2008年12月06日

(苦中に楽有り)「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城作

(苦中に楽有り)「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城作

 苦しさこそが人生と語っていた俳人・村上鬼城の代表作、 

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」

(本文より) 
 一匹の蜂が冬の寒さの中をまだ生き存(ながら)えてよたよたとさまよっています。生と死の間(はざま)を彷徨(ほうこう)する蜂は、もはや自らの余命を悟っているかのようです。が、命が続く限り生きていなくてはいけない。老残の身を晒(さら)しつつも、死ぬべき場所をさがして歩きつづけなくてはいけないのです。゛死゛のさびしさ、厳しさを詠った掲句に、私はそのまま゛生゛のさびしさ、厳しさに感じいります。(中略)
      
 ものさびしい蜂の命消える直前の行動を、多分自分の境遇と照らし、呼んだ句では無いかと思います。

 村上鬼城(1865~1938)は、若いころ司法官を志が耳を患い断念、裁判所の代書人で生活をし、22才で結婚し、二女をもうけますが、わずか数年で妻が他界。31才で再婚し二男六女をもうけますが、貧しさはますます厳しく、正岡子規に共感し「ホトトギス」に入門する。

 耳の病、妻の死、貧困と、苦しさの連続だった鬼城を再び不幸が襲います。昭和2年、61才の時、自宅が火災で焼失。しかし弟子や賛同者の支援で自宅を再建します。

(本文より)
 このように、73年の生涯にほっと息つく間もなく絶えず゛生の苦しみ゛と向き合っていた鬼城は、著作「杉風論」の中で、゛人生の解釈は、ソレただ、苦しみの一事に帰す゛と帰しています。苦しさの身を置くこと。そしてそこから逃れようとするのではなく、苦しさこそが、人生なのだと言い切っていた鬼城の境涯俳句は、いつの時代も、私たち人間の゛生きる゛ということの根源と、深く関わり続けているのです。(中略) 

 12月2日比叡山の高僧・酒井雄哉氏の講話にも、現実を受け入れることを何度も解かれていました。その苦しさの中に見出す幸福感こそが大事とも説かれていました。
 鬼城の俳句をいくつか紹介します。

・生きはわり死にかはりして打つ田かな

・夏草に這い上がりたる捨蚕かな

・闘鶏の目つぶれて飼われけり

 大正6年に発刊された「鬼城句集」の序文に大須賀乙字の書いています。

「古来境涯の句を作った者は、芭蕉を除いては僅かに一茶あるのみで、(略)然るに、明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優つた作者がある。実にわが村上鬼城其人である」

安岡正篤先生の「六中観」のに「苦しさの中に、楽しさを見出す」の教示がありますが、正に一生を通じ、日々の暮らしを句に詠い続けた生き方に多くのことを学びます。

*参考資料黛まどか編「知っておきたいこの一句」より


<以前の日記>
・「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」


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Posted by ノグチ(noguchi) at 09:12│Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ
 
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