2024年06月24日

<目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜

<目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜

昨夜は、早くにといっても9時半ころに休みました。いつものごとくに目が覚めて、枕元の本を読むと、冒頭の学問の話があった。

本には、新たに購入して読むもの、何年か過ぎて再読する本、毎年一度は読む本、いろいろありますが、『安岡正篤一日一言』は、毎年一度は読む本の一つです。短い文でも、その時の話題や自ら状態で、言葉の受け取り方が変わる。文には、不思議な力を感じています。

今朝の文は、知識と知恵の違いが説かれています。

(以下、本より引用)

知識とは、理解力、記憶力、判断力、推察力など、誰にもひと通りできる。子どもでもできる、大人でもできる、善人でもできる、悪人でもできる。程度の差こそあれ、誰にでもできる機械的な能力である。

知恵とは、もっと経験を積み、人間としての体験の中からにじみ出てくるもっと直感的な人格的な学問で、生活的、精神的、人格的になってくる。

徳恵とは、それ(知恵)を深めると、普通で容易に得られない徳に根差した、徳の表れである徳恵(「とくけい」あるいは「とくえ」)という学問になる。これが聖賢の学である。
(以上、『安岡正篤一日一言』6月23日より)

知識とは、誰にでも身につくもの。

知恵とは、自らの心身からにじみ出てくるもの。

徳恵とは、人徳(人格)の表れである。

知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問

学問とは、深いなぁ、と朝から思いました。

まだ夜明けまで時間ので、もう一度寝て(二度寝)みたいと思います。(笑)、外はうっすら明るさをおびてきています。一年で夜が短い季節、夜明け前の時間を有効に使わねばと思います。


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