2011年01月31日
「強くなる人の共通点」:谷川浩司(将棋の永世名人)、他
「強くなる人の共通点」:谷川浩司(将棋の永世名人)、他
時々、送られてくる致知出版メルマガ「人間力」に、今日は、将棋の永世名人谷川浩司氏の言葉「強くなる人の共通点」に目が留った。3人のリーダーの言葉を紹介します。
致知出版社の「人間力メルマガ」【2011/1/31】より
●谷川浩司(日本将棋連盟棋士会会長・永世名人)
頭を下げて自分の負けを認めるのは、
本当につらいですよ。
でも、強くなるのはそれをはっきり言える人です。
これをいい加減に済ませている人は上には行けません。
●西田文郎(能力開発の第一人者)
「苦しみを克服した人にしか"運"はない」。
一代で大きなことを成し遂げた人は、
自分の努力ではどうしようもできない
様々な逆境、ピンチを潜り抜けてきています。
その時、初めて「運」というものを
体感するのだと思うのです。
●三浦由紀江(駅弁販売のパート社員から営業所長に)
運とかツキというと、向こうから
やってくるもののように思うけど、
「すべての出来事がいまの自分になるためにあった」と思うと、
どんな挫折や失敗、傷ついた出来事も、結局はすべて
「運があった、ツイていた」ということになるんじゃないかな。
(以上、致知出版社の「人間力メルマガ」)
3人の体験から来る言葉は、心に響くものがある。
>強くなるの人は、自分の負けを認める人
>苦しみを克服した人にしか"運"はない
>すべての出来事がいまの自分になるためにあった
どう自分に降りかかる状況を受け入れ、更に工夫し、チャレンジし続けるか、そこにしか成功の道はないように感じます。
時々、送られてくる致知出版メルマガ「人間力」に、今日は、将棋の永世名人谷川浩司氏の言葉「強くなる人の共通点」に目が留った。3人のリーダーの言葉を紹介します。
致知出版社の「人間力メルマガ」【2011/1/31】より
●谷川浩司(日本将棋連盟棋士会会長・永世名人)
頭を下げて自分の負けを認めるのは、
本当につらいですよ。
でも、強くなるのはそれをはっきり言える人です。
これをいい加減に済ませている人は上には行けません。
●西田文郎(能力開発の第一人者)
「苦しみを克服した人にしか"運"はない」。
一代で大きなことを成し遂げた人は、
自分の努力ではどうしようもできない
様々な逆境、ピンチを潜り抜けてきています。
その時、初めて「運」というものを
体感するのだと思うのです。
●三浦由紀江(駅弁販売のパート社員から営業所長に)
運とかツキというと、向こうから
やってくるもののように思うけど、
「すべての出来事がいまの自分になるためにあった」と思うと、
どんな挫折や失敗、傷ついた出来事も、結局はすべて
「運があった、ツイていた」ということになるんじゃないかな。
(以上、致知出版社の「人間力メルマガ」)
3人の体験から来る言葉は、心に響くものがある。
>強くなるの人は、自分の負けを認める人
>苦しみを克服した人にしか"運"はない
>すべての出来事がいまの自分になるためにあった
どう自分に降りかかる状況を受け入れ、更に工夫し、チャレンジし続けるか、そこにしか成功の道はないように感じます。
2011年01月31日
思考の三原則、「偶然」の面白さ(不尽の妙味)
思考の三原則、「偶然」の面白さ(不尽の妙味)
「朝に紅顔、夕に白骨」=人の人生は、朝露の如し。
とありますが、1年は365日、1日は24時間あります。この時間を、自分だけでなく私を取り巻く様々な人々の思いを知り、それぞれがより良き人生を歩めるように、自分の目指す方向を常に修正し、これからの10年を生きるために、もがき、苦しみ、考え、日々行動し続けたいと思います。
しかし、日々全力を尽くす必要はありますが、むやみやたらの行動ではいけないと思います。「知行合一」の教えは、゛考え即行動゛の意味ですが、だらこそ考えること(思考)が大事と思います。
・思考の三原則
一、目先にとらわれず、できるだけ長い目で見る。
二、一面だけ見ないで、なるべく多面的、できれば全面的に観察する。
三、枝葉末節を見ないで、根本を見る。
それと、私の行動の中には、多くの偶然が何度か有りました。その出来事は、すべて「興味+行動」から起こりました。地域づくりの先輩は、「人生に偶然はない、全て必然」と強調します。
でも、゛その時そこへ行かなかったら゛の出会いが多々ありました。それをただの偶然と済ますか、「ラッキー」と思い、次の再会を約束するかだけの違いで、後の人生(生活・仕事)が変わります。私の偉業交流会の出会いは、けっこう偶然の出会いから、仲間が増えて行きました。
その偶然に「意志」がこもっているかで、人とのつながりが形になるか、後で大きく変わります。偶然から人生が変わる、それを楽しむゆとりも必要と思います。
・不尽の妙味(みょうみ)~「偶然」の面白さ~
偶然を人生の事実として平たく考えてみると、これまたなかなか面白いものである。これがないと、杓子定規になって味わいがない。偶然に人に会い、偶然に書を読む。人生全て偶然の連結と、却(かえ)って不尽の妙味がある。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
人生、何時の時代に、何処に生まれるかで、人生は違いがあります。しかし、生まれ落ちた場所(時代)で、どう自分の人生を切り開くかは、その人次第と思います。
時代や周りの状況を原因にして、自分を向上させない、仲間づくりをしない、周りを明るくするような行ないをしない、では自分の人生も暗くなる。龍馬のように、「常に明るく、前のめり」に生きたいものです。
「朝に紅顔、夕に白骨」=人の人生は、朝露の如し。
とありますが、1年は365日、1日は24時間あります。この時間を、自分だけでなく私を取り巻く様々な人々の思いを知り、それぞれがより良き人生を歩めるように、自分の目指す方向を常に修正し、これからの10年を生きるために、もがき、苦しみ、考え、日々行動し続けたいと思います。
しかし、日々全力を尽くす必要はありますが、むやみやたらの行動ではいけないと思います。「知行合一」の教えは、゛考え即行動゛の意味ですが、だらこそ考えること(思考)が大事と思います。
・思考の三原則
一、目先にとらわれず、できるだけ長い目で見る。
二、一面だけ見ないで、なるべく多面的、できれば全面的に観察する。
三、枝葉末節を見ないで、根本を見る。
それと、私の行動の中には、多くの偶然が何度か有りました。その出来事は、すべて「興味+行動」から起こりました。地域づくりの先輩は、「人生に偶然はない、全て必然」と強調します。
でも、゛その時そこへ行かなかったら゛の出会いが多々ありました。それをただの偶然と済ますか、「ラッキー」と思い、次の再会を約束するかだけの違いで、後の人生(生活・仕事)が変わります。私の偉業交流会の出会いは、けっこう偶然の出会いから、仲間が増えて行きました。
その偶然に「意志」がこもっているかで、人とのつながりが形になるか、後で大きく変わります。偶然から人生が変わる、それを楽しむゆとりも必要と思います。
・不尽の妙味(みょうみ)~「偶然」の面白さ~
偶然を人生の事実として平たく考えてみると、これまたなかなか面白いものである。これがないと、杓子定規になって味わいがない。偶然に人に会い、偶然に書を読む。人生全て偶然の連結と、却(かえ)って不尽の妙味がある。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
人生、何時の時代に、何処に生まれるかで、人生は違いがあります。しかし、生まれ落ちた場所(時代)で、どう自分の人生を切り開くかは、その人次第と思います。
時代や周りの状況を原因にして、自分を向上させない、仲間づくりをしない、周りを明るくするような行ないをしない、では自分の人生も暗くなる。龍馬のように、「常に明るく、前のめり」に生きたいものです。
2011年01月30日
日本サッカー、アジア制覇4度目、おめでとう!!
日本サッカー、アジア制覇4度目、おめでとう!!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1485845&media_id=2
>【ドーハ江連能弘】サッカーのアジアカップは最終日の29日、当地のハリファ競技場で決勝を行い、日本がオーストラリアを1-0で破って2大会ぶり単独最多4回目の優勝を果たした。両チームともに無得点で迎えた延長の後半4分に途中出場の李忠成(広島)が決勝点を決めた。日本は13年にブラジルで開かれるコンフェデレーションズカップの出場権を獲得した。
耐えて、耐えて、勝利おめでとう!!
日本サッカーの強さを感じました。
明日のニュース、新聞が楽しみです。
李選手の素晴らしいボレーシュート、長友のセンタリングがドンピシャでした。
少々興奮気味ですが、明日があるので寝ます。
祝杯は、明日にやります。
お休みなさい。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1485845&media_id=2
>【ドーハ江連能弘】サッカーのアジアカップは最終日の29日、当地のハリファ競技場で決勝を行い、日本がオーストラリアを1-0で破って2大会ぶり単独最多4回目の優勝を果たした。両チームともに無得点で迎えた延長の後半4分に途中出場の李忠成(広島)が決勝点を決めた。日本は13年にブラジルで開かれるコンフェデレーションズカップの出場権を獲得した。
耐えて、耐えて、勝利おめでとう!!
日本サッカーの強さを感じました。
明日のニュース、新聞が楽しみです。
李選手の素晴らしいボレーシュート、長友のセンタリングがドンピシャでした。
少々興奮気味ですが、明日があるので寝ます。
祝杯は、明日にやります。
お休みなさい。
2011年01月27日
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
■竹原氏落選 最後まで報道批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470546&media_id=2
関連Webニュース
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110117k0000m040074000c.html
昨日の阿久根市長選挙では、僅差ではあるが、若いリーダーを阿久根市民は選択した。今回の選挙を前にして、「リーダー」あるいは「リーダーシップ」とは何か、考えてみた。先週から読んでいる、ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」にいくつかのヒントがあったので、紹介します。
(以下、転載)
リーダーとは、人間の集団が共通の目標を設定し、それを達成させる手助けをする存在であると定義している。
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。(中略)
われわれは、リーダーという存在を、英雄のような個人という特定のタイプを考えるのではなく、リーダーシップのプロセスを構成する三つの要素すべてを考慮に入れる必要がある。リーダーとフォロワーは、状況認識が変わるにつれ、必要な役割を身につけ、役割を変える。重要な鍵は、リーダーとフォロワーがともに、異なる状況に対処する役割のレパートリーを広げ、適応できるようにする方法を理解することである。
リーダーシップとは「人々に対して、そのようにやれと命令によって強制するだけでなく、人々が本心からリーダーのためにそうしたいと望むように、一緒にしごとをさせる能力のことである……人の頭を殴って言うことを聞かせてはいけない。それは暴力による脅迫であって、リーダーシップではない」
英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ。もしその通りだとしたら、現代のポスト英雄型リーダーシップとは、リーダーがどういう人か、どの家系の出身かとかいったことは大した問題でなく、リーダーとなる人が何を学んできたか、また、集団の一員として何をするか、ということに尽きる、ということになる。生まれ育ちは絡み合ったいるが、現代の世界でより重要なのは育ち方であり、名誉をもたらす英雄型リーダーというパラダイムは二の次ということになる。
ハード・パワーとソフト・パワーの区別は、行動の性質においても、資源の確実性においても、程度の問題にすぎない。ハード・パワーもソフト・パワーも他人の行動に影響を及ぼすことで目的を達成する能力という、共通の部分を備えているからだ。「命令する力」 ― 他人の行動を強制的にかえる能力 ― は威圧や誘導を基本とする。一方、「他人を勧誘して仲間にする力」 ― 他人の望みをかなえる能力 ― は、その人の価値観に備わる引き寄せ力や、政治選択のため議論設定をする能力に基づく。
(以上、「リーダー・パワー」)
この「リーダー・パワー」の本の副題は、21世紀型組織の主導者のために、とあった。情報社会、ネットワーク社会の中で、これからのリーダーは、本人の資質や、それを支える支援者(フォロワー)たちの要望、取り巻く状況から、先導者が選ばれるように思います。
阿久根市、あるいは名古屋市、大阪府等々、新しい方のリーダー像が今後議論されると思いますが、選ぶ側の市民自身も、受身でなく、能動的に市民社会の形成に参画して行くことが求められると思います。今後の各市の動向に注目したいと思います。
■竹原氏落選 最後まで報道批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470546&media_id=2
関連Webニュース
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110117k0000m040074000c.html
昨日の阿久根市長選挙では、僅差ではあるが、若いリーダーを阿久根市民は選択した。今回の選挙を前にして、「リーダー」あるいは「リーダーシップ」とは何か、考えてみた。先週から読んでいる、ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」にいくつかのヒントがあったので、紹介します。
(以下、転載)
リーダーとは、人間の集団が共通の目標を設定し、それを達成させる手助けをする存在であると定義している。
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。(中略)
われわれは、リーダーという存在を、英雄のような個人という特定のタイプを考えるのではなく、リーダーシップのプロセスを構成する三つの要素すべてを考慮に入れる必要がある。リーダーとフォロワーは、状況認識が変わるにつれ、必要な役割を身につけ、役割を変える。重要な鍵は、リーダーとフォロワーがともに、異なる状況に対処する役割のレパートリーを広げ、適応できるようにする方法を理解することである。
リーダーシップとは「人々に対して、そのようにやれと命令によって強制するだけでなく、人々が本心からリーダーのためにそうしたいと望むように、一緒にしごとをさせる能力のことである……人の頭を殴って言うことを聞かせてはいけない。それは暴力による脅迫であって、リーダーシップではない」
英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ。もしその通りだとしたら、現代のポスト英雄型リーダーシップとは、リーダーがどういう人か、どの家系の出身かとかいったことは大した問題でなく、リーダーとなる人が何を学んできたか、また、集団の一員として何をするか、ということに尽きる、ということになる。生まれ育ちは絡み合ったいるが、現代の世界でより重要なのは育ち方であり、名誉をもたらす英雄型リーダーというパラダイムは二の次ということになる。
ハード・パワーとソフト・パワーの区別は、行動の性質においても、資源の確実性においても、程度の問題にすぎない。ハード・パワーもソフト・パワーも他人の行動に影響を及ぼすことで目的を達成する能力という、共通の部分を備えているからだ。「命令する力」 ― 他人の行動を強制的にかえる能力 ― は威圧や誘導を基本とする。一方、「他人を勧誘して仲間にする力」 ― 他人の望みをかなえる能力 ― は、その人の価値観に備わる引き寄せ力や、政治選択のため議論設定をする能力に基づく。
(以上、「リーダー・パワー」)
この「リーダー・パワー」の本の副題は、21世紀型組織の主導者のために、とあった。情報社会、ネットワーク社会の中で、これからのリーダーは、本人の資質や、それを支える支援者(フォロワー)たちの要望、取り巻く状況から、先導者が選ばれるように思います。
阿久根市、あるいは名古屋市、大阪府等々、新しい方のリーダー像が今後議論されると思いますが、選ぶ側の市民自身も、受身でなく、能動的に市民社会の形成に参画して行くことが求められると思います。今後の各市の動向に注目したいと思います。
2011年01月25日
着眼大局、着手小局の哲学をもて (荀子)
着眼大局、着手小局の哲学をもて (荀子)
リーダーは船?
荀子の教示に、
「伝日、君主船也、庶人水也、水即載船、水即覆船」
(意味)
伝に曰く、「君は船なり、庶人は水なり、水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」
使う者は、使われる者の信頼があってこそその地位に留まることができる。君主は舟で民は水、浮くも沈むも水しだい、ということになります。
荀子は、孔子の影響を大きく受けています。「大事を誤らず、小事も間違えないのが、最上の君主だ」と孔子も教示しています。
評論家の竹山健一氏の著書「『荀子』人生で学ぶべきこと」に、日本興業銀行の中山素平氏の言葉が載っていた。
(以下、転載)
「大事というものは、当事者はもちろんのこと、関係者も真剣に考えているし、心に深く刻み込まれているのだ。だから、それほど気をもむことはない。だが、解決に持っていく過程の、細々した小事には細心の注意をはらう必要がある。小事をおろそかにして大事が解決したためしはない」
リーダーは組織が大きくなれば、たくさんの部下をリードしなければならない。そうした部下が千人だろうと、一万人だろうと、心を掴むことの要諦はかわりはない。ひとりの心を掴めれば、百人、千人の人間の心を掴めるものだ。
(以上、「『荀子』人生で学ぶべきこと」)
「千人萬人之情、一人之情是也(一人の心を掴めば、千人の心が掴める)」-荀子-
なかなか凡人は、大事を見らず目の前のことばかりに追われている。しかし、トップは大事は良く考えるが、細事・小事を忘れがちだです。人間バランスよく生きるのが理想だが、なかなかできないのが人生のように思います。
*参考資料:竹山健一氏書「『荀子』人生で学ぶべきこと」
リーダーは船?
荀子の教示に、
「伝日、君主船也、庶人水也、水即載船、水即覆船」
(意味)
伝に曰く、「君は船なり、庶人は水なり、水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」
使う者は、使われる者の信頼があってこそその地位に留まることができる。君主は舟で民は水、浮くも沈むも水しだい、ということになります。
荀子は、孔子の影響を大きく受けています。「大事を誤らず、小事も間違えないのが、最上の君主だ」と孔子も教示しています。
評論家の竹山健一氏の著書「『荀子』人生で学ぶべきこと」に、日本興業銀行の中山素平氏の言葉が載っていた。
(以下、転載)
「大事というものは、当事者はもちろんのこと、関係者も真剣に考えているし、心に深く刻み込まれているのだ。だから、それほど気をもむことはない。だが、解決に持っていく過程の、細々した小事には細心の注意をはらう必要がある。小事をおろそかにして大事が解決したためしはない」
リーダーは組織が大きくなれば、たくさんの部下をリードしなければならない。そうした部下が千人だろうと、一万人だろうと、心を掴むことの要諦はかわりはない。ひとりの心を掴めれば、百人、千人の人間の心を掴めるものだ。
(以上、「『荀子』人生で学ぶべきこと」)
「千人萬人之情、一人之情是也(一人の心を掴めば、千人の心が掴める)」-荀子-
なかなか凡人は、大事を見らず目の前のことばかりに追われている。しかし、トップは大事は良く考えるが、細事・小事を忘れがちだです。人間バランスよく生きるのが理想だが、なかなかできないのが人生のように思います。
*参考資料:竹山健一氏書「『荀子』人生で学ぶべきこと」
2011年01月19日
「三不幸」、人の欲望が何時の時代も
人は、早く成功を願うものです。人気、名声、富貴、等々、人の欲望が何時の時代も変わりません。中国古代の賢人伊川が、次に教示を残しています。
「三不幸」
伊川(いせん)先生言う、人、三不幸あり。少年にして高科に登る、一不幸なり。父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。
(意味)年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら大間違いである。というのは修練というものを欠いてしまうことになるからで、これは不幸である。これは官ばかりではない。親のお陰で若輩が重役になったりする、みな同じことである。またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする――文章を飾る、表すということで、つまり弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと――これも大きな不幸である。
(以上、「安岡正篤 一日一話」より)
早熟は長く続かずとも評されます。大器晩成と言う言葉もあります。
「三不幸」
伊川(いせん)先生言う、人、三不幸あり。少年にして高科に登る、一不幸なり。父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。
(意味)年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら大間違いである。というのは修練というものを欠いてしまうことになるからで、これは不幸である。これは官ばかりではない。親のお陰で若輩が重役になったりする、みな同じことである。またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする――文章を飾る、表すということで、つまり弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと――これも大きな不幸である。
(以上、「安岡正篤 一日一話」より)
早熟は長く続かずとも評されます。大器晩成と言う言葉もあります。
2011年01月18日
人生は「品性」を表す。日々、7つの性格を磨く。
人生は「品性」を表す。日々、7つの性格を磨く。
サミュエル・スマイルズの「自助論」を以前に紹介しましたが、今日は、その理念を基にした人格・品格のついて、書かれた著書「日本人の本能」(渡部昇一著)から、一節を紹介します。少し文章が長いですが、日々、人を観察する参考なると思います。
(以下、転載)
……、J・S・ミルは1859年に、エリートやインテリを対象に「自由論」を書いた。その108節で、ミルは「キャラクター」について次のように述べている。
「願望とか衝動が自分のものである人、そして自分自身の教養、その他のよって発展せしめられ、特徴づけられたような、その人自身の性質から出てくるような表現、そのいうような人にはキャラクター(品性)がある。欲求や衝動が自分のものでないような人、借り物のである人にはキャラクターはない。それは蒸気エンジンにキャラクターがないのと同じことだ」(渡部訳)
ここでミルが述べているのは、品性・品格の根本は自由だということである。自由な人間は、欲望も衝動も自分のものである。そしてその表現が、教養などによって裏付けられ、発展せしめられ自分自身のもになっている人こそが品性・品格を持つっているといえる。自由を持たない人は、自分自身の欲望や衝動を持つこと、あるいはそれを表現することができないから、当然品性・品格を持ち得ない。つまり自由と品性・品格は切り離せないものとなっているわけである。
一方スマイルズの方は、個人の「キャラクター」については、「それは人類最高の実現である。人間性を最高に体現したものが個人の品性・品格である」というまことに意義深い定義をしている。
具体的にどのような徳目を挙げているいるかというと、高い品性とは次のような諸性質を実践することにより養われるとしている。たとえば、truthfulness(真実)、chasteness(品行の良いこと)、mercifulness(慈悲深いこと)、integrity(ごまかしのないこと)、courage(勇気)、virtue(美徳)、goodness(善良さ)であり、これらを実践することから品性・品格は生まれてくるとしている。
(以上、「日本人の本能」より)
>品性・品格の根本は自由だということ
>高い品性とは、真実、品行の良いこと、慈悲深いこと、ごまかしのないこと、勇気、美徳、善良さ、を自覚し実践すること
言われてみれば、当たり前ですが、なかな自由に動けるには、それを支える仕組み、協力者、更には、自分自身が行動で示す必要があります。なかなか実践することは、難しいのが現実です。
また、「日本人の本能」の一節に、
(以下、転載)
リンカーンであったか、「人間は四十歳以上になると自分の顔に責任がある」という言葉を残している、すなわち人間の顔には幸とか不幸とか経験的なことがだんだんと刻まれれ、内側の道徳性がある程度現れるという性質がある。それを刻み込まれたしわのあたりから行ったのか、characterという語が用いられている。
(以上、「日本人の本能」より)
人生は「品性」を表す、のテーマの文ですが、私も50代になり、それなりの人生を歩んで来たのですが、先輩方の後ろ姿を見るに、色々な物語の表す顔をされているように思います。
またスマイルズは、「他人の力を期待し、頼っているような人に、「キャラクター」(品性・品格)が養われるはずがない」というとありました。
私も、新たな世界に、昨秋飛び込み、色々な方々の力を頂き、地域活動の世話役の一人に加えて頂いたのですが、自分を磨くことを忘れて行けないと感じます。
「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」
と四書の「大学」に、伝説の聖王「湯王」は、洗面器の縁に刻み、毎朝顔を洗う時に、自分を鼓舞したそうです。先人の教えを学び、日々暮らして生きたいと思います。
*参考資料:渡部昇一著「日本人の本能」
サミュエル・スマイルズの「自助論」を以前に紹介しましたが、今日は、その理念を基にした人格・品格のついて、書かれた著書「日本人の本能」(渡部昇一著)から、一節を紹介します。少し文章が長いですが、日々、人を観察する参考なると思います。
(以下、転載)
……、J・S・ミルは1859年に、エリートやインテリを対象に「自由論」を書いた。その108節で、ミルは「キャラクター」について次のように述べている。
「願望とか衝動が自分のものである人、そして自分自身の教養、その他のよって発展せしめられ、特徴づけられたような、その人自身の性質から出てくるような表現、そのいうような人にはキャラクター(品性)がある。欲求や衝動が自分のものでないような人、借り物のである人にはキャラクターはない。それは蒸気エンジンにキャラクターがないのと同じことだ」(渡部訳)
ここでミルが述べているのは、品性・品格の根本は自由だということである。自由な人間は、欲望も衝動も自分のものである。そしてその表現が、教養などによって裏付けられ、発展せしめられ自分自身のもになっている人こそが品性・品格を持つっているといえる。自由を持たない人は、自分自身の欲望や衝動を持つこと、あるいはそれを表現することができないから、当然品性・品格を持ち得ない。つまり自由と品性・品格は切り離せないものとなっているわけである。
一方スマイルズの方は、個人の「キャラクター」については、「それは人類最高の実現である。人間性を最高に体現したものが個人の品性・品格である」というまことに意義深い定義をしている。
具体的にどのような徳目を挙げているいるかというと、高い品性とは次のような諸性質を実践することにより養われるとしている。たとえば、truthfulness(真実)、chasteness(品行の良いこと)、mercifulness(慈悲深いこと)、integrity(ごまかしのないこと)、courage(勇気)、virtue(美徳)、goodness(善良さ)であり、これらを実践することから品性・品格は生まれてくるとしている。
(以上、「日本人の本能」より)
>品性・品格の根本は自由だということ
>高い品性とは、真実、品行の良いこと、慈悲深いこと、ごまかしのないこと、勇気、美徳、善良さ、を自覚し実践すること
言われてみれば、当たり前ですが、なかな自由に動けるには、それを支える仕組み、協力者、更には、自分自身が行動で示す必要があります。なかなか実践することは、難しいのが現実です。
また、「日本人の本能」の一節に、
(以下、転載)
リンカーンであったか、「人間は四十歳以上になると自分の顔に責任がある」という言葉を残している、すなわち人間の顔には幸とか不幸とか経験的なことがだんだんと刻まれれ、内側の道徳性がある程度現れるという性質がある。それを刻み込まれたしわのあたりから行ったのか、characterという語が用いられている。
(以上、「日本人の本能」より)
人生は「品性」を表す、のテーマの文ですが、私も50代になり、それなりの人生を歩んで来たのですが、先輩方の後ろ姿を見るに、色々な物語の表す顔をされているように思います。
またスマイルズは、「他人の力を期待し、頼っているような人に、「キャラクター」(品性・品格)が養われるはずがない」というとありました。
私も、新たな世界に、昨秋飛び込み、色々な方々の力を頂き、地域活動の世話役の一人に加えて頂いたのですが、自分を磨くことを忘れて行けないと感じます。
「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」
と四書の「大学」に、伝説の聖王「湯王」は、洗面器の縁に刻み、毎朝顔を洗う時に、自分を鼓舞したそうです。先人の教えを学び、日々暮らして生きたいと思います。
*参考資料:渡部昇一著「日本人の本能」
2011年01月16日
「賢人の知恵」今日の自分に甘んじない、態度を一貫させる、他
「賢人の知恵」今日の自分に甘んじない、態度を一貫させる、他
午前中は、ここ二日間のメールの返事と、朝のブログを書き、13日の大学の講義1回目の学生の感想と質問を読んだ。今秋は、講義2回目ですが、課題と討論の構想を練らないといけない。また、今週から始まった、「決算委員会」の資料にも目を通し、市の決算について、意見をまとめる作業もある。
さて、久々に日曜日の午後に家に居るので、読みかけの本「賢人の知恵」を読んだ。心に留まった言葉を、下記にいくつか紹介します。バルターザル・グラシアン著(斉藤慎子約)「賢人の知恵(240)」から、
・今日の自分に甘んじない
貧しく平凡な自分に甘んじてはいけない。今の自分のいる場所に少し居心地の悪さを感じるくらいがいい。
・態度を一貫させる
日々態度が変わる人は意見にも一貫性がない。人間、二言はないのである。逆に言葉は、慎重に発する。
・目立ちすぎない、でしゃばらない
たとえ自分の見解が正しくても、それを主張しすぎないこと。いったん目をつけられると、一番の長所までもが欠点に見られてしまう。また、強引に押せば、同じように押しのけられる。人の関係は、作用反作用の関係。
・見られているつもりで行動する
壁に耳あり、悪事は大きくなっていずれ人に知られるもの。四知の精神を忘れない。
・自分を磨く
時がたてば、光り輝くものもやがてはその輝きを失ってくる。精神力・知性・運など全ての面で、ときどき自分を再生させよう。
・大衆に迎合しない
物事の本質がわかっている人なら、世間の評判に関係なく評価をしてくれるものだ。
・チャンスを逃さない
チャンスを理解することは、知性の中でも最も重要な能力のひとつ。
・自ら運命を切り開く
真価と勇気を発揮して、望むものを手に入れよう。知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことは最大に不運である。
(以上、「賢人の知恵」より)
この本は、400年前にヨーロッパで書かれたものだが、現代でも十分に仕える教示ばかり。人生は、悩みの連続、日々の心の鍛錬が大事と思います。
自分の運命を切り開く、チャンスを逃さない、など良く聞く言葉ばかりです。この本の最後(240番目)の一文を下記に紹介します。
・善を持って生きる
善を持って生きることで人は完成する。
善のある人は先を見通し、理解し、知恵と勇気を持つことができる。親切で正直、そして用心深い人はみんなから崇拝をされる。高潔、英知、理解は幸せの根幹だ。善はこの世を上から照らし、安らかな心で覆ってくれる。そのまばゆい美しさは神にも人にも等しく崇拝されるだろう。
善のない美はなく、悪のない醜もない。善は英知の真髄で、それ以外のものは全て愚かなことだ。人が偉大かどうかは善で判断するもので、財や富ではかるものではない。善はそれだけで足れり。生きている間に愛され、亡くなってからも忘れられないのは善のある人だけだ。
(以上、「賢人の知恵」より)
善の心を持ち、日々の言動を行なう。教示をよく読む、安岡正篤先生の教えに、「一燈照隅、万燈照国」に、
「能(よ)く一隅を照らす者にして始めて、能く照衆・照国することができるのである。微力をあきらめてはならない」
とある。自分の磨き、日々の行ないが周りを明るくするような生き方をしたいものです。安岡先生の言葉は、
「同志諸賢の精進を万禮します」
で〆られています。同志は友(朋)、諸賢は師、精進は向上心、万禮は広める、と私は解釈しています。このブログお読みいただいている皆様と、今年も家族、友人、地域を元気にしていくような生活をして行きたいと思います。賛同と同行をよろしくお願します。
*参考資料:バルターザル・グラシアン著(斉藤慎子約)「賢人の知恵」
安岡正泰編「安岡正篤 一日一言」
午前中は、ここ二日間のメールの返事と、朝のブログを書き、13日の大学の講義1回目の学生の感想と質問を読んだ。今秋は、講義2回目ですが、課題と討論の構想を練らないといけない。また、今週から始まった、「決算委員会」の資料にも目を通し、市の決算について、意見をまとめる作業もある。
さて、久々に日曜日の午後に家に居るので、読みかけの本「賢人の知恵」を読んだ。心に留まった言葉を、下記にいくつか紹介します。バルターザル・グラシアン著(斉藤慎子約)「賢人の知恵(240)」から、
・今日の自分に甘んじない
貧しく平凡な自分に甘んじてはいけない。今の自分のいる場所に少し居心地の悪さを感じるくらいがいい。
・態度を一貫させる
日々態度が変わる人は意見にも一貫性がない。人間、二言はないのである。逆に言葉は、慎重に発する。
・目立ちすぎない、でしゃばらない
たとえ自分の見解が正しくても、それを主張しすぎないこと。いったん目をつけられると、一番の長所までもが欠点に見られてしまう。また、強引に押せば、同じように押しのけられる。人の関係は、作用反作用の関係。
・見られているつもりで行動する
壁に耳あり、悪事は大きくなっていずれ人に知られるもの。四知の精神を忘れない。
・自分を磨く
時がたてば、光り輝くものもやがてはその輝きを失ってくる。精神力・知性・運など全ての面で、ときどき自分を再生させよう。
・大衆に迎合しない
物事の本質がわかっている人なら、世間の評判に関係なく評価をしてくれるものだ。
・チャンスを逃さない
チャンスを理解することは、知性の中でも最も重要な能力のひとつ。
・自ら運命を切り開く
真価と勇気を発揮して、望むものを手に入れよう。知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことは最大に不運である。
(以上、「賢人の知恵」より)
この本は、400年前にヨーロッパで書かれたものだが、現代でも十分に仕える教示ばかり。人生は、悩みの連続、日々の心の鍛錬が大事と思います。
自分の運命を切り開く、チャンスを逃さない、など良く聞く言葉ばかりです。この本の最後(240番目)の一文を下記に紹介します。
・善を持って生きる
善を持って生きることで人は完成する。
善のある人は先を見通し、理解し、知恵と勇気を持つことができる。親切で正直、そして用心深い人はみんなから崇拝をされる。高潔、英知、理解は幸せの根幹だ。善はこの世を上から照らし、安らかな心で覆ってくれる。そのまばゆい美しさは神にも人にも等しく崇拝されるだろう。
善のない美はなく、悪のない醜もない。善は英知の真髄で、それ以外のものは全て愚かなことだ。人が偉大かどうかは善で判断するもので、財や富ではかるものではない。善はそれだけで足れり。生きている間に愛され、亡くなってからも忘れられないのは善のある人だけだ。
(以上、「賢人の知恵」より)
善の心を持ち、日々の言動を行なう。教示をよく読む、安岡正篤先生の教えに、「一燈照隅、万燈照国」に、
「能(よ)く一隅を照らす者にして始めて、能く照衆・照国することができるのである。微力をあきらめてはならない」
とある。自分の磨き、日々の行ないが周りを明るくするような生き方をしたいものです。安岡先生の言葉は、
「同志諸賢の精進を万禮します」
で〆られています。同志は友(朋)、諸賢は師、精進は向上心、万禮は広める、と私は解釈しています。このブログお読みいただいている皆様と、今年も家族、友人、地域を元気にしていくような生活をして行きたいと思います。賛同と同行をよろしくお願します。
*参考資料:バルターザル・グラシアン著(斉藤慎子約)「賢人の知恵」
安岡正泰編「安岡正篤 一日一言」
2011年01月15日
調子が良いときほど謙虚に、若いうちは苦労を厭わない
調子が良いときほど謙虚に、若いうちは苦労を厭わない
人間調子が良いとき、悪ときがあるもので、苦労するときは周りの支援に感謝しますが、何事も上手く行っている時には、支援をしてくれている方々の姿がなかなか見え難いものです。その瞬間が、「奢りが芽生えた」のだと思います。
人間は、自分ひとりでなんでも出来ているように思いますが、見えない方々、地域の方々に支えられて、今の自分が在ると思います。若いうちは、なかなかその存在は、気づきませんが、年を重ねるごとに、色々な方の支援や応援があってこそ、自分の行ないができるだと感じます。
奈良本辰也氏の「葉隠」に次の一節がありました。
(以下、転載)
幸せなときは、自慢と奢りに気をつけなければならない。
そのようなときは、日ごろの倍の敬虔な心を持たないとつい失敗するものだ。よいときにはずむ者は、調子が悪くなるとすぐへこたれてしまう。
だんだんいい気になり、自慢や奢りが出てきて、たいへんな見苦しいありさまだ。だから、人間は苦しみを経てきた者でないと根性がしっかりしないことになる。若いうちは、苦労するに越したことはない。苦労のなかで参ってしまうような者は、何の役にも立たない」ということだった。
「潮が満ちると船の位置は高くなる」と言う言葉がある。才能のある者は、一芸に秀でた者は、困難に出会うほど、それを乗り越えようと心がはずんでくるものだ。それを迷惑がるものとはたいへんな違いである。
一鼎(鍋島藩の儒家)が「よいことをするということはどうゆうことか、それを一口で言うと苦痛をこらえることである。苦痛をこらえ
られないのは、すべて悪いことと言ってよい」と言われた。
山本常朝(葉隠の指導者)の父山本神右衛門が、日常の言動を指導した箇条書きの訓示があります。そのいくつかを紹介します。
(以上、「葉隠」より)
さすが、葉隠れの指導者と思います。
>苦痛をこらえられないのは、すべて悪いことと言ってよい
色々な世界訓示や教示を集めた本を読むと、「諦めないことが実現の最大条件」という言葉がたくさん聞かれます。
しかし、大義の実現を目指す人ほど、日常の言動が大事と横井小楠が訓示しています。世界(社会)に訓示(指導)をする人は、日々の言動に中に醸し出される人格が、いざという時にモノをいうことにつながります。
自分の大義を見つけ、それに向った日々できる最大の努力と、学ぶ謙虚さが生活そのものにならなければならないと思います。リーダーは、率先垂範の実践派は必要な時代と思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
さて、「葉隠」の草案者の父が居られます。人格教育は、親に結構影響を受けています。山本常朝を指導した、父の訓示の一部を紹介します。当時の下級武士階級の言動・心遣いを知る資料と思います。
<訓示>
一、一つのことを会得すれば、いろいろなことは分かるようになる。
二、おかしくもないのに作り笑いする者は、男の場合は心が汚い奴で、女の場合は淫乱だと思ったらよい。
三、正式の席で話すときとか、あるいは普通に話すような場合などは、相手の人の目を見ながら話をすがよい。頭を下げて礼をするのは始めだけで結構だ。うつむいて話をするのは無用心である。
四、袴の下に手を入れるのは無用心である。
五、草紙・書物を読んだなら、直ぐに焼き捨てられた。書物を見るのは公家の仕事、中野の一門は樫の大太刀を握って武道に励むのが仕事だと申された。
六、組のも入らず、馬を持たない武士は、武士とはいえない。
七、剛の者は信頼できる。
八、朝は四時に起きて、毎日行水し、紙を整え、日の出のころに食事をし、日が暮れたら休む。
九、武士は食わねど高楊枝、内側は粗末でも外見は飾らねばならぬ。
(以上、「葉隠」より)
袴とか、大太刀等は、現代に市民社会には在りませんが、当時の価値観では必要なシンボルだったと思います。しかし、庶民は早い段階から、士農工商の身分(格付け)に疑問を持ち、新しい試みをして来たのだと思います。200年前の日本人の言動の基と思いますが、とても大事な試みと思います。
また、長州の奇兵隊に賛同した若者は、下級武士どころか、農民や商人も参加していました。時代の経済機構の変化も含め、当時の徳川幕府では、太刀打ちできないとう外圧の状況が起こった結果と思います。
アジアの最後の植民地にならず、逆に「アジアに日本あり」の思いを、アジア文化圏のなかで「日露戦争」の結果は、日本に句末を大きく変えることにつながりました。
>武士は食わねど高楊枝
厳しい規制社会の江戸幕府でも、元気に、自由に動ける仕組みが当時にあったことがうれしい限りです。人間は、一生勉強。気づいたことを、謙虚に学ぶことから、新たな人材のネットワークが広がっているように思います。
*参考資料:奈良本辰也訳編「葉隠」
人間調子が良いとき、悪ときがあるもので、苦労するときは周りの支援に感謝しますが、何事も上手く行っている時には、支援をしてくれている方々の姿がなかなか見え難いものです。その瞬間が、「奢りが芽生えた」のだと思います。
人間は、自分ひとりでなんでも出来ているように思いますが、見えない方々、地域の方々に支えられて、今の自分が在ると思います。若いうちは、なかなかその存在は、気づきませんが、年を重ねるごとに、色々な方の支援や応援があってこそ、自分の行ないができるだと感じます。
奈良本辰也氏の「葉隠」に次の一節がありました。
(以下、転載)
幸せなときは、自慢と奢りに気をつけなければならない。
そのようなときは、日ごろの倍の敬虔な心を持たないとつい失敗するものだ。よいときにはずむ者は、調子が悪くなるとすぐへこたれてしまう。
だんだんいい気になり、自慢や奢りが出てきて、たいへんな見苦しいありさまだ。だから、人間は苦しみを経てきた者でないと根性がしっかりしないことになる。若いうちは、苦労するに越したことはない。苦労のなかで参ってしまうような者は、何の役にも立たない」ということだった。
「潮が満ちると船の位置は高くなる」と言う言葉がある。才能のある者は、一芸に秀でた者は、困難に出会うほど、それを乗り越えようと心がはずんでくるものだ。それを迷惑がるものとはたいへんな違いである。
一鼎(鍋島藩の儒家)が「よいことをするということはどうゆうことか、それを一口で言うと苦痛をこらえることである。苦痛をこらえ
られないのは、すべて悪いことと言ってよい」と言われた。
山本常朝(葉隠の指導者)の父山本神右衛門が、日常の言動を指導した箇条書きの訓示があります。そのいくつかを紹介します。
(以上、「葉隠」より)
さすが、葉隠れの指導者と思います。
>苦痛をこらえられないのは、すべて悪いことと言ってよい
色々な世界訓示や教示を集めた本を読むと、「諦めないことが実現の最大条件」という言葉がたくさん聞かれます。
しかし、大義の実現を目指す人ほど、日常の言動が大事と横井小楠が訓示しています。世界(社会)に訓示(指導)をする人は、日々の言動に中に醸し出される人格が、いざという時にモノをいうことにつながります。
自分の大義を見つけ、それに向った日々できる最大の努力と、学ぶ謙虚さが生活そのものにならなければならないと思います。リーダーは、率先垂範の実践派は必要な時代と思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
さて、「葉隠」の草案者の父が居られます。人格教育は、親に結構影響を受けています。山本常朝を指導した、父の訓示の一部を紹介します。当時の下級武士階級の言動・心遣いを知る資料と思います。
<訓示>
一、一つのことを会得すれば、いろいろなことは分かるようになる。
二、おかしくもないのに作り笑いする者は、男の場合は心が汚い奴で、女の場合は淫乱だと思ったらよい。
三、正式の席で話すときとか、あるいは普通に話すような場合などは、相手の人の目を見ながら話をすがよい。頭を下げて礼をするのは始めだけで結構だ。うつむいて話をするのは無用心である。
四、袴の下に手を入れるのは無用心である。
五、草紙・書物を読んだなら、直ぐに焼き捨てられた。書物を見るのは公家の仕事、中野の一門は樫の大太刀を握って武道に励むのが仕事だと申された。
六、組のも入らず、馬を持たない武士は、武士とはいえない。
七、剛の者は信頼できる。
八、朝は四時に起きて、毎日行水し、紙を整え、日の出のころに食事をし、日が暮れたら休む。
九、武士は食わねど高楊枝、内側は粗末でも外見は飾らねばならぬ。
(以上、「葉隠」より)
袴とか、大太刀等は、現代に市民社会には在りませんが、当時の価値観では必要なシンボルだったと思います。しかし、庶民は早い段階から、士農工商の身分(格付け)に疑問を持ち、新しい試みをして来たのだと思います。200年前の日本人の言動の基と思いますが、とても大事な試みと思います。
また、長州の奇兵隊に賛同した若者は、下級武士どころか、農民や商人も参加していました。時代の経済機構の変化も含め、当時の徳川幕府では、太刀打ちできないとう外圧の状況が起こった結果と思います。
アジアの最後の植民地にならず、逆に「アジアに日本あり」の思いを、アジア文化圏のなかで「日露戦争」の結果は、日本に句末を大きく変えることにつながりました。
>武士は食わねど高楊枝
厳しい規制社会の江戸幕府でも、元気に、自由に動ける仕組みが当時にあったことがうれしい限りです。人間は、一生勉強。気づいたことを、謙虚に学ぶことから、新たな人材のネットワークが広がっているように思います。
*参考資料:奈良本辰也訳編「葉隠」
2011年01月15日
大学センター試験、今後10年で科学分野の要望は高まる
大学センター試験、
今後10年で科学分野の要望は高まる、環境危機はチャンス
■大学の志望動機に不況色濃く
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1469689&media_id=2
>◇理系や資格系学部に人気
>受験生の地元志向は大手予備校の調査からも明らかだ。約28万人が参加した昨年10月の河合塾模試。国公立大の志望者は前年比5%増えたが、地区別では近畿9%増▽北海道8%増▽東海・北陸7%増の伸び率が顕著だった。私立大の志望者(8%増)も北海道、東北、中国・四国がいずれも18%増となるなど、地方ほど増えた。
>就職に有利とされる理系や資格系学部の人気の高まりもうかがえる。国公立大の志望動向を学部別に見ると、「法」「経済」など社会科学系が前年並みだったのに対し、「理」「工」「農」「医療」などの理科系は5~9%増。教員養成系は10%の大幅増となった。
>河合塾が昨年末、全国の高校教員2176人を対象に行ったアンケートでも、約7割が「就職を意識した学部を選ぶ傾向」や「通学可能な大学を選ぶ傾向」が「強まっている」と回答。河合塾は「厳しい経済環境が進路選択に影響を及ぼしている」と分析している。
・理科系を目指す学生
日本は、「理科離れ」という現象を、マスコミが取り上げるですが、意外に理科系を目指す学生がいるのはうれしいですね。
理科系、教職が増加傾向で傾向ですが、少子化の中で4年後、6年後、どんなに社会は変わるか、定かでないですが、人口減少社会に、日本が向かっているのは間違いないと思いまます。
・ジャパンシンドローム
先週NHKの夜の9時のニュースで、小子高齢化が世界一速い「日本」、財政が安定しているとは思えないのに、円高で維持されつつある通貨レート、社会の不安の中で年間3万人を越える自殺者、海外からは、ジャパンシンドロームと評している。
負のスパイラルは、経済を冷え込ませ、製造業の拠点を海外へ移転させる経済になりつつあるように思います。
・微増ですが九州は成長
しかし、力強い動きが、私の周辺(九州)に胎動している感じます。中国インドの成長に引っ張られるアジア地域。日本では、関東、中京の人件費高騰から、九州へ製造の拠点を移しつつある自動車産業、色々な見方がありますが、微増ですが九州は成長を続けています。
博多-釜山をつなぐ高速舟「ビートル」は、多くの人を乗せてひっきりなしに、往復しています。
・社会は、人が作る
人が居る限り、生活をします。年齢が変われば、生活スタイルの変わります。経済構造が変われば、人の流れも変わります。
マン(人・生活)・ウォッチングが、これまでも、これからも、最も重要な流通経済の変化の兆しをつかむことができると思います。
・学生も、その流れを作くる
学生もまた、その流れを作くる一つと思います。
理科系は、発明系、環境系、開発系、統計系、医療系、いろいろあります。
・地下資源(石炭は後)のピークが来る
後数年で、石油、天然ガス、ウラン等の地下資源(石炭は後)のピークが来ます。後は、下降(生産減少)するだけです。
・飛行機の仕組みも変わる
新エネルギーの教授に、「先生、化石燃料がなくなれば、飛行機はどうなるか?」問うた。
「また、プロペラにになるのですか?」と聞くと、
「多分そうだ。だから、材質を軽くすることが必要と思う」と答えられた。
自動車は、ハイブリッドから電気自動車に、10年を待たずに変わって行きます。
・トヨタは、エンジンがモーターへ
その根拠は、トヨタの社長が昨年、日本のエンジンのピストンリングの8割を製造する会社で、「後10年で、トヨタはピストンリングの注文を半分に減らす。御社は、その後の事を考えておいてください」と注文をしたそうです。
これから10年、理科系、化学系の技術者が相当必要になります。この分野は、ベンチャーの可能性を含んでいます。若者は、次世代を担う技術、化学だけでなく、生活そのものを変えるような発明をして欲しいと願っています。
・人生の選択、大学センター試験
今日明日は、人生の岐路でもある大学センター試験、真剣勝負、未来を期開く結果が出るように、最後まで諦めずに、問題に取り組んで欲しいと願います。人生、あきらめないと夢は実現します。
今後10年で科学分野の要望は高まる、環境危機はチャンス
■大学の志望動機に不況色濃く
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1469689&media_id=2
>◇理系や資格系学部に人気
>受験生の地元志向は大手予備校の調査からも明らかだ。約28万人が参加した昨年10月の河合塾模試。国公立大の志望者は前年比5%増えたが、地区別では近畿9%増▽北海道8%増▽東海・北陸7%増の伸び率が顕著だった。私立大の志望者(8%増)も北海道、東北、中国・四国がいずれも18%増となるなど、地方ほど増えた。
>就職に有利とされる理系や資格系学部の人気の高まりもうかがえる。国公立大の志望動向を学部別に見ると、「法」「経済」など社会科学系が前年並みだったのに対し、「理」「工」「農」「医療」などの理科系は5~9%増。教員養成系は10%の大幅増となった。
>河合塾が昨年末、全国の高校教員2176人を対象に行ったアンケートでも、約7割が「就職を意識した学部を選ぶ傾向」や「通学可能な大学を選ぶ傾向」が「強まっている」と回答。河合塾は「厳しい経済環境が進路選択に影響を及ぼしている」と分析している。
・理科系を目指す学生
日本は、「理科離れ」という現象を、マスコミが取り上げるですが、意外に理科系を目指す学生がいるのはうれしいですね。
理科系、教職が増加傾向で傾向ですが、少子化の中で4年後、6年後、どんなに社会は変わるか、定かでないですが、人口減少社会に、日本が向かっているのは間違いないと思いまます。
・ジャパンシンドローム
先週NHKの夜の9時のニュースで、小子高齢化が世界一速い「日本」、財政が安定しているとは思えないのに、円高で維持されつつある通貨レート、社会の不安の中で年間3万人を越える自殺者、海外からは、ジャパンシンドロームと評している。
負のスパイラルは、経済を冷え込ませ、製造業の拠点を海外へ移転させる経済になりつつあるように思います。
・微増ですが九州は成長
しかし、力強い動きが、私の周辺(九州)に胎動している感じます。中国インドの成長に引っ張られるアジア地域。日本では、関東、中京の人件費高騰から、九州へ製造の拠点を移しつつある自動車産業、色々な見方がありますが、微増ですが九州は成長を続けています。
博多-釜山をつなぐ高速舟「ビートル」は、多くの人を乗せてひっきりなしに、往復しています。
・社会は、人が作る
人が居る限り、生活をします。年齢が変われば、生活スタイルの変わります。経済構造が変われば、人の流れも変わります。
マン(人・生活)・ウォッチングが、これまでも、これからも、最も重要な流通経済の変化の兆しをつかむことができると思います。
・学生も、その流れを作くる
学生もまた、その流れを作くる一つと思います。
理科系は、発明系、環境系、開発系、統計系、医療系、いろいろあります。
・地下資源(石炭は後)のピークが来る
後数年で、石油、天然ガス、ウラン等の地下資源(石炭は後)のピークが来ます。後は、下降(生産減少)するだけです。
・飛行機の仕組みも変わる
新エネルギーの教授に、「先生、化石燃料がなくなれば、飛行機はどうなるか?」問うた。
「また、プロペラにになるのですか?」と聞くと、
「多分そうだ。だから、材質を軽くすることが必要と思う」と答えられた。
自動車は、ハイブリッドから電気自動車に、10年を待たずに変わって行きます。
・トヨタは、エンジンがモーターへ
その根拠は、トヨタの社長が昨年、日本のエンジンのピストンリングの8割を製造する会社で、「後10年で、トヨタはピストンリングの注文を半分に減らす。御社は、その後の事を考えておいてください」と注文をしたそうです。
これから10年、理科系、化学系の技術者が相当必要になります。この分野は、ベンチャーの可能性を含んでいます。若者は、次世代を担う技術、化学だけでなく、生活そのものを変えるような発明をして欲しいと願っています。
・人生の選択、大学センター試験
今日明日は、人生の岐路でもある大学センター試験、真剣勝負、未来を期開く結果が出るように、最後まで諦めずに、問題に取り組んで欲しいと願います。人生、あきらめないと夢は実現します。
2011年01月13日
「先憂後楽」社会変化(兆候)をどう見るか、リーダーの責任大
「先憂後楽」社会変化(兆候)をどう見るか、リーダーの責任は大きい
「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(文章軌範)
「先憂後楽」
上記の言葉は、はじめ深い意味はわからなかった。年を重ね、色々な事象、出来事、事件を検証し、物事には事前に兆候があることが多いと思います。
・水俣病問題と患者拡大
熊本の水俣病は、戦後からこれまで続く大変な問題(憂い)である。ネコの奇妙な動き、曲がった背骨の魚、・・・、その兆候はあった。その変化に気付いた(憂い)人が、たくさんいた。しかし、企業も、県も経済優先で、地域住民を抑える行動に出た。その結果が、未だに解決しない水俣病(憂い)となって、続いています。
当初の変化に気付き、対処した企業が、国内にもある。第2、第3の水俣病の兆候は、色々な化学工場周辺の河川で起きた。チッソほど、量が無かった性もあるかもしれない。しかし、垂れ流しをしなかった、止めたところは、住民被害をおこしていない。
・足尾鉱毒事件の教訓が生かされない日本
明治時代、水俣病と同じような企業の河川汚染があった。足尾鉱毒事件、これは古河市兵衛が、足尾の銅山開発で、精錬した重金属を渡良瀬川に垂れ流し、農作物の汚染、加えて村を遊水地へ政治的に追い込み、廃村にさせた事件である。解決(裁判)まで、80年以上をかけた。政治的な解決はしたが、130年以上も経ったいまでも、足尾の山は、自然に植物が生えることができず、植林ボランティアが、苗と土を背負い、山の再生に取組んでいる。
・水俣病発見者の予見が的中
さて、水俣病にもどすが、現在水俣病の未認定の患者は、5千人とも1万人とも言われる。熊本大学で、最初の水俣病の水銀被害を訴えた医師の武内教授は、水俣沖の不知火海の魚は、鹿児島沿岸も、天草沿岸の猟師も取りに来ている、その人にも被害があるのではないかと、当初からしてしていた。県・国は、この意見を無視した。
目先の問題ばかりに対処して、鳥瞰的な視野が無かった。現在の患者申請の範囲を考えると、武内教授の見識(憂い)が、みごとに当たっています。
・鍋島藩主の訓示
年始に、佐賀県庁の友人から年賀状を頂いた。鍋島藩の藩主の理念が紹介されていた。その言葉が、「先憂後楽」の意味の次の言葉である。
~ 先天下之憂而憂、後天下之楽而楽 ~
天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ
政治家は、身の回りの変化(兆候)を、どう見るか゛先憂後楽゛の視点を持ち、行動することがと必要と思います。
この言葉は、宋代の范仲淹(はんちゅうえん)という政治家が書いたもの。「岳陽楼記」(がくようろうき)の文章に出てくる。范仲淹は、この文書を次のように結んでいる。
「廟堂の高きにおいては即ち民を憂い、江湖の遠きに処りては即ち君を憂う。これ進むもまた憂い、退くもまた憂う。然らば即ち何れの時にも楽しまんや。それ必ず天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみの後れて楽しむと曰(い)わんや」
これは范仲淹自身の決意表明であったわけだが,現代のリーダーにも同じことが望まれる。いつの時代でも、人々は「先憂後楽」型のリーダーが現れるのを待っているのです。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一話」
「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(文章軌範)
「先憂後楽」
上記の言葉は、はじめ深い意味はわからなかった。年を重ね、色々な事象、出来事、事件を検証し、物事には事前に兆候があることが多いと思います。
・水俣病問題と患者拡大
熊本の水俣病は、戦後からこれまで続く大変な問題(憂い)である。ネコの奇妙な動き、曲がった背骨の魚、・・・、その兆候はあった。その変化に気付いた(憂い)人が、たくさんいた。しかし、企業も、県も経済優先で、地域住民を抑える行動に出た。その結果が、未だに解決しない水俣病(憂い)となって、続いています。
当初の変化に気付き、対処した企業が、国内にもある。第2、第3の水俣病の兆候は、色々な化学工場周辺の河川で起きた。チッソほど、量が無かった性もあるかもしれない。しかし、垂れ流しをしなかった、止めたところは、住民被害をおこしていない。
・足尾鉱毒事件の教訓が生かされない日本
明治時代、水俣病と同じような企業の河川汚染があった。足尾鉱毒事件、これは古河市兵衛が、足尾の銅山開発で、精錬した重金属を渡良瀬川に垂れ流し、農作物の汚染、加えて村を遊水地へ政治的に追い込み、廃村にさせた事件である。解決(裁判)まで、80年以上をかけた。政治的な解決はしたが、130年以上も経ったいまでも、足尾の山は、自然に植物が生えることができず、植林ボランティアが、苗と土を背負い、山の再生に取組んでいる。
・水俣病発見者の予見が的中
さて、水俣病にもどすが、現在水俣病の未認定の患者は、5千人とも1万人とも言われる。熊本大学で、最初の水俣病の水銀被害を訴えた医師の武内教授は、水俣沖の不知火海の魚は、鹿児島沿岸も、天草沿岸の猟師も取りに来ている、その人にも被害があるのではないかと、当初からしてしていた。県・国は、この意見を無視した。
目先の問題ばかりに対処して、鳥瞰的な視野が無かった。現在の患者申請の範囲を考えると、武内教授の見識(憂い)が、みごとに当たっています。
・鍋島藩主の訓示
年始に、佐賀県庁の友人から年賀状を頂いた。鍋島藩の藩主の理念が紹介されていた。その言葉が、「先憂後楽」の意味の次の言葉である。
~ 先天下之憂而憂、後天下之楽而楽 ~
天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ
政治家は、身の回りの変化(兆候)を、どう見るか゛先憂後楽゛の視点を持ち、行動することがと必要と思います。
この言葉は、宋代の范仲淹(はんちゅうえん)という政治家が書いたもの。「岳陽楼記」(がくようろうき)の文章に出てくる。范仲淹は、この文書を次のように結んでいる。
「廟堂の高きにおいては即ち民を憂い、江湖の遠きに処りては即ち君を憂う。これ進むもまた憂い、退くもまた憂う。然らば即ち何れの時にも楽しまんや。それ必ず天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみの後れて楽しむと曰(い)わんや」
これは范仲淹自身の決意表明であったわけだが,現代のリーダーにも同じことが望まれる。いつの時代でも、人々は「先憂後楽」型のリーダーが現れるのを待っているのです。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一話」
2011年01月12日
「大器晩成」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」
「大器晩成」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
2011年01月11日
城山三郎流の英雄資質、カントリー・ジェントルマン「白州次郎」
城山三郎流の英雄資質、カントリー・ジェントルマン「白州次郎、熊沢蕃山」
私が指導を受けた師の教示に、「自分より少しレベルの高い人を目指せ。高すぎる人を目指すと続かない」と何度も語ってもらった。自分は、学もなく、有能な人材と言える人間でもないが、師の教えを聞き、人の話を聞き、少しづつ勉強し、知らない分野を少し広げて来た。アッと言う間の20年だった。作家の城山三郎氏の語録を集めた本「人生の流儀」に次の言葉があった。
(以下、転載)
背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生のおもしろさである。――「アメリカ生きがいの旅」
>背が伸びてしまうこともあり得る
でも、つま先立ちは、持続力が厳しく、長続きしない。私は、かかとをしっかり地に付けて、速度は遅いが、マイペースでやってきた。その中で、色々な人と出会い、色々なことを学んできた。多くを語らず、常に聞くことに努めたきた。
リーダーは、訥弁!
おしゃべりは、味方も増やすが、敵も増やす。それを表現した短い文があります。
(以下、転載)
人間しゃべれば必ず自己弁護が入る。結果として、他のだれかの非をあげることになる。――「落日燃ゆ」
>他のだれかの非をあげることになる
会話には、落ちが必要です。〆は、自己弁護のことがけっこうあるものです。初めから、あまりしゃべらないことも手と思う。
さて、日本の政治家の資質が問われています。戦前は、立派な政治家がたくさん居た。その一人、官僚出身の弘田弘毅の言葉を城山三郎が紹介しています。
(以下、転載)
官僚出身で昭和初期の宰相となった弘田弘毅の信条は「自らのために計らわず」でした。政治家にしろ官僚にしろ国民を率いていく立場にある人は、たとえどんなことがあっても決して自らのために計ってはいけないのです。――「嬉しうて、そして…」
>信条は「自らのために計らわず」
「公共の政」が問われる中、国であれ、地方であれ、政治家は私利私欲に走らない姿勢(至誠)が必要と思う。英雄に必要な要素とは何か、城山流の英雄資質を紹介します。
(以上、転載)
新しい英雄というべきシンボリック・マネージャーには、どういう人がふさわしいのか。 第一に、人間通であること。人間に興味を持ち、じっくり観察できるひと。そのためには、感受性をみがき、他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
野鳥観察家のことをバード・ウォッチャーというが、それにならっていうなら、よきマン・ウォッチャーでなければならない。
第二に、忍耐強いひと。英雄の役割をつとめるためにも、あるいは英雄を管理するためにも、とにかく耐えねばならないからである。
第三に、淡々たる人柄であること。新しい企業の英雄は、状況が変わったり、機能を果たせば、たちまち不要となる。そのとき、さっと退ける人間でなくては、他人を退かせることもできなくなる。
やるときはやるが、自らの栄達や権勢にとらわれない。それが新しい英雄である。――「打たれ強く生きる」
>人間通であること。
…他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
>忍耐強いひと。
…とにかく耐えねばならない。
>淡々たる人柄であること。
…自らの栄達や権勢にとらわれない。
別の視点で、英雄を表現したことばが、3つの評価です。
(以上、転載)
魅力を感じさせる人々の共通のものとして、わたしはこのごろ三つのことに気づく。
一、常に生き生きしていること。
二、いつも在るべき姿を求めていること。
三、卑(いや)しくないこと。ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。――「静かなタフネス10の人生」
>ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。
太平洋戦争の戦後処理に東奔西走した白州次郎の生き方は、淡泊だった。葬式無用、戒名無用。自分の役割が終われば、さっと田舎にひっこむ生き方は、イギリスのカントリージェントルマンの理念にあると思います。この姿勢は、横井小楠が敬慕した岡山藩の藩校の初代校長熊沢蕃山に似ている。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
私が指導を受けた師の教示に、「自分より少しレベルの高い人を目指せ。高すぎる人を目指すと続かない」と何度も語ってもらった。自分は、学もなく、有能な人材と言える人間でもないが、師の教えを聞き、人の話を聞き、少しづつ勉強し、知らない分野を少し広げて来た。アッと言う間の20年だった。作家の城山三郎氏の語録を集めた本「人生の流儀」に次の言葉があった。
(以下、転載)
背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生のおもしろさである。――「アメリカ生きがいの旅」
>背が伸びてしまうこともあり得る
でも、つま先立ちは、持続力が厳しく、長続きしない。私は、かかとをしっかり地に付けて、速度は遅いが、マイペースでやってきた。その中で、色々な人と出会い、色々なことを学んできた。多くを語らず、常に聞くことに努めたきた。
リーダーは、訥弁!
おしゃべりは、味方も増やすが、敵も増やす。それを表現した短い文があります。
(以下、転載)
人間しゃべれば必ず自己弁護が入る。結果として、他のだれかの非をあげることになる。――「落日燃ゆ」
>他のだれかの非をあげることになる
会話には、落ちが必要です。〆は、自己弁護のことがけっこうあるものです。初めから、あまりしゃべらないことも手と思う。
さて、日本の政治家の資質が問われています。戦前は、立派な政治家がたくさん居た。その一人、官僚出身の弘田弘毅の言葉を城山三郎が紹介しています。
(以下、転載)
官僚出身で昭和初期の宰相となった弘田弘毅の信条は「自らのために計らわず」でした。政治家にしろ官僚にしろ国民を率いていく立場にある人は、たとえどんなことがあっても決して自らのために計ってはいけないのです。――「嬉しうて、そして…」
>信条は「自らのために計らわず」
「公共の政」が問われる中、国であれ、地方であれ、政治家は私利私欲に走らない姿勢(至誠)が必要と思う。英雄に必要な要素とは何か、城山流の英雄資質を紹介します。
(以上、転載)
新しい英雄というべきシンボリック・マネージャーには、どういう人がふさわしいのか。 第一に、人間通であること。人間に興味を持ち、じっくり観察できるひと。そのためには、感受性をみがき、他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
野鳥観察家のことをバード・ウォッチャーというが、それにならっていうなら、よきマン・ウォッチャーでなければならない。
第二に、忍耐強いひと。英雄の役割をつとめるためにも、あるいは英雄を管理するためにも、とにかく耐えねばならないからである。
第三に、淡々たる人柄であること。新しい企業の英雄は、状況が変わったり、機能を果たせば、たちまち不要となる。そのとき、さっと退ける人間でなくては、他人を退かせることもできなくなる。
やるときはやるが、自らの栄達や権勢にとらわれない。それが新しい英雄である。――「打たれ強く生きる」
>人間通であること。
…他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
>忍耐強いひと。
…とにかく耐えねばならない。
>淡々たる人柄であること。
…自らの栄達や権勢にとらわれない。
別の視点で、英雄を表現したことばが、3つの評価です。
(以上、転載)
魅力を感じさせる人々の共通のものとして、わたしはこのごろ三つのことに気づく。
一、常に生き生きしていること。
二、いつも在るべき姿を求めていること。
三、卑(いや)しくないこと。ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。――「静かなタフネス10の人生」
>ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。
太平洋戦争の戦後処理に東奔西走した白州次郎の生き方は、淡泊だった。葬式無用、戒名無用。自分の役割が終われば、さっと田舎にひっこむ生き方は、イギリスのカントリージェントルマンの理念にあると思います。この姿勢は、横井小楠が敬慕した岡山藩の藩校の初代校長熊沢蕃山に似ている。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
2011年01月10日
ビジネスに「MNN」の発想と行動力。~今日は、講義に準備~
ビジネスに「MNN」の発想と行動力。~今日は、講義に準備~
3連休の最終日の午前は、今週に行わなければならない2つの講話と1つの講義を考えをまとめる時間になった。昨日の地域の新年会を終えたことと、遅くまで飲み会があり、早朝に片づけをして、大学の講義で使うビデオを何度も繰り返し見たり、明日の早朝の講話のことを考えたり、週末の「龍馬と政治」の海難事故の資料を整理したりと、年末から考え続けて来た講義(講話)構想のまとめの時間になった。
昼食前に来客があり、講義整理の完成ができなかった。残りは、今夜、最終まとめをすることにした。
ちょっと臭い話だが、最近話題のトイレ?の歌ではないですが、我が家にはトイレに本棚がある。
子供たちが進学して、最近は私の読み残しや、読み返す本が載る。今日は、城山三郎の語録を集めた「人生の流儀」を読み開く中に、少々長文だが、思い話題を見つけた。
ビジネスと3つのノウハウ「MNN?」についてと、あった。
これは、何だ?
読み進むと、「これって、私が12年やって来たことじゃないか」と、変に納得した。
内容を紹介します。
(以下、転載文)
「じゃ、もっと具体的に言って上げましょうか。わたしはいま世の出るためには、男も女も同じだけど、MNNの三つのノウハウをそろえればいいと思うの」
「Mとはメンターの略。メンターとは、精神的な保護者、引き立ててくれる後援者、つまり親分のような存在のことで、あなたのためには、とりあえず、私がメンター役をつとめ上げる」
「……」
「Nはネットワーク。人脈というか、人間のつながり。コネなどとちがって、もっと広く知的なつながりや集いのこと、サクセスめざす男たちの間では、朝の朝食会からはじまって夜の勉強会まで、人間のネットワークの花ざかりよ。こういうネットワークをあなたにも次々と紹介して上げる」
「……」
「次のNはニュース・ヴァリューの略。話題性ということね。いまはただこつこつやっていればいい時代ではないの。イベントでもパフォーマンスでも、何でもいいからパッと華やかな話題にならなくては。何をしたらいいのかは、これもいろいろ実例を見せて教えて上げる」
言われてみると、簡単なことに思えてくる。それでいて、やはり魔法でもかけられているような気分は消えない。…「本当に生きた日」
(以下、城山三郎語録「人生の流儀」)
MNNとは、
M:メンター、引き立ててくれる後援者。
N:ネットワーク、知的なつながりや集い。
N:ニュース・ヴァリュー、話題性。
MNNをどうつくるかは、人それぞれにやり方は違うと思います。
人の職能、人間的な資質、行動力、手法、ツール、等々。
「自分のできることをやる」が、大事と思います。無理は継続が難しいので、自分のできることからゆっくり・じっくり広げて行くこと(N:ネットワークづくり)が大事と思います。
・四季の会
私の異業種交流会「四季の会」は、2人から始まり、4人、8人、15人、30人、44人、55人、と広がって行きました。その期間は、約2年。しかし、8回目は、44人、時間の使い方が悪かった。急な拡大の性で無理が来ました。
それを助けてくれたのは、Mでした。そのMは、新エネルギー分野の教授でした。Mのアドバイスと参画で、新たな流れが生まれました。
N:常に最先端の話を聞く(聞ける)
を中心に、人探しを開始しました。
というのが、私が12年続ける。「四季の会」の経緯です。
私は、今日までMNNを知りませんでしたが、自然に人の輪(師友)の中で、出来上がって来たのだと感じます。みなさんも、ビジネスにしろ、社会活動にしろ、仲間づくりにしろ「MNN」の発想と行動を実施すれば、成功へ向かわせることが可能になると思います。新年になり、「MNN」をぜひ実践されてみてはいかがでしょうか。感想も含め書き込みを頂けるとありがたいです。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
3連休の最終日の午前は、今週に行わなければならない2つの講話と1つの講義を考えをまとめる時間になった。昨日の地域の新年会を終えたことと、遅くまで飲み会があり、早朝に片づけをして、大学の講義で使うビデオを何度も繰り返し見たり、明日の早朝の講話のことを考えたり、週末の「龍馬と政治」の海難事故の資料を整理したりと、年末から考え続けて来た講義(講話)構想のまとめの時間になった。
昼食前に来客があり、講義整理の完成ができなかった。残りは、今夜、最終まとめをすることにした。
ちょっと臭い話だが、最近話題のトイレ?の歌ではないですが、我が家にはトイレに本棚がある。
子供たちが進学して、最近は私の読み残しや、読み返す本が載る。今日は、城山三郎の語録を集めた「人生の流儀」を読み開く中に、少々長文だが、思い話題を見つけた。
ビジネスと3つのノウハウ「MNN?」についてと、あった。
これは、何だ?
読み進むと、「これって、私が12年やって来たことじゃないか」と、変に納得した。
内容を紹介します。
(以下、転載文)
「じゃ、もっと具体的に言って上げましょうか。わたしはいま世の出るためには、男も女も同じだけど、MNNの三つのノウハウをそろえればいいと思うの」
「Mとはメンターの略。メンターとは、精神的な保護者、引き立ててくれる後援者、つまり親分のような存在のことで、あなたのためには、とりあえず、私がメンター役をつとめ上げる」
「……」
「Nはネットワーク。人脈というか、人間のつながり。コネなどとちがって、もっと広く知的なつながりや集いのこと、サクセスめざす男たちの間では、朝の朝食会からはじまって夜の勉強会まで、人間のネットワークの花ざかりよ。こういうネットワークをあなたにも次々と紹介して上げる」
「……」
「次のNはニュース・ヴァリューの略。話題性ということね。いまはただこつこつやっていればいい時代ではないの。イベントでもパフォーマンスでも、何でもいいからパッと華やかな話題にならなくては。何をしたらいいのかは、これもいろいろ実例を見せて教えて上げる」
言われてみると、簡単なことに思えてくる。それでいて、やはり魔法でもかけられているような気分は消えない。…「本当に生きた日」
(以下、城山三郎語録「人生の流儀」)
MNNとは、
M:メンター、引き立ててくれる後援者。
N:ネットワーク、知的なつながりや集い。
N:ニュース・ヴァリュー、話題性。
MNNをどうつくるかは、人それぞれにやり方は違うと思います。
人の職能、人間的な資質、行動力、手法、ツール、等々。
「自分のできることをやる」が、大事と思います。無理は継続が難しいので、自分のできることからゆっくり・じっくり広げて行くこと(N:ネットワークづくり)が大事と思います。
・四季の会
私の異業種交流会「四季の会」は、2人から始まり、4人、8人、15人、30人、44人、55人、と広がって行きました。その期間は、約2年。しかし、8回目は、44人、時間の使い方が悪かった。急な拡大の性で無理が来ました。
それを助けてくれたのは、Mでした。そのMは、新エネルギー分野の教授でした。Mのアドバイスと参画で、新たな流れが生まれました。
N:常に最先端の話を聞く(聞ける)
を中心に、人探しを開始しました。
というのが、私が12年続ける。「四季の会」の経緯です。
私は、今日までMNNを知りませんでしたが、自然に人の輪(師友)の中で、出来上がって来たのだと感じます。みなさんも、ビジネスにしろ、社会活動にしろ、仲間づくりにしろ「MNN」の発想と行動を実施すれば、成功へ向かわせることが可能になると思います。新年になり、「MNN」をぜひ実践されてみてはいかがでしょうか。感想も含め書き込みを頂けるとありがたいです。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
2011年01月08日
<日本の問題>「正論」対談:櫻井よしこ氏×渡辺利夫氏、
<日本の問題>「正論」対談:櫻井よしこ氏×渡辺利夫氏、
年初の「正論」の対談を読んだ。今年は、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏と、拓殖大学学長・渡辺利夫氏の対談が掲載されていました。詳しくは、下記を検索下さい。抜粋を掲載しました。参考にして頂ければ幸いです。
(上)目覚めよ日本、「中禍」を見抜け
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700003-n1.htm
(下)誇れる国の礎 憲法、教育、皇室
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700004-n1.htm
<以下、正論より抜粋>
> 渡辺 何が根本的問題でしょうか
> 櫻井 普通の国家が備えている要件、外交力と軍事力を、戦後の日本が失ってしまったことに尽きると思います。
> もう一つの問題は教育です。日本の歴史をまともに教えられていませんから、尖閣諸島も北方領土の歴史も知らない人が多い。
> 渡辺 中国に対して戦略的にどのように対応すればよいと考えますか
> 櫻井 少なくとも100年間、中国は一番の脅威だと認識することが、対応の第一歩です。中国問題はアジア、アメリカにとっても同様です。特に日本は地政学的にも、文化的にも、他の国々よりも影響を受けやすい位置にあります。
>中曽根康弘元首相のように素養のあるあの世代の方々であればあるほど、「論語」、孔子のような文化、文明が中国の実像だと思っています。
> 渡辺 超大国に向かって突っ走っているように見えます。だが、内からみると、これほど巨大な社会的矛盾を抱えた国も珍しい。本質は農村の貧困です。格差、資源エネルギー不足、環境破壊、少子高齢化、頭を抱えてしまうようなテーマが無数にあります。中国国内で公務執行妨害を伴う暴力事件が全国全土でどのくらい起こったかといえば、政府公表の統計でも年間10万件以上です。
> 櫻井 1日300件以上ということになります。すさまじいことです。
> 櫻井 渡辺さんのおっしゃるポストモダニズムがどこから来るかといえば憲法からでしょう。憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。世界は全部善なる国々で構成されていて、私たち日本が善い行いさえすれば問題はないのだと。
> 渡辺 アメリカにすり込まれました。
> 櫻井 確かに多くの失敗も犯して、敗れました。だが、その中にも日本人の立派な魂はありました。そうしたことを、歴史教育で一つ一つ具体的に教えていくときだと思います
> 渡辺 今の政治で保守が掲げていくべきものは何でしょうか
> 櫻井 憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜(ひょうぼう)する政党はどこにも存在しません。
> 誇れる国をつくりたいと切望し、次の世代の日本人、またその次の世代に恥ずかしくない国家をつくってバトンタッチしていきたいと考える人たちには支える政党がないのが現実です。
> 櫻井 日本社会には暴発するほどの元気もなくて、冒頭で申し上げたように液状化しつつあると心配しています。そんな日本人に、昔風に聞こえるかもしれませんが、「立派な日本人になることの大切さ」「戦後日本人が日本人でなくなったことの問題」を説きたいと思います。まず日本国が普通の民主主義国家の要件である外交力と軍事力を備えたまともな国になり、日本人がまともな日本人になることから再建が始まります。
> そこにたどり着くための歴史教育とともに、国際社会を広く見て、その一員であるという意識を常に忘れないでほしい。健全なナショナリズムは健全な国際主義なしにはあり得ないことも強調したいですね。
(以上、Web産経新聞から転載)
長い転載文を読んで頂きありがとうございます。世には色々な考えがあります。ただ国民一人ひとりは、この国を愛し、この国を守ることが必要と思っています。
国家の目的は、色々あります。冷戦の秩序が崩壊し、中国の経済成長+軍事的パワーの増強、朝鮮半島の不安定化、アメリカの勢力図が少しづつ変化しているように感じます。
日本は、どこへ向かうのか?
渡辺氏、櫻井氏の考えが全部正しいと鵜呑みにする人はいないと思います。しかし、似たような感覚を覚えている方も多いと思います。日米同盟、以前では日英同盟、信頼関係で日本国家がこれまで歴史を作って来ました。北朝鮮半島の6ヶ国協議の難しさは、中国の拡大路線も含め、複雑化しています。
東洋の端に位置する日本ですが、それは舟の時代の話であって、現代はインターネット時代、航空機の時代です。日本を中心にして、周りの関係、あるいは2国間の信頼をたくさん作って行くことも重要と思います。今日の日記は、私の考えを語るのではなくて、みなさんに読んで頂ければと思い書きました。
月に1度、安岡正篤先生の著書を読む輪読会「熊本師友会」に、毎回は参加できませんが、末席に加えてもらっています。安岡先生の「日本精神の研究」なる難しい本の解説を聞き、日本人の素晴らしい歴史、実績、先見性、等々、私たちが教えられて来なかったたくさんの歴史を知らされます。
櫻井氏ではないですが、日本人はもっと日本の歴史、日本人が成してきた歴史をもっと学ぶべきと思います。21世紀は、グローバルな国際関係もしっかりやって行くことが重要です。国家もですが、個人としても尊敬しあう交流が重要と思っています。今月末に、カナダの友人が熊本へ来ます。「朋遠方より来るあり」の楽しい気分を感じるものです。
社会に関心を持ち、未来世代に良い社会を渡せるように、一人ひとりが行動をして行きたいものです。
年初の「正論」の対談を読んだ。今年は、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏と、拓殖大学学長・渡辺利夫氏の対談が掲載されていました。詳しくは、下記を検索下さい。抜粋を掲載しました。参考にして頂ければ幸いです。
(上)目覚めよ日本、「中禍」を見抜け
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700003-n1.htm
(下)誇れる国の礎 憲法、教育、皇室
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700004-n1.htm
<以下、正論より抜粋>
> 渡辺 何が根本的問題でしょうか
> 櫻井 普通の国家が備えている要件、外交力と軍事力を、戦後の日本が失ってしまったことに尽きると思います。
> もう一つの問題は教育です。日本の歴史をまともに教えられていませんから、尖閣諸島も北方領土の歴史も知らない人が多い。
> 渡辺 中国に対して戦略的にどのように対応すればよいと考えますか
> 櫻井 少なくとも100年間、中国は一番の脅威だと認識することが、対応の第一歩です。中国問題はアジア、アメリカにとっても同様です。特に日本は地政学的にも、文化的にも、他の国々よりも影響を受けやすい位置にあります。
>中曽根康弘元首相のように素養のあるあの世代の方々であればあるほど、「論語」、孔子のような文化、文明が中国の実像だと思っています。
> 渡辺 超大国に向かって突っ走っているように見えます。だが、内からみると、これほど巨大な社会的矛盾を抱えた国も珍しい。本質は農村の貧困です。格差、資源エネルギー不足、環境破壊、少子高齢化、頭を抱えてしまうようなテーマが無数にあります。中国国内で公務執行妨害を伴う暴力事件が全国全土でどのくらい起こったかといえば、政府公表の統計でも年間10万件以上です。
> 櫻井 1日300件以上ということになります。すさまじいことです。
> 櫻井 渡辺さんのおっしゃるポストモダニズムがどこから来るかといえば憲法からでしょう。憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。世界は全部善なる国々で構成されていて、私たち日本が善い行いさえすれば問題はないのだと。
> 渡辺 アメリカにすり込まれました。
> 櫻井 確かに多くの失敗も犯して、敗れました。だが、その中にも日本人の立派な魂はありました。そうしたことを、歴史教育で一つ一つ具体的に教えていくときだと思います
> 渡辺 今の政治で保守が掲げていくべきものは何でしょうか
> 櫻井 憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜(ひょうぼう)する政党はどこにも存在しません。
> 誇れる国をつくりたいと切望し、次の世代の日本人、またその次の世代に恥ずかしくない国家をつくってバトンタッチしていきたいと考える人たちには支える政党がないのが現実です。
> 櫻井 日本社会には暴発するほどの元気もなくて、冒頭で申し上げたように液状化しつつあると心配しています。そんな日本人に、昔風に聞こえるかもしれませんが、「立派な日本人になることの大切さ」「戦後日本人が日本人でなくなったことの問題」を説きたいと思います。まず日本国が普通の民主主義国家の要件である外交力と軍事力を備えたまともな国になり、日本人がまともな日本人になることから再建が始まります。
> そこにたどり着くための歴史教育とともに、国際社会を広く見て、その一員であるという意識を常に忘れないでほしい。健全なナショナリズムは健全な国際主義なしにはあり得ないことも強調したいですね。
(以上、Web産経新聞から転載)
長い転載文を読んで頂きありがとうございます。世には色々な考えがあります。ただ国民一人ひとりは、この国を愛し、この国を守ることが必要と思っています。
国家の目的は、色々あります。冷戦の秩序が崩壊し、中国の経済成長+軍事的パワーの増強、朝鮮半島の不安定化、アメリカの勢力図が少しづつ変化しているように感じます。
日本は、どこへ向かうのか?
渡辺氏、櫻井氏の考えが全部正しいと鵜呑みにする人はいないと思います。しかし、似たような感覚を覚えている方も多いと思います。日米同盟、以前では日英同盟、信頼関係で日本国家がこれまで歴史を作って来ました。北朝鮮半島の6ヶ国協議の難しさは、中国の拡大路線も含め、複雑化しています。
東洋の端に位置する日本ですが、それは舟の時代の話であって、現代はインターネット時代、航空機の時代です。日本を中心にして、周りの関係、あるいは2国間の信頼をたくさん作って行くことも重要と思います。今日の日記は、私の考えを語るのではなくて、みなさんに読んで頂ければと思い書きました。
月に1度、安岡正篤先生の著書を読む輪読会「熊本師友会」に、毎回は参加できませんが、末席に加えてもらっています。安岡先生の「日本精神の研究」なる難しい本の解説を聞き、日本人の素晴らしい歴史、実績、先見性、等々、私たちが教えられて来なかったたくさんの歴史を知らされます。
櫻井氏ではないですが、日本人はもっと日本の歴史、日本人が成してきた歴史をもっと学ぶべきと思います。21世紀は、グローバルな国際関係もしっかりやって行くことが重要です。国家もですが、個人としても尊敬しあう交流が重要と思っています。今月末に、カナダの友人が熊本へ来ます。「朋遠方より来るあり」の楽しい気分を感じるものです。
社会に関心を持ち、未来世代に良い社会を渡せるように、一人ひとりが行動をして行きたいものです。
2011年01月07日
年初の読む本、5つの「年頭自警」、一善事と一佳書
年初の読む本、5つの「年頭自警」、一善事と一佳書
私は、毎年、年初の読む本があります。昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の教示を集めた「安岡正篤 一日一言」です。今日は、1月7日ですが、元旦の言葉を紹介します。
・年頭自警
一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き禍根を棄つべし
三、年頭決然滞事(けつぜんたいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし
上記が、年頭の教示なっています。今日は、尊敬する東京の先達から、年頭の電話があり、今年の活動の抱負を聞かれた。3つのテーマで、計画を準備していることを語り、色々アドバイスと課題を頂いた。ありがたいことだと感謝するばかりです。
さっそく、5番目の佳書を読む始めるべし、を実践するためと先輩の新年の挨拶を兼ねて、県立図書館へ出かけた。年末に借りた本を反し、隣接する近代文学館へ挨拶に行き、色々話をする中で、「君の地元は歴史検証は活発だが、それを後押しする文学に親しむものがない」と指摘があった。そこで、館長へ私の地元の文学的な視点での検証をアドバイス頂いた。講演の約束も取って、さっそく来週から動くことになった。正月早々から、本探しが「一善事を発願すべし」と両方が始まった。
ところで、図書館から借りた本、バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」をさっそく読み始めた。これは、書架を探していて、目にふと止まった本で、240の教示を集めたもので、元は17世紀のスペインの作家のものです。少し初めを読み、心に留まった一節を紹介します。
(以下、転載)
・優れた人とつきあう
人は、誰と一緒にいるかで判断される。
名高く尊敬されるような人と方を並べるのは畏れ多い世才ではあるが、たいへん役に立つ才略でもある。敬愛される立派な人と行動をともにしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるものだ。
・萎縮しない
人に対する概念を少しずつ緩めてみよう。恐れなければならないほどの高尚な人などいない。誰に対しても、高貴な人だなと思いこまないように。そうでないと自分の心が畏縮してしまうからだ。いったん話をしてみれば、その偉大さは錯覚だったことがわかるだろう。
誰でも生身の人間で、それぞれ欠点もあれば言い訳もする。人情味に欠ける人のいれば、勇気が足りない人もいる。高い地位の人は、優れているように見えても実質が伴っている人はめったにいないもの。冷静に判断してその思い違いが解ければ、このような人に対しても節度を保って大胆に対応できる。
・友情を育む
友は自分の一部であり、分身である。友人同士、積極的に知恵を分かちあおう。
人は、他人が望むとおりになるものだ。良い人だと思ってもらえるように、周りの人を味方につけよう。人生は持ちつ持たれつ。敵に囲まれているより、友に囲まれて生きるほうがいい。日々友情を探し求めよう。友情の種をまき、新しい友を増やそう。
(以上、「「賢人の知恵」より)
まだ2割も読んでいないのですが、なんか新年から元気と勇気をもらえるように思います。これが、安岡先生が訓示する、新年からの「一善事を発願すべし」に値するかは、読み終えて、この本が何度も読み返したくなるかどうかにあるように思います。
中国古典の数冊は、事あるごとに読み返すのですが、経書に値する本との出会いは、素晴らしい師友に会えると同じくらい楽しいものです。今日は、以前に2度読んだ、「荀子」の解説本を借りて来たのですが、心を鍛える本は、日々の仕事に追われる中で、少しでも自分を取り戻す大切な教示と思っています。
毎年読み始める最初の本は、安岡先生の「一日一言」で、その冒頭の一節が、5つの「年頭自警」です。今日の日記を読んで、感想でも頂けるとありがたいです。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」(齊藤慎子訳)
私は、毎年、年初の読む本があります。昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の教示を集めた「安岡正篤 一日一言」です。今日は、1月7日ですが、元旦の言葉を紹介します。
・年頭自警
一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き禍根を棄つべし
三、年頭決然滞事(けつぜんたいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし
上記が、年頭の教示なっています。今日は、尊敬する東京の先達から、年頭の電話があり、今年の活動の抱負を聞かれた。3つのテーマで、計画を準備していることを語り、色々アドバイスと課題を頂いた。ありがたいことだと感謝するばかりです。
さっそく、5番目の佳書を読む始めるべし、を実践するためと先輩の新年の挨拶を兼ねて、県立図書館へ出かけた。年末に借りた本を反し、隣接する近代文学館へ挨拶に行き、色々話をする中で、「君の地元は歴史検証は活発だが、それを後押しする文学に親しむものがない」と指摘があった。そこで、館長へ私の地元の文学的な視点での検証をアドバイス頂いた。講演の約束も取って、さっそく来週から動くことになった。正月早々から、本探しが「一善事を発願すべし」と両方が始まった。
ところで、図書館から借りた本、バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」をさっそく読み始めた。これは、書架を探していて、目にふと止まった本で、240の教示を集めたもので、元は17世紀のスペインの作家のものです。少し初めを読み、心に留まった一節を紹介します。
(以下、転載)
・優れた人とつきあう
人は、誰と一緒にいるかで判断される。
名高く尊敬されるような人と方を並べるのは畏れ多い世才ではあるが、たいへん役に立つ才略でもある。敬愛される立派な人と行動をともにしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるものだ。
・萎縮しない
人に対する概念を少しずつ緩めてみよう。恐れなければならないほどの高尚な人などいない。誰に対しても、高貴な人だなと思いこまないように。そうでないと自分の心が畏縮してしまうからだ。いったん話をしてみれば、その偉大さは錯覚だったことがわかるだろう。
誰でも生身の人間で、それぞれ欠点もあれば言い訳もする。人情味に欠ける人のいれば、勇気が足りない人もいる。高い地位の人は、優れているように見えても実質が伴っている人はめったにいないもの。冷静に判断してその思い違いが解ければ、このような人に対しても節度を保って大胆に対応できる。
・友情を育む
友は自分の一部であり、分身である。友人同士、積極的に知恵を分かちあおう。
人は、他人が望むとおりになるものだ。良い人だと思ってもらえるように、周りの人を味方につけよう。人生は持ちつ持たれつ。敵に囲まれているより、友に囲まれて生きるほうがいい。日々友情を探し求めよう。友情の種をまき、新しい友を増やそう。
(以上、「「賢人の知恵」より)
まだ2割も読んでいないのですが、なんか新年から元気と勇気をもらえるように思います。これが、安岡先生が訓示する、新年からの「一善事を発願すべし」に値するかは、読み終えて、この本が何度も読み返したくなるかどうかにあるように思います。
中国古典の数冊は、事あるごとに読み返すのですが、経書に値する本との出会いは、素晴らしい師友に会えると同じくらい楽しいものです。今日は、以前に2度読んだ、「荀子」の解説本を借りて来たのですが、心を鍛える本は、日々の仕事に追われる中で、少しでも自分を取り戻す大切な教示と思っています。
毎年読み始める最初の本は、安岡先生の「一日一言」で、その冒頭の一節が、5つの「年頭自警」です。今日の日記を読んで、感想でも頂けるとありがたいです。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」(齊藤慎子訳)
2011年01月06日
教官同席、未成年の男子警察学校生、急性アルコール中毒(京都)
教官同席、未成年の男子警察学校生、急性アルコール中毒(京都府警)
■未成年の男子警察学校生、急性アルコール中毒
(読売新聞 - 01月05日 15:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1459306&media_id=20
>京都府警察学校(京都市伏見区)の教官2人と初任科生の計約40人が昨年11月、学校近くの焼き肉店で懇親会を開いた際、男子生徒(19)が急性アルコール中毒で救急搬送されていたことが5日、わかった。
>生徒はすぐに回復したが、初任科生の約半数は未成年で、他にも未成年の数人が酒を飲んだという。
>府警は、生徒が教官の目を盗んで飲酒したと判断し、教官2人と搬送された生徒の3人を厳重注意としたが、正式な処分は見送っていた。
>府警関係者によると、懇親会は昨年11月22日午後6時半頃に始まり、同8時半頃に生徒の一人が体調の異変を訴えたため、出席者が119番した。生徒は救急車で運ばれた。
>府警監察官室などが調べたところ、教官2人を含む約30人は個室に入り、残り約10人がテーブル席を使用。搬送された生徒と、飲酒した他の数人はいずれもテーブル席にいたという。
>初任科生は、警察に採用された後、法律知識や捜査実務などを学ぶ新人警察官。
警官の指導をするものが同席して、公然の場で未成年に飲酒を認めたとは、「世の末か!」、情けないですね。
>教官2人を含む約30人は個室に入り、残り約10人がテーブル席を使用。
未成年だけならまだしも「若気の至り」ですが、教官2名が同席していたことは、警察の倫理規律に大きな問題を起していると感じます。法を守る警官の学校で、このようなことが公然と行われていることに愕然とします。
酒をのまなくても十分に、意見交換、交流はできる。教官たちの認識の甘さと、法の番人としての自己管理の足りなさと思います。
もし、この若者のアルコール中毒がなければばれない。こんな浅はかな、指導教官は指導する資格がないと思う。小さな事件が、大きな事件を引き起こすと言われます。警察の意識改革が必要と感じる事件と思う。
毎年、大学で追い出しコンパ、歓迎コンパ等々、行われて、毎回「急性アルコール中毒」で救急搬送の記事が出る。飲酒は20歳、特に社会の指導的立場の人は、公の影響を考えて、若い人たちに教示を与えるような行動をして欲しいと思う。
今後の京都府警の対処を注目したい。
・偉人の一言
昭和の東洋哲学者安岡正篤氏の訓示から、
「本当の正しさ」~なんでもない行動にこそ~
人間の本当の正しさは、ちょっとした日常の挨拶や振舞いにあらわれ、何でもない行動に、案外人間の内容やその背景を知ることができる。それに反して、体操偉そうで大げさなことを言うものは当てにならない。こんな人ほど、家の中や友達との付き合いになると、とんでもない愚劣なことを平気でやるものだ。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
リーダーは、日常の行動で示してこそ、真価が表れると思います。何時の時代も、教育は率先垂範の実践が大事と思います。
■未成年の男子警察学校生、急性アルコール中毒
(読売新聞 - 01月05日 15:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1459306&media_id=20
>京都府警察学校(京都市伏見区)の教官2人と初任科生の計約40人が昨年11月、学校近くの焼き肉店で懇親会を開いた際、男子生徒(19)が急性アルコール中毒で救急搬送されていたことが5日、わかった。
>生徒はすぐに回復したが、初任科生の約半数は未成年で、他にも未成年の数人が酒を飲んだという。
>府警は、生徒が教官の目を盗んで飲酒したと判断し、教官2人と搬送された生徒の3人を厳重注意としたが、正式な処分は見送っていた。
>府警関係者によると、懇親会は昨年11月22日午後6時半頃に始まり、同8時半頃に生徒の一人が体調の異変を訴えたため、出席者が119番した。生徒は救急車で運ばれた。
>府警監察官室などが調べたところ、教官2人を含む約30人は個室に入り、残り約10人がテーブル席を使用。搬送された生徒と、飲酒した他の数人はいずれもテーブル席にいたという。
>初任科生は、警察に採用された後、法律知識や捜査実務などを学ぶ新人警察官。
警官の指導をするものが同席して、公然の場で未成年に飲酒を認めたとは、「世の末か!」、情けないですね。
>教官2人を含む約30人は個室に入り、残り約10人がテーブル席を使用。
未成年だけならまだしも「若気の至り」ですが、教官2名が同席していたことは、警察の倫理規律に大きな問題を起していると感じます。法を守る警官の学校で、このようなことが公然と行われていることに愕然とします。
酒をのまなくても十分に、意見交換、交流はできる。教官たちの認識の甘さと、法の番人としての自己管理の足りなさと思います。
もし、この若者のアルコール中毒がなければばれない。こんな浅はかな、指導教官は指導する資格がないと思う。小さな事件が、大きな事件を引き起こすと言われます。警察の意識改革が必要と感じる事件と思う。
毎年、大学で追い出しコンパ、歓迎コンパ等々、行われて、毎回「急性アルコール中毒」で救急搬送の記事が出る。飲酒は20歳、特に社会の指導的立場の人は、公の影響を考えて、若い人たちに教示を与えるような行動をして欲しいと思う。
今後の京都府警の対処を注目したい。
・偉人の一言
昭和の東洋哲学者安岡正篤氏の訓示から、
「本当の正しさ」~なんでもない行動にこそ~
人間の本当の正しさは、ちょっとした日常の挨拶や振舞いにあらわれ、何でもない行動に、案外人間の内容やその背景を知ることができる。それに反して、体操偉そうで大げさなことを言うものは当てにならない。こんな人ほど、家の中や友達との付き合いになると、とんでもない愚劣なことを平気でやるものだ。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
リーダーは、日常の行動で示してこそ、真価が表れると思います。何時の時代も、教育は率先垂範の実践が大事と思います。
2011年01月04日
「葉隠」を人の生き方の教書として読む
「葉隠」を人の生き方の教書として読む
新年、今日から活動開始ですね。多くの会社・事業所で、初仕事と思います。私も、午後から挨拶まわりと、友人知人との意見交換に出かけます。
昨日から、鍋島藩の精神的支柱「葉隠」の解説本を読み始めました。「武士とはいかに生きるべきか?」と語った中野神衛門(常朝)の口述を買い記したものだと知った。元禄時代が終わり、天下太平の中で武士に生きる道は、主家に奉公する行政官になった。家督を守り、藩の発展に寄与する仕事は、現代の地方公務員(自治体職員)と同じことです。ただ、武士という生き方は、まだ残っていて、責任を取って切腹の慣習は厳然とあった。
九州北部で幕末まで存在感を示した鍋島藩は、多くの人材を育て、幕末には「東洋の理科学研究所」とまで評されるほど隆盛を誇った。私は、この人材育成に「葉隠」の精神が強く影響を与えていると思っています。奈良本辰也著「葉隠」は、約3割の内容だそうですが、人がどう生きるか、なかなか示唆のある言葉がたくさんあります。まだ途中ですが、少し紹介します。
(以下、転載)
・いまを「一心不乱に生きる」
「人として一番大切な心がけ、修業しなければならないことは何でございましょうか」と問われたときは、どのように答えたらよいのか、まず言ってみよう。
いまのいまを、一心不乱に念じて生きることである。いまの世の人は一般に心のしまりがないように思える。活気のある顔というものは一心不乱に何事かを念じて生きているときのものだ。すべての物事を行っているうちに、心のなかで自然に固まってくるものである。これが君(上司)に対しては忠、親に対しては孝、武士道では勇気、そのほか万事についての根本である。しかし、これを見出すことは難しい。また、見出したからといって、いつも持ち続けていることはさらに難しい。現在を最高に生きることよりほかにないことだ。(中略)
・ただ心がけ一つの問題
何事でも不可能ということはない。一念発起すれば天地も貫き通すという。だから、できないのではない。ふがいないから、それを思い立たないのだ。まったく力を使わないで天地をゆり動かすというのは、ただ心がけ一つの問題だ。(中略)
・勝つには、平素から身心を鍛えておく
成富兵庫という人が言うには、「勝つということは、味方に勝つことである。味方に勝つということは、自分自身に勝つことである。自分自身に勝つということは、精神力で勝つことである。味方数万の武士の中にあっても、自分に続く者は一人もいないというくらいに平素から身心を鍛えておかないと、本当の敵に勝つことはできない」ということだ。(中略)
・身を修めて智・仁・勇の三徳を備える
智とは、人と相談するだけのことである。これは計り知れない智なのだ。仁は、人のためになることをすればよい。自分と他人と比較して、いつも他人がよいと思うようにしてやりなさえすればそれですむ。勇は、歯をくいしばることだ。前後のことを考えなないで、ただ歯をくいしばって突き進んでゆくまでのことである。これ以上立派なことは考えられない。(中略)
・道理の分かる人(師)を持つ
世の中には教訓をする人は多い。しかし、その教訓を喜んで聞く人は少ない。まして、そうした教訓に従う人はさらに少ない。人間三十歳を越えると教訓をしてくれる人もなくなる。教訓の道がふさがって自分勝手になるので、一生涯非を重ね、愚を増して、けっきょくつまらぬ人間で終わるのだ。道理を弁(わきま)えた人には、何とか親しく近づきになって、いつも教訓をうけることである。(中略)
(以上、奈良本辰也著「葉隠」)
今回読んで、葉隠の教えのイメージが大分変わりました。基本は、武士であるから「いざと言う時は、死がつきもの」ですが、日常の生き方の教書といえるような文言がたくさん出て来ます。後半には、上司への疎言(箴言、提言、忠告)のやり方、人との付き合い方、自分を高める、運をつかむ、等々、示唆に富んだ内容です。一度、読んで感想でも頂くとありがたいです。
先日、訪れた佐賀県庁ロビーに置かれた「葉隠」セミナーのチラシを見つけ、世の人の興味が、人の育成、人の生き方を、昔の人材育成に興味を持ち始めていると感じます。
薩摩藩の児童・若者の育成訓示、会津藩の訓示など有名ですが、私は「葉隠」に興味があり、解り易い解説本から入りましたが、益々、興味が深まりました。さらに勉強をしたいと思います。
今日の日記が、みなさんの参考になれば幸いです。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」(三笠書房)
<以前の日記>
・「多逢聖因」、新年に思うこと、1月3日の使い方
・謹 賀 新 年 2011.01.01
新年、今日から活動開始ですね。多くの会社・事業所で、初仕事と思います。私も、午後から挨拶まわりと、友人知人との意見交換に出かけます。
昨日から、鍋島藩の精神的支柱「葉隠」の解説本を読み始めました。「武士とはいかに生きるべきか?」と語った中野神衛門(常朝)の口述を買い記したものだと知った。元禄時代が終わり、天下太平の中で武士に生きる道は、主家に奉公する行政官になった。家督を守り、藩の発展に寄与する仕事は、現代の地方公務員(自治体職員)と同じことです。ただ、武士という生き方は、まだ残っていて、責任を取って切腹の慣習は厳然とあった。
九州北部で幕末まで存在感を示した鍋島藩は、多くの人材を育て、幕末には「東洋の理科学研究所」とまで評されるほど隆盛を誇った。私は、この人材育成に「葉隠」の精神が強く影響を与えていると思っています。奈良本辰也著「葉隠」は、約3割の内容だそうですが、人がどう生きるか、なかなか示唆のある言葉がたくさんあります。まだ途中ですが、少し紹介します。
(以下、転載)
・いまを「一心不乱に生きる」
「人として一番大切な心がけ、修業しなければならないことは何でございましょうか」と問われたときは、どのように答えたらよいのか、まず言ってみよう。
いまのいまを、一心不乱に念じて生きることである。いまの世の人は一般に心のしまりがないように思える。活気のある顔というものは一心不乱に何事かを念じて生きているときのものだ。すべての物事を行っているうちに、心のなかで自然に固まってくるものである。これが君(上司)に対しては忠、親に対しては孝、武士道では勇気、そのほか万事についての根本である。しかし、これを見出すことは難しい。また、見出したからといって、いつも持ち続けていることはさらに難しい。現在を最高に生きることよりほかにないことだ。(中略)
・ただ心がけ一つの問題
何事でも不可能ということはない。一念発起すれば天地も貫き通すという。だから、できないのではない。ふがいないから、それを思い立たないのだ。まったく力を使わないで天地をゆり動かすというのは、ただ心がけ一つの問題だ。(中略)
・勝つには、平素から身心を鍛えておく
成富兵庫という人が言うには、「勝つということは、味方に勝つことである。味方に勝つということは、自分自身に勝つことである。自分自身に勝つということは、精神力で勝つことである。味方数万の武士の中にあっても、自分に続く者は一人もいないというくらいに平素から身心を鍛えておかないと、本当の敵に勝つことはできない」ということだ。(中略)
・身を修めて智・仁・勇の三徳を備える
智とは、人と相談するだけのことである。これは計り知れない智なのだ。仁は、人のためになることをすればよい。自分と他人と比較して、いつも他人がよいと思うようにしてやりなさえすればそれですむ。勇は、歯をくいしばることだ。前後のことを考えなないで、ただ歯をくいしばって突き進んでゆくまでのことである。これ以上立派なことは考えられない。(中略)
・道理の分かる人(師)を持つ
世の中には教訓をする人は多い。しかし、その教訓を喜んで聞く人は少ない。まして、そうした教訓に従う人はさらに少ない。人間三十歳を越えると教訓をしてくれる人もなくなる。教訓の道がふさがって自分勝手になるので、一生涯非を重ね、愚を増して、けっきょくつまらぬ人間で終わるのだ。道理を弁(わきま)えた人には、何とか親しく近づきになって、いつも教訓をうけることである。(中略)
(以上、奈良本辰也著「葉隠」)
今回読んで、葉隠の教えのイメージが大分変わりました。基本は、武士であるから「いざと言う時は、死がつきもの」ですが、日常の生き方の教書といえるような文言がたくさん出て来ます。後半には、上司への疎言(箴言、提言、忠告)のやり方、人との付き合い方、自分を高める、運をつかむ、等々、示唆に富んだ内容です。一度、読んで感想でも頂くとありがたいです。
先日、訪れた佐賀県庁ロビーに置かれた「葉隠」セミナーのチラシを見つけ、世の人の興味が、人の育成、人の生き方を、昔の人材育成に興味を持ち始めていると感じます。
薩摩藩の児童・若者の育成訓示、会津藩の訓示など有名ですが、私は「葉隠」に興味があり、解り易い解説本から入りましたが、益々、興味が深まりました。さらに勉強をしたいと思います。
今日の日記が、みなさんの参考になれば幸いです。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」(三笠書房)
<以前の日記>
・「多逢聖因」、新年に思うこと、1月3日の使い方
・謹 賀 新 年 2011.01.01
2011年01月03日
「多逢聖因」、新年に思うこと、1月3日の使い方
「多逢聖因」、新年に思うこと、1月3日の使い方
1日、2日
新年、元旦は地元の子ども会の新春駅伝大会を応援に行った。
昨日は、宇土市の新春サッカー大会のスタッフで、早朝から準備、大会の事務を担当した。小学校が、22チーム、中学校が4チーム、女子が6チーム、一般が64チームの大会で、一般に決勝は16時近くになる日程。県下で最も古い新春サッカー大会で44回目になる。
私は、最後まで居れずに、15時から妻の実家へ新年の挨拶をしに出かけ、帰りは深夜近くになった。実家へ行く途中、イオンモールでちょっと買い物をするために寄って、まー、人の多さに驚いた、「新年に人はこんなところに集まるのか」と。
義兄たちも昼食前後に同じ、イオンモールに出かけたようで、「駐車場に入るのも、時間がかかった」とこぼしていた。地方の商店街の衰退が叫ばれる中、やはり時代の流れは、着実の進んでいることを知らされます。
・年末の出会い
妻たちの買い物の間、書店で新しい本を探してみた。30分ほどの時間で何が見つかるか、本を手にしながら、年末に佐賀へ行ったとき、佐賀の友人を佐賀県庁に訪ねた時、「葉隠」の文字が目に入った。幕末の思想形成に、武士道なしには語れないと思います。その一つの思想形成で、九州の鍋島藩を発祥とする葉隠れの精神は、「武士道と言うは、死ぬこととと見つけたり」のイメージが強かった。しかし、読む進中で、違ったイメージを持ち始めています。
・年頭の言葉を「多逢聖因」
また、もう一つがブログネタのために、作家の言葉を集めた本を探します。今年は、城山三郎の言葉を集めたPHPの文庫本を見つけました。昨年までは、女性作家の言葉が多かったのですが、田中正造を広く世に出したと言われる「辛酸(しんさん)」の著者が城山三郎です。ビジネスものも多く、企業運営に関わる本もあります。
年賀状の年頭の言葉を「多逢聖因」を選びました。意味は、人は良き機会(場)、良き人、良き本と出会う努力をすることが大事、の意味なのですが、今年の良き本になるかは分かりませんが、奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」の文庫本を購入しました。「葉隠」は、数ページを読んだだけで感想はありません。「人生の流儀」の言葉で心に残った言葉をいくつか紹介します。
(以下、転載)
時代に合わせて生きるのではなく、わが生き方をしかと選び、根気よく歩み続ける。そうして骨太な人生に、時代の方から頭を下げて、歩み寄ってくる、という気がしている。
――(『生き残りの人生』)
こうしたこともあって、漱石が好きだったというイギリスの作家スターンの警句、このころから、私は我が身に言い聞かせるようになった。
「形式にこだわるには、人生が短すぎる」
と。ここでの「形式」とは目に見えるものだけなく、習慣とか世間の目もふくめ、人間が外から規制する諸々のものを指す、と考えていい。
――(『無所属の時間で生きる』)
いま、あまり読まれなくなった作家ですが、源氏鶏太さんの小説など、みなさんもっと読まれるといい。住友に25年勤めて、その傍らサラリーマン小説を書き続けた人ですが、それだけにサラリーマンの気持ちがよくわかる。この源氏さんが「和気、勇気、根気」ということをよく行っているんです。みんなと仲良くして、勇気をもってことにあたり、しかも根気が必要。やはり最後は根気です。夏目漱石の言葉にもあります。
「人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」とね。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
私は以前から、人生の待ち時間に大差はない、問題はいかに深く生きるか、であると言ってきた。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなる。深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
(以上、城山三郎語録「人生の流儀」)
昨日は、少年たちのサッカーの試合を見て、「夢」を追う姿は良いな、と感じました。スポーツは、根気よく練習を続けるのが、成長する近道です。
>人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる
根気よく続けるだけでは、人生は深く考えることが少ない。やはりここぞという時は、一根発起、チャレンジ精神を出し、何かの挑戦することも必要です。
>深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要
2011年、もう3日目。
時間と人生と、今年何をするか、考える新年の一日と思います。明日から、日常が始まります。今日の一日を無為に過ごすのではなく、新たな自分探しをする時間にしたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」
1日、2日
新年、元旦は地元の子ども会の新春駅伝大会を応援に行った。
昨日は、宇土市の新春サッカー大会のスタッフで、早朝から準備、大会の事務を担当した。小学校が、22チーム、中学校が4チーム、女子が6チーム、一般が64チームの大会で、一般に決勝は16時近くになる日程。県下で最も古い新春サッカー大会で44回目になる。
私は、最後まで居れずに、15時から妻の実家へ新年の挨拶をしに出かけ、帰りは深夜近くになった。実家へ行く途中、イオンモールでちょっと買い物をするために寄って、まー、人の多さに驚いた、「新年に人はこんなところに集まるのか」と。
義兄たちも昼食前後に同じ、イオンモールに出かけたようで、「駐車場に入るのも、時間がかかった」とこぼしていた。地方の商店街の衰退が叫ばれる中、やはり時代の流れは、着実の進んでいることを知らされます。
・年末の出会い
妻たちの買い物の間、書店で新しい本を探してみた。30分ほどの時間で何が見つかるか、本を手にしながら、年末に佐賀へ行ったとき、佐賀の友人を佐賀県庁に訪ねた時、「葉隠」の文字が目に入った。幕末の思想形成に、武士道なしには語れないと思います。その一つの思想形成で、九州の鍋島藩を発祥とする葉隠れの精神は、「武士道と言うは、死ぬこととと見つけたり」のイメージが強かった。しかし、読む進中で、違ったイメージを持ち始めています。
・年頭の言葉を「多逢聖因」
また、もう一つがブログネタのために、作家の言葉を集めた本を探します。今年は、城山三郎の言葉を集めたPHPの文庫本を見つけました。昨年までは、女性作家の言葉が多かったのですが、田中正造を広く世に出したと言われる「辛酸(しんさん)」の著者が城山三郎です。ビジネスものも多く、企業運営に関わる本もあります。
年賀状の年頭の言葉を「多逢聖因」を選びました。意味は、人は良き機会(場)、良き人、良き本と出会う努力をすることが大事、の意味なのですが、今年の良き本になるかは分かりませんが、奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」の文庫本を購入しました。「葉隠」は、数ページを読んだだけで感想はありません。「人生の流儀」の言葉で心に残った言葉をいくつか紹介します。
(以下、転載)
時代に合わせて生きるのではなく、わが生き方をしかと選び、根気よく歩み続ける。そうして骨太な人生に、時代の方から頭を下げて、歩み寄ってくる、という気がしている。
――(『生き残りの人生』)
こうしたこともあって、漱石が好きだったというイギリスの作家スターンの警句、このころから、私は我が身に言い聞かせるようになった。
「形式にこだわるには、人生が短すぎる」
と。ここでの「形式」とは目に見えるものだけなく、習慣とか世間の目もふくめ、人間が外から規制する諸々のものを指す、と考えていい。
――(『無所属の時間で生きる』)
いま、あまり読まれなくなった作家ですが、源氏鶏太さんの小説など、みなさんもっと読まれるといい。住友に25年勤めて、その傍らサラリーマン小説を書き続けた人ですが、それだけにサラリーマンの気持ちがよくわかる。この源氏さんが「和気、勇気、根気」ということをよく行っているんです。みんなと仲良くして、勇気をもってことにあたり、しかも根気が必要。やはり最後は根気です。夏目漱石の言葉にもあります。
「人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」とね。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
私は以前から、人生の待ち時間に大差はない、問題はいかに深く生きるか、であると言ってきた。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなる。深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
(以上、城山三郎語録「人生の流儀」)
昨日は、少年たちのサッカーの試合を見て、「夢」を追う姿は良いな、と感じました。スポーツは、根気よく練習を続けるのが、成長する近道です。
>人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる
根気よく続けるだけでは、人生は深く考えることが少ない。やはりここぞという時は、一根発起、チャレンジ精神を出し、何かの挑戦することも必要です。
>深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要
2011年、もう3日目。
時間と人生と、今年何をするか、考える新年の一日と思います。明日から、日常が始まります。今日の一日を無為に過ごすのではなく、新たな自分探しをする時間にしたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」