2021年08月01日
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
外は雨が降り続きそうなので、あきらめて朝読書にしました。
先日読み上げた、司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏との対談集『日本人と日本文化』で、日本人のモラルについての部分から、
(以下、本より)
「恥」ということ
司馬 そのくせ、秩序がうまくいっているのはなぜかというと、「恥ずかしいことをするな」ということである。「そんなことを言っては笑われる」とか、「そんなことを言うと恥をかく」とか、いまの子が言う「カッコいい、カッコ悪い」とか。カッコいいということは鎌倉の武士からすでにあった。戦場に出て敵にうしろを見れたらカッコが悪い、だから逃げるなとか、それは要するにモラルではなくて、美意識でしょう。
(以上、『日本人と日本文化』より)
この文の最後の方で、日本の犯罪率の低さを語っています。
犯罪はカッコ悪いから。
海外の犯罪者は、決して自白しない。
日本の刑事ドラマでは、必ず自白するシーンが出てくる。
この意味をキーン氏は、日本の「恥の文化」について言及し、この元となっているのは、儒教の浸透だろう、と指摘しています。
40代から通う、中国古典輪読会が宇土にあります。そこから広がった親子で学ぶ『宇土親子論語教室』の手作りの教本に以下の文があります。
(以下、教本より)
『孝経』
身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の初めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、孝の終わりなり。
(以上、『宇土親子論語教室』より)
父母に受けた身体を傷つけない。
立身出世、名声を上げて、父母に報告する。
ここに、「恥の文化」の元があるように思います。
『論語』が世には広く知られていますが、短い『孝経』の文は、生活の中に根付いているな、と司馬氏やキーン氏の言葉を読み、宇土親子論語教室で勉強の一番最初に、みんなで音読する言葉を思い出し、書きました。
外は雨が降り続きそうなので、あきらめて朝読書にしました。
先日読み上げた、司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏との対談集『日本人と日本文化』で、日本人のモラルについての部分から、
(以下、本より)
「恥」ということ
司馬 そのくせ、秩序がうまくいっているのはなぜかというと、「恥ずかしいことをするな」ということである。「そんなことを言っては笑われる」とか、「そんなことを言うと恥をかく」とか、いまの子が言う「カッコいい、カッコ悪い」とか。カッコいいということは鎌倉の武士からすでにあった。戦場に出て敵にうしろを見れたらカッコが悪い、だから逃げるなとか、それは要するにモラルではなくて、美意識でしょう。
(以上、『日本人と日本文化』より)
この文の最後の方で、日本の犯罪率の低さを語っています。
犯罪はカッコ悪いから。
海外の犯罪者は、決して自白しない。
日本の刑事ドラマでは、必ず自白するシーンが出てくる。
この意味をキーン氏は、日本の「恥の文化」について言及し、この元となっているのは、儒教の浸透だろう、と指摘しています。
40代から通う、中国古典輪読会が宇土にあります。そこから広がった親子で学ぶ『宇土親子論語教室』の手作りの教本に以下の文があります。
(以下、教本より)
『孝経』
身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の初めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、孝の終わりなり。
(以上、『宇土親子論語教室』より)
父母に受けた身体を傷つけない。
立身出世、名声を上げて、父母に報告する。
ここに、「恥の文化」の元があるように思います。
『論語』が世には広く知られていますが、短い『孝経』の文は、生活の中に根付いているな、と司馬氏やキーン氏の言葉を読み、宇土親子論語教室で勉強の一番最初に、みんなで音読する言葉を思い出し、書きました。