2008年08月15日

道理は一歩も譲るな(菜根譚)

道理は一歩も譲るな(菜根譚)

(現代語訳)
 労せずして欲望がかなえられるからといって、うっかり手を出してはならない。いちど手を出せば、どんどん深みにはまりこむ。
 道理が貫けないからといって、少しでも後ろに退いてはならない。いちど退けば、どこまでも後退を余儀なくされる。

(解 説)
 欲望は抑え気味にし、道理はあくまでも貫くのだという。相手の勢いに押されて道理を引っ込めたのでは、みずからの存在を否定することにもなりかなねない。道理については筋を通して行動したい。

(感 想)
勝海舟がよく使ったと言われる『六然』の一節に、

『得意澹然』(トクイタンゼン)
 得意の時はともするとうきうきして浮薄(ふはく)になりがちだからつとめて淡々たるした態度を持するようにする。 
     
『失意泰然』
 失意のときも、ゆったりと落ち着いて取り乱したりしない。やせ我慢でもいいから、ゆったりと落ち着いていることである。

向風のときも、追い風のときも、問題は自分の心をしかり維持し、道理とは何か、欲望を押さえ、一時の潮流に流されないことも大事と思います。
「得意澹然、失意泰然」良きときも、悪きときも、自然体で過ごしたいものです。  

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2008年08月07日

指導者の心得 (菜根譚)

指導者の心得(菜根譚)

 日々数名の部下、地域活動の協力者、学校での生徒等は、リーダーの行動を常に見ています。菜根譚に次の一説があります。


(現代語訳)
 指導的立場に在る人物は、軽々しく振る舞ってはならない。なぜなら、環境にふりまわされて、ゆったりと落ち着いた感じを失ってしまうからである。しかしながら、心には執着がああってはならない。なぜなら、外物にとらわれて、闊達自在のはたらきを失ってしまうからである。


(解 釈)
 重厚さがあって初めて組織に対する抑えがきく。心の執着がなくなって初めて自在の働きができる。重々しさと軽やかさ、この二つが必要なのだという。これもバランスの問題なのかもしれない。


(感 想)
 自分の反感を、社会活動で返して(はらして)はならないと何かの本で読みました。日々生きていると地域や、行政に事業が的を得ていないように見えることがあります。

 そんな時、知恵のある人は、自分の提唱する意見と反映させるために、市民(住民)を巻き込みその実現を目指す動きをいくつか見たこと有ります。その活動が変わり、検証を終えた時に、市民の不快感を起こす原因と思います。

 指導者とは、「心に執着(私心)が在ってはならない」との教えは、今でも十分に理解できる人間の生き方と思います。私利私欲の我欲行動と、社会正義を唱えた反対運動目的では、時期(時間)が経てばその真髄は、組織から漏れて行くものです。
 
 要は、自分地震が何を目指している明確をビジョンを持つことが大事と思いました。  

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2008年08月06日

恩恵は後になるほど手厚く(菜根譚)

恩恵は後になるほど手厚く(菜根譚)


(現代語訳)

 恩恵を施すときには、はじめはわずかで、後になるほど手厚くしていくのがよい。初め手厚くして音でけずっていけば、相手は恩恵を忘れてしまう。

 威厳を示すときには、初め厳しくして、後になるほどゆるめていくのがよい。初めゆるくして後で厳しくすれば、相手は厳しさに耐えかねる。


(解 釈)

 ふつう恩恵はだんだん減らしていくケースが多いのだが、これでは効果がなくなるどころか、相手の怨みまで買ってしまう恐れがある。

 また、厳しさは必要であって、これがないと組織に対して抑えがきかなくなる。ただし、こたらのほうは初め厳しさを見せておくのがよいのだという。


(感 想)

 人の心の動き、欲求、評価等を検証した名言と思います。誉めればつけ上がる、けなせば落ち込む、塩水を鯛を泳がせ、少しづつ真水にかえると、真水で鯛が泳ぐと言います。慣れ、慣習は、最初の出だしが大事なようです。

>恩恵を施すには、はじめはわずかで
>威厳を示すには、初め厳しくして

二つの手法を頭に入れつつ、人と接していきたいと思いました。
先人の人間観察力の知恵は素晴らしいと思います。

なんでも、最初に打ち出す方針が大事なのようです。

参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」  

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2008年07月27日

心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」

心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」

(現代語訳)
 寛大で心の温かい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。刻薄(こくはく)で心の冷たい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のともでは、すべてのものが死に絶えてしまう。

(解  説)
 心の温かさは、そのまま顔や態度に滲み出てきて、温かい雰囲気をかもし出す。それが周りに人をひき寄せるのである。だからといって、心は冷たいのに、顔つきだけ温かくしようとしても無理であって、「あいつは上辺だけだ」とすぐに見破られてしまう。当然、人も離れていく。これでは何をやってもうまくいかない。仮に一時はうまくいっても、崩れるときは信じがたいほど脆く崩れていく。

(感  想)
 上司の価値は、三日接すれば分かると何かの本にありました。遠くの部署で、素晴らしい業績を上げている人は、いつか耳に入るものです。しかしその実態は、良くわかりません。実施に一緒に仕事して行くと、そう長く付き合わなくても、人間性、人間力は、感じる事ができると思います。
 人の噂は半分聞き、実際の判定(鑑定)は、自分で確かめる事が大事と最近つくづく思います。後輩たちには、「現場、現物、本人」と語ります。反対に、自分が上に立つ時にこそ、日々研鑽してきた人格が生きるような、生き方を日常からやっておくことだと思います。
 やはり、心の温かい人、心の冷たい人を見比べると、太陽のような人の周りには、何時も誰か、何かの用事も無くても、よく人が集まっています。魅力は自分で磨くしかありません。

そこで、「これから求められる人間力」の4つにキーワードとは、

一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あっても、これに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人

二、自分で目標を立てることが出来る人

三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、前進するために何が問題かを把握できる人

四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人

私も上記のことを、念頭に置きながらも、自分を省みるゆとりを持ちたいと思います。参考になれば幸いです。  

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2008年07月19日

時間を無駄にするな (菜根譚)

時間を無駄にするな (菜根譚)

(本 文)
 暇なときでも、時間をムダにしてはならない。その効用は、多忙になったとき現れてくる。休んでいるときでも、ぼんやり時を過ごしてはならない。その効用は、仕事にかかったとき現れてくる。人目につかぬところでも、良心をあざむてはならない。その効用は、人前に出たとき現れてくる。

(解 説)
 現代は時の流れが加速している。たぶん古人よりも私どものほうがはるかにあわただしい気分で毎日を送っているのではないか。なればこそ、時にはのんびりした時間を持ちたいという思いも強い。しかし、有事即応といくためにには、休養しているいだにも、それなりの過ごし方があるものだという。特に独りになったときどう過ごすかで、その後の対応が大きく変わっていく。

(感 想)
 「タイム・イズ・マネー」、一事流行したクイズ番組ではありません。古(いにしえ)から、人々が絶えず考え続けた課題と思います。「時間は創るもの」「寸暇を惜しんで・・・」色々な教示はありますが、無駄、無駄口、惰眠、・・・、今は二度と帰らないのです。
 人生をどう生きるか、どう生き抜くか? 他人の目(思惑)ばかり気にしていては、躊躇が先で、成果を上げれないように思います。思い切りと行動力こそが、市民のパワーと思います。

 私の師の一人、木内孝氏(フューチャー500会長)は、いかに時間を有効に使うは、2千年前からの課題と語られます。要は、その場に参加するかどうかは、男であれ、女であれ、本人が決めることと思います。

   

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2008年07月16日

理想は高く、しかし現実に立脚する(菜根譚)

理想は高く、しかし現実に立脚する(菜根譚)

 世の親たちは、子供たちに高い理想を勝手に描かせ、お尻を叩き「急げ、急げ」と急かしています。これは、良いのでしょうか。

 というわが家も、高校受験では3年間近2年生後半から、塾通いが始まりました。「高い理想を持て」と、高校の保護者会でも校長や講師が述べていました。やみくもに、高望みして難関高、難関大学を目指して、詰め込みで行くといつかパンクするのではないかと心配します。

 大事なのは、「自分は今何処に居るか?」を知ることではないか。

 家造りもそうですが、基礎が大事です。問題集を解き、例題の暗記ばかりしていては、苦境(難問)と正対した時の創意工夫・機転が利かない人を見受けます。
 故事に、「人を知るのは知、自分を知るのは明」とあります。自分をしっかり検証し、自分の位置を知り、そこから積み上げて行く事が、自分を向上させる道と思います。
 受験は、技術と言いう人がいます。高校保護者会で、受験講話で、「難関校の問題は、本質が解かっていないと答えを導けない」と進学支援サービスの社員が語っていたのが印象的でした。

 菜根譚の次の一説があります。

(本文より)

・理想は高く、しかし現実に立脚する

理想は高く持つべし。だが、あくまでも現実に立脚しなければならない。
 理想は周到にめぐらすべし。だが、末節にとらわれてはいけない。
 趣味は淡泊であるべし。だが、枯淡にすぎてはならない。
節操は厳しく守るべし。だが、奇矯に走ってはならぬ。

(解  説)
 理想を掲げることは大切だが、理想倒れに終わらないためには、しっかりと足もとを固めてかからなければない。逆に、足もとの現実に振り回されないためには、しっかりと理想を掲げておくことが望まれる。


 理想倒れ、枝葉末節に混乱されは、共に思考と準備が足りないと思います。両方を常に頭に置き、将来の展望実現のために、足もとの地固め(人材作り)が最も大事と思います。
 受験も事業も、高き理想は必要です。でも声ばかりで、中身(基礎学力、人材)を充実させないと、理想に近づくとはできません。やはり、寸暇を惜しんで努力をすることが、一番の近道と、多くに偉人、故事に説かれています。

「理想は高く、現実に立脚」

心にゆとりをもち、自分自身を日々検証し続ける明鏡止水の「心境」を忘れないことだとと思います。

*参考資料:守屋洋訳「新釈 菜根譚」より


<関連コミュ>
・菜根譚(さいこんたん) 
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909

・論語の言葉
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660

  

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2008年07月01日

(公務員の中立性)視点を変えて見る(『菜根譚』より)

(公務員の中立性)視点を変えて見る(『菜根譚』より)


(本文より)

 老練になった心境で若い時代を見つめれば、やみくもな闘争心を消し去ることができよう。
 落ちぶれたときの気持ちになって順調な時代を見つめれば、贅沢になりがちな心を押さえることができよう。

(解 釈)
 若いときは血気盛んであるから、元気にまかせて暴走する恐れがある。そこでこんなかたちで歯止めをかけるのである。ただし、近ごろの腑抜けのような若い連中を見ていると、少々暴走していいから、やる気を出してチャレンジせよと言いたくなる。
 また、経済的に恵まれてくると、知らず知らず生活も贅沢になっていく。これもどこかで歯止めをかけないと、後戻りがきかなくなる。


(感 想)
 人間、なれ(慣れ)ほど恐いものはない。後戻りが効くません。

 生物実験で、海の鯛を海水の池の入れ、少しづつ、少しづつ真水に変えて行くと、そのまま真水で生活できると知りました。

 人間も一緒で、贅沢が当たりまえ、癒着が当たりまえ、談合が当たり前になれば、真水の鯛と同じです。人間の心が、腐り始めたら、成人病と同じで、疾病が表面(犯罪)に出て初めて気づくのが、欲に犯された人間と思います。

~人間の慣れと言う心の病~
 官僚も始めは、ただの残業タクシーでしたが、サービスと証する「賄賂:冷えたビール・タクシー」の誘い水につかったと思います。自分だけは・・・、自分を謙虚に観察できる目(心)が、だんだん霞んで行くのだと思います。

 地方自治体は、小さなコミュニティーで運営されています。公務員の職員は、消防団、まちづくりメンバー、太鼓保存会、夏祭り実行委員会の重要なスタッフです。しかし、公的事業を行う執行官でもあります。

 行政職員は、住人の時と行政の執行官として立場を、きっちり別けれる人物でないといけません。公務員として立つ時は、「公平に競争の機会均等を実施できる「清廉さ」、いわゆる業者との癒着がないようの努めるべきと思います。

 真水に慣れて余裕で泳ぐ鯛にならないように、日々自分の心を引き締め、良心に問いながら公務員は仕事をして欲しいと思います。


*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より  

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2008年06月29日

満ち足りた先にあるのは転落(菜根譚)

満ち足りた先にあるのは転落(菜根譚)

(現代語訳)
 これ以上ない満ち足りた境遇は、今にもあふれ出ようとしている器の水のようなものである。このうえ一滴でも加えてはならない。
 追いつめられて瀬戸際に立たされている状態は、今まさに折れようとしている木の枝のようなものである。このうえ一押しでも加えてはならない。

(解 釈)
 満ち足りた状態の頂上まで達すると、その先に待っているものは転落である。せめてしばらくは横這いに維持できればよしとすべきなのかもしれない。

(感 想)
 弓を張り切った弦の切れる直前の状況を思い出すと、弦が切れ壊れる弓は、一瞬にして地に落ちる。人間も張り詰め続けることは、到底むずかしいと思います。緊張したり、気を緩めたり、日常生活にはリズムが必用と言いつつ、ついつい頑張りすぎてしまいます。

 でも、だらだらと日々をのんびり暮らすばかりでは困ります。常に志を忘れずに居れば、自ずと緩んだ気持ちを取り戻し、また目標へ向かって進めるものです。

 事業もまた、良い時もあれば、悪い時もあります。最高潮の時は、落ち目になるための準備要りますし、どん底の時こそもう一度目標を持ち踏ん張ることが必用です。

 西郷隆盛の遺訓集の表紙の言葉は、次に一節です。
 「無事は有事の如く、有事は無事の如く」
やはり、常に自分が、どんな状況にあるか、謙虚に省みるゆとりと勇気が必要なのかも知れません。
 そして、そこには決断が必用なことがあります。常に、平静を保ち考えることが大事なように思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より  

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2008年06月26日

引き際を誤るな~人に千日の好なく、花に百日の紅なし~

引き際を誤るな~人に千日の好なく、花に百日の紅なし~


(現代語訳)
 事業がいきづまって進退きわまったときには、初心に立ち返って失敗の原因を考えて見るがよい。

 事業が成功してすでに頂上をきわめたときは、いさぎよく身を引くことを考えなければならない。


(解 説)
「人ニ千日ノ好ナク、花ニ百日ノ紅ナシ」、つまり、全盛期は長く続かないというのが中国人の認識である。だとすれば、頂点をきわめたその瞬間に、早くも引退の準備にかからなければならない。

『老子』に、「功遂ゲ身退クハ、天ノ道ナリ」とあり、『史記』にも、「四時ノ序、功ヲ成ス者ハ去ル」とある。だが、現実には、「進ムヲ知ッテ退クヲ知ラズ」(『易経』)で、引退の潮時を誤る者が少なくない。

 ここで洪自誠が戒めているのも、そのことである。 


(感 想)
 「自分は、よく見えない」と、地位にこだわり、苦杯を飲んだ人がよく言うと色々な本で読みます。

「進ムヲ知ッテ退クヲ知ラズ」は、退き易きように後継者を育てることの大切さを説いているとも言えます。

 また、絶頂期は長く続かないことも知っておいて損はないと思います。
 「人ニ千日ノ好ナク、花ニ百日ノ紅ナシ」を読むと、古き時代から人間の迷いが、幾度となくくり返されて来た事がわかります。

平家の絶頂期が長く続かなったことを語った「驕れるものも久しからず・・・」にも表れています。

「初心に返れ」、「引き際を誤るな」は、事業を行う者として、決して忘れてはいけない教訓と思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より


<コミュ>
・菜根譚(さいこんたん):洪自誠著、守屋洋著「新釈 菜根譚」
 ~中国古典の名篇を、混迷・不安の時代を生き抜く指針として凝縮~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909  

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2008年06月11日

自分には厳しく(菜根譚)

自分には厳しく(菜根譚)


(本 文)

他人の過ちには寛大であれ。しかし、自分の過ちには厳しくなければならない。
自分の苦しみには歯をくいしばれ。しかし、他人の苦しみを見過ごしてはならない。


(読 釈)

すでに述べたように、「自分には厳しく、人には寛容に」、これが人間関係の大原則である。孔子も、「責任を自覚しているのが君子、他人に転嫁するのが小人である」と語っている。

とこるが近年、アメリカ流の影響であろうか、はたまた中国や韓国の影響であろうか、日本の社会にも、自分の責任は棚に上げて、人のことばかり責める風潮がひろがっている。

幸い日本には、衰えたりとはいえ、まだまだ他人を思いやる心が息づいている。こういう立派な伝統はこれからも残していきたい。


(感 想)

 先週書いた、アメリカで働く、日本女性カメラマンの川尻千晶さんのメッセージ「日本は、まだ大丈夫」ではないですが、他人を思いやる心は、まだまだ日本の殆ど人が持っていると思います。

 海外の被災地で、緊急支援物資を配布する風景を見て、ぞっとすることがあります。子供や老人を押しのけ、大の男たちが、われ先と争う様子は見るに耐えない気持ちを持つのは、日本の風習のお蔭かもしれません。

 ただ、いざその場面になった時、自分ははたしてどう行動するかが、問われると思います。「自分には厳しく、人には寛容に」を常に、心にとめて行動して行きたいと思います。


*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より


<関連 日記>
・(日本人へのエール)海外から見た、日本人の倫理感
 米国で活躍する女性カメラマン、川尻千晶さんからのメッセージ
http://noguchi.otemo-yan.net/e85512.html



  

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2008年06月05日

(ほどほどの境地)花を見るなら五部咲き(『菜根譚』より)

(ほどほどの境地)花を見るなら五部咲き(『菜根譚』より)


(現代語訳)

花を見るなら五部咲き、酒を飲むならほろ酔いかげん、このあたりが最高におもむきがある。
満開に花を見たり、酔いつぶれるまで飲んだりしたのでは、まったく興ざめだ。
満ち足りた境遇にある人は、このことをよく考えてほしい。


(解 説)

 ほどほどが良いのだという。酒にしても、飲むなというのではない、ほろ酔いかげんでやめておけというのだ、確かに、酔いつぶれるまで飲んだのでは、体にも悪いし、周りにも迷惑をかける。酔いからさめると。索然(さくぜん)たる思いまでこみ上げてくるではないか。
 漢の武帝も、「歓楽極マッテ哀情多シ」と歌っている。ほどほどをよしとする感想には大いに聞くべき点があるのではないか。


(感 想)

 花見の席、ワイワイ飲むのは良いが、終わり際になり良いつぶれて、おもむろに起こされ、とぼとぼとグループの後を付いて行く人を見ることがある。明日、みんなと顔を会わせるときにどんな挨拶をするのだろうと考えます。
 満開になったら、後はしぼむだけ。坂を上り詰めたら、後は下るだけ。物事も昇っていくときこそが、楽しい時間と思います。先人たちも、色々な場面で反省しつつ、上記の言葉を後世に対して残しているのかもしれません。
 人生、ほどほどで、勢いを止める心構えも時には必要なようです。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より
  

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2008年06月03日

立場を変えて考えよ(菜根譚)

立場を変えて考えよ(菜根譚)

(現代語訳)
低い地位にいれば、高い地位についている者に危かしさがよくわかる。
暗がりにいれば、明るみにいる人間がすけて見える。
じっと静かにしていれば、動き回っている人間のむなしさがわかってくる。
沈黙を守っていれば、多弁な人物のさわがしさが見えてくる。

(解 釈)
陽の当たる場所で得意げに振る舞っている人には、足もとに意外な落とし穴が待ちかまえているものだという。時には立場を変えて、自分の姿を見つめなおしてみる必要があるかもしれない。

(感 想)
自分の姿は、自分ではよく見えない(判らない)もとも、自分自身も思います。先人も、沈思黙考して自分の行動を、反省し、検証する時間を持つことをおすすめします。自分の姿を、時々、静かに見る時間を持つことが、自分を危険、危機から遠ざける予防になるように思います。


*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より  

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2008年05月24日

分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ(菜根譚)

分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ(菜根譚)

成功の陰には、けっこう幸運があると言われますが、昔の人も幸運を願っていたと思いますが、それに対しての訓示を紹介します。

(本文)
 分に過ぎた幸運は、理由のない授かりものは、神様の誘いの餅か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。

(解説)
 よくよくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうかも無視できない要素である。 しかし、幸運はあくまでも幸運にすぎない。今度恵まれるたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩重ねて行く以外になにのである。

(感想)
 「棚から牡丹餅」と言う言葉があるように、みんなが幸運を呼び込みたいと思ってます。

 昨日、女子バレー日本代表は、みごとな試合をして、オリンピックの切符を手にしました。その監督の柳本氏は、現役を辞め、ある中堅企業のバレー部の監督をすることになり、行ってみると自分の所属していてチームとは、会社の中で支援体制が全く違しました。
 柳本氏は、一番最初に事務所へ行き、机の掃除、仕事の準備、早朝に会社の入り口に立ち、バレーボール部への関心を持ってもらうチラシの配布、もちろんバレー部の強化は地道に続けて、1部リーグに参入するころには、大きな応援の仲間もできていたと言います。
 その成果が、日本代表監督と言う地位を射止めました。献身的な努力を必ず見ている人が居ます。そして、だんだん、応援したくなって来るのは、人間の性分なのかもしれません。

 西郷隆盛も「チャンスとは、地道な努力をした者にしかつかめない」と語っています。 急成長には、無理が生じてきます。ライブドアの堀江氏もその一人と思います。

 女子バレー日本代表は、まだ予選が続きます。浮き足立たず、気を引き締めて、予選を全勝で、北京へ乗り込んで行って欲しいなと思いいます。

「分に過ぎた幸運は人生の落とし穴」有頂天こそが、自分が試される時と思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より


  

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2008年05月06日

「全盛期には慎重に」「過ぎた幸運は落とし穴」(菜根譚より)

「全盛期には慎重に」「過ぎた幸運は落とし穴」(菜根譚より)

 休日の最終日、菜根譚の教示を2つ紹介します。なにかの参考になれば幸いです。

・全盛期には慎重を期せ

 元気盛んな時代に不摂生をかさねれば、年をとってから病気が出てくる。羽振りのよい時代に無理押しすれば、落ち目になってか報いをうける。
 元気盛んで羽振りのよい時代こそ、いやがうえにも慎重を期さなければならない。

(解説)
 この人生、後で「しまった!」と悔いることのなんと多いことか。ここで語っていることなども、その例に洩(も)れない。長い人生のなかには、一度くらいツキにも恵まれて調子の波に乗るときがやってくる。そんなとき、つい調子に乗りすぎて周りの反発をおさえる事が出来るけれども、いずれ落ち目になったとき、それが表に吹き出してきて、寄ってたかって足を引っ張られることになりかねないのである。

(感想)
 常に、謙虚、倹約、勤勉をモットーに、心を沈め、慎重に行動して行くことが大切なことと思います。と思いながらも、人間は、失敗しながら成長して行くことも重要な経験とも思います。。



・分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ

 分に過ぎた幸運、理由のない授かりものは、神様の誘いの餌か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。

(解説)
 よくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうか無視できない要素である。
 しかし、幸運はあくまでも幸運に過ぎない。今度恵まれたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩積み重ねて行く以外にないのである。

(感想)
 西郷隆盛の遺訓の中に「チャンスの意味」を説いた言葉がありました。

「チャンスをつかむ」の本当の意味とは、おのれの努力の積み重ねが徐々に形となっていき、ついに機が熟して、成功のきっかけとなることを指すのです。(西郷南州翁遺訓より)

 日々の努力こそが大事が重要なことを忘れ、「棚からぼた餅」の幸運だけを望んでいては、自分の成長は望めないことを指摘したことばと思います。
 分を過ぎた幸運は、何かの危険信号と思い、「チャンス」と「危機」は背中合わせと心得て、慎重に行動する事が必要と思います。


*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」  

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2008年05月02日

恵まれたときこそ人の苦しみを理解せよ(菜根譚)

恵まれたときこそ人の苦しみを理解せよ(菜根譚)

地位と財産に恵まれたときには、地位も財産のない人の苦しみを理解してやらなければならない。
若くて血気さかんなときには、年老いて弱りはてたときを思いやらねばならない。

(解説)
 金持には金持としての社会責任がある。日本の社会では、庄屋とか地主など、私財を投げうってまでも地域の面倒を見た人たちが多かった。これは日本社会の優れた伝統である。この伝統を受け継いでいきたい。
 また、血気盛んなときに、老残のわが身を思いやることができれば、老いたる人々をいたわる心も生まれてくるし、みずからの暴走にブレーキをかけることもできるであろう。
 これらのことは、いずれも「仁」の現われに他ならない。『孟子』によれば「仁は人の心なり」だという。これを失ったのでは、もはや人間ではないということかもしれない。

(感想)
 日本は、バブル絶頂期には、衰退して行くことを考えていなかったように思います。人間も、調子が良い時、悪い時、若い時、老いた時、色々な場面を考えるのは、その時にならないとなかなか実感がわきません。
 人の思いを考えるゆとりこそが、相手を思いやる基本のように思います。「仁は人の心なり」の気持ちを常に持って日々生活をしなければと思います。
  

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2008年04月25日

(平和に「忍」)胎動は、衰退の極みに生じる。(菜根譚)

(平和に「忍」)胎動は、衰退の極みに生じる。(菜根譚)

 下り坂に向かう兆しは、最盛期にあらわれ、新しいものの胎動は衰退の極みに生じる。
 順調なときにはいっそう気持ちをひき締めて異変に備え、難関にさしかかったときにはひたすら耐え忍んで初志を貫徹しなければならない。

(解説)
 唐の時代に、張公芸という人物がいたが、この家の人は、「九世同居」つまり大家族が同じ家に仲睦まじく暮らしていることで知られていた。
 時の皇帝が巡幸の途次、その邸に立ち寄って、「九世同居」の秘訣をたずねたところ、張公芸は、「紙筆ヲ請負イ、タダ百余忍ノ字ヲ書クノミ」だったという。

(感想)
 外から見ると、とても仲睦まじく、すばらしい生活に思える家庭も、そろえぞれ個性の違う人間同士、日々の意見の食い違いに、戸惑う事が多々あると思いますが、それを調整し、大家族が暮らすには「忍」の一字に尽きる教えは、感銘を受けます。

 「絶頂期に衰退の目が起り、どん底に上昇の兆しが見える」、苦しみの中にこそ楽しみを見つけ、好調な時にこそ厳しく自分を省みる心がけを忘れないの言葉は、ごく当たりまえのことですが、これがなかなかできないのが、人間の性分と思います。

 「順調なときにはいっそう気持ちをひき締めて異変に備え・・」今日も、気を引き締めて、仕事に向かいたいと思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」  

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2008年04月20日

天の意志をもはね返す志を持て(菜根譚)

天の意志をもはね返す志を持て(菜根譚)

天が冷遇して幸福をさずけてくれなければ、わが徳をみがいて幸福をかちとるがよい。
天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして苦痛をいやすがよい。
天が苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道を守って初志を貫徹するがよい。
これなら、天といえども、どうすることもできまい。

(解説)
 もともと天の意志には逆らえないのだが、はね返す策がないでもない。それは他でもない、ガードを固めてつけ入る隙を与えないことだという。

(感想)
 日々の気楽な環境にこそ、隙が潜んでいる。ミスをどう防ぐか、落ちそうになった時に、どう対応するかが大事な「ガード」ではないかと思います。
 八方気配り、沈思黙考、決断したら、即実行。自分の心と語りつつ、日々の努力を続けて生きたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:16Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年04月16日

不愉快な忠告こそ聞け(菜根譚)

不愉快な忠告こそ聞け(菜根譚)

 たえず不愉快な忠告を耳にし、思いどおりにならない出来事をかかえていてこそ、自分を向上させることができる。
 耳にこころ良いことばかり聞かされ、思いどおりになることばかり起こっていたら、どうなるか。自分の人生をわざわざ毒びたしにしているようなものだ。

(解説)
 忠告や諫言(かんげん)は、聞かされる方にすれば、けっしてこころよいものではない。だが、これにどう対応するかによって、人間としての器量が問われるばかりでなく、成長を遂げるか成長を止めるてしまうかの分かれ道ともなる。

(感想)
 耳に心地よい言葉が、気分が良いものです。
 問題の真髄をずばり突く、苦言は歯をくいしばりたくなります。

でも、どちらが将来自分を大きくするか思うと、忠告をしてくれた人を怨み、さげすむようでは、将来は難しいと一般に人も考えます。性格で、ついついやってしまうミスがあります。それを隠し、取り繕っても、ボロが必ず後で出てきます。

それよりは、忠告、諫言を謙虚に聞き、の忠告者を先生にして、自分の悪い部分を修正する懐の深さが、必要と思います。そして、その忠告者も仲間になって行くとことが多々あります。

何ごとにも、謙虚な姿勢が、苦境を開くと思います。臆せず、非を認め、改善する勇気が必要な気がします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 01:41Comments(0)TrackBack(0)菜根譚