2011年02月05日
美空ひばりの映画と歌、熟年女性パワーに脱帽
美空ひばりの映画と歌、熟年女性パワーに脱帽
2月3日は、友人・知人たちが実行委員会を作り、美空ひばりの映画上映と、前座で20名を越える人たちが、美空ひばりの歌をカラオケで披露した。ショートコント、三味線、エレキギターの演奏と、盛りだくさんの中身で、予定人数400名をはるかに越える460名が参加し、大盛り上がりの「美空ひばりの集い」になった。
私は、その実行委員長の女性(70代)の方と、10年前から宇土市の勉強会でご縁ができ、時々の手伝いでしたが、今回の催しの準備を手伝いました。昨日は、親戚の法事とも重なり、昼食時に2時間ほど抜けましたが、私の親戚も連れて、会場へ戻ると超満員の中で、演歌が流れていました。
美空ひばりにあこがれた世代の女性たち22名、男性は2名でしたが、国民的歌手だった美空ひばりと、いまでもこよなく愛する人たちがたくさんいることを改めて知ることができました。ステージの歌手と会場が一体になり、会場でも歌声が口ずさまれ、和気あいあいの演奏が続きました。
昼の1時30分~5時30分までの4時間を越える催しの参加費は1000円で、70代を中心に多くの熟年女性が集まりました。男性も奥さん方に連れれてか、参加してもらえて良かったと思います。
しかし、熟年女性のパワーに驚きました。70代後半の方でしたが、1年間でステージの88回歌ったかたもおられ、歌もですが、衣装も素晴らしいものを着ての歌は、日本女性の元気を象徴しているように思いました。最高齢は、87才の女性で、三味線の演奏と小唄を披露されました。足腰もしっかりされ、歌声も伸びやかで、若さとは楽しみを持ちつづけることが大事と思いました。
ただ、一つ印象を悪くしたのは、使用した公民館のきまり(規定?)の融通の利かない職員がいて、最初から最後までスタッフに嫌味を言ったり、障害者の作業所で作ったクッキーの販売支援をしようと、色々準備をしていたのですが、あれはダメ、これもダメ、「館長に報告しまて、次回から使わせません」と、高齢者の楽しみに、水を差す言葉が冷たく感じるものでした。
実行委員会の女性たちは、経験豊富な方ばかりで、そんな言葉にもしなやかに応えて、対応をしていた姿には、頼もしいと思いました。
補助席を片づけている時に、帰りの80才ぐらいの女性に「次は、何時ありますか?」の言葉を聞いた時、やってよかったなと思いました。会場の職員には嫌味を言われましたが、観賞してくれた多くの熟年女性たちのネットワークには、若い世代が忘れている、地域の仲間づくりに原点があるように思いました。
地域活性化は、行政主導でやることもありましが、庶民感覚の地域活性化は、女性の視点でこれまでも、色々な場面で行なわれて来たように思います。歴史は、男が作って来たような感覚を持ちますが、歴史にかかれない裏方を多くの女性パワーが支えているように思います。
この実行委員会を主催した女性は、「私は、宇土が少しでも元気になればと思って子どうする」と、70代後半になられますが、益々元気な女性活動家と思います。私もその年までできるか分かりませんが、地域の元気づくりに関わって行きたいと思いました。
次回は、もっと広いホールで、さらに進化して開催されると思います。お近くで興味ある方は、ぜひ次回参加頂ければと思います。
2月3日は、友人・知人たちが実行委員会を作り、美空ひばりの映画上映と、前座で20名を越える人たちが、美空ひばりの歌をカラオケで披露した。ショートコント、三味線、エレキギターの演奏と、盛りだくさんの中身で、予定人数400名をはるかに越える460名が参加し、大盛り上がりの「美空ひばりの集い」になった。
私は、その実行委員長の女性(70代)の方と、10年前から宇土市の勉強会でご縁ができ、時々の手伝いでしたが、今回の催しの準備を手伝いました。昨日は、親戚の法事とも重なり、昼食時に2時間ほど抜けましたが、私の親戚も連れて、会場へ戻ると超満員の中で、演歌が流れていました。
美空ひばりにあこがれた世代の女性たち22名、男性は2名でしたが、国民的歌手だった美空ひばりと、いまでもこよなく愛する人たちがたくさんいることを改めて知ることができました。ステージの歌手と会場が一体になり、会場でも歌声が口ずさまれ、和気あいあいの演奏が続きました。
昼の1時30分~5時30分までの4時間を越える催しの参加費は1000円で、70代を中心に多くの熟年女性が集まりました。男性も奥さん方に連れれてか、参加してもらえて良かったと思います。
しかし、熟年女性のパワーに驚きました。70代後半の方でしたが、1年間でステージの88回歌ったかたもおられ、歌もですが、衣装も素晴らしいものを着ての歌は、日本女性の元気を象徴しているように思いました。最高齢は、87才の女性で、三味線の演奏と小唄を披露されました。足腰もしっかりされ、歌声も伸びやかで、若さとは楽しみを持ちつづけることが大事と思いました。
ただ、一つ印象を悪くしたのは、使用した公民館のきまり(規定?)の融通の利かない職員がいて、最初から最後までスタッフに嫌味を言ったり、障害者の作業所で作ったクッキーの販売支援をしようと、色々準備をしていたのですが、あれはダメ、これもダメ、「館長に報告しまて、次回から使わせません」と、高齢者の楽しみに、水を差す言葉が冷たく感じるものでした。
実行委員会の女性たちは、経験豊富な方ばかりで、そんな言葉にもしなやかに応えて、対応をしていた姿には、頼もしいと思いました。
補助席を片づけている時に、帰りの80才ぐらいの女性に「次は、何時ありますか?」の言葉を聞いた時、やってよかったなと思いました。会場の職員には嫌味を言われましたが、観賞してくれた多くの熟年女性たちのネットワークには、若い世代が忘れている、地域の仲間づくりに原点があるように思いました。
地域活性化は、行政主導でやることもありましが、庶民感覚の地域活性化は、女性の視点でこれまでも、色々な場面で行なわれて来たように思います。歴史は、男が作って来たような感覚を持ちますが、歴史にかかれない裏方を多くの女性パワーが支えているように思います。
この実行委員会を主催した女性は、「私は、宇土が少しでも元気になればと思って子どうする」と、70代後半になられますが、益々元気な女性活動家と思います。私もその年までできるか分かりませんが、地域の元気づくりに関わって行きたいと思いました。
次回は、もっと広いホールで、さらに進化して開催されると思います。お近くで興味ある方は、ぜひ次回参加頂ければと思います。
2011年02月05日
地方発、財政改革+人材育成と、市民参画
地方発、財政改革+人材育成と、市民参画
おはようございます。
昨晩は、久々に午前様の帰宅になりました。
熊本おこしの集まり「平成時習館」の新年会で、色々な思いを聞く場であり、未来の熊本をどうするかの思いを聞いていたら、ついつい帰宅が遅くなりました。
昨夏に起こった、平成の実学の勉強会を、江戸期にあった熊本藩の名門「時習館」にあやかって、熊本の重鎮である熊本機能病院の米満弘之理事長が塾長を座長にして、隔月で勉強会やっています。昨日は、膝つきあわせて酒を酌み交わす、夜なべ談義会を開催しました。予定をはるかに越える84名の参加でした。
細川藩(熊本藩)は、55万石で発足しましたが、細川3代は土木、文化に投資し、元々風流人でしたから、その世界でも費用が嵩み、大変な借金を積み重ね、元禄後は困窮しました。宝暦期に当主になった細川重賢(しげかた)公が、行財政改革に心血を注ぎ、中でも学校「時習館」の創設に藩改革の人材育成を実行し、幕末期には多くの人材を出し、明治初期の明治憲法、第一高校(一高)の創設に大きな功績を残しました。
平成の世は、国家の借金が1千兆円に迫る状況になりながら、国民は危機感がなく、学生運動も起こらない状況を憂い、米満塾長が檄を飛ばして、昨晩の新年会は始まりました。
今、何をするのか、
何をしなければいけないのか、
地方から、国を憂い、行動起こすこと、
熊本おこし、九州起こしを進め、国家の再生をやろうではないかと、昨夜集まった心の若さを持つ参加者に訴えられました。
一人ではなにもできないけれど、仲間が集まれば、大きなうねりを作ることができる感覚を理解できたと思いました。
今日は、大牟田に吉野公民館へ最後の勉強会の講師に行きます。
テーマは、「龍馬と政治」ですが、地域を憂い、市民が政治にどうかかわるか語る「茶話会」ですが、地方の高齢化対して、熟年世代が地域活性化のどう関わるか、真剣に考える時代になったと思います。
幕末、備中松山藩の財政改革を成功させた、陽明学者の山田方谷は、自分の律して、目上の武士たちへ改革を協力させ、小さな藩ながら莫大な借財を返済し蓄財し、藩主を幕格の五大老に参画させました。時は、ペリー来航、大政奉還の中で、その存在は大きな影響を及ぼすことができましたのも、藩の財政改革を成功させて山田方谷のお陰と言えます。
地方自治体で、財政赤字の無い市町村は無いと言えるほど、悪化しています。平成の合併の原因は、財政再建の隠ぺいに近い状況を、市民は忘れています。少子高齢化の状況は、さらに財政を圧迫しています。気付かせない国、危機感のない自治体職員、知ろうとしない市民、無関心の3要素が赤字自治体を解消できなくしています。
第2の阿久根市、名古屋市の混乱を作らないように、地方の市民こそがオンブズマン的な注意を自治体運営に向けることが重要と思います。
おはようございます。
昨晩は、久々に午前様の帰宅になりました。
熊本おこしの集まり「平成時習館」の新年会で、色々な思いを聞く場であり、未来の熊本をどうするかの思いを聞いていたら、ついつい帰宅が遅くなりました。
昨夏に起こった、平成の実学の勉強会を、江戸期にあった熊本藩の名門「時習館」にあやかって、熊本の重鎮である熊本機能病院の米満弘之理事長が塾長を座長にして、隔月で勉強会やっています。昨日は、膝つきあわせて酒を酌み交わす、夜なべ談義会を開催しました。予定をはるかに越える84名の参加でした。
細川藩(熊本藩)は、55万石で発足しましたが、細川3代は土木、文化に投資し、元々風流人でしたから、その世界でも費用が嵩み、大変な借金を積み重ね、元禄後は困窮しました。宝暦期に当主になった細川重賢(しげかた)公が、行財政改革に心血を注ぎ、中でも学校「時習館」の創設に藩改革の人材育成を実行し、幕末期には多くの人材を出し、明治初期の明治憲法、第一高校(一高)の創設に大きな功績を残しました。
平成の世は、国家の借金が1千兆円に迫る状況になりながら、国民は危機感がなく、学生運動も起こらない状況を憂い、米満塾長が檄を飛ばして、昨晩の新年会は始まりました。
今、何をするのか、
何をしなければいけないのか、
地方から、国を憂い、行動起こすこと、
熊本おこし、九州起こしを進め、国家の再生をやろうではないかと、昨夜集まった心の若さを持つ参加者に訴えられました。
一人ではなにもできないけれど、仲間が集まれば、大きなうねりを作ることができる感覚を理解できたと思いました。
今日は、大牟田に吉野公民館へ最後の勉強会の講師に行きます。
テーマは、「龍馬と政治」ですが、地域を憂い、市民が政治にどうかかわるか語る「茶話会」ですが、地方の高齢化対して、熟年世代が地域活性化のどう関わるか、真剣に考える時代になったと思います。
幕末、備中松山藩の財政改革を成功させた、陽明学者の山田方谷は、自分の律して、目上の武士たちへ改革を協力させ、小さな藩ながら莫大な借財を返済し蓄財し、藩主を幕格の五大老に参画させました。時は、ペリー来航、大政奉還の中で、その存在は大きな影響を及ぼすことができましたのも、藩の財政改革を成功させて山田方谷のお陰と言えます。
地方自治体で、財政赤字の無い市町村は無いと言えるほど、悪化しています。平成の合併の原因は、財政再建の隠ぺいに近い状況を、市民は忘れています。少子高齢化の状況は、さらに財政を圧迫しています。気付かせない国、危機感のない自治体職員、知ろうとしない市民、無関心の3要素が赤字自治体を解消できなくしています。
第2の阿久根市、名古屋市の混乱を作らないように、地方の市民こそがオンブズマン的な注意を自治体運営に向けることが重要と思います。