2020年11月01日

自らの言行を省みよ。〜時々、我の言葉・行いを多面的に観察する〜

自らの言行を省みよ。〜時々、我の言葉・行いを多面的に観察する〜

〜少々長文です。お時間ある時お読みください。〜

今日の論語の勉強会での意見、幕末に活躍した貝原益軒の『五常訓』を学ぶ時間がありました。

音読した方が、感想を述べられたのですが、「歳を取り、人間もだいぶ"ねれてきた"ので。物欲、金欲は無くなった」と。

私が担当して読んだ内容は、

(以下、抜粋)

貧賤なる人も仁に志して行えば、其の身に応じ日々に人に利益あること多し。
飢えたる者に一飯を与え、
渇ける者に湯水を与え、
道路に茨からたち針ある物、
角ある石、
人の足をそこなう物を取りすて、
少なる溝に小橋をかくるほどのことは、
いかなる貧乏の人もすべきことなり。
(以上、『五常訓』の抜粋文より)

という部分でした。要は、金持ちで無くてもできる善行の話に、なるほどとうなづいた。

論語の勉強会から帰宅して、開いた佐藤一斎の『一日一言〜言志四録を読む〜』に以下の言葉がありました。

(以下、本より転載)

寒暑の節候、稍暦本(ややれきほん)と差錯すれば、人其の不順を訴う。我の現行、毎(つね)に差錯有れども、自ら咎むるを知らず。何ぞ其れ思わざるの甚だしき。
〜『佐藤一斎一日一言』(言志四緑)〜

この訓示の現代訳は、以下の文です。

(以下、本より転載)

 寒さ暑さの季節時候が少しでも暦とずれると、人は天候の不順を訴えて文句を言う。しかし、自分の言葉と行動にな?、といつも食い違いがあるけれども、自ら反省して咎めるということを知らない。なんと甚だしく考えのないことではないか。
(以上、本より)

貝原益軒の教えと、佐藤一斎の"反省をしない人"を指摘した言葉。

自らが正しい、と思い込んでいる人が多い。出来事、意見は、見方を変えると間違いの考えとなる、という発想をまたない人が、いかに多いか。それは、年配になればなるほど、反省をしなくなる。そこに権力欲が絡むと、ますます視野が狭くなる。

私も62歳、晩年の入り口に在る。一日三度、反省するくらいの謙虚な気持ちを、歳を取る度にしなければと、今日の学びでした。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 09:40│Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ
 
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