2021年06月28日
<"まだ"と"もう"はだいぶ意味が違う>人生に遅すぎるということはない。〜安藤百福(日清食品創業者)〜
<"まだ"と"もう"はだいぶ意味が違う>人生に遅すぎるということはない。〜安藤百福(日清食品創業者)〜
歩こうと目覚めたが、小雨予報に・・・明日に延期しました。
冒頭の言葉の安藤百福氏は、チキンラーメン、カップヌードルの発明者ですが、チキンラーメンの開発には、多くの努力と時間を要した。発明するきっかけは、信用組合理事長の時、信用組合が倒産し、すべての財産を失うことになった。その時、安藤氏は47歳。
さすがに周りは「もうやり直しはムリだ」と考えるのですが、わずかに残った自宅の庭に建てた小屋で、インスタントラーメンの開発を始める。
1年以上をつやして、チキンラーメンを商品化した。
「即席面の開発に成功したとき、私は四十八歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎることはない」
と語った。5年後、東証二部上場を果たす。さらに、チキンラーメンの開発から13年後、カップヌードルを発売、世界の食文化を変える存在となった。
(以上、『いい言葉は、いい仕事をつくる』より引用)
数年前、NHKの朝ドラで、安藤百福氏を支えた奥さんの視点で、チキンラーメンに至る物語が取り上げられた時、安藤百福氏の人生を深く知りました。
>人生に遅すぎることはない
この本の安藤百福氏を取り上げた項のタイトルは、
賢者は年齢を「まだ」で励みにし、
凡人は年齢を「もう」であきらめる。
"まだ"と"もう"
はだいぶ意味が違う。
昨年の熊本豪雨で被災しながらも、地域の被災者へ炊き出しを続けられた農家レストラン「ひまわり亭」の本田節さんが敬慕した球磨郡水上村の食品加工組合の故山北幸さんは、88歳の時テレビに出られた時の言葉が印象に残っています。
「まーだ八十八だけん、色々やることを考えている」
と語られたのを記憶しています。山北幸さんは90歳を越えても食品加工場に出向き仕事をされた。
"まだ"と"もう"を本日は考え過ごしたいと思います。
歩こうと目覚めたが、小雨予報に・・・明日に延期しました。
冒頭の言葉の安藤百福氏は、チキンラーメン、カップヌードルの発明者ですが、チキンラーメンの開発には、多くの努力と時間を要した。発明するきっかけは、信用組合理事長の時、信用組合が倒産し、すべての財産を失うことになった。その時、安藤氏は47歳。
さすがに周りは「もうやり直しはムリだ」と考えるのですが、わずかに残った自宅の庭に建てた小屋で、インスタントラーメンの開発を始める。
1年以上をつやして、チキンラーメンを商品化した。
「即席面の開発に成功したとき、私は四十八歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎることはない」
と語った。5年後、東証二部上場を果たす。さらに、チキンラーメンの開発から13年後、カップヌードルを発売、世界の食文化を変える存在となった。
(以上、『いい言葉は、いい仕事をつくる』より引用)
数年前、NHKの朝ドラで、安藤百福氏を支えた奥さんの視点で、チキンラーメンに至る物語が取り上げられた時、安藤百福氏の人生を深く知りました。
>人生に遅すぎることはない
この本の安藤百福氏を取り上げた項のタイトルは、
賢者は年齢を「まだ」で励みにし、
凡人は年齢を「もう」であきらめる。
"まだ"と"もう"
はだいぶ意味が違う。
昨年の熊本豪雨で被災しながらも、地域の被災者へ炊き出しを続けられた農家レストラン「ひまわり亭」の本田節さんが敬慕した球磨郡水上村の食品加工組合の故山北幸さんは、88歳の時テレビに出られた時の言葉が印象に残っています。
「まーだ八十八だけん、色々やることを考えている」
と語られたのを記憶しています。山北幸さんは90歳を越えても食品加工場に出向き仕事をされた。
"まだ"と"もう"を本日は考え過ごしたいと思います。
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜