2011年04月29日
いざという時、日常の「志」がどこか問われる
いざという時、日常の「志」がどこか問われる
昨日から外回りが増え、PCの前に長く居れなくなりました。今日の昼食は、先輩方との会食+会議でした。我が家にGWは、3・4・5日がメインですので、平日は2日のみ、30日も仕事に使えるとしても、連休前の詰まった日程をどうやりくりするか、心がけが大事と思います。
話題は変わりますが、米沢藩の改革を行った上杉鷹山の師・細井平洲が訓示にしています。
・改革を阻む壁が3つある
一、ものの壁(物理的な壁)。
二、仕組みの壁(制度的な壁)。
三、心の壁(意識の壁)。
この三番目の「心の壁」を叩き壊すことが一番難しい。
また奈良本辰也著『葉隠』にも次の教示があります。
「何事でも不可能ということはない。一念発起すれば天地も貫き通すという。だから、できないのではない。ふがいないから、それを思い立たないのだ」。
常に人よりも早くの無鉄砲な人は、危なっかしくてしかたない。でも中には、動きながらも考えている人は、周りを動かし、目標を形成し、支援者を集めることが出来る人もいます。この違いは、日常の活動(事業)の「志(目的)」がどこを目指しているかが問われると思います。
*参考資料:童門冬二著「上杉鷹山と細井平洲」
奈良本辰也著「葉隠」
昨日から外回りが増え、PCの前に長く居れなくなりました。今日の昼食は、先輩方との会食+会議でした。我が家にGWは、3・4・5日がメインですので、平日は2日のみ、30日も仕事に使えるとしても、連休前の詰まった日程をどうやりくりするか、心がけが大事と思います。
話題は変わりますが、米沢藩の改革を行った上杉鷹山の師・細井平洲が訓示にしています。
・改革を阻む壁が3つある
一、ものの壁(物理的な壁)。
二、仕組みの壁(制度的な壁)。
三、心の壁(意識の壁)。
この三番目の「心の壁」を叩き壊すことが一番難しい。
また奈良本辰也著『葉隠』にも次の教示があります。
「何事でも不可能ということはない。一念発起すれば天地も貫き通すという。だから、できないのではない。ふがいないから、それを思い立たないのだ」。
常に人よりも早くの無鉄砲な人は、危なっかしくてしかたない。でも中には、動きながらも考えている人は、周りを動かし、目標を形成し、支援者を集めることが出来る人もいます。この違いは、日常の活動(事業)の「志(目的)」がどこを目指しているかが問われると思います。
*参考資料:童門冬二著「上杉鷹山と細井平洲」
奈良本辰也著「葉隠」
2011年04月26日
(今日の教示)「勝つ」ための条件-機会を読む
(今日の教示)「勝つ」ための条件-機会を読む
生きていると色々な場面で、競うことが起こる。奈良本辰也氏の著書「葉隠」に、次の一節があった。
(以下、転載)
成富兵庫という人が言うには「勝つということは、味方に勝つことである。味方に勝つということは、自分自身に勝つことである。自分自身に勝つことは、精神力で勝つことである・・・」とあった。
また、上杉謙信は「つねに勝つなどとは思っていなかった。ただ機会を逃さないことだけを身につけたのだ」と申されたそうだ。・・・(中略)
(以上、「葉隠」より)
出来事が熟す(タイミング)前には周りに変化が起こる。その変化に対応し、勝負の機運をどう引き込むかは、自分の感性を磨き、自分自身に負けないことが大事。
ここという時に決断する「克己心」こそ勝負に勝つ第一条件のように思う。
生きていると色々な場面で、競うことが起こる。奈良本辰也氏の著書「葉隠」に、次の一節があった。
(以下、転載)
成富兵庫という人が言うには「勝つということは、味方に勝つことである。味方に勝つということは、自分自身に勝つことである。自分自身に勝つことは、精神力で勝つことである・・・」とあった。
また、上杉謙信は「つねに勝つなどとは思っていなかった。ただ機会を逃さないことだけを身につけたのだ」と申されたそうだ。・・・(中略)
(以上、「葉隠」より)
出来事が熟す(タイミング)前には周りに変化が起こる。その変化に対応し、勝負の機運をどう引き込むかは、自分の感性を磨き、自分自身に負けないことが大事。
ここという時に決断する「克己心」こそ勝負に勝つ第一条件のように思う。
2011年04月25日
「動機善なりや、私心なかりしか」を常に問う
「動機善なりや、私心なかりしか」を常に問う
今朝読み返した稲森和夫氏の著書『「人生の王道」西郷南州の教えに学ぶ』に、次のテーマで一文があった。
>「動機善なりや、私心なかりしか」を常に問う
人の心を動かし、事業が成功へ導かれる状況を、英国の哲学者ジェームズ・アレン(1864~1913)が損説を稲森が解説しています。以下。本文より抜粋。
(以下、抜粋)
・・・、『「原因」と「結果」の法則』で、「純粋な心」にこそ人と社会を良い方向に導く素晴らしい力があると説きました。
事業でも政治でもそうですが、資金も地位もある人が知恵を絞り、企画を立て、戦略や戦術を練ってもなかなかうまくいかないことがあります。
ところが、非常にピュアな心を持った人が、純粋に物事を考えやり始めると、あれよあれよという間にびっくりするような成功を収めてしまうことがあります。純粋で美しい心、純粋な思いには素晴らしい力がある。大きな成功を遂げた人というのは、往々にして、そうして純粋な心から出発しているものだ。とジェームズ・アレンはいっています。
私も、リーダーと呼ばれる人が身につけるべきは、マキャベリズム(時には目的達成には手段を選ばない権謀術数主義)ではなく、アレンの説く、純粋な心であると確信しています。金や地位、権力、策略は、一点の曇りもなく心、誠心誠意の志の前に歯が立たないということは歴史が証明しています。真の偉業というのは、高潔で清らかな思いがあってこそ、多くの人の協力を得て成し遂げられるものなのです。(中略)
(以上、『「人生の王道」西郷南州の教えに学ぶ』)
リーダーの行動に私心があるか、常に問われている。これは、一般に一人ひとりの行動も検証されている。何の集まりであれ、ボランティア活動であれ、参加する自分自身の心と向き合うことは大事という先陣の教えと思います。
今朝読み返した稲森和夫氏の著書『「人生の王道」西郷南州の教えに学ぶ』に、次のテーマで一文があった。
>「動機善なりや、私心なかりしか」を常に問う
人の心を動かし、事業が成功へ導かれる状況を、英国の哲学者ジェームズ・アレン(1864~1913)が損説を稲森が解説しています。以下。本文より抜粋。
(以下、抜粋)
・・・、『「原因」と「結果」の法則』で、「純粋な心」にこそ人と社会を良い方向に導く素晴らしい力があると説きました。
事業でも政治でもそうですが、資金も地位もある人が知恵を絞り、企画を立て、戦略や戦術を練ってもなかなかうまくいかないことがあります。
ところが、非常にピュアな心を持った人が、純粋に物事を考えやり始めると、あれよあれよという間にびっくりするような成功を収めてしまうことがあります。純粋で美しい心、純粋な思いには素晴らしい力がある。大きな成功を遂げた人というのは、往々にして、そうして純粋な心から出発しているものだ。とジェームズ・アレンはいっています。
私も、リーダーと呼ばれる人が身につけるべきは、マキャベリズム(時には目的達成には手段を選ばない権謀術数主義)ではなく、アレンの説く、純粋な心であると確信しています。金や地位、権力、策略は、一点の曇りもなく心、誠心誠意の志の前に歯が立たないということは歴史が証明しています。真の偉業というのは、高潔で清らかな思いがあってこそ、多くの人の協力を得て成し遂げられるものなのです。(中略)
(以上、『「人生の王道」西郷南州の教えに学ぶ』)
リーダーの行動に私心があるか、常に問われている。これは、一般に一人ひとりの行動も検証されている。何の集まりであれ、ボランティア活動であれ、参加する自分自身の心と向き合うことは大事という先陣の教えと思います。
2011年04月20日
(西郷隆盛)感覚・感性を伴うような悩み、心配事はしない。
(西郷隆盛)欲望、怒り、愚痴の三毒を抑える。
今日は、晴天の熊本です。
(西郷隆盛遺訓から)欲望、怒り、愚痴の三毒を抑える
1.誰にも負けない努力を日々続ける。
2.謙虚にして驕らず。
3.反省のある毎日を送る。
4.生きていることを感謝する。
5.善行、利他行を積む。
6.感覚・感性を伴うような悩み、心配事はしない。
(松尾芭蕉)「夏草や兵どもの夢の跡」
松尾芭蕉は、「不易」「流行」を弟子たちに教えた。変わらない人の生業と、時代に合わせる生活。
原爆の後「広島には草も生えない」と言われたが、半年後には草が生えた。一瞬に消えた広島・長崎の街、人々の尽力で、65年の時を越え今が在る。
東電と福島の方々の軋轢、先の見えない不安、全ての怨念を無くすことはできないが、良き方向を目指す解決であることを願う。
今日は、晴天の熊本です。
(西郷隆盛遺訓から)欲望、怒り、愚痴の三毒を抑える
1.誰にも負けない努力を日々続ける。
2.謙虚にして驕らず。
3.反省のある毎日を送る。
4.生きていることを感謝する。
5.善行、利他行を積む。
6.感覚・感性を伴うような悩み、心配事はしない。
(松尾芭蕉)「夏草や兵どもの夢の跡」
松尾芭蕉は、「不易」「流行」を弟子たちに教えた。変わらない人の生業と、時代に合わせる生活。
原爆の後「広島には草も生えない」と言われたが、半年後には草が生えた。一瞬に消えた広島・長崎の街、人々の尽力で、65年の時を越え今が在る。
東電と福島の方々の軋轢、先の見えない不安、全ての怨念を無くすことはできないが、良き方向を目指す解決であることを願う。
2011年04月13日
一兵卒にいたるまで自分で指揮をとる意識が必要
一兵卒にいたるまで自分で指揮をとる意識が必要
ある本に、「経営者の目で自分を見直してみる」の一節があった。一部を抜粋します。
(中略)私は若いころに課長から「諸君ナポレオンの軍隊がなぜ強かったか知っているか」をいうのです。何を言うかと思ったら「君らそういってもわからんだろうけれども、ナポレオンの軍隊は、みんな背(はい)のうの中に、一兵卒になるまで元帥杖のおもちゃを入れた」と言うのです。
大将が討死にしたらその次が指揮をとる、その次が戦死したらその次が指揮をとる。最後の一兵卒にいたるまで自分で指揮をとるんだということですね。そういうことを教えたというんです。これは一人一人が責任感を持って会社のためにベストをつくすいういうことに通じますね。
先年、私は会社の最高幹部から始末書をとったことがある。このとき「一言言うけれども、オレは始末書を出す場所がないのだ」と言ったら、さすがにみんな黙って「すみません」と言って帰ったんですけれども、やはり中堅のみなさんは、上にはもちろん上司もおって相談もしなければならないけれども、自分の与えられたポストについては、自分が責任を持ってやっているんだという責任感を私は一番推奨したい」(中略)
組織であれ、地域であれ、あるいは被災地のボランティアであれ、全体を統括する幹部の補佐役は辛いものです。ただ、リーダーに何があるか分からないので、常に自分が責任者になった時にことを常に頭に置いて、日々の業務に関わることが大事と思います。
*参考資料:「男の値打ちは何で決まるか」
ある本に、「経営者の目で自分を見直してみる」の一節があった。一部を抜粋します。
(中略)私は若いころに課長から「諸君ナポレオンの軍隊がなぜ強かったか知っているか」をいうのです。何を言うかと思ったら「君らそういってもわからんだろうけれども、ナポレオンの軍隊は、みんな背(はい)のうの中に、一兵卒になるまで元帥杖のおもちゃを入れた」と言うのです。
大将が討死にしたらその次が指揮をとる、その次が戦死したらその次が指揮をとる。最後の一兵卒にいたるまで自分で指揮をとるんだということですね。そういうことを教えたというんです。これは一人一人が責任感を持って会社のためにベストをつくすいういうことに通じますね。
先年、私は会社の最高幹部から始末書をとったことがある。このとき「一言言うけれども、オレは始末書を出す場所がないのだ」と言ったら、さすがにみんな黙って「すみません」と言って帰ったんですけれども、やはり中堅のみなさんは、上にはもちろん上司もおって相談もしなければならないけれども、自分の与えられたポストについては、自分が責任を持ってやっているんだという責任感を私は一番推奨したい」(中略)
組織であれ、地域であれ、あるいは被災地のボランティアであれ、全体を統括する幹部の補佐役は辛いものです。ただ、リーダーに何があるか分からないので、常に自分が責任者になった時にことを常に頭に置いて、日々の業務に関わることが大事と思います。
*参考資料:「男の値打ちは何で決まるか」
2011年04月10日
わが家の桜が満開、東北震災調査の報告書を作成中
わが家の桜が満開、東北震災調査の報告書を作成中
丸4日の強行日程で、東北の視察と、被災地の方と語り、気付きや反省、さらに防災には絶対に「歴史の検証」が必要と感じました。私のブログ「野口修一の公式ブログ」の今回の視察・調査地の被害状況と感想を掲載しました。被害地の状況写真も掲載。

今日の熊本は晴天、家の新築時に植えたソメイヨシノが満開になりました。家の畑の桜も満開で、午前中仕事の妻が帰ったら、両親を伴って桜の名所見物に行こうかと思っています。ついでに今夜は、家族で花見の小宴でも開きましょうか。世は、宴(うたげ)を自粛するムードですが、私は人が集まり、被災地の思いを共有し、我々に何ができるか考え、できることを始めるような集いすれば良いと思っています。
・野口修一の公式ブログ http://noguchi-shuichi.at.webry.info/

もう一つが、家の庭入口に在る、ソメイヨシノです。これは、私の祖父が植えたもので、60年前くらいに池の脇にあります。池の世話をする祖父も居なくなり、鯉も居なくなりましたが、桜だけは毎年、綺麗な花を咲かせます。
裏の桜は、まだ15年ですが、桜も年を重ねると趣が出て来るものですね。訪問した東北は、梅が満開ででしたが、来週行く熊本支援チームのボランティアは、桜を見ることができるでしょうか。
陸前高田市に行った熊本女性ボランティアに、現地のボランティアグループから、花見の宴にお誘いがあったようです。現地でも、復興へ向け、明るい話題も作ろうとする雰囲気ができていると感じます。
丸4日の強行日程で、東北の視察と、被災地の方と語り、気付きや反省、さらに防災には絶対に「歴史の検証」が必要と感じました。私のブログ「野口修一の公式ブログ」の今回の視察・調査地の被害状況と感想を掲載しました。被害地の状況写真も掲載。
今日の熊本は晴天、家の新築時に植えたソメイヨシノが満開になりました。家の畑の桜も満開で、午前中仕事の妻が帰ったら、両親を伴って桜の名所見物に行こうかと思っています。ついでに今夜は、家族で花見の小宴でも開きましょうか。世は、宴(うたげ)を自粛するムードですが、私は人が集まり、被災地の思いを共有し、我々に何ができるか考え、できることを始めるような集いすれば良いと思っています。
・野口修一の公式ブログ http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
もう一つが、家の庭入口に在る、ソメイヨシノです。これは、私の祖父が植えたもので、60年前くらいに池の脇にあります。池の世話をする祖父も居なくなり、鯉も居なくなりましたが、桜だけは毎年、綺麗な花を咲かせます。
裏の桜は、まだ15年ですが、桜も年を重ねると趣が出て来るものですね。訪問した東北は、梅が満開ででしたが、来週行く熊本支援チームのボランティアは、桜を見ることができるでしょうか。
陸前高田市に行った熊本女性ボランティアに、現地のボランティアグループから、花見の宴にお誘いがあったようです。現地でも、復興へ向け、明るい話題も作ろうとする雰囲気ができていると感じます。
2011年04月05日
東日本大震災・熊本支援チーム「第2陣支援物資」積込み
東日本大震災・熊本支援チーム「第2陣支援物資」積込み
今朝は、福島県から熊本支援チームが招待している中学生グループを空港へ送る担当にお願いして、午後からの支援物資積込み準備を始めた。
今回は、自治体の支援物資呼びかけもあり、私たちは自治体が集めない、生活用品を中心に集めた。集まった量は、段ボール箱200個以上、12tトラックにいっぱいの量が集まった。
協力要請は、ツイッター、facebook、スタッフのブログ等で呼びかけて集まった方々は40名を越えた。衣服の仕分け、箱詰め作業は予定よりも30分早く終わり、午後4時には、積込みが終了した。今回2度目も言うこともあり、要領もよくなったようです。

今後の熊本支援チームの活動は、私が来週4月5~8日に、震災被害地域の、熊本県が支援する宮城県、熊本支援チームのボランティアが関わった、福島県北部、岩手県南部にも行きます。現地と情報交換しながら、呼びかけをしたいと思います。
特に、支援チームが招待した福島県相馬市には、ゆっくりと中学生グループと再会をして来たいと思っています。
沿岸部の被災地の状況を、自分の目で見て、「今後、何が必要か。どんな協力ができるか、意見を交わして来たい」と思っています。多分、行ってる時は、発信はできないので、帰って来てから詳しく現地の状況を報告したいと思います。
今朝は、福島県から熊本支援チームが招待している中学生グループを空港へ送る担当にお願いして、午後からの支援物資積込み準備を始めた。
今回は、自治体の支援物資呼びかけもあり、私たちは自治体が集めない、生活用品を中心に集めた。集まった量は、段ボール箱200個以上、12tトラックにいっぱいの量が集まった。
協力要請は、ツイッター、facebook、スタッフのブログ等で呼びかけて集まった方々は40名を越えた。衣服の仕分け、箱詰め作業は予定よりも30分早く終わり、午後4時には、積込みが終了した。今回2度目も言うこともあり、要領もよくなったようです。
今後の熊本支援チームの活動は、私が来週4月5~8日に、震災被害地域の、熊本県が支援する宮城県、熊本支援チームのボランティアが関わった、福島県北部、岩手県南部にも行きます。現地と情報交換しながら、呼びかけをしたいと思います。
特に、支援チームが招待した福島県相馬市には、ゆっくりと中学生グループと再会をして来たいと思っています。
沿岸部の被災地の状況を、自分の目で見て、「今後、何が必要か。どんな協力ができるか、意見を交わして来たい」と思っています。多分、行ってる時は、発信はできないので、帰って来てから詳しく現地の状況を報告したいと思います。
2011年04月02日
(支援物資集め)震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に
(支援物資集め)震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に
今日は、朝早くに目が覚めた。Webニュースに、震災の名称が決定とあり、「東日本大震災」とあった。昨日までNHKは「東北関東大震災」と呼び、他局は「東日本大震災」と読んでいた。呼称が、どうとかいうことではないが、統一したが良いなと思っていた。
■震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に(読売新聞 - 04月01日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1555504&media_id=20
> 菅首相は1日午後、首相官邸で記者会見し、今回の震災の呼び名を「東日本大震災」とすると発表した。持ち回り閣議で決定した。
実は、今回の大地震の復興支援に、16日に熊本の若者が集まりできた支援グループの名称は、「東日本大震災・熊本支援チーム」とみんなで名付けた。その後、民放とNHKが異なっていて「ややこしな」と思っていた。
熊本支援チームの第2陣の支援物資の集荷(2日10時~)・仕分け(3日13時~)・発送(4日)が、本日から始まる。多くの参加者が集まると良いなと思います。
荷物の集荷場所:熊本県宇土市役所正面駐車場
集荷時間:午前10時~16時(持ちこみのみ)
集荷荷物:6品目限定(お問い合わせください)
詳しくは、熊本支援チームのサイトを検索下さい。
http://www.kumamoto-team.net/
今日は、朝早くに目が覚めた。Webニュースに、震災の名称が決定とあり、「東日本大震災」とあった。昨日までNHKは「東北関東大震災」と呼び、他局は「東日本大震災」と読んでいた。呼称が、どうとかいうことではないが、統一したが良いなと思っていた。
■震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に(読売新聞 - 04月01日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1555504&media_id=20
> 菅首相は1日午後、首相官邸で記者会見し、今回の震災の呼び名を「東日本大震災」とすると発表した。持ち回り閣議で決定した。
実は、今回の大地震の復興支援に、16日に熊本の若者が集まりできた支援グループの名称は、「東日本大震災・熊本支援チーム」とみんなで名付けた。その後、民放とNHKが異なっていて「ややこしな」と思っていた。
熊本支援チームの第2陣の支援物資の集荷(2日10時~)・仕分け(3日13時~)・発送(4日)が、本日から始まる。多くの参加者が集まると良いなと思います。
荷物の集荷場所:熊本県宇土市役所正面駐車場
集荷時間:午前10時~16時(持ちこみのみ)
集荷荷物:6品目限定(お問い合わせください)
詳しくは、熊本支援チームのサイトを検索下さい。
http://www.kumamoto-team.net/
2011年04月02日
政治を司るものは、国民の幸せのため全知全能を使って欲しい
(統一地方選)政治を司るものは、国民の幸せのため全知全能を使って欲しい
今日から、統一地方選挙である。被災地域は、選挙延期が決まったが、他の地方自治体は、予定通りに行われる。首都決戦、地域政党と話題は多いが、この国難に何を訴えるか、とても重要な候補者の「公約」が問われると思います。
明治の元勲西郷隆盛の訓示があります。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業な成し得られぬなり」-西郷隆盛-
文明国を目指し、先端技術を磨き続けて来た日本に、大きな試練が来ている今、リーダーの存在感が増しています。
また、被災地では懸命の努力が続けられています。今朝にニュースで、避難場所で地域からもらった教材で勉強する高校生の姿がありました。死の恐怖を味わった経験の中でも、前向きに生きようとする姿に、熱くなるものを感じます。
イギリスの哲学者ホップスの言葉に次に一節があります。
「人々を平和にむかわせる諸情念は、死への恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意欲であり、かれらの勤労によってそれを獲得する希望である」-ホップス(哲学者)-
希望を持つこと、それに向け現状の中から、手立てを見つけ、懸命に努力することからしか、何も始まらない。勝海舟も「今の現状から考える」ことを龍馬たちに教示したと言われます。
厳しい環境がだからこそ、人は鍛えられ、やさしさが育つと思います。国難の時、国も地方も、政治を司るものは、立場とか、地位とかに拘らず、国民の幸せ、平和の実現すべく、全知全能を使い、取り組んで欲しい。
これは、私自身も胆に銘じ、日々行動することが必要と思いっています。
*参考資料:岩波文庫「ことばの贈物」
今日から、統一地方選挙である。被災地域は、選挙延期が決まったが、他の地方自治体は、予定通りに行われる。首都決戦、地域政党と話題は多いが、この国難に何を訴えるか、とても重要な候補者の「公約」が問われると思います。
明治の元勲西郷隆盛の訓示があります。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業な成し得られぬなり」-西郷隆盛-
文明国を目指し、先端技術を磨き続けて来た日本に、大きな試練が来ている今、リーダーの存在感が増しています。
また、被災地では懸命の努力が続けられています。今朝にニュースで、避難場所で地域からもらった教材で勉強する高校生の姿がありました。死の恐怖を味わった経験の中でも、前向きに生きようとする姿に、熱くなるものを感じます。
イギリスの哲学者ホップスの言葉に次に一節があります。
「人々を平和にむかわせる諸情念は、死への恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意欲であり、かれらの勤労によってそれを獲得する希望である」-ホップス(哲学者)-
希望を持つこと、それに向け現状の中から、手立てを見つけ、懸命に努力することからしか、何も始まらない。勝海舟も「今の現状から考える」ことを龍馬たちに教示したと言われます。
厳しい環境がだからこそ、人は鍛えられ、やさしさが育つと思います。国難の時、国も地方も、政治を司るものは、立場とか、地位とかに拘らず、国民の幸せ、平和の実現すべく、全知全能を使い、取り組んで欲しい。
これは、私自身も胆に銘じ、日々行動することが必要と思いっています。
*参考資料:岩波文庫「ことばの贈物」
2011年04月01日
東日本大震災)此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
(東日本大震災)此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
(読売新聞 - 03月30日 07:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1551817&media_id=20
>過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影
>「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
>東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
>「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
>本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
>地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
>地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
・平安時代の869年に起きた「貞観津波」
2009年、国の総合エネルギー調査会の原子力委員会で、平安時代の869年に起きた「貞観津波」の痕跡を調査した研究者が、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが、先週日曜の地元紙に掲載された。
・東電は十分な情報がないと引上げを難色
東電は、「十分な情報がない」として地震想定の引上げを難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張。津波想定は先送りされ、地震想定も変更されなかった。この時点で非常電源など設備を改修していれば原発事故は防げた可能性があり、東電の主張を是認した国の姿勢も厳しく問われそうだ、とあった。
・最大危機に備える準備を怠った
原発事故は、今回の状況からして、多大で、多くの人々に影響を与えることは、分かっていたことだと思うが、東電も国も、過去の最大危機に備える準備を怠ったことに原因があるように思う。
先人の教示「此処(ここ)より下に家を建てるな!」が、住民を救った。
2009年の過去からのメッセージを、東電も国も、真剣に検討していれば、ここまで世界を恐怖に陥れるような、原発事故には成らなかった可能性がある。電力会社の過信が、原因と思われる。
■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
(読売新聞 - 03月30日 07:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1551817&media_id=20
>過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影
>「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
>東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
>「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
>本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
>地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
>地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
・平安時代の869年に起きた「貞観津波」
2009年、国の総合エネルギー調査会の原子力委員会で、平安時代の869年に起きた「貞観津波」の痕跡を調査した研究者が、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが、先週日曜の地元紙に掲載された。
・東電は十分な情報がないと引上げを難色
東電は、「十分な情報がない」として地震想定の引上げを難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張。津波想定は先送りされ、地震想定も変更されなかった。この時点で非常電源など設備を改修していれば原発事故は防げた可能性があり、東電の主張を是認した国の姿勢も厳しく問われそうだ、とあった。
・最大危機に備える準備を怠った
原発事故は、今回の状況からして、多大で、多くの人々に影響を与えることは、分かっていたことだと思うが、東電も国も、過去の最大危機に備える準備を怠ったことに原因があるように思う。
先人の教示「此処(ここ)より下に家を建てるな!」が、住民を救った。
2009年の過去からのメッセージを、東電も国も、真剣に検討していれば、ここまで世界を恐怖に陥れるような、原発事故には成らなかった可能性がある。電力会社の過信が、原因と思われる。