2016年09月12日

「わたしはたねをにぎっていた」(山村暮鳥)〜何事も始めないの始まらない〜、

「わたしはたねをにぎっていた」(山村暮鳥)

〜何事も始めないの始まらない〜

今朝は、雨で朝のウオーキングはお休みなので、枕元の本を開くと『心がほっとする日本の名詩100』の山村暮鳥の一編の詩が気になった。

(以下、転載)

わたしはたねをにぎっていた
〜山村暮鳥〜

わたしはたねをにぎっていた
なんのたねだかしらない
いつからにぎっているのか
それもしらない
とにかくどこかにまこうと
そしてあおぞらをながめていた
あおぞらをながめているまに
たねはちいさなめをだした

(以上、本より転載)

山村暮鳥の“たね”は、農産物の種のことだとは思いますが、わたしはこの“たね”を、被災地で苦労する人々の意志(やる気)として、本日は読みました。

わたしが、9年前に人吉市で、九州南部地域で活躍する市長に3人集まっていただき農業をテーマにした討論の場「本来の農業について語る」というサミットを開催しました。隣の市の市長、人吉市の市長、鹿児島の指宿市の市長の3人。指宿市へは計5回、開催地の人吉市へは14回出向きました。

この農業サミットを開催する前に、愛知県豊橋市で「本来農業への道」というシンポジウムが開催されて、わたしにもご案内があったので参加しました。シンポジウムが終わり懇親会会場に移動する車の中で、論語を学ぶの私塾「中斎塾」の事務局長が、
「何か悩んでいるようだが・・・」
と聞かれ、
「一人で準備して、本来農業について語る市長サミットを計画しています。実現できるか不安があります」
と返事をした時に返ってきた言葉は
「何事も始めないと始まらない。やらないうちからできない理由は考えず、どうしたらできるか考えることが大事」
と訓示を受けました。

豊橋市から帰り、開催場所と日程を決めて、人吉市と指宿市へ、まず出向き、具体的に動きだした。動き出すと、いろいろな人が手伝ってくれて、いろいろ予定とは微妙には変わったが、赤字を出すこともなく、開催を終えることができました。

「何事も始めない始まらない」

種は、持っているだけでは、芽は出さない。どんな芽を出すか、撒かないと始まらない。

雨ですが、そろそろ朝の活動の準備です。



Posted by ノグチ(noguchi) at 08:50│Comments(0)
 
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