2008年08月04日

どんなことも喜んで受け入れること~マザー・テレサ~

どんなことも喜んで受け入れること~マザー・テレサ~

偉人の言葉より、マザー・テレサの言葉


喜びは愛。
喜びは、愛に燃える心の当然の実りです。
喜びは、なくてはならないものであり、
目に見える力の源。
私たちのともしびは、愛による犠牲で燃え続けるでしょう。
~マザー・テレサ~


喜び、感動、感激、・・・人の元気にします。
そして、意欲を湧きださせるものです。

心を揺り動かすような感動を日々感じられるような気持ちで
居たいと思います。


喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛。
喜びは、人の魂を受け止めつることのできる愛の網。
喜んで与える人は、最も多く与える人です。
神と人々にあなたの感謝の心を表す何時版の方法は、
どんなことでも喜んで受け入れることです。
~マザー・テレサ~


マザー・テレサも心の広さと奥深さを感じます。
全ての境遇を受け入れる教えは、儒教にも、仏教にもあ
ります。
今を受け止める勇気と、許容力こそが、豊かさと喜びを
知る始まりかもしれません。

「どんなことも喜んで受け入れること」

今日の言葉の紹介でした。

*参考資料:いなます みかこ訳「マザーテレサの日々のことば」より  

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2008年07月17日

(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~

(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~

「構へ有りて構へなしと云ふは、太刀を構ふると云ふにあらず」(五輪の書)

 たとえ風見鶏と言われても自信をもてということ。日本人は、「忠」とか「誠」とか、唱えて意志を貫くことが尊ぶが、宮本武蔵の言う自分を変えろと言うのは、時代の流れ(世が望むこと)に、答えるよう自分を変化(向上)させる、あるいは答えられる能力を備えることが重要と説いていると、童門冬ニ氏の「宮本武蔵の人生訓」にあった。

 日本で言う風見鶏は、利のある方向へ鞍替えする意味ですが、武蔵の言う風見鶏は、社会の要請に対して、自分を何度も変えられる鳥のこと。要は、自己変革のできる人間のことで、単に風向きに合わせて、自分の立場を考えているだけではない人間のことです。
 
 日本社会は、「視線(おもわく)社会」であって、「自分が自分をどう思うか」よりも、「他人が自分のことをどう見るか」が、物差しになっているように思います。以下は、童門氏の言葉を引用します。

(本文)
 他人の視線(言葉)を風と考えている人が多い。しかし、これは本当の風ではない。風と思うのは錯覚である。(中略)
日本人の多くが、ほとんど他人の目を気にして生きている。自分を目を信じない。そして、心の底で、自分は納得しなくても、不承不承、他人の目に従うことが多い。つまり自分を偽って生きている。だから、そういう面で苦悩が多い。
 武蔵はそんなことはしなかった。彼は、あくまでも、自分に忠実に生きた。自分が自分をどう思うか、それを生きる物差しにした。
 「自分自身の原則」を強くもっていかたからである。その原則を信ずる限り、他人がどう思おうと構わない。状況の応じて、自分を変質し、生き抜いていくことは、決して悪いことではないと武蔵は思っていた。
 それが良いことか悪いことかを分ける物差しは、
「自分が変ることが、他人の役に立つか立たないのか。世の中の役に立つか立たないか」と言うことである。(中略)


 今日も難しい会議がありました。薄れている気持ちを、どう揺り戻すか、誰の意見を使い、どう活発に意見が出るようにして、参加意識を高めるにはどうしようかと、思案をしながら始まりました。不思議なことに、感じていることは「皆同じ」で、同じ空気を思いました。

 私は、いつも会議に白紙で臨むのですが、参加する一人ひとりが意見を出せるように、それぞれのを意見を採用して、活性化させるかに、議長の時でなく、末席の参加の時も心掛けています。すると活動で同じ時間過ごした人達は、空気を読み、少しづつ本音が出て来るものです。

 代表は、短く終わろうと言ってたのが、問題点がだんだん出てくると、早く終わるもくろみは消え、全部が真剣勝負の議論になって行きました。とても有意義な会議なりました。会議が終わってもまだ議論が終わらない、でもその会話の中身は、先を見据えた話題に発展していて、とても感激しました。

 風を読み、自分を流れに乗せるために、変化させる工夫こそが、風見鶏です。ただし、決して私利私欲が入ると、その判断を誤ります。不思議なものです。

無心になり、風を読む練習を常に積むことが必要と思います。人間は、人と関わりながらしか生きて行けませんから、困難に怯むことなく、「世の中の役に立つか立たないか」を物差しに、自分を変化させ続けること大事と思いました。

*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」


<コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=3200969
  

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2008年07月07日

(人物観察学)『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他

(人物観察学)『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他

 色々な活動をしていると、多様な人物と出会います。人と語ると人物評価の好きな人がけっこう居ることに気づきます。この人物評価は、実際に仕事の成果に大きく関わることでもあります。私自身は、人を評価を参考にはしますが、必ず自分で本人を会い、色々語り、日常の行動や発言を検証し、どんな形で付き合うか、深く関わるか、一般の方と同じように挨拶程度の付き合いにするか、日々が真剣勝負と思っています。

 偉人たちも、部下の選定に相当苦労したようで、人物評価の方法もいくつか伝えられています。三国志の英雄、諸葛孔明もまた、国家を維持するために多くの人材を登用したのだと思います。そこで『三国志』の名宰相、諸葛孔明の人物鑑定法は、次に7項目が伝えられています。

一、ある事柄について善悪の判断の態度がどう変化するかを観察する。
二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。
三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察る。
四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。
五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。
六、利益で誘ってみて、その程度清廉であるか観察する。
七、仕事をやらせてみて、命じたとうりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。

この七項目は直接には、リーダーの立場から部下を評価する手がかりについて述べたものですが、広く人物鑑定法としても、当てはまる部分が多いと思います。

また、同時代の魏の政治顧問の李克の人物評に、「貧シテハ、ソノ取ラザル所ヲ視ル」とあります。「貧すれば純す」とも言う。貧したり窮したりしたときに、その人の志が問われるのかもしれません。

また、私の師がよく言われる「これからの人材に必要な、3つの要素は、先見性、魅力・磁力、(逃げない)責任力」も大事な要素と思います。

時代を読み、近づく社会の変化を的確に感じ、先手先手を打ち出す能力。人を引き付ける魅力は、「徳」とか、「人格」とか言うのですが、志しを持ち自分を高める努力を怠らないこと。そしてもっとも大事な要素は、事件、不肖等が発生したとき、責任逃れをせず最後までかかわり続ける責任力(感)が、いつの時代でも必要と思います。

友人知人、上司部下、更には家族親族も含め、相手と自分との関係を考え、周りがより良き方向に進むように考え、人の心を読み、行動したいと思います。

*参考資料:守屋洋著「中国三千年の興亡にみる『将たる器』の研究」より


<以前の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=861762230&owner_id=2182841

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞(異業種交流会)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
 場 所 熊本交通センターホテル3F
 講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
 テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
*詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
  

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2008年07月03日

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)

人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
 ~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~

 二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。

 「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は
 「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は
 ・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。
 ・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。
 ・三番目が常に冷静な「頭」。
 ・最後の「技」とは、行動することと考えています。
 現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも
 「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方
 谷の理念と言えます。」

山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩、

・山田方谷エピソードから(9歳の時の塾(思誠館)での話し)塾の訪問者が、若者と一緒に学ぶ
 山田方谷少年に対して質問をした。
(訪問者)「学問はなんのためにやるか?」とたずねると、
(方谷少年)「治国平天下」と即答し、訪問者は腰を抜かしたとか。

教育者の志(心)と指導理念で、教育環境は大きく変わることを感じます。今の教育は、知識の詰め込みと心のこもらない管理主義の教育現場では、学校への不満の表現として、卒業式で礼(頭を下げない)をしない風景を見たとき、ここまで教育環境が落ちたかと感じました。現在の日本社会にも「心の成長の足りない大人たち」が増え、不透明な世相として現れ、子供たちも感じ取り、未来を描けないのではと心配します。

 学校現場の教師や多様な分野の指導者が、山田方谷の理念[心・胆・頭・技]を理想として、学問を深め、言葉だけでなく態度「技」からも若者に学ぶことの意味を示して欲しいものです。
 これは、私自身も親として子供に見せて行かないといけませんが、自分を省みるとまだ反省することも多々あります。できることを少しづつやりたいと思っています。

余談ですが、全日空の改革は、山田方谷の理財論や陽明学の「知行合一」の考えの基、大橋洋治社長は、鬼気(危機)迫る思いで、実行していると対談の中で語られています。日本の航空業界での躍進は、陽明学をベースとする高い理想が支えているよう感じました。


さて明日の運動会、まず保護者として明日に向けた準備から頑張ります。率先垂範のさわり程度は、しないとと久々に大橋社長の言葉を読んで思いました。
  

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2008年07月03日

(義務と特権)「『武士道』解題」李登輝著より

(義務と特権)「『武士道』解題(ノーブレス・オブリージュ)」李登輝著より

 ふと寄った地元の図書館で最近気になっている言葉「ノーブレス・オブリージュ」の文字につられて選んだ、台湾の指導者だった李登輝氏の著書「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」を読んでいます。

 武士道はもちろん、戦前の日本を代表する国際人、新渡戸稲造氏が著した本のことです。李登輝氏は、戦前の台湾で日本の教育を受け、京都大学で農業経済を勉強しますが、大きく影響を与えたのは、新渡戸氏の著書だったそうです。その中で「義」について、新渡戸氏の言葉と、李登輝氏の言葉を紹介します。


『義』 (Rectitude or Justice)~武士道「義」より、

「義は、武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。」

・林子平(1738~1793、経世家)
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、打つべき場所に打つことなり」

・真木和泉(1813~1864、幕末の尊皇攘夷の指導者)
「節義は例えて言わば人の身体の骨あるごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず、されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」

孟子曰く「仁は人の心なり、義は人の路なり」
「その路を捨てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人鶏犬の放つあらば即ちこれを求むるを知る。心を放つあるも求むるを知らず」

イエス・キリスト(孟子から遅るること三百年に生まれた)の言葉
「我は失せし者の見いださるべき義の道なり」

(新渡戸稲造氏の意見)
 私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直(なお)くかつ狭き路である。
(以上、新渡戸稲造著「武士道」より引用)

(以下、李登輝氏の「武士道」解題より)
 「義」と言うのは、「武士道」を考えて行く上でも最も重要な観念の一つであり、決して「個人」や「私」的なレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベルにまで高く引き上げて受け止めていかねばなりません。

 すなわち、「義」というものは、もっと広い意味の「公義」という形でとらえられるべきであり、その段階にまで持っていかなければほとんど意味をなさない、と私は確信しているのです。広い意味という場合には、これはもう「武士」とか「平民」とかいった゛階級゛などには全く関係ない「人間」全体の生き方の問題となってくる。すなわち、「人類社会」全体にかかわる根本的な問題としてとらえなければならない、と思うからです。(中略)


 とても崇高な精神を感じる一節で、人間の生きる目的「本分」とは何かと教えられる思いを持ちます。

 戦後の日本は、「義」の心は薄れ、霧消しています。その代わりあるのが「利」でそれも、「私利私欲」が前面にして、他人の生活、命までも奪う、経済システム(社会通念)になってしまいました。
 戦前、日本の教育は、戦争を止められなかった責任はありますが、明治維新以来、「公儀」の仕事の奔走した偉人たちのバックボーンに「武士道」の心があったことは間違いありません。武士の闘争心ではないく、公に尽くす精神を日本人に呼び戻すことが急務と思います。

ノーブレス・オブリージュ:生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権 

を理解し、無理せずにできる「社会奉仕の心」を育てる教育が必用なように思います。

*参考資料:李登輝著「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」(2003年初版)  

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2008年06月29日

(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~

 今日は、後輩の結婚式で、仲間2人と一緒に参加するのですが、日ごろはあんまり会わないのですが、久々の晴の席での宴席で、梅雨の暗い気分を明るくしてくれています。
 昼食時からお酒の席、たまには良いのかもしれません。


(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~

 学問とは何か、自分自身は答えをはっきりと答えれないのですが、「日々の中にこそ学問がある」と、江戸中期の儒学者で、政治家だった熊沢蕃山が、説いています。
 昭和の東洋哲学者、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」の中に書かれた熊沢蕃山の理念を紹介します。

(本文より転載)
 ある人が、゛自分は本当の学問をしたのだけれども、どうも仕事が忙しいので、思うように学問ができない゛と言ったのに対して、蕃山先生は次にように説いておる。

 学問と言うものは自分の仕事・自分の生活を決して別物ではない。別物どころか、自分に与られておる仕事や生活をより立派に、満足にしてゆくのが学問である。だからいくらも忙しくても学問はできる、何をしておっても学問はできるのであって、せっかくの自分の仕事・生活を捨てて学問をしようなどとかんがえるのは、とんでもない間違いである。そんなものは学問ではない、学問と称するむだごとと同じ事である。

 本当の学問とは、たとえば役人なれば役人、商人なれば商人が、自分の仕事・生活に一生懸命励んで、そのために自分の心を満足させ、仕事に関する啓発をおこない、その満足、内心の信念・智慧というようなものが溢れて、生活となり、風格となる、これが本当の学問であって、詩をつくったり、文章を書いたり、いろいろな本をあさったりすることが学問ではない、ということを惇々として教えておる。(中略)


 私には、日々の生活を充実させることが大事と言うとのように聞こえます。忙しく、色々な会に参加して、人と会い、学ぶことは大切と思います。

 幕末-明治初期の陽明学者、山田方谷は、弟子の河井継之助に、「本で学び足りなければ、地域の先輩に学び、それでの足りなければ全国の識者に学び、それでも足りなければ歴史の人物に学べ」と、説いたそうです。

 しかし、陽明学者でもあった、熊沢蕃山の教えは、更に深いところを指摘しているように置思います。更に、蕃山先生は、次のように説いています。

(本文より転載)
 学問というものはまず蔵さなければならならん、出さずに自分の内に入れておかなければならん。これは見せびらかすために取り入れるかどというのは、Pedantic(衒学(げんがく))といって、本当の学問ではない。西洋人もこれを嫌います。これは何事によらずそうであります。

 つまらない人間ほど財産とか、地位とか、いうものを見せびらかします。できた人間ほど有れども無きごとしで、外に出さない。出さないのではなくて出ない。学問というものはまず蔵さなければならん。

 しかし蔵してカビは生えたり、ほこりをかぶっては仕様がないので、そこは一つ修めなければならん、整えて立派に磨かなければならん。(中略)


 日々、研鑽し、自分を鍛えることが、学問で在ると蕃山先生は説いたと、安岡先生が語っています。陽明学の祖、王陽明は、日々の生活・仕事の中で、研鑽し、自分を鍛えることを「事上磨練」と言う言葉で説いています。

 高学歴を目標とする現在の学問(学習)の考え方ではなくて、日々の生活の中で、偉人や先輩の教えに耳傾け、実践する事が一番の学問実践(研鑽)につながるのかもしれません。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の言志四録の始めにある教えがあります。(現代語訳)

「学問と行うには、志を立てることより大事なものはない。しかし、志を立てることを外から無理に強制してはいけない。ただ、その本心の赴くところも従うばかちである。」
  
 志の持ち続けること日々の実践こそが、人間を高める一番の方法なのかもしれません。

 それと、私の知り得たことをブログに書く(外へ出す)ことは、盤山先生の理念からすると、間違いなのかもしれません。少々反省する、ブログになりました。長文を最後までお読み頂き感謝します。

*参考資料:安岡正篤先生著書「人間学のすすめ」~熊沢蕃山~
渡邊五三郎監修「斉藤一日一話」~『言志四録』を読む~


<以前の日記>
・ブロードキャスター打ち切り/満ち足りた先にあるのは転落
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=853123426&owner_id=2182841&org_id=852452330

<催しのご案内>
・2008異業種交流会「夏の会」
 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
 日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
 場 所 熊本交通センターホテル3F
 講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841  

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2008年06月27日

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者) *再掲載

人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
  ~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~

 二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。

 「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は  「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は

 ・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。

 ・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。

 ・三番目が常に冷静な「頭」。

 ・最後の「技」とは、行動することと考えています。

 現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも 「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方 谷の理念と言えます。」

山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩
  

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2008年05月24日

幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋(ネットワーク)の達人なり

幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋(ネットワーク)の達人なり

生きるための学問を、命かけて実践して示した人が、坂本龍馬だったように思います。
龍馬は、論語の中で出てくる、中庸と斡旋(人の世話、仲介)の実践者だったと思います。

 さて、私と坂本竜馬との出会いは、20代で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が始まりと思います。それと海音寺潮五郎氏「幕末動乱の男たち」を読んで以来、数年間は建築の勉強で時間が空き、33歳の時に、横井小楠先哲と松前重義先生の理念を学ぶ「くまもと地球市民塾」の参加したことで、幕末のことを勉強する事になりました。

 横井小楠は、幕末の熊本で、政治思想家として活躍した方で、福井藩の財政再建、行政改革を指導し、徳川幕府の幕閣でもあった福井藩主の第16代松平春嶽の政治顧問として、様々な改革提言を行って、維新後には、新政府の閣僚に一人として就任しますが、明治2年刺客に襲われ、命を落とします。

 この横井小楠を、坂本竜馬の師である勝海舟が、「氷川清話」の中で、世に恐ろしき者が二人居る、西郷隆盛と横井小楠。もし、小楠先生の理想を、西郷が実行すれば大変なことになる趣旨の言葉で書かれています。

 熊本に、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、松平春嶽、と明治の熊本の改革新政権の細川氏5人を顕彰する「横井小楠と維新群像」の銅像が建っています。坂本竜馬は、横井小楠に5度会ったといわれていますが、その対談ごとに成長して行ったことが良く分かります。 始めは、勝海舟の用事の代理として、横井小楠の私塾「四時軒」をたずねます。当時の様子を政治評論家の内田健三氏から、小楠の最後の内弟子だった内田氏の祖父内藤泰吉氏が語った話を、聞く機会がありました。

「龍馬が訪ねて来て、議論始まった。控えの間で、お茶を出す用意と、小楠にもし切りつけることがあればと刀を抜く準備をして待った。話を様子が、だんだん小楠先生の理論を聞く雰囲気になり、茶を持って襖を開けた。」

 当時、やっと江戸の勝海舟に弟子入りし、国や世界の在り様を勉強中だった竜馬は、小楠の改革論に聞き入ったのが良く理解できます。 

 そして次は、小楠が福井に居た時、再度訪ねます。そのころは、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允等々との交流もあり、日本状況を掴み、持論も含め小楠とやり取りをしたそうです。まだまだ、小楠の政治理論に学ぶところが多く、師の一人として見ていたようです。

 最後に、勝海舟と一緒に長崎から帰る時、熊本へ寄り、海舟の変わりに支援物を届けたときには、薩長連合が出来上がる直前だった時期ですが、当時の小楠の構想は、小楠に縁のある藩の連合で倒幕だったようですが、既に龍馬の構想は、元は敵だった薩摩と長州をくっつける構想を持っていたようで、小楠との別れ際に「我々が実行することを、先生は高みから、見物していてください」の意味の言葉を語ったとあります。その後、龍馬は、薩長連合を組み立て、倒幕のため京都へ向わせます。

 しかし、当の竜馬自身は、もっと違う世界を見ていたように思います。竜馬を顕彰する時に良く出てくる『世界の海援隊になる』という発想に表れていたように思います。
 東アジアへの西洋列強の進出と植民地化、世界貿易を円滑にするために、働く応援団、その後を継いだ三菱の創始者の岩崎弥太郎の行動が、それに近いのかなと思います。岩崎氏は、「海援隊→亀山社中」に所属していたことは良く知られていますが、国と国をつなぐ仕事が「世界の海援隊」と私は、勝手に想像しています。

 奇しくも、龍馬は、狂剣に命を取られますが、その精神は今での多くの人々の心を捉えています。その生涯を見て、私の考える龍馬は、脱藩後にやった大きな仕事は、人と人をつなぐ仕事を積み重ねが、明治維新の場で、大きな功績につながったと思います。
 確かに、「船中八策」は有名ですが、小楠の弟子だった福井藩の由利公正も同じ理論を持っていたと歴史書で読みました。福井に行って、小楠との意見交換時に、勉強熱心だった由利が、同席しないことはなかったとは思えません。龍馬は、人と会い、学び、成長し、更に、人物を求めて行く中で、日本の未来(ビジョン)を勝海舟と画いたではないかと考えます。
 坂本龍馬は、誕生日と亡くなって日が同じとドラマチックなのですが、天が幕末・維新、活躍する人々をつなぎ、協力させるために使わした志士の一人だったと思います。

 龍馬の一生は、人と人をつなぐ仕事「斡旋」を、幕末やり続けたことではないかと思います。その目的は、自分が維新後の閣僚になるとかではなく、世界貿易をするには、日本が変わらねば自分の夢が叶わない、今は、この幕府を倒し、新しい日本を作る必要があることを認識して、最良の方策「大政奉還」と言う発想を生み出したと思います。

 そんな思いから、坂本龍馬は、「斡旋の達人」だったと思っています。

 私欲を捨て、公にために働いた方は、この龍馬と、明治・大正期に活躍した新渡戸稲造氏ではないかと思います。新渡戸氏は世界平和のために、龍馬は新日本のために賢明に働いた偉人と思っています。

不知火龍馬会 会長 野口修一


<コミュ>

・不知火龍馬会(熊本)
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=773071

すみません、コモンズ・くまもと、にも同じ内容のものを載せました、ご容赦下さい。

  

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