2008年08月17日

悪口を言われて、陥ってはならない行為とは

悪口を言われて、陥ってはならない行為とは

 悪口(批評)の対応する色々な対応策(知恵)が、歴史書から読み取れます。敬慕する偉人の一人、新渡戸稲造氏の著書に、次に言葉がありました。悪口を言われて、陥ってはならない行為とは、
 一つ、その悪口をいった人を怨むこと
 二つ、自分の悪口さたれたのを聞き怒ること
 三つ、悪口を耳にしてヤケとなること
 四つ、悪口に対する弁解に大いにつとむること
 五つ、悪口のために落胆し萎縮すること
などの注意事項です。このような心境にならないようにするために、新渡戸稲造氏の著書「自警録」にあった、知恵(工夫)をすこし紹介します。

(本文より)

一つ、悪口は知事的なものが多い
「人の噂も七十五日」、その実は寝も葉もないことがおい。数週間もすれば、記憶から消え、さらに1月もすれば評価が逆になっていることもあります。

二つ、悪口に大部分は介意の値なし
 かくのごとき時には、少し度胸を大きく持ち、今日あって明日なき言葉のはの、一風吹けば散り果てるものだと思うと、悪口もさほど不愉快に感ぜぬのみならず。

三つ、知らぬ人の批評には弁解が要らぬ
 君を知らぬ人がからこれ批評をすることは、さほど意に介するに及ばぬ。すなわち君を知らぬ我が輩は君にいわゆる世間であるが、我が輩は君を何とも思わぬといった。

四つ、かかる悪口は自然に消える
 これがために軽々しく一命を捨て、ヤケとなり、あるいは他を怨むことを要せぬ。ジッとしてそれを放任すれば、自然にその悪口も消え、真実のみが残って、最後の勝利を得る。

五つ、言語よりも実行をもって弁解せよ
 これがために他人に迷惑を及ぼすのであれば、それは説明する必要もあるが、しからざればこれまた放任して置くべきものと思う。もし強いて弁解するなら、言語をもってせず実行をもって示すべきであると思う。

六つ、悪口に対する理想的態度
 日ごろの修養如何によりてその価値が著しく違う。白隠和尚の逸話から、

 白隠和尚〔1685~1768〕はその檀家の娘が妊娠して和尚の種子を宿したと白状したとき、世人からは生ぐさ坊主と悲惨されても、平然して、
「ああそうかい」
と言い、生まれた後は、自分でその子をだきなどしていてが、後、和尚の種子でなく、娘の一時のがれに和尚の名を汚したことが明らかになった時も、また、
「ああそうかい」
といって世間の毀誉褒貶(きよほうへん)に無頓着であったという。

 僕は悪口に対してはこの心がけをもって世に処したい。いかに人はかれこれいうとも己れさえ道を踏むことを怠らずば、何の策も弄せずとも、いつの間にか黒白判然するものである。(中略)

 偉人の言葉は、鋭くも温かいものを感じます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:57Comments(0)TrackBack(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年05月29日

やわらかく握るところに人生の真味あり(新渡戸稲造『自警録』)

やわらかく握るところに人生の真味あり(新渡戸稲造『自警録』より)

 老子の言葉に、他人を理解するものを「智」、自分を理解するものを「明」と評し、その自分を理解していない人が、自分も含めいかに多いことか、最近の出来事で色々経験しました。昨日も、自分を確かめられるメールで、ハッと気づかされました。
 時機はあるものと、痛感しました。

 さて、武士道を海外へ紹介したことで日本人みんなが知っている新渡戸稲造氏が、明治後半から大正初期に書かれた、青年へ向けたメッセージのコラム集があります。全部で4冊あるのですが、三冊目の「自警録」と言うものの中に、次の一説がありました。ご紹介します。

(本文より)

やわらかく握るところに人生の真味あり 

 たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡し舟のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかなに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕のしばしば引用する『菜根譚』には、

「経路せまきところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃(こまや)やかなるものは、三分を減じて人に譲りて嗜(たしな)む、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。また、

「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」

といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り返してあるが、実にその通り、自分の権利を最大限に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁(さおう)〔シェークスピア〕の言にも、

「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」

と、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。

これはむろん掴む工合にもよりけりであるが、ここに述べたのは粟とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に掴み得るものであるまいか。

権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度で、なるべく人に譲るをもって、人生の真味を味わい得るものと思う。(中略)


 今日の紹介文は、長くなりましたが、全文を読んで頂かないと真意が伝わらないので、そうしました。私の感想等は、必要ないと思います。
 人生の達人、新渡戸稲造氏の生き方の教示には、敬服するばかりです。(感謝)

 色々、ご意見頂ければ幸いです。




  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:50Comments(0)TrackBack(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年05月19日

(心の持ち方)人生の勝利者とは・・

(心の持ち方)人生の勝利者とは・・〔新渡戸稲造著「自警録」より〕

新渡戸稲造氏の人生訓とも言える「自警録~心のもちかた~」を少しづつ読んでいて、うなずくものがありました。ご紹介します。

(本文より)
(中略)・・野蛮の社会においては腕力ある者が最強者で、最大勝利者で、人の尊敬し自己もまた得意であった。社会が一定の秩序の下に治められ、腕力のみをもって優劣を定めることを止めて以来、理屈の最も分かるものが社会で勝利を得ることになった。すなわち法治国家においては法を破らぬ範囲内において、自己の利益を最もよく図るものが勝利者となるに至った。しかるに社会がさらに進歩して礼をもって治められる時代に到達したならが、礼に最も暑き人が最高の勝利者となる。(中略)

 ・・してあらゆる種類の敵に勝つ者は一番偉い勝者である。時は敵とは称せずとも、吾人の勝つべき相手もある。それは親兄弟、妻子、朋友のごときはもちろん敵ではないが、彼らが我々の心に服さぬことがあれば、その不服の範囲において敵のごときものである。ゆえに広い意味において親兄弟にも勝たねばならぬ。楠正成の歌〔伝〕に、
「我にかちみかたに勝ちて的にかつこれを武将の三勝といふ」とある(中略)
 

 その時々の勝者とは、移り変わりがあり、思想も刻々変化しているものです。20年前に、インターネット、携帯電話の現在の普及は想像できないものがありました。
 それとどの時点を勝利点と見なすかで、勝敗も分かれると思います。そして、それぞれの心の有り様、勝負の目的によっても立場(結果)の見方も違ってきます。

 中国故事に、後の英雄の韓信(かんしん)を侮り、股間を匍伏せしめた少年は、その時は勝者でした。、ちまた(市)の人は韓信が負けたことを笑いました。しかし今日は、当時勝ったという少年の名は知るものは居らず、韓信の名を知らぬものは居ない。
「負けて勝つ知恵の力の強さにはたれも感心するぞ韓信」

(本文より)
(中略)・・さらに一歩を進めて、服従させるとは何のためと問わば、これ自己の意志を行うためと答えてよかろう。しからば勝つとは吾が意を遂げるなりと定義したい。(中略)

 勝敗の理解は、関わるそれぞれの人の心が決める事で、周りがとやかく言おうと、自分自身の目的を高く持ち、争うにしろ、競うにしろ、納得するのは自分自身の心が決めるしかないと、新渡戸稲造氏の言葉も語っています。
 それともう一つは、自分の標準点を高く設定し、正攻法で実現へ向けて努力を怠らないことも大事と示唆が書かれていました。最後は、結果をどう受け入れるかにかかっているように思います。
 
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録~心のもちかた~」



(開運のすすめ)積善の家には、必ず余慶あり
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=811015836&owner_id=2182841  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:22Comments(0)TrackBack(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年05月18日

(自信とは)全て経験、怖気づかず、前に進む

(自信とは)全て経験、怖気づかず、前に進む

 色々な処へいくと、色々な人達に会えるのが楽しみです。そこで気付いたこと、知らないことを、少し学び続けているうちに、今に至りました。私のエネルギーは、人への興味なのかもしれません。

 私は、普段、2~3冊の本を持ち歩き、気分で取り替えながら読むのですが、車の運転中に信号待ちで読む、数行の言葉。新しい本は、あまりなく数年前に出た文庫本が中心で、小さなバックに入れて、時間ができると引っぱり出して読む、ちょっと読み型です。しかし、それでも年間にすると冊数は、増えるもので、年間40冊を越えるペースになります。

 今読んでいる中に、新渡戸稲造氏の人生訓を表した「自警録~こころの持ち方~」を、暇を見つけては読んでいます。数日空くときは、再度数ページ前から読み返すことが必要ですが、自分の年にちょうど良い指摘がたくさん掲載されています。
 その一節に、次の文章がありました。

(本文より)
(中略)・・たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論をしたある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり胡坐をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼がひとりで暫時議論した後、僕にむかい、

「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」

と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学生を巡回し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、

「行儀を正すことが目下の一大急務なり」

というや。今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服でおおわんとしたり、あるいは胡坐をかいた足を幾分むすび直し、正座の姿に移らんとした。(中略)

 ゆえに一言でも話頭(はなし)が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしく剛胆なる青年と思われたものが、みすぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。(中略)


 「怖気づく」と言う言葉がありますが、この一説はのその「怖気」の意味を説明した一文ですが、今、どこでも見れそうな風景と思います。

 人それぞれ、人に負けない知識、思い(目標)があると思います。初対面、あるいは会議の場で、われ先にと意見を出し、巻くし立てる人がいて、議論が終わったころ、おもむろに先輩から「○○について、矛盾があるが、詳しく説明を願いたい・・・」の問いが、想像を超えたものであれば、返答につまり意気消沈する場面があると思います。
 公に、持論を発表するときは、前準備をしっかりして、先輩方の意見を入れつつ、新しい仕組みの議論をする必要性を学びます。

 その経験の積み重ねしか、自信を持つ、怖気づかない気持ちを育てることを、新渡戸稲造氏も色々な経験をしつつ、国際連盟に指導者の一人に成長されたのだと思います。
 何事もうまく行かないことを「失敗」と思わず、全て「経験」として、積み上げて行く事が大事なように最近感じています。 

 なにか、ご意見頂ければ幸いです。



<以前の日記>

・(隠せない現実)サイクロン死者・不明13万人…国営テレビ
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808923408&owner_id=2182841

・(夏の兆し)我が家の周りをホタルが飛び始めました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=809342597&owner_id=2182841

・人は、追い付けないもう一人の人間を追う
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808539186&owner_id=2182841
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:59Comments(0)TrackBack(0)自警録(新渡戸稲造)