2011年02月27日

宇土市の光通信網の普及率は約25%

宇土市の光通信網の普及率は約25%

PCの前で、3月議会の質問原稿を思案中です。
 私の住む「(熊本県)宇土市」の光通信網の普及率は、約25%です。現代のようなネット社会になり、ネット環境では、都市部の人材をUターン、Iターンの受け入れることができない。地元行政の「情報インフラ」に対する考えの甘さと、情報産業の将来展望のお粗末さにあると感じます。

 3月議会で、自治体の企業誘致担当は「企業が来ない」と嘆く前に、大都市と同じ情報環境(インターネット)を整備もしないで、「来ない、来ない」と言わないでくれ、と言いたい。

 日本の地方都市は、役所の庁舎周辺は光通信網の敷かれているが、過疎の地域では旧来の電話網をまだまだ使ってのネット環境です。過疎ほど、素晴らしい自然があります。その自然環境をLiveでネット中継(Uチューブ、Uストリーム、等)をすれば、環境に関心のあるローハスな市民が興味を持ちます。日本の地方にこそ、光通信網の整備が必要と思考えます。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:06Comments(0)私の意見

2011年02月26日

現代に必要な「人間力」とは

現代に必要な「人間力」とは

堀田氏の著書に、「人間力」ついて一節がありました。

(以下、抜粋)

一、生きることが楽しく、活気あふれ、難しい課題に出会ってもこれに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力にあふれた人。
二、自分で目標を立てることができる人。
三、目の前の状況を自分の目で正しく認識し、前進するために何が問題かを把握できる人。四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲にあふれた人。 上記のような人材を養成するには、すべての人がそれぞれにもつ多様な能力を適性に応じて伸ばす教育を、社会総がかりで行うことが必要です。
(以上、「人間力の育て方」) 

 新しい段階の日本が求めるのは、それまでの段階で要求された人材とは正反対の人材で、自分の頭で考え、自分で目標を実現できる行動力のある人です。

痔部の頭で考える人間が、これから必要と思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:39Comments(0)意見・異見

2011年02月23日

-リーダーの存在意義-「人を離れて、事は無い」(安岡正篤)

-リーダーの存在意義-「人を離れて、事は無い」(安岡正篤)

昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生は、「人を離れて、事は無い」とか「一国の興亡は、すべて人物の有無による」という主旨の意義をよく力説され、人間学乃至、人物学の重要性を教示されます。

 とくに、人物たることの内容として、

 一、活力・気魂・性命力を旺盛にすること。
 一、真の元気は、理想精神を持った志気であること。
 一、自ら義利を弁え、見識・胆識を養成すること。
 一、自ら清廉・正直であり、不変の気節を操守すること。
 一、自ら絶えず練磨して、器度や識量を大きくすること。
 一、自らの性命を躍動させ、温籍・風格を具備すること。

などを挙げておられます。この7つの教示を、学ぶ学問所が必要と思っています。江戸時代の儒学者で、多くの君主に影響を与えた細井平州は、7つの理念を学び、実践することに意義があると訓示しています。政治家、行政官、リーダーたちの日々の生き方そのものが大事と思います。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:17Comments(1)安岡正篤語録

2011年02月22日

「新幹線物流シンポジム」-未来の高速鉄道貨物輸送-

第8回 新幹線物流実現のための勉強会

「新幹線物流シンポジム」-未来の高速鉄道貨物輸送-

 昨年6月から続けて来ました、新幹線での貨物輸送「新幹線物流」の勉強会は、これまで7回の学習会を重ね、色々な問題点・課題に気付きました。最大の問題は、昭和33年に開発が始まった新幹線計画、元々貨物輸送が有りましたが、オリンピック開催を優先するため、貨物車両・貨物駅の実施が計画から消えました。
 課題だったレール、橋脚等の耐力には、なんの問題もなく、ヨーロッパでも超高速鉄道の貨物輸送は既に実施され、世界の要望は、「人+貨物」の高速鉄道が必要です。

化石燃料の高騰、都市環境の悪化、トラック運転手の死亡率の高さ等々から、21世紀には市民の要望として、高速鉄道の貨物輸送を広めたいと思います。九州では佐賀で、北海道でも貨物新幹線の研究が始まっています。
新幹線貨物は、貨物駅を作るのではなく、車両基地の一部にトラックターミナルを設置する計画で、高架からの引き込み線の延長工事だけで済みます。新鮮な九州の農産物・海産物、あるいは半導体等の先端産業関連物資等々、多くの需要があると見込まれています。

 石油、天然ガス、ウラン等は、生産量はピークにあり、今後は下降に転じます。新興国の今後の需要を考えると、海外の化石燃料に頼る物流の仕組みでは、日本では持続できなくなる可能性があります。限りある地下資源を長く使うためにも、新幹線物流を実現する必要があります。また世界の要望である「人+物」を運ぶ新幹線を日本が完成させ、世界の物流システム市場へ向かうことも重要と思います。

 そんな日本の新産業開発の烽火(のろし)を、熊本から発信したいと思います。今回は、JR九州の初代会長の石井幸孝氏をお招きし、高速鉄道の物流の未来をテーマに基調講演を頂き、経済産業省、農林水産業界、マスコミ等の専門家を招き、パネルディスカッションも開催します。
未来の物流システムと、九州の産業活性化の夢を膨らませる機会になればと思っています。熊本県央域だけでなく、九州各地からたくさんの参加をお待ちしています。

            記

日  時  2011年02月23日18時~21時
場  所  宇土市民会館大会儀室(定員150名)
      熊本県宇土市新小路町123(0964-22-0188)
基調講演  石井幸孝氏(JR九州初代会長)
演  題  (仮)新幹線の貨物輸送の未来 60分

パネルヂィスカッション 80分

参 加 費  1,000円(資料代)

主  催  NPO法人青年協議会
後  援  地域づくり推進協議会、熊本県青年塾、環境共生施設研究所、
      
問合せ先  NPO法人青年協議会
      熊本県宇土市宮庄町430
      Tel 0964-27-6011 
Fax 0964-27-6211
Email : info@seinen-kyougikai.jp

<申込み方法>
氏名、所属、住所、連絡先を明記し、上記のメールアドレスへ送付ください。
九州で初めての新幹線物流のシンポジウムで、会場に限りがあります、早めの申し込みをお願いします。市民会館、及び市役所駐車場がありますので、車の参加は大丈夫です。

ブログの管理人(野口)でも申し込みを受け付けます。解らない点は、ご質問ください。
野口 Email : aande@lime.ocn.ne.jp   


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:31Comments(0)宇土の出来事

2011年02月20日

「一期一会」初めて会ったのフレッシュな出会いと別れを感じる

「一期一会」初めて会ったのフレッシュな出会いと別れを感じる

上杉鷹山について、童門冬二氏の講演記録から抜粋、これは童門氏とある禅僧との会話から、

(以下、転載)
 禅僧が、「一期一会をという言葉を知っているか」と聞くのです。「知っています」と答えると、
「どういう理解をしている?」
「一期というのは人が生まれてから死ぬまでの一生・生涯、一会というのはその一生にたった一度しか会えない人、あるいは機会、チャンス、こう理解しています」
「つまらんね。どっかの本で読んで真似しているだけじゃないか。そんなもんじゃないよ」
「ちがうんですか?」
「ちがう。朝、たとえば会社に言って、おはようございますと言った相手がどんな顔馴染みでお前の言う嫌いな相手であっても、そのとき初めてこの人と会ったんだというフレッシュな出会いを感じる。これが一つ・二つ目は夕暮れに仕事を終えて、さようなら、お疲れ様と言うとき、もう二度と会えないかもしれないと思いなさい。つまり朝はフレッシュな出会い、夕暮れの別れは緊張感をもった別れ。そして、緊張感を持った別れから逆算した朝のフレッシュな出会いという意識があれば、勤務中の八時間かそこらの間には必ずお前だって三通りに出会っていることが分かるはずだよ。
1.学べる人 2.語れる人 3.学ばせる人の三通りだ。
学べる人という師、語れる人というのは友(朋)、そして学ばせる人というのは後輩とか部下とか子どもとか、そういう人。しかもその関係は、固定的ではなくて始終移動する。たとえば今年採用したばかりの若い職員が職場で駆け込んできて、『出勤電車でこういう経験をしました。これは課長がかねてからおっしゃっていた、わが社の危機のケーススタディーになるんじゃないですか』と言ってお前を感心させたとすろ。この時の課長は、新規採用の社員を指導する立場ではなくて、教えを受ける立場になっている。上下関係がひっくり返っている。こんなことは、八時間の間にいろんなケースがあるだろう。それが本当の一期一会だよ」
と、こう言われました。そして、
「お前は考えがたりない。だから死ぬまで苦しみなさい」と、いうことでした。
 (以上、童門冬二講演会「今、平州先生に学ぶ」から抜粋)

師、友(朋)、後輩(部下)、の3つに分類される。

>1.学べる人 2.語れる人 3.学ばせる人の三通り。

>朝、たとえば会社に言って、おはようございますと言った相手がどんな顔馴染みでお前の言う嫌いな相手であっても、そのとき初めてこの人と会ったんだというフレッシュな出会いを感じる。これが一つ・二つ目は夕暮れに仕事を終えて、さようなら、お疲れ様と言うとき、もう二度と会えないかもしれないと思いなさい。

今回のお坊さんの教示は、心貫くものがあります。
謙虚、倹約、勤勉、そこから大きな展開が広がると思います。
成功するもしないも、結果がものをいう仕事と思います。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:07Comments(0)リーダーの名言

2011年02月20日

上杉鷹山の師細井平州私塾「嚶鳴(おうめい)館」と「父母の心」

上杉鷹山の師細井平州の私塾「嚶鳴(おうめい)館」と「父母の心」

 2月16日~18日まで、四国の愛媛県へ政務調査に行った。地産地消、演劇による地位文化活性化、ボートレースの場外船券売り場(ボートピア)、精神的を病(うつ病、引きこもり等)の改善を目指すNPO法人、松山市議と松前町議との意見交換、日本食研㈱本社の工場見学、等々、盛りだくさんの調査と意見交換を交わして来ました。
 愛媛は、江戸期に「伊予」地域と呼ぶでいました。江戸期に、大きな功績を残した伊予西条藩主から紀伊の徳川家の藩主になった、徳川治貞公の師である細井平州を思い出した。細井平州は、江戸後期の名君であり、経済の天才的な君の上杉鷹山の師であります。細井平州の人柄を表わした言葉に次の一節があります。

(本文)
「細井先生の講釈は、難しいことをわれわれの頭に合わせて易しく教えてくださる」
「世の学者には、易しいことをわざわざ難しくいって自分の利口ぶりを語る人が多いが、細井先生は違う。細井先生こそ、本当に頭がいいのだ。易しいことをわざわざ難しく語る学者は、本当は馬鹿なのだ」
 細井平州は、江戸の街頭に立って辻講釈を始めた。場所は人が沢山通る両国橋を選んだ。
 (以上、童門冬二著「上杉鷹山と細井平州」)

 上記の講演をする中で、少しづつ塾生も集まった来ました。その平州の人柄を表わすエピーソードがあります。童門冬二著の「上杉鷹山と細井平州」から抜粋します。

(本文)
 細井平州の師の中西淡淵(たんえん)が死んだ。まだ四十四才若さだった。平州は悲しんだ。師を失った多くの弟子たちは、「引き続き先生のところで学ばせて欲しい」と大挙して細井平州のところへやって来た。平州は受け入れた。このため、たちまち門人が増え、塾が狭くなった。そこで門人たちも心配して大増築を始めた。塾は、宝暦三年(1753年)に改築された。平州はこの塾に名前をつけた。
「嚶鳴(おうめい)館」
である。嚶鳴というのは、雌雄(メスオス)の鳥がオウオウと鳴き交わすことをいう。しかしこれは何も腹が減って餌を求めるわけでも、また愛を囁(ささ)いているわけではない。これが転じて、
「朋有が互いに切磋琢磨して、学問に励む」
という意味を持つようになった。
 (以上、童門冬二著「上杉鷹山と細井平州」)

嚶鳴(おうめい)館の生い立ちをご理解いただけましたでしょうか。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:43Comments(0)偉人

2011年02月18日

剛毅と衿持と確固不動の精進と向上心

剛毅と衿持と確固不動の精進と向上心 

今日この日から始めるのだ。きみ自ら剛毅と現実と衿持(きょうじ)と確固不動の精神と普段の向上心を身につけて、君自身の人格をもって確立、これを世にしめすまで安じてはならない。


(感想)
日々の精進こそ、自分を鍛錬する最善の方法。常に高い目標を持ち、多様な興味と行動こそ自分を向上させる。 

*出典:ホイットマン著『草の葉』





  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:44Comments(0)

2011年02月17日

【人間力】 歌手・加藤登紀子さんの原点「命の手応え」

【人間力】 歌手・加藤登紀子さんの原点「命の手応え」

致知出版社の「人間力メルマガ」から、転載します。今日の文に、私の意見は書きません。

(以下、転載)

  「命の手応え」
    加藤淑子(元レストラン「スンガリー」経営者)
……………………………………………………………………………………

 わが郷愁の街、ハルビン──。
 
 戦前、「極東のパリ」と呼ばれたこの美しい街と
 そこに暮らした人々への愛と尊敬の気持ちは、
 帰国から六十年の歳月が過ぎたいまも消えることはありません。

 二十歳から十一年間を過ごした現地での生活を、
 孫や曾孫たちのために残しておきたいと筆を執ったのは、
 九十歳を迎えた昨年のことでした。

 思い出すままに綴った原稿は二百枚にも及び、
 とりわけ強い関心を示したのが、
 現在、芸能活動をしている娘の登紀子です。
 
 「もっとディテールを克明に」と
 深夜零時から聞き取りが始まり、
 毎晩二時間近く尋問のようなやりとりが行われました。
 
 ハルビンで生まれ、二歳半で引き揚げを体験した
 娘にとっても格別の思いがあったのでしょう。


 私がハルビンへ渡ったのは昭和十年、
 主人と結婚した二十歳のことでした。
 
 当時、ハルビンは日本と満州の支配下にあり、
 故郷を追われたロシア人たちが過ごしていましたが、
 神を信じ、誇り高く生きる彼らの生活には、
 どこか美しいロシアの匂いが息づいていました。
 
 世間体ばかりを気にする日本人に窮屈さを
 感じていた私にとって、彼らの暮らしに対する憧れは強く、
 ロシア人宅に間借りをして幸福な日々を過ごしていました。


 しかしそんな生活も長くは続きません。
 
 平和だったハルビンにも戦争の影が忍び寄ってきて、
 主人は徴兵されていきました。
 
 その頃生まれた赤ん坊に「世紀が登るように」と
 "登紀子"と名づけたのは、そんな私たちが
 未来に託した希望であったかもしれません。

 戦局は日ごとに激しさを増していく中、
 幼子三人を抱えたまま終戦を迎え、
 私たちはトラックで収容所へ連行されました。
 
 そこには七十名の婦人とその子どもたちがいましたが、
 敗戦のショックからか、誰もが憔悴した表情を見せています。

 まもなくするとソ連兵による略奪行為が始まり、
 金めのものはすべて持ち去られたほか、
 ラジオのコードを切断され、情報源を失いました。
 いつ来るかもしれぬソ連兵に怯える日々が続きます。


 ある朝、「ソ連兵が来たぞ! みんな外へ出てくださいっ」
 という大きな声に慌てて外へ飛び出すと、
 トラックに乗った大勢の兵隊たちが
 門の垣根を越え建物に侵入してきます。
 家財道具がみるみるうちに運び出されていくのが見えました。


 日暮れ時に恐る恐る戻ってみると、
 お金や食糧の隠してあった畳は引っ剥がされ、
 辺りにはずたずたにされた襖や衣類が散乱しています。

 女性たちの中には兵隊による強姦を恐れ、
 「女」を見せまいと髪をくしゃくしゃにし、
 顔を炭で汚す人もいました。
 しかしそれでは人間扱いされるはずもありません。
 
 ソ連兵も人間ならば、収容所にいるのも同じ人間。
 ならば私は、人間としての尊厳を
 相手に認めさせるしかないと思いました。


 ある日、自動小銃を構えたソ連の将校が押しかけてきて
 「武器があるか調べにきた」と尋ねます。
 そのまま、ずかずかと上がってこようとする兵隊に、私は
 
 
 「ここは私たちの眠る場所です。
  畳の上を靴で歩かないでください」
  
  
 と強い調子で言いました。
 すると兵隊も馬鹿にした素振りは見せません。
 
 こちらが毅然とした態度で振る舞えば、
 相手もちゃんと敬意をもって接してくれることを、
 この時身をもって知りました。


 その後、人形作りや洋裁をして、
 中国人やユダヤ人から賃金を得ていましたが、
 やがて引き揚げ協定が成立し、
 在留邦人による引き揚げが始まりました。

 日本への船が出る錦州のコロ島まで、
 ハルビンから実に八百キロの距離。

 雨に吹きさらされる無蓋列車の旅で、
 途中にある鉄橋が爆破され、
 十二キロの距離を自分たちで歩かねばならないという
 過酷な旅です。
 
 私は食糧や衣類などをリュックに詰め込めるだけ詰め込み、
 子どもたちには夏服の上に冬服を重ねて着せました。
 
 夕刻に千人余りの日本人を乗せ走り始めた列車は
 昼近くになって停車し、下車すると線路を伝う
 長蛇の列ができていました。

 長男と長女にリュックを背負わせ、
 登紀子を胸に括りつけた私は、
 後ろに重いリュックを背負いました。
 
 思うように足が進まず、子どもたちの姿が
 どんどん見えなくなっていきます。
 肩にリュックの紐が食い込んで足がいうことを聞きません。

 そこで登紀子を背中におぶることにし、
 リュックを線路上に引きずって歩き出しましたが、
 線路が切れて砂地になると、
 リュックがめり込んで歩けません。
 
 私は背負った登紀子を下ろし、厳しい調子でこう言いました。


「あんたが自分で歩かなければ死ぬことになるよ」


 まだ二歳半だった登紀子にこの意味が
 通じたかどうかは分かりません。
 しかし登紀子は泣きもせず、
 一歩一歩自分の足でゆっくりと歩き始めたのでした。


 明日の命は分からないが、
 とにかくきょうを生きている──。


 その命の手応えが、私たちの生きる唯一の証しでした。

 帰国後、主人が開いたロシア料理店の切り盛りに洋裁、
 子育てとその日々は多忙と困難を極めましたが、
 私は自分の生きる道を見失うことはありませんでした。
 
 どんな状況に置かれても、周りの環境や情勢に流されず、
 肝心なことは自分の頭で決める、
 自分の足で歩くということの大切さを、
 この身を通じて知っていたからです。

 どれだけ時代は巡ろうと、人間の運命は
 いまを生きる私たち自身の意志によって
 切りひらかれていきます。

…………………………………………………………………………………

人間は、自分の意志の力こそ、命をつなぐ原点なのかもしれません。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:40Comments(0)意見・異見

2011年02月16日

政治は最大多数の最大幸福を目指す(ジェレミ・ベンサム)

政治は最大多数の最大幸福を目指す(ジェレミ・ベンサム)

~エジプト政権崩壊、「地方自立政策研究所」(穂坂邦夫氏)、他~

 エジプトの政権崩壊は、北アフリカのチュニジアが市民が、政権打倒を掲げデモ活動を命がけで達成し、そのドミノ効果で、エジプト国民の思いにそぐわないとムバラク大統領は即時辞任となった。

 今朝の新聞に、デモ隊の結集した公園や道路を掃除ずる若者のことが書かれていた。その若者は、「これまでエジプトは、自分の国と思えなった。でも今は違う、きれいな街にしたいと思う。6ヶ月すると、公正な選挙が行われ、新たな国づくりが始まる」とあった。共感できる国、共感できる政治が始まることに期待をかけている。

 ムバラク政権時代は、「コネ社会」、仕事や市民活動も同じようなものだったようだ。30年トップが変わらない政治機構は、やはり疲弊し、変化がない。問題は、これからの国造りを、次期指導者が民意を入れた仕組みを作れるかにあると思う。

 一作日から。今度は、イタリア首相の辞に要求が、イタリア各地で始まった。これは、イタリア首相の女性問題が発端となっている。民衆の力が、政治リーダーの交代をさせる力を付けて来た。民主化なのか、民衆迎合を非難されるのか、それは今後の歴史が評価すると思う。

 さて、日本の地方政治が、問われている。阿久根市、名古屋市では、地方議会の機能不全(形骸化)の考えを持つ、首長が市民へメッセージを送り、議会改革へ手を付け始めている。阿久根は、1回目は勝利したが、2回目の選挙は新人が勝った。名古屋は、これから議会選挙へ向かうようだが、その義会自体のこれまでの活動内容が表へ出て来ない。
 小泉政権の政治改革が注目差得る時期に、埼玉県志木市の行政改革・議会改革が注目を集めていたことを、記憶している人は少ないと思います。

1.市の全事業を公募の市民委員会が精査する「事業仕分け」
2.教育研究会から市民参加型学校に変更する「教育員会廃止」
3.行政執行部、市民員会、議会で次年度予算をそれぞれ作り、公開で評価を闘わせる

この3つだけでもすごいのですが、1990年代後半に始まった地方分権法の推進者として、先頭に立ったのが志木市の前市長穂坂邦夫氏の政策展開は、スピード感があり、市民の意見が多く反映させるものだった。
 穂坂氏は、NPO法人「地方自立政策研究所」を現在運営し、全国で地方自立の講演会やシンポジムで、自分の理論を広げている。「行政が変わらなければいけない」「議会も、行政のチャック機関だけではいけいない。政策論議をできる力が必要」「市民の政策の関わることが重要」と、独自の政治論議で、地方活性化に警鐘を鳴らしている。
*NPO法人「地方自立政策研究所」
 http://www.jiritsuken.org/

 今年の熊本大学の実践のまちづくり講座で、ハーバード大学の政治哲学のビデオを少し見てもらった。サンデル教授の講義で、政治学者ジェレミ・ベンサムの理論が紹介された。ベンサムの名言に、
「あらゆる政治的共同体における統治の正しく適正な目的は、その社会を構成するすべての諸個人の最大幸福、いいかえれば最大多数の最大幸福である」
がある。
 エジプトのムバラク政権は、市民意識から国家あるいは地域への愛着を無くさせるような遠い政治を行っていた。
 日本の地方行政も、市民から遠い存在であってはいけない。前志木市長の穂坂氏の考える市民感覚の地域づくりを、行政職員も議会議員も、常に検討に置き、日々の言動をしっかりと続けることが必要と思う。そうしないと、エジプトや阿久根市のような、市民運動が起こりえる可能性はどこにあると思う。
 そして政治家(リーダー)の理念と実践こそが、国民の心を動かし、国を良くしようと思う行動を起こさせるようでなくてはならない。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 00:59Comments(0)意見・異見

2011年02月13日

「予見と言動」遠慮なければ必ず近憂あり(論語)

「予見と言動」遠慮なければ必ず近憂あり(論語)

 守屋洋著「中国古典一日一話」に冒頭の一節があった。この遠慮は、気がねするの意味ではない。文字通り遠きを慮(おもんぱか)るの意味である。だから、「遠いところまで見通して対策を考えておかないと、近いところで足をすくわれることになる」と訳せるだろう。
 なんだそんなことかと思われるかもしれない。見識のある人でなくても、ちょっと気のきいた人間なら、誰でも口にしそうな言葉である。だが、一見、平凡であるが、いざ実行するのは、なかなかむずかしい。中国古典の『左伝』にも、
「君子は遠慮あり、小人は近きに従う」
 とある。とにかく目先のことにとらわれて、うろうろ、おたおたしがちなのが、われわれの常だ。
 では、遠慮とはどの程度の先を目指しているのか。少なくとも十年ぐらいは射程に入れておかなければならないと思う。このくらいの「遠慮」があれば、かなりの程度の「近憂」を避けることができるにちがいない。

 中国の賢人たちの言葉には、なるほどと納得させられる。人間、日々の生活で自分を省みるゆとりがない時が多々ある、でも、自分の言動を常に後世に人が検証したらどうか、言動を謙虚に見つめる時間が必要だと思います。
 どんなに密室の議論でも、必ず周りにもれて行く。更に、口伝えに自分や家族、友人に伝わるものです。「勇気、判断、尊厳、献身」がアメリカ大統領の50年後、100年後の評価を基準だそうだが、今生きるリーダーたちは、常にその4つの尺度を考えて、言動を行う必要があると思う。

 そういう自分も、果たして日々の言動がどう評価されるか、社会変化と地域の状況に中でどんな役割をしているか、やはり後世の人にしか正しい評価はされないのかもしれません。
 マハトマ・ガンジーの言葉に、「my life is my message(私の人生そのものが、メッセージです)」とある。日々の言動の積み重ね(生活)が、最大のメッセージなのなかもしれません。

*参考資料:守屋洋著「中国古典一日一話」
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 01:50Comments(0)孔子の教え

2011年02月11日

粗にして野だか卑ではない

粗にして野だか卑ではない 

 五代国鉄総裁だった石田禮助に「粗にして野だが卑ではない」という言葉がある。私はこの言葉を題にして、石田氏の生涯を小説に書きました。

 これは政治の方には特に注意していただきたい。ある政治家が「城山さん、本人が卑しいと思ってやっている人はいないのですよ」と言っていました。私はその人に問い返しました。「まったく卑しくないのですか。あなたがほんの少しでも卑しいと思ったことは、周囲からみてずいぶん卑しいこともあるし、誰が見ても卑しいこともあるのですよ」。
 政治家は、非常に厳しい目でいつも見られている。そのことを、絶えず意識しなくてはいけないのだと思います。 

(感想)
 人は、常に見られている意識が必要と思う。政治の仕事をする時は、微塵も私利私欲が入ってはならない。

*出典:城山三郎著『嬉しうて、そして…』

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:28Comments(0)

2011年02月10日

(熊本県)重度障害児の教育支援に期待膨らむ

(熊本県)重度障害児の教育支援に期待膨らむ

 熊本県教育員会が、平成二十六年度に重度障害児の支援学校を新設することを知った。設置に踏み切ったのは、熊本都市近郊に障害児童が増ているという。県下の対象者は、約二百名居るそうだが、県北や県南の子どもたちは、やはり新設の支援学校に通うことは難しい。せめて週に一度通って、専門教師の指導を受け、地元学校の支援クラスで、学ぶような制度も必要と思う。

五年前教育基本法が変わり、障害を持つ子どもの教育支援が強く打ちだされた。その以前に、県の教育委員会幹部に、発達障害、学習障害を持つ生徒を専門的に支援する教育センターの設置を各振興局内に作るべきではと問うた。解答は、「東京都心のように交通網があれば可能だが熊本では無理」との回答だった。しかし法律が変わると、地方の教育環境も大きく変わると分かった。

 私は、物理学者スティーブン・ホーキング博士の語る姿を思い出す。博士は、重度の障害を持ちながらも研究を続け、我々に未知の世界を解き明かしてくれた。人間は、未知なる能力を持ち、無限の可能性を秘めている。現代の医療技術は、厳しい状況の命を助けることを可能にして来た。しかしその結果、不運にも身体や知的な一部に障害を持つ子どもも増えていると聞く。

 今回の重度障害児の支援学校ができることで、障害を持つ子どもたちの夢が大きく膨らむと思う。熊本の教育は、日本の先頭を走っていると聞くが、今回の重度障害児の支援方式が、全国に広がり、勉強を諦めてきた子どもたちに希望を与えることを願っている。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:31Comments(0)私の意見

2011年02月10日

中国古典講演会「現代の生きる陽明学」

中国古典講演会「現代の生きる陽明学」
~中国古典輪読会 中澄会 150回記念講話~

 中国古典輪読会は、平成10年に開設以来、1月も欠かすことなく、論語を中心とする四書五経、中国古典思想を勉強されてきました。今月、150回を記念して、熊本の東洋倫理研究会会長の筑紫汎三先生をお招きし、陽明学の講話をして頂きます。私も時々参加の塾生ですが、特に私の研究対象である陽明学なので、ぜひ参加したいと思います。
 皆さんにも、ご紹介したくご案内を、ブログに掲載します。興味ある方が、参加してみて下さい。よろしくお願いします。

          記

日 時   2011年02月13日午前10時~12時
場 所 (熊本県)宇土市民会館2階 会議室
宇土市新小路町123 0964-22-0188
参加費  無料

主 催 中国古典輪読会 中澄会(会長 米澄邦夫)
宇土市本町1丁目39 0964-23-5411

席に限りがありますので、問い合わせてご参加ください。
受付は(午前9時~午後5時)です。よろしくお願いします。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:13Comments(0)講演テーマ

2011年02月09日

巻き込み力を持つリーダーの存在と多くの人の参加

巻き込み力を持つリーダーの存在と多くの人の参加

 「内発的な成長を促す 地域循環システムの構築調査報告書」(以後、「内発的な成長、報告書」)に、冒頭の言葉があった。巻き込み力、内発的な成長、と聞きなれない言葉にひかれ、報告書を読み始めました。
 九州経済産業局が調査して、九州内の地域型活性化グループの検証報告ですが、この報告書の特徴は、人的なネットワークの視点で、地域発・産業育成の取り組みを紹介しています。そのテーマの一つが、巻き込み力を持つリーダーの存在です。

1.巻き込み力を持つリーダーとは、

 リーダーの特徴としては、「行政任せの地域活性化ではなく、自らが率先して取り組む実行力」、「地域内に反対の住民がいても、諦めずに粘り強くやり遂げる継続力」、「内部資源だけでなく、外部のヒト・モノ・カネを巻き込む広い視野とネットワークを活かした新産業創造力」の3点を兼ね備えている。このほか、組織運営と管理力、行政や関係機関、団体との調整能力、地域内での円滑な運営と合意形成力、周囲への気配りと情熱、誠実さ、明るさ、ユーモア、話題の広さと話術力もリーダーの重要な資質である。こうした資質を持つリーダーが事業を興し、事業の必要性と課題の認識によって多くの人々が参加する巻き込み型の新事業が発生している。

2.価値の再発見と活用

 価値を発見し、その価値を取り組みを通じて再評価することは、取り組みに参加する人々の知識の向上をもたらす。知識を得た人々は価値を見出したことに喜びを感じ、自慢し、他の人々に伝える。これが知識の共有をもたらし、色々な価値を再発見しようと人々を切磋琢磨させる原動力になる。

3.付加価値の再投資

 リーダーと多くの参加者によって興した事業は、地域社会の課題解決がそもそもの理念であり、目的である。リーダーと参加者は、事業によって得た収益を社会や個人の収入にとどめようとせず、地域の活性化のために役立て、事業の継続と広がりを持たせようと新たな参加者を募るための勉強会や域外への情報発信を積極的に行い、新しい事業等への再投資に繋げていく。
 再投資には、原材料を調達し、従業員等に賃金を支払うという事業を継続する再投資と、地域の人々の新しい就労の場や設備投資、域内の企業等からの調達(受発注)という新事業を興すための再投資がある。この2つの再投資を行うことによって、地域に新しい就労のばや生き甲斐が生まれ、地域の魅力を引き上げ、後継者の排出や域外からの移住をもたらす循環を作り出している。
 (以上、「内発的な成長、報告書」)

 この報告書には、18の地域発、産業育成の事例が載っています。非常に参考になるので、2月26日に大分県宇佐市安心院町に、再度、スローフード(田舎料理)の勉強に行くのですが、上記の3つの要素も踏まえて、研修を行ってみたいと思います。

 さて、新しい事を興すと、必ず反発があります。昨日の市民からのお手紙(ご意見)も、その反応と思います。ただ、目指す社会はどんなものか、自分自身がしっかりイメージして、目の前の問題に対処して行くことが大事と思っています。
 新しい社会づくりには、5つの条件が整わないといけません。

一、道理にかなっているか。「モラル=道」
ニ、タイミングは間違っていないか。「タイミング=天(時)」
三、ベストポジション、優位性はあるか。「ポジション=地(位置)」
四、リーダーは、智、信、仁、勇、厳を備えているか。「リーダー=将」
五、すぐれたシステム(仕組み)はあるか。「システム=法・制度」

これを事業の五事「道、天、地、将、法」と良い、要件がそろうまでしっかり準備が必要です。この五事を常に心に置き、リーダーは行動しないといけないと、中国古典の「孫子」も教示しています。地域活性化事業にも、人の心理を学び、より良き方向へ導く努力が必要と思います。

*参考資料:萌訳「孫子ちゃんの兵法」
「内発的な成長を促す 地域循環システムの構築調査報告書」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 20:18Comments(0)意見・異見

2011年02月08日

行ないは自分のもの、評価は他人のもの(勝海舟)

行ないは自分のもの、評価は他人のもの(勝海舟)

 現代の政治評価は、とても短い感じを受ける。アメリカの英雄的大統領になるだろうと思われる故ジョン・F・ケネディ氏は、不幸にも凶弾に倒れた。またその弟のロバート・ケネディも暗殺された。しかし、かれら兄弟の成し得た成果は、いまでも語り継がれている。ただその成否は、後の歴史でしか評価でないことを、両人が語っていた。
 「ケネディの遺言」に、政治の4つの理念「勇気、判断、尊厳、献身」で、50年後、100年後に、ケネディ大統領の仕事の評価が問われるとあった。これに似たことを、幕末維新で大きな功績を残した元幕臣の勝海舟が語っている。作家の童門冬二氏が現代語訳で、解説しています。童門冬二著「勝海舟の遺訓」より、

(以下、転載)

 今日したことの評価は今日求めるな
 ~大きな人物というのはそんなに早く現れないよ~

 海舟の持論である。最初に揚げた、
「行ないは自分のもの、評価は他人のもの」
 という態度に一貫している、勝は、大きな人物が世に現れるのは、だいたい百年単位だ、というようなことを行っている、それも、その人物が書いた自叙伝とか、何かによって現れるのではなくて、百年二百年経つと、同じように大きな人物が再び出るためだという。その人物が後先のことを考えているうちに、何百年も前に、丁度自分の意見と同じ意見をもっていた人間を発見するからだ。そこで、そいつが驚いて、
「なるほど偉い人間がいたものだな。二、三百年前に、おれと同じような考え方をしていたのだな」
 と騒ぎ出すようになって、その過去の人物が知られてくるのだという。知己を千載の下に持つというのはこのことだ。
 さらに、勝は言う。
「ところが、今の人間はどうだ。そんな奴は一人もいない。今日のことは今日知れて、今日の人に誉められなくては承知しないという尻の穴の小さい奴ばかりだ。大勲位だとか、何爵とかいう肩書をもらって、俗物かわわいわい騒ぎたてられるのをもって、自分は日本一の英雄豪傑だと思っているのではないか。よく考えてみよう。維新後、まだ三十年しか経っていない。大人物が現れようとしても現れるはずがないのだ。今日、自分から騒ぎ出して、いくらか俗物に知られている奴等は、そうだな、今から三十年も経たないうちにすぐ忘れられてしまうだろう。若い連中は、まだ三十年や五十年は生きているだろうから、果たしておれの言ったことが嘘か本当か、自分の目で確かめてみたまえ」
 現代にもぴったり当てはまる言葉だ。
 (以上、「勝海舟の人生訓」)

 リーダーたるものは、目先の騒ぎに翻弄されることなく、社会変化に注目し、世界に動向を見極めながら、長期の視点から、判断を下すことが大事と思います。

>政治の4つの理念「勇気、判断、尊厳、献身」

(以下、「ケネディの遺言」より)

ケネディの四つの政治要素(理念)

ジョン・F・ケネディの大統領就任直前に地元マサチューセッツ州での演説の一節。

「我々は将来、歴史と言う高貴な裁きの場で、我々が国家に対するつかの間の奉仕においてどれだけ責任を果たしたかが問われることになろう。
 その時の審判の4つの疑問は、

第一に、我々は真の勇気があったか。その勇気とは単に敵に対するものでなく、必要とあらば仲間にたいしても立ち向かう勇気であり、公のプレッシャーだけでなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。

第二に、我々には真の判断力があったか。未来と過去を真正面から見つめ、自らの過ちを認め、自分たちの知識の限界を知り、それを認める英知があったか。

第三に、我々には真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的な野望や金銭的欲望のために神聖な任務を汚さなかったか。

第四に、我々は真に国家に献身したか。名誉を特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩義や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のために、国家のために身を捧げたか。
 勇気、判断力、尊厳、そして献身、これら四つの要素が私の政権の活動基準となるであろう。」と語った。
 (以上、転載)

 身の周りに起こる出来事を、4つの視点で常に判断するゆとりが必要と思います。
 現代の国政は、政権交代後、右往左往しているように見えてますが、意外に百年後の評価はどうか、人口構成、背経済状況、地球資源、気候変動、等々などを鑑み評価されると思います。
 地方政治も、国頼りの政策から、自分たちの地域をどんな社会にするのか、都市間競争が益々激しくなる中、真剣な議論と即時行動の必要な時代です。いろいろな意味で、リーダーたちの言動が問われる時代になった思います。


<コミュ二ティ>
・ジョン・F・ケネディの言葉
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1484223
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:46Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2011年02月07日

信言は美ならず、美言は信ならず『老子』

信言は美ならず、美言は信ならず『老子』

 世には、話の上手い人がたくさんいるだと思います。おれおれ詐欺、結婚詐欺、など、上手くだまされてしまうことも多い。これは、人を使う時も要注意です。
 困ったことを知り、助言する人も居れば、粗野にする人もいます。逆に、好調な時にすり寄って来る人も居れば、驕りを注意していくれる人もいます。どちらが良いかは、それぞれが判断すのでしょうか、先人たちも色々苦労があったようです。
 孔子よりもちょっと先輩の「老子」の言葉に次にことがあった。

信言は美ならず、美言は信ならず(信言不美、美言不信)
~しんげんはびならず、びげんはしんならず~『老子』

 真実味のあることばは飾りけがない。飾りけのあることばは真実味がない。実際問題として、信言と美言を聞き分けるのは、必ずしも容易でない。
 たとえば美言の代表的なものに、お世辞がある。歯の浮くようなお世辞は見えすいたお世辞、これは誰にでもわかる。しかし、もっと巧妙なお世辞になると、ついその気になってしまうのが一般である。
 しかし、お世辞は実害が少ないから、まだよい。問題は甘いことばでまどわされるケースである。男女の関係になると、一生を台なしにされることもありうるし、金銭の問題になると、身ぐるみはがされてしまうことだって少なくない。

「美言は信ならず」――『老子』のことばを胆に銘じておきたいところだ。
 (以上、「中国古典一日一話」) 


 心静かに、周りに状況を検証して、行動に移さなければならないと思います。

 日常、ワイワイとやれる仲間。
 いろいろな場面で相談する師。
 地位を終える時を示唆する朋。

朋には、3つの役割をもつ人たちが必要です。人間、有為転変、色々なことが人生に起こります。その時々の迷いを語りながら、意見を聞ける間柄、実際に決断は自分自身ですが、「信言」を心から伝えてくれる友を持ちたいと思います。

*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 14:18Comments(0)老子・荘子の言葉」

2011年02月05日

美空ひばりの映画と歌、熟年女性パワーに脱帽

美空ひばりの映画と歌、熟年女性パワーに脱帽

 2月3日は、友人・知人たちが実行委員会を作り、美空ひばりの映画上映と、前座で20名を越える人たちが、美空ひばりの歌をカラオケで披露した。ショートコント、三味線、エレキギターの演奏と、盛りだくさんの中身で、予定人数400名をはるかに越える460名が参加し、大盛り上がりの「美空ひばりの集い」になった。
 私は、その実行委員長の女性(70代)の方と、10年前から宇土市の勉強会でご縁ができ、時々の手伝いでしたが、今回の催しの準備を手伝いました。昨日は、親戚の法事とも重なり、昼食時に2時間ほど抜けましたが、私の親戚も連れて、会場へ戻ると超満員の中で、演歌が流れていました。
 
 美空ひばりにあこがれた世代の女性たち22名、男性は2名でしたが、国民的歌手だった美空ひばりと、いまでもこよなく愛する人たちがたくさんいることを改めて知ることができました。ステージの歌手と会場が一体になり、会場でも歌声が口ずさまれ、和気あいあいの演奏が続きました。
 昼の1時30分~5時30分までの4時間を越える催しの参加費は1000円で、70代を中心に多くの熟年女性が集まりました。男性も奥さん方に連れれてか、参加してもらえて良かったと思います。
 
 しかし、熟年女性のパワーに驚きました。70代後半の方でしたが、1年間でステージの88回歌ったかたもおられ、歌もですが、衣装も素晴らしいものを着ての歌は、日本女性の元気を象徴しているように思いました。最高齢は、87才の女性で、三味線の演奏と小唄を披露されました。足腰もしっかりされ、歌声も伸びやかで、若さとは楽しみを持ちつづけることが大事と思いました。

 ただ、一つ印象を悪くしたのは、使用した公民館のきまり(規定?)の融通の利かない職員がいて、最初から最後までスタッフに嫌味を言ったり、障害者の作業所で作ったクッキーの販売支援をしようと、色々準備をしていたのですが、あれはダメ、これもダメ、「館長に報告しまて、次回から使わせません」と、高齢者の楽しみに、水を差す言葉が冷たく感じるものでした。
 実行委員会の女性たちは、経験豊富な方ばかりで、そんな言葉にもしなやかに応えて、対応をしていた姿には、頼もしいと思いました。

 補助席を片づけている時に、帰りの80才ぐらいの女性に「次は、何時ありますか?」の言葉を聞いた時、やってよかったなと思いました。会場の職員には嫌味を言われましたが、観賞してくれた多くの熟年女性たちのネットワークには、若い世代が忘れている、地域の仲間づくりに原点があるように思いました。

 地域活性化は、行政主導でやることもありましが、庶民感覚の地域活性化は、女性の視点でこれまでも、色々な場面で行なわれて来たように思います。歴史は、男が作って来たような感覚を持ちますが、歴史にかかれない裏方を多くの女性パワーが支えているように思います。
 この実行委員会を主催した女性は、「私は、宇土が少しでも元気になればと思って子どうする」と、70代後半になられますが、益々元気な女性活動家と思います。私もその年までできるか分かりませんが、地域の元気づくりに関わって行きたいと思いました。

 次回は、もっと広いホールで、さらに進化して開催されると思います。お近くで興味ある方は、ぜひ次回参加頂ければと思います。




  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:28Comments(0)宇土の出来事

2011年02月05日

地方発、財政改革+人材育成と、市民参画

地方発、財政改革+人材育成と、市民参画

おはようございます。
昨晩は、久々に午前様の帰宅になりました。

 熊本おこしの集まり「平成時習館」の新年会で、色々な思いを聞く場であり、未来の熊本をどうするかの思いを聞いていたら、ついつい帰宅が遅くなりました。
 昨夏に起こった、平成の実学の勉強会を、江戸期にあった熊本藩の名門「時習館」にあやかって、熊本の重鎮である熊本機能病院の米満弘之理事長が塾長を座長にして、隔月で勉強会やっています。昨日は、膝つきあわせて酒を酌み交わす、夜なべ談義会を開催しました。予定をはるかに越える84名の参加でした。
 細川藩(熊本藩)は、55万石で発足しましたが、細川3代は土木、文化に投資し、元々風流人でしたから、その世界でも費用が嵩み、大変な借金を積み重ね、元禄後は困窮しました。宝暦期に当主になった細川重賢(しげかた)公が、行財政改革に心血を注ぎ、中でも学校「時習館」の創設に藩改革の人材育成を実行し、幕末期には多くの人材を出し、明治初期の明治憲法、第一高校(一高)の創設に大きな功績を残しました。
 平成の世は、国家の借金が1千兆円に迫る状況になりながら、国民は危機感がなく、学生運動も起こらない状況を憂い、米満塾長が檄を飛ばして、昨晩の新年会は始まりました。
今、何をするのか、
何をしなければいけないのか、
地方から、国を憂い、行動起こすこと、
熊本おこし、九州起こしを進め、国家の再生をやろうではないかと、昨夜集まった心の若さを持つ参加者に訴えられました。
 一人ではなにもできないけれど、仲間が集まれば、大きなうねりを作ることができる感覚を理解できたと思いました。

 今日は、大牟田に吉野公民館へ最後の勉強会の講師に行きます。
テーマは、「龍馬と政治」ですが、地域を憂い、市民が政治にどうかかわるか語る「茶話会」ですが、地方の高齢化対して、熟年世代が地域活性化のどう関わるか、真剣に考える時代になったと思います。
 幕末、備中松山藩の財政改革を成功させた、陽明学者の山田方谷は、自分の律して、目上の武士たちへ改革を協力させ、小さな藩ながら莫大な借財を返済し蓄財し、藩主を幕格の五大老に参画させました。時は、ペリー来航、大政奉還の中で、その存在は大きな影響を及ぼすことができましたのも、藩の財政改革を成功させて山田方谷のお陰と言えます。
 地方自治体で、財政赤字の無い市町村は無いと言えるほど、悪化しています。平成の合併の原因は、財政再建の隠ぺいに近い状況を、市民は忘れています。少子高齢化の状況は、さらに財政を圧迫しています。気付かせない国、危機感のない自治体職員、知ろうとしない市民、無関心の3要素が赤字自治体を解消できなくしています。
 第2の阿久根市、名古屋市の混乱を作らないように、地方の市民こそがオンブズマン的な注意を自治体運営に向けることが重要と思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:36Comments(0)私の意見

2011年02月03日

思考の三原則、「偶然」の面白さ(不尽の妙味)

思考の三原則、「偶然」の面白さ(不尽の妙味)


「朝に紅顔、夕に白骨」=人の人生は、朝露の如し。
 
とありますが、1年は365日、1日は24時間あります。この時間を、自分だけでなく私を取り巻く様々な人々の思いを知り、それぞれがより良き人生を歩めるように、自分の目指す方向を常に修正し、これからの10年を生きるために、もがき、苦しみ、考え、日々行動し続けたいと思います。

 しかし、日々全力を尽くす必要はありますが、むやみやたらの行動ではいけないと思います。「知行合一」の教えは、゛考え即行動゛の意味ですが、だらこそ考えること(思考)が大事と思います。

・思考の三原則
一、目先にとらわれず、できるだけ長い目で見る。
二、一面だけ見ないで、なるべく多面的、できれば全面的に観察する。
三、枝葉末節を見ないで、根本を見る。

 それと、私の行動の中には、多くの偶然が何度か有りました。その出来事は、すべて「興味+行動」から起こりました。地域づくりの先輩は、「人生に偶然はない、全て必然」と強調します。
 でも、゛その時そこへ行かなかったら゛の出会いが多々ありました。それをただの偶然と済ますか、「ラッキー」と思い、次の再会を約束するかだけの違いで、後の人生(生活・仕事)が変わります。私の偉業交流会の出会いは、けっこう偶然の出会いから、仲間が増えて行きました。
 その偶然に「意志」がこもっているかで、人とのつながりが形になるか、後で大きく変わります。偶然から人生が変わる、それを楽しむゆとりも必要と思います。

・不尽の妙味(みょうみ)~「偶然」の面白さ~
 偶然を人生の事実として平たく考えてみると、これまたなかなか面白いものである。これがないと、杓子定規になって味わいがない。偶然に人に会い、偶然に書を読む。人生全て偶然の連結と、却(かえ)って不尽の妙味がある。
 (以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)

 人生、何時の時代に、何処に生まれるかで、人生は違いがあります。しかし、生まれ落ちた場所(時代)で、どう自分の人生を切り開くかは、その人次第と思います。
 時代や周りの状況を原因にして、自分を向上させない、仲間づくりをしない、周りを明るくするような行ないをしない、では自分の人生も暗くなる。龍馬のように、「常に明るく、前のめり」に生きたいものです。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:09故事、名言、スピーチ、等

2011年02月01日

本田宗一郎の「創造力」~同じ性格・能力の人間と組まない~

本田宗一郎の「創造力」~同じ性格・能力の人間と組まない~

 今日は、父の介護相談の日で午前中家に居る時間がある分、資料や本を乱読していました。ニュースは、九州の霧島の新燃岳の噴火と、エジプトの混乱を毎回報じていました。どちらの長期になるような様相で、南九州の出来事ですし、日本の石油に命綱「中東」の出来事で、とても気なる出来事です。

・新燃岳の噴火、エジプトの混乱
 都城市の友人は、新燃岳の火山灰が毎日降り、屋根掃除が大変だと電話がありました。
宮崎は、昨年の口蹄疫、今年の鳥インフルエンザと、災難続きです。国の対策を早く実施して欲しいと願います。
 30年続くムバラク政権、独裁の様相が強いので、このままデモが拡大して、テロ行為に移る前に、なんらかの判断が必要と思います。「国民主権」をリーダーが忘れて、私利私欲に走るようでは、今回の混乱は治まらない。強権発動よりも、国民との対話が必要なように思います。

 午後は、父を病院へ連れて行くので、仕事を休んでいたのですが、途中で買った日本経済新聞の特集「未来面」の一文に目が留った。ぜひ一読頂ければと思います。


(以下、転載)

世界一、創造力あふれる人材を育てる国、日本へ。

多様性を重視する社会を目指そう。
個性のぶつかり合いから、
成長の源泉となる創造力が生まれる。

 ホンダが2012年に量産化を目指す小型ジェット機「ホンダジェット」にはこれまでの航空業界の常識を覆すデザインが施されています。最大の特徴は主翼の上にエンジンをのせるというものです。空気抵抗が大きくなり初歩的な「禁じ手」のひとつだと言われてきましたが、ホンダ開発陣は常識を疑って試行錯誤を繰り返すうちに主翼のある一点にエンジンをと通常よりも空気抵抗が小さくなることがわかったのです。
 ホンダには創業者の本田宗一郎さんが培った独創を育む社風が受け継がれているのでしょう。同社には「ワイガヤ」という言葉があり、みんなでワイワイガヤガヤと議論する中で新しいものづくりのヒントが浮かんでくるのだそうです。

 次々に新しい商品を作り出したアイデアマンの本田さんは「私の履歴書」の中でこんなことを語っています。
「自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。自分一人でじゅうぶんだ。目的はひとつでも、そこへたどりつく方法としては人それぞれの個性、異なった持ち味をいかしていくのがいい。だから自分と同じ性格の者とではなくいろいろな性格、能力の人と一緒にやっていきたいという考えを一貫して持っている」。
昭和37年(1962年)のことです。この本田さんの言葉を今風に置く替えると、多様性を重視するということになるでしょう。日本社会はまだ「出る杭(くい)は打たれる」の風土が残ってはいないでしょうか。(中略)

 本田さんは後継社長について「あえて日本人に限らず外国人であってもかまわないとさえ思っている」とまで言っています。日本社会の成長と源泉となる創造力。本田さんの約50年前の言葉は今も輝きを失っていません。
 (以上、日経新聞「未来面」より)


>自分と同じ性格の人間とは組まない

>自分と同じ性格の者とではなくいろいろな性格、能力の人と一緒にやっていきたいという考えを一貫して持っている

技術の「新奇性」は、個性・能力のぶつかり合いから生まれる。
この新年の基が、「ワイガヤ」の習慣なのかもしれません。

日本教育は、これまで個性を抑えることを続けて来ました。
人間は、平等ではない。十人十色の能力がある。
これを根本に据えて、未来社会を切り拓く人材を日本から、世界へ排出して行きたいですね。そんな日本にできればと願っています。

*参考文献:日本経済新聞「未来面」より(2011年1月31日)
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:00Comments(0)リーダーの名言