかっていると思います。
日々の仕事は、誰かと、どこかと、競争している状況に在ります。ビジネスでは、その状況から自分を有利に導く自分なりの行動理念が必要と思います。
相手と戦う時に必要な方法(兵法)は、古典に学ぶことが多くあります。孫子の兵法、諸葛孔明の兵法等、中国古典には色々な考え方がありますが、そのもっとの有名なのが、孫子の兵法です。知人が若者向けに書いた、孫子の兵法の解説書「<萌訳>孫子ちゃんの兵法」の一節をご紹介します。
軍争編:敵の強いところを避け、弱いところを攻めよう
1.有利な状況をつくっていこう
(1) 仲間を増やす
ビジネスなら、人脈を増やします。人脈が多ければ多いほど、商売をしやすくなります。
(2) 状況に応じて動く
ビジネスなら、マーケティングリサーチを確実に行い、マーケットの特性をつかむからこそ、商売を進めやすくなります。
(3) 詳しい人に協力してもらう
ビジネスなら、新しいマーケットに進出するときは、そのマーケットに詳しい人にアドバイザーになってもらいます。そうすれば不慣れでも、ベストポジションに立てます。
何か、当たり前のことですが、当事者になった時に、意外に忘れがちな基本と言えます。
2.風林火山の教えを使おう
(1) 敵が弱みを見せたときには、風のように動いて敵を圧倒します。
(2) 敵につけいるスキがないときには、林のようにひっそりと動きます。
(3) 敵地に攻め入るときには、燃えさかる火のように激しい勢いで攻めこみます。
(4) 動かないでよいときには、どっしりとした山のようにかまえてじっとしています。
(5) こちらの事情を隠すときには、暗雲が太陽を隠すように敵に見えなくさせます。
(6) 敵につけいるスキがあるときには、雷のように速く激しくそのスキを突き、敵がこちらの奇襲を避けられなくさせます。
リーダーの心がかまえを訓示した言葉と思います。武田信玄の「風林火山」、武将の心と思います。日本は、中国の影響を大きく受けた衛星文明と言われています。中国古典は、時代を生き抜く、指針になると思います。
*参考資料:福田晃市著「<萌訳>孫子ちゃんの兵法」
何時の世でも、誰とか、どこかで、必ず競争(争う)状況が出て来ます。ただ状況に流されて、苦杯を飲むより、積極的に準備して、兵法を学び、タイミングを計り、打って出る勇気が必要と思います。
争いは良いことは生まないと言いますが、志を高く持ち、周りをより良きものにするための行動(発動)であれば、理解をしてもらえると思います。結果の賛否は、自分の心に「誠(まこと)」が在ったかどうかにかかっていると思います。
2010年12月23日
(宇土市)ダイオキシン放棄? 営林署が宇土市の山中に埋設
(宇土市)ダイオキシン放棄? 営林署が宇土市の山中に埋設
3日間で、400件を越えるアクセスがありました。再度、宇土市のみなさんに知って欲しいと思い、掲載します。この話題を、色々なところで語って欲しいと思います。
<以下、20日の日記>
12月20日は、午前中は12月議会の最終日で、委員会報告の決議と、国の緊急経済対策予算の補正予算承認で、いくつも決議がなされたが、無事に議会も終わり、13時に終わった。 終了後、20年来の議員の友人が、「宇土市の山中に、ダイオキシンが埋められている。今から地元の新聞社と現場を見に行く」とあり、一緒に同行させてもらった。

写真は、埋設現場写真で、山中腹にあり、看板に「2・4・5-T」の文字が見える。2・5・TTは、ベトナム戦争で使われた、「枯葉剤」と同じ成分を持つダイオキシンで、戦後、一時期営林署が、ツタなどの雑草を除去するために、国有林に散布していたもので、世の中が禁止を要望する中で、営林署が持っていた残りが、宇土市の山中他、熊本県内に他に2ヶ所国有林内に埋設している。

話によると、地下2mにコンクリートの箱の中に密封しているそうだ。以前に、宇土市議会で友人が質問した時の解答は、「毎年、点検をしているので大丈夫」と報告があった。点検は、どんな点検をしているか詳細の報告はない。この埋設地は、山の中腹より上に有り、著名に水源地まで2kmを満たない距離に有る。地域住民の中には、不安を訴えているが、営林署は一向に対処するようすもない。

コンクリートは化学反応で固まった固形物、酸性雨に当たれば中性化が進む、営林署は50年は大丈夫と言うが、既に40年近く経過している。撤去を要望する地域住民の動きが激しくなれば、営林署も対応せざる負えなくなると思う。
日本の行政は、「臭いモノには蓋」、「私の居る間(担当中)には、問題にしないで欲しい」の態度が見え見えで、相変わらずの「先送り体質」に怒りがこみ上げてくる。地元紙も注目したようで、今後これまでの経緯含め詳細な調査をして記事にしてくれると思う。
兎に角、先輩の言葉「現場を必ず確認しておけ」の教示に従い、千載一遇のチャンスと思い、友人と記者に同行して、「ダイオキシン埋設」の現場ウォチングをして来ました。近々、大きな話題になると思います。また、これを封印するような行政体質、報道姿勢では、日本の先行きが不安・不満の空気が広がる気がします。
田中正造ではないですが、実践行動こそ世を動かす最大のパワーと思います。田中正造の言葉、「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」を思い出して欲しいと思う。
3日間で、400件を越えるアクセスがありました。再度、宇土市のみなさんに知って欲しいと思い、掲載します。この話題を、色々なところで語って欲しいと思います。
<以下、20日の日記>
12月20日は、午前中は12月議会の最終日で、委員会報告の決議と、国の緊急経済対策予算の補正予算承認で、いくつも決議がなされたが、無事に議会も終わり、13時に終わった。 終了後、20年来の議員の友人が、「宇土市の山中に、ダイオキシンが埋められている。今から地元の新聞社と現場を見に行く」とあり、一緒に同行させてもらった。
写真は、埋設現場写真で、山中腹にあり、看板に「2・4・5-T」の文字が見える。2・5・TTは、ベトナム戦争で使われた、「枯葉剤」と同じ成分を持つダイオキシンで、戦後、一時期営林署が、ツタなどの雑草を除去するために、国有林に散布していたもので、世の中が禁止を要望する中で、営林署が持っていた残りが、宇土市の山中他、熊本県内に他に2ヶ所国有林内に埋設している。
話によると、地下2mにコンクリートの箱の中に密封しているそうだ。以前に、宇土市議会で友人が質問した時の解答は、「毎年、点検をしているので大丈夫」と報告があった。点検は、どんな点検をしているか詳細の報告はない。この埋設地は、山の中腹より上に有り、著名に水源地まで2kmを満たない距離に有る。地域住民の中には、不安を訴えているが、営林署は一向に対処するようすもない。
コンクリートは化学反応で固まった固形物、酸性雨に当たれば中性化が進む、営林署は50年は大丈夫と言うが、既に40年近く経過している。撤去を要望する地域住民の動きが激しくなれば、営林署も対応せざる負えなくなると思う。
日本の行政は、「臭いモノには蓋」、「私の居る間(担当中)には、問題にしないで欲しい」の態度が見え見えで、相変わらずの「先送り体質」に怒りがこみ上げてくる。地元紙も注目したようで、今後これまでの経緯含め詳細な調査をして記事にしてくれると思う。
兎に角、先輩の言葉「現場を必ず確認しておけ」の教示に従い、千載一遇のチャンスと思い、友人と記者に同行して、「ダイオキシン埋設」の現場ウォチングをして来ました。近々、大きな話題になると思います。また、これを封印するような行政体質、報道姿勢では、日本の先行きが不安・不満の空気が広がる気がします。
田中正造ではないですが、実践行動こそ世を動かす最大のパワーと思います。田中正造の言葉、「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」を思い出して欲しいと思う。
2010年12月20日
(宇土市)ダイオキシン放棄? 営林署が宇土市の山中に埋設
(宇土市)ダイオキシン放棄? 営林署が宇土市の山中に埋設
今日は、午前中は12月議会の最終日で、委員会報告の決議と、国の緊急経済対策予算の補正予算承認で、いくつも決議がなされたが、無事に議会も終わり、13時に終わった。 終了後、20年来の議員の友人が、「宇土市の山中に、ダイオキシンが埋められている。今から地元の新聞社と現場を見に行く」とあり、一緒に同行させてもらった。

写真は、埋設現場写真で、山中腹にあり、看板に「2・4・5-T」の文字が見える。2・5・TTは、ベトナム戦争で使われた、「枯葉剤」と同じ成分を持つダイオキシンで、戦後、一時期営林署が、ツタなどの雑草を除去するために、国有林に散布していたもので、世の中が禁止を要望する中で、営林署が持っていた残りが、宇土市の山中他、熊本県内に他に2ヶ所国有林内に埋設している。

話によると、地下2mにコンクリートの箱の中に密封しているそうだ。以前に、宇土市議会で友人が質問した時の解答は、「毎年、点検をしているので大丈夫」と報告があった。点検は、どんな点検をしているか詳細の報告はない。この埋設地は、山の中腹より上に有り、著名に水源地まで2kmを満たない距離に有る。地域住民の中には、不安を訴えているが、営林署は一向に対処するようすもない。

コンクリートは化学反応で固まった固形物、酸性雨に当たれば中性化が進む、営林署は50年は大丈夫と言うが、既に40年近く経過している。撤去を要望する地域住民の動きが激しくなれば、営林署も対応せざる負えなくなると思う。
日本の行政は、「臭いモノには蓋」、「私の居る間(担当中)には、問題にしないで欲しい」の態度が見え見えで、相変わらずの「先送り体質」に怒りがこみ上げてくる。地元紙も注目したようで、今後これまでの経緯含め詳細な調査をして記事にしてくれると思う。
兎に角、先輩の言葉「現場を必ず確認しておけ」の教示に従い、千載一遇のチャンスと思い、友人と記者に同行して、「ダイオキシン埋設」の現場ウォチングをして来ました。近々、大きな話題になると思います。また、これを封印するような行政体質、報道姿勢では、日本の先行きが不安・不満の空気が広がる気がします。
田中正造ではないですが、実践行動こそ世を動かす最大のパワーと思います。田中正造の言葉、「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」を思い出して欲しいと思う。
*馬見原の白壁のまちづくり(26棟)
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/c4025195.html
私が手掛けたまちづくり(町並み修景事業)が、平成20年度くまもと県景観賞の「景観大賞」を、馬見原の白壁のまちづくり受賞しました。一度検索下さい。20棟のビフォー・アフターの写真と基となったCGを掲載しています。
今日は、午前中は12月議会の最終日で、委員会報告の決議と、国の緊急経済対策予算の補正予算承認で、いくつも決議がなされたが、無事に議会も終わり、13時に終わった。 終了後、20年来の議員の友人が、「宇土市の山中に、ダイオキシンが埋められている。今から地元の新聞社と現場を見に行く」とあり、一緒に同行させてもらった。
写真は、埋設現場写真で、山中腹にあり、看板に「2・4・5-T」の文字が見える。2・5・TTは、ベトナム戦争で使われた、「枯葉剤」と同じ成分を持つダイオキシンで、戦後、一時期営林署が、ツタなどの雑草を除去するために、国有林に散布していたもので、世の中が禁止を要望する中で、営林署が持っていた残りが、宇土市の山中他、熊本県内に他に2ヶ所国有林内に埋設している。
話によると、地下2mにコンクリートの箱の中に密封しているそうだ。以前に、宇土市議会で友人が質問した時の解答は、「毎年、点検をしているので大丈夫」と報告があった。点検は、どんな点検をしているか詳細の報告はない。この埋設地は、山の中腹より上に有り、著名に水源地まで2kmを満たない距離に有る。地域住民の中には、不安を訴えているが、営林署は一向に対処するようすもない。
コンクリートは化学反応で固まった固形物、酸性雨に当たれば中性化が進む、営林署は50年は大丈夫と言うが、既に40年近く経過している。撤去を要望する地域住民の動きが激しくなれば、営林署も対応せざる負えなくなると思う。
日本の行政は、「臭いモノには蓋」、「私の居る間(担当中)には、問題にしないで欲しい」の態度が見え見えで、相変わらずの「先送り体質」に怒りがこみ上げてくる。地元紙も注目したようで、今後これまでの経緯含め詳細な調査をして記事にしてくれると思う。
兎に角、先輩の言葉「現場を必ず確認しておけ」の教示に従い、千載一遇のチャンスと思い、友人と記者に同行して、「ダイオキシン埋設」の現場ウォチングをして来ました。近々、大きな話題になると思います。また、これを封印するような行政体質、報道姿勢では、日本の先行きが不安・不満の空気が広がる気がします。
田中正造ではないですが、実践行動こそ世を動かす最大のパワーと思います。田中正造の言葉、「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」を思い出して欲しいと思う。
*馬見原の白壁のまちづくり(26棟)
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/c4025195.html
私が手掛けたまちづくり(町並み修景事業)が、平成20年度くまもと県景観賞の「景観大賞」を、馬見原の白壁のまちづくり受賞しました。一度検索下さい。20棟のビフォー・アフターの写真と基となったCGを掲載しています。
2010年12月19日
真の人格者とは、中庸の「尚絅」の精神は世界に通じる
真の人格者とは、中庸の「尚絅」の精神は世界に通じる
日々の生活、仕事をしていると、色々な人たちに出会う。それぞれが、多様な経験、生活環境、目指す目標がある。サミュエル・スマイルズ著「自助論」を翻訳した、東京大学名誉教授の竹内均氏が訳した「世界の名著『自助論』に学べ」の末尾に、次の一節があります。人格者とは、どんな人なのかを語っています。
(以下、転載)
真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱する方を選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗もそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりは微塵も見せない。
これが真の人格者である。日常生活のどんなこまごました場面でも、自分をさておいてまで他人のために尽くそうとうとする――そこにこそ、真の人格者のあるべき姿が如実に示されている。
(以上、竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」)
これを短く語ることは難しいのですが、中国古典の孔子の教えを、孔子に子孫がまとめた「中庸」という経典があります。中庸=真中ですが、この中庸は、周りに状況で中が微妙に動くことです。常識は、時代によって変わります。よって、時々、所所で、良識も変わります。しかし、人と人が関わることは、東西を問わずあります。人間関係の真髄を、教示しているのが「中庸」です。
中庸の現代語訳「仮名中庸」に次に言葉があります。
「詩に曰く、錦を来て絅(けい)を尚(くわ)うと。其の文の著わるるを悪(にく)むなり。故に君子の道は、闇然(あんぜん)として日の章(あき)らかに、小人の道は的然として日に亡(ほろ)ぶ。君子の道は淡(たん)にして厭わず、簡(かん)にして文温にして理なり。遠きの近きを知り、風の自(よ)るを知り、微顕なるを知らば興(とも)に徳に入る可(べ)し」
(現代語訳)
詩経に、錦のような美しい着物を着て、薄い麻の衣を上に重ねるのは、そのきらびやかな美しさが、外へ表れ過ぎることをにくむからである。
そこで君子の道は、ちょっと見えるけれども、日に日にだんだんと現れてあきないが、小人の道は日に日にその箔がはげて見苦しくなる。君子の道は水のようにあっさりしながら長くしても厭わない。簡単にして却って文采があるようである。温和でありながら条理があって乱れがない。遠い彼方に見えるのは近いところに基づき、風のそよぐのはそれを起す内なるはたらきによることがわかり、かすかなようでも、それが重なって明らかに現れることを知れば、ともに相携えて徳を積んで大に至ることを知ることができる
(以上、「仮名中庸」より)
人を惹き付ける魅力とは何か?
解説を私なりに考えると、志を持ち、常に自分を磨く努力をしながら、驕らず、焦らず、淡々と日々の仕事をこなし、求められた時に自分の意見を言う。そして、言動一致の生活が大事と思います。
この教示を守るには、日々の行動を省みる時間とゆとりが必要と思います。寸暇を厭わず学び、人と語り、実行し、反省する。これは、何時の時代、何処の国でも変わらない人の営みの評価なのかもしれない。
*参考資料:竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」
サミュエル・スマイルズ著「自助論」
伊與田覚訳編「仮名中庸」
日々の生活、仕事をしていると、色々な人たちに出会う。それぞれが、多様な経験、生活環境、目指す目標がある。サミュエル・スマイルズ著「自助論」を翻訳した、東京大学名誉教授の竹内均氏が訳した「世界の名著『自助論』に学べ」の末尾に、次の一節があります。人格者とは、どんな人なのかを語っています。
(以下、転載)
真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱する方を選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗もそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりは微塵も見せない。
これが真の人格者である。日常生活のどんなこまごました場面でも、自分をさておいてまで他人のために尽くそうとうとする――そこにこそ、真の人格者のあるべき姿が如実に示されている。
(以上、竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」)
これを短く語ることは難しいのですが、中国古典の孔子の教えを、孔子に子孫がまとめた「中庸」という経典があります。中庸=真中ですが、この中庸は、周りに状況で中が微妙に動くことです。常識は、時代によって変わります。よって、時々、所所で、良識も変わります。しかし、人と人が関わることは、東西を問わずあります。人間関係の真髄を、教示しているのが「中庸」です。
中庸の現代語訳「仮名中庸」に次に言葉があります。
「詩に曰く、錦を来て絅(けい)を尚(くわ)うと。其の文の著わるるを悪(にく)むなり。故に君子の道は、闇然(あんぜん)として日の章(あき)らかに、小人の道は的然として日に亡(ほろ)ぶ。君子の道は淡(たん)にして厭わず、簡(かん)にして文温にして理なり。遠きの近きを知り、風の自(よ)るを知り、微顕なるを知らば興(とも)に徳に入る可(べ)し」
(現代語訳)
詩経に、錦のような美しい着物を着て、薄い麻の衣を上に重ねるのは、そのきらびやかな美しさが、外へ表れ過ぎることをにくむからである。
そこで君子の道は、ちょっと見えるけれども、日に日にだんだんと現れてあきないが、小人の道は日に日にその箔がはげて見苦しくなる。君子の道は水のようにあっさりしながら長くしても厭わない。簡単にして却って文采があるようである。温和でありながら条理があって乱れがない。遠い彼方に見えるのは近いところに基づき、風のそよぐのはそれを起す内なるはたらきによることがわかり、かすかなようでも、それが重なって明らかに現れることを知れば、ともに相携えて徳を積んで大に至ることを知ることができる
(以上、「仮名中庸」より)
人を惹き付ける魅力とは何か?
解説を私なりに考えると、志を持ち、常に自分を磨く努力をしながら、驕らず、焦らず、淡々と日々の仕事をこなし、求められた時に自分の意見を言う。そして、言動一致の生活が大事と思います。
この教示を守るには、日々の行動を省みる時間とゆとりが必要と思います。寸暇を厭わず学び、人と語り、実行し、反省する。これは、何時の時代、何処の国でも変わらない人の営みの評価なのかもしれない。
*参考資料:竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」
サミュエル・スマイルズ著「自助論」
伊與田覚訳編「仮名中庸」
2010年12月18日
偉人と取るに足りない人間の差は何か
偉人と取るに足らない人間の差とは
サミュエル・スマイルズの著者「自助論」に、次の言葉があります。
「強者と弱者の違い、偉人と取るに足りない人間との違いは、その人間が旺盛な活力と不屈の決意を持っているかどうかにかかっている。ひとたび目標が定まったら、後は勝利か死のいずれかしかない。……そう断じ切る決意が大切なのだ。旺盛な活力と不屈の決意さえあれば、この世に不可能なことは一つもない。逆にそれを備えていなければ、どんなに才能や境遇やチャンスに恵まれていようと、二本足で歩く動物の域を出ず、真の人間にはなれないだろう」
これを読むに、「なすべきと悟ったことは、全力を尽くしてこれを行なえ」と言うことだと思います。
人間は、安楽を求めたがります。日々、心を躍動させ、仕事の工夫しなければなりません。
サミュエル・スマイルズの著者「自助論」に、次の言葉があります。
「強者と弱者の違い、偉人と取るに足りない人間との違いは、その人間が旺盛な活力と不屈の決意を持っているかどうかにかかっている。ひとたび目標が定まったら、後は勝利か死のいずれかしかない。……そう断じ切る決意が大切なのだ。旺盛な活力と不屈の決意さえあれば、この世に不可能なことは一つもない。逆にそれを備えていなければ、どんなに才能や境遇やチャンスに恵まれていようと、二本足で歩く動物の域を出ず、真の人間にはなれないだろう」
これを読むに、「なすべきと悟ったことは、全力を尽くしてこれを行なえ」と言うことだと思います。
人間は、安楽を求めたがります。日々、心を躍動させ、仕事の工夫しなければなりません。
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2010年12月16日
老化は何で気付くか、気付かないか
老化は何で気付くか、気付かないか
逆に老人(老化)は、若さと同じで、年齢ではないと言えます。自分の不満は、周りの性と言い続ける若者、生活の苦しさを夫、あるいは妻の行動に注文を付ける人、安定志向、逆に無関心の人が増えているようにも思います。
曽野綾子さんの言葉を集めた「善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか(救心録)」の一節に次の言葉があります。
「年寄りになると、誰それは私の心がわかっているとか、誰それは私の見方だとか、幼稚な表現をするようになる。気合った仲というのはあるが、それは相手が正しい人だから好くのではない。なんとなく物の感じ方、おろかしさ、性質、趣味などにているから仲よしになのである。味方だから受け入れ、自分を非難するようになったら拒否する、という形に思考形態が変わってきたら、老化がかなり進んでいると、みずから自覚したい」
(以上、曽野綾子「救心録」より)
鋭い感覚だと思います。果たして、私自身、曽野さんの言われるように、自分で自覚できるだろうか、自分の変化を自覚できなくなることが老化なのかもしれない。
逆に老人(老化)は、若さと同じで、年齢ではないと言えます。自分の不満は、周りの性と言い続ける若者、生活の苦しさを夫、あるいは妻の行動に注文を付ける人、安定志向、逆に無関心の人が増えているようにも思います。
曽野綾子さんの言葉を集めた「善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか(救心録)」の一節に次の言葉があります。
「年寄りになると、誰それは私の心がわかっているとか、誰それは私の見方だとか、幼稚な表現をするようになる。気合った仲というのはあるが、それは相手が正しい人だから好くのではない。なんとなく物の感じ方、おろかしさ、性質、趣味などにているから仲よしになのである。味方だから受け入れ、自分を非難するようになったら拒否する、という形に思考形態が変わってきたら、老化がかなり進んでいると、みずから自覚したい」
(以上、曽野綾子「救心録」より)
鋭い感覚だと思います。果たして、私自身、曽野さんの言われるように、自分で自覚できるだろうか、自分の変化を自覚できなくなることが老化なのかもしれない。
2010年12月14日
『ゆずり葉』 河井酔茗 作
『ゆずり葉』 河井酔茗 作
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。
世のお父さん,お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
一生懸命に造っています。
今,お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。
世のお父さん,お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
一生懸命に造っています。
今,お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。
2010年12月13日
詩「ゆずり葉」に感動、「第3回九州グリーツーリズム大会」参加
~詩「ゆずり葉」に感動~
「第3回九州グリーツーリズム大会」に参加
12月10日夕方から、大分県宇佐市安心院町まで移動、たぶん間に合わないと思っていたので、事務局に泊まりの場所を聞き、民泊のオーナーに同宿の仲間と一緒の移動しました。佐賀市、大分市、宮崎県西米良村のグリーツーリズム関連に関わる方々でした。
(グリーツーリズム関連の夜なべ談義会)
2次会が、民宿で始まりました。私は、実質の夕食で、酒を酌み交わしながら夜遅くまで意見を交わしました。農業の厳しさ、中山間地の苦労、市場経済でどう生き乗るか、TPPの問題、後は、それぞれの人生観、将来のこと、次世代のこと、19時半から0時過ぎまで、話をしていました。とても有意義が議論で、次回の参加して話をしましょうということになりましら。
(スローフード大会)
翌日は、安心院の文化センターで、大分県の5地区に宿泊した参加者が全員集まり、日本昔話の声優の常田富士男氏が基調講演、常田氏と自然科学者の菊奈良義氏の対談、昼食がスローフード大会、最後が全体討論会でした。九州グリーンツーリズム大会は、3回目で前回は人吉市、来年は鹿児島の南さつま市で開催予定です。
中山間地や漁村での体験型観光「グリーンツーリズム」の可能性を探りに、今回参加しました。色々な収穫多い、安心院訪問になりました。来年2月に、安心院スローフード大会に、私の地元の婦人会と参加したいと思っています。
基調講演の常田氏が朗読した詩「ゆずり葉」が、とても印象に残ったので、末尾に紹介します。
<常田富士男氏の詩の朗読>
『ゆずり葉』 河井酔茗 作
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。
世のお父さん,お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
一生懸命に造っています。
今,お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。
<引用終わり>
「第3回九州グリーツーリズム大会」に参加
12月10日夕方から、大分県宇佐市安心院町まで移動、たぶん間に合わないと思っていたので、事務局に泊まりの場所を聞き、民泊のオーナーに同宿の仲間と一緒の移動しました。佐賀市、大分市、宮崎県西米良村のグリーツーリズム関連に関わる方々でした。
(グリーツーリズム関連の夜なべ談義会)
2次会が、民宿で始まりました。私は、実質の夕食で、酒を酌み交わしながら夜遅くまで意見を交わしました。農業の厳しさ、中山間地の苦労、市場経済でどう生き乗るか、TPPの問題、後は、それぞれの人生観、将来のこと、次世代のこと、19時半から0時過ぎまで、話をしていました。とても有意義が議論で、次回の参加して話をしましょうということになりましら。
(スローフード大会)
翌日は、安心院の文化センターで、大分県の5地区に宿泊した参加者が全員集まり、日本昔話の声優の常田富士男氏が基調講演、常田氏と自然科学者の菊奈良義氏の対談、昼食がスローフード大会、最後が全体討論会でした。九州グリーンツーリズム大会は、3回目で前回は人吉市、来年は鹿児島の南さつま市で開催予定です。
中山間地や漁村での体験型観光「グリーンツーリズム」の可能性を探りに、今回参加しました。色々な収穫多い、安心院訪問になりました。来年2月に、安心院スローフード大会に、私の地元の婦人会と参加したいと思っています。
基調講演の常田氏が朗読した詩「ゆずり葉」が、とても印象に残ったので、末尾に紹介します。
<常田富士男氏の詩の朗読>
『ゆずり葉』 河井酔茗 作
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。
世のお父さん,お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
一生懸命に造っています。
今,お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。
<引用終わり>
2010年12月06日
理想の実現は遠き先にあらず常に身近にあり(勝部徳太郎)
理想の実現は遠き先にあらず常に身近にあり、大決心の実行は明日を待たぬ(勝部徳太郎)
昭和の大農家に、勝部徳太郎氏がいる。東洋の小麦王と言われた勝部氏は、哲学者か、詩人かと思える言葉を残している。時代を引っ張ったリーダーの言葉は、短いが心を動かすものがある。
「誰もやったことのない仕事、誰もやれない仕事こそ男としてやり甲斐のある仕事だ」
「十年辛抱せよ十年の歳月は立派に成功できる歳月である」
「信用ほど大きい資本はない、自信ほど大きい財産はない」
「同業者が多くとも心配するな、やがて、不熱心なもの、不親切なもの、不熱練なものが落伍して、その反対のものが残る・これが成功者と言われる人だ」
「理想の実現は遠き先にあらず常に身近にあり、大事業も今日の只今より始まる。大決心の実行は明日を待たぬ」
土曜日に、宮崎兄弟の生家をたずねた。荒尾市が制作した4兄弟を紹介するビデオの末尾のことば「理想は実行しないと夢想に終わる」があった。
勝部氏は、戦前戦後、厳しい北海道の地で、冬場の出稼ぎせず、若いころは一日18時間以上働き続け、終戦直後に花を栽培、次にイチゴを栽培、全く違った発想で北海道を驚かせ、次に本格的に始めたのが小麦の大農場です。
一軒の家族農業で、100haを越える農地を大型農業機会をアメリカから導入し、昭和50年代には東洋一の小麦農家になった。
勝部氏は、資産を子どもに残さず、勝部財団を作り後進の指導に当たった。勝部氏の伝記の遺訓が上記のものですが、「小学校しか出ていない」と勝部氏は、控え目ですが、その体験、学問の深さから出てくる言葉は、心に響くものばかりです。
今日、私は初めての定例議会で、これまでの色々な思いが頭をめぐりますが、勝部氏の遺訓を再度読み、今日の議会へ臨みたいと思います。
*参考資料:「勝部徳太郎翁伝記『農業は大地に鍬で彫る版画なり』」
この本は、全国の有志が集まり制作された本です。
昭和の大農家に、勝部徳太郎氏がいる。東洋の小麦王と言われた勝部氏は、哲学者か、詩人かと思える言葉を残している。時代を引っ張ったリーダーの言葉は、短いが心を動かすものがある。
「誰もやったことのない仕事、誰もやれない仕事こそ男としてやり甲斐のある仕事だ」
「十年辛抱せよ十年の歳月は立派に成功できる歳月である」
「信用ほど大きい資本はない、自信ほど大きい財産はない」
「同業者が多くとも心配するな、やがて、不熱心なもの、不親切なもの、不熱練なものが落伍して、その反対のものが残る・これが成功者と言われる人だ」
「理想の実現は遠き先にあらず常に身近にあり、大事業も今日の只今より始まる。大決心の実行は明日を待たぬ」
土曜日に、宮崎兄弟の生家をたずねた。荒尾市が制作した4兄弟を紹介するビデオの末尾のことば「理想は実行しないと夢想に終わる」があった。
勝部氏は、戦前戦後、厳しい北海道の地で、冬場の出稼ぎせず、若いころは一日18時間以上働き続け、終戦直後に花を栽培、次にイチゴを栽培、全く違った発想で北海道を驚かせ、次に本格的に始めたのが小麦の大農場です。
一軒の家族農業で、100haを越える農地を大型農業機会をアメリカから導入し、昭和50年代には東洋一の小麦農家になった。
勝部氏は、資産を子どもに残さず、勝部財団を作り後進の指導に当たった。勝部氏の伝記の遺訓が上記のものですが、「小学校しか出ていない」と勝部氏は、控え目ですが、その体験、学問の深さから出てくる言葉は、心に響くものばかりです。
今日、私は初めての定例議会で、これまでの色々な思いが頭をめぐりますが、勝部氏の遺訓を再度読み、今日の議会へ臨みたいと思います。
*参考資料:「勝部徳太郎翁伝記『農業は大地に鍬で彫る版画なり』」
この本は、全国の有志が集まり制作された本です。
2010年12月05日
「博愛行仁」(孫文)、宮崎滔天-辛亥革命100年
「博愛行仁」(孫文)、宮崎滔天-辛亥革命100年
昨日は、毎週の公民館講話で大牟田へ出かけました。「龍馬と政治」の第3回目、テーマは、「薩長同盟に学ぶ現代の政治情勢」でした。先週は、現代のアジア情勢で意見を交わした時、明確な答えを出せなかったので、緊張の講話でした。
薩長への列強の脅威、薩長同盟、龍馬の情報元の人物の紹介、明治維新の薩長土肥の関係、等々を話して、現代の薩長同盟とはに移ると、参加者の顔つきが真剣になりました。
尖閣諸島の漁船衝突、北朝鮮からの砲撃、内閣の揺れる発言、混沌とするアジア情勢は、国民の心も揺れ動かしていることをかんじました。しかし、こんな話題を全く知らない、興味のない国民がたくさんいます。若者に徴兵制の必要性を説く人もいる中、知ろうとしない国民、そのような教育をして来た日本国家だったから、このような政治家の存在感のなさがあるのかもしれません。
第2次政界大戦から、ベトナム、アフガン、コソボ、湾岸戦争、イラク、等々、アメリカの関わった戦争があります。約10年ごとに起こっていて、これは色々な見方をする人がいて、昨日もその戦争の背景にある軍需産業の存在です。
世界の中で、今後日本がどう動くか、何処と連携を汲み、何処と対峙するのか、EUがつながり、北米も南米も連携が進んでいます。アフリカ諸国の経済成長、東アジアの成長も著しい中で、日本の成さねばならない役割を、国民一人ひとりが考えることが重要と思います。
今から100年前、中国を大きく揺るがした政治抗争「辛亥革命」がありました。その抗争に、日本の若い志士たちが参加しました。その一人、宮崎滔天(民蔵)の生家を、大牟田の帰りに寄り、ゆっくり見学をして来ました。宮崎四兄弟は、日本の自由民権運動の中で活躍した明治の志士と思います。
特に、末弟の宮崎民蔵(後の滔天)は、孫文を助け、中華民国成立の立役者の一人として高く評価されています。宮崎兄弟の出身地の荒尾市では、来年辛亥革命100年を記念して、催しが企画されているようです。
展示の資料を見て、荒尾市が作った高校ビデオを見ました。心を引いた二つの言葉があります。一つが、
「理想は実行に移さないと夢想に終わる」(滔天)
もう一つが、
「博愛行仁」(孫文)
の額がありました。これは、孫文が宮崎民蔵(滔天)に贈ったものです。理想は実行してこそ意味がある、孫文の政治理念が「博愛」「行仁」とは、はじめて知りました。孔子の教えを学んだように思います。
昨日は、毎週の公民館講話で大牟田へ出かけました。「龍馬と政治」の第3回目、テーマは、「薩長同盟に学ぶ現代の政治情勢」でした。先週は、現代のアジア情勢で意見を交わした時、明確な答えを出せなかったので、緊張の講話でした。
薩長への列強の脅威、薩長同盟、龍馬の情報元の人物の紹介、明治維新の薩長土肥の関係、等々を話して、現代の薩長同盟とはに移ると、参加者の顔つきが真剣になりました。
尖閣諸島の漁船衝突、北朝鮮からの砲撃、内閣の揺れる発言、混沌とするアジア情勢は、国民の心も揺れ動かしていることをかんじました。しかし、こんな話題を全く知らない、興味のない国民がたくさんいます。若者に徴兵制の必要性を説く人もいる中、知ろうとしない国民、そのような教育をして来た日本国家だったから、このような政治家の存在感のなさがあるのかもしれません。
第2次政界大戦から、ベトナム、アフガン、コソボ、湾岸戦争、イラク、等々、アメリカの関わった戦争があります。約10年ごとに起こっていて、これは色々な見方をする人がいて、昨日もその戦争の背景にある軍需産業の存在です。
世界の中で、今後日本がどう動くか、何処と連携を汲み、何処と対峙するのか、EUがつながり、北米も南米も連携が進んでいます。アフリカ諸国の経済成長、東アジアの成長も著しい中で、日本の成さねばならない役割を、国民一人ひとりが考えることが重要と思います。
今から100年前、中国を大きく揺るがした政治抗争「辛亥革命」がありました。その抗争に、日本の若い志士たちが参加しました。その一人、宮崎滔天(民蔵)の生家を、大牟田の帰りに寄り、ゆっくり見学をして来ました。宮崎四兄弟は、日本の自由民権運動の中で活躍した明治の志士と思います。
特に、末弟の宮崎民蔵(後の滔天)は、孫文を助け、中華民国成立の立役者の一人として高く評価されています。宮崎兄弟の出身地の荒尾市では、来年辛亥革命100年を記念して、催しが企画されているようです。
展示の資料を見て、荒尾市が作った高校ビデオを見ました。心を引いた二つの言葉があります。一つが、
「理想は実行に移さないと夢想に終わる」(滔天)
もう一つが、
「博愛行仁」(孫文)
の額がありました。これは、孫文が宮崎民蔵(滔天)に贈ったものです。理想は実行してこそ意味がある、孫文の政治理念が「博愛」「行仁」とは、はじめて知りました。孔子の教えを学んだように思います。
2010年12月03日
指導者-これぞ「人の上に立つ人」
指導者-これぞ「人の上に立つ人」
リーダーとは、現在の内閣を筆頭に指導者の貧弱者が目立つ日本の現状ですが、では真の指導者とはどんな人でしょうか? 安岡正篤先生の著書に次に一節がありました。
(転載)
真の指導者は必ず謙虚、私が無く、自己の利害・欲望によって汚されない良心から起つべきものである。社会の善のため、人類の幸福と進歩のために指導し、私心を満ためにするのではない。賢明な指導者は何よりもまず自分自身の指導者、模範となるよう心がけるべきだ。
(「安岡正篤『こころ』に書き写す言葉」)
やはり、何時の時代もリーダーはビジョンを持つ無私の精神の人物なのかもしれません。私心無きことこそ、勇気の源のように感じます。
リーダーとは、現在の内閣を筆頭に指導者の貧弱者が目立つ日本の現状ですが、では真の指導者とはどんな人でしょうか? 安岡正篤先生の著書に次に一節がありました。
(転載)
真の指導者は必ず謙虚、私が無く、自己の利害・欲望によって汚されない良心から起つべきものである。社会の善のため、人類の幸福と進歩のために指導し、私心を満ためにするのではない。賢明な指導者は何よりもまず自分自身の指導者、模範となるよう心がけるべきだ。
(「安岡正篤『こころ』に書き写す言葉」)
やはり、何時の時代もリーダーはビジョンを持つ無私の精神の人物なのかもしれません。私心無きことこそ、勇気の源のように感じます。
2010年12月02日
実力を十分に蓄えてから行動を起そう
実力を十分に蓄えてから行動を起そう
事が成るには、タイミングが大事と言います。しかし、事を成就するのは、事に当たる人の能力が伴わないと、目的の達成が難しい。やはり十分な能力を持つ人物が、時期良く事に当たれば、成就しやすい。
孫子の兵法に次に教えがあります。
「勝者の戦うや、積水を千仞(せんじん)の谿(たに)に決すが若(ごと)き者は、形なり」
(解説)
バケツの水を流しても大した威力はないが、ダムにたっぷりと貯めた水を一気に流すなら、その威力はすざまじいものになる。
これと同じで、勝負(競争)に勝てる人は、まず実力を蓄える。十分に実力を蓄えているから、活躍する事ができ、大きな成果を上げることができる。
ビジネスで言えば、普段からスキルアップに努力をしているので、仕事を任されたときにそれを成功させることができる。普段からスキルアップに努力をしていないのに、仕事で成功しようなんて、無理な話です。
日本の言葉で言うと「地滑り的勝利」、雪崩現象に近い、民意の集約を集めるには、日常の努力と人的ネットワークが必要。不断の努力を怠ってはいけないと思う。
*参考資料:萌訳「孫子ちゃんの兵法」より
事が成るには、タイミングが大事と言います。しかし、事を成就するのは、事に当たる人の能力が伴わないと、目的の達成が難しい。やはり十分な能力を持つ人物が、時期良く事に当たれば、成就しやすい。
孫子の兵法に次に教えがあります。
「勝者の戦うや、積水を千仞(せんじん)の谿(たに)に決すが若(ごと)き者は、形なり」
(解説)
バケツの水を流しても大した威力はないが、ダムにたっぷりと貯めた水を一気に流すなら、その威力はすざまじいものになる。
これと同じで、勝負(競争)に勝てる人は、まず実力を蓄える。十分に実力を蓄えているから、活躍する事ができ、大きな成果を上げることができる。
ビジネスで言えば、普段からスキルアップに努力をしているので、仕事を任されたときにそれを成功させることができる。普段からスキルアップに努力をしていないのに、仕事で成功しようなんて、無理な話です。
日本の言葉で言うと「地滑り的勝利」、雪崩現象に近い、民意の集約を集めるには、日常の努力と人的ネットワークが必要。不断の努力を怠ってはいけないと思う。
*参考資料:萌訳「孫子ちゃんの兵法」より