2009年03月21日

(後悔?)生きるとは、掛け替えのない命の持続感 

(後悔?)生きるとは、掛け替えのない命の持続感 ~小林秀雄~

 日々生きるていると、後で思い「ああすればよかった」「こうすればよかった」「言葉をかけて上げればよかった」と、反省、後悔をすることがあります。
 小林秀雄氏も同じ年代に、同じような悩みを抱いたのだなと、安心しながらも、しかしその心の持ちよう(考え方)には、とても敬服する思いを持ちます。そのことを書いた一節がありますので、ご紹介します。

(本文)
 昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を〔宮本〕武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来てことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。(「私の人生観」17-163、48才)

 後悔ばかりしていては、本当の自分と向き合う(出会う)ことが出来ない。これだけ読むと、意味不明になるのですが、「人は毎日生きています」、反省、後悔、あるいは感激、喜び、など喜怒哀楽の時の中で生きています。

「一寸の光陰矢のごとし」なる諺が、高校の保護者会ではよく使われます。自分たちが高校時代、そんなことを思って、日々勉強していたのとは思いますが、「時は金なり」の気分にはなりませんでした。 

 後悔、失敗、失態、等々、ふり返り考える言葉と思います。しかし、その場、時は戻ってきません。武蔵は、その失敗を経験し、自分の肥し(ヒント)にして、60数連勝を続けて来たと思います。

>後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ

 グサッと、自分を指摘する言葉に思えます。武蔵も、試行錯誤して、後悔、失敗、失態、等々を参考に、次の勝負、また次の勝負に挑み続けました。要は、生きて来たこと事態が素晴らしいのではないかと考えるようになりました。

 小林秀雄氏も、「その掛け替えのない命の持続感というものを持て」と語るように、自分の歴史こそ最大の「財産」であり、その時々で経験した事の積み上げが「人生」そのものと思います。体と心を、育て維持することが、日々の生活ですが、時々に起る自分の目標(欲)と違う結果に、一喜一憂する必要はないのかもしれません。

*参考資料:「私の人生観」~小林秀雄語録「人生の鍛錬」~

<前の日記>
円熟とは、忍耐に寄せる信頼(敬意)~小林秀雄~
 http://utorongo.otemo-yan.net/e170793.html
良い(好きな)ことばかり追っていたら、矛盾する問題に気付かないものです。



Posted by ノグチ(noguchi) at 12:19│Comments(1)
この記事へのコメント
自分の意見は言う方で、そして、意見は他の人の発言により、変更することが多い。
 変更してから、あとで自分が正しかったこともある。
 へんなの。
 その場、その場で、記録するのも一つの方法と思う。あまり簡単に自分の意見を変えるのはよくない。
 一つの問題が解決する時間は、直ぐの場合もあるが、10~20年の場合もあり、場合によっては、死んでから解決するかな。

 Ichiro
Posted by Ichiro at 2009年03月21日 20:22
 
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