2012年06月08日

岩崎弥太郎の志「国家の有事に際して、私利を顧みず」

岩崎弥太郎の志「国家の有事に際して、私利を顧みず」

一昨年な大河ドラマ「龍馬伝」で、主人公の龍馬と対比的なキャラクターで、岩崎弥太郎が画面に何度も登壇するが、実際には、詩文に長けた少年で、地下浪人の厳しい生活のなかで、父母から、厳しく教育を仕込まれて行った。

テレビを見て、岩崎弥太郎の子孫たちは、相当怒っていると聞きます。私の社会活動の師が、ひ孫に当たるが、復権をしないと行けないと語っていた。

岩崎弥太郎は、1871年台湾の少数民族が、漂着した沖縄の漁民虐殺された、大変な有事、船も少ない明治維新間もなく時の事件。困った政府は、岩崎弥太郎は大隈重信から、国家有事にあたり次のような要請を受ける。

「あなたの会社の船を、すべて国家のため用立ててもらいたい」
といきなり言ってきた、弥太郎は驚くでもなく、次の返事を返した。

(伝記から、抜粋転載)
「よくわかりました。わが社は規模も小さく微力ですが、国家の一大事とあれば看過できません。全力を上げてご奉仕いたしましょう。中途で投げ出すことはいたしません」
大隈は感動し、立ち上がり歩み寄り、強く手を握った。

岩崎弥太郎は、全社船を挙げて命を奉ずる旨の誓約書を提出した。「国家有事に際、私利を顧みず公用を弁ずる」と明記した。(中略)

また、西南戦争の時も、率先して政府に奉仕をした。会社の営業をせず、政府軍の輸送に奔走した。報奨金の約束など全く無かったが、終結後、朝廷は三菱に4千円が下付され、その後その功績から、この戦役で得た利益は、約120万円にのぼった。現在の貨幣価値で、400億円を越えると言う。この資金が、三菱財閥の基礎を築いた。

やはり、岩崎弥太郎は、明治維新の傑物の一人と思います。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:30Comments(0)リーダーの名言

2012年06月08日

天草道路と不知火湾岸道路、網津松合インターチェンジ建設要望

天草道路と不知火湾岸道路との結節のため、網津松合インターチェンジの建設要望活動を

昨日の午前中、熊本県の不知火海岸の現地調査(ドライブ)で、私の考える道路網が可能かと必要があるか確かめて、確信が持てました。

八代港から、熊本新港、長洲港、大牟田港を結ぶ縦軸。
天草から、三角、宇土、熊本の横軸。

この構想が、以前あったことを、県道322号大牟田八代線、先人たちも未来の発展を考え、壮大な道路網を考えたことに、感動すると共に、私の考えている道路網は、将来大きな経済活性化につながると確信が持てました。

私の考える大牟田八代線のルートは、八代外港近くから、真北へ伸びる県道322号線を拡充して、不知火湾岸地域を通り、宇土半島の松合地区へ橋を掛けて、トンネルをほり天草道路にインターチェンジを介して接続する。不知火湾岸線と称する道路です。

西九州自動車道は日奈久以南が無料で、そこから、八代の金剛干拓地を通り、八代内港、八代外港への片道2車線の道路で、不知火湾岸道路につなげれば、先人たちが名付けた大牟田八代線が実現することになります。

現在の天草道路には、この発想が無く、松合からのトンネルの先には、インターチェンジの建設計画はありません。
もし、このインターチェンジがあれば、天草からの車が、インターチェンジで降りて、網津ー松合トンネルを通り、九州自動車道の松橋インターチェンジを利用しやすくなります。

天草ー熊本の準高速規格の天草道路は、緑川大橋の建設に7、8年かかると言われていますので、早急に網津松合インターチェンジ建設の要望する期成会を協同して立ち上げ、不知火湾岸道路との結節も合わせて、要望活動をお願いいたします。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:53Comments(0)意見・異見