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2021年10月31日

「己れに克つ」〜西郷隆盛〜

「己れに克つ」〜西郷隆盛〜

【意訳】
 すべからく人は己れに克ことによって成功し、己れを愛することによって失敗する。

【解説】
 歴史上の人物をよくみるがよい。事業をはじめる人の大半がその事業の七、八割まではよく成し得るのに、残り二、三割まで成しとげる人は少ないのは、はじめはよく己れを慎み、事に対しても慎重に行うから成功もし名も顕われてくる。ところが、成功して有名になるに従って、いつのまにか自分を愛する心がおこり、畏れつつしみ自らをいましめるという気持ちが緩み、おごりたかぶる気分が生じ、その成功した事業をたのみに自分には何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついには失敗してしまう。
(以上、『名言の知恵 人生の知恵』より)

ちょっと引用が長くなりましたが、あの西郷隆盛は、「子孫に美田を残さず」を実践した偉人です。

よく紹介する『菜根譚』にも以下の訓示があります。

世俗から脱却する

[訳文]
 自己の心をしっかりと自分のものとすることがまだできなかったならば、自分自身を騒がしい俗世間から断ち切るのがよい。そうして自分の心をして、ほしいものを見ないようにして乱させないで、それによって自己の本来の清浄な本体を澄ますようにする。
(以上、『菜根譚』より)

108の煩悩から抜け出すのは、なかなか難しいですね。偉人たちもまた悩んでいたことを知ります。  


2021年10月20日

<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜

<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜

平家物語の冒頭の一節に「盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理」がある。

どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわす。 この世のすべての現象は絶えず変化し、栄えはずっとは続かない、いずれ滅びると述べている。

菜根譚には、以下の訓示もある。

「妻子も珍宝も身を助けず」

【解説】
 樹木は、秋になって落葉してしまって、そうした後に今までの花やうてな、枝や葉などがいたずらに栄えていたことがわかる。これと同様に、人間も、死んで棺のふたをする時になって、そうした後に子供や財宝もその人にとってなんの役にも立たないものであることがわかる。
(以上、『菜根譚』後集No.77)

この訓示は、何を言おうとしているのか?

>盛者必衰

盛りがあるものは、いつか衰える。

人間の人生もいつか終わる。

要は、生きている間に、何をするか?

それを忘れずに、後半生を生きて行くことが大事だと、人生が終わる時に、自らを振り返る時の教えが「妻子も珍宝も身を助けず」ではないかと思った。

今日も、くよくよせず、元気に過ごしたいと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:02Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ

2021年10月18日

人の心を満足させることはむずかしい。〜菜根譚〜

人の心を満足させることはむずかしい。〜菜根譚〜

最近、怨恨やストーカーから、放火殺人や複数人の殺傷事件が続けてニュースで報じている。人の欲望の腹いせからの恨みによる殺人の恐ろしさに、背筋が寒くなる思いを持つ。

『菜根譚』に、以下の訓示があった。

「人の心を御(ぎょ)し難い」

人の心を制御することが、いかにむずかしいか!

解説文にも、以下の言葉があった。

(以下、本より天才的

古い言葉にも「猛獣を降伏させることはやさしいが、人の心を降伏させることはむずかしい、深い谷を埋めることはやさしいが、人の心を満足させることはむずかしい」と言っている。
(以上、『菜根譚』後集No.64解説より)

猛獣や敵を降伏させることはできるが、自らの心を制御することはむずかしい。

目的を達成することはできるが、進化し膨れる欲望を抑えることはむずかしい。

古い時代にも、同じような人の営みがあったのだろう。自らの心とどう付き合って行くか、いくつになっても悩むことです。

陽明学に、抜本塞源論なる教えがあります。

心が欲する"悪意"の素を断つ。

"悪意=欲"の素ができることを抑え込む意志が大事、と王陽明は考えた。

欲望が表面化(心に留まる)する前に、断ち切ることが必要と説いている。

抜本塞源論は、老若男女の全ての人間に共通する人の欲望を抑える考え方です。

これは、"足るを知る(知足)"の教えよりもきびしい教えと思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:41Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ

2021年10月03日

一瞬にして結果を知る。これは常人にはできない直感力である。〜幾を知るはそれ神か(易経)〜

一瞬にして結果を知る。これは常人にはできない直感力である。〜幾を知るはそれ神か(易経)〜

あっ!

これって、社会が動く兆しではないのか、あるいは、数年後に、あれが今の変化をの兆しだったのではないか。

と思うことはありませんか。

長女が小学6年生の運動会は、9月末の24日だった。高橋直子さんが、オリンピックの女子マラソンで優勝した日でした。あれから21年、その運動会の日中の気温は30度を超えた。それまでの運動会は、秋の爽やかな季節として開催されていました。その年以来、毎年9月末に気温30度を体験するようになった気がします。今年の秋は、10月に入っても30度を超え続けている。今朝の予報では、10月11日まで気温30度を超える予報となっています。

21年で30度超えが、9月24日→10月11日に、今年だけが10月中旬まで真夏の暑さではなくて、毎年毎年秋が短くなっているように感じます。

今思えば、21年の前の運動会は、暑くてテントに居らず、多く人がグランド周りにある桜の木陰に移動した記憶がよみがえります。

今年は、コロナ禍で、多くの小学校が、午前中で終了の運動会のようで、今日の気温は32度の予報から考えても、昼前に終わるのは正解かもしれないと思います。

地球温暖化による気温の上昇は、20年前から急に上がってきたのではと、ふと振り返りました。

『易経一日一言』10月3日の訓示は以下です。

「幾を知るはそれは神か」

【解説】
「幾」とは、わずか、微妙な、機微を意味する。物事何大きく動く微細なきっかけであり、別の言い方をすると兆しである。
 たとえば、「桐一葉落ちて天下の赤を知る」(桐の一葉学生落ちるのを見て、天下衰亡の時と腑に落ちる)というかのように、一瞬にして結果を知る。これは常人には及ばない直感力であると易経はいう。
(以上、『易経一日一言』より)

易経の直感力を持つ人は、21年前の30度超えの時に、"これから気候変動が急速に始まる!"と気づくのでしょうが、一般人は、21年後にやっと、"あの頃から始まったのか!"と思い出すくらいが精一杯です。

しかし今年の残暑は、レベルが違います。今日の熊本は、32℃の予想、まるで真夏の気温です。10月になっても熱中症に気をつけなければならない。

近々開催される国連の環境会議は、気温上昇を抑制するような合意がなされることに期待します。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:00Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ易経