2008年12月05日

「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」

「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」

 現代は忙しい、日々忙殺されると言う人の多いこと、しかし、その一日を振り返ると、欲に駆られて雑用が多いことか、欲を減らし、自分の心と向き合う時間を持つと、意外と日々に無駄が見えてくる。

(高校、強歩会)
 今日は、いっさいの諸用を断り、高校生に歩く姿を見ていた。わが家の子どもが通う高校、年に一度ある30kmを歩く強歩会でした。標高差が約200mあり、日ごろ歩いていない人は後で筋肉痛もでる歩け歩け大会です。

 しかしそこは高校生、いちばん早い子は3時間ちょっとでゴール、遅い子でも7時間で歩き通します。初めて参加した1年生が、正門に着くと「ヤッター!」と歓声を上げてゴールしていました。トップの子は、多分記録を狙っていたようで、給水所の準備をしてうる最中に、チェックポイントに到着、慌ててスタンプを押したそうです。ひた向きに、歩く姿あり、しゃべりながらグループで歩く生徒、先生も一緒に歩く姿はとても良いなと思いました。

 なぜか、校長先生がジョギングペースで、1年生のトップグループとゴールしたのは、日ごろのトレーニングのなのでしょうか。

・尽心
 自然の中を一人歩くと、自分自信を見つけめることができると言います。安岡正篤先生の「孟子」の解説の中に、「尽心」について語られたものがあります。「心を尽くす」、現代にイメージだと、人に対して心を尽くし、感謝するとか言いますが、安岡先生の「尽心」は、己れ自身の心を向きあい、自分の心について理解深めていくこととありました。

(本文より)
「尽心」とは、心を尽くすということは、われわれの心というものを十分に解明することを言う。一所懸命に精神力をふうることじゃないんです。それは枝葉末節、解釈の単なる一つにすぎない。もっともっと深い意味があるわけです。われわれの心というものがどういうものでるか、心というものを十分に解明すれば、物事の性、個性、本質というものがわかる。(中略)

 言葉がむずかしいのですが、自分なりに考えると、自分の心と向き合う、反省し、何を求めるているか、どんな時に動揺するか、どんな場面で感動するか、自分の心の動きを謙虚に観察する「ゆとり」が必要な気がします。

 今日、8時~15時まで高校生たちを見ていて、それぞれに個性があり、走るこ生徒、早足の生徒、マイペースを崩さず一人歩く生徒、グループで歩く生徒、先生と一緒に話しながらあるく生徒、その生徒は自分の心と向きあいながら、30kmを歩きとしたと思います。

・「忙心」と「存心」
 人生は、日々に積み重ねですが、欲に駆られているときは、なかなか心が無くなり、「忙心」になっています。自分をしっかり保ち、自分と向き合った居る状態を「存心」とありました。

 この日常も、非日常でも、自分の心をしっかり保つ努力が必要な気がします。孔子の教えに「中庸」というものがありますが、心を平静保ち、事に対処する事、そこに欲(私心)を居れず、状況判断することのできる「存心」の状況を常に修正できるように、自分の心と向き合う「尽心」に努めたいものです。

 説明が長くなりました。今から、強歩会の支援をした保護者の反省会に行きます。どんな感想は聞けるかとても楽しみです。
 ちなみに私の担当は広報で、来週は強歩会の号外を出す予定です。

*参考資料:安岡正篤著「孟子」より  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:46Comments(0)安岡正篤語録