2010年04月30日
生きるよろこびは、愛すること、愛されること
生きるよろこびは、愛すること、愛されること
今日は、論語とは少々違いますが、心を育てる言葉について考えてみます。
人へ感謝とは、どんなきっかけで抱くのだろうか。
夫婦、親子、兄弟、姉妹、親族、友人、知人、・・・
と、日々暮らす人との縁の中で、「身近な」と言う言葉を使います。
その縁の中で、何を知り、学び、考え、語り、行動します。
人の言動から受ける「感じ」が、人々の心を豊かにします。
作家の田辺聖子さんの語録が好きで、時々読むのですが、次に言葉を紹介します。
私にとって愛情は、ほんとにタカラモノ(宝物)
(本文、より)
人間にとっての大きな財宝というのは、いい人間の愛情を、自分がもらうこと、自分のそれも他人にあげること、そこに尽きるように思う。親子兄弟夫婦の愛情もそうであろう。血がつながっているからといって、アテにはならない。血は分類的な目安の一つで、それが絶対ではない。親子や姉妹だからといって、みんなが仲いいわけではないのである。他人同士の愛情のほうがホンモノで深いことがあるのだ。他人のなかから、いい人をみつけ出して、その人と仲よくなり、やさしさをわかちあう、というのは、私にとって、ほんとに、タカラモノ(宝物)におもえる。
(以上、「ダンスと空想」)
生きるよろこびは、愛すること、愛されること
(本文、より)
つくづく思うに、(昔から人間というものはそうだが)ことに現代では、真の生きるよろこびというのは、愛すること、愛されること、しかないのである。
そして、私たちオトナ(大人)が、これからの子どもに対して教えることは、人を愛することのできる人間になることだけである。
(以上、「女が愛に生きるとき」)
この文章に解説や感想は必要ないと思います。
お読みくださったみなさんが、それぞれに思い、考えていただければ幸いです。
*参考資料:田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」
今日は、論語とは少々違いますが、心を育てる言葉について考えてみます。
人へ感謝とは、どんなきっかけで抱くのだろうか。
夫婦、親子、兄弟、姉妹、親族、友人、知人、・・・
と、日々暮らす人との縁の中で、「身近な」と言う言葉を使います。
その縁の中で、何を知り、学び、考え、語り、行動します。
人の言動から受ける「感じ」が、人々の心を豊かにします。
作家の田辺聖子さんの語録が好きで、時々読むのですが、次に言葉を紹介します。
私にとって愛情は、ほんとにタカラモノ(宝物)
(本文、より)
人間にとっての大きな財宝というのは、いい人間の愛情を、自分がもらうこと、自分のそれも他人にあげること、そこに尽きるように思う。親子兄弟夫婦の愛情もそうであろう。血がつながっているからといって、アテにはならない。血は分類的な目安の一つで、それが絶対ではない。親子や姉妹だからといって、みんなが仲いいわけではないのである。他人同士の愛情のほうがホンモノで深いことがあるのだ。他人のなかから、いい人をみつけ出して、その人と仲よくなり、やさしさをわかちあう、というのは、私にとって、ほんとに、タカラモノ(宝物)におもえる。
(以上、「ダンスと空想」)
生きるよろこびは、愛すること、愛されること
(本文、より)
つくづく思うに、(昔から人間というものはそうだが)ことに現代では、真の生きるよろこびというのは、愛すること、愛されること、しかないのである。
そして、私たちオトナ(大人)が、これからの子どもに対して教えることは、人を愛することのできる人間になることだけである。
(以上、「女が愛に生きるとき」)
この文章に解説や感想は必要ないと思います。
お読みくださったみなさんが、それぞれに思い、考えていただければ幸いです。
*参考資料:田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」
2010年04月26日
四〇才、五〇才にして噂もないは値打ちなし
四〇才、五〇才にして噂もないは値打ちなし
世間的には、地位や役職なくとも、頼りになる人、知識人、活動家、等々、世間敵は有名でなくても、仲間内では知られた人物がいるものです。
住んではいるが、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、というのではつまらない。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でも良い。いい叔父さんだよ、やさしい叔母さんだよと言われだけで良いと思います。
大小を問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家に帰っても女房・子ども、家族からいやがられる、そんなことでは人間はダメと思います。
孔子の教えにも、「四十、五十にして聞こゆるなきは 畏るるに足らざるのみ」とある。
日々の生活態度、発言、あるいは仲間と協働の行動の中で、それぞれに人は、周りの人を評価しながら、自分の行動と照らし合せている。好意を持つ人、期待を持つ人、頼りになる人、関わり縁の有る一人ひとりを、それぞれが考えていると思います。
この好感を持つ人こそ、人を惹きつけるソフト・パワーを持つ「人格」が、外へ現れ、魅力としてかもし出されるだと思います。そこから、噂として世間の回り、知られる事になると思います。
「人の話題にも上らないような中年ではダメだ!」
と孔子も教えるように、ただただ、謙虚に控え目ばかりではいけないと思います。やらなければならないときはやる。発言しかねればいけないときは、反論覚悟で発言することも必要と思います。
兎にも角にも、日常の言動が自分を高める一番大事な学問のように思います。
>聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない
心しておきたい言葉と思います。連休まで数日ですが、休み前の仕事を、どう終らせるか朝からの行動に尽きると思います。さっそく、今から始めたいと思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一言」より
世間的には、地位や役職なくとも、頼りになる人、知識人、活動家、等々、世間敵は有名でなくても、仲間内では知られた人物がいるものです。
住んではいるが、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、というのではつまらない。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でも良い。いい叔父さんだよ、やさしい叔母さんだよと言われだけで良いと思います。
大小を問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家に帰っても女房・子ども、家族からいやがられる、そんなことでは人間はダメと思います。
孔子の教えにも、「四十、五十にして聞こゆるなきは 畏るるに足らざるのみ」とある。
日々の生活態度、発言、あるいは仲間と協働の行動の中で、それぞれに人は、周りの人を評価しながら、自分の行動と照らし合せている。好意を持つ人、期待を持つ人、頼りになる人、関わり縁の有る一人ひとりを、それぞれが考えていると思います。
この好感を持つ人こそ、人を惹きつけるソフト・パワーを持つ「人格」が、外へ現れ、魅力としてかもし出されるだと思います。そこから、噂として世間の回り、知られる事になると思います。
「人の話題にも上らないような中年ではダメだ!」
と孔子も教えるように、ただただ、謙虚に控え目ばかりではいけないと思います。やらなければならないときはやる。発言しかねればいけないときは、反論覚悟で発言することも必要と思います。
兎にも角にも、日常の言動が自分を高める一番大事な学問のように思います。
>聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない
心しておきたい言葉と思います。連休まで数日ですが、休み前の仕事を、どう終らせるか朝からの行動に尽きると思います。さっそく、今から始めたいと思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一言」より
2010年04月26日
耐えて志を達成する、「四耐四不の辞」(王陽明)、
耐えて志を達成する、「四耐四不の辞」(王陽明)、
私は、安岡正篤氏の著書(語録)が好きで、時々本を開くのですが、安岡語録の「一燈照隅、萬燈照国」の一節に、陽明学の祖、王陽明の「四耐四不の辞」がある。これは、高い志を持っていれば、多難の状況でも耐え、諦めずに目標に至るまで、全うすることが大事と説いたものです、
・四耐四不の辞
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず、以って大事をなすべし」(王陽明)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩(わずら)わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない」(平井外四元)
何事も忍耐が大事と思います。
騒ぎ、目立とうとする人は、長くその地位に居られない。
驕り、昂ぶらず、謙虚に自分の目標を秘め、地道に進み続けることが必要と思います。
一人、一人の向上心こそ、地域を明るく、元気にして行く基のように思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一話」
植田正也著「電通 鬼十則」
私は、安岡正篤氏の著書(語録)が好きで、時々本を開くのですが、安岡語録の「一燈照隅、萬燈照国」の一節に、陽明学の祖、王陽明の「四耐四不の辞」がある。これは、高い志を持っていれば、多難の状況でも耐え、諦めずに目標に至るまで、全うすることが大事と説いたものです、
・四耐四不の辞
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず、以って大事をなすべし」(王陽明)
「冷たい扱いを受けても我慢し、もろもろの苦しみにも耐え、どんな煩(わずら)わしく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、時に左遷されたり、閑職におかれても、気にしないで悠々自適とする。
そして、どんなことがあってもカッとしたり、嬉しいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって付和雷同もしない、という姿勢を常に持っていないと、天下の大事はなせない」(平井外四元)
何事も忍耐が大事と思います。
騒ぎ、目立とうとする人は、長くその地位に居られない。
驕り、昂ぶらず、謙虚に自分の目標を秘め、地道に進み続けることが必要と思います。
一人、一人の向上心こそ、地域を明るく、元気にして行く基のように思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一話」
植田正也著「電通 鬼十則」
2010年04月24日
修養が足りない現代日本人(安岡正篤)
修養が足りない現代日本人(安岡正篤)
現代は、思っても見ない事件、リーダーたちの不祥事が続く、なんかおかしい日本社会、何処がいけないのか、自分自身も含め考え、反省することが必要と思います。
この危機感を、昭和の東洋哲学者の安岡正篤氏も指摘しています。
(本文転載)
現代日本人は人物と言うものができていない。修養が足りない、人を見れば悪口を言って、自分のことを棚に上げておいて、そうして一向努力をせぬ、嫉妬誹謗し、そうして他に向って大言壮語ばかりする。行儀作法もなっていないという傾きがある。これを根本的に是正しなければ本当の意味において日本精神は発揚することはない。
外に発展しようと思えば思う程、やはり内に深めなければならない。
(以上、「安岡正篤 一日一言」)
まず自分に返る(反省する)。
自分の行動を検証する。
自分の言動を省みるゆとりを持つ。
「人の振り見て、わが身を振り返る」
他人の言動に眉をひそめ、小言、悪口を言う人を良く見ます。果たして、自分はどうかと考えると、聖人君子ではないので、振り返ると「ハッ!」と気づくことも多々あります。
やはり、日々反省「一日三省」の気持ちを忘れていけないと思います。
「外に発展するには、内に深める」
日々の行動に気をつけ反省して行けば、いずれそれがその人の風格として外へ溢れ出てくるのだと感じます。
「あの人は、人格者よね!」の声こそ、外へ溢れ出た教養ではないでしょうか。そこへ至るには、まだまだ遠い道のりですが、日々の心がけを忘れずに、寸暇を惜しんで学問を続けて行きたいものです。
*参考資料:「安岡正篤 一日一言」
現代は、思っても見ない事件、リーダーたちの不祥事が続く、なんかおかしい日本社会、何処がいけないのか、自分自身も含め考え、反省することが必要と思います。
この危機感を、昭和の東洋哲学者の安岡正篤氏も指摘しています。
(本文転載)
現代日本人は人物と言うものができていない。修養が足りない、人を見れば悪口を言って、自分のことを棚に上げておいて、そうして一向努力をせぬ、嫉妬誹謗し、そうして他に向って大言壮語ばかりする。行儀作法もなっていないという傾きがある。これを根本的に是正しなければ本当の意味において日本精神は発揚することはない。
外に発展しようと思えば思う程、やはり内に深めなければならない。
(以上、「安岡正篤 一日一言」)
まず自分に返る(反省する)。
自分の行動を検証する。
自分の言動を省みるゆとりを持つ。
「人の振り見て、わが身を振り返る」
他人の言動に眉をひそめ、小言、悪口を言う人を良く見ます。果たして、自分はどうかと考えると、聖人君子ではないので、振り返ると「ハッ!」と気づくことも多々あります。
やはり、日々反省「一日三省」の気持ちを忘れていけないと思います。
「外に発展するには、内に深める」
日々の行動に気をつけ反省して行けば、いずれそれがその人の風格として外へ溢れ出てくるのだと感じます。
「あの人は、人格者よね!」の声こそ、外へ溢れ出た教養ではないでしょうか。そこへ至るには、まだまだ遠い道のりですが、日々の心がけを忘れずに、寸暇を惜しんで学問を続けて行きたいものです。
*参考資料:「安岡正篤 一日一言」
2010年04月23日
不満をいう前に 自分を振り返ってみる
不満をいう前に 自分を振り返ってみる
私は、いくつかのブログサイトに日記を、日々書き込んでいます。インターネットは、全国何処からでも検索できます。世には色々な方が居るもので、あったこともない私のブログに、常に批判を繰り返す人も居られます。
私は、九州の田舎の親父で、浅学な知識ではありますが、少しの時間を使い自分が疑問に思ったことを書き、それに意見を書き込んでもらい、意見を交わすことを楽しみしながら、互に成長できればと思うのですが、苦言、忠告ばかりの書き込みでは、やはり閉口してしまいます。そんな方には、申し訳ないですが、書き込みをご遠慮してもらっています。
昨日、読んだ本「道元 禅の言葉」に、次の一節がありました。
(本文)
不満をいう前に 自分を振り返ってみる
――他は是れ、吾にあらず(典座教訓)
自分を批判する目を持つ
この世の中に、どうして、こんなにも「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」が、大洪水のごとくあふれているのか。いろいろ理由があるであろう。が、一つ見逃していけないことは、わたくしたちが、あまりにも、生きる価値を、世の中や、他人様に求めすぎている、と、いうことなのだ。(中略)
世の中や他人に対する批判力は、急上昇している。それは結構なこととしても、もう少し、自分の内面にも向けるときがきたのではないか。(中略)
(以上、「道元 禅の言葉」)
私自身、日々の出来事に、色々と意見をブログに書き込み、偉そうなことと言っているように感じることがあります。事件・出来事に関わる当事者は、色々な状況、思いの中で、言動していると思います。
しかし、私は、テレビ・新聞で流されるニュースだけを素に意見をいうのですが、その疑問・気持ちの原因が自分に有ることを忘れていることが多々あります。
人には、「人間関係は、磁石のようなもの」と表現するのですが、インターネット上でも、それは同じ事が起こっているだと思います。
ただ、人の意見に対して、攻撃的な言葉ばかりがくれる方の意見は、気丈な方でも気持ちがめげて、心を閉ざしたくなるのが本音と思います。不満は結構ですが、その不満を相手が向上するような助言や、社会がより良く方向へ行くような提言として、言葉に現われると良いなと思います。
これは、自分自身の反省も含め、気をつけなければいけないこと思います。関わる方々活動が、さらに発展向上するような、交流ができると良いなと願っています。
*参考資料:境野勝悟著「道元 禅の言葉」
私は、いくつかのブログサイトに日記を、日々書き込んでいます。インターネットは、全国何処からでも検索できます。世には色々な方が居るもので、あったこともない私のブログに、常に批判を繰り返す人も居られます。
私は、九州の田舎の親父で、浅学な知識ではありますが、少しの時間を使い自分が疑問に思ったことを書き、それに意見を書き込んでもらい、意見を交わすことを楽しみしながら、互に成長できればと思うのですが、苦言、忠告ばかりの書き込みでは、やはり閉口してしまいます。そんな方には、申し訳ないですが、書き込みをご遠慮してもらっています。
昨日、読んだ本「道元 禅の言葉」に、次の一節がありました。
(本文)
不満をいう前に 自分を振り返ってみる
――他は是れ、吾にあらず(典座教訓)
自分を批判する目を持つ
この世の中に、どうして、こんなにも「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」が、大洪水のごとくあふれているのか。いろいろ理由があるであろう。が、一つ見逃していけないことは、わたくしたちが、あまりにも、生きる価値を、世の中や、他人様に求めすぎている、と、いうことなのだ。(中略)
世の中や他人に対する批判力は、急上昇している。それは結構なこととしても、もう少し、自分の内面にも向けるときがきたのではないか。(中略)
(以上、「道元 禅の言葉」)
私自身、日々の出来事に、色々と意見をブログに書き込み、偉そうなことと言っているように感じることがあります。事件・出来事に関わる当事者は、色々な状況、思いの中で、言動していると思います。
しかし、私は、テレビ・新聞で流されるニュースだけを素に意見をいうのですが、その疑問・気持ちの原因が自分に有ることを忘れていることが多々あります。
人には、「人間関係は、磁石のようなもの」と表現するのですが、インターネット上でも、それは同じ事が起こっているだと思います。
ただ、人の意見に対して、攻撃的な言葉ばかりがくれる方の意見は、気丈な方でも気持ちがめげて、心を閉ざしたくなるのが本音と思います。不満は結構ですが、その不満を相手が向上するような助言や、社会がより良く方向へ行くような提言として、言葉に現われると良いなと思います。
これは、自分自身の反省も含め、気をつけなければいけないこと思います。関わる方々活動が、さらに発展向上するような、交流ができると良いなと願っています。
*参考資料:境野勝悟著「道元 禅の言葉」
2010年04月22日
人から人へ伝染する、地道で継続できる活動を中心に
人から人へ伝染する、地道で継続できる活動を中心に
今日は、早朝の窓を叩く雨音に加え、雷も鳴り、目が覚めました。、
・厳しい地方の社会状況を実感
一昨日は、友人の市長選挙の選挙運動に参加して、地域を車で回りながら、私たちが住む熊本県央地域の現状を見ながら、農業、漁業、さらには商業も含め、きびしい現実と向い、がんばっている先輩たちに会い、話を聞き、回った1日でした。
昨日は、自分の仕事の予定が詰まっていて、移動しながら、色々な日程決めをして、今日の準備をしたのですが、一日が過ぎるのは早いなと思います。
・苦言、忠告に感謝
最近、色々なブログに掲載していると、色々な方が苦言、忠告をしてくれます。中には、厳しい言葉を頂きますが、これもまたありがたいと言葉として受け止めています。なかなかご返事ができませんが、常に前を向いて行きたいと思います。
私は、色々なブログに故事や先人の名言を色々紹介していますが、これを「安易」とご指摘をも受けますが、これは私の考え方で、すべての人の助言に合わせて、私の考えを変えるつもりはありません。
ただ、むやみに厳しい言葉をかけ続ける方の書き込みは、ご遠慮してもらっています。
・20年前、一人の社会活動の師に出会い
私は、20年前一人の師に出会い、社会活動(歴史顕彰、地域活性化、等)に20年近く関わってきました。昨年は、熊本県全体で取り組んだ、「横井小楠生誕200年記念事業」の実行委員会の事務局長を務めました。社会をみると、そんな事業を「やりました」と広報される方もおられますが、宣伝せずともそのような活動は、いずれ人伝えに知られることだと思います。
・「宣伝する活動はするな」の訓示
地域活動の先輩から、「宣伝する活動はするな、人から人へ伝染して行くような、地道で継続できる活動をしなさい」と訓示されました。
以来、わざわざ、「自分は何をしました。これをやります」とはやっていません。いずれ5年、10年経つと自然に人には知ってもらえますし、宣伝活動に時間と力を使うより、日々の活動を自分の思うようにしたいと考えています。
「無理はしない」が、私のモットーです。それと、人間10年くらい付き合わないと、良く分からないが実感です。
・人と語るには「日々本を読み、毎日書きなさい」
また10年前に出会った師から、人と語り、思いをうまく伝えるには、「日々本を読み、毎日書きなさい」と指導がありました。メールマガジンは、2002年の6月から配信していますが、来年6月で10年になります。
・ブログの利用は、人それぞれ
学んだことを日記に書く、せっかく知ったことは、知人友人にも知ってもらうと良いなと思い、いくつかのブログに、テーマを変えて日々書き加えています。これも私の重要な勉強とネットワークづくりの活動です。
・地域の仲間と、小さな活動を
私は、11年間の活動と1300人のと出会い・語った記録を本にしました。それ以外、広報と言えることはしていません。また、しようとも思いません。
一時期、「飛ぶ鳥を落とす勢い」の人がいます。そんな方は、数年経つと何処へ行ったか分からなくなります。私は、実際に出会い・語たり、心つながった師友を大切にして、賛同してもらっている地域の仲間と、小さな活動を続けて行きたいと考えています。
今日は難しい交渉と、家族用事で一日が終わりそうです。
しかし、雨が多い今年の春です。
今日は、早朝の窓を叩く雨音に加え、雷も鳴り、目が覚めました。、
・厳しい地方の社会状況を実感
一昨日は、友人の市長選挙の選挙運動に参加して、地域を車で回りながら、私たちが住む熊本県央地域の現状を見ながら、農業、漁業、さらには商業も含め、きびしい現実と向い、がんばっている先輩たちに会い、話を聞き、回った1日でした。
昨日は、自分の仕事の予定が詰まっていて、移動しながら、色々な日程決めをして、今日の準備をしたのですが、一日が過ぎるのは早いなと思います。
・苦言、忠告に感謝
最近、色々なブログに掲載していると、色々な方が苦言、忠告をしてくれます。中には、厳しい言葉を頂きますが、これもまたありがたいと言葉として受け止めています。なかなかご返事ができませんが、常に前を向いて行きたいと思います。
私は、色々なブログに故事や先人の名言を色々紹介していますが、これを「安易」とご指摘をも受けますが、これは私の考え方で、すべての人の助言に合わせて、私の考えを変えるつもりはありません。
ただ、むやみに厳しい言葉をかけ続ける方の書き込みは、ご遠慮してもらっています。
・20年前、一人の社会活動の師に出会い
私は、20年前一人の師に出会い、社会活動(歴史顕彰、地域活性化、等)に20年近く関わってきました。昨年は、熊本県全体で取り組んだ、「横井小楠生誕200年記念事業」の実行委員会の事務局長を務めました。社会をみると、そんな事業を「やりました」と広報される方もおられますが、宣伝せずともそのような活動は、いずれ人伝えに知られることだと思います。
・「宣伝する活動はするな」の訓示
地域活動の先輩から、「宣伝する活動はするな、人から人へ伝染して行くような、地道で継続できる活動をしなさい」と訓示されました。
以来、わざわざ、「自分は何をしました。これをやります」とはやっていません。いずれ5年、10年経つと自然に人には知ってもらえますし、宣伝活動に時間と力を使うより、日々の活動を自分の思うようにしたいと考えています。
「無理はしない」が、私のモットーです。それと、人間10年くらい付き合わないと、良く分からないが実感です。
・人と語るには「日々本を読み、毎日書きなさい」
また10年前に出会った師から、人と語り、思いをうまく伝えるには、「日々本を読み、毎日書きなさい」と指導がありました。メールマガジンは、2002年の6月から配信していますが、来年6月で10年になります。
・ブログの利用は、人それぞれ
学んだことを日記に書く、せっかく知ったことは、知人友人にも知ってもらうと良いなと思い、いくつかのブログに、テーマを変えて日々書き加えています。これも私の重要な勉強とネットワークづくりの活動です。
・地域の仲間と、小さな活動を
私は、11年間の活動と1300人のと出会い・語った記録を本にしました。それ以外、広報と言えることはしていません。また、しようとも思いません。
一時期、「飛ぶ鳥を落とす勢い」の人がいます。そんな方は、数年経つと何処へ行ったか分からなくなります。私は、実際に出会い・語たり、心つながった師友を大切にして、賛同してもらっている地域の仲間と、小さな活動を続けて行きたいと考えています。
今日は難しい交渉と、家族用事で一日が終わりそうです。
しかし、雨が多い今年の春です。
2010年04月22日
「龍馬伝」で、九州の幕末の志士たちの顕彰が広がる
「龍馬伝」で、九州の幕末の志士たちの顕彰が広がる
「龍馬」の写真が、駅・空港など、色々な交通機関のターミナルでポスターがあり、旅行雑誌にも出るようになりました。長崎の「亀山社中」には、多くの訪問者が来ていると聞きます。
・歴史ウォークラリー(横井小楠生誕200年記念事業)
昨年、横井小楠生誕200年記念事業の中で、坂本龍馬が、熊本の旧城下の新町から、横井小楠の旧宅で私塾「四時軒」までの12kmを歩く、歴史ウォークラリーを開催しました。坂本龍馬は、「四時軒」を3度訪ねているのですが、このウォークラリーに、200名を越える方が参加してくれました。
旧城下の新町に、細川藩の迎賓館があり、そこに幕臣だった勝海舟は留まり、坂本龍馬を横井小楠のもとへ、向かわせます。現代のルートはだいぶ以前とことなりますが、熊本市の名所旧跡を見学し、歴史研究家から話を聞きながらの健康ウォークで、天気も良く、ケガもなく最後まで歩き通した方がほとんどでした。
ゴールでは、横井小楠顕彰会のみなさんは、甘酒のおもてなしで迎えて頂き、ゴールした後、横井小楠記念館「四時軒」で、小楠の歴史や遺品を見学されていました。
・横井小楠の顕彰活動に参加して20年
私は、横井小楠の顕彰活動を続けておられる、東海大学名誉教授の高宗昭敏先生と出会い、色々な活動をお手伝いしながら、幕末維新のことを学んで来ました。坂本龍馬と横井小楠、勝海舟との交友が、熊本で注目され、5月16日の「龍馬伝」に横井小楠が登場するそうで、小さな話題になっています。
九州に縁の深い、坂本龍馬のブームが、九州に縁のある幕末の志士たちの顕彰のつながればと願っています。
「龍馬」の写真が、駅・空港など、色々な交通機関のターミナルでポスターがあり、旅行雑誌にも出るようになりました。長崎の「亀山社中」には、多くの訪問者が来ていると聞きます。
・歴史ウォークラリー(横井小楠生誕200年記念事業)
昨年、横井小楠生誕200年記念事業の中で、坂本龍馬が、熊本の旧城下の新町から、横井小楠の旧宅で私塾「四時軒」までの12kmを歩く、歴史ウォークラリーを開催しました。坂本龍馬は、「四時軒」を3度訪ねているのですが、このウォークラリーに、200名を越える方が参加してくれました。
旧城下の新町に、細川藩の迎賓館があり、そこに幕臣だった勝海舟は留まり、坂本龍馬を横井小楠のもとへ、向かわせます。現代のルートはだいぶ以前とことなりますが、熊本市の名所旧跡を見学し、歴史研究家から話を聞きながらの健康ウォークで、天気も良く、ケガもなく最後まで歩き通した方がほとんどでした。
ゴールでは、横井小楠顕彰会のみなさんは、甘酒のおもてなしで迎えて頂き、ゴールした後、横井小楠記念館「四時軒」で、小楠の歴史や遺品を見学されていました。
・横井小楠の顕彰活動に参加して20年
私は、横井小楠の顕彰活動を続けておられる、東海大学名誉教授の高宗昭敏先生と出会い、色々な活動をお手伝いしながら、幕末維新のことを学んで来ました。坂本龍馬と横井小楠、勝海舟との交友が、熊本で注目され、5月16日の「龍馬伝」に横井小楠が登場するそうで、小さな話題になっています。
九州に縁の深い、坂本龍馬のブームが、九州に縁のある幕末の志士たちの顕彰のつながればと願っています。
2010年04月21日
鳩山内閣の政治理念を表す五訓はあるか
鳩山内閣の政治理念を表す五訓はあるか
名官房長官・後藤田正晴さんの〈後藤田五訓〉
一、省益ヲ忘レ国益ヲ想(オモ)エ
二、悪イ本当ノ事実ヲ報告セヨ
三、勇気ヲ以(モッ)テ意見具申セヨ
四、自分ノ仕事デナイトイウ勿(ナカ)レ
五、決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ。
(解説)
場当たり的で民主党内にも「土地探しの不動産屋の感覚」と批判がある。迷走の酷評もここに極まった。
(感想)
長期の視点を持ち、目の前の難事を処理する。リーダーは、地位で育つが言いますが、国民が待つか、待たぬか。試練の五月と思う。
*読売Webニュースより「4月19日付 よみうり寸評」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20100419-OYT1T00728.htm
名官房長官・後藤田正晴さんの〈後藤田五訓〉
一、省益ヲ忘レ国益ヲ想(オモ)エ
二、悪イ本当ノ事実ヲ報告セヨ
三、勇気ヲ以(モッ)テ意見具申セヨ
四、自分ノ仕事デナイトイウ勿(ナカ)レ
五、決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ。
(解説)
場当たり的で民主党内にも「土地探しの不動産屋の感覚」と批判がある。迷走の酷評もここに極まった。
(感想)
長期の視点を持ち、目の前の難事を処理する。リーダーは、地位で育つが言いますが、国民が待つか、待たぬか。試練の五月と思う。
*読売Webニュースより「4月19日付 よみうり寸評」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20100419-OYT1T00728.htm
2010年04月20日
「責任の三ヶ条」(電通鬼十則)
「責任の三ヶ条」(電通鬼十則)
電通の4代目社長吉田秀雄氏が記した『電通 鬼十則』には、責任について語ったもののある。
(電通)責任の三ヶ条
(一)命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
(二)一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないなならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あった一利ない。正に組織活動の癌である。削減せらるべきである。
(三)我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。
(以上、「電通鬼十則」)
現代の社会に有る、責任のあいまいさ、精勤回避、責任の取り方が、問題になる中で「電通鬼十則」で語る吉田秀雄氏の言葉は、実践その者である。
また、吉田氏は、松下電器の松下幸之助氏が仕事の仕上げとして厳しく言っていた「止めを刺す」という言葉を常に繰り返し言っていたそうだ。
難しい仕事に取組んだら、この「止めを刺す」ことではじめて成就するということを忘れていけない。
*参考資料:植田正也著「電通鬼十則」
電通の4代目社長吉田秀雄氏が記した『電通 鬼十則』には、責任について語ったもののある。
(電通)責任の三ヶ条
(一)命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
(二)一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないなならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あった一利ない。正に組織活動の癌である。削減せらるべきである。
(三)我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。
(以上、「電通鬼十則」)
現代の社会に有る、責任のあいまいさ、精勤回避、責任の取り方が、問題になる中で「電通鬼十則」で語る吉田秀雄氏の言葉は、実践その者である。
また、吉田氏は、松下電器の松下幸之助氏が仕事の仕上げとして厳しく言っていた「止めを刺す」という言葉を常に繰り返し言っていたそうだ。
難しい仕事に取組んだら、この「止めを刺す」ことではじめて成就するということを忘れていけない。
*参考資料:植田正也著「電通鬼十則」
2010年04月19日
(夫婦)時が人の魂とかたちを育てる
(夫婦)時が人の魂とかたちを育てる
白州次郎・正子夫婦の生き方をテレビ(NHK)がドラマにした。ノーブレス・オブリージ(高貴なる者の社会に対する責任)、良心に正直に生きた二人の生き方は、惹かれるものがある。二人の生き方を、次のように表現している。
(男)年を重ねて醸しだす香りを持つ。
(女)年を取って骨董品に治まらず、自分の世界を持つ。
(感想)
夫婦は、つかず離れず、それぞれの世界をもつ事が必要なように思う。
*出典:NHKドラマ「白州次郎」
*関連ブログ:
「男には引き返せない時がある」http://keitairongo.otemo-yan.net/e188271.html
「女の魅力というものは」http://keitairongo.otemo-yan.net/e188406.html
白州次郎・正子夫婦の生き方をテレビ(NHK)がドラマにした。ノーブレス・オブリージ(高貴なる者の社会に対する責任)、良心に正直に生きた二人の生き方は、惹かれるものがある。二人の生き方を、次のように表現している。
(男)年を重ねて醸しだす香りを持つ。
(女)年を取って骨董品に治まらず、自分の世界を持つ。
(感想)
夫婦は、つかず離れず、それぞれの世界をもつ事が必要なように思う。
*出典:NHKドラマ「白州次郎」
*関連ブログ:
「男には引き返せない時がある」http://keitairongo.otemo-yan.net/e188271.html
「女の魅力というものは」http://keitairongo.otemo-yan.net/e188406.html
2010年04月18日
リーダーに必要な「3人の師友」と「スポークスマン」
リーダーに必要な「3人の師友」と「スポークスマン」
安岡正篤氏の教示に、「リーダーに必要な三人の友人」を持つことがあった。いわゆる帝王学の一節ですが、これを伊藤肇氏も「現代の帝王学」で解説している。
「帝王学の三つの柱」
1.原理原則を教えてもらう師を持つこと
危機管理の原理原則に則った判断を仰ぎ、指導してもらう正師をもつこと。
2.直言してくれる側近をもつこと
危機の兆候を探知し、予防や被害局限を計り、指揮・命令・統制に関し、都合の悪い情報・意見を、タイムリーかつ率直に伝えてくれる側近の部下をもつこと。組織内において、会社の立場で、経営者に助言してくれる信頼出来るナンバー2的存在を持つこと。
3.よき幕賓(パーソナル・アドバイザー)をもつこと
幕賓(ばくひん)」とは、アドバイザー、良き友人のことです。自分とは異なる知識、異なる経験を持った外部のアドバイザーをできるだけ多く持つ。多ければ多いほど良いです。
+1.スポークスマン
危機管理にあってはマスコミ(外部)対応を一手に任しきれる人物、いわば「スポークスマン」である。危機管理における成否は、よき幕賓、つまりマスコミの矢面に立つ人で決まる、と言っても過言ではない。危機管理のよき幕賓(スポークスマン)は1人に限ることである。*大統領の報道補佐官、総理大臣の官房長官に当たる。
(以上、「現代の帝王学」より)
私は、独立して20年になるのですが、19年前に出会った社会活動の師との出会いから、多様な人物に出会うことができました。はじめは、感心して話を聞くだけでしたが、色々な活動をする中で、同世代の人とも出会いがあり、多様な分野の方と情報交換をさせていただくことができようになりました。
上記の3つの「柱(友人)」と、+1の「スポークスマン」との出会いが、これまであったか振り返る中で、友とは良いものと感じる出来事がたくさんありました。
昨日、今年1月末に自費出版した本「なかまづくり まちづくり」のお祝いを、熊本の「田中正造研究会」の仲間たちが、お祝いしてくれることになり、午後から田中正造の功績を学び、夕方から小さいけど、とても意義有る会を催してもらいました。
私は、欠席ばかりの塾生ですが、とても大事なグループの一つが「田中正造研究会」です。
*田中正造(たなか しょうぞう):明治時代の日本の政治家。衆議院議員選挙に当選6回。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名である。幼名、兼三郎。:
・田中正造(『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
安岡正篤氏の教示に、「リーダーに必要な三人の友人」を持つことがあった。いわゆる帝王学の一節ですが、これを伊藤肇氏も「現代の帝王学」で解説している。
「帝王学の三つの柱」
1.原理原則を教えてもらう師を持つこと
危機管理の原理原則に則った判断を仰ぎ、指導してもらう正師をもつこと。
2.直言してくれる側近をもつこと
危機の兆候を探知し、予防や被害局限を計り、指揮・命令・統制に関し、都合の悪い情報・意見を、タイムリーかつ率直に伝えてくれる側近の部下をもつこと。組織内において、会社の立場で、経営者に助言してくれる信頼出来るナンバー2的存在を持つこと。
3.よき幕賓(パーソナル・アドバイザー)をもつこと
幕賓(ばくひん)」とは、アドバイザー、良き友人のことです。自分とは異なる知識、異なる経験を持った外部のアドバイザーをできるだけ多く持つ。多ければ多いほど良いです。
+1.スポークスマン
危機管理にあってはマスコミ(外部)対応を一手に任しきれる人物、いわば「スポークスマン」である。危機管理における成否は、よき幕賓、つまりマスコミの矢面に立つ人で決まる、と言っても過言ではない。危機管理のよき幕賓(スポークスマン)は1人に限ることである。*大統領の報道補佐官、総理大臣の官房長官に当たる。
(以上、「現代の帝王学」より)
私は、独立して20年になるのですが、19年前に出会った社会活動の師との出会いから、多様な人物に出会うことができました。はじめは、感心して話を聞くだけでしたが、色々な活動をする中で、同世代の人とも出会いがあり、多様な分野の方と情報交換をさせていただくことができようになりました。
上記の3つの「柱(友人)」と、+1の「スポークスマン」との出会いが、これまであったか振り返る中で、友とは良いものと感じる出来事がたくさんありました。
昨日、今年1月末に自費出版した本「なかまづくり まちづくり」のお祝いを、熊本の「田中正造研究会」の仲間たちが、お祝いしてくれることになり、午後から田中正造の功績を学び、夕方から小さいけど、とても意義有る会を催してもらいました。
私は、欠席ばかりの塾生ですが、とても大事なグループの一つが「田中正造研究会」です。
*田中正造(たなか しょうぞう):明治時代の日本の政治家。衆議院議員選挙に当選6回。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名である。幼名、兼三郎。:
・田中正造(『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
2010年04月17日
頭の使い方で心も変わる(自分の感情をコントロールする)
頭の使い方で心も変わる(自分の感情をコントロールする)
自分を知的な人間であると考えるようになるためには、困難な状況に直面したときにどのような感じを抱くかという点を基盤として見なければならない。
人生の戦いは誰にとっても似たようなものである。
人は、同じような問題をかかえいる。
意見の相違、衝突、妥協などは、人間的であろうとすることのあらわれである。
しかし、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け、失意や不幸とらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱におちいってしまう人もいる。
自分の感情をコントロールする
大前提:私は自分の思考をコントロールすることができる
小前提:私の感情は私の思考から生まれる
結 論:私は自分の感情をコントロールすることができる
実は、自分の考えは自分自身のものであり、その考えを続けようが変えようが、他人に明かそうが熟慮しようが、まったく自分一人のものなのである。
自分の考えをするにはまさに自分自身であり、自分が決めたように使えば良いのです。
*参考資料:
ウゥイン・W・ダイアリー著「自分のための人生」
自分を知的な人間であると考えるようになるためには、困難な状況に直面したときにどのような感じを抱くかという点を基盤として見なければならない。
人生の戦いは誰にとっても似たようなものである。
人は、同じような問題をかかえいる。
意見の相違、衝突、妥協などは、人間的であろうとすることのあらわれである。
しかし、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け、失意や不幸とらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱におちいってしまう人もいる。
自分の感情をコントロールする
大前提:私は自分の思考をコントロールすることができる
小前提:私の感情は私の思考から生まれる
結 論:私は自分の感情をコントロールすることができる
実は、自分の考えは自分自身のものであり、その考えを続けようが変えようが、他人に明かそうが熟慮しようが、まったく自分一人のものなのである。
自分の考えをするにはまさに自分自身であり、自分が決めたように使えば良いのです。
*参考資料:
ウゥイン・W・ダイアリー著「自分のための人生」
2010年04月16日
困った時にだけ人を訪ねるな(勝海舟)
困った時にだけ人を訪ねるな(勝海舟)
「多くの人間が、こんにちはは言うけど、さよならは言わない」
この意味は、「色々、頼みに来る者がいる。色々手を考えて支援をしてやる。しかし、何とかされた側が、その後、いったいそのことがどうなったかのか、まったく報告もない」と、礼儀知らずというか、後が大事と思うのですが、実際はそれが多い。
さて、頼む時は一所賢明ですが、いざ事が終ると、その中を取り持ってくれた方のことは忘れてしまう。人間そういうものと思えばいいのですが、別にお礼は良いのですが、当事者は結末を知りたいものです。
明治の元勲の一人、勝海舟は色々な人の世話をした方です。その後について、勝は厳しく人の行動を検証し、自分の行動に活かしました。童門冬二著「勝海舟の人生訓」に、次の一節があります。
(本文)
「ことが起こると、すぐ人に頼みに来る。だから、本当のことが分からない。これなんぞは、普段から長く人間とつきあったおく。それも芸者や太鼓持ちのたぐいまで、みんな同じようにしている。もちろん、そうするためには銭がたくさんかかるよ。しかし、それが何かあった時にものを言うのだ。そういう長い間の人とのつきあいを欠いて、その日のうちに、自分の思うことを実現してもらおうとするから、結局、ことの本質をとらえることができない」
(以上、「勝海舟の人生訓」)
日頃のお付き合いが大事と思います。
また勝海舟は、「人間関係とは魚の養殖と同じこと」と例え、地域内だけでなく、全国の方々と、情報交換や交流が必要と説いています。
勝は、徳川幕府の海防担当をしたが、その時は、以前からつきあった東海道、関西の海に関わる人材が大きく役に立ったと回想しています。
専門分野だけでなく、多様な分野の年代、地域内外の男女との情報交換が、後の異変に対応する方策を見つけることを可能にするのだと思います。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」
「多くの人間が、こんにちはは言うけど、さよならは言わない」
この意味は、「色々、頼みに来る者がいる。色々手を考えて支援をしてやる。しかし、何とかされた側が、その後、いったいそのことがどうなったかのか、まったく報告もない」と、礼儀知らずというか、後が大事と思うのですが、実際はそれが多い。
さて、頼む時は一所賢明ですが、いざ事が終ると、その中を取り持ってくれた方のことは忘れてしまう。人間そういうものと思えばいいのですが、別にお礼は良いのですが、当事者は結末を知りたいものです。
明治の元勲の一人、勝海舟は色々な人の世話をした方です。その後について、勝は厳しく人の行動を検証し、自分の行動に活かしました。童門冬二著「勝海舟の人生訓」に、次の一節があります。
(本文)
「ことが起こると、すぐ人に頼みに来る。だから、本当のことが分からない。これなんぞは、普段から長く人間とつきあったおく。それも芸者や太鼓持ちのたぐいまで、みんな同じようにしている。もちろん、そうするためには銭がたくさんかかるよ。しかし、それが何かあった時にものを言うのだ。そういう長い間の人とのつきあいを欠いて、その日のうちに、自分の思うことを実現してもらおうとするから、結局、ことの本質をとらえることができない」
(以上、「勝海舟の人生訓」)
日頃のお付き合いが大事と思います。
また勝海舟は、「人間関係とは魚の養殖と同じこと」と例え、地域内だけでなく、全国の方々と、情報交換や交流が必要と説いています。
勝は、徳川幕府の海防担当をしたが、その時は、以前からつきあった東海道、関西の海に関わる人材が大きく役に立ったと回想しています。
専門分野だけでなく、多様な分野の年代、地域内外の男女との情報交換が、後の異変に対応する方策を見つけることを可能にするのだと思います。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」
2010年04月15日
安請け合いはかえって信用を損なう
安請け合いはかえって信用を損なう
(「論語」現代語訳)
人が約束するときは、実行できるか否かを考え、正しい道理に基づくことであれば、後になって後悔することなく、必ずその言葉を実行することができる。
(解説)
人と約束する場合は、道義上正しく実行可能かを考える。また、悪いこと、実行不可能なことなら、最初から約束しないことだ。
何事も、「これをしたらどうなるのか」と、その後(あと)のことまで考えて行うことの大切さを教えている。
安請け合いや、度の過ぎた礼節は信用を損なう元である。
(感想)
昨日は、三年前に手がけた廃校の小学校を介護施設に改装した仕事が、文部化学省の会計監査の該当になった。担当する町の教育委員会の職員は、ここ一週間資料作りに、追われたとのことです。
監査対象は、14件で、教育委員会の要請で「監査委員からの質問のため、会場に来て待機して欲しい」とあり、朝9時に監査会場にいきました。
午前中には、私たち(3名)の関わった仕事は、監査がなく終了。日本一きれいなアーチの石橋の見えるレストランで、山菜料理を食べて、また午後の監査を待つこと2時間、監査員が、改装した元学校を見てみたいということになりました。
介護施設の理事長に、「これはラッキー、ぜひとも見てもらいましょう」と語りました。
教育委員会の職員は、予定外の現地監査の対応で、結局、教育委員会の役員と担当者、監査員に同行して来た県の2人の合わせて20名近い方の現地監査(視察)になりました。
監査員の目的は、助成金1500万円でどれくらいの改装が出来たのかを見たかったようです。
費用がかからないように、理事長と何度も打ち合わせをして、つくり上げた元小学校の小規模多機能の介護施設は、現在でも視察、訪問が多いのですが、更に過疎地の廃校利用でも注目されることになりそうです。
しかし、午前中の監査予定が、夕方までかかるかことになってしまいました。約束は、約束、最後まで理事長と一緒にいて、ここ3年の苦労話や、先駆的取り組みで全国的な研修会で発表したことを聞きました。
自分の手がけた仕事が、注目されることはうれしいものです。
国の監査を受けるのは3度目ですが、重要な用の時には、いろいろなケースを考え、心して約束をすることが大事と思います。
信用づくりは日々の行動が大事と思います。
*参考資料:岬龍一郎編訳「現代語抄訳 論語」
(「論語」現代語訳)
人が約束するときは、実行できるか否かを考え、正しい道理に基づくことであれば、後になって後悔することなく、必ずその言葉を実行することができる。
(解説)
人と約束する場合は、道義上正しく実行可能かを考える。また、悪いこと、実行不可能なことなら、最初から約束しないことだ。
何事も、「これをしたらどうなるのか」と、その後(あと)のことまで考えて行うことの大切さを教えている。
安請け合いや、度の過ぎた礼節は信用を損なう元である。
(感想)
昨日は、三年前に手がけた廃校の小学校を介護施設に改装した仕事が、文部化学省の会計監査の該当になった。担当する町の教育委員会の職員は、ここ一週間資料作りに、追われたとのことです。
監査対象は、14件で、教育委員会の要請で「監査委員からの質問のため、会場に来て待機して欲しい」とあり、朝9時に監査会場にいきました。
午前中には、私たち(3名)の関わった仕事は、監査がなく終了。日本一きれいなアーチの石橋の見えるレストランで、山菜料理を食べて、また午後の監査を待つこと2時間、監査員が、改装した元学校を見てみたいということになりました。
介護施設の理事長に、「これはラッキー、ぜひとも見てもらいましょう」と語りました。
教育委員会の職員は、予定外の現地監査の対応で、結局、教育委員会の役員と担当者、監査員に同行して来た県の2人の合わせて20名近い方の現地監査(視察)になりました。
監査員の目的は、助成金1500万円でどれくらいの改装が出来たのかを見たかったようです。
費用がかからないように、理事長と何度も打ち合わせをして、つくり上げた元小学校の小規模多機能の介護施設は、現在でも視察、訪問が多いのですが、更に過疎地の廃校利用でも注目されることになりそうです。
しかし、午前中の監査予定が、夕方までかかるかことになってしまいました。約束は、約束、最後まで理事長と一緒にいて、ここ3年の苦労話や、先駆的取り組みで全国的な研修会で発表したことを聞きました。
自分の手がけた仕事が、注目されることはうれしいものです。
国の監査を受けるのは3度目ですが、重要な用の時には、いろいろなケースを考え、心して約束をすることが大事と思います。
信用づくりは日々の行動が大事と思います。
*参考資料:岬龍一郎編訳「現代語抄訳 論語」
2010年04月14日
人の行動の基本、「コモン・センス」と「仁」
人の行動の基本、「コモン・センス」と「仁」
数日前、リサイクルブック店で、目に止まった本を読んでいます。落合信彦氏の「今どん底からはいあがるしかないじゃないか」と言う本です。内容は、2003年の9・11の後、アメリカがイラクと戦争をしようという直前の状況の中で、不況にあえぐ日本の状況と、日本人の生活観・国際感覚を分析し、その後の行動をどうしたら良いか、どんな風に人間力をつけて行くのか、考えさせるものでした。
まだ読んでいる途中ですが、一部を紹介し、感想を述べてみます。
考えない人生は、生きるに値しない
(本文)
最近の日本人を見ていると、ソクラテスが言った「考えない人生は、生きるに値しない」という言葉が至言に思えて仕方がない。こういう景気が悪く、政治もどうしようもないという時こそ、誰しもが一歩下がって「なぜ日本という国がこんなふうになってしまったんだろうか」と考える時なのだ。ある意味でが、これまでの行き方を振り返らせ、これからどう生きていったらいいかを考えさせるために、天が与えてくれた思索の時間なのかもしれない。(中略)
どこかで、聞いたような言葉と思います。日本の識者が、何度も、何度も、声を上げて来た言葉と思います。「考えない日本人。自分さえ良ければ良い」と、この行き詰まりを苦境と見るか、良き考える機会と見るかで、一人ひとりの発想が大きく変わってくると思います。
「なぜ、こんなふうになってしまったのか」
考えること、発言すること、語ること、そこから色々な発見をし、当たり前と思っている「常識」が、なんかおかしいと気づくのだと思います。
海外でも同じ状況があると思います。落合氏は、「常識=コモン・センス」の意味に、次の内容が含まれていると解説しています。
コモン・センス
(本文)
「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」と誰かがいったように常識というものは相対的なものだ。
(コモン・センスを)あえて訳せば、゛全人類が共有するプラス感覚゛がいいだろう。この感覚の中には他人への思いやりや気配り、情の深さ、礼儀、愛情、善悪の絶対的基準や判断力など――人間が生きていく上で不可欠かつ、ごく当たり前のことがらが入る。
「なんだ、そんなことか」と思うかもしれない。だが、このごく当たり前の感覚を持たない人間が今日の日本人では多すぎると思わないか。コモン・センスがなければ、どんなの頭がよくても対人力なんて身につかないんだ。人間として通用しないから・・・。(中略)
この説明も何度も聞いたような内容と思います。この内容は、2,500年前の孔子が語った教示中に、色々と出てきます。孔子は、「仁」の心を基本に、礼儀、善悪、情の深さ、等を弟子たちに説きました。
人間の生業は、時を越え、地域を越えても大事なことは、同じ事のように思います。
人の行動の基本ともいえる、「コモン・センス」と「仁」は、世界に共通の人類を成長させる、考え方であり、行動理念なのかもしれません。今こそ、一人ひとりが考える時代なのかもしれません。
*参考資料:落合信彦著「今どん底からはいあがるしかないじゃないか」
数日前、リサイクルブック店で、目に止まった本を読んでいます。落合信彦氏の「今どん底からはいあがるしかないじゃないか」と言う本です。内容は、2003年の9・11の後、アメリカがイラクと戦争をしようという直前の状況の中で、不況にあえぐ日本の状況と、日本人の生活観・国際感覚を分析し、その後の行動をどうしたら良いか、どんな風に人間力をつけて行くのか、考えさせるものでした。
まだ読んでいる途中ですが、一部を紹介し、感想を述べてみます。
考えない人生は、生きるに値しない
(本文)
最近の日本人を見ていると、ソクラテスが言った「考えない人生は、生きるに値しない」という言葉が至言に思えて仕方がない。こういう景気が悪く、政治もどうしようもないという時こそ、誰しもが一歩下がって「なぜ日本という国がこんなふうになってしまったんだろうか」と考える時なのだ。ある意味でが、これまでの行き方を振り返らせ、これからどう生きていったらいいかを考えさせるために、天が与えてくれた思索の時間なのかもしれない。(中略)
どこかで、聞いたような言葉と思います。日本の識者が、何度も、何度も、声を上げて来た言葉と思います。「考えない日本人。自分さえ良ければ良い」と、この行き詰まりを苦境と見るか、良き考える機会と見るかで、一人ひとりの発想が大きく変わってくると思います。
「なぜ、こんなふうになってしまったのか」
考えること、発言すること、語ること、そこから色々な発見をし、当たり前と思っている「常識」が、なんかおかしいと気づくのだと思います。
海外でも同じ状況があると思います。落合氏は、「常識=コモン・センス」の意味に、次の内容が含まれていると解説しています。
コモン・センス
(本文)
「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」と誰かがいったように常識というものは相対的なものだ。
(コモン・センスを)あえて訳せば、゛全人類が共有するプラス感覚゛がいいだろう。この感覚の中には他人への思いやりや気配り、情の深さ、礼儀、愛情、善悪の絶対的基準や判断力など――人間が生きていく上で不可欠かつ、ごく当たり前のことがらが入る。
「なんだ、そんなことか」と思うかもしれない。だが、このごく当たり前の感覚を持たない人間が今日の日本人では多すぎると思わないか。コモン・センスがなければ、どんなの頭がよくても対人力なんて身につかないんだ。人間として通用しないから・・・。(中略)
この説明も何度も聞いたような内容と思います。この内容は、2,500年前の孔子が語った教示中に、色々と出てきます。孔子は、「仁」の心を基本に、礼儀、善悪、情の深さ、等を弟子たちに説きました。
人間の生業は、時を越え、地域を越えても大事なことは、同じ事のように思います。
人の行動の基本ともいえる、「コモン・センス」と「仁」は、世界に共通の人類を成長させる、考え方であり、行動理念なのかもしれません。今こそ、一人ひとりが考える時代なのかもしれません。
*参考資料:落合信彦著「今どん底からはいあがるしかないじゃないか」
2010年04月12日
志を持続するのは難(かた)し、徹上徹下の工夫
志を持続するのは難(かた)し、徹上徹下の工夫
人は、周りの状況で、自分の目指す方向を、修正せざるおえないことが多々起こる。苦渋の決断とか、やむおえない判断とか、ときどきテレビ新聞で記事を見る。志を貫徹する事の難しさを感じる。
志を達するには、周りに人の支援や協力が必要となりますが、周りに理解を得れないと、自分の志が間違いか? と迷ってしまいます。昔の人もやはり、悩んだと思います。江戸後期の儒家で、徳川藩の藩校の校長佐藤一斎の訓示を集めた「言志四録」に次の言葉があります。
・志を持続するのは難(かた)し
(現代語訳)
志を持ち続けるの工夫は大変に難しい。私は往々にして、事が自分の意に反するような目に遭うと、荒々しい怒りの感情が湧き起こって抑えられない。これは志を持続できない病というものである。自ら恥じ、恐れ入るしかない。ここにそのことを書いて自らの戒めとする。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
人は感情の動物ですが、理性も持ち合わせています。感情に心を沸騰させては、正しい判断ができないことも多い、自戒を込めた佐藤一斎の言葉は、「自分を慎め」の言葉と思います。また、次の言葉も残しています。
・徹上徹下の工夫
(現代語訳)
自分の欲望を抑えがたいには、しっかりと志が立っていないのが原因である。志が立っていれば、これはまさに火が燃えている中に一掴みの雪を置くようなもので、欲望などというものはたちまち消え去ってしまう。したがって、立志というものは上から下まであらゆる事柄に通じる工夫なのである。
(解説)
教育者・哲学者の森信三氏は、天王寺師範学校での講義の始めに「私の、これから一年間にわたる修身の講義は、ある意味ではこの『立志』の一言に尽きると申してもよいほどです」と教えている。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
志を立て、賢明に努力をして、周りの人々に理解をしてもらい、やっと実現へ方向付けできるには、長い年月がかかるように思います。志を持ち、努力を持続する事こそ、自分を高める一番の方法なのかもしれません。
常に高い目標を持ち、前向きに事を考え、行動する事が必要と思います。そうすることで、周りの理解を得て、支援の輪が広がって行くのだと思います。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
人は、周りの状況で、自分の目指す方向を、修正せざるおえないことが多々起こる。苦渋の決断とか、やむおえない判断とか、ときどきテレビ新聞で記事を見る。志を貫徹する事の難しさを感じる。
志を達するには、周りに人の支援や協力が必要となりますが、周りに理解を得れないと、自分の志が間違いか? と迷ってしまいます。昔の人もやはり、悩んだと思います。江戸後期の儒家で、徳川藩の藩校の校長佐藤一斎の訓示を集めた「言志四録」に次の言葉があります。
・志を持続するのは難(かた)し
(現代語訳)
志を持ち続けるの工夫は大変に難しい。私は往々にして、事が自分の意に反するような目に遭うと、荒々しい怒りの感情が湧き起こって抑えられない。これは志を持続できない病というものである。自ら恥じ、恐れ入るしかない。ここにそのことを書いて自らの戒めとする。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
人は感情の動物ですが、理性も持ち合わせています。感情に心を沸騰させては、正しい判断ができないことも多い、自戒を込めた佐藤一斎の言葉は、「自分を慎め」の言葉と思います。また、次の言葉も残しています。
・徹上徹下の工夫
(現代語訳)
自分の欲望を抑えがたいには、しっかりと志が立っていないのが原因である。志が立っていれば、これはまさに火が燃えている中に一掴みの雪を置くようなもので、欲望などというものはたちまち消え去ってしまう。したがって、立志というものは上から下まであらゆる事柄に通じる工夫なのである。
(解説)
教育者・哲学者の森信三氏は、天王寺師範学校での講義の始めに「私の、これから一年間にわたる修身の講義は、ある意味ではこの『立志』の一言に尽きると申してもよいほどです」と教えている。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
志を立て、賢明に努力をして、周りの人々に理解をしてもらい、やっと実現へ方向付けできるには、長い年月がかかるように思います。志を持ち、努力を持続する事こそ、自分を高める一番の方法なのかもしれません。
常に高い目標を持ち、前向きに事を考え、行動する事が必要と思います。そうすることで、周りの理解を得て、支援の輪が広がって行くのだと思います。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
2010年04月12日
今生きている人の批評は慎む、人間関係は磁石の作用
今生きている人の批評は慎む、人間関係は磁石の作用
人は、ついつい、他人の言動について語りたがる、批評したがる。これは、逆に言えば自分自身も批評されているという事になる。自分が、批評されれば気分は良いものではない。批評されたほうの気持ちを考えることが必要と思います。
・今生きている人の批評は慎むべき
古人の善悪の品定めはしてよい。しかし、今生きている人の善悪をむやみに論議するのはいけない。人から恨みを買う原因の多くは、むやみに人を論議をするところから起こる。気をつけなくてはいけない。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
批評は、回りまわって、本人も耳に入るものです。昔の偉人の言葉にも、今、生きている人の批評は慎むような訓示です。これは、江戸後期の儒家佐藤一斎の言葉です。
また、批評すれば、批評されることにつながります。人間関係は、磁石みたいなもので、悪評は必ず伝わり、批評した人のことが、逆に話題になる。他人の話題は、良い言動を話題にするほうが、より良き縁をつなぐことになるような気がします。
もう一つの訓示があります。
・人を侮(あなど)るは、自らをそしると同じ
少しばかり才がある者は、往々にして人を軽く見て、バカにし、人をからかい笑う。これは徳義に外れているというしかない。侮蔑(ぶべつ)を受けた者は、それだけではすまず、必ず恨んで、その人をそしる。こうなると、人を侮るのは自分をそしるのと同じである。
われらとともに学問を学ぶ青少年たちには、このような悪く習慣に染まらないようにしなくてはならない。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
人間関係は、作用反作用の関係と言いますが、今生きている人を批評する時は、良きところを見つけて、話題にして行くことは寛容と思います。
>人を侮るのは自分をそしるのと同じ
人の批評、批判は、なるべくしない方が良いのかもしれません。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
人は、ついつい、他人の言動について語りたがる、批評したがる。これは、逆に言えば自分自身も批評されているという事になる。自分が、批評されれば気分は良いものではない。批評されたほうの気持ちを考えることが必要と思います。
・今生きている人の批評は慎むべき
古人の善悪の品定めはしてよい。しかし、今生きている人の善悪をむやみに論議するのはいけない。人から恨みを買う原因の多くは、むやみに人を論議をするところから起こる。気をつけなくてはいけない。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
批評は、回りまわって、本人も耳に入るものです。昔の偉人の言葉にも、今、生きている人の批評は慎むような訓示です。これは、江戸後期の儒家佐藤一斎の言葉です。
また、批評すれば、批評されることにつながります。人間関係は、磁石みたいなもので、悪評は必ず伝わり、批評した人のことが、逆に話題になる。他人の話題は、良い言動を話題にするほうが、より良き縁をつなぐことになるような気がします。
もう一つの訓示があります。
・人を侮(あなど)るは、自らをそしると同じ
少しばかり才がある者は、往々にして人を軽く見て、バカにし、人をからかい笑う。これは徳義に外れているというしかない。侮蔑(ぶべつ)を受けた者は、それだけではすまず、必ず恨んで、その人をそしる。こうなると、人を侮るのは自分をそしるのと同じである。
われらとともに学問を学ぶ青少年たちには、このような悪く習慣に染まらないようにしなくてはならない。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
人間関係は、作用反作用の関係と言いますが、今生きている人を批評する時は、良きところを見つけて、話題にして行くことは寛容と思います。
>人を侮るのは自分をそしるのと同じ
人の批評、批判は、なるべくしない方が良いのかもしれません。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
2010年04月10日
聖人の政治は、物より人を大切にする思想
聖人の政治は、物より人を大切にする思想
(故事)
聖人の治は民に蔵して府庫に蔵せず(韓非子)
(解説)
なによりも国民の生活を優先させ、国民の支持をとりつけることが最重点課題。物より人を大切にする思想。
(感想)
新政権に期待するのは、「民が豊かになり、そして国が豊かになる」の政治思想。
*出典:守屋洋訳著「中国古典一日一話」(韓非子)
(故事)
聖人の治は民に蔵して府庫に蔵せず(韓非子)
(解説)
なによりも国民の生活を優先させ、国民の支持をとりつけることが最重点課題。物より人を大切にする思想。
(感想)
新政権に期待するのは、「民が豊かになり、そして国が豊かになる」の政治思想。
*出典:守屋洋訳著「中国古典一日一話」(韓非子)
2010年04月09日
「死生と人生」無は有から生じ、死は生から生ず
「死生と人生」無は有から生じ、死は生から生ず
人の一生は、短い朝露のようだと語った詩人がいました。人は生まれたら必ず死が待っています。世の人々は、どんな思いを持って日々生きているのだろうと思います。
先人たちも、死生について考えたと思います。江戸後期の儒学者佐藤一斎も、考えたことと思います。下記は、佐藤一斎が「死生」について語った言葉です。
・無は有から生じ、死は生から生ず
(解説)
無は無から生ずるものではなくて、有から無が生ずるのである。死は死から生ずるのでなくて、生から死が生ずるのである。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
・生は生、死もまた生
生は死の始めであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬこともないし、死ななければ生まれることもない。生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。「生々変化して窮(きわ)まりのないこを易という」というのは、このことである。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
ああ無情という嘆きの言葉を聞きますが、一生は、一生でしかない。
生と死は、背中合わせであり、生きる意味を知る現実と思います。
私も、50代になり、父母は80代になりました。宗教家の「転生」の理論は別として、自分は何のために生まれ、何のために生きるのか、残った後半生で何を残すか考えることが必要と思います。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
人の一生は、短い朝露のようだと語った詩人がいました。人は生まれたら必ず死が待っています。世の人々は、どんな思いを持って日々生きているのだろうと思います。
先人たちも、死生について考えたと思います。江戸後期の儒学者佐藤一斎も、考えたことと思います。下記は、佐藤一斎が「死生」について語った言葉です。
・無は有から生じ、死は生から生ず
(解説)
無は無から生ずるものではなくて、有から無が生ずるのである。死は死から生ずるのでなくて、生から死が生ずるのである。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
・生は生、死もまた生
生は死の始めであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬこともないし、死ななければ生まれることもない。生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。「生々変化して窮(きわ)まりのないこを易という」というのは、このことである。
(以上、「佐藤一斎一日一言」)
ああ無情という嘆きの言葉を聞きますが、一生は、一生でしかない。
生と死は、背中合わせであり、生きる意味を知る現実と思います。
私も、50代になり、父母は80代になりました。宗教家の「転生」の理論は別として、自分は何のために生まれ、何のために生きるのか、残った後半生で何を残すか考えることが必要と思います。
*参考資料:渡辺五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
2010年04月06日
功の立てすぎは身を危くする(勝海舟)
功の立てすぎは身を危くする(勝海舟)
-これ以上褒美をやれなくなると必ず奈落に落とされる-
若くして有能だが、言葉が過ぎる人をたまに見る。数年経つとその部署とは掛け離れた仕事をしている事が多々あります。上司にも食ってかかったか、言葉が過ぎたか、自分の地位までも無くしてしまうこともあります。
人生の大達人である、勝海舟は、その点をしっかり踏まえて、大きな功績ほど周りや上司の手柄にし、大きな失敗は自分がやったことにする言動に努めた。
(本文より)
たしかに歴史をみていると、主人が部下の中で、自分の目的達成に多大な協力をした人間を、次第にうとましく思うようになるのは事実だ。さらにその組織が安定してきて、功臣が折にふれ創業時の協力ぶりを自慢げに語ると、トップは何となく尻をもじもじさせる。まるでその組織の確立がそれらの功臣によってされた印象をもたれてしまう。そうなるとトップの存在がうすれる。功臣に対して嫉妬の念がわき、やがて、憎悪に変わってくる。そういう存在が邪魔になってくる。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
トップとは、恐ろしいもので、癇に障る(逆鱗に触れる)と、存在すら無くなるような処分を受けることもある。勝は、よく徳川慶喜の性格を読み、勝自身はそういう危険性を承知していた。
(本文)
「慶喜には、おれはよくこう言ったよ。手柄はみんなあなたが立てたことにしなさい。そして、悪いことは全部勝がやったことにしさない」(中略)
しかしそれも程度問題で、トップがいやな顔をしたり、不快な念に陥るような功の立て方は、あるいは立ててもその自慢をひかえめにしておけ、ということだ。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
仕事のことを、宴会等で語る人がいる。身近な人が居ないと思い、ついつい自慢話になってしまいます。しかし、その話は、色々な人を通じ、当事者の耳に必ず入るものです。なぜか、人の交流とは意外に狭い世界の中で、人が関わっていることが多い。何故なら、気の合う仲間だから、仕事もできるし、交流も続くものです。
「類は類を呼ぶ」の諺ではないですが、世間話も小さな話題に、尾ひれを付けてかたる人が居ますが、要注意と思います。
あなたの周りの人々、意外な繋がりが有ると思い、言葉を慎重にした方が良いようです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」
-これ以上褒美をやれなくなると必ず奈落に落とされる-
若くして有能だが、言葉が過ぎる人をたまに見る。数年経つとその部署とは掛け離れた仕事をしている事が多々あります。上司にも食ってかかったか、言葉が過ぎたか、自分の地位までも無くしてしまうこともあります。
人生の大達人である、勝海舟は、その点をしっかり踏まえて、大きな功績ほど周りや上司の手柄にし、大きな失敗は自分がやったことにする言動に努めた。
(本文より)
たしかに歴史をみていると、主人が部下の中で、自分の目的達成に多大な協力をした人間を、次第にうとましく思うようになるのは事実だ。さらにその組織が安定してきて、功臣が折にふれ創業時の協力ぶりを自慢げに語ると、トップは何となく尻をもじもじさせる。まるでその組織の確立がそれらの功臣によってされた印象をもたれてしまう。そうなるとトップの存在がうすれる。功臣に対して嫉妬の念がわき、やがて、憎悪に変わってくる。そういう存在が邪魔になってくる。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
トップとは、恐ろしいもので、癇に障る(逆鱗に触れる)と、存在すら無くなるような処分を受けることもある。勝は、よく徳川慶喜の性格を読み、勝自身はそういう危険性を承知していた。
(本文)
「慶喜には、おれはよくこう言ったよ。手柄はみんなあなたが立てたことにしなさい。そして、悪いことは全部勝がやったことにしさない」(中略)
しかしそれも程度問題で、トップがいやな顔をしたり、不快な念に陥るような功の立て方は、あるいは立ててもその自慢をひかえめにしておけ、ということだ。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
仕事のことを、宴会等で語る人がいる。身近な人が居ないと思い、ついつい自慢話になってしまいます。しかし、その話は、色々な人を通じ、当事者の耳に必ず入るものです。なぜか、人の交流とは意外に狭い世界の中で、人が関わっていることが多い。何故なら、気の合う仲間だから、仕事もできるし、交流も続くものです。
「類は類を呼ぶ」の諺ではないですが、世間話も小さな話題に、尾ひれを付けてかたる人が居ますが、要注意と思います。
あなたの周りの人々、意外な繋がりが有ると思い、言葉を慎重にした方が良いようです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」