2024年04月04日
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
<目覚めに思う>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
目覚めて天気予報、雨雲レーダーから、歩けるかも?と外を見に行ったら、霧雨が降っていました。良い時間の目覚めだったのですが、朝のウォーキングはお休みてす。
さて寝る前読んで、心に残った言葉で、禅語に、
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
というものがあるという。意味は、
>人は本来、いっさいのものを持たない、まったくの空(くう)、絶対的な無の存在である、ということです。
"絶対的な無の存在"
禅の教えは難しい?
さらに、升野俊明著『禅、比べない生活』のどうページに以下の言葉が、
禅語に、
体露金風(たいろきんぷう)
です。「体露」とは生まれたままの姿のこと。「金風」とは気持ちのいい秋風のこと。
日本人は、世の平均生活をしている?を常に考える人間が多いように感じています。
升野俊明さんは、
(以下、本より)
平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩調であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。
その足跡の連なりが人生です。
ですから、誰一人として同じ人生を歩むことはありません。人の数だけ人生があるのです。だから、自分の人生を他人の人生に比べることに意味などないのです。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)
お釈迦さまは、「この世界にわれよりも尊いものはない」ということを説いた。
意味は、私自身が1番尊い、という意味ですが、「人生を他人と比べることは意味がない、そのままで良いんですよ」と。
でも自然災害に見舞われることもある。なんでこの時期に、こんなことが起こるのか?と悔む。
これに対しても禅の教えは、
(以下、本より)
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよくて候」
良寛さんの言葉てす。
災難に遭遇して、「おい、おい、こんな災難に逢うなんて、平均的な人生からいったら、割が合わないしゃないか」などと嘆いていたってしかたがないのです。
災難には正面から向き合うしかないのですし、その災難の中に自分の足跡を残していく以外にはないのです。
それがほかの誰でもない、"あなたの人生を丹念に歩むということだ"と思います。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)
お釈迦様の唯我独尊には、さらに言葉があり、
「天上天下唯我独尊」
世界に唯一無二の存在が自分であること、その自分と向かい生きていくしかない。急がす、騒がす、コツコツと自らの道を歩いて行けば良い。
寝る前、起きて読んだ升野俊明氏の本から、これまでを振り返りました。早起きも、なかなか良いものです。
目覚めて天気予報、雨雲レーダーから、歩けるかも?と外を見に行ったら、霧雨が降っていました。良い時間の目覚めだったのですが、朝のウォーキングはお休みてす。
さて寝る前読んで、心に残った言葉で、禅語に、
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
というものがあるという。意味は、
>人は本来、いっさいのものを持たない、まったくの空(くう)、絶対的な無の存在である、ということです。
"絶対的な無の存在"
禅の教えは難しい?
さらに、升野俊明著『禅、比べない生活』のどうページに以下の言葉が、
禅語に、
体露金風(たいろきんぷう)
です。「体露」とは生まれたままの姿のこと。「金風」とは気持ちのいい秋風のこと。
日本人は、世の平均生活をしている?を常に考える人間が多いように感じています。
升野俊明さんは、
(以下、本より)
平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩調であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。
その足跡の連なりが人生です。
ですから、誰一人として同じ人生を歩むことはありません。人の数だけ人生があるのです。だから、自分の人生を他人の人生に比べることに意味などないのです。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)
お釈迦さまは、「この世界にわれよりも尊いものはない」ということを説いた。
意味は、私自身が1番尊い、という意味ですが、「人生を他人と比べることは意味がない、そのままで良いんですよ」と。
でも自然災害に見舞われることもある。なんでこの時期に、こんなことが起こるのか?と悔む。
これに対しても禅の教えは、
(以下、本より)
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよくて候」
良寛さんの言葉てす。
災難に遭遇して、「おい、おい、こんな災難に逢うなんて、平均的な人生からいったら、割が合わないしゃないか」などと嘆いていたってしかたがないのです。
災難には正面から向き合うしかないのですし、その災難の中に自分の足跡を残していく以外にはないのです。
それがほかの誰でもない、"あなたの人生を丹念に歩むということだ"と思います。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)
お釈迦様の唯我独尊には、さらに言葉があり、
「天上天下唯我独尊」
世界に唯一無二の存在が自分であること、その自分と向かい生きていくしかない。急がす、騒がす、コツコツと自らの道を歩いて行けば良い。
寝る前、起きて読んだ升野俊明氏の本から、これまでを振り返りました。早起きも、なかなか良いものです。
<六十にして思う>すべては「因」と「縁」によって生じる。準備あるところにチャンスは訪れる。〜禅語より〜
蟹(カニ)は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。さらば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚〜
<嚶鳴の状況>物事が成り立つ時は、必ず同じ志や方向性を持つ人や物が共振共鳴して、引き寄せる。
<盛者必衰の理>満月が必ず欠けるように、物事も盈(み)ちれば、それは久しく続かない。〜『易経』〜
<田辺聖子風「教える」>幸福な人はむつかしいことを考えたがる。世間話、噂話、等々。〜『苺をつぶしながら』〜
<凡人か、凡人でないか>朝から自問自答した、中村天風氏の言葉「凡人、真人、至人」。さて私自身はどうか?
蟹(カニ)は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。さらば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚〜
<嚶鳴の状況>物事が成り立つ時は、必ず同じ志や方向性を持つ人や物が共振共鳴して、引き寄せる。
<盛者必衰の理>満月が必ず欠けるように、物事も盈(み)ちれば、それは久しく続かない。〜『易経』〜
<田辺聖子風「教える」>幸福な人はむつかしいことを考えたがる。世間話、噂話、等々。〜『苺をつぶしながら』〜
<凡人か、凡人でないか>朝から自問自答した、中村天風氏の言葉「凡人、真人、至人」。さて私自身はどうか?