2013年11月21日

人の後半生は、いくつからか? 「むすび(産霊)」日本精神の心の素。

人の後半生は、いくつからか? 「むすび(産霊)」日本精神の心の素。

病院へ向かう途中に昼食を取り、休憩時間に日々持ち歩く『安岡正篤一日一言』の本を開き、本日の教示を読んだ。朝のブログではないですが、キャロライン・ケネディ駐日大使は、自分の後半生に日本での仕事を選んだ。外交の世界でどんな事を目指しているかは不明ですが、日米の友好事情に関わる大切な仕事ですし、刺激的な仕事と察します。

人の後半生は、いくつからか?

私が来週金曜日に開催する異業種交流会「四季の会」の素は、37才の時に友人の一言から始まった。以来、その友人は別の世界で活躍をしていますが、その彼も40歳前に大きな転機が来て、決断しました。

私が、異業種交流会を続ける中で、よく相談を受けるのが、男女、結婚するしない、子どもがいるいない問わず、40歳を前にした方々が多かった。流石に、私も50代半ばになり、最近はその世代の方々から相談は少なくなったが、振り返ると人は40歳を前に後半生をどうするか考えるように思います。

今日の安岡正篤先哲教示は、正にそ解答を示している言葉と思い、私のブログをお読みいただいているみなさんへご紹介します。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)


むすび(産霊)

いかに死すべきかということを唯、死を願う消極的な心ではない。いうまでもなく、ある偉大な感激の対象を求めて、それに向かって没我的になって行く。己れを忘れ、あるいは己れを投げうつべきある偉大なる感激の対象を得る生活であります。我々が喜んで、勇んで、己れを空しうし、己れを忘れて没入して行くような、そういう感激の対象を得ることを、大和言葉では「むすび」(産霊)という。日本精神を最も活き活きとつかむため、日本精神の真骨頭を把握するためには、この「むすび」ということを知ることが、根本の問題であります。
(以上、『安岡正篤一日一言』11月21日の教示転載)

私は50代半ばになりました。後半生の限界が見えてくる中、自分を没頭できる生活をどう実践して行くか、「むすび」という日本人の根本を探すことを、常に頭に置き、日々を暮らすことが大事と、安岡正篤先哲の言葉を受け止めました。みなさんにとって「むすび」はどんなことか、そんな語りができるような場に異業種交流会「四季の会」が役目果たせるようになりたいものです。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 13:01│Comments(0)安岡正篤語録
 
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