2010年04月06日
功の立てすぎは身を危くする(勝海舟)
功の立てすぎは身を危くする(勝海舟)
-これ以上褒美をやれなくなると必ず奈落に落とされる-
若くして有能だが、言葉が過ぎる人をたまに見る。数年経つとその部署とは掛け離れた仕事をしている事が多々あります。上司にも食ってかかったか、言葉が過ぎたか、自分の地位までも無くしてしまうこともあります。
人生の大達人である、勝海舟は、その点をしっかり踏まえて、大きな功績ほど周りや上司の手柄にし、大きな失敗は自分がやったことにする言動に努めた。
(本文より)
たしかに歴史をみていると、主人が部下の中で、自分の目的達成に多大な協力をした人間を、次第にうとましく思うようになるのは事実だ。さらにその組織が安定してきて、功臣が折にふれ創業時の協力ぶりを自慢げに語ると、トップは何となく尻をもじもじさせる。まるでその組織の確立がそれらの功臣によってされた印象をもたれてしまう。そうなるとトップの存在がうすれる。功臣に対して嫉妬の念がわき、やがて、憎悪に変わってくる。そういう存在が邪魔になってくる。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
トップとは、恐ろしいもので、癇に障る(逆鱗に触れる)と、存在すら無くなるような処分を受けることもある。勝は、よく徳川慶喜の性格を読み、勝自身はそういう危険性を承知していた。
(本文)
「慶喜には、おれはよくこう言ったよ。手柄はみんなあなたが立てたことにしなさい。そして、悪いことは全部勝がやったことにしさない」(中略)
しかしそれも程度問題で、トップがいやな顔をしたり、不快な念に陥るような功の立て方は、あるいは立ててもその自慢をひかえめにしておけ、ということだ。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
仕事のことを、宴会等で語る人がいる。身近な人が居ないと思い、ついつい自慢話になってしまいます。しかし、その話は、色々な人を通じ、当事者の耳に必ず入るものです。なぜか、人の交流とは意外に狭い世界の中で、人が関わっていることが多い。何故なら、気の合う仲間だから、仕事もできるし、交流も続くものです。
「類は類を呼ぶ」の諺ではないですが、世間話も小さな話題に、尾ひれを付けてかたる人が居ますが、要注意と思います。
あなたの周りの人々、意外な繋がりが有ると思い、言葉を慎重にした方が良いようです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」
-これ以上褒美をやれなくなると必ず奈落に落とされる-
若くして有能だが、言葉が過ぎる人をたまに見る。数年経つとその部署とは掛け離れた仕事をしている事が多々あります。上司にも食ってかかったか、言葉が過ぎたか、自分の地位までも無くしてしまうこともあります。
人生の大達人である、勝海舟は、その点をしっかり踏まえて、大きな功績ほど周りや上司の手柄にし、大きな失敗は自分がやったことにする言動に努めた。
(本文より)
たしかに歴史をみていると、主人が部下の中で、自分の目的達成に多大な協力をした人間を、次第にうとましく思うようになるのは事実だ。さらにその組織が安定してきて、功臣が折にふれ創業時の協力ぶりを自慢げに語ると、トップは何となく尻をもじもじさせる。まるでその組織の確立がそれらの功臣によってされた印象をもたれてしまう。そうなるとトップの存在がうすれる。功臣に対して嫉妬の念がわき、やがて、憎悪に変わってくる。そういう存在が邪魔になってくる。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
トップとは、恐ろしいもので、癇に障る(逆鱗に触れる)と、存在すら無くなるような処分を受けることもある。勝は、よく徳川慶喜の性格を読み、勝自身はそういう危険性を承知していた。
(本文)
「慶喜には、おれはよくこう言ったよ。手柄はみんなあなたが立てたことにしなさい。そして、悪いことは全部勝がやったことにしさない」(中略)
しかしそれも程度問題で、トップがいやな顔をしたり、不快な念に陥るような功の立て方は、あるいは立ててもその自慢をひかえめにしておけ、ということだ。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
仕事のことを、宴会等で語る人がいる。身近な人が居ないと思い、ついつい自慢話になってしまいます。しかし、その話は、色々な人を通じ、当事者の耳に必ず入るものです。なぜか、人の交流とは意外に狭い世界の中で、人が関わっていることが多い。何故なら、気の合う仲間だから、仕事もできるし、交流も続くものです。
「類は類を呼ぶ」の諺ではないですが、世間話も小さな話題に、尾ひれを付けてかたる人が居ますが、要注意と思います。
あなたの周りの人々、意外な繋がりが有ると思い、言葉を慎重にした方が良いようです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」