2009年01月31日
立派な人物の条件(菜根譚)
立派な人物の条件(菜根譚)
(現代語訳)
細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意の時でも、投げやりにならない。
こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。
(解 説)
ここでとりあげている三つのことは、いずれも当たりまえと言えば当たりまえのことである。ただし、その当たりまえのことが、いざ実行となるとむずかしいのである。現に、近年この社会でも、手抜き事故が続発しているし、平気で悪事に手を染める人や、いさかいの困難にぶつかっただけで、すぐあきらめてしまう人が跡を絶たないではないか。みずからにこの三か条を課そうとするなら、相当きびしい覚悟を必要とすることは言うまでもない。
(感 想)
自分自身を振り返ると、細事への気づかいの足りなさ、時間配分の使い方がまだまだで、準備がいつもギリギリまでかかる、と反省することが多々あります。なかなかきびしいことだと思います。
さすがに、悪事には手を染めていませんので、正々堂々と生きる気持ちはありますが、外を歩く事が大いにで、色々な経験もします。
そんなときこそ、この菜根譚の言葉を思い出し、気持ちを新たにして、前向きに進むことを考える事が大事と思います。
立派な人物にはなれないと思いますが、少しでも先人も知恵を頂きつつ、自分の行動を検証して生きたいと思います。
*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」
(関連ブログ)
シリーズ(白壁のまちづくり)その3 ~旅館「熊乃屋」
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/e152143.html
・(携帯論語)心を育てることば
変り者はエゴイストではない
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(現代語訳)
細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意の時でも、投げやりにならない。
こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。
(解 説)
ここでとりあげている三つのことは、いずれも当たりまえと言えば当たりまえのことである。ただし、その当たりまえのことが、いざ実行となるとむずかしいのである。現に、近年この社会でも、手抜き事故が続発しているし、平気で悪事に手を染める人や、いさかいの困難にぶつかっただけで、すぐあきらめてしまう人が跡を絶たないではないか。みずからにこの三か条を課そうとするなら、相当きびしい覚悟を必要とすることは言うまでもない。
(感 想)
自分自身を振り返ると、細事への気づかいの足りなさ、時間配分の使い方がまだまだで、準備がいつもギリギリまでかかる、と反省することが多々あります。なかなかきびしいことだと思います。
さすがに、悪事には手を染めていませんので、正々堂々と生きる気持ちはありますが、外を歩く事が大いにで、色々な経験もします。
そんなときこそ、この菜根譚の言葉を思い出し、気持ちを新たにして、前向きに進むことを考える事が大事と思います。
立派な人物にはなれないと思いますが、少しでも先人も知恵を頂きつつ、自分の行動を検証して生きたいと思います。
*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」
(関連ブログ)
シリーズ(白壁のまちづくり)その3 ~旅館「熊乃屋」
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/e152143.html
・(携帯論語)心を育てることば
変り者はエゴイストではない
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<自らを鍛える>艱難辛苦は、成長するチャンスと思い立ち向かうこと。〜菜根譚〜
平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜
生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。
<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜
<人生は誰に会うか?>相手を選んで接しているか?
<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜
平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜
生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。
<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜
<人生は誰に会うか?>相手を選んで接しているか?
<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 12:09│Comments(0)
│菜根譚
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。