2009年01月22日

「心を尽くす」とは、心を理解すること(大学講話感想)

「心を尽くす」とは、心を理解すること(大学講話感想)

 今日は、2週続く大学の講義「実践のまちづくり」の2回目でした。終わってから、担当の準教授と学際科目事務局の事務の方と、1時間近く語りました。人々の思いは、同じなのだなと確認でき、有意義が時間になりました。
 その意見を交わす中で、思い出した言葉を今日は、紹介し、感じたことを書きます。

(本文より)
 心を尽くす(尽心)とは、一所懸命に精神力を発揮して努力をすることだと考えて、得々と講釈をしておる。せれではいかにも浅薄であります。まるで話をならないのであります。
 「尽心」とは、心を尽くすということは、われわれの心を十分に理解することを言う。一所懸命に精神力をふるうことではなんです。それは枝葉末節、解釈の単なる一つにすぎない。もっともっと深い意味があるわけです。われわれの心というものがどういうものであるか、心というものを十分解明すれば、物事の性、個性、本質というものがわかる。(中略)

 難しい解説ですが、要は、心を尽くすとは、自分と向き合うことではないかと思います。好調な時も、不調の時も、行動を決める自分の心があります。不安、奢り、焦り、有頂天、等々、心を現す言葉は、日本語には数知れず、ゆたなか言葉の国ではないかと感心します。

 そのような言葉の多様ではなくて、一人の人に、一つの心しかありません。しかし、立場、場面、危機等々で、人は変化(豹変)します。なぜでしょうか。
 人は、日々成長を続けているではないかと思います。

 今日、地元の大学生に講話「実践のまちづくり」をしました。

 最後に雑談の中で、伝えたかったことは、日々の交友の中に、1/10でも、1/100でも良いから、自分の意識レベルより、ちょっと高い方々と語る場に行く事が、自分を高める機会になると話しました。

 これは、心を育てることにつながります。自分の心に尽くす、これこそが「尽心」はないかと最近思うようになっています。私は、33才から色々な先輩の話を聞くことで、知らない世界(知識、分野)を教示してもらいました。

 若い方々も多用とは思いますが、生活時間の1%だけ、自分を高める時間に使う事も、将来に備える大事な行動と思います。若い人は、若い人なりに、年配の人は年配者なりに、気づくことがあると思います。そこに意味があると思っています。
 
 今日は、若い学生たちに語ったことで、自分人を見つめる良き機会を得たと思います。そして人に話すことは、準備する時間も含め、けっこう自分の日常を振り返る良い機会になっています。
 学生だけでなく、多くのみなさんに、人と語ることのすすめを推奨して行きたいと思いました。

*参考資料:安岡正篤著「孟子(不安と混迷の時代だからこそ」


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Posted by ノグチ(noguchi) at 22:04│Comments(0)私の意見
 
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