2011年01月11日
城山三郎流の英雄資質、カントリー・ジェントルマン「白州次郎」
城山三郎流の英雄資質、カントリー・ジェントルマン「白州次郎、熊沢蕃山」
私が指導を受けた師の教示に、「自分より少しレベルの高い人を目指せ。高すぎる人を目指すと続かない」と何度も語ってもらった。自分は、学もなく、有能な人材と言える人間でもないが、師の教えを聞き、人の話を聞き、少しづつ勉強し、知らない分野を少し広げて来た。アッと言う間の20年だった。作家の城山三郎氏の語録を集めた本「人生の流儀」に次の言葉があった。
(以下、転載)
背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生のおもしろさである。――「アメリカ生きがいの旅」
>背が伸びてしまうこともあり得る
でも、つま先立ちは、持続力が厳しく、長続きしない。私は、かかとをしっかり地に付けて、速度は遅いが、マイペースでやってきた。その中で、色々な人と出会い、色々なことを学んできた。多くを語らず、常に聞くことに努めたきた。
リーダーは、訥弁!
おしゃべりは、味方も増やすが、敵も増やす。それを表現した短い文があります。
(以下、転載)
人間しゃべれば必ず自己弁護が入る。結果として、他のだれかの非をあげることになる。――「落日燃ゆ」
>他のだれかの非をあげることになる
会話には、落ちが必要です。〆は、自己弁護のことがけっこうあるものです。初めから、あまりしゃべらないことも手と思う。
さて、日本の政治家の資質が問われています。戦前は、立派な政治家がたくさん居た。その一人、官僚出身の弘田弘毅の言葉を城山三郎が紹介しています。
(以下、転載)
官僚出身で昭和初期の宰相となった弘田弘毅の信条は「自らのために計らわず」でした。政治家にしろ官僚にしろ国民を率いていく立場にある人は、たとえどんなことがあっても決して自らのために計ってはいけないのです。――「嬉しうて、そして…」
>信条は「自らのために計らわず」
「公共の政」が問われる中、国であれ、地方であれ、政治家は私利私欲に走らない姿勢(至誠)が必要と思う。英雄に必要な要素とは何か、城山流の英雄資質を紹介します。
(以上、転載)
新しい英雄というべきシンボリック・マネージャーには、どういう人がふさわしいのか。 第一に、人間通であること。人間に興味を持ち、じっくり観察できるひと。そのためには、感受性をみがき、他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
野鳥観察家のことをバード・ウォッチャーというが、それにならっていうなら、よきマン・ウォッチャーでなければならない。
第二に、忍耐強いひと。英雄の役割をつとめるためにも、あるいは英雄を管理するためにも、とにかく耐えねばならないからである。
第三に、淡々たる人柄であること。新しい企業の英雄は、状況が変わったり、機能を果たせば、たちまち不要となる。そのとき、さっと退ける人間でなくては、他人を退かせることもできなくなる。
やるときはやるが、自らの栄達や権勢にとらわれない。それが新しい英雄である。――「打たれ強く生きる」
>人間通であること。
…他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
>忍耐強いひと。
…とにかく耐えねばならない。
>淡々たる人柄であること。
…自らの栄達や権勢にとらわれない。
別の視点で、英雄を表現したことばが、3つの評価です。
(以上、転載)
魅力を感じさせる人々の共通のものとして、わたしはこのごろ三つのことに気づく。
一、常に生き生きしていること。
二、いつも在るべき姿を求めていること。
三、卑(いや)しくないこと。ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。――「静かなタフネス10の人生」
>ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。
太平洋戦争の戦後処理に東奔西走した白州次郎の生き方は、淡泊だった。葬式無用、戒名無用。自分の役割が終われば、さっと田舎にひっこむ生き方は、イギリスのカントリージェントルマンの理念にあると思います。この姿勢は、横井小楠が敬慕した岡山藩の藩校の初代校長熊沢蕃山に似ている。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
私が指導を受けた師の教示に、「自分より少しレベルの高い人を目指せ。高すぎる人を目指すと続かない」と何度も語ってもらった。自分は、学もなく、有能な人材と言える人間でもないが、師の教えを聞き、人の話を聞き、少しづつ勉強し、知らない分野を少し広げて来た。アッと言う間の20年だった。作家の城山三郎氏の語録を集めた本「人生の流儀」に次の言葉があった。
(以下、転載)
背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生のおもしろさである。――「アメリカ生きがいの旅」
>背が伸びてしまうこともあり得る
でも、つま先立ちは、持続力が厳しく、長続きしない。私は、かかとをしっかり地に付けて、速度は遅いが、マイペースでやってきた。その中で、色々な人と出会い、色々なことを学んできた。多くを語らず、常に聞くことに努めたきた。
リーダーは、訥弁!
おしゃべりは、味方も増やすが、敵も増やす。それを表現した短い文があります。
(以下、転載)
人間しゃべれば必ず自己弁護が入る。結果として、他のだれかの非をあげることになる。――「落日燃ゆ」
>他のだれかの非をあげることになる
会話には、落ちが必要です。〆は、自己弁護のことがけっこうあるものです。初めから、あまりしゃべらないことも手と思う。
さて、日本の政治家の資質が問われています。戦前は、立派な政治家がたくさん居た。その一人、官僚出身の弘田弘毅の言葉を城山三郎が紹介しています。
(以下、転載)
官僚出身で昭和初期の宰相となった弘田弘毅の信条は「自らのために計らわず」でした。政治家にしろ官僚にしろ国民を率いていく立場にある人は、たとえどんなことがあっても決して自らのために計ってはいけないのです。――「嬉しうて、そして…」
>信条は「自らのために計らわず」
「公共の政」が問われる中、国であれ、地方であれ、政治家は私利私欲に走らない姿勢(至誠)が必要と思う。英雄に必要な要素とは何か、城山流の英雄資質を紹介します。
(以上、転載)
新しい英雄というべきシンボリック・マネージャーには、どういう人がふさわしいのか。 第一に、人間通であること。人間に興味を持ち、じっくり観察できるひと。そのためには、感受性をみがき、他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
野鳥観察家のことをバード・ウォッチャーというが、それにならっていうなら、よきマン・ウォッチャーでなければならない。
第二に、忍耐強いひと。英雄の役割をつとめるためにも、あるいは英雄を管理するためにも、とにかく耐えねばならないからである。
第三に、淡々たる人柄であること。新しい企業の英雄は、状況が変わったり、機能を果たせば、たちまち不要となる。そのとき、さっと退ける人間でなくては、他人を退かせることもできなくなる。
やるときはやるが、自らの栄達や権勢にとらわれない。それが新しい英雄である。――「打たれ強く生きる」
>人間通であること。
…他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。
>忍耐強いひと。
…とにかく耐えねばならない。
>淡々たる人柄であること。
…自らの栄達や権勢にとらわれない。
別の視点で、英雄を表現したことばが、3つの評価です。
(以上、転載)
魅力を感じさせる人々の共通のものとして、わたしはこのごろ三つのことに気づく。
一、常に生き生きしていること。
二、いつも在るべき姿を求めていること。
三、卑(いや)しくないこと。ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。――「静かなタフネス10の人生」
>ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。
太平洋戦争の戦後処理に東奔西走した白州次郎の生き方は、淡泊だった。葬式無用、戒名無用。自分の役割が終われば、さっと田舎にひっこむ生き方は、イギリスのカントリージェントルマンの理念にあると思います。この姿勢は、横井小楠が敬慕した岡山藩の藩校の初代校長熊沢蕃山に似ている。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 23:33│Comments(1)
│リーダーの名言
この記事へのコメント
そうか、もう君はいないのか。を読んで以来、城山三郎氏の本を読むようになりましたが、こちらはまだ読んだことがありませんでした。記事を読みながら、興味がわいてきたので、読んでみたいと思います
Posted by 短時間睡眠法に挑戦中 at 2013年05月02日 19:52