2011年09月27日
論語「仁は直ちに実現される」、「中途な論議は徳を棄てる」。
論語の教示から2訓-「仁は直ちに実現される」、「中途な論議は徳を棄てる」。
宇土市で親子論語教室が毎月開催される。論語を素読し、童謡を歌う。心洗われる時間がある。参加してみませんか。
「子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、ここに仁至る」
(解説)
孔子が説かれた、「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」
「子曰く、道に聴きて途に説くは、徳を之れ棄つるなり」
(解説)
孔子が説かれた、「道端で良いことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すのは、徳を棄てるようなものだ」
人のために成らんと、多くの人が思っていると思う。しかし、仁は生まれ持っているのですが、その行ないを実行するとなると、なかなかむずかしい。学びを深め、仲間と切磋琢磨する中で、自分を鍛えることが重要と思う。日々勉強と思います。
*参考資料:伊牟田学著「仮名論語」
宇土市で親子論語教室が毎月開催される。論語を素読し、童謡を歌う。心洗われる時間がある。参加してみませんか。
「子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、ここに仁至る」
(解説)
孔子が説かれた、「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」
「子曰く、道に聴きて途に説くは、徳を之れ棄つるなり」
(解説)
孔子が説かれた、「道端で良いことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すのは、徳を棄てるようなものだ」
人のために成らんと、多くの人が思っていると思う。しかし、仁は生まれ持っているのですが、その行ないを実行するとなると、なかなかむずかしい。学びを深め、仲間と切磋琢磨する中で、自分を鍛えることが重要と思う。日々勉強と思います。
*参考資料:伊牟田学著「仮名論語」
2011年09月27日
ただ生きる「存在」ではなく、「生成」の気持ちを常に意識
ただ生きる「存在」ではなく、「生成」の気持ちを常に意識
おはようございます。うす曇りの我が家です。さて、昨日から自宅アトリエに籠もって作っている模型作りへのご意見ありがとうございます。今日は、1つ所用がありますが、一日模型制作です。
さて、中村天風氏の著書「叡智のひびき」 に、人生を積極的に生きる考え方があった。
(以下転載)
人生に対する心構えは、to be(存在) ではいけない、to grow (成る) でなければならぬということなのである。わかりやすくいえば、人生というものは、ただ単なる「存在」として活きるのではなく、「生成」 を心がけるべきである。
(以上、「叡智のひびき」より転載)
なかなか難しい言葉ではあるが、この年になると、何となくわかる気がする。昨日から期限のある作業中に、ふと「私は何をしているのか、これで良いのか」 と、思うことがある。私は、ものづくりが子供のころから好きで、建築士という職能の世界に入った。中村天風氏の「生成」のレベルには、まだまだ到底至ってはいないが、懲りず、諦めず、色々なことに興味を持ち続けることが大事と思います。ただ生きる「存在」ではなくて、「生成」の気持ちを常に意識して生きたものです。
おはようございます。うす曇りの我が家です。さて、昨日から自宅アトリエに籠もって作っている模型作りへのご意見ありがとうございます。今日は、1つ所用がありますが、一日模型制作です。
さて、中村天風氏の著書「叡智のひびき」 に、人生を積極的に生きる考え方があった。
(以下転載)
人生に対する心構えは、to be(存在) ではいけない、to grow (成る) でなければならぬということなのである。わかりやすくいえば、人生というものは、ただ単なる「存在」として活きるのではなく、「生成」 を心がけるべきである。
(以上、「叡智のひびき」より転載)
なかなか難しい言葉ではあるが、この年になると、何となくわかる気がする。昨日から期限のある作業中に、ふと「私は何をしているのか、これで良いのか」 と、思うことがある。私は、ものづくりが子供のころから好きで、建築士という職能の世界に入った。中村天風氏の「生成」のレベルには、まだまだ到底至ってはいないが、懲りず、諦めず、色々なことに興味を持ち続けることが大事と思います。ただ生きる「存在」ではなくて、「生成」の気持ちを常に意識して生きたものです。