2008年12月15日
功績や学問なくても (菜根譚)
功績や学問なくても (菜根譚)
(現代語訳)
功績を誇りに学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけもとめている。
本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくても、それだけで立派な人生が送れることをりかいしていない。
(解 釈)
学問はともかく、功績や地位をひけらかす人は今でも跡を絶たない。誇りに思い、自信を持つのはいいのだが、それをちらとでも表に出したのでは、せっかくの功績まで台なしにしていまう。そういうことにこだわるより、もっと内面の価値に目をむけよ、というのである。
(感 想)
地域の先輩に、「偉い人より、立派な人を目指せ」と言われたことがあります。敬慕を集める方は、自らあまり多くを語らず、周りの人たちが本人のやられていることを教えてくれます。
私の小さな経験ですが、20歳の頃引越し会社にいた時、ある官庁の引越しの仕事をしました。大きな部屋で、机を廊下へ運び出す仕事でした。引越しの社員が荷物を持って階下へ行ってしまい、私と官庁の課長が残りました。机は残り一つ、一人では搬出できないの課長へ手伝いを頼んだのですが、窓の外を見たまま返事も無かったのを思い出します。少したって先輩社員が来て、二人で搬出したにですが、その課長は一度も振り向きませんでした。
引越しは、我々の仕事ですが、官庁職員が日ごろ使う道具を運び出しているのは、ほんの一瞬の心遣いもないのかと、地位が上がると何もしないのだなと感じたことを思い出します。先輩が言われた、「偉い人より、立派な人」は、この人間性のことなのかなと考えました。
(現代語訳)
功績を誇りに学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけもとめている。
本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくても、それだけで立派な人生が送れることをりかいしていない。
(解 釈)
学問はともかく、功績や地位をひけらかす人は今でも跡を絶たない。誇りに思い、自信を持つのはいいのだが、それをちらとでも表に出したのでは、せっかくの功績まで台なしにしていまう。そういうことにこだわるより、もっと内面の価値に目をむけよ、というのである。
(感 想)
地域の先輩に、「偉い人より、立派な人を目指せ」と言われたことがあります。敬慕を集める方は、自らあまり多くを語らず、周りの人たちが本人のやられていることを教えてくれます。
私の小さな経験ですが、20歳の頃引越し会社にいた時、ある官庁の引越しの仕事をしました。大きな部屋で、机を廊下へ運び出す仕事でした。引越しの社員が荷物を持って階下へ行ってしまい、私と官庁の課長が残りました。机は残り一つ、一人では搬出できないの課長へ手伝いを頼んだのですが、窓の外を見たまま返事も無かったのを思い出します。少したって先輩社員が来て、二人で搬出したにですが、その課長は一度も振り向きませんでした。
引越しは、我々の仕事ですが、官庁職員が日ごろ使う道具を運び出しているのは、ほんの一瞬の心遣いもないのかと、地位が上がると何もしないのだなと感じたことを思い出します。先輩が言われた、「偉い人より、立派な人」は、この人間性のことなのかなと考えました。
<自らを鍛える>艱難辛苦は、成長するチャンスと思い立ち向かうこと。〜菜根譚〜
平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜
生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。
<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜
<人生は誰に会うか?>相手を選んで接しているか?
<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜
平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜
生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。
<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜
<人生は誰に会うか?>相手を選んで接しているか?
<今が、大事>死んだ後には、妻も子ども財産も、何の役に立たない。〜菜根譚〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 09:01│Comments(2)
│菜根譚
この記事へのコメント
稲盛一雄先生の著書を拝読しておりましたら、呻吟語の言葉をなつかしく拝見しました。
小生、還暦の祝いに脳出血を発症し目下リハビリ中の体です。身体の後遺症はあるものの、生活面で発症時前の健常者同様に戻そうとするあまりに苛立ちは募るばかりでそのことがあせりとストレスになっているようです。
ふと、落ち着きを取り戻そうと人間の勉強と思い、いろいろとネットで探しているうちに「宇土・親子論語教室」出合いました。
昔読んでいるであろう箴言もなんら血肉となっていないことを羞じ、再び詠み学びをしなければとあらためて感じました。
私は東京ですので、参加は困難ですが。貴塾が現代教育の憂うところを糾すことを期待しております。
小生、還暦の祝いに脳出血を発症し目下リハビリ中の体です。身体の後遺症はあるものの、生活面で発症時前の健常者同様に戻そうとするあまりに苛立ちは募るばかりでそのことがあせりとストレスになっているようです。
ふと、落ち着きを取り戻そうと人間の勉強と思い、いろいろとネットで探しているうちに「宇土・親子論語教室」出合いました。
昔読んでいるであろう箴言もなんら血肉となっていないことを羞じ、再び詠み学びをしなければとあらためて感じました。
私は東京ですので、参加は困難ですが。貴塾が現代教育の憂うところを糾すことを期待しております。
Posted by 道山 利雄 at 2009年01月12日 17:25
道山 利雄さま
ブログ「宇土・親子論語教室」に、書き込みありがとうございます。
細々と続けく、ちいさな会ですが、一燈一隅を照らす思いで私も塾生の末席に参加させてもらい、学んだ事や本で読み参考になった文等を紹介しています。
これからも関心をお持ち頂ければ幸いです。
これからもよろしくお願い致します。
野口修一
ブログ「宇土・親子論語教室」に、書き込みありがとうございます。
細々と続けく、ちいさな会ですが、一燈一隅を照らす思いで私も塾生の末席に参加させてもらい、学んだ事や本で読み参考になった文等を紹介しています。
これからも関心をお持ち頂ければ幸いです。
これからもよろしくお願い致します。
野口修一
Posted by ノグチ(noguchi)
at 2009年01月14日 00:10
