2017年11月17日
論語ではないですが、<幸福とは何か?>
論語ではないですが、<幸福とは何か?>
自分の今行っていること、行ったことを心から楽しめる者は幸福である。(ゲーテ)
詩人のゲーテの言葉に至るには、まだまだ年齢も行動もできるつもりなので、至らないのが、我が心です。
また、“幸福”について、19世紀(1804年7月1日 – 1876年6月8日)のフランスの女流作家のジョルジュ・サンドの言葉があります。
「人間は、自分で努力して得た結果の分だけ幸福になる。ただしそのためには、何が幸福な生活に必要であるかを知ることだ。すなわち簡素な好み、ある程度の勇気、ある程度の自己否定、仕事に対する愛情、そして何よりも、清らかな良心である。今や私は、幸福は漠然とした夢ではないと確信している。経験と思考を正しく用いることにより、人間は自分自身から多くのものを引き出すことができる。決断と忍耐により、人間は自分の健康を取り戻すことすらできるーーだから人生をそのあるがままに生きよう。そして感謝を忘れないようにしよう」
>経験と思考を正しく用いることにより、人間は自分自身から多くのものを引き出すことができる。
幸福は、金品や装いで得られるものでなく、自らの心(幸福感・価値観)が求め、作り出す現実的な生活そのものだと思います。自分の経験を基にして、簡素な好み、決断と忍耐により、自分に合った(求める)幸福をつかむことができると考えます。
要は、「自分の行っていることを楽しめる人」は幸福なのだと思います。今日与えられた仕事に、懸命にとりくこと、それが幸福につながると信じて、毎日を過ごしたいと思います。
*参考資料:ドロシー・カーネギー著『カーネギー名言集』
自分の今行っていること、行ったことを心から楽しめる者は幸福である。(ゲーテ)
詩人のゲーテの言葉に至るには、まだまだ年齢も行動もできるつもりなので、至らないのが、我が心です。
また、“幸福”について、19世紀(1804年7月1日 – 1876年6月8日)のフランスの女流作家のジョルジュ・サンドの言葉があります。
「人間は、自分で努力して得た結果の分だけ幸福になる。ただしそのためには、何が幸福な生活に必要であるかを知ることだ。すなわち簡素な好み、ある程度の勇気、ある程度の自己否定、仕事に対する愛情、そして何よりも、清らかな良心である。今や私は、幸福は漠然とした夢ではないと確信している。経験と思考を正しく用いることにより、人間は自分自身から多くのものを引き出すことができる。決断と忍耐により、人間は自分の健康を取り戻すことすらできるーーだから人生をそのあるがままに生きよう。そして感謝を忘れないようにしよう」
>経験と思考を正しく用いることにより、人間は自分自身から多くのものを引き出すことができる。
幸福は、金品や装いで得られるものでなく、自らの心(幸福感・価値観)が求め、作り出す現実的な生活そのものだと思います。自分の経験を基にして、簡素な好み、決断と忍耐により、自分に合った(求める)幸福をつかむことができると考えます。
要は、「自分の行っていることを楽しめる人」は幸福なのだと思います。今日与えられた仕事に、懸命にとりくこと、それが幸福につながると信じて、毎日を過ごしたいと思います。
*参考資料:ドロシー・カーネギー著『カーネギー名言集』
自ら矜(ほこ)らず、故に長たり(老子二十二章)〜いばっている人は孤立する〜
「事上磨錬」(じじょうまれん)という言葉〜陽明学〜
<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜
常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
「事上磨錬」(じじょうまれん)という言葉〜陽明学〜
<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜
常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 06:16│Comments(0)
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