2016年08月14日
一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。〜谷沢永一〜
一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。〜谷沢永一〜
オリンピックは、個人の能力が試される場所、しかし、その背後には多くのコーチたちが支える構図が見える。そして、その、世代交代が次のヒーローを生み出す。誰が支えているか?
意外に、日本人は注目するように思います。
さて、さまざまスポーツ界、市民活動団体、等々で、中心になる人物がいることは、誰もが認める事だと思います。しかし、その存在が認められ、在位が長くなると、世間はその存在そのものを胡散臭く思う事があります。
作家の谷沢永一氏が書いた『人間通』に、次の一節がありました。
(以下、『人間通』より転載)
万事を掌握していると広く世に認められた人物は必ず憎まれる。一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。
彼奴は何物にも拘束されないで自由気儘に事をおこなっていると見るや否や、そこに何らかの邪まな事情が伏在するに違いないと想像する。“裏に何かある”と勘繰りの念を働かせるのであろう。
「あの会社はあの専務で保っている」などという評判が生まれたらよほど警戒せればならぬ。急いで目に立つ補佐役の顔を揃え、名の通った相談役を置き、合議制で事を進行していると見える体制を整えなければならない。人を人とも思わぬ、という言い立てが、我が国では有力者を批判する場に最も通例の公式なのである。
(以上、『人間通』より)
仕事をする事は必要ですが、役割を終えれば、汚名を出す前に去ることも必要と思います。みなさんの周りには、上記のような陰口を聞くようが方々はいませんか? 時代の変化に耐えうるリーダーとなれる努力も必要ですが、次の人材育成には、ホストを与える事も大事なように思います。
オリンピックは、個人の能力が試される場所、しかし、その背後には多くのコーチたちが支える構図が見える。そして、その、世代交代が次のヒーローを生み出す。誰が支えているか?
意外に、日本人は注目するように思います。
さて、さまざまスポーツ界、市民活動団体、等々で、中心になる人物がいることは、誰もが認める事だと思います。しかし、その存在が認められ、在位が長くなると、世間はその存在そのものを胡散臭く思う事があります。
作家の谷沢永一氏が書いた『人間通』に、次の一節がありました。
(以下、『人間通』より転載)
万事を掌握していると広く世に認められた人物は必ず憎まれる。一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。
彼奴は何物にも拘束されないで自由気儘に事をおこなっていると見るや否や、そこに何らかの邪まな事情が伏在するに違いないと想像する。“裏に何かある”と勘繰りの念を働かせるのであろう。
「あの会社はあの専務で保っている」などという評判が生まれたらよほど警戒せればならぬ。急いで目に立つ補佐役の顔を揃え、名の通った相談役を置き、合議制で事を進行していると見える体制を整えなければならない。人を人とも思わぬ、という言い立てが、我が国では有力者を批判する場に最も通例の公式なのである。
(以上、『人間通』より)
仕事をする事は必要ですが、役割を終えれば、汚名を出す前に去ることも必要と思います。みなさんの周りには、上記のような陰口を聞くようが方々はいませんか? 時代の変化に耐えうるリーダーとなれる努力も必要ですが、次の人材育成には、ホストを与える事も大事なように思います。
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10:21
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2016年08月14日
幸せは「人に分ければ分けるほど」大きくなる。
幸せは「人に分ければ分けるほど」大きくなる。
〜己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり〜
【意味は?】
好ましくなことは自分で引き受け、好ましいことは人に振り向け、自分を忘れて人のためになることこそ、慈悲の究極のあり方である。
この元となった言葉は、天台宗の開祖・最澄が書いた『天台法華宗年分縁起』にあるそう。
最澄は、お釈迦様の教え「自利利他」を発展させて、自分の幸せを忘れて人や世の中を幸せにする「亡己利他(ぼうこりた)」を追求したとあった。
坂本龍馬の全国ネットワーク「全国龍馬社中」の橋本邦健氏は、自分を忘れ人のために尽くすことを「自忘他利」という表現をされています。考えは同じ意味と捉えてます。
「他者の喜びをわが喜びとし、他者の痛みはわが痛みとする」
震災活動てば、様々の人間模様を見ましたが、支援は誰でも救うことが目的。もらってばかりの人がいても気にならない。日常が、損得の心になっていないか? 時折考えてみることも良いかもしれません。
*参考資料:『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』(中野東禅著)
〜己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり〜
【意味は?】
好ましくなことは自分で引き受け、好ましいことは人に振り向け、自分を忘れて人のためになることこそ、慈悲の究極のあり方である。
この元となった言葉は、天台宗の開祖・最澄が書いた『天台法華宗年分縁起』にあるそう。
最澄は、お釈迦様の教え「自利利他」を発展させて、自分の幸せを忘れて人や世の中を幸せにする「亡己利他(ぼうこりた)」を追求したとあった。
坂本龍馬の全国ネットワーク「全国龍馬社中」の橋本邦健氏は、自分を忘れ人のために尽くすことを「自忘他利」という表現をされています。考えは同じ意味と捉えてます。
「他者の喜びをわが喜びとし、他者の痛みはわが痛みとする」
震災活動てば、様々の人間模様を見ましたが、支援は誰でも救うことが目的。もらってばかりの人がいても気にならない。日常が、損得の心になっていないか? 時折考えてみることも良いかもしれません。
*参考資料:『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』(中野東禅著)
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09:25
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2016年08月14日
「悪口」人の世は絶えざる(他人の)値踏みの市である。〜谷沢永一〜
「悪口」人の世は絶えざる(他人の)値踏みの市である。〜谷沢永一〜
小休止の時、年に何度か読む作家の谷沢永一氏の本は、本日は『人間通』で、はじめの部分にある「悪口」について書かれています。
(以下、抜粋)
悪口ばかり言う奴は嫌われる。
妬み根性は暗く厭わしい。
他人を褒める心の余裕を欠いた僻み屋は決して伸びない。
ある評論家が、誰もけなさず、褒めてばかりいると、読者は言葉通りに受け取らなくなり、どこまで本気かしら、と眉に唾をつける。
絶対に他人の悪口を言わない人物は油断のならない腹黒い性格?
人を見て安心するのは、言うことに裏がない、率直だと認めた場合。
この印象を得るには、批判すべき人物や事柄を的確に批判し、また、悪口を淡白に発する臨機応変さが大事と。
「人の世は絶えざる(他人の)値踏みの市である」
〜最後に谷沢氏は、人の世を生きる術として〜
「競りに加わる気構えで高くも安くもない指し値をする眼力かなければ世に立てないのである」
(以上、『人間通』より)
たかが悪口、されど悪口ですが、私はなるべく語りたくないと思っています。悪口は、必ずプーメランのように、自分に返ってきます。それと、どんなに遠くにいても、悪口は必ず巡り巡って届きます。悪口とは、不思議なものです。
小休止の時、年に何度か読む作家の谷沢永一氏の本は、本日は『人間通』で、はじめの部分にある「悪口」について書かれています。
(以下、抜粋)
悪口ばかり言う奴は嫌われる。
妬み根性は暗く厭わしい。
他人を褒める心の余裕を欠いた僻み屋は決して伸びない。
ある評論家が、誰もけなさず、褒めてばかりいると、読者は言葉通りに受け取らなくなり、どこまで本気かしら、と眉に唾をつける。
絶対に他人の悪口を言わない人物は油断のならない腹黒い性格?
人を見て安心するのは、言うことに裏がない、率直だと認めた場合。
この印象を得るには、批判すべき人物や事柄を的確に批判し、また、悪口を淡白に発する臨機応変さが大事と。
「人の世は絶えざる(他人の)値踏みの市である」
〜最後に谷沢氏は、人の世を生きる術として〜
「競りに加わる気構えで高くも安くもない指し値をする眼力かなければ世に立てないのである」
(以上、『人間通』より)
たかが悪口、されど悪口ですが、私はなるべく語りたくないと思っています。悪口は、必ずプーメランのように、自分に返ってきます。それと、どんなに遠くにいても、悪口は必ず巡り巡って届きます。悪口とは、不思議なものです。
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09:24
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2016年08月14日
著書『人間通』から「人間通になるための百冊」からをいくつか、
著書『人間通』から「人間通になるための百冊」からをいくつか、
枕元の本『人間通』(谷沢永一著)を開き、末尾に紹介された「人間通になるための百冊」の紹介文を読み、5つ本が心に響きました。
〜谷沢永一著『人間通』より〜
1.どなたも一度は読んでおられると思う、松下幸之助氏の言葉集めた様々な本の一冊。
・『松翁論語』松下幸之助述(江口克彦記)
まず熱意を人並み以上に持ち続けられるかどうかが経営者としての必須条件だ。これに知識を掛け算し経験を足し算せねば真の知恵は湧いてこない。感動のない経験を何十回何百回重ねたところで価値ある経験とはならぬ。
2.これは読んだとこはありませんが、人はみな違うという言葉に、賛同しました。
・『創造力』(西堀榮三郎)
神様は同じ人間をこの地球上に一人として作らなかった。という事はみんなが不完全な存在だという意味である。その不完全な人間群が完全を目指して互いの欠陥を補っていくところにこそ組織が生まれる所以である。
3.人との出会いとその後のお付き合いは、額縁なし(先入観なし)で、人柄を感じ、交流できると良いなと思います。
・『人と付き合う法』(河盛好蔵)
家柄とか門地に拘るのは落ちぶれた貴族か成り上がり者であろう。すべての人間は遡(さかのぼ)れば何処の馬の骨か判らぬのが一般である。しかし現実には人物評などで毛並みの良し悪しが問題にされる。額縁ぬきでゆくべきだ。
4.田辺聖子さんのことばを集めた『苦味(ビター)を少々』は愛読本の一冊です。
・『苦味(ビター)を少々ーー399のアフォリズム』(田辺聖子)
率直な事は残酷なことである。女というものは繊細(デリケート)に見えながら必ず一点、鈍感無神経なところがあるものである。恋というのは機会をキャッチする能力のことであり機会というのは今が機会と思いこむ厚かましさに基づく。
5.人の過ちを許す寛容さこそが、自らも幸せにする。一時は、価値観の違いですれ違いがあるかもしれませんが、修正(許す)する能力があるかないかで、その後の人とのご縁の広がりが違うように思います。
・『この世の果て』(サマセット・モーム)
自分が生きてゆくのに最も必要とするものは何かをよく見定めて確保すべきである。世間体や見栄のため一時の発作に駆られて本当に大切な筈の何かを捨てるのは愚かである。人の過ちを許す寛容が我が身に幸福を齎(もたら)す。
〜谷沢永一さんの多読の凄さを感じるとともに、本を読み人の価値観の違いや多様性に触れることは、自分を成長させる経験のように思います〜
枕元の本『人間通』(谷沢永一著)を開き、末尾に紹介された「人間通になるための百冊」の紹介文を読み、5つ本が心に響きました。
〜谷沢永一著『人間通』より〜
1.どなたも一度は読んでおられると思う、松下幸之助氏の言葉集めた様々な本の一冊。
・『松翁論語』松下幸之助述(江口克彦記)
まず熱意を人並み以上に持ち続けられるかどうかが経営者としての必須条件だ。これに知識を掛け算し経験を足し算せねば真の知恵は湧いてこない。感動のない経験を何十回何百回重ねたところで価値ある経験とはならぬ。
2.これは読んだとこはありませんが、人はみな違うという言葉に、賛同しました。
・『創造力』(西堀榮三郎)
神様は同じ人間をこの地球上に一人として作らなかった。という事はみんなが不完全な存在だという意味である。その不完全な人間群が完全を目指して互いの欠陥を補っていくところにこそ組織が生まれる所以である。
3.人との出会いとその後のお付き合いは、額縁なし(先入観なし)で、人柄を感じ、交流できると良いなと思います。
・『人と付き合う法』(河盛好蔵)
家柄とか門地に拘るのは落ちぶれた貴族か成り上がり者であろう。すべての人間は遡(さかのぼ)れば何処の馬の骨か判らぬのが一般である。しかし現実には人物評などで毛並みの良し悪しが問題にされる。額縁ぬきでゆくべきだ。
4.田辺聖子さんのことばを集めた『苦味(ビター)を少々』は愛読本の一冊です。
・『苦味(ビター)を少々ーー399のアフォリズム』(田辺聖子)
率直な事は残酷なことである。女というものは繊細(デリケート)に見えながら必ず一点、鈍感無神経なところがあるものである。恋というのは機会をキャッチする能力のことであり機会というのは今が機会と思いこむ厚かましさに基づく。
5.人の過ちを許す寛容さこそが、自らも幸せにする。一時は、価値観の違いですれ違いがあるかもしれませんが、修正(許す)する能力があるかないかで、その後の人とのご縁の広がりが違うように思います。
・『この世の果て』(サマセット・モーム)
自分が生きてゆくのに最も必要とするものは何かをよく見定めて確保すべきである。世間体や見栄のため一時の発作に駆られて本当に大切な筈の何かを捨てるのは愚かである。人の過ちを許す寛容が我が身に幸福を齎(もたら)す。
〜谷沢永一さんの多読の凄さを感じるとともに、本を読み人の価値観の違いや多様性に触れることは、自分を成長させる経験のように思います〜
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09:22
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2016年08月14日
地道を守る、花が咲くとき。
地道を守る、花が咲くとき。
人の道は地道を守るべきである。
地道とは、人をうやまい、自分を慎むという敬である。つまりは、天の道理に従って身を修めるということだ。
(以上、超訳『言志四録(佐藤一斎著)〜己を律する200の言葉〜』(岬龍一郎編訳)
いつか実の成る花も咲く?
地道のままに終わることも多いですが、意外に身の回りにチャンスがあることに気づかない。それを掴むかどうかは本人が行動しなければ、その変化はもたらされない。
「花はやむにやまれぬときに、つぼみを破って咲くのである」
自然は、その時期を遅くともなく、早すぎもせずに、花を咲かせる。本人の努力は持ち論ですが、チャンスの情報を掴んだときは、やはり即行動することが必要なのです。
力をつけるには地道な努力。
花を咲かせるには、四方八方への気配り。
その2つが、人生に一度しかない機会(チャンス)を掴むことの最低条件。あとは、運(タイミング)なのかもしれません。
人の道は地道を守るべきである。
地道とは、人をうやまい、自分を慎むという敬である。つまりは、天の道理に従って身を修めるということだ。
(以上、超訳『言志四録(佐藤一斎著)〜己を律する200の言葉〜』(岬龍一郎編訳)
いつか実の成る花も咲く?
地道のままに終わることも多いですが、意外に身の回りにチャンスがあることに気づかない。それを掴むかどうかは本人が行動しなければ、その変化はもたらされない。
「花はやむにやまれぬときに、つぼみを破って咲くのである」
自然は、その時期を遅くともなく、早すぎもせずに、花を咲かせる。本人の努力は持ち論ですが、チャンスの情報を掴んだときは、やはり即行動することが必要なのです。
力をつけるには地道な努力。
花を咲かせるには、四方八方への気配り。
その2つが、人生に一度しかない機会(チャンス)を掴むことの最低条件。あとは、運(タイミング)なのかもしれません。
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09:21
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2016年08月14日
「悪口は毒蛇と思え。受け取るな」〜釈迦〜
「悪口は毒蛇と思え。受け取るな」〜釈迦〜
昨日は一日、研修で建物の中でした。九州は梅雨が明けたようです。暑い日中なので、とくに早朝の涼しい時間は貴重だなと思います。
朝読書、『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』(中野東禅著)に冒頭の言葉がありました。その項には、釈迦が弟子を連れて托鉢をしておられる時の場面が紹介され訓示の意味が解説されています。大いに納得しました。
(以下、転載)
お釈迦さまと弟子たちが托鉢して歩いているときのこと、ある町民が文句を言ってきました。「おまえたちは托鉢と言いながら、人に物をもらって生きているではないか。俺たちはこうして額に汗して働いているのに」と、お釈迦さまは延々と続く文句を黙って聞いていました。
「言いたいのはそれだけですか?」
「そうだ」
「じゃ、さようなら」
そんなやりとりで、一行はその場を立ち去りました。
しかし、弟子たちは納得がいきません。
「お釈迦さま、どうして黙っていたのですか」
と詰め寄ります。お釈迦さまは言いました。
「おまえたちは、誰かが毒蛇を持ってきたら受け取るか」
「まさか、受け取るわけありません」
「受け取らなければ、その毒蛇は誰のものになる?」
「持ってきた人がそのまま持ち帰るしかないでしょう」
「そうだろう。だから先ほど私は悪口という毒蛇を受け取らなかったかのだ。悪口という汚れた心は、あの人が持って帰ったのだよ」
武道では、飛んでくる矢は「打ち落す」のではなく「よける」のが鉄則とされています。お釈迦さまも、どれほどののしられても、冷静に悪口を受け流したわけです。
お釈迦さまはまた逆に、どのような身分の人とも同様に接しました。
(以上、本より転載)
このページの解説にもう一つのエピソードがあります。蓮如上人の言葉「もしは仏法者とみゆるようにふるまうべからず」の意味で、
簡単に言うと「ののしられてもいいから、立派な人と思われようとするな」となります。何か不思議に思うのですが、著者の中野東禅氏は、戒めの意味で「おだてに乗るな」と解説しています。
えー格好し?
を気取ると、落とし穴がある。人間は、事あるごとにミスや失態を犯すものです。完璧ばかりを目指すと、後が続かない。ほどほどの目標を持ち、禍は「よける」ことを心がけるのも必要な気がします。
*参考資料:中野東禅著『人生の問題がすっと解決する名僧の一言〜今、「幸せの種」をまいてみよう〜』
昨日は一日、研修で建物の中でした。九州は梅雨が明けたようです。暑い日中なので、とくに早朝の涼しい時間は貴重だなと思います。
朝読書、『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』(中野東禅著)に冒頭の言葉がありました。その項には、釈迦が弟子を連れて托鉢をしておられる時の場面が紹介され訓示の意味が解説されています。大いに納得しました。
(以下、転載)
お釈迦さまと弟子たちが托鉢して歩いているときのこと、ある町民が文句を言ってきました。「おまえたちは托鉢と言いながら、人に物をもらって生きているではないか。俺たちはこうして額に汗して働いているのに」と、お釈迦さまは延々と続く文句を黙って聞いていました。
「言いたいのはそれだけですか?」
「そうだ」
「じゃ、さようなら」
そんなやりとりで、一行はその場を立ち去りました。
しかし、弟子たちは納得がいきません。
「お釈迦さま、どうして黙っていたのですか」
と詰め寄ります。お釈迦さまは言いました。
「おまえたちは、誰かが毒蛇を持ってきたら受け取るか」
「まさか、受け取るわけありません」
「受け取らなければ、その毒蛇は誰のものになる?」
「持ってきた人がそのまま持ち帰るしかないでしょう」
「そうだろう。だから先ほど私は悪口という毒蛇を受け取らなかったかのだ。悪口という汚れた心は、あの人が持って帰ったのだよ」
武道では、飛んでくる矢は「打ち落す」のではなく「よける」のが鉄則とされています。お釈迦さまも、どれほどののしられても、冷静に悪口を受け流したわけです。
お釈迦さまはまた逆に、どのような身分の人とも同様に接しました。
(以上、本より転載)
このページの解説にもう一つのエピソードがあります。蓮如上人の言葉「もしは仏法者とみゆるようにふるまうべからず」の意味で、
簡単に言うと「ののしられてもいいから、立派な人と思われようとするな」となります。何か不思議に思うのですが、著者の中野東禅氏は、戒めの意味で「おだてに乗るな」と解説しています。
えー格好し?
を気取ると、落とし穴がある。人間は、事あるごとにミスや失態を犯すものです。完璧ばかりを目指すと、後が続かない。ほどほどの目標を持ち、禍は「よける」ことを心がけるのも必要な気がします。
*参考資料:中野東禅著『人生の問題がすっと解決する名僧の一言〜今、「幸せの種」をまいてみよう〜』
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09:20
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2016年08月14日
腕を振るえるという立場の確保が生き甲斐を生む〜谷沢永一〜
腕を振るえるという立場の確保が生き甲斐を生む〜谷沢永一〜
朝読書の本『人間通』(谷沢永一著)に「腕を振るう」のテーマで書かれた一文がありました。仕事意味を考える教示に思えたので紹介します。
(以下、転載)
真実(ほんまもん)の政治欲は、現実に事を為し事態を解決し将来に備え運行をなめらかにする企画力の発揮を目的とする筈だ。そのためには象徴的な代表者(トップ)を上に掲げている方が都合がよかろう。世には専務にまでは達したがどうしても社長に登れぬという性質(たち)の人も珍しくない。しかし、考えてみれば腕を振るえるという立場の確保がもっとも生き甲斐を生むのではないか。名誉欲の強い者は政治力乏しい。石橋湛山の政治活動を裏で支え金銭の苦労を引き受けた宮川三郎は最後まで後援会長にとどまった。
(以上、『人間通』より)
地位を得たいのか、仕事を望むのか。
地域は人が作ること、新しい息吹は若者文化が発信し、動きが始まること。その素となるのは、青き心を持つ行動的な人間のように思います。
朝読書の本『人間通』(谷沢永一著)に「腕を振るう」のテーマで書かれた一文がありました。仕事意味を考える教示に思えたので紹介します。
(以下、転載)
真実(ほんまもん)の政治欲は、現実に事を為し事態を解決し将来に備え運行をなめらかにする企画力の発揮を目的とする筈だ。そのためには象徴的な代表者(トップ)を上に掲げている方が都合がよかろう。世には専務にまでは達したがどうしても社長に登れぬという性質(たち)の人も珍しくない。しかし、考えてみれば腕を振るえるという立場の確保がもっとも生き甲斐を生むのではないか。名誉欲の強い者は政治力乏しい。石橋湛山の政治活動を裏で支え金銭の苦労を引き受けた宮川三郎は最後まで後援会長にとどまった。
(以上、『人間通』より)
地位を得たいのか、仕事を望むのか。
地域は人が作ること、新しい息吹は若者文化が発信し、動きが始まること。その素となるのは、青き心を持つ行動的な人間のように思います。
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09:19
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2016年08月14日
言うは易し、為すは難し。訓示も実践してこそ意味をなす。
言うは易し、為すは難し。訓示も実践してこそ意味をなす。
昨日、大きな課題に向き合い、相手のやる気をいかに出せるかに重きを置いた言動に勤めました。
人とは、常に値踏みをされている話は、最近のコメントで語りました。このコメント(批判・批評)が好きな方々自身も批評されています。
私は、周りいる仲間やご縁ある方々に、いかにやる気を出させるか?
困難と向き合う時、避けるか、向き合うか、その姿勢で厳しい環境も克服されていきます。訓示に次の言葉があります。もともとは、論語の中の一節にもある内容です。いかに改善するか?本腰の対応が必要です。
中国古典の『礼記』にある一節を意訳しておられます。
(以下、「大学・中庸」から)
政治(実行)は身近なところから着手
一、「親(しん)を治む」ーー「親」とは身内である。一族が和合して、一致協力できるようにまとめていくことだ。
一、「功に報ゆ」ーー功労のある者には、それに見合った処遇をすることだ。
一、「賢を挙ぐ」ーー賢者を召し抱えて、政治の相談にあずかってもらう。
一、「能を使う」ーー有能な人材を登用し、彼らの能力を引き出して使う。
一、「愛を存(あきら)かにす」ーー自分の好むところを明確に示し、下の者が見習うようにしむける。
(以上、本より抜粋)
政治とは、1つの思いを持つ集団が様々な思いを持って集まる中で、もっとも優先される事を、いかに選択し実行するには、上記の5つの手腕(実行)を示すことも必要です。
中国古典の『大学』に、
「修身、斉家、治国、平天下」
かあります。これは、一人の人間の身の処し方の訓示です。
まず自身を鍛え成長する。次に、家族に安定・安心を与える。次に、地域社会の発展に努める。最後に、天下国家の平和活性化に微力ながら関わる。
言うは易し、為すは難し。
5つの訓示も、実践してこそ意味をなす。
昨日、大きな課題に向き合い、相手のやる気をいかに出せるかに重きを置いた言動に勤めました。
人とは、常に値踏みをされている話は、最近のコメントで語りました。このコメント(批判・批評)が好きな方々自身も批評されています。
私は、周りいる仲間やご縁ある方々に、いかにやる気を出させるか?
困難と向き合う時、避けるか、向き合うか、その姿勢で厳しい環境も克服されていきます。訓示に次の言葉があります。もともとは、論語の中の一節にもある内容です。いかに改善するか?本腰の対応が必要です。
中国古典の『礼記』にある一節を意訳しておられます。
(以下、「大学・中庸」から)
政治(実行)は身近なところから着手
一、「親(しん)を治む」ーー「親」とは身内である。一族が和合して、一致協力できるようにまとめていくことだ。
一、「功に報ゆ」ーー功労のある者には、それに見合った処遇をすることだ。
一、「賢を挙ぐ」ーー賢者を召し抱えて、政治の相談にあずかってもらう。
一、「能を使う」ーー有能な人材を登用し、彼らの能力を引き出して使う。
一、「愛を存(あきら)かにす」ーー自分の好むところを明確に示し、下の者が見習うようにしむける。
(以上、本より抜粋)
政治とは、1つの思いを持つ集団が様々な思いを持って集まる中で、もっとも優先される事を、いかに選択し実行するには、上記の5つの手腕(実行)を示すことも必要です。
中国古典の『大学』に、
「修身、斉家、治国、平天下」
かあります。これは、一人の人間の身の処し方の訓示です。
まず自身を鍛え成長する。次に、家族に安定・安心を与える。次に、地域社会の発展に努める。最後に、天下国家の平和活性化に微力ながら関わる。
言うは易し、為すは難し。
5つの訓示も、実践してこそ意味をなす。
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2016年08月14日
強い意志で「憎まれ役」を買う〜李登輝〜
強い意志で「憎まれ役」を買う〜李登輝〜
以前に古本屋で見つけた、元台湾総統の李登輝氏インタビュー形式で、自分の人生について語った本(2001年出版)を思い出し、パラパラと開いてみました。
目次の見出しに「強い意志で憎まれ役を買う」という文字を見つけて読み始めると、選挙と金、出馬調整役、等々について書かれていました。
選挙に出る時に、総統へ賄賂を持参する者もいたが、「私は一度も受け取らなかった」と。さらに、政治家の蓄財のデマを何度も受けたが、そんな事実は何もないから、一度も負けたこともない。
最悪のデマは、李登輝氏の妻が海外で蓄財している話で、これにはさすがに法廷闘争をやったそうで、それも、こちらの名誉毀損の賠償も求めていて、まったく嘘だから、勝ったら、その金を先住民のために使おうと思っている、と。
どこかの国は、国の主要ポストになれば、その蓄財は数百億円?とか、ネット情報が流れますが、李登輝氏の生き方には、直接お話をしたことがないですが、惹かれるものを感じます。
国民党の党首時代、党の資金力は豊かだったこともあり、様々な選挙で使われる資金の使い道は、すべて秘書長が取り仕切り、いっさい口も出さず、知りもしなかった、そうです。
一昨年だったと思いますが、台湾に龍馬会ができました。会長は、李登輝氏です。全国龍馬社中の橋本邦健会長が、台湾の李登輝氏の事務所へ招かれ発会式を開催することになり、さらに、李登輝氏の私邸に招かれ、意見を交わしたそうです。橋本氏からその様子を聞き、李登輝氏の人間のスケールの大きさ、さらに細やかさを、おおいに感心した、と聞くこともできました。
李登輝氏は、戦前の日本の教育を学んでおられます。本の冒頭に次の言葉があります。
(以下、転載)
かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした」と一方的に教育を受けていることです。
「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。
こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どちらも大切だ。
(以上、『李登輝学校の教え』より)
話が横に逸れましたが、李登輝氏の言葉を読み、政治家としての「憎まれ役」の話を知ると、我々庶民の暮らしは忙しいだけで、国の未来、国家間の揉め事、等々まで考えは至りませんが、「リーダーとは、憎まれ役を買って出る」覚悟がないと、事は成せないのかもしれません。
*参考資料:李登輝・小林よしのり共著『李登輝学校の教え』
以前に古本屋で見つけた、元台湾総統の李登輝氏インタビュー形式で、自分の人生について語った本(2001年出版)を思い出し、パラパラと開いてみました。
目次の見出しに「強い意志で憎まれ役を買う」という文字を見つけて読み始めると、選挙と金、出馬調整役、等々について書かれていました。
選挙に出る時に、総統へ賄賂を持参する者もいたが、「私は一度も受け取らなかった」と。さらに、政治家の蓄財のデマを何度も受けたが、そんな事実は何もないから、一度も負けたこともない。
最悪のデマは、李登輝氏の妻が海外で蓄財している話で、これにはさすがに法廷闘争をやったそうで、それも、こちらの名誉毀損の賠償も求めていて、まったく嘘だから、勝ったら、その金を先住民のために使おうと思っている、と。
どこかの国は、国の主要ポストになれば、その蓄財は数百億円?とか、ネット情報が流れますが、李登輝氏の生き方には、直接お話をしたことがないですが、惹かれるものを感じます。
国民党の党首時代、党の資金力は豊かだったこともあり、様々な選挙で使われる資金の使い道は、すべて秘書長が取り仕切り、いっさい口も出さず、知りもしなかった、そうです。
一昨年だったと思いますが、台湾に龍馬会ができました。会長は、李登輝氏です。全国龍馬社中の橋本邦健会長が、台湾の李登輝氏の事務所へ招かれ発会式を開催することになり、さらに、李登輝氏の私邸に招かれ、意見を交わしたそうです。橋本氏からその様子を聞き、李登輝氏の人間のスケールの大きさ、さらに細やかさを、おおいに感心した、と聞くこともできました。
李登輝氏は、戦前の日本の教育を学んでおられます。本の冒頭に次の言葉があります。
(以下、転載)
かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした」と一方的に教育を受けていることです。
「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。
こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どちらも大切だ。
(以上、『李登輝学校の教え』より)
話が横に逸れましたが、李登輝氏の言葉を読み、政治家としての「憎まれ役」の話を知ると、我々庶民の暮らしは忙しいだけで、国の未来、国家間の揉め事、等々まで考えは至りませんが、「リーダーとは、憎まれ役を買って出る」覚悟がないと、事は成せないのかもしれません。
*参考資料:李登輝・小林よしのり共著『李登輝学校の教え』
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2016年08月14日
事を為すには始めを謀(はか)る。実がするには行動を起こす。
事を為すには始めを謀(はか)る。実がするには行動を起こす。
暗中模索、思慮分別、沈思黙考、等々、とにかく事を始めるには、考えに考え抜いて事を始める。そして、考えて考えて動き始めたら、見栄え、体裁、批判、出来栄えは気にしない。とにかく、目標とする結果を出すためには、“必死“の覚悟が必要です。
事を為すには、今の成功者を引き込むことは大事ですが、隆盛は衰退の始まりです。その輝くグループとは付き合いつつも、これから活性化する青きグループとも交流を創造することが、地域の活性化につながります。
本日、静岡で長く小学校低学年の指導をされている方にお会いしました。「今日は、小学3年生の試合でした」と。自分の子どもは、すでに成人しておられますが、途切れることなく地域の子どもを指導されている生き方に、頭が下がります。
多くが、自分の子どもがチームに在籍している間は、一生懸命に指導に関わられますが、“我が子”がいなくなれば、熱も冷め、我が子試合が気になり、後輩たちの指導はおろそかになり、以前のチームは低調になります。
「我が子は他人に指導させる」は、中国古典にも多く紹介されています。人の指導、特に我が子の指導が一番難しいと振り返ります。中国古典の賢人たちは、友人に我が子の任せ、友人の子どもを指導する考え方があったと聞きます。
余談が長くなりました。「他人の釜の飯を食え」と言います。我が子は、家(チーム)を離れてこそ、子どもも、元の指導者の指針も確認できます。今回の静岡合宿は、地元の指導者の考え方(指針)の確認につながると思っています。
無言実行、活動にいかに実践できか?
様々な仕事に関わる根幹の思想が、今夜の言葉あると信じます。
*参考資料:『大学・中庸」守屋洋訳編
暗中模索、思慮分別、沈思黙考、等々、とにかく事を始めるには、考えに考え抜いて事を始める。そして、考えて考えて動き始めたら、見栄え、体裁、批判、出来栄えは気にしない。とにかく、目標とする結果を出すためには、“必死“の覚悟が必要です。
事を為すには、今の成功者を引き込むことは大事ですが、隆盛は衰退の始まりです。その輝くグループとは付き合いつつも、これから活性化する青きグループとも交流を創造することが、地域の活性化につながります。
本日、静岡で長く小学校低学年の指導をされている方にお会いしました。「今日は、小学3年生の試合でした」と。自分の子どもは、すでに成人しておられますが、途切れることなく地域の子どもを指導されている生き方に、頭が下がります。
多くが、自分の子どもがチームに在籍している間は、一生懸命に指導に関わられますが、“我が子”がいなくなれば、熱も冷め、我が子試合が気になり、後輩たちの指導はおろそかになり、以前のチームは低調になります。
「我が子は他人に指導させる」は、中国古典にも多く紹介されています。人の指導、特に我が子の指導が一番難しいと振り返ります。中国古典の賢人たちは、友人に我が子の任せ、友人の子どもを指導する考え方があったと聞きます。
余談が長くなりました。「他人の釜の飯を食え」と言います。我が子は、家(チーム)を離れてこそ、子どもも、元の指導者の指針も確認できます。今回の静岡合宿は、地元の指導者の考え方(指針)の確認につながると思っています。
無言実行、活動にいかに実践できか?
様々な仕事に関わる根幹の思想が、今夜の言葉あると信じます。
*参考資料:『大学・中庸」守屋洋訳編
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2016年08月14日
「学者の常識」〜常識を破ることが学者の常識なんだ〜
「学者の常識」〜常識を破ることが学者の常識なんだ〜
やはり天才は成長を続ける可能性を持っていると、本田宗一郎氏の著書から気づかされます。
本田氏のエッセイ?『やりたいことをやれ』の一ページに「学者の常識」なる一文がありました。
(以下、抜粋)
社長を辞めてから、オレは世界の学者を集めて会議を開いた。学者っていうのは幼稚園みたいもんだ。あたりまえのことを、どうして? どうして? って聞くんだ。
それでハッと気づいたよ。常識ってのは、人間が考えたことだ。それを疑って、うち破っていくのが進歩なんだね。常識を破ることが学者の常識なんだ。オレはすっかり惹きつけらちゃって、楽しくなって大いにしゃべったよ。そしたら「まだ進歩の余地がある」ってほめられた。
(以上、『やりたいことをやれ』より)
>常識を破ることが学者の常識なんだ
天才の視点から出てくる言葉は惹きつけられてしまいます。我々凡人には無い“人への興味”の見方、関心力があるのだろうと思います。
常に前向き志向、関心は八方へ注ぎ、未知なるものに興味を持ち続ける。これこそが、天才が天才と言われる所以なのかもしれません。
*参考資料:本田宗一郎著『やりたいことをやれ』
やはり天才は成長を続ける可能性を持っていると、本田宗一郎氏の著書から気づかされます。
本田氏のエッセイ?『やりたいことをやれ』の一ページに「学者の常識」なる一文がありました。
(以下、抜粋)
社長を辞めてから、オレは世界の学者を集めて会議を開いた。学者っていうのは幼稚園みたいもんだ。あたりまえのことを、どうして? どうして? って聞くんだ。
それでハッと気づいたよ。常識ってのは、人間が考えたことだ。それを疑って、うち破っていくのが進歩なんだね。常識を破ることが学者の常識なんだ。オレはすっかり惹きつけらちゃって、楽しくなって大いにしゃべったよ。そしたら「まだ進歩の余地がある」ってほめられた。
(以上、『やりたいことをやれ』より)
>常識を破ることが学者の常識なんだ
天才の視点から出てくる言葉は惹きつけられてしまいます。我々凡人には無い“人への興味”の見方、関心力があるのだろうと思います。
常に前向き志向、関心は八方へ注ぎ、未知なるものに興味を持ち続ける。これこそが、天才が天才と言われる所以なのかもしれません。
*参考資料:本田宗一郎著『やりたいことをやれ』
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2016年08月14日
孝行で親を深く愛している者は、物腰や態度がおだやかである。〜礼記〜
孝行で親を深く愛している者は、物腰や態度がおだやかである。〜礼記〜
休憩に読んだ、中国古典の解説書に気づきをいただきました。
「孝子の深愛ある者は必ず和気あり。和気ある者は必ず愉色あり。愉色ある者は必ず婉容あり」(礼記・祭義)
【現代語訳】
孝行息子で親を深く愛して自分を者には、必ず和気がある。和気がある人は、必ず楽しい表情をしている。そういう人はまたきまって物腰や態度がおだやかである。
(引用、守屋洋訳編『大学・中庸』より)
和気はおもずから顔つきや態度に滲み出てくる。それがまた、和らいだ雰囲気をかもし出して、まわりの人々をなごませる。したがって、そういう人のまわりには人が集まってくる。こういう和気とは、孝行息子だけでなく、すべての社会人が身につけたい気持ちの持ち方と言えます。
和気は、その人の気持ちの持ちようで変わることも可能です。その根底にあるのは、人を思いやる心、温かい心があれば気持ちも和やかなものになってくる。
これとは逆なのが、心の冷たい人である。その冷たさがおのずから顔つきや態度に滲み出てきて、人を遠ざけてしまう。
(以上、『大学・中庸』より抜粋)
静岡合宿、5泊6日の合宿が、常に和やかな雰囲気を作れるように、日々の日程を消化し、子供たちの良き夏の思い出となるように願い、コーチたちと臨機応変に対応します。
休憩に読んだ、中国古典の解説書に気づきをいただきました。
「孝子の深愛ある者は必ず和気あり。和気ある者は必ず愉色あり。愉色ある者は必ず婉容あり」(礼記・祭義)
【現代語訳】
孝行息子で親を深く愛して自分を者には、必ず和気がある。和気がある人は、必ず楽しい表情をしている。そういう人はまたきまって物腰や態度がおだやかである。
(引用、守屋洋訳編『大学・中庸』より)
和気はおもずから顔つきや態度に滲み出てくる。それがまた、和らいだ雰囲気をかもし出して、まわりの人々をなごませる。したがって、そういう人のまわりには人が集まってくる。こういう和気とは、孝行息子だけでなく、すべての社会人が身につけたい気持ちの持ち方と言えます。
和気は、その人の気持ちの持ちようで変わることも可能です。その根底にあるのは、人を思いやる心、温かい心があれば気持ちも和やかなものになってくる。
これとは逆なのが、心の冷たい人である。その冷たさがおのずから顔つきや態度に滲み出てきて、人を遠ざけてしまう。
(以上、『大学・中庸』より抜粋)
静岡合宿、5泊6日の合宿が、常に和やかな雰囲気を作れるように、日々の日程を消化し、子供たちの良き夏の思い出となるように願い、コーチたちと臨機応変に対応します。
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2016年08月14日
リーダーとして人を動かすには、味方を増やすことではなく、敵をつくらないこと。〜田中角栄〜
<人生訓>リーダーとして人を動かすには、味方を増やすことではなく、敵をつくらないこと。〜田中角栄〜
田中角栄氏は、ロッキード事件以降、自身はメディアからあれだけ攻撃を受けていたにもかかわらず、角栄が個人を名指しで批判した言葉はほとんど見つけられないかという。これは、人生経験からくる処世術なのかもしれない。
谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』で宮山武蔵の『独行道』の訓示の解説に以下の一文がありました。
(以下、転載)
人間は感情の動物である。その感情のうち最も強く、万人に洩れなく共通するのは、それはおそらく嫉妬であろう。嫉妬しないと言う人は嘘つきである。自分は嫉妬しないと思っている人は自己欺瞞なかたまりである。人の世は嫉妬で動いている。
嫉妬は必ず紛争を生む。絶え間なく攻撃が行われる。まことに迷惑なことである。しかし世の中はよくしたもので嫉妬の感情は、嫉妬している当の本人の内面をむしばむ。嫉妬の強い人は性格が暗くなる。トゲトゲ、イガイガ、扱いにくい性格となる。つまりは人に嫌われる。
世に処する心得の要は、人に好かれることである。人に嫌われたくなかったら、嫉妬をできるだけ押さえこむしかないのである。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)
人の悪口=嫉妬
話は前に戻るが、故田中角栄氏は、野党にも“田中派”が居たと言われます。その魅力は何か、敵をつくらない=悪口を言わない。田中角栄の名言集にあった言葉を紹介します。
「人の悪口は言わないほうがいい。言いたければ便所で1人で言え。自分が悪口を言われた時は気にするな」
国を引っ張る首相も、人間関係に苦労していたのだなと痛感します。人間は、感情の動物ですから、心をコントロールすることはなかなか難しいですが、好かれることを心がけ、嫉妬心を抑えることを心がけたいものです。
田中角栄氏は、ロッキード事件以降、自身はメディアからあれだけ攻撃を受けていたにもかかわらず、角栄が個人を名指しで批判した言葉はほとんど見つけられないかという。これは、人生経験からくる処世術なのかもしれない。
谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』で宮山武蔵の『独行道』の訓示の解説に以下の一文がありました。
(以下、転載)
人間は感情の動物である。その感情のうち最も強く、万人に洩れなく共通するのは、それはおそらく嫉妬であろう。嫉妬しないと言う人は嘘つきである。自分は嫉妬しないと思っている人は自己欺瞞なかたまりである。人の世は嫉妬で動いている。
嫉妬は必ず紛争を生む。絶え間なく攻撃が行われる。まことに迷惑なことである。しかし世の中はよくしたもので嫉妬の感情は、嫉妬している当の本人の内面をむしばむ。嫉妬の強い人は性格が暗くなる。トゲトゲ、イガイガ、扱いにくい性格となる。つまりは人に嫌われる。
世に処する心得の要は、人に好かれることである。人に嫌われたくなかったら、嫉妬をできるだけ押さえこむしかないのである。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)
人の悪口=嫉妬
話は前に戻るが、故田中角栄氏は、野党にも“田中派”が居たと言われます。その魅力は何か、敵をつくらない=悪口を言わない。田中角栄の名言集にあった言葉を紹介します。
「人の悪口は言わないほうがいい。言いたければ便所で1人で言え。自分が悪口を言われた時は気にするな」
国を引っ張る首相も、人間関係に苦労していたのだなと痛感します。人間は、感情の動物ですから、心をコントロールすることはなかなか難しいですが、好かれることを心がけ、嫉妬心を抑えることを心がけたいものです。
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2016年08月14日
爪先立ちは長く立てず、才能を誇るものはトップに推されない
久しぶりコメント「爪先立ちは長く立てず、才能を誇るものはトップに推されない」
朝のパブリックビューイングから帰り、開いた名言集より、次の言葉を紹介します。
『老子』の訓示の現代語訳から、
爪先で立つ者は長く立って知られないし、大またでまたぐようにして歩く者も遠くまで行けない。自分から己を見せようとする者は人々にそれを明らかに知られることがなく、自分が正しいとする者もその良さがあきらかに認められない。また、自分からほこる者はその業績を認められず、自分からその才能をほこる者も人の長としてたてまつられることはない。
このような自らを押し通すやり方は、むだで余計な行いである。そういったことはすべての者がいつも嫌悪するものだ。だから、有道者は決してそういった行動に身を置かない。
(以上、谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』より)
人間、俺が俺が、ではなかなか身がもたない。ほどほどに、仲間と協力して、できる範囲の成功を目標とする方が、ぎくしゃくぜす、程よい人間関係も保てて、事を成すことができ、達成感も感じることができるのかもしれない。
朝のパブリックビューイングから帰り、開いた名言集より、次の言葉を紹介します。
『老子』の訓示の現代語訳から、
爪先で立つ者は長く立って知られないし、大またでまたぐようにして歩く者も遠くまで行けない。自分から己を見せようとする者は人々にそれを明らかに知られることがなく、自分が正しいとする者もその良さがあきらかに認められない。また、自分からほこる者はその業績を認められず、自分からその才能をほこる者も人の長としてたてまつられることはない。
このような自らを押し通すやり方は、むだで余計な行いである。そういったことはすべての者がいつも嫌悪するものだ。だから、有道者は決してそういった行動に身を置かない。
(以上、谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』より)
人間、俺が俺が、ではなかなか身がもたない。ほどほどに、仲間と協力して、できる範囲の成功を目標とする方が、ぎくしゃくぜす、程よい人間関係も保てて、事を成すことができ、達成感も感じることができるのかもしれない。
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08:34
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2016年08月14日
智恵に自慢おごりて、みがかざる大将は、国を失い家を亡ぼす〜楠木正成〜
智恵に自慢おごりて、みがかざる大将は、国を失い家を亡ぼす〜楠木正成〜
大将(リーダー、経営者)は、常に学び続け、自らの智恵を磨き続けなければならない。それを怠れば、国(会社や団体)が行き詰まり、身の破滅につながる。
南北朝時代の英雄「楠木正成」の唱える大将の条件の訓示の一節が次の部分です。
「しかしながら大将は、大いなる智恵も細かなる智恵も、なくてはかなわぬものなり。智恵は生まれつきありというも、その智恵をみがかざれば、正智(正しい智恵)にすることなし。智恵に自慢おごりて、みがかざる大将は、皆代々持きたる国を失い、家を亡ぼすものなり」
【解説文から】
人間というものは、自分の智恵はまだまだ不十分で、いまだ智恵を蓄え磨くことに関心があると思っているぐらいがちょうど良く、自分はすでに智恵がついたと思ってうがったものの見方をしている時は、すでにその智恵は腐り始めている。
特に、自分の周囲と比べて自分は智恵者であると誇っている時は一番危険な状態で、井の中の蛙であることに気づいていない。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)
あの英雄「楠木正成」でさえ、トップのあり方について、危機感を持ち自らを鍛えることを提唱している。われわれ一般人は、その生き方に触れ、自らを反省し、少しでも智恵を学び蓄えることに努めなければならないと痛感します。
*参考資料:谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』
大将(リーダー、経営者)は、常に学び続け、自らの智恵を磨き続けなければならない。それを怠れば、国(会社や団体)が行き詰まり、身の破滅につながる。
南北朝時代の英雄「楠木正成」の唱える大将の条件の訓示の一節が次の部分です。
「しかしながら大将は、大いなる智恵も細かなる智恵も、なくてはかなわぬものなり。智恵は生まれつきありというも、その智恵をみがかざれば、正智(正しい智恵)にすることなし。智恵に自慢おごりて、みがかざる大将は、皆代々持きたる国を失い、家を亡ぼすものなり」
【解説文から】
人間というものは、自分の智恵はまだまだ不十分で、いまだ智恵を蓄え磨くことに関心があると思っているぐらいがちょうど良く、自分はすでに智恵がついたと思ってうがったものの見方をしている時は、すでにその智恵は腐り始めている。
特に、自分の周囲と比べて自分は智恵者であると誇っている時は一番危険な状態で、井の中の蛙であることに気づいていない。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)
あの英雄「楠木正成」でさえ、トップのあり方について、危機感を持ち自らを鍛えることを提唱している。われわれ一般人は、その生き方に触れ、自らを反省し、少しでも智恵を学び蓄えることに努めなければならないと痛感します。
*参考資料:谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』
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2016年08月14日
物事は透徹して見抜くためには、最初からどこかに固執してはいけない。
物事は透徹して見抜くためには、最初からどこかに固執してはいけない。
これだ!
と思ったところ(事、場面)に注目する
、集中する。
江戸期の名僧の沢庵宗彭は、剣士を指導するときに、木の葉一枚を見るのではなく、木全体を幾千の葉の中から一枚の葉に集中することを例えたとのことです。
初めから先入観を持っていては見えてない事があり、できるだけ全体を把握した後に行動する。
人と会うときは、無心で初対面に臨み、広い視野で物事を考え、会話をしながら、人間関係を見つけることが必要と思います。
*参考資料:谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』
これだ!
と思ったところ(事、場面)に注目する
、集中する。
江戸期の名僧の沢庵宗彭は、剣士を指導するときに、木の葉一枚を見るのではなく、木全体を幾千の葉の中から一枚の葉に集中することを例えたとのことです。
初めから先入観を持っていては見えてない事があり、できるだけ全体を把握した後に行動する。
人と会うときは、無心で初対面に臨み、広い視野で物事を考え、会話をしながら、人間関係を見つけることが必要と思います。
*参考資料:谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』
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2016年08月14日
志気は剣の如く〜外界の誘惑に動かされない〜
志気は剣の如く〜外界の誘惑に動かされない〜
昨日のサッカー日本代表の試合のパブリックビューイングが地元サッカー愛好者の心を一つにして行くことにつながっています。
しかし試合は2-2の引き分け、試合には魔物がいる、といわれます。ちょっとした隙が、失点につながったのですが、最後まで諦めず追い上げて同点につながったと思います。最終戦に望みをかけ、力を発揮して欲しいです。
隙を与えない戦いをするには魔物を寄せ付けない高い志が必要と思います。江戸期後期の教育者の佐藤一斎の訓示録『言志四録』に次の訓示があります。
(以下、『佐藤一斎一日一言』より)
間思雑慮の粉粉じょうじょう
間思雑慮の粉粉擾擾(ふんふんじょうじょう)たるは,外物之を溷(みだ)すに由るなり.常に志気をして剣の如くにして,一切の外誘を駆除し,敢て肚裏(とり)に襲近(しゅうきん)せざらしめば,自ら淨潔快豁(じょうけつかいかつ)なるを覚ゆ」
【現代語訳】心が無益な雑念でかき乱されるのは、外界の事物がこれを乱のである。いつも精神を剣の如く研ぎ澄まして、一切の外界の誘惑を取り除き,決して心の中に入り込まないようにしておけば、自然と心が澄んで広々と心地よい気持ちになることに気づくだろう』
(「言志四録」佐藤一斎著/渡邉五郎三郎訳より)
日々の仕事にも最善の準備と緊張感を持って実行する心がけが大事と思います。
昨日のサッカー日本代表の試合のパブリックビューイングが地元サッカー愛好者の心を一つにして行くことにつながっています。
しかし試合は2-2の引き分け、試合には魔物がいる、といわれます。ちょっとした隙が、失点につながったのですが、最後まで諦めず追い上げて同点につながったと思います。最終戦に望みをかけ、力を発揮して欲しいです。
隙を与えない戦いをするには魔物を寄せ付けない高い志が必要と思います。江戸期後期の教育者の佐藤一斎の訓示録『言志四録』に次の訓示があります。
(以下、『佐藤一斎一日一言』より)
間思雑慮の粉粉じょうじょう
間思雑慮の粉粉擾擾(ふんふんじょうじょう)たるは,外物之を溷(みだ)すに由るなり.常に志気をして剣の如くにして,一切の外誘を駆除し,敢て肚裏(とり)に襲近(しゅうきん)せざらしめば,自ら淨潔快豁(じょうけつかいかつ)なるを覚ゆ」
【現代語訳】心が無益な雑念でかき乱されるのは、外界の事物がこれを乱のである。いつも精神を剣の如く研ぎ澄まして、一切の外界の誘惑を取り除き,決して心の中に入り込まないようにしておけば、自然と心が澄んで広々と心地よい気持ちになることに気づくだろう』
(「言志四録」佐藤一斎著/渡邉五郎三郎訳より)
日々の仕事にも最善の準備と緊張感を持って実行する心がけが大事と思います。
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2016年08月14日
5年先まで考えるのが精一杯、それでも自信はありません。〜松下幸之助〜
5年先まで考えるのが精一杯、それでも自信はありません。〜松下幸之助〜
朝の散歩前に、開いた本『人間通』に次の一文がありました。
(以下、転載)
世の中、一寸先は闇である。未来予測は不可能である。それは人智の限界を超えた難題である。松下幸之助はこう言った。
「5年先まで考えるのが精一杯だんな、そやけど、考えに考えでも自信はありまへんな、ましてやその先どうなるかを知ろうなんて無茶でんな、わからんもんやと諦めなはれ」。
これほど左様に将来なにが起こるかは未知数である。それなのに予測を人に説く厚かまし屋が跡を絶たない。予言の仕方には大きく二通しかない。経済予測なら、好景気になると請け負うか、不景気になると脅すか、それ以外に説を立てる余地はなかろう。
その場合どっちの方角を示した方が安全か。それは不景気に到来論に決まっている。好景気になると謳いあげておいて、世の中うまくいかなくなったら、欺されたと怒る連中に責任を追及されて痛い目に遭う。
(以上、谷沢永一著『人間通』より)
“5年先などわかるはずがない”、と故松下幸之助翁もこぼすほど、現代社会は先の読めない時代と思います。行き当たりばったりではいかないが、変化する社会情勢に耳を傾け、来年、再来年だけでなく、明日の予定も変化すことを予測して、今日できることは、今日中に終えるような動きが必要なのかもしれません。
朝の散歩前に、開いた本『人間通』に次の一文がありました。
(以下、転載)
世の中、一寸先は闇である。未来予測は不可能である。それは人智の限界を超えた難題である。松下幸之助はこう言った。
「5年先まで考えるのが精一杯だんな、そやけど、考えに考えでも自信はありまへんな、ましてやその先どうなるかを知ろうなんて無茶でんな、わからんもんやと諦めなはれ」。
これほど左様に将来なにが起こるかは未知数である。それなのに予測を人に説く厚かまし屋が跡を絶たない。予言の仕方には大きく二通しかない。経済予測なら、好景気になると請け負うか、不景気になると脅すか、それ以外に説を立てる余地はなかろう。
その場合どっちの方角を示した方が安全か。それは不景気に到来論に決まっている。好景気になると謳いあげておいて、世の中うまくいかなくなったら、欺されたと怒る連中に責任を追及されて痛い目に遭う。
(以上、谷沢永一著『人間通』より)
“5年先などわかるはずがない”、と故松下幸之助翁もこぼすほど、現代社会は先の読めない時代と思います。行き当たりばったりではいかないが、変化する社会情勢に耳を傾け、来年、再来年だけでなく、明日の予定も変化すことを予測して、今日できることは、今日中に終えるような動きが必要なのかもしれません。
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