2011年04月01日

東日本大震災)此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う

(東日本大震災)此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う

■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
(読売新聞 - 03月30日 07:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1551817&media_id=20

>過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影

>「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

>東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

>「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

>本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

>地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

>地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

・平安時代の869年に起きた「貞観津波」

 2009年、国の総合エネルギー調査会の原子力委員会で、平安時代の869年に起きた「貞観津波」の痕跡を調査した研究者が、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが、先週日曜の地元紙に掲載された。

・東電は十分な情報がないと引上げを難色 
 東電は、「十分な情報がない」として地震想定の引上げを難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張。津波想定は先送りされ、地震想定も変更されなかった。この時点で非常電源など設備を改修していれば原発事故は防げた可能性があり、東電の主張を是認した国の姿勢も厳しく問われそうだ、とあった。

・最大危機に備える準備を怠った
 原発事故は、今回の状況からして、多大で、多くの人々に影響を与えることは、分かっていたことだと思うが、東電も国も、過去の最大危機に備える準備を怠ったことに原因があるように思う。

 先人の教示「此処(ここ)より下に家を建てるな!」が、住民を救った。

 2009年の過去からのメッセージを、東電も国も、真剣に検討していれば、ここまで世界を恐怖に陥れるような、原発事故には成らなかった可能性がある。電力会社の過信が、原因と思われる。


同じカテゴリー(東日本大震災)の記事画像
岩手、宮城、福島3県などで被災した約29万人は今も避難生活が続く
東日本大震災・熊本支援チーム「第2陣支援物資」積込み 
厳しい避難生活、原発事故の拡大、復興と人々の行動
東日本大震災・熊本支援チーム 出発 
同じカテゴリー(東日本大震災)の記事
 日本の危機管理(政治)、人口分散と地域力に頼る経済(里山資本主義)に思う。 (2014-05-27 10:06)
 危機を乗り切るのは、最後は決して諦めない根性があるか。 (2014-05-05 11:08)
 <新聞週間>新聞を読む習慣を若者たちへ伝える。 (2014-04-08 07:40)
 岩手、宮城、福島3県などで被災した約29万人は今も避難生活が続く (2013-09-11 08:24)
 仕事も生活も、危機対応(有事)の心構えがあるかが問われる。 (2013-07-31 07:11)
 基準の200倍の地下水汚染に、原子力規制委員会は「元がはっきりしない?」 (2013-07-11 10:13)

Posted by ノグチ(noguchi) at 01:20│Comments(0)東日本大震災
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。