2014年01月28日

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

ここ数日、非日常の活動を見る中で、多くのことを学びますが、これは一種の私の試練と思っています。日々変わる予定、関わる方との示唆のある会話に、たくさんの気づきがあります。試練についての好きな言葉があります。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「何がどうあろうとも、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるといことは真実なのである」(『心に迫るパウロの言葉』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人は試練が強める。特に周りの理不尽な圧力は、誠心誠意な生き方をしている人を鍛える。私利私欲は、目標を惑わす。中国古典の『老子』は、無欲な生き方の見本なようなイメージですが、実はすべてを分かっていて、所有しない生き方を望んだのかもしれません。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

何より良かったのは、私たちが失うのを恐れねばならない何ものも持っていなかったということです。人間は所有しない時に、魂の健康さを取り戻します。(『時の止まった赤ん坊』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人間、あまり持たない方が健全なのかもしれない。地位、名誉、資産、等々・・・、この世の生業の末は、晩年どう生きるか。損得、有り無し、上下、いろいろ対比はあるが、生業でもっとも重要なのは、損得の分析と思います。曽野綾子さんの哲学的発想から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「この世」は、得をする可能性もあり、損を知る可能性もあるところなのである。それらの相反する可能性を承認しなければ、現実問題として生きて行けないのだから、損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない」(『ほんとうの話』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


悔しく、理不尽な行為を受けることが多々あるが、年功序列の世界がまだまだ残る現実(慣習)が、田舎にはまだまだ残る。

>損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない。

理不尽な行為を受けた時、怒るのではなく、地道な実績を残すことができるか? 期日あり、短気な活動で、真実をいかに早く着実に伝えるかは、それまでの地道な日々実践が続けられて来たかで、評価が変わるように思う。

地域活動の先輩から、「活動は、『宣伝』ではなく『伝染』するような姿勢が必要」と幾度も訓示されています。人の心に、こちらの考えが、伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要と思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:23Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ