2013年11月21日

名士は迷士?、「無名有力」が本筋なり!

名士は迷士?、「無名有力」が本筋なり!

夕方の会議まで、少しばかり時間があるので、時間調整に「マック」に寄って居ます。コーヒーと読書タイムです。

店の一番隅に居て、店内で交わされる高校生の会話が、耳に入ってくる。高校生たちは、高校生なりの悩みが有るのか、会話が途切れず続いている。私にもあんな時代があったのかと、遠い昔を思い起こすが、サッカーに明け暮れた記憶しかなく、もっと違う高校生活もあったのもしれないと考えています。

さて今日は、昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲の本を2冊持参していて、休憩時間に開いています。昼食時の『安岡正篤一日一言』と別の本に、次の見出しを見つけ、読み入った。

「名士は迷士」

何となく、こんなことを書いてあるかと推測して読みはじめたが、少しばかり的が外れた。
「名士は名士になるまでが名士であって、名士になるに従って迷士になる」

要約すると、地位が定まれば成長が止まる。自分は、偉くなったと錯覚して、意外と進歩が止まって、根が浮き上がり、倒れてしまう。実業家、政治家、芸術家と言われる名士を見ていると、迷士的の言動を見聞きし、ハッと思うことが多々ある。

安岡正篤先哲は、名声より、地位より、自力を付けることが先で、「人間は、できるだけ無名であらねばならない」と、無名有力になることが、人間成功の秘訣と訓示されている。

ぼちぼち、時間も過ぎたので、会議場所に移動です。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 17:59│Comments(0)安岡正篤語録
 
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