2009年01月31日

立派な人物の条件(菜根譚)

立派な人物の条件(菜根譚)

(現代語訳)
 細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意の時でも、投げやりにならない。
 こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。

(解 説)
 ここでとりあげている三つのことは、いずれも当たりまえと言えば当たりまえのことである。ただし、その当たりまえのことが、いざ実行となるとむずかしいのである。現に、近年この社会でも、手抜き事故が続発しているし、平気で悪事に手を染める人や、いさかいの困難にぶつかっただけで、すぐあきらめてしまう人が跡を絶たないではないか。みずからにこの三か条を課そうとするなら、相当きびしい覚悟を必要とすることは言うまでもない。

(感 想)
 自分自身を振り返ると、細事への気づかいの足りなさ、時間配分の使い方がまだまだで、準備がいつもギリギリまでかかる、と反省することが多々あります。なかなかきびしいことだと思います。

 さすがに、悪事には手を染めていませんので、正々堂々と生きる気持ちはありますが、外を歩く事が大いにで、色々な経験もします。
 そんなときこそ、この菜根譚の言葉を思い出し、気持ちを新たにして、前向きに進むことを考える事が大事と思います。

 立派な人物にはなれないと思いますが、少しでも先人も知恵を頂きつつ、自分の行動を検証して生きたいと思います。

*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」


(関連ブログ)
 シリーズ(白壁のまちづくり)その3 ~旅館「熊乃屋」
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・(携帯論語)心を育てることば
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Posted by ノグチ(noguchi) at 12:09Comments(0)菜根譚

2009年01月29日

(四つの難)事を行うものの心得 (その一)

(四つの難)事を行うものの心得 (その一)

 自分が判断したことを人に伝えることで、4つ難しいものがあると、呂新吾が「呻吟語」の中で整理しています。(安岡正篤訳著「呻吟語を読む」 )

(本文)
 進言に四難有り。人を審(つまびら)かにし、己を審かにし、事を審かにし、時を審かにす。一も不審有れば、事必ず済(な)らず。
(以上、「呻吟語を読む」より)
 
(解説) 
 人は、多彩な知識があったとしても、相手をよく見て伝えかねればならぬことはいうまでもありません。
 自分はどういう人間であるかということを知っておくことが必要です。耳学問で己に似つかわしくない放言をしてみたところで、相手に通じるはずはありません。
 第三に、事を内容をしっかり取られることは、言うまでもありません。
 最後に、何事にも時、時機というものがあって、それを逸するとかえって害をおよぼすことがある。
 この四つのうち一つでも、はっきりでききなければ、事はかならず成功しないと訓示ともいえる四つの難です。

(感想)
 事を為すためには、周りに色々な人の協力が必要です。そのためには、まず自分のこと、周りの人のことを、しっかり知る(考えをつかむ)ことが必要と思います。
 その前に、自分自身ができることを行い、学び、見識を高めること、行動も伴っていることが重要と思います。
 そして最も重要なことは、時機(タイミング、時代)を捕らえて、動き始めることです。そのためには、能力を高め、人を知り、ネットワークづくりを怠らないことではないかと思います。人が居てこそ、何事もできるような気がします。
 
 今朝は、やっと風邪の具合もよくなり、日常の動きが出来そうです。上記の「四つの難」のなかで、「己を審かにし」の前の健康管理は、もっと大事なことだと思った、ここ2日間でした。
 インフルエンザを流行り出してます。健康に保持を第一に、生活をしたいと思います。

*参考資料:安岡正篤訳著「呻吟語を読む」

<関係コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:46Comments(0)呻吟語(しんぎんご)

2009年01月26日

(ジェントルマン) 閑居にいても天下のことを気にかけよ

(カントリー・ジェントルマン) 閑居にいても天下のことを気にかけよ

 国の豊かさは、野に居る無位のリーダーたちの関心(意識レベル)の高さにあるのではないかと最近思います。
 菜根譚に次の一節がありました。

(現代語訳)
 顕要(けんよう)な地位についていても、山林に隠棲(いんせい)しているような趣きがほしい。
 田園に閑居していても、天下を治めるような経綸(けいりん)をもっていたい。


(解 説)
 黒塗りの高級車と冠、つまり高い地位を指す。そういう地位には、当然のことながら、権力と金がついているので、ブランドもので身を飾り、料亭に入りびたるといったたぐあいに、ぎらぎらした生活になじんでいく。ある程度やむおえない面もあるが、そういう立場の者ほど村夫子然とした趣きがほしいのだという。

 たしかに、そのほうが奥ゆかしいということは言えるかもしれない。また逆に、野にあるときには、政治への関心だけは持ち続けたいのだという。そういう層が厚いほど国の政治にも活力が出てくるかもしれない。


(感 想)
 日本社会の政治への「無関心」こそが、政治は三流、経済は一流(1.5流?)といわれる所以です。

 オバマ氏も、「豊かさに恵まれた国々には、これ以上の無関心は許されない。新たな責任の時代だ。アメリカ国民一人ひとりが、自分自身や私たちの国家、世界に対して責任を負っている」と、世界へ訴えました。
 地域思い、国を思い、世界を思う、「関心」をもつ事こそ、矛盾を解決する第一歩なのかもしれません。

 イギリスでも同じ政治への考えがあって、日本のでは「竹林の七賢人」のような表現をしますが、イギリスでは、事あらば「いざ、鎌倉!」の思いを持つ、カントリー・ジェントルマン:「田舎の志士」とでも表現しましょうか、東西を問わず、人民の政治への関心を持たせる(持つ)ことは、地域づくり、国づくりで、とても重要であると言うことではないでしょうか。
 現代の地方に、カントリー・ジェントルマンがどれだけ居るかで、地域の活性化が図れるか、分かるかもしれません。

*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」


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Posted by ノグチ(noguchi) at 21:46Comments(0)菜根譚

2009年01月24日

公正な人物のもとに人材が集まる (三国志)

公正な人物のもとに人材が集まる (三国志)

 私は、中国の偉人・諸葛孔明から三国志に興味を持ち、色々登場する人物に興味が湧き、少しづつ三国の人物の配置を確認しつつ、勉強を進めています。
 私は、歴史より、故事、名言から、中国古典に入っていったせいもあり、守屋洋氏の著書が大いにですが、今回は、丹羽隼兵編著「三国志」から、次の一節に目がとまりました。
 人物鑑定に高い評価があった、魏の重臣・荀彧(じゅんいく)のことが書かれていました。

(本文)
 曹操の重臣で゛王佐の才゛と称された荀彧(じゅんいく)は、人物鑑識にかけても優れた眼をもっていて、多くの人材を見出して才能を発揮させた。かれの推挙した相手は、いずれのその職にふさわしい人物だったという。(中略)

 荀彧はまた、人事に関して公平で、いささかも私心をまじえることがなかった。かれの甥に、才能なく品行も劣っている男がいた。
「実権をにぎっておられるのですから、甥ごさんを建議官に推薦するくらい、わけもないことでしょう」
ある人からいわれたとき、荀彧は苦笑しながらこう答えたという。
「役人になるということは、もっている才能を表に出すことです。おっしゃるようなまねをすれば、私はどんな目でみられることやら・・・」
 かれの公正なことは、すべてこのようであったから、当時の士人たちは荀彧に対する傾倒ぶりは大変なものであった。能力を正当に評価してくれる人物のもとに人材が集まってくるのは、自然というものであろう。(中略)

 長い本文紹介になりました。

 現代でも、公務員の入試で、大分県教職員の不正採用で、多くに世間を揺るがした問題。昇進人事の汚職。身近が昇進する「閥(ばつ)」、「派(は)」と言われる慣習、いつの時代もあるものだと思います。

 しかし、荀彧は、いささかのブレもなく、自分の評価を貫くとことはすごいと言う気がします。トップに立つリーダーの心得と思います。「贔屓(ひいき)」と言われないような、公平な態度は、日常の自分自身の「独立独歩」の行き方にから出てくるように思います。

 「公正な人物のもとに人材が集まる」

今日は、先人の生き方に感銘を受けました。

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Posted by ノグチ(noguchi) at 22:48Comments(0)偉人

2009年01月23日

苦労をさせた妻を粗末にしてはならない(後漢書)

苦労をさせた妻を粗末にしてはならない(後漢書)

 タレントで華々しく輝くスターが、男女の話題でテレビを賑わすことが多々あります。庶民の生活からすると、別世界ですが、一般社会でも以外に起る出来事のように思います。

 若いころは、みな苦労が付きものですが、時機を得たのかうまく成功をすると、その名声によってくる族がいます。
 成功気分に、良く乗せられ、ついそれまでの苦労したパートナーと分かれ、華やかな世界を歩む人がいますが、多くの人が良い印象をもたないように、人望を欠くことになるのではと思います。
 このような場面は、古い時代からあるようで、中国古典の「後漢書」に次の一節があります。(守屋洋編著「中国古典 一日一話」)

(本文転載)

・糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず

 若いころ糟(かす)や糠(ぬか)を食って苦労を共にした古女房は、偉くなって金がたまっても、棄てたり、粗末に扱ってはならない。
 後漢の光武帝の姉が、出戻って来た。光武帝が姉を思い、重臣の宋弘にやんわりと、
「下世話に話だが、富みて交わりを易(替)え、貴くしては妻を易うというそうだが、どう思うね」
「いや、私は゛貧銭の交わりを忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず゛と聞いております」(中略)

 現代は、熟年離婚、定年離婚があるそうで、時代は変わっているとうですが、苦労したパートナーは、大事にした方が良いように思うので、古い人間かもしれません。
 人の生業、2000年を越えた今の十分生きている教訓、生き方があるように思います。

*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」  
糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず(後漢書より)  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:31Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2009年01月22日

「心を尽くす」とは、心を理解すること(大学講話感想)

「心を尽くす」とは、心を理解すること(大学講話感想)

 今日は、2週続く大学の講義「実践のまちづくり」の2回目でした。終わってから、担当の準教授と学際科目事務局の事務の方と、1時間近く語りました。人々の思いは、同じなのだなと確認でき、有意義が時間になりました。
 その意見を交わす中で、思い出した言葉を今日は、紹介し、感じたことを書きます。

(本文より)
 心を尽くす(尽心)とは、一所懸命に精神力を発揮して努力をすることだと考えて、得々と講釈をしておる。せれではいかにも浅薄であります。まるで話をならないのであります。
 「尽心」とは、心を尽くすということは、われわれの心を十分に理解することを言う。一所懸命に精神力をふるうことではなんです。それは枝葉末節、解釈の単なる一つにすぎない。もっともっと深い意味があるわけです。われわれの心というものがどういうものであるか、心というものを十分解明すれば、物事の性、個性、本質というものがわかる。(中略)

 難しい解説ですが、要は、心を尽くすとは、自分と向き合うことではないかと思います。好調な時も、不調の時も、行動を決める自分の心があります。不安、奢り、焦り、有頂天、等々、心を現す言葉は、日本語には数知れず、ゆたなか言葉の国ではないかと感心します。

 そのような言葉の多様ではなくて、一人の人に、一つの心しかありません。しかし、立場、場面、危機等々で、人は変化(豹変)します。なぜでしょうか。
 人は、日々成長を続けているではないかと思います。

 今日、地元の大学生に講話「実践のまちづくり」をしました。

 最後に雑談の中で、伝えたかったことは、日々の交友の中に、1/10でも、1/100でも良いから、自分の意識レベルより、ちょっと高い方々と語る場に行く事が、自分を高める機会になると話しました。

 これは、心を育てることにつながります。自分の心に尽くす、これこそが「尽心」はないかと最近思うようになっています。私は、33才から色々な先輩の話を聞くことで、知らない世界(知識、分野)を教示してもらいました。

 若い方々も多用とは思いますが、生活時間の1%だけ、自分を高める時間に使う事も、将来に備える大事な行動と思います。若い人は、若い人なりに、年配の人は年配者なりに、気づくことがあると思います。そこに意味があると思っています。
 
 今日は、若い学生たちに語ったことで、自分人を見つめる良き機会を得たと思います。そして人に話すことは、準備する時間も含め、けっこう自分の日常を振り返る良い機会になっています。
 学生だけでなく、多くのみなさんに、人と語ることのすすめを推奨して行きたいと思いました。

*参考資料:安岡正篤著「孟子(不安と混迷の時代だからこそ」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:04Comments(0)私の意見

2009年01月22日

最高の人格とは、・・・(菜根譚)

最高の人格とは、・・・(菜根譚)


(現代語訳)

 最高の完成された文章は、少しも奇をてらったところがない。ただ、言わんとすることを過不足なく表現視しているだけだ。
 最高に完成された人格は、少しも変ったところがない。ただ自然のままに生きているだけだ。

(解説)

 文章にしても人格にしても、自然流「あるがまま」が理想なのだという。見たところ平凡でなんの取り柄もないように思われるが、よく見ると、尽きない味わいがあるということであろうか。
 ただし、そこまで突き抜けていくのは容易なことではない。なぜならこれは、練りに練りあげての推敲を重ね、磨きに磨いていったその先に到達するレベルであるからだ。

(感想)
 肩ひじ張った人物を見ると、疲れてしまう。なぜか、人間は今の自分を謙虚に受け入れ、そこで次の段階へどう成功するか、常に考え続ける人が、最高の人格に近づく方法なのかもしれません。
 要は、自分があるがままに、行動できることこそ、人格を表現することかもしれません。 最高の人格は、志を持ち、自然(周り)の状況に合わせ、臨機応変に生きていく人かもしれません。

<ミクシィ・関連サークル>
・菜根譚(さいこんたん)
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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:09Comments(0)菜根譚

2009年01月20日

「道は近きに在り」・・親を見れば・・

「道は近きに在り」・・親を見れば・・

 だいぶ前に、一度ブログに書いた記憶がありますが、受験シーズンになると、ふと思い出す安岡正篤先生の本にあった、ある教師が集めたという狂歌集「親を見りゃボクの将来しれたもの」の幾つかの短歌です。

(本文転載)

人なみに叱られてみたい説きもある
 俺の親父は俺がこわいか    (中二男)

家庭とは父きびしくて母やさし
 それでも好いのだうちは違う  (中二男)

心からすがりつこうとする時に
 いつも父さん逃げてしまうよ  (中一女)

あんな人選んじゃだめよあなたはネ
 体験がにじむ母の口癖     (中一女)

哀しさは勤めに出てのたまにする
 母の話題のそのくだらなさ   (中三男)

みんなだめ顔がとげとげでいらいらで
 他人みたいなわが家一族    (中三女)

どれも痛いほど現実をつかんでおる。道は近きに在りの痛切な一例ではないか。
(以上、安岡正篤「一日一言」より)

 親子の「孝」、夫婦の「別」という論語の教えがありますが、

「孝」:親の行動を見て育ち、自然に尊敬の心を持つ
「別」:夫婦は、家庭に中で、男と女のそれぞれの役割を知り、家庭を導く

そんな意味だったように思います。男女を問わず、家庭の中で「父性」、「母性」の役割とは何か、常に考え子どもたちを導く言動が必要なように思います。

 何度も書くのですが、四書の中の『礼記』に西晋の官僚で学者の謝安は、あまり子どもたちに勉強を教えないことに妻が、
「あなたは、初めから児を教えなさるところを見たことがありませんね」
と嫌みを言う。ところが謝安は、
「私は常に児に教えろ。これある哉(か)」

 子どもは本能的に、母に愛・慈愛、父に権威・尊敬・敬慕の念を持っていて、三歳にもなると、その心ははっきり出てくると言われます。
「溺愛」と言うことを聞きますが、やはり人は、「敬」と「恥」が必要で、その教えは親たちが、日々の行動で示して行くことが一番早道のように思います。

「人の道は、近きに在り」、安岡先生の教示は、なるほどと思うところがたくさんあります。「あの親の子か」言われないように、また「子を見りゃ、親が分かる」とも言われないように、家庭の中での行動も大事と思います。 

*参考資料:安岡正篤「一日一言」より  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:06Comments(0)安岡正篤語録

2009年01月18日

事業を発展させる基礎は経営者の徳 (菜根譚)

事業を発展させる基礎は経営者の徳 (菜根譚)

 事業を発展させる基礎になるのは、その人の徳である。基礎がぐらぐらしているのに、建物が堅固であったためしはない。

(解説)
 事業を発展させる基になるものは、経営者その人の持っている徳なのだという。逆に言えば、徳のない経営者は一時は栄えても長続きしないということかもしれない。
 『三国志』の劉備も、わが子に与えた遺書のなかで、つぎのように語っている。
 「小さな悪だからといって、けっして行ってはならぬ。小さな善だからだといってけっして怠ってはならぬ。賢と徳、この二字が人を動かすのである」
 能力を磨くこと、そして徳を見につけること、この二つが望まれるのだという。

(感想)
 自分自身を省みること、目標とする人物を持つこと、さらに切磋琢磨する仲間がいること、色々自分の周りに環境を整える事も大事ですし、毎日に言動もすべて勉強になると思います。「道は遠きにあらず、足下のことを懸命にやって行くこと」が、大事と思います。
 
>小さな悪だからといって、けっして行ってはならぬ。小さな善だからだといってけっして怠ってはならぬ。

先人の教示を忘れないようにしたいと思います。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:53Comments(0)菜根譚

2009年01月17日

憎悪とは弱者の固定観念?(小林秀雄語録)

憎悪とは弱者の固定観念?(小林秀雄語録)

(本文)
 これは大変な誤り易い事なのだが、憎悪は、感情のものというより寧ろ観念に属するものなのだ。おのずから発する憎悪の情という様なものはないので、一見そう見えるが、実は恐怖の上に織られた複雑な観念であるのが普通であり、意志や勇気や行動に欠けた弱者の言わば一種の固定観念なのである。

(感想)
 さすが小林秀雄氏だなと感じ入ります。憎悪、怨みは、「意志や勇気や行動に欠けた弱者の言わば一種の固定観念」とは恐れ入ました。

 人生50年も生きていると、色々な場面、風景と言う人間模様を見るし、自分自身も多様な経験をするものです。怒る、憎悪は、何かがきっかけと思いますが、怒りはその場で解消すれば消えてしまいますが、すこしづつ積み重なった不安が、転化し、憎悪に変る様を考えるに、即行動に移せなかった反省が出てくるのだろうかを思います。

 私などは、危機には即対応する代わりに、危機(不安)を与えた方への配慮の気付きが鈍いように思います。実は、孔子の教えに、「自分が被った危機よりも、相手に与えた不安を急ぎ解消する」教示があります。

 小林秀雄氏の言葉ではないですが、気持ちの弱い方への対応は、小さな「不安・不満」の兆しの時に、早く取り除いてあげることが、不安を募らせ、憎悪に変る「体内変化」を起こさせない処方箋かもしれません。自戒も込めて、今後の対応に努めて行きたいと思います。

*参考資料:小林秀雄の言葉「人生の鍛錬」

<以前の日記>
・孔子とはどんな人物か?(孔子の自己評価)
http://utorongo.otemo-yan.net/e147691.html
・「風林火山」速きこと風の如く、静かなること林の如く
http://utorongo.otemo-yan.net/e147530.html
・(為政者の責任大)恒産なければ、因って恒心なし
http://utorongo.otemo-yan.net/e147179.html


  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:32Comments(0)批評家・小林秀雄

2009年01月17日

孔子とはどんな人物か?(孔子の自己評価)

孔子とはどんな人物か?(孔子の自己評価)

 論語の述而(じゅつじ)第七に、弟子の子路にある方(葉公)が質問した、「孔子はどんな人か?」、ところが子路は答えることが出来なかった。そのことを孔子へ伝えると、孔子自身が語った言葉が次の一節です。

(カナ論語)
「憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂いを忘れ、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らざるのみと」

(現代語訳)
 道を求めて得れらないときには自分に対していきどおりを起こし食事も忘れ、道を会得しては楽しんで心配事も忘れ、そこ迄老いが迫っているのも気付かないような人だ。


 生き方、学問、志、等々表現はありますが、孔子の言う「道」こそ、現代に必要な人間形成の最も大事な基本ではないかと思います。学ぶことを楽しむ人には叶わないのことばもありました。

(カナ論語)
子曰わく、之を知るものは、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。 
(現代語訳)
 知るものは、好んでやる者には及ばない。好んでやる者には、楽しんでやる者には及ばない。


 人生の鍛錬(学問)を、楽しめるような境地に至るのはいつかわかりませんが、日々カナ論語の小冊子(文庫本より一周り小さい)を持ち歩きながら、先賢の教えを読みつつ、学ぶことを楽しめるようになりたいと思っています。

*参考資料:伊與田覚著「仮名論語」
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:28Comments(0)孔子の教え

2009年01月17日

「風林火山」速きこと風の如く、静かなること林の如く

「風林火山」速きこと風の如く、静かなること林の如く

 武田信玄が、戦の時のぼり旗の四文字で有名ですが、これは中国の兵法の教科書と言われる「孫子」の教示にある言葉の一節です。

「其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」

 孫子は、「動」と同時に「静」の作戦行動も重視した。攻撃を中断するときは林のような静なにして次の機会を待ち、いったん守りに入ったら山のように動かない・・・つまり、動いてはならないときはの軽挙妄動を誡めている。

 敵対する勢力をしっかり分析し、こちらに勝ち目があると判断できるまでは、決して動かない。しかし、動き始めたら、疾風の如くなだれ込むような行動で、相手を圧倒する。正に、風林火山の哲学と思います。
 世の溢れる情報に、翻弄される事無く、真の情報を集め、着実な準備と決断がこれからのリーダーに求められると思います。

*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:43Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2009年01月16日

(為政者の責任大)恒産なければ、因って恒心なし

(為政者の責任大)恒産なければ、因って恒心なし

 恒産(財、地位)とは、日々の生活を十分に支えることのできる収入のこと。生活の安定がなければ、人の心はゆらぎやすく、悪事への走りやすい。経済基盤がしっかりしていてこそ、人心の安定もはかられる。
 よの人々に恒心(良心、良識)を期待するならば、まず為政者が人々の暮らしを安定させなければならないという孟子の教えです。

 日本は、恒産があるにもかかわらず、恒心のをなくしているかに見える人がいないでもない。国全体の経済レベルは、世界でも高くなって来たが、簡単には、人々の恒心を期待することはできないのかもしれない。

 この恒心を信念と言う言葉に置き換えるならば、どんなに生活が苦しくても、それに流されて信念すらも失っては困る。できれば、晴雨にかかわらず常に、恒心だけは持ちつづ
けたい。

*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:44Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2009年01月12日

貧困と飢餓を世界からなくす 、他の社会問題

友人からのブログへの書き込みを紹介します。

熊本(宇土市) ノグチ

<以下、知人のメール>

先日の野口さんの日記を見させて頂き、私の感じている意見を話させていただきたいと思います。私は経済の勉強もしたことがなく浅学ですので私の意見は漠然としたものですがご勘弁ください。
私の理想はお金の流れをプールして分配する仕組みを確立する。
経済の勉強をしたことがありませんので、どのレベルでプールして分配するかは見えていません。分配を考えるにあたっては、

1.分配する機関の収益度
2.分配する機関の努力度
3.分配する機関のこれまでの実績
4.分配する機関の理想度
5.分配する機関の理想に対する実現度
6.分配する機関の必用額希望度
7.分配するにあたっては全体観を見渡して均衡を保つ。
8.将来に対する必要なたくわえ。

簡単に考えてこれらを考慮するべきだと思っています。
給与についても自己申告制にして上記の8つを考慮し、オープンにして分配するのはどうかなあ。と、思っています。これが私の1つの理想です。
これにより昨日野口さんの書かれていた、

    1.貧困と飢餓を世界からなくす
    2.誰もが学校に通えるようにする。
    3.男女の平等と女性の地位向上を実現する。
    4.乳幼児の死亡率を下げる。
    5.妊産婦の健康を改善する。
    6.持続的な環境を作る
    7.武器や戦争にお金を使うことを最小限にすること。

これらのいとぐちになるのではと考えます。
これを成し遂げるには、リーダーシップをとる人間が絶対に信用でき、欲に流されない人物であることが絶対条件だと思います。
                        


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:26Comments(0)意見・異見

2009年01月11日

人それぞれに理想がある、孔子の理想とは?

人それぞれに理想がある、孔子の理想とは?

 論語に出てくる、自分の理想をついて論議した部分に、次の一節がありました。それぞれの考えを読み、考えること、反省する事が大事と思いました。

(現代語訳)

孔子が弟子たちに、語りかけた。
「どうだ、めいめい自分の理想を話し合ったみないかね」

子路が言った。
「立派な馬や車、衣服や毛皮を友と共に使って、やぶれても惜しいと思わないようにありたいものです」

顔淵が言った。
「善い行をしても人にほこることはなく、骨の折れる事を人に押しつることのないようにありたいものです」

子路が孔子に、言った。
「先生のお志もお伺いしたいものですね」

孔子が言われた。
「年寄り達の心を安らかにし、友達とは信をもっと交わり、若者には、親しみなつかしまれるような人間になりたいね」
(以上、『論語』公治長第五、の一節)

 孔子の理想は、社会の安全・安心、さらに次世代の育成にも及ぶ、理念が伺えます。多くのリーダーたちが、孔子に視点をもって社会をリードすれば、住みやすい社会になるような気がします。
 これは、リーダーだけでなく、一般の庶民も家族の安全、安心を考え日々努力をすることが必要との教えと思います。

 今日は、私の住む地区は、朝から「どんどや(鬼火焚き)」をやり、昼から年始の集まり(寄り合い:会議)が、あります。人との関わりがない社会はありません。日々は、それぞれの仕事や家庭にことで語れない隣人たちと。ゆっくりかたり、地区、地域のこれからを、孔子の教えを頭において、考えてみたいと思います。
 
*参考資料:「仮名論語」(伊與田覚著)より

<関連コミュ>
・論語の言葉
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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:16Comments(0)孔子の教え

2009年01月10日

人格向上には見識を深めよ(菜根譚)

人格向上には見識を深めよ(菜根譚)

(現代語訳)
 人格は、包容力が高まるにつれて向上し、包容力は見識が深まるにつれて高まる。
 人格を向上させようと思うなら、包容力を高め、包容力を高めようと思うなら見識を深めなければならない。

(解 説)
 人さまの欠点や過失を目くじら立てて咎めていたのでは、立派な人格と言えない。少々のことは大目に見てやりたいのだという。では、そういう包容力を身に付けるのに、なで見識が必要になるのか。見識とは物事の道理をよく心得ていることである。道理を心得ていれば、おのずから人さまに対して寛容にならざるを得ないということだろう。

(感 想)
 今日、虫の目、鳥の目の講話があった。虫に目は、足下から地域を見ること。鳥の目は、俯瞰的に地域の出来事を検証する事。

 実は、もう一つ「魚の目」のことを語った人がいた。この魚の目は、「潮目(時代の潮流)」を見きわめる(感じる)ことを説いているもので、なるほどを思いました。目先のことにとらわれていると、時代の流れを感じることが出来ない。

 特に、小さなグループ(交友関係)の視点では、社会の変化を感じることが出来ぬまま、倒産(頓挫)する事業体で居てしまい、変革を提案するわけでもなく、新事業を起こすわけでなく、魚の目が欠いた人生と言えます。

 時代の潮流こそが、人生の向上を助けると思い、果敢に挑戦する事こそ、見識と言えます。ただ、ここで論じる「包容力」には、多様な経験と先見性も含まれると思います。
 見識・包容力とは、学問を広く深く、学び続けるもので、行き着くところの無い「道」なのかも知れません。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」

<関連コミュ>
・菜根譚(さいこんたん)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909  


Posted by ノグチ(noguchi) at 01:04Comments(0)菜根譚

2009年01月08日

チームリーダーになれる人(槍田松瑩氏)

チームリーダーになれる人(槍田松瑩氏)

 送られてくる致知出版社のメルマガは、心洗われるものがあります。今日の一言も、とても参考になるものでした。手抜き日記ですが、ご一読頂ければ幸いです。


~人間力・仕事力が確実にアップする致知出版社メルマガ~

■今週の名言(2009/1/7)

・チームリーダーになれる人
  チームリーダーになれる人、
  大きな部隊が率いられる人は、
  やはりエナジャイズできる人でしょうね。
  リーダーにはスキルに長けていたり
  夢が描けたり様々な要因があるでしょうが、
  何か一つと言われたら、私はそのことを挙げます。
              槍田松瑩(三井物産社長)

 (注)、エナジャイズ:相手に活力を与える

(解説)…………………………………………………………………………

かつてあるディベートの研究者から
「歴史上最大のディベーターは西郷隆盛である」
という話を聞いたことがあります。

言葉で相手を説き伏せるのではなく、
無言のうちに相手を感化するだけの人格が
西郷には備わっていたというのです。

西南の役の時、西郷の人柄に心服し、
最後まで戦い、共に城山に果てた増田栄三は

「一日(西郷)先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず」

と述べたそうですが、大西郷の優れた人柄を
偲ばせる逸話だと思います。

西郷は特別にしても、
その人がそこにいるだけで周囲を安心させ、
元気にさせる力を持つ人、
その人が部屋に入ってきただけで
雰囲気がパッと明るくなる人というのはいるものです。

槍田さんがおっしゃるエナジャイズ(相手に活力を与える)
できるリーダーとは、そのような雰囲気を持つ
人のことなのかもしれません。

どのような困難に出遭っても逃げることなく、
明るく前向きに、信念を持って仲間をリードしていく。
そういう人格になるよう日々精進したいものだと思います。

(感想)………………………………………………………………………………

 今朝の日記は、中東紛争のことを書いたのですが、西郷隆盛のような交渉者が存在すれば、双方の意見を聞き続けているうちに、互いの言い分が尽き、交渉しなければいけなくなるような場の雰囲気を作りだすのではと思います。

 現代は、成果を誇示するリーダーが多いのですが、西郷隆盛のような人物は、「結果は双方の努力と賛辞して、自分は仲介者でもなくただ同席した一人しかない」、と後談では言うのでしょうか。感化することはそういう事なのかなと思います。

 無私の「良知」を持つリーダーが、世界にどんどん増えると、紛争でなく交渉で問題が解決していくのではと、甘いと思いますがそんな考えを抱きます。

 これを読み、私も人に好意を持たれる人物に近かづきたいと思いました。今日から、「西郷南州翁遺訓」を再度、読んでみたいと思います。


<以前の日記>
・名もなき庶民の犠牲を忘れるな(諸葛孔明)
 ■イスラエル軍が1日3時間ガザでの軍事活動停止、人道目的で=関係者
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1046566106&owner_id=2182841  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:10Comments(0)リーダーの名言

2009年01月07日

己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す(論語)

己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す(論語)

(解説)
 人間のふみ行うべき道として、孔子がもっとも重視したのが「仁」である。
 あるとき、弟子の子貢が、「人民を貧窮(ひんきゅう)から救い、生活を安定させてやれば、仁といえるでしょうか。」とたずねたところ、孔子は、

「それはもうじんどこころではない、そこまで行けば聖だ。堯・舜(ぎょう・しゅん)のような聖人でさえ、それを成就できなくて悩んでいたのだ。仁はもっと身近にある」

と言って冒頭の言葉をあげた。意味は、

「自分の名誉を大切に思うから、まず他人の名誉を重んずる。自分が自由でありたければ。まず他人の自由を重んずる」

 この「仁」とは、社会人の条件と言って良いかもしれない。
(守屋洋著「中国古典 一日一言」)

(感想)
 子貢の「仁」の理念は、今の政治家たちに訓示したいものですし、孔子の答えは、私たちの日々の暮らしに必要な心遣いであり、人間関係のバランス感覚と思います。
 今年も、中国古典を中心に、学んで行きたいと思います。ご理解、ご支援頂ければ幸いです。

*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一言」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:55Comments(0)孔子の教え

2009年01月04日

「耐える」ことを支えとせよ~菜根譚~

「耐える」ことを支えとせよ~菜根譚~

■小泉容疑者、「因果応報」と元次官ら襲撃を正当化の供述(読売新聞 - 01月04日
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=711282&media_id=20
>元厚生次官宅襲撃事件で、殺人容疑などで送検された無職小泉毅容疑者(46)(鑑定留置中)が動機について、「命を粗末にすれば、自分にも返ってくると官僚たちに分からせてやりたかった。因果応報だ」などと供述していることがわかった。

■<永田元議員>飛び降り自殺 偽メール問題で辞職(毎日新聞 - 01月03日
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=711247&media_id=2
>偽メール問題で議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が3日午後6時25分ごろ、北九州市八幡西区里中の11階建てマンションから飛び降り、間もなく死亡が確認された。

 私の日々の愛読書の一冊に「菜根譚(さいこんたん)」がある。年頭に当たり、二つの事件を思い考えた。人生の内、苦労が95%と教示した先輩がいました。菜根譚にも苦労に耐える意味は大きいと教えています。

・「耐える」ことを支えとせよ

(現代語訳)
 「山登りは険しい道に耐え、雪道は危ない橋に耐えて進む」ということばがあるが、この「耐える」ということに深い意味が含まれている。
 人情はけわしく、人生の道はきびしい。「耐える」ことを支えとして生きていかなければ、たちまち、藪(やぶ)にふみ迷い、穴に落ちこんでしまうだろう。

(解 説)
 山登りにしても、雪道にしても、急がないで一歩一歩着実に歩を進めなければならない。人生行路の歩みもそうありたいのだという。

(感 想)
 様々な場面で、自分を売り込むことは、悪いことではないが、世の関心を引くために、法を犯してまでやっては、信用が落ちてしまう。自分のことを振り返り考えると、「やり過ぎ」と感じるときには、やはりどこかに狂いが生じてしまいます。

 世の中は、ほとんどが思い通りには行かない、好調の時はほんの一瞬で、そのよき時代のことばかりイメージしていては、反動で起るきびしい環境に耐えることができなくなるように思います。

 人生、山あり、谷あり、その時々に状況を検証し、次のステップのために、耐える工夫が必要と思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 14:19Comments(1)菜根譚