2007年09月09日

自他を見比べる、バランス感覚を (短文)

自他を見比べる、バランス感覚を (短文)
自他を見比べる、バランス感覚を(菜根譚)

 人の境遇はさまざまであって、恵まれている者もいれば恵まれていない者もいる。それなのに、どうして自分一人だけすべての面で恵まれることを期待できようか。
 自分の心の動きも様々であって、道理にかなっている場合もあればかなっていない場合もある。それなのに、どうしてすべての人々を道理に従わせることができようか。
 自他を見比べながら、バランス感覚をはたらかせのも、処世の便法なのである。

(解説)
 自分を中心に世の中を見ていると、どうしてもゆがんだ判断を形成し、はた迷惑な行動に走ってしまう。時には相手の立場になって考えてみたい。


(感想)
 相手を思いやる気持ちを、忘れないことが大事と思います。自分がきつい時は、自分と同じ人は、世には沢山いることを忘れない。また、良い時こそが客観的に自分のおごりを検証することも忘れない。人は、人と関わり合ってこそ生きれると思うので、時々自分の行動をふり返り、反省し、また他の人々の行動にも関心を持ち、良きものは取り入れ、悪しきものは反面教師の材料にするゆとりが大事と思います。
 時々自分を離れ、自分を見直す時間を持つことが必要と思いました。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:55Comments(0)

2007年09月09日

人は何になるかではなくてどう生きるか

読んだ本や記事から、他

 始めに私も尊敬している熊本在住の賢人である安永蕗子(ふきこ)先生が、熊本市国際交流会館の広報誌に寄稿されたものを読み感銘を受けました。これは、国際交流会館が「論語」の講座を開催し、そこで安永先生が講話をされた後の感想を述べられたものですが、世界情勢と論語の学ぶ意味も含めての文になっています。
 その中で印象に残っている部分が、日本人は中国から文字を学び、学問をするようになった。安永先生の講義の冒頭で、「人は何になるかではなくてどう生きるか」と論語の解説が始まったそうです。学ぶ意味の本質がここにあるように思います。


・諸橋徹治選書「孟子の話し」
 孟子の教えを解説を入れてまとめてある本ですが、いくつか印象に残ることがありました。教育、育英は、孟子が始めて使われた言葉として紹介されています。

①仁は人の心なり、義は人の道なり
 私心を捨てて(放心)考え出すものが、人を敬愛するやさしさを「仁」。私心をすてた心で、人のために行動を起こすことを「義」

②天地の間で、浩然の気以上に大きく強いものはない
 浩然の気とは、
 「義」すなわち人間の心の中の正義、
 「道」すなわち天地の自然の道理を合わせた気持ち(理念)。
 浩然の気を義と道とのわけると、「義」は長い間本人自身が自分の心の中で育み、合わせ集めて、そこから自然に生じた内部的な輝きである。重要なことは、一時も忘れてはならない。


・PHP三月号から
①「人生を未知と感じ、おおいに恐れ、おおいに期待し、しらけずにつき進む姿を情熱と呼ぶ。」(阿久悠語録)

・ペリクレス演説抜粋(BC.431)
(中略)・・我々は、素朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知をあいしする。我々は、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠ることを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟練をはげむかたわら、国(地域)の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれら のみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむとは言わず、ただ無益な 人間と見なす。・・(中略)

 紀元前のギリシャのリーダーの演説ですが、今の市民はこの指摘を実行できているでしょうか?日本は、経済成長に走りすぎて人の生き方(学問)の勧めが薄れていると感じます。それぞれの幸福が実現できる時代になればと願います。


 初めの安永先生の言葉ですが「学問は、どう生きるか、を知ることである」と「人は何になるかではなくてどう生きるか」とあります。日常のことに流されず、常に志を高く持ち、行動することが大事なようです。


  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:42Comments(0)

2007年09月09日

知識には、「知識、見識、胆識」あり

知識には、「知識、見識、胆識」あり

先哲の智恵① 知識には「知識、見識、胆識」あり

江戸期の名著に「水雲問答」と言う儒学者と高名な藩主との手紙を使った質疑回答をまとめたものがあります。リーダーの信念と徳をどう培っていくかには、現代でも充分参考になる名著と思います。その中に一節にあるものを紹介します。

(訳文より)
・・「識」には三つある。一つは、「知識」で、これは一番つまらん。雑識と言ますけど、今日で言うとディレッタントというもの、これはあまり値打ちがない。人間には単なる知識ではなく「見識」、価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん。ところが見識があっても、どうかすると、その人が臆病である、あるいは狡猾である、軽薄であるというと、その見識も役に立たん。いかなる抵抗があっても、いかなる困難に臨んでも、確信するところ、徹見するとことを敢然(かんぜん)として断行し得るような実行力・度胸を伴った知識・見識を「胆識」と言う。見識があっても胆識がない人はたくさんいる。しかし人間は、胆識があってはじめて本当の知識人である。これは東洋の知識学というものの根本問題であります。・・・(安岡正篤著、「先哲が説く指導者の条件」より)


(感想)
 色々な会議に参加することがあるのですが、会議の後になって「あのことは、こう思ったのだが・・・」「自分は、こうしたいと・・」と中心人物や、問題発言の人に、意見を言う人が居ますが、これこそ「見識あって、胆識無し」の知識人と思います。
 公の場で、手を上げて静まった空気の中で、自分の意見を述べる「胆」の座った知識を持ちたいものです。

 会議後のロビー活動でなく、自分の意見を述べるために、会議前のロビー活動方が、効果も信用も生まれると思います。
 重要な会議には、少しでも早く会議場に到着し、主要な人物と雑談し、空気を読み自分の意見を真摯に聞いてくれる雰囲気作りも大事と思います。後は、会議での情報を真剣に識見し、思いのたけを勇気を持って意見を言う訓練を積み重ねる試みを続けると良いと感じます。感想が長くなりました。

 「知識」「見識(識見)」「胆識」の言葉を心に持ちつつ、人の話しに耳を傾けたいと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:34Comments(0)

2007年09月09日

自分の心に勝つ (克己心)

自分の心に勝つ (克己心)


 まず自分の心に打ち勝とう。そうすれば、あらゆる煩悩を退散させることができる。
 まず自分の気持ちを平静にしよう。そうすれば、あらゆる誘惑から身を守ることができる。

(解説)
 人に勝つのはやさしいが、自分に勝つのはむずかしいとされる。明代の思想家王陽明も、「山中ノ賊ヲ破ルハ易(ヤス)ク、心中ノ賊ヲ破ルハ難(カタ)シ」と喝破しているように、自分の心に勝つといっても容易ではないのである。
 自分に勝つことのできる人こそ強者なのかもしれない。要は、そのための努力を怠ってはならないということである。


 西郷隆盛の遺訓に、「おのれに克つ」の一説に、

(本文より)
 人が知るべき道は、「天地自然」の道です。天地自然の道を知るためには「敬天愛人」を目的として学び続けることです。
 天を敬う。
 人を愛する。
 自分の欲や拘りは、この二つの精神を越えては、けっしていけない。欲や拘りをゼロにせよ、と言うているのでない。「敬天愛人」の精神よりも肥大させてはいけない、と言うのである。
 人は、自分を愛しすぎると、「敬天愛人」の精神を忘れてしまうものです。それが大きな誤りの第一歩となります。
 そのためには、ふだんから学び続ける中で、常に「克己」を心がけることです。
「克己」、すなわちおのれに克つ。・・(中略)


 日常の修養こそが、このおのれに克つ「心」を育て続けると先人が言っているのですが、菜根譚ような生きるための訓示をいつも読むことで、緩んだ心を道に、揺り戻すことができのだと思います。
 安岡正篤先生の「心読」の言葉が表わすように、知識は体現してこそ本物なのかもしれません。

*参考資料:西郷南州遺訓~無事は有事のごとく、有事は無事のごとく~
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:04Comments(0)

2007年09月09日

君子は周して比せず

君子は周して比せず

「子曰わく、君子は周して比せず、小人は比して周せず」

(解説)
 孔子先生が語れた「君子は、誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない。小人は、かたよって交わるが、誰とでも親しく公平に交わらない」

(感想)
 ○○派、○○会等、派閥やグループを直ぐ作るのが、日本人ですが、他を排除しないのであればなかなか、気骨のある集まりになりりますが、仲良しこよしの集まりでは、対立が生じてくるのは、致し方ないものです。
 君子は、かたよらず、徒党を組まず、広く交友を持つことが重要と思います。君子の交友は「淡交(友)」とも言いますが、べったりの友好関係は、壊れると怨みなり、かえって難しいように思います。「君子は周して比せず」を心がけたいと思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(0)