2007年09月23日
若さとは、揺り戻す力(ロバート・ケネディ)
若さとは、揺り戻す力
故ロバート・ケネディは、若さとは「揺り戻す力」と表現しました。苦境に陥った時、心を奮い起こし、再度挑戦する心をより戻すことを表現した言葉です。
中国古典に「菜根譚」なる著書があります。私が中国古典の解説書をとして、守屋洋氏の著書を読むのですが、その「新釈菜根譚」の解説と第一話を紹介します。
(本文、解説より)
生きにくい時代である。
経済の低迷、失職者の増加、治安の悪化などなど、毎日のように心を暗くするニュースが流れくる。いったいこの社会はどうなっていくのか、だれしも不安を禁じえない。
こういう時代に生まれ合わせて、どう生きて行けばよいのか。
では、どうすれば自分を磨くことができるのか。また、どこからいきていくための知恵を学べば良いのか。これらの問い煮の分かりやすく答えてくれるのが「菜根譚」という古典である。(中略)
01.徳は孤ならず、必ず隣有り(論語)
「子曰わく、徳は孤ならず、必ず隣有り」
孔子先生が語られた、「報いを求めず、陰徳を積むんでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいる」
02.固執せず、ただ道理に従っていくのみ (論語)
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
03.有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く(論語)
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
04.三国志の英雄、諸葛孔明の名言
日本の政治機構のふがいなさを思い、今日は論語の言葉ではないですが、昨秋に書いた日記を載せます。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力、死して後已まん」
昨日、熊本県の中央部地域の教育事務所と同地域のPTA連合会の意見交換会があった。久々に、教育者の熱き思いを聞く機会を得たと思える教育事務所長の講和だった。これに近い感銘を受けた話は、現熊本県教育長が次長時代に、県PTA研修会での講演を思い出す。
所長は、自らの教育実践で経験して来た言葉は、人を惹きつけるものがありました。人を育てることは、一対一の真剣勝負であることを再認識させる事例ばかり出て来ました。
二年前まで校長時代の話が中心でした。札付きの不登校の意識を変えるために、毎日努力を惜しまない、生徒が来なければ出向く、地域に頭を下げ協力要請し、校長自ら地域との連携を創り上げる努力は、私自身も見習うとろがたくさんあると感じました。
教師がサラリーマン化したとマスコミは評していますが、まだまだ教育に情熱を注ぐ先生たちがいることを感じた良き意見交換でした。
昨日の話と今朝の読書が重なり、下記の言葉を思い出した。三国志に出て来る諸葛孔明の言葉の一節。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力」
劉備亡き後、二代目劉禅に奉った『後出師表(ノチノスイシノヒョウ)』の結びの言葉である。意味は、「身を粉にして働きます」という諸葛孔明の決意表明。
事実、小国、蜀の全権を委任され、宰相としてきり盛りしながら国力を整え、宿敵の魏に立ち向かった。それはひとえに無き劉備の信頼にこたえんがためだった。孔明は、その精勤ぶりで国民や部下の厚い信頼を受けたばかりでなく、古今の名宰相として、広い支持を集めてきた。
リーダーが先頭に立って働けば、部下もその気になって頑張らざるをえない。そういう意味で、率先垂範もまたリーダーの重要な条件のひとつである。(守屋洋著、三国志名言より)
20世紀の名宰相、中国の周恩来氏の死去のとき中国の人々が送ったことばが、この「鞠躬尽力」だったそうだ。私欲を捨て、国家の隆盛を願い「身を粉にして働いた」姿勢は、いまだに世界から敬慕されています。
現代の色々な分野のリーダー、この中国古典の言葉を実践して欲しいものです。私自身も「鞠躬尽力」を実践に努力して生きたいと思います。
05.君子は、器ならず (論語)
「子曰わく、君子は器ならず」
(解説)
孔子先生が語られた「できた人物は、特定のはたらきを持った器のようでない」
(社会への願い)
人の評価は、歴史が検証すると思います。国のトップになったら、私を忘れ、公に何が役に立つかを常に考え続けて欲しいと思います。
*再度読まれる方は、ご笑覧ください。よろしくお願いします。
故ロバート・ケネディは、若さとは「揺り戻す力」と表現しました。苦境に陥った時、心を奮い起こし、再度挑戦する心をより戻すことを表現した言葉です。
中国古典に「菜根譚」なる著書があります。私が中国古典の解説書をとして、守屋洋氏の著書を読むのですが、その「新釈菜根譚」の解説と第一話を紹介します。
(本文、解説より)
生きにくい時代である。
経済の低迷、失職者の増加、治安の悪化などなど、毎日のように心を暗くするニュースが流れくる。いったいこの社会はどうなっていくのか、だれしも不安を禁じえない。
こういう時代に生まれ合わせて、どう生きて行けばよいのか。
では、どうすれば自分を磨くことができるのか。また、どこからいきていくための知恵を学べば良いのか。これらの問い煮の分かりやすく答えてくれるのが「菜根譚」という古典である。(中略)
01.徳は孤ならず、必ず隣有り(論語)
「子曰わく、徳は孤ならず、必ず隣有り」
孔子先生が語られた、「報いを求めず、陰徳を積むんでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいる」
02.固執せず、ただ道理に従っていくのみ (論語)
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ共に比(したが)う」
(解説)
孔子先生が語られた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。」
(感想)
ワンマン社長、ワンワン・リーダーと言われる人は、結構こだわりを持って事を進めることが有りますが、事を為すには多くに人が関わります。準備を進める段階で、関係者かからも、周りからも色々な意見が出てくるものです。世の中の求めがあってこそ、目的が成就するものですから、自分の考えに固執せず、関わる人たち望む事の加味しながら進めることが、大事と最近つくづく思います。
ただ、マンネリ化した組織や活動グループに、刺激を与える時は、気付きを与えるような提言、手段も必要な時があります。良き方向に向わせるには、どうするか臨機応変の対応と、工夫が必要なように思います。
03.有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導く(論語)
「季康子問う、民をして敬忠にして以って勧ましむるには、之を以如何(いか)にせん」
「子曰わく、之に臨むに荘を以ってすれば則(すなわ)ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」
(意訳)
季康子(魯の太夫)問う、「民に敬意と忠誠の念を以って仕事に精を出させるには、どうしたらようか」
孔子先生が答えられた、「上に立つ者が、民に重々しい態度で臨めば、敬意を払うようになります。上に立つ者が、親に孝行を尽くし、子や弟を慈しめば、民は忠誠の念を持つようになります。有徳の人を挙げ用い、不能の者を懇ろに教え導けば、自ら励むようにんります。」
(感想)
今回の安倍政権の内閣から、また不祥事で離脱者が出ました。これでは、信じれと言われても、民意が集まる機会をまた逸し、寂しい内閣改造と言われても仕方有りません。このようなことは、会社内でも起りえます。
大会社の不祥事で、人事が原因と言われることを良く聞きます。自分の権力保持に、院政(会長に座る)を敷き、社長だけを挿げ替えながら、実験を握り不祥事が続いた大企業があると聞きます。
人心一身の人事は、やはりトップの力量が問われることだと思います。今回の閣僚辞任で、国民の支持が急落する中で、国政の混迷が続くことは、日本社会にも世界の情勢にも良くないように思います。
04.三国志の英雄、諸葛孔明の名言
日本の政治機構のふがいなさを思い、今日は論語の言葉ではないですが、昨秋に書いた日記を載せます。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力、死して後已まん」
昨日、熊本県の中央部地域の教育事務所と同地域のPTA連合会の意見交換会があった。久々に、教育者の熱き思いを聞く機会を得たと思える教育事務所長の講和だった。これに近い感銘を受けた話は、現熊本県教育長が次長時代に、県PTA研修会での講演を思い出す。
所長は、自らの教育実践で経験して来た言葉は、人を惹きつけるものがありました。人を育てることは、一対一の真剣勝負であることを再認識させる事例ばかり出て来ました。
二年前まで校長時代の話が中心でした。札付きの不登校の意識を変えるために、毎日努力を惜しまない、生徒が来なければ出向く、地域に頭を下げ協力要請し、校長自ら地域との連携を創り上げる努力は、私自身も見習うとろがたくさんあると感じました。
教師がサラリーマン化したとマスコミは評していますが、まだまだ教育に情熱を注ぐ先生たちがいることを感じた良き意見交換でした。
昨日の話と今朝の読書が重なり、下記の言葉を思い出した。三国志に出て来る諸葛孔明の言葉の一節。
「鞠躬 (キクキュウ) 尽力」
劉備亡き後、二代目劉禅に奉った『後出師表(ノチノスイシノヒョウ)』の結びの言葉である。意味は、「身を粉にして働きます」という諸葛孔明の決意表明。
事実、小国、蜀の全権を委任され、宰相としてきり盛りしながら国力を整え、宿敵の魏に立ち向かった。それはひとえに無き劉備の信頼にこたえんがためだった。孔明は、その精勤ぶりで国民や部下の厚い信頼を受けたばかりでなく、古今の名宰相として、広い支持を集めてきた。
リーダーが先頭に立って働けば、部下もその気になって頑張らざるをえない。そういう意味で、率先垂範もまたリーダーの重要な条件のひとつである。(守屋洋著、三国志名言より)
20世紀の名宰相、中国の周恩来氏の死去のとき中国の人々が送ったことばが、この「鞠躬尽力」だったそうだ。私欲を捨て、国家の隆盛を願い「身を粉にして働いた」姿勢は、いまだに世界から敬慕されています。
現代の色々な分野のリーダー、この中国古典の言葉を実践して欲しいものです。私自身も「鞠躬尽力」を実践に努力して生きたいと思います。
05.君子は、器ならず (論語)
「子曰わく、君子は器ならず」
(解説)
孔子先生が語られた「できた人物は、特定のはたらきを持った器のようでない」
(社会への願い)
人の評価は、歴史が検証すると思います。国のトップになったら、私を忘れ、公に何が役に立つかを常に考え続けて欲しいと思います。
*再度読まれる方は、ご笑覧ください。よろしくお願いします。
Posted by ノグチ(noguchi) at 22:32│Comments(0)