2016年08月15日

独創的人間関係を培った龍馬の魅力

独創的人間関係を培った龍馬の魅力

童門冬二著『坂本龍馬に学ぶ』の第四章から、

(以下、本より抜粋)

(坂本龍馬の)独創的な人間関係主義というのは、
○人との出会いを重視する。
○したがって出会う人を選ぶ。
○すなわち、人間の一級品主義を貫いた。
○二級品、三級品、四級品の人間はほとんど黙殺した。
○社内よりも、社外の人脈の設定の妙手であった。しかも、それを日本的規模でネットワークを張った。
○しかし、決して人に執着せず、状況によって人を見限るタイミングの良さを持っていた。つまり、見捨てる。見限る、見限る非常の精神の実行者でもあった。
○先輩に優れた人物が多かった(勝、大久保、横井、西郷、桂等々)。
○龍馬は、他人が気づかない妙手妙案を引き出す能力に優れていた。つまり、龍馬は、他人から社会のためのアイデアを引き出す誘発剤的機能を持っていた。
○つまり、龍馬は話上手でもあったが、並行して聞き上手でもあった。人々は龍馬に、巧みに自分のアイデアを引き出された。
○龍馬は、他人のアイデアを増幅して、実現する機関的実践者であった。  


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2016年08月15日

「龍馬」の魅力は、計り知れないものがある

「龍馬」の魅力は、計り知れないものがある

龍馬の人間的魅力というのは、たとえば、

○底にいつも市民精神が流れていること。
○歴史のうねりに乗っているが、そのうねりの上にあるさざ波を一向に気にしなかったこと。
○エネルギッシュであったこと。
○いつも女に好かれ、女を愛していたこと。
○自己変革を続け、脱皮に次ぐ脱皮を続けたこと。
○豪胆で、いつも命がけであったこと。
○ヒューマニズムを貫き、自己愛よりも他人への愛を持ち続けたこと。
○巨大な未完成の印象を与えたこと。
○傲慢のように見えるが、実は非常に謙虚であったこと、自己の限界を良く認識していたこと。
(以上、『坂本龍馬に学ぶ』より)

作家というのは、人の特徴をうまく表現するな、と思います。しかし、まだまだ研究途中の人物「坂本龍馬」の魅力は、計り知れないものがあることは事実です。  


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2016年08月15日

相手を生かすことが自分を生かすこと〜田中角栄〜

相手を生かすことが自分を生かすこと〜田中角栄〜

事を為そうとすれば、必ず賛否の意見が出る。反対意見をまったく聞かな態度では、敵を増やすことになります。『田中角栄 100の言葉』を読み、敵対する意見を打ち負かすことは、恨みを増大させることにつながる。

「相手が立てなくなるまでやっつければ、敵方の遺恨は去らない。徹底的に論破してしまっては相手が救われない。土俵際には追い詰めるが、土俵の外に押し出す必要はない」

本の解説に、こうあった。

(以下、転載)

野党にも多くの「隠れ田中派議員」がいたことは有名だ。国会運営をスムーズに展開するため、角栄は政敵を完全に潰しにかかることを本能的に警戒し、それをやらなかった。
白黒をつけることはときに心地よいものだが、それによって政治の幅は狭まり、損をすることになる。相手を生かすことが自分を生かすことだと角栄は肝に銘じていた。
(以上、『田中角栄 100の言葉』より)

人間関係は、相互作用とよく聞きます。磁石のように、関心を持てば相手も興味を示す。反論、反発すれば、気持ちもすれ違い、遠退く。
論争になった時は、趣旨を伝えたら常に退くことを心がけたいものです。強行して、相手の立場も無くなるようになる前に、こちらから退くことが、相手を生かし、自分も別の道を探すゆとりを作り出すだと思います。

さすが、長く政界に存在感を示し続けた生き様には、おおいに学ぶところがあります。  


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2016年08月15日

己を修めて人を責めず〜左伝〜

己を修めて人を責めず〜左伝〜

半年ほど前に使った旅行用バッグから、中国古典の名著『中庸』と『大学』の解説書が出てきました。偶然か、間違いか。

読み進むと、二つの訓示が書かれていました。

1.ぐちや不満をこぼさず、与えられた場で与えられた責任をきちんと果たす。子としての務めを怠らず、言動を慎重にし、人から疑惑をもたれるようなことはしない。
2.読書に励んで、知識を広め、人格を磨く。つまりは、自己啓発につとめる。
(以上、守屋洋著『大学・中庸』より)

解説文に、次の一節があり、しみじみと読みました。

左遷されたときや不遇の状態に甘んじているときに、グチをこぼしたり、上司を批判したりしたところで、自分がみじめになっていくだけであろう。

「自分の行いを慎み、みだりに人を批判しない。そういう生きかたを心がけるなら、太子の座から下ろされることはありますまい」

奢れるものは久しからず。

絶頂期は長く続かない。その立場、場面を支えているのは誰か? 見間違うのが、絶頂期なのだと思います。奢れる者は久しからず、小さな達成感溺れていては、人の成長も、牛頭の争いに同じ、狭い視野で戦うか、俯瞰的に自らを反省するか。その後の展開を大きく孵(変え)ると思います。  


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2016年08月15日

憂が人物をつくる〜安岡正篤〜

憂が人物をつくる〜安岡正篤〜

人は悩んで成長する。

昭和の東洋哲学者の故安岡正篤氏が生前に語った様々な言葉をまとめた『安岡正篤一日一言』に次の一文があります。

(以下、転載)

人間は憂(うれ)えなければ人物が出来ない。何の心配もなく平々凡々幸福に暮らしたのでは、優という文字の真義からくる“優秀”とはいい難い。憂患を体験し、悩み抜いてきて初めて、人物も余裕も出来てくる。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

人間、日々悩むことばかり。特に何か事を為そうとすれば、周りや関わる人間の思いや考えに耳を傾けなければならない。ある程度条件が出尽くした所で、落とし所を示す。その提示で、自らが批判を受けようが、悩み抜いて出した答えは、微動だにしない覚悟を示し、周りの意見がどう動くか見定める。

最良で最大の効果は望めないとは思いますが、その時点の最善策に思える方向へ流れを変えることを目指して、騒がす、諦めず、地道に変化を待ち、目的を達成できるように努力します。

人間、心配はつきもの、逆に心配・憂いを肥やしとして成長したいものです。  


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2016年08月15日

憧憧(しょうしょう)とは、私心にとらわれること

憧憧(しょうしょう)とは、私心にとらわれること

視野を狭めると、考えることも少なく楽ではあるが、関わる人間を狭めてしまうことも少なくない。

「憧憧(しょうしょう)として往来すれば、朋のみ爾(なんじ)の思いに従う」

【現代語訳】
憧憧(しょうしょう)とは、私心にとらわれて、態度に落ち着きがないこと、そんなつきあい方をすれば、一緒についてくるのは同類ばかりだ、というのである。つまり、人間関係のなかで大きな影響力を持てないということであろう。

仲間をつくるのはいいのであるが、仲間意識に甘えていたのでは、より大きな支持を得れない。広い支持を獲得するためには、仲間意識を超えた大きな心を必要とするのである。
(以上、守屋洋著『中国語古典百言百話 大学・中庸』より)

組織が広く浅い団体では、なかなか個性が出せない。でも、派閥を作れば自分の存在感は出せる。派閥が強く共闘を形に出すと、浅く広い団体では、目立ち敬遠されやすい。人の組織の難しさでもあります。

>「憧憧(しょうしょう)」とは、私心にとらわれて・・・、

公に近い組織は、私情が強く出ると、支持を得れない態度として捉えられことも多い。そんな時は、関わる人々意見に耳を傾け、派閥の存在意義は何か、集まる同類の仲間と語ることも必要と思います。

人間は、人と関わり(仲間)を持たなければ生きて行けない。ならば、広く支持を得て行くには何が必要か、常にその意識を持って行動していくことも必要に思います。  


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2016年08月15日

笑う門には福来る

笑う門には福来る

地震、水害と、暗い気持ちの日々が続いています。そんな中、ボランティアの方々の爽やかな働きぶりには、こちらの気持ちも爽やかに、明るい気持ちになります。

笑顔とは良いものです。

作家の五木寛之氏の様々なエッセイや著書中から拾い集めた言葉が詰まった本『杖ことば』に、冒頭の一文がありました。

(以下、転載)

「笑う門には福来る」とは、よく耳にすることわざです。笑うことは免疫力を高め、自然治癒力を強化するということは、多くの医療機関者が実証しています。(中略)

あるときは、ニコニコ笑って、あるときは腹を抱えて、のたうちまわるがよい、そうすれば、ナチュラル・キラー細胞が活性化され、免疫機能が高まるそうです。
(以上、『杖ことば』より)

そうか、笑えば自然治癒力を高める、なるほどと思います。ボランティアの方々が来られ、泥まみれになりながらも、相手の事を思いやり、優しく語りかける態度は、こちらの気持ちを爽やかになり、笑みが自ずと出てくる。  


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