2007年09月09日
人は何になるかではなくてどう生きるか
読んだ本や記事から、他
始めに私も尊敬している熊本在住の賢人である安永蕗子(ふきこ)先生が、熊本市国際交流会館の広報誌に寄稿されたものを読み感銘を受けました。これは、国際交流会館が「論語」の講座を開催し、そこで安永先生が講話をされた後の感想を述べられたものですが、世界情勢と論語の学ぶ意味も含めての文になっています。
その中で印象に残っている部分が、日本人は中国から文字を学び、学問をするようになった。安永先生の講義の冒頭で、「人は何になるかではなくてどう生きるか」と論語の解説が始まったそうです。学ぶ意味の本質がここにあるように思います。
・諸橋徹治選書「孟子の話し」
孟子の教えを解説を入れてまとめてある本ですが、いくつか印象に残ることがありました。教育、育英は、孟子が始めて使われた言葉として紹介されています。
①仁は人の心なり、義は人の道なり
私心を捨てて(放心)考え出すものが、人を敬愛するやさしさを「仁」。私心をすてた心で、人のために行動を起こすことを「義」
②天地の間で、浩然の気以上に大きく強いものはない
浩然の気とは、
「義」すなわち人間の心の中の正義、
「道」すなわち天地の自然の道理を合わせた気持ち(理念)。
浩然の気を義と道とのわけると、「義」は長い間本人自身が自分の心の中で育み、合わせ集めて、そこから自然に生じた内部的な輝きである。重要なことは、一時も忘れてはならない。
・PHP三月号から
①「人生を未知と感じ、おおいに恐れ、おおいに期待し、しらけずにつき進む姿を情熱と呼ぶ。」(阿久悠語録)
・ペリクレス演説抜粋(BC.431)
(中略)・・我々は、素朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知をあいしする。我々は、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠ることを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟練をはげむかたわら、国(地域)の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれら のみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむとは言わず、ただ無益な 人間と見なす。・・(中略)
紀元前のギリシャのリーダーの演説ですが、今の市民はこの指摘を実行できているでしょうか?日本は、経済成長に走りすぎて人の生き方(学問)の勧めが薄れていると感じます。それぞれの幸福が実現できる時代になればと願います。
初めの安永先生の言葉ですが「学問は、どう生きるか、を知ることである」と「人は何になるかではなくてどう生きるか」とあります。日常のことに流されず、常に志を高く持ち、行動することが大事なようです。
始めに私も尊敬している熊本在住の賢人である安永蕗子(ふきこ)先生が、熊本市国際交流会館の広報誌に寄稿されたものを読み感銘を受けました。これは、国際交流会館が「論語」の講座を開催し、そこで安永先生が講話をされた後の感想を述べられたものですが、世界情勢と論語の学ぶ意味も含めての文になっています。
その中で印象に残っている部分が、日本人は中国から文字を学び、学問をするようになった。安永先生の講義の冒頭で、「人は何になるかではなくてどう生きるか」と論語の解説が始まったそうです。学ぶ意味の本質がここにあるように思います。
・諸橋徹治選書「孟子の話し」
孟子の教えを解説を入れてまとめてある本ですが、いくつか印象に残ることがありました。教育、育英は、孟子が始めて使われた言葉として紹介されています。
①仁は人の心なり、義は人の道なり
私心を捨てて(放心)考え出すものが、人を敬愛するやさしさを「仁」。私心をすてた心で、人のために行動を起こすことを「義」
②天地の間で、浩然の気以上に大きく強いものはない
浩然の気とは、
「義」すなわち人間の心の中の正義、
「道」すなわち天地の自然の道理を合わせた気持ち(理念)。
浩然の気を義と道とのわけると、「義」は長い間本人自身が自分の心の中で育み、合わせ集めて、そこから自然に生じた内部的な輝きである。重要なことは、一時も忘れてはならない。
・PHP三月号から
①「人生を未知と感じ、おおいに恐れ、おおいに期待し、しらけずにつき進む姿を情熱と呼ぶ。」(阿久悠語録)
・ペリクレス演説抜粋(BC.431)
(中略)・・我々は、素朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知をあいしする。我々は、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠ることを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟練をはげむかたわら、国(地域)の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれら のみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむとは言わず、ただ無益な 人間と見なす。・・(中略)
紀元前のギリシャのリーダーの演説ですが、今の市民はこの指摘を実行できているでしょうか?日本は、経済成長に走りすぎて人の生き方(学問)の勧めが薄れていると感じます。それぞれの幸福が実現できる時代になればと願います。
初めの安永先生の言葉ですが「学問は、どう生きるか、を知ることである」と「人は何になるかではなくてどう生きるか」とあります。日常のことに流されず、常に志を高く持ち、行動することが大事なようです。
Posted by ノグチ(noguchi) at 18:42│Comments(0)